読んでない方は前話からどうぞ
再会を終えて、アキへの労りや状況の確認など、言いたいことや聞きたいことは山ほどあったが、俺自身混乱しているのに加えて、アキも疲れているのは間違いなく、怪我をしているらしいゲンさんを放っておくわけにもいかないので、全ては家に帰ってからということで、我が家に向かって歩を進める。
荷車は馬に引いてもらうことにした。
馬に紐を括り付け、荷車に結ぶ。
本来ならそれ用のきちんとした装備があるのだろうが、生憎と我が家にそれらしきものはなかった。
ないのならあるもので代用するしかない。そういうわけで紐の出番。紐と言ってもあやとりで使うような細いものではなく、太くて頑丈な、どちらかと言えば縄に近いもの。
これをどこにどのようにして結べばいいのかわからず苦労したが、「こうすればいいのです」とアキが慣れた手つきで括り付けた。一体どこで覚えたのか。それも東の都で学んだのか。聞きたいことばかり増えていく。
家に着くのを待つ前に、移動の間に聞けることは聞いてしまおうと思って、アキと手を繋ぎながら歩いた。
「兄上」
「うん?」
「
「うん……」
アキと合流してからこっち、トカゲの様子が少しおかしい。
今は俺たちの周囲をぐるぐると回り続けている。一定の距離を保って近づいてこない。不思議に思ってこっちから近づくと逃げていく。何がしたいのか分からない。
「どうして連れてきたのですか」
「勝手についてきたんだよ」
「ふーん」
思い返せば、アキはトカゲが嫌いだった。事あるごとに殺そうとしていた。今も冷たい目でトカゲの動きを追っている。
「……まあ、あれはあとでいいか。それで、兄上の方は何があったんですか」
「特には何も」
俺のことよりもアキの方が重要だ。その気持ちではぐらかす。多少なり見知った仲だったエンジュちゃんのことをどう伝えるべきか。それもまだ決めかねていた。
「そうですか。私はてっきり、またぞろ不幸に見舞われたと思いましたが、違いましたか?」
まさかそんなことを言われるとは思いもよらず、的を得ていたのも相まって言葉に詰まる。
そんな俺を見たアキはくすりと笑みをこぼした。
「見舞われたんですね」
呆れと感心が大半で、嘲りが少し混じっている。そんな笑い方だった。そういう笑い方をするアキは見たことがない。
「アキ……?」
「あ、すいません。馬鹿にしたわけじゃないですよ。ただ、やっぱりなぁと思っただけなので」
何がやっぱりなのだろう。
くすくすと笑うアキを横目で伺いながら、違和感が大きくなるのを感じた。何かが違う。一体何が違うのかは分からないが、確実に異なっている。そんな感覚。
「……早く帰ろう」
「そうですね」
違和感に蓋をして歩を早める。
俺の横で、アキは少しだけ楽しそうにしていた。その横顔に無邪気さを感じられて僅かに違和感が和らぐ。
気のせいだと自分に言い聞かせる。アキも大変な目に遭ったのだからと。
たまに休憩を挟みながら歩き続けて、空が薄っすら明るくなって来た頃にようやく村の付近まで辿り着く。
馬に引かれる荷車からひょっこりと顔を覗かせた子供に気づいたのは、村を視認した直後のことだった。
目が合った瞬間に子供は荷車の中に隠れてしまう。人見知りなのかと思いかけて、親を失くしていたことを思い出す。
単純に、初めて見る俺のことを警戒しているのだろう。下手をすれば殺されるかもしれないから。
そんな子供二人とどのように接するべきか頭を悩ませる。食料のこともある。アキがあの子たちを連れ帰ってきたことを責めるつもりもないが、ない袖は振れないのも事実だ。
俺一人死ねばあの子たちの食い扶持ぐらいは繋げるだろうか。やっぱりとっとと死ぬべきか。どのように死のうか。
状況が切迫してきた。シオンと話をしなければならない。いい加減正体や目的を明かしてもらおう。
それとアキとも話をしなければならない。具体的なことを聞き出して、必要ならメンタル的なケアが必要だ。ゲンさんとも話をして、子供たちとも話す。そういえば、父上とも話さなければならなかった。同じ理由で、母上が帰ってくればそちらとも話す必要がある。
やることが多い。まあ、身辺の整理と思えばそういうものなのかもしれない。
ひとまずはやれることからやっておこうと、アキと手を繋いだまま荷車に近づく。
荷車の後ろにいたトカゲが荷車を挟んで向こう側へ離れていった。昨晩はしつこいぐらい追いかけてきたのに今となっては避けられている。どうしてこうなったのか謎だ。不思議でたまらない。他人の気持ちも中々理解できないものだが、爬虫類の気持ちは殊更わからない。
