女が強い世界で剣聖の息子   作:紺南

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第75話

一人になる時間が欲しかった。

考える時間が欲しくて、整理する時間が欲しかった。時間は問題を解決してくれないけど、落ち着かせてはくれるものだ。

 

思えば、先延ばしにしてばかりいた。

父上のこと。自分のこと。そして今度は妹のこと。

ぱっと思い出せるだけで3つ問題が起きている。忘れているだけで他にもあるかもしれない。

ゆっくりと考えたくて、一人になりたくて、今は風呂を沸かそうとしている。

 

アキの帰還に父上は大層喜んだ。

食料の積まれた荷車を見て驚いてもいた。

アキは子供らしい子供だから、そういう意味では俺よりも接しやすいのかもしれない。

保護した子供二人の事情を聞きつつ、世話になったゲンさんを家に留めようともしていた。

俺との間には相変わらず気まずい雰囲気が流れているが、それを感じさせないように取り繕っていた。

 

父上がアキたちの相手をしている間に、俺は風呂を沸かせるためにとその場を離れた。

全ては一人になりたいがためだったが、それで一人になれるかと言えばそう簡単でもなかったらしい。

火にくべるための薪を抱えた俺の元にシオンが近づいて来る。

 

「手伝おうか?」

 

「いえ、結構です。シオンさんも休んでもらって構いませんよ」

 

言外にあっち行ってろと匂わせてみたが、気づいてないのか分かっていて無視したのか、シオンは黙って俺の後ろをついてくる。

そのままついて来られても気になるし、はっきり言って迷惑なので、こちらから訊ねてしまうことにした。

 

「何かご用ですか?」

 

「話をしようと思って」

 

何の話をするつもりだろう。俺は一人になりたくて仕方がないのに。

 

何はともあれ湯を沸かす。火に薪をくべて火力を大きくする。

燃え盛る火をじっと見つめていた俺の背後で、気持ち小さめの声でシオンが呟いた。

 

「これ、僕も入っていいのかな」

 

「構いません」

 

「そう。じゃあ、一緒に入ろうか」

 

意味が分からなくて一瞬呆ける。しかしすぐに我に返った。

突然何を言い出すのかと突っ込む資格は俺にはない。今の今まですっかり忘れていたが、初めにそれを言ったのは俺の方だった。助けてもらった恩返しに身体を差し出すとかそういう話だ。

 

アキと再会することが出来て、ちょっと冷静になった今となっては頭を抱えたい言動ではあったのだが、自分から言い出したくせにまさか断るわけにもいかない。動揺を隠すのに苦労しながらも、辛うじて頷くことが出来た。

 

「ああ、じゃあ、入りますか」

 

薪を火に投げ入れる。

ぱちりと木の爆ぜる音がした。順調に温度は上がっている。しかし時間がかかる。ボイラーなんてものはない。保温も出来ないから、水なんてものは熱しにくくて冷めやすい。

 

これが沸いたら順番に入っていくことになるのだが、一番はアキだろう。二番はゲンさんだろうか。三番目ぐらいに俺とシオン。その頃には間違いなくぬるま湯だろう。どうしよう。沸かし直すべきなのかな。

 

ぐるぐると目を回しながら、不必要にもう一本投げ入れる。

一緒に入るからにはやっぱりそういうことをするのだろうか。ちゃんと勃つだろうか。精通しているか分からないのだけど、きちんと出てくれるだろうか。

そんな風に、不安で頭を巡らせる俺の内心を知ってか知らずか、シオンは再び口を開いた。

 

「夏ぐらいに椛から手紙が来てね」

 

話題の転換についていけない。突然何を言い出すのかと訝しむ。

刹那考えて、母上の名前が出てきたところから推測するに、俺の知らない裏話について語るつもりらしかった。

 

「息子が身体を痛めた。結婚の話はなかったことにしてくれって」

 

いつか母上が言っていた。俺の結婚については先方と話が付いていたと。どうやらその先方と言うのがシオンのことらしい。俺が身体を痛めたことで話は立ち消えになったと思っていたが、実際に断りを入れていたようだ。

