女が強い世界で剣聖の息子   作:紺南

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第69話

うろの中で一晩を明かした。

明るくなってから山を下りた。

積もった雪に足を取られながら斜面を下り、たまにシオンに助けられて、ようやく村へと戻ってきたころには雪は少し融け始めていた。

 

遠くからでも分かるぐらい村には緊張感が漂っていて、恐怖のトカゲが獲物を求めて歩き回っており、我が家にはたくさんの人が集まっていた。

 

何をしているのかと聞き耳を立ててみると、どうにも俺がいなくなったことで父があちこち探し回った結果らしい。

またぞろ猿が襲ってきたとでも勘違いしたのだろう。夜が明けるまでは一ヶ所に集まって難を逃れ、明るくなったので各々動き出している。

 

夜の内に村総出で山狩りをすると聞いていたのだが、それにしては随分と慎重な判断を下している。もしかしたら、七の太刀で木が倒れる音がここまで響いたのかもしれない。

 

どういう理由にせよ村の人たちは山に登らず、夜が明けてさあどうしようかと言うところに俺とシオンが戻ってきた。

にわかに騒然となる村人の中から父が飛び出してくる。

 

「レン!」

 

駆け寄られ、腕が振り上げられて、頬を打たれた。

少しよろける。痛くはなかった。物理的にも精神的にも。

 

「どうして勝手なことをするの!?」

 

どうやら父は怒っている。

勝手なことと言われても困るが、山に登ったことに対して怒っているらしい。

そうするとはっきり告げたつもりだったが、泣いていたので聞き逃したのかもしれない。

なんだか後出しじゃんけんを食らった気分になる。こんなことで怒ってもしょうがないので努めて平静に言い返す。

 

「そうすべきだと思ったので」

 

再度腕が振り上げられた。

火に油を注いでしまったらしい。まあ、別に構わない。いくらでも叩けばいい。逃げも隠れもしないから。

 

父の行動を冷め冷めと見ていた。

痛くもないのに恐れる気にはなれない。かと言って良心が咎めることもない。ただその場に立って見ていた。

 

叩くにしろ殴るにしろ、全て受け止めるつもりでいたのだが、振り上げられた手が届くことはなかった。シオンが割って入ってきたから。

 

「はいダメ」

 

「な、なんですか!?」

 

父が鼻白む。シオンの顔を見てあからさまに狼狽えている。

頭の先から足元まで視線を向けて、苦虫を噛み潰したような顔をした。

 

「一回はいいけど二回目は駄目だよ。レンだって疲れてるんだから」

 

「家族の問題です……関係ない人が首を突っ込まないでください」

 

「正論だけど、それでも僕はレンの肩を持つよ。なにせ背中を預け合った仲なんだから」

 

言うや否や、シオンは俺の肩を掴んで抱き寄せてくる。

脱力しきっていた俺はされるがままだ。

 

「猿は皆殺しにした。犠牲者の死体も確認したよ。骨しかなかったけど」

 

今朝、山を下りる前に黒い猿の死骸を確認した。

死骸は確かにそこにあって、あの場所の近くにゴミ捨て場らしき物もあった。そこに無数の人骨が捨てられていた。

 

「それは、その……」

 

「信じられないなら連れて行ってあげる。今からでも行こうか?」

 

父だけではなく周囲の人間に向けられた言葉だった。

集まっていた大人たちは半信半疑のようだ。シオンはこの村の人間ではないから信じられないのだろう。俺が言葉を添えても大して変わらないはずだ。俺を信用する人間なんてこの村にはいない。

 

「俺も行きますよ」

 

「レンは休んでよ。疲れたでしょ」

 

「疲れてないです」

 

「嘘つき」

 

正面から顔を近づけられて目を逸らす。目元に指が這わせられた。

 

「そんなに疲れ切った顔をして。ゆっくり休みなよ。あとの雑事は引き受けるから」

 

「シオンさんだって疲れてるはずです」

 

「心配ないよ。僕は女だ」

 

「……俺は……」

 

「君は男の子」

 

それでもう何も言えなくなる。

最後に軽く抱きしめられて、シオンは大人たちを急かし始めた。その素振りから、人に命令するのに手慣れている印象を受ける。

あっという間に人が消えていき、最後に残ったのは俺と同じく所在なさげに立っていた父上だった。

 

「レン……その、ごめんなさい」

 

