女が強い世界で剣聖の息子   作:紺南

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第67話

空を見上げて目を細めた。

降りしきる雪は少しずつ勢いを増していく。

絶え間なく降り注ぐ湿った雪が、戦いの余韻と共に身体の熱を奪っていった。

視線を下ろせば地面はうっすらと白く染まり、凍えるような冷気が肌に突き刺さる。

 

この場に風を遮るものは何もない。七の太刀で全て刈り取ってしまった。自業自得と言うのとは少し違う気がしたが、このままここにいれば夜明けを前に死ぬのは間違いない。

ならば山を下りればいいかと言うと、それが出来れば苦労はない。暗闇に包まれた山中である。整備された山道があるわけでもなし。一歩どころか半歩間違えただけで滑落の危険がある。

 

せめて明かりがあればいいのだが、視線を巡らせたところで一寸先は闇だった。生き残るにはどうすればいいだろうか。いっそのこと生き残らない方がいいだろうか。

そんなことを考える。少し弱気なのは、心境的にそういう気分だからだ。

 

「お疲れ様ー」

 

沈鬱な気持ちに陥る俺とは対照的に、同じ状況に置かれているはずのシオンはあっけらかんとしている。すでに覚悟を決めているのか。訝しんでみて、顔を見るにそんなわけではないらしい。

 

「色々あったけど、とりあえず解決だね。お疲れ様」

 

「……お疲れ様です」

 

正直、色々の一言で済ませたくなかったし、まだ終わった気分でもなかったが、外様のシオンにしてみればそこまで思うことでもないのだろう。

おうむ返しに言葉を発し、ジロジロと不躾な視線を受け止める。

 

「どうかしましたか?」

 

「いや、身体の調子はどうかなと思って」

 

「痛みはありません。でも、凄く疲れました」

 

「そっか。疲れたのはそりゃあそうだろうけど、痛みがないのは不思議だね。あんなに痛がってたのに。不思議なこともあるもんだ」

 

本当に、まったく、その通りだと思う。

世にも奇妙で、摩訶不思議だ。死んだはずの人間が生き返り、同じく死んだはずの猿が生き返った。ここに共通点を見出さない方がどうかしている。

 

「それで、この後どうしようか。このままじゃ凍えて死ぬけど」

 

「考えてるところです。あまり良い方法も思いつきませんが」

 

「君と一緒に死ぬのも、まあ悪くはないかな」

 

シオンを見る。笑みを浮かべている。

本気で言っているのか、はたまた冗談なのか。判別つかないが、どちらでもよかった。

 

「俺はどうなってもいいですが、シオンさんだけは生き残ってほしいです」

 

「自分の命を粗末に扱うのは感心しないなあ。駄目だよ、死に急いじゃあ」

 

「他人の命なら粗末にしていいんでしょうか?」

 

「普通の人間なら、自分の命の方が大切なはずだよ。自分の命を粗末にする人は、他人の命も粗末にするもんなのさ」

 

「自論ですか」

 

「摂理だよ。この世界の」

 

そうだろうか。自分よりも他人を大事に思う人間なんてたくさんいると思う。例えば親とか。親に限らず、家族には愛を持っていてほしい。いつ生き別れるとも限らないのだから。

 

「シオンさん一人だけでも下りれませんか? 俺は放っておいて構わないので」

 

「遠回しに死ねって言ってる? 喧嘩売られてるのかな……」

 

「無理ですか?」

 

「無理って言うか、やりたくないよね」

 

「そうですか」

 

山を下りられないなら、ここで暖を取るしかない。雨風凌げる場所を見つけて火を起こす。最悪火は起こせなくても構わない。抱き合って温め合えば何とかなるかもしれない。

 

「ここに来る途中、洞窟か何かありましたっけ?」

 

「あるわけないじゃん」

 

駄目元で聞いてみたが、思っていたより冷たい答えが返ってきた。

言外に「馬鹿なの?」と言うニュアンスが含まれている。ちょっとへこむ。

 

「君はあれこれ考えるのが好きだねえ」

 

呆れた感じでそんなことを言われた。確かに色々考えてはいるが、人間誰しもそんなものだろう。人は考える葦であるとは誰の言葉だったか。

 

「他に何か聞きたいことはある?」

 

「……ありますけど、ここで聞くようなことでもありません」

 

「そっか。じゃあ話をできる場所に行こうか。さっき丁度良い場所を見つけたから、連れて行ってあげる」

 

