女が強い世界で剣聖の息子   作:紺南

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数話前からですが、猿たちの描写を予定よりマイルドにしています
マイルドにした理由は作者のメンタル的な問題ですが、具体的に何をどう変更したのかは数話先のあとがきで説明します


第64話

三匹の猿を追い払ってから、さらに四半刻ほど歩いた。

その頃には薬草の効果はすっかり切れていた。また薬草を飲めば済む話だが、そうする気にはなれない。

 

目で見える範囲に奴らの姿はないのに、鼻は獣の臭いを感じとっていた。巣が近い証左だ。

この状況で薬草を飲んで朦朧とするか、飲まずに痛みに耐えるか。悩みどころだが、後者を選ぶ。何故と言うと判断力に欠けるのが一番困ると思ったからだ。いざとなれば体の痛みなんて何とでもなる。極短時間に限ればだが。

 

暑くもないのに額に浮かんでいた汗を拭い、手ごろな木に手をついて息を整える。

ここまで、移動時間は半刻というところ。

村から一時間足らずの距離に猿たちが巣を作っている。俺の足で、遠回りを続けての一時間だ。直線距離で考えたら驚くほど近いだろう。

 

以前からここに巣があったとは考えづらい。母上なら気配で気付いただろうし、日ごろ山に入っているゲンさんだって気付いたはずだ。

だから、この巣は母上が出立した後に出来たのだと思う。理由はおそらく、村を襲うため。

 

母上がいなくなった後に、ここに巣が出来たのは偶然だろうか。のみならず、村が襲われたのは偶然だろうか。

もし偶然なら、奴らにとってはとてつもない幸運だ。一生分の運を使い切ったと断言してもいい。鎧袖一触で終わっていただろうことは間違いない。アキがいたらどうなっていたかはちょっと分からない。

でもやっぱり、あまりに出来すぎている気がした。偶然とはとてもじゃないが思えない。アキがいないのも、俺が後遺症で戦えないのも、全て見透かした上で襲撃を仕掛けてきた気がする。

狐憑きかもしれないとシオンは言っていたが、投石紐の件と合わせて俄然信憑性を帯びてきた。

 

「……狐憑きは黒っぽくなるんでしたっけ?」

 

「うん」

 

春に山狩りを行った際、狼の大群と遭遇した。

その時に母上が狐憑きと思われる群れのボスを斬っている。

100匹そこらの大きな群れで、ボスは遠吠えで指示を出していた。大半の狼は緑色の毛皮だったが、件の狐憑きがどんな色だったかはわからない。何せ目視する前に母上が斬ってしまった。当時の俺は気配もろくに読めていなかったし、力不足を痛感したものだ。

 

あれからまだ一年も経っていない。それでどれほど強くなったかと言えばむしろ弱くなっている。まったく、人生は何があるか分かったものじゃない。

 

「辛そうだね」

 

「……心配は無用です。昔から痛みには敏感なので。大袈裟なだけですよ」

 

「そうなんだ。知らなかったよ。……まあ、君はここで休んでて構わないよ」

 

俯いていた視線をシオンに向ける。何を言うつもりかと目で問えば、邪気のない笑みを返される。

 

「僕が全部やっつけてくるから」

 

何の気負いもなくそんなこと言うものだから、ついつい笑みがこぼれた。頼もしい限りだ。

 

「……それだと、俺がここにいる意味がなくなりますね」

 

「そうだね。はっきり言って足手まといだった。こんなことなら家で大人しくしてくれたほうが良かったよ。何の役にも立ってないからね」

 

苦笑する。

随分と酷いことを言われた。けれども何一つ反論することは出来ない。実際、シオンの言う通りだ。

聞き耳を立てていたのだから、多分意識して言っているのだろうが、先刻、似たようなことを俺自身が言っていた。父に向って何と言ったのか、一言一句はっきりと思い出すことができる。

 

「役に立たない、か」

 