父は視線を逸らしながら謝罪を口にする。それがたった今頬を打ったことか、それとも例の会話のことを謝っているのか。その両方かもしれない。多分そうだ。そう思うことにした。

 

「俺の方こそすみませんでした。酷いことを言いました」

 

「そんなこと……」

 

「高望みしすぎたのかもしれません。あんまりたくさんを望みすぎたのかも。人には向き不向きがありますから」

 

俺も父上の方を見ずに言葉を発する。

あまり言葉を選ぶ気にはなれずに淡々と紡いでいく。

 

「俺は父上の生まれとか育ちなんて気にしません。どんな経緯があって母上と結ばれたのかも興味がない。過去はどうあれ、父上は父上ですから」

 

それは絶対に変えようがないこと。血の繋がりは望む望まないに関わらず不変だから。

それはそれとして、母上とは話をしなければならないが。父上に言えないことでも母上になら言えるだろう。俺にとって、腹を割って話せるのは母上だけだった。父上には言えないことが多い。気を遣うし、言葉だって選ぶ。その点、母上とは気安い関係が築けている。

 

「ありがとう……」

 

か細い声が聞こえて、会話が途切れる。

気まずい空気が漂った。

 

「レン」

 

「はい」

 

「身体は大丈夫なの?」

 

「治りました。不思議なことに」

 

そうなんだと呟いて父上は立ち去った。

最後までその顔を見ることは出来ずにいた。どうしようもない隔意が俺たちの間にあった。

それをどうにかするつもりは、今の俺にはなかった。

 

 

 

 

 

大人たちを引き連れて山に登ったシオンの帰りを、俺は木の上で待っていた。

なぜか父上も付いて行ってしまったのでとても心配している。雪も降ったし、融けているし、多分足手まといになっていると思う。

かく言う俺はトカゲに見つかり追い回されて、いつぞやのシオンのように木の上に追い詰められてしまった。

今もトカゲは真下にいて俺を見上げている。時折蛇みたいに舌を出している。怖い。

 

山に入った人たちの気配を追いながら、することもないので思案にふけっている。

大半は取り留めもないことをつらつらと思い連ねるだけだったが、ふとシオンのことを思い浮かべ、そう言えば、彼女は気配が読める可能性があることを思い出した。

山に入ってすぐ、三匹の猿に遭遇した時に俺と同じぐらいの早さで猿たちの接近に気が付いていた。目視などできる距離ではなかったので、恐らくは気配が読めるはずだ。

 

となれば黒い猿に首の骨を折られて殺された時、俺の気配がなくなったことに気が付いていてもおかしくない。

その割にはそんな素振りはまるで見せず、合流した時には慌ててすらいなかった。

俺の身体が治ったことを不思議の一言で片づけ、それ以後は詮索すらしていない。

 

思い返すに不自然だが、あえて触れないようにしていると見るのが妥当だろう。普通なら根掘り葉掘り訊ねるものだ。

問題はどんな理由があってそんな態度をとっているのかだ。シオンにはシオンなりの目的があるはずで、それが俺にとって都合が良いことである保証はない。大抵は悪い方に向かっている気がする。

 

これは全く根拠はなく、あくまでも妄想と偏見による考えだが、例えばシオンが実はこの世界の権力者の一人であり、狐の昔話に出てきた権力者よろしく不死に憧れていて、俺と言う存在を知って利用しようとしているのだとしたら、今までの不自然な行動も納得できる範疇だ。

警戒心を抱かせないよう、出来る限り核心には触れずにいるだろう。

 

そもそも母上と関係がある時点で権力者の可能性は高い。だからやっぱりそうなのかなと結論を出しかけて、一部おかしい箇所があることに気が付いた。

もし本当にそう言う目的だとしたら、狐の昔話をしたのは筋が通らない。

あの話を聞いたから俺は自分が狐憑きだと知ることが出来た。俺を利用しようと考えるなら、狐憑きの話を聞かすのは都合が悪いはずだ。自覚してしまっては元も子もないのだから、出来る限り隠そうとするだろう。

 

この矛盾を踏まえるなら、シオンの目的は別にあるはず。何か考えがあるはずだが、それがさっぱりわからない。

シオンの言動は不自然さが極まっている。最初に土下座して命乞いしていたのは最早意味が分からないし、母上に会いに来たと言っておきながら、その日の晩には俺に会いに来たとも言っている。

