女が強い世界で剣聖の息子   作:紺南

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第70話

死にたい。

自らの死を望む。その言葉を何度も繰り返す。

自分のせいで、一人の女の子とその家族が死んだことが、今までにない罪悪感になって押し寄せる。

どうして俺は死なないのだろう。あの時、猿に首を折られた時に死んでいればよかったのに。先代剣聖を殺した時に一緒に死んでいればよかったのに。

なぜ生き返ったのだろう。どうして生き返ったのだろう。

どうして、どうして、どうして、どうして、俺は生きている。死ぬべきは俺だったのに。死んでよかったのに。か弱い子供が死ぬなんて。どうして。

 

そうやって、ひとしきり罪悪感に圧し潰されて。神を呪って、自分を恨んで。俺と言う存在を否定して。どこまでも広がる雄大な空を見つめる。

そこに青色はなく白い雲だけが流れていく。いつまた雪が降ってもおかしくない薄暗い曇天。息を吐けば微かに白い水蒸気が浮かぶ。ああ、やっぱり俺は死ぬべきだなと己の命の無意味さを再認識して、今すべきことを考える。

 

飢饉が来て、母は西に、妹は東に向かった。間もなく猿が襲ってきて、皆殺しにした。

母のことは考えても仕方がない。どこに行ったか分からないし、追いかけたくても追いようがない。だから妹のことを考える。

アキは東に行った。早ければその日の内に帰ってくるはずだったのに、数日が経ってもまだ帰ってきていない。何かに巻き込まれている可能性が高い。どんなに鈍かろうと、食糧難が迫っていることは誰しもが理解している。人心が乱れて暴動が起こっていてもおかしくはない。

 

人の本性は危機的状況にこそ現れる。大抵の人は自分のことを賢いと思っていて、けれど全然賢くはない。

俺を含めて、突発的な状況で理性的に振る舞える人間は思いのほか少なくて、大半の人間はその場の空気に流される。

アキはまだ子供だから、間違いなく流される。周囲がそうしているのなら、人の道など容易く外れるだろう。そうならないためにゲンさんが付いて行ったが、未だに帰ってきていないのだから不測の事態が起こったはずだ。

 

行かねばならない。アキを迎えに。それが俺が生きている理由の一つだ。

 

息を吐き、心の痛みをないものとして、トカゲの顔を押しのけて立ち上がる。

今すぐにでも発ちたいところだが、世話になったシオンに何も言わないわけにはいかない。今だってシオンは俺のために身を粉にしてくれている。その恩には少しでも報いるべきだ。

すでに山に登った人たちの気配は戻りつつある。一言話をして、それから出発しても遅くはないだろう。

 

杖を持ち、山に向かって歩く。後ろをトカゲが付いてくる気配がする。

藪の前で待つ。間もなく大人が一人姿を現して、俺を見てぎょっとした顔をする。

その一人を皮切りに、続々と大人たちは帰って来る。その顔は一様に悲しみに暮れ、あるいは恐怖を張り付けていた。俺を見て驚くところまで一緒だった。

どうやら死体の確認は済んだらしい。ついでに犠牲になった人の遺体も確認したのだろう。貪られて骨しか残っておらず、どれが誰の骨なのか、そもそも人間の骨なのかも分からない有様だったろうが。

 

何にせよ、直近の脅威がなくなったことは認識しただろう。

だから大人たちはそれぞれ自分の家に戻っていく。俺に声をかける者はなく、通り過ぎる背中に頼りがいは微塵も感じられない。

 

村長は間もなく自ら命を絶つ。また何かトラブルに見舞われた時には、この人たちを頼りにしないといけないが、その前に母かゲンさんのどちらかが帰って来てくれることを望む。じゃないと俺は一人で行動に移すことになるだろう。

 

人の列が途切れてわずかに待つ。最後尾にいた二人の気配が近づいてくる。

がさがさと藪が揺れ、姿を現したシオン。そのすぐ後には父がいる。

あれ? と言う顔で俺を見たシオンは、背後のトカゲを苦虫を嚙み潰したような目で見ながらゆっくり近づいてきた。

 

「なになに。また何かあったの?」

 

「特に何もありませんが。どういう意味ですか」

 

「自分がどういう顔をしているか自覚した方がいいよ」

 

