暗闇の中、溶けていた意識が少しずつ集まり出し、自分と言う存在を取り戻す。
消えたはずの命に再び火が灯った感覚。同時に、死んだという感覚も確かにあった。覚えのある感覚だ。今まで、何度か経験している。
先代剣聖を殺した時。戦いの最中で七の太刀を浴びた時。五歳の頃、猿に襲われた時。そして前世で。
今までで、俺は四度死んでいる。にもかかわらず、生きていた。
なぜと自問し、生き返ったからだと自答する。
たった今五度目の死を迎えた。この分なら、また生き返るだろう。これまでと同じように。
たゆたっていた意識が身体に戻る。目を開けた時、猿が見えた。背を向けてどこかに行こうとしている。方向から言って、目的はシオンのようだ。
視界の隅には杖が転がっていた。考える前に自然と身体が動く。音を出さないように拾い、そして振るう。
――三の太刀
「『飛燕』」
不意を打った一撃は猿を真っ二つにした。
飛び散った鮮血が奴の絶命を教えてくれるが、直後、傷口が癒着していく。
真っ二つになったはずの猿が治っていく様は見るもおぞましい。生物として根幹から間違っている気がした。
命は一つ。死は平等に。世界はそうじゃなくてはいけない。五回も死んでいる身で何を言うのかとも思うが。
折られたはずの腕と指が治っているのを確認する。刀を振っても、どこにも痛みがない。この数か月、悩まされ続けた後遺症はどこかに消えてしまった。
俺の身体は一体どうなっているのか。不安はあったが、長らく頭にかかっていた靄は晴れている。すっきりした気分だった。
猿が俺を見る。俺も猿を見る。杖を構えて対峙する。
細かいことは後回し。まずはこいつをどうにかして、それから考えるとしよう。
「第三ラウンドだ。かかってこい」
母上は言った。
俺は死んだ後に生き返ったと。
その言葉に嘘はなかった。俺は生き返る。死んでも、死んでも、何度でも。
理由はわからない。理屈なんて知りたくもない。考えなければならないことは山ほどあり、実際今も考えてはいるのだが、優先すべきことがあって思考はうまく回らない。
刀を振るい、猿を殺す。これで五度目だ。
五度死んだ猿はまたもや生き返る。いったい何度生き返るのだろう。五度で駄目なら十度だろうか。それとも百度か。
もしかしたら死なないのかもしれない。だとしたら面倒だ。死なないやつをどうやって殺そうか。
考えながら、三の太刀を放つ。
刎ねた首が転がって行き、脱力した巨体がぐらりと傾いた。重い音とともにうつ伏せに倒れる。
さて、どうなるかと固唾を飲んで見守っていれば、断面からぶくりと泡が噴き出して、なくなったはずの頭が生えてきた。
転がっていた首はと言うと、いつの間にやら消え失せている。
依然として仕組みは不明のままだが、両断しても、首を斬っても、この猿は元に戻る。そして動き出す。そんな光景を目の当たりにして、脳裏に浮かぶのはゾンビ映画。ホラーはあまり得意じゃなかった。生々しければ余計にそうだった。
映画みたいに頭を潰して済むならどれだけ楽だったか。現実はそうもいかないらしい。
一体全体何がどうなっているのか。これが狐憑きと言うやつだろうか。だとするなら、狐憑きとは一体何なのか。
この一年足らずの間に何度となく抱いてきた疑問だが、ここにきてその重要度が増している。
正体が分かれば弱点も分かるかもしれない。まさか銀の銃弾や十字架が弱点とは言わないが、何かしら命を絶つ手段はあると思いたい。
そこのところ、ゲンさんは何と言っていたか。確か俗信だとか迷信だとか言っていた。毛色の違う個体とも言っていた。
こうして思い出してみると、はっきりしたことは何も言っていなかった。はぐらかされていたのかもしれない。
死なないと言う特徴も毛色が違うで間違いはないのだが、それにしたって違いすぎる。突然変異では説明がつかない。そんな突然変異は考えたくもない。