女なのに自分のことを僕と呼称していたり、露悪的な振る舞いを見せたかと思えば、一方で俺の頼みをすんなり聞いてくれたりもする。

剣術に関しては俺や母上と同じく太刀が使えるそうだが、それは一度も見ていない。そのくせ、見たことのない技を使っていた。確か桜華散花とかいう技だ。

 

桜華と言うことは、つまり桜のことだろう。

前の人生では一年に一度は必ず目にしたあの花びらも、この世界ではまだ一度も見たことがない。

少し前に町に行った時に桜の話をしたが、母上ですら知らなかった。どうにも海の向こうにはあるらしいのだが、この辺りには生えていないと言う。なのに、シオンは桜華散花と言う技を使う。

 

なんなんだろうと頭を悩ます。

シオンって一体なんなんだろう。何が嘘で何が本当なんだろう。何を思って何を考えているのだろう。

 

別に俺自身はシオンに悪いイメージは持っていない。なんだかんだ助けてくれたし、色々教えてくれもした。もしシオンが俺を食って不死になりたいと言っても、文句ぐらい言うかもしれないが、多分最後には頷くと思う。

 

シオンの本性がどうであれ、正直に本音を打ち明けてくれれば仲良くなれるかもしれない。……なれるだろうか。やっぱりなれないかもしれない。あの性格が本性ならば。

 

そんな風に色々なことを考えていた。

あんまり自分の考えに没頭しすぎたために周囲の様子を見ていなかった。

気が付けば真下にいたはずのトカゲはいなくなり、その代わりに見覚えのある頭巾を被った老人が立っている。

老人は俺を見上げて口を開いた。

 

「そんなところで何をしているんだい?」

 

「景色を見ていました」

 

「考え事をしていたように見えた」

 

「実はトカゲに追われまして」

 

件のトカゲは少し離れた物陰でこちらを見ている。俺の視線に気づいて姿を隠した。……あれは肉食獣の動きだろう。

 

今下りればトカゲの餌食になるかもしれなかったが、年長者をいつまでも見下ろしているわけにもいかず、観念して地面に降り立つ。

 

「随分と元気そうだ」

 

「ええ。まあ。村長もお元気そうですね」

 

「おかげさまで」

 

幸いなことにトカゲは襲ってこなかった。しかし未だに物陰から俺を見ている。

 

「何か御用ですか?」

 

「話を」

 

「では家で聞きます」

 

村長を伴って家に向かう。もちろんトカゲも付いてきた。

 

 

 

 

 

縁側にわずかに距離を空けて座る。

頭巾を取った村長は以前見た時より年老いているように見えた。

体調を崩していたらしいから、そのせいかもしれない。

 

「お茶はありませんが水なら出せます」

 

「結構ですよ。すぐに帰るから」

 

そうは言っても出さないわけにはいかない。

腰を浮かせた俺を村長は強く制止して押し留めた。そこまで固辞するのならまあいいかと腰を落とす。

 

「それで話とは?」

 

「ああ……身体は治ったのかな?」

 

「おかげさまで」

 

「それはよかった」

 

感情の籠っていない言い方だった。心ここにあらずと言う口ぶりだ。どうも本題は他にあるようなので話を進めていく。

 

「まだ俺を殺したいですか?」

 

「まさか。村の危機を救ったというのが本当なら、とてもじゃないが殺せない」

 

「猿の話なら、嘘は言ってませんが確定してるわけでもないですよ」

 

「それはすぐにわかることだろうから」

 

村長は目を細めて山の方を見た。それから溜息を吐き、胸に溜まった重い何かを絞り出すように言葉を紡ぐ。

 

「また君に救われた。辻斬りの件に続いて二度目だ。感謝してもしきれない」

 

「俺は剣聖の子供ですので、これぐらいは」

 

「誰の子だろうと、11歳の男の子に違いはなかろうさ」

 

ふうと二度目のため息。

 

「大人たちはあまり役に立たなかったようだね」

 

「纏める人がいませんでした。議論と言うよりは言い合いでした。聞くに堪えなかった」

 

「気を悪くしないでおくれ。みんな気が立っていたんだ。飢饉と猿とで初めてのことばかりだったから。次から少しマシになると思う」

 

