短いです。
Q.名前が漢字表記の場合とカタカナ表記の場合があるんですが、何か意味があるのですか?
A.実は法則がありますが、キャラによって変わると思っていただければ結構です。
鬱蒼とした木々の生い茂る山の中、土が踏み固められただけの道の上で、妹を抱きしめる。
無事でよかったと安堵で胸を撫で下ろし、怪我はないかと一旦身体を離してじっくり眺めた。
記憶の中のそれと寸分違わず、華奢な身体には怪我らしきものは見当たらない。とはいえ服を着ているから、必ずしもそうだとは言い切れない。シオンよりも先にアキと風呂に入るべきかと考えあぐねる。
ひとまず結論は先送りにして、とりあえずまた抱きしめた。
生きているからこその温かさを感じる。死んでしまったら最後、記憶にしか残らない。エンジュちゃんのように。
「兄上……」
呟きと共に背中に腕が回された。ぎゅっと抱きしめ返される。
体温と心音、息遣い。慣れ親しんだ感触に不思議と心が落ち着いた。
抱き合う最中も込められる力が段々と増していき、思わず咳がこぼれてしまう。そして唐突に突き飛ばされた。一歩二歩と後ずさりし、月と星の瞬きに照らされる妹の顔を見返した。
俯いて影が差しているため表情は分かりにくい。しかし、視線に籠っている力に僅かばかり気圧される。
「こんなところで、何をしているのですか、兄上」
喜んでいるとはとても言い難い声音。何かを耐えるような雰囲気。東の都で何かあったのだろうかと、一度は治まった不安がぶり返す。
「迎えに来た。帰ろう」
「……迎え……兄上が?」
その声は困惑に満ちている。もっともな疑問だと思った。何せ、この数ヶ月間、俺は身体を壊していた。動くこともままならない日が続いて、アキに面倒を見てもらっていた。
けれどももう治った。その辺りの事情を理解してもらうのは中々に難しい。説明してもし切れそうにないし、そもそもしたくもない。他人に話せるほどの心の準備がまだできていない。
「もしかして、身体、治ったんですか」
「うん、治った」
短く答える。アキは頭のてっぺんから爪先までしげしげと眺めてくる。
「……そうですか――――そうなんですか」
声尻と共にアキの雰囲気が少し変わった。そのことにどうしてか警戒してしまった自分がいる。
何かが違う。決定的な違和感。直感が訴えている。危険だと。
何が危険なのかと理性で考える。危険であるはずがない。アキのことはよく知っている。この世界で一番身近な存在だ。
そう考え、不安を押し殺して歩み寄る。自分の直感を否定する。そして突き飛ばされて離れてしまった距離をなくして、じっと俺を見ているアキに近づく。その目に宿る光。爛爛と輝く瞳。それが何を意味しているのかよく分からなくて、緊張感から唾を飲み込んだ。
「どうかしましたか?」
「いや……」
思わず言い淀む。実の妹相手に緊張していたなんて言えない。言いたくない。
それをどう勘違いしたのか、アキは荷車へ指を差して告げてくる。
「安心してください。食料は手に入りました。米俵三つと乾物が少し。……私、とても頑張ったんですよ」
落ち着いた声だった。頑張ったとは言うけれど、それをあまり誇示していない。
少し前のアキならもっと主張したはずだ。どれだけ頑張ったか。どれほど大変だったのか。誇張交じりに、大袈裟に、子供のように。
付き纏う違和感を振り払い、荷車に目を向ける。米俵三つと言った。それはとても凄いことだと思う。正直、食料が手に入るとは思っていなかった。
このご時世だ。皆が食料を求めている。競争に打ち勝ったのだろう。問題はどのような競争があって、どんな手段を用いたのか。
「アキ、一体何が――――」
「それと、
「え」
慌てて荷車に駆け寄る。
被せられていた布を剥がして中を覗く。
