シオンの後を追うように、風呂が沸いたと報告しに家に戻る。
道中、アキのことばかり考えていた。一緒に風呂に入りたがるかなとか、どうやって断ろうかなとかそんなことを。
実際問題、アキが我が儘を言い出したら骨が折れる。怒るのはいつものことで、最近は泣かなくなったが、代わりに妙な行動力を見せるようになった。
聞き入れたように見せかけて、あとで踏み込んでくる可能性は十分ある。それをどうやって躱すか。させないか。難題だった。
そんなこんなで、問題への対処法を考えるのに夢中になりすぎていた。周囲の気配を探るのが疎かになり、人がいることに気が付かなかった。
玄関を跨ぎ、土間の上、子供が二人膝を抱えて座っているのを見つけて足が止まる。
二人は壁に背中を預け、存在感をなくすように息を潜めていた。
傍目に分かるほどの悲壮感が漂っている。近寄り難い。先ほど、部屋に案内したはずなのになぜかこんなところにいる二人の顔は、子供とは思えないほどにくたびれて見えた。
親を亡くしたとアキは言っていた。それを思えばどんな言葉をかけていいかわからず、何なら近づくことすら躊躇する。
だからと言って無視するわけにもいかない。考えてみればまだ自己紹介もしていないから、まずは挨拶をしようと歩み寄る。
近づく俺に二人はほぼ同時に気が付いた。一瞬滲ませた警戒心は、俺の姿をみとめた瞬間に好奇心に変わった。
その思いもよらない変化に首を傾げたのも束の間、ぼそりと呟かれた言葉に耳を疑う。
「すけこまし……」
唖然とした。
一言も話したことのない子供にそんなことを言われたのだ。当然だが身に覚えなどない。
「えーっと……」
別の意味で言葉に困る。天井を見上げて考えた。
否定はすべきだろうが何と言っていいかわからない。とりあえず二人の前に膝をついて自己紹介をする。
「まだ自己紹介してなかったよね。初めまして、レンです。二人の名前は?」
「……」
「……」
出来る限り警戒させないように笑顔を意識したのだが、あまり効果はなかったようで、二人そろって固く口を閉ざしてしまう。
俺をすけこましと呼んだ子――アキはツムギと呼んでいた――は恥ずかしそうに目を伏せた。もう片方の子は露骨に身を固くしている。
二人がここにいる経緯を改めて思い出しながら、壊れ物に触れるような心持ちで言葉を重ねる。
「大丈夫。ここは安全だから。誰も君たちを傷つけたりしない」
「……本当?」
「
一方が希望に目を輝かせ、もう一方が暗い瞳で否定する。
「うそかもしれないから」
「嘘じゃない」
否定はするけど信じてもらえない。
思った通り警戒心が強い。当然と言えば当然だ。けれど会話が成り立つだけ心を開いてくれている。そう思うことにして、ツムギちゃんを相手に会話を続ける。
「安心して。もし誰かが君たちを傷つけようとしても、俺が守るから」
「そんなの、うそ」
「約束する」
「……」
僅かな沈黙。二人が顔を見合わせた。二人にしかわからないアイコンタクトを経て、首が横に振られる。
「守るって、なに」
「それは――」
「それなら、助けてよ」
頷こうとした。先日までならともかく、今の俺ならどうにかなる。
その自信があるから任せてくれと言おうとして、それより早く次の言葉がぶつけられる。
「お母さんを助けて」
虚ろな瞳から堰を切ったように流れ出した涙に言葉をなくした。
「助けてよ」
何も言えない。寄り添って泣く子供たちをただ見ることしか出来ない。
安っぽい慰めの言葉。嘘で満ちた希望の言葉。いくつか考えて、どれも口に出すことが出来ない。そのどれもが意味のないことだと分かっていた。
結局、言葉なんか出てこなくて、二人を抱きしめるしかなかった。これ以外の術を知らないことを心の底から後悔しながら、泣き止むまで抱きしめ続けた。――――エンジュちゃんのことを思い出しながら。
「お風呂に、入ろうか」
慰めの言葉の代わりにその言葉を投げかける。
出来ることなら、このまま二人とも抱き上げて連れて行きたかったのだけど、アキより少し小さいぐらいの子供二人。自ずと俺と背丈は変わらない。
どちらか一方ならいざ知らず、二人そろって担ぎ上げるのは無理な話だった。
「待って」
ツムギちゃんは乱暴に自分の目を拭って、コズエちゃんの目を優しく拭いてあげている。
拭き終わった後、生来の物だろう気の強そうな目つきで俺を見てくる。
「わたし、
その名前自体はアキに聞いて知っていた。頷いて応える。
「わたしたち、これからどうなるの?」
「その話はあとでしよう。先にお風呂に入ってから……」
「ダメ、今、して」
外見から受ける印象通り、ツムギちゃんは我が強いらしい。ならコズエちゃんはどういう性格なのだろう。アキは従順だとか言っていたが。
「しばらくはこの家にいて構わないよ。そのあとのことはこれから考えよう」
「……食べ物は大丈夫なの?」
賢い。素直にそう思った。現状をかなり正しく認識している。
まだ九歳そこらだと思うのだが、この世界の女の子は早熟なのだろうか。
「大丈夫。それは君たちが気にするようなことじゃないから」
「子供扱いしないで」
その言い方に子供らしさが感じられて微笑ましくなる。
「大丈夫だよ。アキが――君たちと一緒に居た女の子がたくさん食料を持ってきてくれた。しばらくは大丈夫」
「でも」