その言葉を反復する。

自覚はあったが、自分自身に返ってきて改めて理解した。本当に酷い言葉だ。恐らく、父上は父上なりに覚悟していただろうに、それを全て否定したのだから。

 

一度口から出た言葉は戻らない。そんなのは当然のことだ。今更考えるまでもない。だからこそ、俺の答えは決まっている。決まりきった言葉を口に出す。

 

「手出し無用です。奴らは俺が皆殺しにします」

 

息を整え、しっかりと自分の足で立ち、背筋を伸ばしてシオンを見つめた。

シオンはじっと俺の目を見返し、静かな眼差しと声音で訊ねてくる。

 

「出来るの?」

 

「はい」

 

「本当に?」

 

「はい」

 

信じてほしいとは言わない。

信じてくれとは願わない。そんなのは行動で示すものだ。

 

「ここまでありがとうございました。あとは大丈夫です」

 

「……」

 

「ここからは自分のことだけ心配してください」

 

もう俺のことは助けてくれなくていい。ここまで来れただけで十分すぎる。残っている力は全て、奴らを殺すことだけに使える。

 

一人で歩き始めた俺に少し遅れて、シオンの足音が聞こえる。その足音は俺と同じ方向に向かっていた。

 

「見てるよ」

 

呟かれた声が耳朶を震わす。

答える気にはならない。ご勝手にどうぞと心の中で呟く。

 

痛みはあるが心は静かだった。

気が充溢しているのを感じた。久方ぶりの感覚だ。戦いの前の静けさとはこういうことを言うのだろうか。

 

 

 

 

 

歩くほどに獣の臭いが濃くなり、奴らの息遣いが感じられるほどに近づいた。

どれだけ歩けば接触するのか、おおよその見当は付けていて、そろそろだと考えた途端、突然視界が開ける。山の中に突如として現れる、木の生えていない場所。

人の手が入っている様子はなく、自然と出来たものであるらしい。なぜこんな場所があるのかはわからない。土壌の問題かもしれないし、他の要因があるのかもしれない。現実問題として、こういう場所は少なからず存在していて、その一つが猿たちの巣になっていた。

 

木の上には、目視では数えるのも面倒なほどの猿がいる。猿たちは一様に俺に視線を向けていて、時折か細い鳴き声が聞こえてきた。

四方にぐるりと目を向けている間、襲ってくる気配はなかった。どことなく落ち着かない雰囲気こそあるものの、不自然なまでに大人しい。統率されているように感じる。

 

それらから視線を下げて正面を見据えると、自然とそれが目に映る。中央に座り込む黒い生き物。その背中。

それが生きていることは自ずと知れた。くちゅくちゃと何かを貪っている音が聞こえてくる。

この空間そのものが自分のテリトリーだというように、それは他のものを寄せ付けずに一人で食事をしていた。

 

こちらに背を向けているそれは、座っているというのに背丈は俺より僅かに小さいぐらい。立ち上がれば俺など見下ろされるだろう。加えて、肩幅は俺どころか大人でさえ比べ物にならない。

周囲の猿たちと比べても、目の前のそれは明らかに異常だった。猿というよりはゴリラに近いかもしれない。

 

狐憑きの単語が脳裏をよぎる。突然変異という言葉も浮かんだが、逸脱しすぎている気もした。ともあれ、すべきことは変わらない。

 

カチリと杖の金具を外した音がよく響く。そのまま持ち上げて抜刀した。からりと鞘が足元に転がる。

その音に反応したかどうかは知らないが、ようやく咀嚼音がやむ。のっそりと、巨体に見合った動きで肩越しに振り向いてくる黒いそれ。

心のどこかで、動物園にいるような可愛い顔を想像していたが、実際に見たそれは醜かった。知的さも素朴さも感じない。醜悪さが滲み出ている。人間、穴が三つあれば顔に見えるらしいが、その顔は猿よりもゴリラよりも人に近いと思えた。口元に血を滴らせながら、無欲とは程遠い濁った瞳。それが人に近い顔ならば、俺も同じ顔をしているのだろうか。