理解の難しいトカゲのことは脇に置いておき、布を引っ張って荷車の中を覗く。
子供と目が合った。まだ眠っている子供を守るように抱きしめて、こっちを睨みつけている。
その様子は明らかに警戒しているし怯えてもいた。
どのような声をかけようかと迷い、時と場合を選んだ方がよさそうだと、布から手を放した。
「今のが
「怯えていたよ」
「兄上に怯えるなんて見る目がないですね」
「親を殺されて、自分も殺されかけたのだから、当然の反応だよ」
もう一人の子供――
アキもゲンさんも俺なんかよりは信用されているだろうし、仲介に立ってほしい。その方が話はスムーズに進む。
「あの子たちは出来れば
とは言え我が家は赤の他人だ。子供たちの親族を頼ると言う手もあるにはあるが、そもそもいるかどうかわからないし、何よりこのご時世だ。どこも子供を抱える余裕はないだろう。
「そう言えば、母上は帰ってきましたか?」
「まだ」
「どこで何してるんでしょうねえ。いっそのこと帰ってこなくてもいいんですけど」
そんなことをのたまうアキの口ぶりは、どことなく
そう言えば、今の今まですっかり忘れていたのだけど、アキと母上の仲も拗れていたのだった。やることがまた増えた。この調子では果てなく増えそうな気がする。
しなければいけないことをつらつらと考えていた俺の横で、アキが唐突に立ち止まる。
釣られて俺も立ち止まり、数歩先で馬も立ち止まった。振り向いてくる馬の向こうに人影が一つ現れる。
ゆっくりと近づいてくるその気配を感じ取り、警戒する必要がないことを察した俺はそのことを伝えようと口を開きかけ、険しい表情を浮かべるアキに気づく。
「アキ?」
「……あれは……」
繋いだ手に力が籠っている。
もう片方の手が腰の刀に伸びていた。あまりに警戒しすぎているその様子に、このままでは邂逅一番斬りかかりかねないと、アキの手を引き寄せて抱きとめる。
背中から抱きしめる形になったが、俺よりもアキの方が背が高いのでいささか不格好に思えた。
万が一もないようにこのままの体勢で人影が近づいてくるのを待つ。
そうすると、人影よりも先にトカゲが近づいてきて、鼻頭をこつんこつんと当ててきた。ぺろりと耳辺りを舐めてくる。ぞわりと鳥肌が立ったが、すでに人影がすぐ近くまで来ていたのでアキを放すわけにもいかなかった。
べろべろと舐められて、ぞわぞわとしている俺に向けて、人影は親し気に話しかけてきた。
「やあ、レン。こんばんは。もしくはおはようだね」
そんなことを言いながら近づいてきた人影――シオン。
シオンはアキを後ろから抱きしめる俺を興味深げに眺めた後、トカゲを見つけて足を止めた。その声に反応したトカゲがシオンを捉え、束の間両者は見つめ合い、次の瞬間には踵を返すシオンと追いかけていくトカゲという構図が生まれた。
悲鳴はなく、足音だけが遠ざかっていく。
トカゲの方が足は速い。何せ馬についてくるぐらいだ。だから単純な徒競走では勝負は見えているのだけど、シオンはどうするつもりなのか気になった。また木に登るのかなと
アキは大人しい。シオンが駆けて行った方向をじっと見ている。
見ていたのは時間にして10秒足らず。その後は俺に向き直り、無表情で聞いてくる。
「あれは、どうして、ここにいるんですか?」
あれというのがシオンのことで、どうしてと言うのに答えるには、まずは経緯から話さなければならない。
「母上の知り合いらしい。剣聖に会いに来たと言っていた」
「でも母上はいないんでしょう? 追い返せばいいじゃないですか。とっとと帰らせるべきです」
「少し色々あって、助けてもらった。まだお礼も渡してないから、もう少し居てもらうつもりだ」
「お礼……金銭ですか? それとも食料? 食料なら、私が運んできたものを渡して、とっとと追い出しましょう」
アキから目を逸らす。シオンが消えた方向を眺める。今、シオンはトカゲに追いつかれている。その気配がした。
「……何を渡すにせよ、きちんと話してからだ」
沈黙が漂った。どことなく気まずい空気が流れてしまう。
「行こう」と声をかけて歩き始めた俺の手首をアキが掴んだ。
それは強い痛みを感じるほどの力で、顔をしかめる俺を自らの方へ引き寄せながら、アキは俺のことを睨んでいた。
「つかぬことをお聞きしますが、兄上は、あれに、何を、渡すつもりでいたのですか?」
「……」