どういう顔をしているのだろう。

死にそうな顔か、絶望に染まった顔か。自分で自分の顔は見られないから分からない。

 

分からないことはあまり気にしないようにして、おずおずと近づいてきた父に目を向けた。

意を決したような顔で、勇気を振り絞っているように見えた。どういう心境の変化だろうと物珍しく眺める。

 

「レン、あの」

 

それだけで、何か言いたいことがあるのは分かった。

多分腹を割って話すつもりなのだろう。しかし今それをされても困る。アキのことを優先したいので付き合うわけにはいかなかった。

 

「あのね、レン。僕は――」

 

「お疲れさまでした。山の様子はどうでしたか」

 

先んじて、こちらから言葉を発する。

出鼻をくじかれた父は二の句を継げず、代わりにシオンが答えた。

 

「道中ぶつくさ言ってる人もいたけどね。着けば分かってくれたよ。言葉もなかったみたい。あれを実際その目で見たんだから、疑いようもないよね」

 

「犠牲になった人の確認は済みましたか?」

 

「衣服の切れ端が残っていたから、それで確認してた。遺骨をいくらか持ち帰ったみたい。それとね」

 

父を気にしたのか、シオンが声を潜める。

 

「あの黒い猿が持っていた頭蓋骨が見当たらなくてね。もしかしたら、木の下敷きになったかも」

 

「……そうですか」

 

胸が引き裂けそうになった。黒い猿が持っていた、子供の物と思しき頭蓋骨。あれは多分エンジュちゃんのものだった。

シオンが言う通り、木の下敷きになった可能性もあるが、もしかしたら七の太刀で切り裂いてしまったかもしれない。そう思うと余計に胸が痛んだ。

 

「何から何まで、おかげで助かりました。ありがとうございます。お疲れでしょうから、家でゆっくりしてください。俺は少し出かけます」

 

「急だね」

 

「妹を迎えに行ってきます」

 

シオンは少し考える素振りを見せてから頷いた。

その横でなぜか父は言葉をなくしている。その様子を不思議に思うが、気にしてもしょうがない。

 

「折角だし、手伝おうか」

 

「いえ、結構です」

 

「大丈夫?」

 

「はい」

 

「……まあ、大丈夫そうには見えるけど」

 

引っかかる言い方だ。どういう意味で言っているのか。

訝しむ俺の内心を察したか、シオンは言葉を足した。

 

「今のレンは少しだけ格好いい」

 

「それはどうも」

 

「少しだけだから、勘違いしないように」

 

勘違いも何も真に受けていない。お世事か何かだろう。どうでもいい。

 

「こちらの都合で申し訳ありませんが、お礼は帰ってからお渡しすることになります」

 

「お礼はいいよ。十分得る物はあったから」

 

「それだとこちらの気が済まないので。……帰ったら、一緒にお風呂に入りましょうか」

 

ぴたりとシオンの動きが一瞬止まり、父の視線が痛いぐらい突き刺さる。

 

「いや、入ってどうするの。背中でも流してくれるのかな?」

 

「流しますし、ご奉仕もします」

 

「え……」と父上の絶句した声が耳朶を打った。

 

「……まだそれ言うの?」

 

「他に値のある物を持っていないので」

 

シオンは下手な冗談を笑い飛ばすように首を振った。

 

「11歳には手を出さないって言ったでしょ」

 

「年が明ければ12歳です。それぐらいなら誤差です。納得できないなら四捨五入してください」

 

「いや、精通だってまだなんでしょ?」

 

「擦れば出ると思いますよ」

 

「……本気で言ってるの?」

 

「大真面目ですが」

 

ついにはシオンの顔が引きつった。

少し待って、特に二の句もなかったので、会話を終わらせて父の方に向く。

 

「父上」

 

「……」

 

「馬を借ります」

 

「……」

 

「借ります」

 

呆然としていたため返事がなかった。念のため二度告げたが、多分聞こえていない。帰って来た時にまた後出しされるかもしれない。

 

「それでは、我が家でごゆるりとお過ごしください」

 

「……なんか、なんだろう……すごく強引じゃない?」

 

「気のせいだと思います。早ければ今日中に戻ってきます。遅くても数日中に戻ります。それ以上かかるようなら死んだと思ってください」

 