何度殺されようが勇猛果敢に向かってくる猿に向け、抜き身のまま三の太刀を放つ。上下に両断された猿は死ぬことなくもがき苦しんでいる。
断末魔なのか雄たけびなのか判断に困る叫び声を聞きながら、背後から近づく気配に目を向ける。
斬り倒されていた木を乗り越えて現れた人影は、俺の顔を見て気安げに手をあげた。
「やあ。そっちは大丈夫かな?」
見た目五体満足に現れたシオン。しかし、よく見るとあちこちに擦り傷を負っている。
「どう見えますか?」
「元気そうに見えるね」
「そちらもご無事で何よりです」
「死にかけたけど、何とかなった。びっくりだよ。本当に」
シオンはどことなく剣呑な目で猿を見ている。
丁度、上半身と下半身がくっついたところだ。直前まで内臓がまろび出ていたというのに、瞬きの間にその痕跡すら見当たらなくなっていた。
猿は俺たち二人をみとめ、大きく吠えた。
勇ましさを感じる吠え方だった。自分に喝を入れたのかもしれない。
その勇ましさに冷めた目を向けるシオンは、自分と同じ轍を踏まないようにと注意を促してくる。
「近づかせたら駄目だよ。あれは斬られながらでも殴って来るから」
「なんだか実感が籠ってますね」
「両断したのに殴られたからさ。凄く驚いた。殴られた。むかつく」
「そうですか。ご無事で何よりです」
あの怪力を食らってよく生きていたものだと舌を巻きながら三の太刀を振るう。
左右に両断した猿が尻もちをつき、めりめりと生々しい音を立てながら元に戻っていく。治りきらない内から立ち上がり、こっちに来ようと歩き始めた。
……なるほど。あれなら確かに斬られながらでも殴って来るかもしれない。
「羨ましいぐらいの再生力だなあ」
一部始終を目にしたシオンがそんなことを呟いている。
当の猿は三の太刀の追い打ちを食らって倒れたところだ。
「あれが何なのかわかりますか」
「何かしらの不死性があるみたい。まあ、でも、それだけだよ」
それだけ、とは随分と頼もしい口ぶりだ。楽観的とも言える。口だけではなく、あれをどうにか出来る宛てがあるといいのだけれど。
「狐の肉を食べたわけでもあるまいし、完全な不死にはなっていないはずだから、その内死ぬと思うよ」
「……このまま殺し続ければいいんですか?」
「多分ね」
多分。
その言葉を使うということは、少しだけ自信がないらしい。
とは言え他にどうする宛てもない。殺し続ければ死ぬと言うなら殺し続けよう。
幸いシオンも無事だったわけで、交代で殺すのであればさほど危険もないだろう。
「三の太刀は使えるんでしたよね?」
「一応は。でも使いたくないなあ」
「なぜ?」
「君のそれを見ていたら使う気なくなっちゃった」
こんな会話をしている間も猿は殴りかかろうとしてくる。
無造作に振った刀から斬撃が飛ぶ。またもや猿の身体が両断され、内臓が飛び散った。
シオンの言うそれとはこれのことらしい。抜き身で放つ三の太刀。普通、居合の形で放つこれを、俺は抜き身のままで扱うことが出来る。
「我儘言ってる場合ですか」
「我儘じゃないよ。三の太刀は使わない。代わりにこっちを使う」
言うや否や、突然シオンは駆け出した。
瞬きの間に再生途中の猿に肉薄したシオンは、頭上に刀を振り上げて技を繰り出す。
――――
たった一度の振り下ろしで、猿の肉体は何百もの肉片に切り刻まれた。
飛び散った血飛沫でさえ切り刻んだその技は、印象としては七の太刀に似ていたが、七の太刀が広範囲を切り刻む技なのとは反対に、極めて狭い範囲を高密度に切り刻む技のようだ。
一瞬で細切れにされた猿の肉体は、再生に時間を費やしている。
切れば切るほど効果的なのだろうか。よくわからないが、色々試してみようと思う。