 

「で、あちこちに手紙を出し始めたみたい。腕のいい医者を探している。薬を探している。誰か知らないかって」

 

たくさん手紙を出していたことはゲンさん経由で知っていた。伝手を頼って治療の手掛かりを探してくれていたらしい。結果的には必要なかったわけだが、その行動には頭が下がる思いだ。

 

「それで、椛とは友達だし、困ってるなら助けてあげようと思って。僕がもらうよって言ったわけ」

 

「はあ」

 

「怪我の度合いによっては子供も無理かもしれないから、そうなったら側室と言うか多分愛人だろうけど、まあ文句はないかなって。一生面倒見てあげるつもりだったから」

 

「それは……ありがとうございます」

 

「いいよいいよ。あくまでも椛のためだったから」

 

愛人……。

言われてみればそうなるか。先日までの俺は自分の面倒すら見れていなかったわけだし。性行為も多分無理だったと思う。

夫として何一つ役割を果たせなかったはずだ。きっと贅沢品を貰うような感覚だったのだろう。金ばかりかかって何の役にも立たない贅沢品。

 

「けど、渋られてね。椛としては愛人は嫌だったみたい。まあ、それはそうだよね。手に塩をかけて育てた息子を愛人として送り出すのは、大体の親は嫌がると思うよ」

 

「そうですか。俺は別に構いませんが」

 

「うん。……うん」

 

何か言葉を飲み込んだ気配を滲ませつつ、シオンは話を進める。

 

「で、いつまで経っても返事が来ないから、こっちから出向いたわけ。怪我の度合いを見ておきたかったし。どんな子なのかも知りたかったから」

 

そういう経緯でシオンはこの村に来て、紆余曲折の末俺を助けてくれたわけだ。

おおよその事情は分かった。隠していることはまだまだありそうだが、知りたいのはあとひとつだけ。

 

「そこまで教えてくれたなら、ついでにあともう一つだけ聞かせてくれますか」

 

「言ってごらん」

 

「結局のところ、あなたはどこの誰なのですか? 母上とはどういう関係なのでしょうか」

 

少し待って返事はなかった。やはり教えるつもりはないのかと火に向き直る。

直後、シオンが口を開く。

 

「祖母が椛のことをとても気に入ってるんだ。元は東の人間なんてみんな殺してしまえっていう人だったのにね。気まぐれにもほどがある。そんなのが帝だって言うんだから救えない話だ。気まぐれにも程がある」

 

火の中で木の爆ぜる音がした。

 

「帝、ですか」

 

「そうそう。死んだら武帝って呼んでほしいんだって。剣聖になりたかったらしいよ」

 

祖母が帝と言うことはつまり、シオンは王族と言うか皇族になるのだろうか。

シオンが皇族……。脳裏に出会った時のことが思い出された。あの時、シオンは地べたに正座して謝っていた。

 

「いや、ないでしょ……」

 

「うん?」

 

思わず口を衝いて出た言葉にシオンは反応する。振り向けば楽しげな顔をしていた。

 

「だって、シオンさん初め正座してたじゃないですか」

 

「うん」

 

「謝ってたじゃないですか」

 

「うん」

 

「それで本当に皇族なんですか?」

 

「違うよ。継承権は手放したから。今はただの臣下だね」

 

「……と言うことはただの貴族?」

 

「うん」

 

皇族ではないらしい。しかし血が繋がっていることに変わりないと思うのだが。何かそういう仕組みがあるのだろうか。

 

「お貴族様ってあんな簡単に謝罪するものなんですか?」

 

「普通はしないかなあ。謝るにしても帝に対してがほとんどだろうね。ほら、あいつらって頭下げたら死んじゃうから」

 

面白い人達だよねえとシオンは笑う。

 

「じゃあシオンさんはなんで謝ってたんですか。実は何か悪いことでもしましたか?」

 

「別にまだ何もしてなかったよ。でもいきなり絡まれたんだ。それがもうしつこくてさあ。殺すにしてもここは椛の膝元だから不用意に殺せないんだよ。あっちから手を出してきたならともかく」

 