差し伸べられた手を見る。馬鹿正直にその手を掴めるほどの信頼関係はない。色々と世話になったと言うのに、今一信用し切れないのは秘密が多そうだから。

 

「良い場所ってどこですか?」

 

「行けば分かるよ」

 

「さっきっていつですか」

 

「さっきはさっきだよ。質問が多いな君は」

 

いいから手を掴めと催促される。

雪は激しさを増し、風は強く吹き始めた。この状況で生き残りたいならば他に選択肢もない。

 

気の進まないままその手を掴む。瞬間、強い力で引き寄せられた。虚を突かれてたたらを踏み、シオンの胸に飛び込んだ。

 

「つかまえた」

 

抱きとめられた瞬間、頭上から聞こえた小さな声。

思わず見上げて、艶然と俺を見ているシオンと目が合った。

「大丈夫?」と聞かれる。「大丈夫です」と答える。

 

「じゃあ行こうか」

 

シオンに手を引かれて、引きずられるように連れていかれる。

掴まれた手首が熱を持っている。固く握られたその手は振り解けそうにない。

 

 

 

 

 

シオンに導かれるまま、おっかなびっくり斜面を下りた先で大きな木の前に立つ。木には根の近くにうろが空いていた。ぎりぎり人が入れそうな小さな穴だ。

 

「ここなら雪に降られなくて済むんじゃない?」

 

「確かに」

 

こういう発想はなかった。

うろと言えばもっと小さくて、小鳥なんかが巣にしているイメージだ。

しかし、この世界では山林の大部分には人の手が入っていない。いわゆる原生林がほとんどで、その分巨大な木が多い。自然とうろも大きくなっていた。

 

「お先失礼」

 

シオンが先にうろに入った。

膝を抱えた姿勢で首を少し曲げている。腰から抜いた刀を傍に立てかけていた。

奥行きは十分あるように見える。横幅もある。しかし縦には少し狭かったようだ。見るからに窮屈そうな姿勢になっている。

 

「どうですか」

 

「お世辞でも居心地が良いとは言えないかな」

 

不満そうな顔だ。一晩限りの宿とは言え、こんなところで夜を明かす人もそうそういない。

 

「早く君もおいでよ」

 

白い息を吐きながら、声尻に若干の棘を含んだお誘い。

自分一人だけ窮屈な思いをするのは我慢ならないという思いが透けて見えた。

 

「入る前に確認なんですが」

 

「なに?」

 

「火は起こせませんよね」

 

「当たり前じゃん」

 

「人肌で暖を取るしかないわけですよね」

 

「うん」

 

「シオンさんの性別は男でいいんですよね」

 

「女だけど」

 

あっさりと白状した。

何度か抱きつかれたし戦う姿も見た。

十中八九そうだろうとは思っていたが、やけにもったいぶっていたのは何だったのか。ただの秘密主義だろうか。

 

「……」

 

「何もしないって」

 

「それを信じられるほどの信頼関係はないと思います」

 

「あれだけ助けてあげたのに」

 

それを言われたら弱い。

と言うか、今日一日のお礼を身体で払うことも考えていたのだった。

初めてがどことも知れないうろの中と言うのはあんまりだと思うが、シオンが望むなら否やはない。個人的には場所を改めてほしくてたまらないが。

 

「……お邪魔します」

 

「いらっしゃい。膝の上においで。暖まるよ」

 

本当に何もするつもりはないのだろうか。

 

「したいことがあるならはっきりと言ってください。逃げられなくしてから本性むき出しにするのはやめてください。言ってくれれば覚悟を決めますので」

 

「君は僕を何だと思ってるの?」

 

「女性だと思ってます」

 

「確かに僕は女で、性欲が強くて、さっき死にかけたせいで妙にむらむらしてるけど、11歳の子供に手を出すほど飢えてないよ」

 

「何歳の子供になら手を出すんですか?」

 

「12」

 

年が明けたら俺も12歳になる。

数か月は誤差とか言われないだろうか。四捨五入したら12だよねとか言い出さないだろうか。

性欲に呑まれた人間は無茶を通して道理を引っ込めるものだ。恩人であるシオンが相手でも、彼女だけは違うなんて断言はできない。

 

まあ、恩人であるのは確かだし、くっつかないと死ぬのもその通りだしで、選択肢はない。

思うところは全部飲み込んで、シオンの膝の上にお邪魔した。

正面から抱き合う形になる。手の置き場に困って、視線のやり場に困る。なんとなく顔を見るのは恥ずかしかった。

結局肩の上に顎を乗せる形で落ち着いた。腕はシオンの背中に回している。シオンも俺の背中に腕を回していた。

思ったよりも強い力で抱きしめられて息が詰まりそう。

 