真っ先に目に映った三つの米俵。その上にいくつかの布袋が無造作に置かれていて、僅かに空いた空間に窮屈そうな体勢で眠っているゲンさんがいた。悪夢でも見ているのか、呻き声が聞こえる。見たところ大きな怪我はしていない。
ほっと胸を撫で下ろし、視線をその足元に向ける。そこには見覚えのない子供が二人いた。見たところアキと同じか年下に思える。二人は揃って膝を抱え、身を縮こませて、寄り添って眠っていた。
どこの子だろうと、その顔をよく見るために手を伸ばし、目元にかかっていた前髪を左右に分けようとした。
指が髪に触れる直前、エンジュちゃんの顔を思い出して、伸ばしていた手を引っ込める。
「
背後からアキがそれぞれの名前を教えてくれる。
当然だがどっちがどっちなのか分からない。見比べてみても、寝ている子どもは可愛らしいと言う感想しか抱かない。反抗的とか従順だとか、そんなのは見た目で分かることじゃない。
「……この子たちは?」
「殺されかけていたので連れてきました。迷惑なことに、心が痛んでしまったので」
「親は?」
「残念ですが、一足先に殺されました」
淡々と告げられた事実に言葉をなくす。
「……どうして」
「元々恨まれていたようで、寄ってたかって殺されてしまいました。酷いことをする人間もいたものです」
子供が殺されそうになっていた。親は先に殺された。それもアキの言い方ではやむを得ず殺されたと言うよりは、嬉々として殺されたように聞こえた。
どうしてそんなことが起こったのか。食料不足のせいなのか。東はそんなに酷い状況なのか。次から次へと疑問が浮かび、上手く言葉に変換されない。
「なんで、そんな……」
「人心が乱れて世が乱れました。あちこちで強盗が多発して殺人も起きています。同じ地域に暮らす者同士で殴り合いの日々です。ここまで来るのも大変でした」
事も無げに言ってのけるアキは変わらず淡々としている。
アキには似つかわしくない無表情で、喋りながらじっと俺を見つめている。
何か言わなければと言う衝動に駆られて、具体的なことを考える前に労りの言葉をかけた。
「よく、頑張ったね」
「そうですか? ……そうですね」
思っていた以上のあっさりとした反応に何度目かの不安を抱く。
あのアキがこんな風になるなんて、一体何があったのだろうと考える。それは容易く想像できた。多分、人を殺したのだろう。それが何人かは分からない。一人や二人ではない。もっと多く、数人、下手をすれば十人以上。そういうことがあったのだろう。
「どうしました?」
何も言えなくなった俺に対してアキが怪訝そうにしている。
俺も人を殺したことがある。先代の剣聖を殺した。それに対して思うことはない。殺そうとしてきたから殺した。それだけの話だ。
それはアキだって同じはずだ。数の問題ではなく、正当防衛かどうかの問題。どっちが酷いと言う話ではないはず。なのに、アキが人を殺したと思うと酷く心が痛んだ。
自分よりも年下で、守ってあげなければいけない存在が人を
不甲斐ない。俺のせいでそうなった。その自覚が心に傷を生んだ。
じっと見つめてくるアキの瞳に、これまでになかった暗い色を見た気がして、たまらずその身体を抱きしめる。
力いっぱい、出来るだけ強く、抑えきれなかった感情を八つ当たりのようにぶつけながら。
ごめんと言おうとした。でも言えなかった。
ありがとうと言おうとした。でも言えなかった。
ごめんと言えば、アキの行動を否定する気がしたから。
ありがとうと言えば、アキが殺してしまった人たちの死を肯定する気がしたから。
何も言えないまま抱きしめる。
アキは抱き返してこなかった。
アキの気持ちが知りたい。辛いのか、悲しいのか、あるいは本当に何とも思っていないのか。
それを知れれば、どういう言葉をかければいいのか分かると思ったから。