「身体とか言わないですよね?」
まさか、アキからその言葉が出てくるとは思わなかった。
子作りはおろか性的なことを何一つとして教えられていなかったあのアキから。
「……それは、意味をわかって言ってるのか?」
「睦み事。まぐわう。やる。犯す。……まわす? どれでも好きな言葉を選んでください。どれも意味は同じみたいですから」
「……」
「黙らないでください。はぐらかすのもやめてください。私は、あれに兄上を渡したくありません」
溜息を吐く。一体どこでそれを知ったのか。
何故だかカオリさんの顔が思い浮かぶが、いずれにせよ、今までと同じやり方は通じない。それがよく分かった。
「俺が個人的に頼んだことだから、お礼は俺がする。それが何であれ、アキが口を出すことじゃない」
「私たちは家族です。口を出しますし必要なら手も出します。兄上が道を間違えそうなら連れ戻しますし、叩いてでもやめさせます」
「自分で選んだことだ。俺は自分の行動に責任も持てない無責任な人間じゃない」
「男のくせに何を言っているのですか」
再び顔をしかめる。今度は別の意味で。
シオンも似たようなことを言っていた。男だから、と。
それはまるで魔法の言葉のようで、何を言おうとそのたった一言で封じられる。反論を探しても思いつかない。俺が男であるのは事実で、この世界で男が弱い生き物であることもまた事実だ。性別は関係ないと言ったところで、この世界はそういう風には出来ていない。仕組みが違う。人権に関する認識も、そのありようも、俺の知っている世界とは根本から異なっている。
何を言ったところで理解されないだろうと言う諦めが、いの一番に出てしまう。
「兄上は男じゃないですか。男が自分の人生を決められると思ってるんですか? 責任を持てると思ってるんですか? 従うしかないんですよ。言いなりなんですよ。歯向かっちゃダメなんですよ。一生、ずっと、誰かの持ち物なんです。だから兄上の責任は私が持ちます。だって私は女ですから。当たり前のことですから」
アキは俺の手首を放さない。握ったまま引っ張られる。まるでペットにつけるリードのように、それは俺の意思に関係なく引き寄せて、正面から抱きしめられた。
「あいつには、渡しません」
抱きしめられながらも、依然として手首は掴まれたままだ。
握りしめられた手首が熱い。そう言えば、猿と戦った後、同じようにシオンにも手首を掴まれた。
あの時も振り解けそうになかった。そして小さく聞こえた「つかまえた」という言葉。
このままアキとシオンを会わせるとまずいことになるのは俺でも分かる。
何とかしなければとアキの腕から逃れるために抵抗してみて、力負けしてアキの胸に抱き留められる。
まるで歯が立たない。以前にも増して力の差が大きくなった気がする。どうにかしなければと思っても、どうにも出来ないことに気づく。
そのまま横抱きに抱えられて、じたばたと暴れてみても、やっぱりアキから逃れられない。暴れれば暴れるほどより強い力で抱きしめられて、今や全身が軋むぐらいの力が込められている。
アキが馬の尻を叩いて歩かせ始める。荷車が動く。その布の隙間から子供の目がこちらを見ていた。二対の瞳。いつの間にかコズエちゃんも起きたらしい。二人して俺たちのやり取りを観察していた。
今度は俺と視線が合っても隠れたりしない。
先ほどとは大違いの反応だ。それぐらい俺たちの会話に興味が引かれていると言うことか。
アキに身動ぎ一つ出来ないぐらい強く抱きかかえられたまま、この後のことに思考を巡らす。
シオンとトカゲの気配は一箇所で止まっている。向こうがどうなっているかは知らないけれど、このままではすぐに追いつく。
考える時間がない。対策を練る暇もない。そもそもどうすればいいのか全く分からない。
アキは俺をシオンに渡さないと言っている。
俺はシオンの物になってもいいと考えている。
ではシオンは俺のことをどう思っているのだろう。全てはそれにかかっている。
シオンの目的がどうであれ、狐憑きと思われる俺を見逃すとは考えにくい。アキの強情さを考えれば、衝突する未来しか見えない。
俺が何とかするしかない。具体的にどうすればいいのか。アキを説得するしかないだろうが、出来るだろうか。やるしかない。
母上がいてくれれば、家長としての鶴の一言で丸く収まるのに。そう思いながら気配を探ってみても、母上の気配は未だどこにもない。
早く帰って来てほしい。色々と込み合っている。俺ももうそろそろ終わりにしたい。