「どうだろう。これで暖かくなってる?」

 

「それなりです」

 

「僕は寒い」

 

実際はシオンの言う通り、あまり暖かくなかった。

多分外套を着ているからだ。どういう素材かは知らないが、熱を通しにくいのだろう。このままでもその内暖かくなるのかもしれないが、ならないかもしれない。恐らくならない。そんな気がする。

 

「仕方がないから、脱ごうか」

 

「……何をですか」

 

「上着」

 

「上着だけですか?」

 

「……中に着てる服も脱ぎたいって言うなら止めないよ。素肌の方が暖かいだろうし。でもその場合、僕がどういう行動に出るかは僕にもわからない」

 

「11歳の子供には手を出さないって言いましたよね?」

 

「むらむらしてるとも言った」

 

やっぱり俺のことを性的な目で見ているらしい。少なくとも、裸になれば理性を保っている自信はないと言うことだ。やっぱりお礼は身体だろうか。

問題は場所だ。ここでするかどうか。汗を掻いたら凍えるんじゃないだろうか。それを考えると、家に帰ってからが望ましい。

 

する気はないが、寒いと言うので体を起こして外套を脱いでいく。

シオンの目の前で首元の紐を解いた。一つ一つボタンを外していく。

その途中、チラリとシオンを見れば、その目は俺の手元を注視していた。

何だか無性に恥ずかしくなって視線を逸らす。

外套を脱ぎ、寒さで身を震わせる。右手で左腕の肘あたりを掴んだ。

脱ぎ終わった後、シオンの目はなぜか俺の首元に注がれていた。

 

「あの……」

 

「……」

 

妙な視線で見てくるものだから、たまらず呼びかけたが返事はない。身の危険を感じる。理性と性欲がせめぎ合っている気配。

11歳と言うことと汗を掻いたら凍える状況だということ。この二点がストッパーだろうか。ストッパーの補強が必要だと切に感じる。

 

「その、家に帰ったらじゃ駄目ですか?」

 

「……は?」

 

「家に帰ったらお相手しますので、この場は治めてほしいんですが……」

 

「……それ、ちゃんと理解して言ってるの?」

 

「命を助けられたので、そのお礼です。初めてなので上手く出来るかわかりませんし、ちゃんと射精するかもわかりませんが……」

 

瞬間、息を吞んだ気配がした。

直前まで感じていた視線が消える。

恥ずかしさのあまり背けていた顔を向け直すと、シオンは片手で顔を覆っていた。

 

「……子供には手を出さないよ。ましてや精通も済んでない子供には」

 

「お礼です。気にしないでください。乱暴でもなんでも、好きに使ってもらって構わないので」

 

「使わない」

 

不機嫌そうな気配が漂い始めたのでこれ以上の言及は避ける。

二人しかいない空間で喧嘩してもろくなことにならないだろう。逃げることもできないわけだし、我慢できなくなれば手を出してくるはずだ。覚悟だけしておけばいい。

 

少し乱暴な手付きで外套の前を開いたシオンに抱き着きに行き、脱いだ外套は背中から羽織った。

これでさっきよりは暖かい。それでも死の危険は隣り合わせだし、寝たら危ないことに変わりはないけど。

 

気まずい空気が流れる中、話題を探して思考を巡らす。

先ほど、聞きたいことがあると言ったことを思い出して口を開いた。

 

「それで、聞きたいことがあるんですが」

 

「……」

 

「聞いてもいいですか?」

 

「うん……」

 

「狐憑きってなんですか?」

 

短い沈黙の後、はぁとため息が吐き出された。

 

「もっと小さい時に聞かされなかった? 狐の話とか」

 

「狐に限らず、何かを聞かされたことはありません」

 

「……寝物語に聞かせてやればいいのに。本当に、椛はそういうところが駄目だなぁ……」

 

母上のことを名前で呼んだことに少し驚く。てっきり、もっと恭しい呼び方をしている思っていた。ニュアンス的にはかなり親しげだ。実際のところどうなのかは謎だが。

 

「暇だし眠れもしないから、特別に聞かせてあげるよ」

 

何故だか恩着せがましい言い方ではあったが教えてくれるらしい。

シオンの肩に顎を乗せたまま耳を傾ける。

 

「死なないはずの狐が死んだ話」


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