「それはそうかもしれませんが、期待だけして人事を尽くさないわけにもいかないでしょう。急場をしのぐためにも、纏める人が必要です。あなたのような経験豊富な人が」

 

だから死なないでほしいと言外に伝える。

今回の件でエンジュちゃんを含めて三人死んだ。

これからのことを考えるに、まだ口減らしが必要なのかもしれないが、そこに老人は含まれてはならない。もうこの村に老人は村長しか残っていない。この人が死ねばリーダーたる者がいなくなり、纏まりのない集団になってしまう。それではこの冬を乗り切れない。

 

その意思は確かに村長にも伝わった。なのに、少しの沈黙の後村長の口から出た答えは否だった。

 

「私は死ぬつもりだよ。でないと先に死んだ四人に申し訳が立たない」

 

「それはあるかもしれませんが」

 

「それに、何度か話しただろう。玄孫がいると」

 

玄孫のためにも死ぬと言いたいのだろうか。自分が死んでその分の食い扶持を確保すると。

 

「家族のことを思うなら、なおさら生きるべきだと思います」

 

「玄孫のことを思うなら死ぬべきだと思う」

 

「そんなことはないかと」

 

「……そういえば、名を教えていなかった」

 

平行線を辿りかけた話の中で、唐突に村長は話題を変える。

 

「玄孫の名前は(えんじゅ)って言うんだ」

 

頭が真っ白になった。

 

「槐は君のために山に入っていたんだよ。役に立ちたいと言って薬草のことを聞いてきたから、場所を教えてねえ。毎日毎日、しきりに君のことを言うんだ。お兄さんお兄さんと。……あれは、多分、君のことが好きだったと思う」

 

目を伏せて足元を見る。口を開いたが何も言えない。

家族を亡くし、失意の底にいるこの人に、生きてくれとは言えなかった。

 

「あの子は今頃寂しがっているだろうから。どこに行っていいかわからないで、泣いているかもしれないから。誰かが一緒に行ってあげないと。それが私の最後の役目だ」

 

よっこいせと村長は立ち上がる。

背を向けて歩いていく。曲がった腰に手をあてて、ゆっくりと確かな足取りで。

 

「本当にありがとう。感謝しています。仇を討ってくれて。あの子もきっと喜んでいるでしょう」

 

その言葉を残して、村長は去って行った。

呆然と見送ることしか出来なかった俺は、長いこと縁側に座り込んでいた。

いつの間にか、トカゲが近くに寄ってきて鼻先を擦り付けてくる。それは獲物の匂いを嗅いでいるのか、もしくは慰めてくれているのか。

 

エンジュちゃんの顔を思い出し、村長の顔を思い出す。

幸せだった家族が一つ壊れてしまった。その責任は俺にある。

俺がきちんとエンジュちゃんを諫めていればこうはならなかった。嫌われてもいいから叱ることが出来ていれば、エンジュちゃんは今も家族と一緒に居て、村長も考えを改めたかもしれない。

 

村長は何も言わなかったが、俺のせいだと言う気持ちはあったはずだ。

他の誰かが俺のせいじゃないと言ってくれても、俺は俺のせいだと思う。俺がきちんとしていれば、こんなことにならなかったのは事実だから。

 

仰向けに倒れて空を見上げる。

曇り空だ。すぐにでも雪が降りそうな曇天模様。

心に(おり)がたまったような気持ちでその空を眺めた。

罪悪感に圧し潰されそうになる。いっそのこと狂ってしまえれば楽なのに、心のどこかで冷静な自分がいて、お前のせいじゃないと自分を慰めている。そのことが酷く嫌になる。

 

泣けば楽になるのかもしれないが、瞼から涙が溢れる気配はない。最後に泣いたのはいつだろう。自分のことなのに、もう覚えてもいなかった。

 

この世界は地獄のような世界だ。

俺は地獄にいるのかもしれない。前世で罪を重ねたから、その罰を受けているのだ。

 

そんなことを、半ば本気で考えるぐらいには参っていた。

涙の代わりに自嘲が溢れて辺りを見渡す。

周囲には誰もいない。一番近くにいるのはトカゲで、村長の気配は離れていき、シオンたちはまだ山中にいる。

 

聞く者がいないから、心の声が漏れた。

傷が、澱が、弱音になって吐き出される。

 

「……もう、いやだ」

 

誰にも聞かせたくない声が、誰に届くこともなく宙に消えていく。


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