何か言いかけたツムギちゃんの唇に人差し指を当てる。「大丈夫」と請け負う。安請け合いかもしれないが、こんなことで子供を不安にさせたくない。
コズエちゃんに目を向けて言葉を続ける。
「コズエちゃんも、何も気にせずにこの家にいてもらって構わない。二人がどういう目に遭ったかは聞いている。大丈夫。守るよ。二人とも」
「……ありがとうございます……」
コズエちゃんの声はか細かった。緊張と警戒心を感じる。怯えも混じっている。これを解くのには時間がかかるだろう。
間違っても無理に距離を縮めないようにしないといけない。恐らくは逆効果だから。
それを心に刻みながら指をツムギちゃんの唇から離す。ツムギちゃんは顔を真っ赤にしてぷるぷると震えていた。
「すけこまし……!!」
その言葉、一体どこで覚えたのだろう。
「あの二人にも同じことしたんだ!」
「あの二人って?」
「人の心を弄ぶなんて最低だから!!」
「してないから」
よろしくない知識を仕入れてしまった思春期の子供みたいな反応。こういうのは経験がない分対処に困る。
とりあえず乱暴に頭を撫でてみると、マシンガンのように迸っていた言葉が止む。
「お風呂入ろうか」
二人の顔を見ながら再び提案する。
頷いてくれるまでもう少しかかった。
ツムギちゃんとコズエちゃんとの自己紹介を済まし、折角だからこのまま一緒にお風呂に入ることにした。
二人はまだ幼いし、誰か一緒に入った方がいいと思う。この世界の常識的には父上が一緒でもいいのかもしれないが、俺としては忌避感が強かった。母上がいたのなら丸投げしたのだけど、いないのだから仕方がない。いつになったら帰って来るのだろうか。
シオンに頼むのも気が引けたので、年の近い俺の出番である。
父上にこの子たちと一緒に風呂に入ることを伝え、なら一番風呂どうぞと言う話になり、どこで話を聞いていたのか、玄関に行くとアキが待ち構えていた。
「兄上、私のことを忘れてますよ」
玄関口を通せんぼするように立ちはだかる妹がそんなことを言っている。その若干冗談めかした言い方に困惑した。自慢ではないが我が家にそういった軽口を叩く人間はいない。言葉が足りない人間しかいない。
アキの視線は俺にだけ向いており、ツムギちゃんとコズエちゃんまで一緒になって俺を見てくる。
「忘れてはいないけど、一緒に入りたいのか?」
「いつも通り、二人っきりで入りたいです」
やっぱりこうなった。予想通りの展開に頭を抱えそうになった俺の横で、ツムギちゃんが「いつも入ってるんだ」と呟く。
「二人で入りたいなら、シオンさんと一緒に入れば?」
「虫唾が走る」
「……じゃあ、ツムギちゃんとコズエちゃんと三人で入ってくれる?」
「兄上と二人っきりがいいです!」
そうは言うけれども、アキと二人で入浴したら最後、どうなってしまうのか想像できない。だってキスしてきたし。愛してるとも言われたし。
先ほどあれだけ色々話していたシオンも、結局のところ俺と入浴するつもりはないみたいだから、それならツムギちゃんたちと入ろうとしているわけで。
仮に四人で入ったなら何もしてこないだろうか。……してくるかもしれない。わからない。
「この子たちと一緒に入るから無理だ」
「何を言っているんですか? 私と入ればいいんです。いつもそうしているじゃないですか」
「無理」
断固として拒否する。
声音に滲む頑なさを察したのか、アキの目が細められた。
「どうして……」と漏れ聞こえた声。拳が握りしめられる。
その小さな身体から圧迫感が漂い始めた。空気が張り詰めていくのが肌で感じられる。今までアキが怒ったことは何度となくあるけれど、こういう空気になったことはない。
冷静に観察しつつ、二人を俺の背中に隠す。
次の行動を予想する。何をしてきてもいいように身構える。
しかしアキが大きく息が吐いた瞬間、緊迫していた空気は雲散した。
「――――仕方ないですね。それなら私はあとで一人で入ります」
怒りなど微塵も感じさせない表情と軽い口調でそう言って、アキは走り去っていく。
気配を辿ってみると父上の方へ向かっている。父上は今食事の準備をしているから手伝いに行ったのかもしれない。
出来れば休んでほしいと思いながら、急変したアキの態度に思いを巡らせる。
マグマのような激情と今までにない素直さ。その二つを比べて考えあぐねた。
以前のアキなら間違いなく駄々をこねていたし、要求が通らないなら不貞腐れていたはずだ。成長したと言えばそうなのかもしれないが……。
「ねえ」
「うん?」
考え込む俺の思考を遮って、ツムギちゃんが話しかけてくる。
「いつもあの子と一緒にお風呂入ってるの?」
「ああ、うん」
「ふうん……」
ツムギちゃんの頬が少し赤い。
コズエちゃんの視線が俺に突き刺さっている。
いたたまれない気分になった。
何も疚しいことはしていない。そもそも兄妹だから。一緒に風呂に入るのも毎晩一緒に寝ているのも、それは普通じゃないのか。そういうことを言おうとしたのだが、すんでのところで思い留まる。
半端な言い訳は傷口を広げるだけだ。何も言わないのが最善だろう。
そもそも探られても痛くない腹なのだし。傷なんてないはずだし。好きに思わせておこう。
思考を打ち切って、二人を風呂に案内する。
心なしか、背後に続く二人とは距離があるように思ったけど、経緯を考えれば仕方ないことだと、深くは考えないようにした。