格好いいでしょ? と得意げな顔を向けてくるシオンに頷きを返し、少しずつ色の変わっていく空を一瞥してから猿に向き直る。
長い戦いになりそうだ。
予想通り、戦いは長期戦になった。
戦っている内に日は落ちて辺りは暗くなる。
息を吐くたびに白い呼気が立ち昇り、余計に視界を悪くする。
微かに照らす月明りを頼りに猿を視認し、気配から動きを読んで三の太刀を放つ。
一体どれほどの時間戦っているのか。正確な時間など知りようもないが、段々と猿の再生力に陰りが見え始めていた。
生き返る回数には限りがある。殺し続ければその内死ぬ。シオンの推測は正しかったようだ。
しかし、それと同時に猿が漂わせる気配が少しずつ変質しているのが気掛かりだった。
気配なんてものに良い悪いがあるとは思えないが、今感じているそれは明らかに異質だ。過去、感じたことがないのはもちろんだが、それに加えて生理的な嫌悪感を抱く。
「あと何回殺せばいいんでしょうか」
「泣きごと言わなーい。ほら、もう治ってるよ。斬って」
三の太刀を放つ。
不可視の斬撃は猿に深い傷を負わせはしたが、最初の頃のように両断することはない。猿がそうであるように、俺も疲弊している。
「よいしょっと」
猿の怯んだ隙を縫い、一瞬の間に駆け抜けたシオンが首を落とす。戦いが始まってからこちら、ずっと走り回っているシオンに疲れた様子はない。今も元気満々と言う感じだ。鼻歌なんかを歌い出しそうな気配がする。
「この感じならもう少しかな」
首のない体がじたばたと暴れている。切り口から泡が噴き出ているが、再生速度は緩やかだ。
あと一回か二回。そんなところだろうか。
寒さでかじかみ、感覚がなくなってきた指先を動かしながら、疲弊感を確認する。
シオンがいてくれてよかった。一人だったらジリ貧だったろう。
「……俺もそろそろ限界です」
「ありゃりゃ……。まあ、よくやった方かな。君が女だったらだらしないって言うところだけど、男の子だからね。男の子にしては頑張った。偉い偉い」
時代が時代なら性差別だと騒がれかねない言葉に顔をしかめる。
猿の再生が終わる。何度も何度も短時間に再生を繰り返したせいか、その身体は大きく歪んでしまっていた。
黒い体毛は半分ほどが抜け落ち、顔も押し潰されたようにひしゃげている。当初は人間に近かった骨格も今はどちらかと言うと狼などに近い。
「ちょっと狐っぽくなったかな」
シオンも似たような感想を持ったらしい。まあ、犬も猫も狐も四足歩行であることに変わりはない。
再生が終わったその場で猿はじっとしていた。動く気配はなく、息遣いだけが聞こえてくる。
ぜいぜいと苦しそうな呼吸だ。歪なのは見た目だけではなく中身もそうなのかもしれない。
「限界みたいだね。とどめはレンが刺す?」
「たくさん殺しましたから、今更こだわるところでもないと思いますが」
しかし、シオンに譲るのも変な感じだ。ここまでやったのだから最後くらいは締めておこう。
油断なく近づき切っ先を向ける。
開きっぱなしの口から涎がとめどなくこぼれていた。涙を流しているようにも見える。
これから訪れる死に絶望しているのだろうか。
「オ、オ、オ……」
振りかざされた刀を見て、猿の口から嗚咽がこぼれてその巨体が震える。殺すために力を込めた瞬間、その言葉が聞こえた。
「オニイサン……」
躊躇せず、振り下ろす。
感情は抱かなかった。怒りも恐れもない。殺した後に、哀れだと思った。
刎ねた首は転がって、そのまま残り続けた。切り口から泡が噴き出すことはなく、かといって血が流れることもない。
空っぽの死体が崩れ落ちる。気配はなくなった。もう蘇ることはないだろう。
「雪が降ってきたねえ」
シオンの言葉に天を仰ぐ。白い結晶が頬を濡らした。吐いた息が白く昇る。
目を閉じて、深く息を吸い込んでまた吐き出した。
夢だったらいいのに。ただそれだけを思った。