 

互いに見つめ合った僅かな時間。そこから得られたものは何もない。これが人間相手なら、表情や気配から大なり小なり感じるものはあっただろうが、猿が相手では何も感じられない。

見つめ合っている内に猿の口角が僅かに上がり、不意に何かを投げてくる。弧を描いて俺の足元に落ちたそれは、空虚に思える乾いた音が響かせる。

 

猿たちから視線を切って、赤黒いそれを注視する。それが骨だと気づいたのは、血生臭さが鼻についたからだ。

黒い猿が骨を投げたのを皮切りに、木の上の猿たちが一斉に何かを投げつけてきた。それはほとんどが骨だった。地面に落ちたそれらに白く見える部分は少なく、大半は赤黒く染まっている。まれに食べ残しと思われる肉片がこびりついていた。

投げつけられる骨に怪我をするほどの勢いはなく、当たっても精々怯む程度。それも来るとわかっていればなんてことはない。

 

俺は最初に投げられた骨を凝視し、それが一体何の骨なのか――――誰の骨なのか考えていた。

目の前の黒い猿が立ち上がり、こちらに向き直る。そうすると、これまで隠れていた物が露わになる。その手に握られていた小さな頭蓋骨。思わず、目を剥いて動揺する。

 

俺の動揺を見て取った猿の顔がにたりと歪んだ。げっげっげと不愉快な笑い声を上げながら、頭蓋骨を放り投げる。

転がるそれを目で追った。顎の骨こそなかったが、それを除いてもどう見ても人間の骨で、大きさから言って子供のものに思えた。

 

血の気が引いて全身の感覚がなくなる。天地がひっくり返ったような眩暈を感じて目を閉じた。一秒か二秒か目を閉じて、開いた時には眩暈は治まっていた。

 

頭蓋骨から目を離して黒い猿を見据える。奴は変わらず不愉快な声で笑っている。

頭に響くその声が不愉快で不愉快で。何もかもが不愉快で。ただただ殺したくて殺したくて、殺したくて。

 

胸の中をぐるぐると回り始めた感情に身を任す。落ちていく感覚がする。どこまでも下へ。

 

「……レン」

 

「大丈夫」

 

気遣う声に背中を向けたまま答える。

不思議と声は平静を保っていたが、何も大丈夫じゃないのは自分でも分かっていた。何も、何一つとして大丈夫じゃないと心が叫んでいる。

 

一際甲高く笑い続ける猿が俺を指さす。にたりと笑みを深め、何かを言った。猿の言葉はわからないが、殺せと命令を発したのは直感で分かった。

 

嘲笑に飽きたのか。それとも俺の殺意を感じて先手を取ったのかもしれない。どちらでもいい。結果は変わらない。

 

「伏せてください」

 

巻き込まないためにそう言った。

それが最後の理性だった。

 

刀を横に薙ぎ払うために構える。

すでに全方位から攻撃を受けていた。石を投げるもの、自ら躍りかかってくるもの。

この状況で狙いはつける意味はない。つけている間に殺されるのは目に見えている。だから、猿どころか周囲全てを斬り払うつもりでいた。

 

多分、体は痛かったのだろうが、心が感覚を押し流した。殺したくて殺したくて仕方がないから、感情に従って技を振るう。

後のことなんて考えない。死にたい。殺したい。心に抱く全ての気持ちをこの一刀に懸ける。

 

――――七の太刀

 

「『塵旋風』」

 

風が吹く。悲鳴が上がる。木が倒れ、石を刻み、命を刈り取った。

全てを飲み込み、無数の刃が命を奪う。

 

終わった後、見える範囲全てが切り刻まれたその場所の中心で、膝をつき頬に汗を垂らしながら呟く。

あぁ、しまった……。

 

「……食料にするんだった」

 


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