「聞き捨てならないんだけど。ひょっとして、死ぬつもりじゃないだろうね」

 

「いいえ。まだやることがありますし、そもそも死ねるかも分からないですし」

 

知ってるでしょう? と言う意思を込めてシオンを見つめる。

シオンは渋面で視線を返してきた。

 

「なんだか……凄くやりにくい」

 

「シオンさんには聞きたいことがたくさんあります。(ねや)で教えてください」

 

「本当にやりにくい……」

 

二人をその場に残し、踵を返して馬小屋へと向かう。

いつまでも後をついてくるトカゲがしきりに襟首を咥えてきて鬱陶しかったが、何とか馬に乗ることが出来た。

乗った後も足を咥えて落そうとしてきたので、命からがら馬を走らせる。トカゲはついてきた。いつまでもいつまでもついて来て、ついに振り切ることは出来なかった。

 

 

 

 

 

道中は昨晩降った雪のせいでぬかるんでいて、道の状態は非常に悪かった。この分なら歩いたほうがましだったかもしれないが、帰りのことを考えて馬は必要になるだろうと考えていた。トカゲは全く必要ないと思う。

 

隣町に着いたのは昼を過ぎてから。

澱んだ空気を肌で感じ、屋台の一つもない町並みに、変わるものだなと感想を抱く。馬から降りて散策する。

 

あちこち見て回った結果、この町にアキはいないと言う結論に達し、違う町に向かうことにした。

知り合いを求めて立ち寄った自警団の屋敷で、ここより東に大きな町があり、大半の団員はそこに向かったと言う情報を得た。

いつかの知り合いのカオリさんもそこに向かったのだと言う。ここにいない以上、アキたちも向かった可能性が高い。ゲンさんも一緒なのにどうしてそこまでしているのかと思わないでもないが、話は合流してから聞けばいい。

 

馬に跨り走り出す。町の人たちは俺を避けたので移動は苦にならない。

アキは無事だろうか。そればかり考えながら馬を走らせる。

 

東の都まで二日ほどかかると言う。途中に宿があるらしいが生憎と金がない。不眠不休で行けば一日で着くだろう。

 

知らない道を行く。がむしゃらに駆けて行く。振り返らずに進んでいく。振り返ればトカゲがいるから、振り返る気にはならない。

 

アキのことだけ考える。無事であってくれと願う。

願い続けて数刻。太陽が西に沈んで薄暗くなる。真っ暗闇な道を構わず走らせて、ようやく探し求めていた気配を感じ取ることが出来た。

 

不気味なほどの静寂の向こうから、がらがらと車輪の転がる音が聞こえてくる。

東から上った月を背にして、荷車を引く人影が一つ。荷車の上には三人いて、内一人はゲンさんだった。

 

「アキ!」

 

馬から飛び降りて走り出す。呼びかけながら駆け寄った。

アキはびっくりした顔をしていた。驚きと疑問の二つが表情に現れていて、眉をひそめて囁いた。

 

「……兄上?」

 

半信半疑の呼びかけに応え、万感の思いを込めて抱き着く。

良かったと心の底から思う。何よりも、それだけを胸に抱く。

 

「おかえり、アキ」

 

アキは答えない。

誰も言葉を発しない。

頭上に瞬く星々だけが俺たちを見下ろしていた。




ひと区切り。
70話に関してはいつか書き直すかもしれません。何度も何度も書き直して今の形に落ち着きましたが、やはり納得のいかない出来になりました。

さて、数話前のあとがきで猿の描写をマイルドにしたためその内解説すると書いてしまいましたので、それについて簡単に解説を。

もともと猿たちの描写はもっと凄惨なものにする予定でした。
20年ほど前にブルーノと言うチンパンジーが起こした事件がありまして、それを参考に書くつもりでした。
詳しくは検索していただきたいのですが、手足の指を全部嚙み千切るとか生きたまま顔面を食らうとかそういう事件です。

なので、「山のどこからか助けを求める人の声が聞こえる。それは子供の声に思えた」とか「絶えず断末魔が木霊する」とか、そういう描写をするつもりでしたが、メンタル的に書き切れませんでした。
ぶち切れたレン君が一人山に乗り込み、シオンが助けに来ると言う展開ですね。
いつか書いてみたいと思っています。


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