それでああいう状況になったのだと言う。

と言うことは、やっぱりあれ煽ってたのか。どう聞いてもコントだったし。その先に待っていたのが無礼打ちだったのなら全然笑えないが。

 

「知らないこととは言え、俺も大分失礼なことをしたと思いますが」

 

「そうだねえ……」

 

シオンは少し考えこむ。

 

「剣聖の息子であることと、あの椛に育てられたってことで大半は大目に見てあげる」

 

「大半?」

 

蜥蜴(とかげ)のことはまだ許してないから」

 

「そうですか」

 

恨みは根深いようだ。

 

「じゃあ、その辺りのお詫びもかねて愛人になればいいんでしょうか」

 

「潔いね。もっと抵抗していいんだよ」

 

「個人的な恩もありますし、別にあなたのことが嫌いと言うわけでもないので」

 

「……うーんと、理解してるのかな? 愛人なんだけど?」

 

「そうですね」

 

だからなに? と首を傾げる。シオンは溜息をついた。

 

「多分レンはよく知らないだろうから説明すると、愛人って言うのはね、地位も名誉もないんだよ。あるのはやっかみばかりで、酷い時には刃傷沙汰なんだから。毒殺もありうるぐらいで」

 

「でも愛人っていうぐらいですし、愛があればいいんじゃないでしょうか」

 

「……あるの?」

 

「頑張ります」

 

それ以前の問題として、狐憑き疑惑のある俺を権力者であるシオンは見逃すつもりはないだろう。俺もシオンに殺されるのであれば納得できる。それぐらいの恩があるから。

 

こんな話をしている間に風呂は沸いた。

火を消して、煙が消えるまでの間で考える。

 

「一つ、お願いがあるのですが」

 

「なに?」

 

「妹と二人っきりで話がしたいのです」

 

「……は?」

 

なぜか怒りを感じたので理由を述べる。

 

「妹の様子が少しおかしいので話がしたいんです」

 

「勝手にすればいいんじゃない」

 

「……多分、シオンさんは二人っきりになるのを邪魔してくるかなと思いまして」

 

それでなくてもアキとシオンを突き合わせると面倒になりそうだし、他人に聞かせたい話題でもないので、出来れば二人っきりになりたかった。

 

「邪魔って何? え、邪魔されたら困るようなことするつもりだったの? 駆け落ちとか? レンは知らないかもしれないけど、兄妹で恋愛はご法度だよ? 常識を知ってほしいなあ」

 

「いえ知ってます。するつもりもないです。その兄妹間での恋愛云々も含めて話がしたいのです」

 

「だから、勝手にすれば? どうして僕抜きでしようとするのか意味が分からないけど」

 

「……家族の話なので家族間で収めたいのです。見守っていてもらえませんか?」

 

「いやだ」

 

端的かつ明確に拒否されてしまった。

 

「ま、やりたいならやればいいよ。上手くいってる内は見守ってあげよう。上手くいくとは思えないけど」

 

「上手くいかなかったら大変なことになると思うのですが」

 

「そうだねえ。面白いことになりそうだねえ」

 

シオンはそう言って笑ったが目は笑っていなかった。

もしアキを説得できなかった場合は修羅場になるだろう。すでに半ばそうなっているし、今のところ面白いとは微塵も思えていない。

 

「どうかお願いします」

 

「あー、はいはい。仕方ないから我儘を聞いてあげるよ。全くしょうがないなあ」

 

個人的には大したことのない頼みだと思っていたのだが、酷く機嫌を損ねてしまったようなので、その埋め合わせに両手を広げて身体を差し出してみる。

 

「代わりにこの身体を好きにしてもらって構いませんので」

 

「……」

 

「愛人ってそういうものですよね?」

 

シオンはむにゅむにゅと唇を動かして言葉を探している様子。

しばらくそうしていたが結局言葉は見つからなかったようで、がっくりと肩を落とした。

 

「11歳に手は出さないよ……」

 

辛うじてそれだけを呟いて、シオンは踵を返してしまった。

その背中を見ながら、ひとまず貞操が守られたことに僅かばかりほっとした。


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