昨年末ごろからプライベートが忙しくなりました。
去年のうちにレン君とアキちゃんが再会するところまで書きたかったのですが無理でした。
暇を見て書いていきます。
山と村の境界線はどこになるのだろう。
そびえ立つ山を見上げながら、ふとそんなことを考えた。
目に見えてはっきりしたものは、当然のことながら存在しない。
草が生えてるとか傾斜があるとか、そんなことを考えてみるけれど、やっぱり判然としない。
かつて生きていた時代とは違い、今生きるこの世界は全てが曖昧だ。
境界線など自分で決めるしかない。良いも悪いも己次第。生きるも死ぬもその内だ。元来、生きるとはそういうものなのだろう。
見上げていた視線を前へと戻し、杖を握り直して歩を進める。
わずかに遅れていた距離を詰めるために歩幅は大きくなった。丁度その時、数歩先を歩いていたシオンが肩越しに訊ねてくる。
「登る山ってあれでいいのかな?」
「はい」
答えながら、シオンの格好に目を向ける。
腰に刀を差し、コートみたいな外套を羽織っている。その出で立ちにはどことなく洋の雰囲気を感じた。髪の色からして、恐らくは西側の人間のはずだ。生まれながらの雰囲気がそう感じさせるのかもしれない。
「それで、どうするの?」
続けられた問いはいささか言葉足らずだった。
けれども十分通じているから問題はない。「その身体でどうやって登るの?」と聞かれているのだと理解した。
「試したいものがあります」
「なぁに?」
言葉で説明するよりも実物を見せたほうが早いだろう。
そう思い、懐から葉っぱを一枚取り出しシオンに見せる。
それは、エンジュちゃんが俺のために採って来てくれた薬草。ゲンさん曰く、ただ噛むだけで痛みが和らぐらしい。
それがどれほどのものかは、実際に噛んでみないと分からない。いざと言う時のためにとっておいたけれど、まさかこんな形で使うことになるとは思わなかった。
「あー」
「ご存じですか?」
「痛み止めの薬草だね」
よく知っている。
狐憑きのことと言い、その知識はどこで学んだのか。気になるけども、今はそれどころではない。
「どれぐらいの時間効くでしょうか」
「人によるけど、大体半刻かな。早ければ四半刻」
半刻は一時間。四半刻なら30分。思ったよりも効果は短い。それでもないよりはましだ。
「痛みが完全になくなるわけじゃないよ。大体頭がぼうっとするし眠くなる人もいる。間違っても山を登るときに飲むものじゃないね」
「わかっていますが、これ以外に宛てがありません。山を登るのにどうしても必要です」
「それなら仕方がない。僕が守ってあげよう」
その鷹揚な態度に後ろめたさを感じる。
俺自身、最初からそのつもりでシオンに助けを求めた。
今の俺が一人で山を登るのは自殺行為だ。薬草を飲んだとしても、朦朧とした頭では山中で足を踏み外す可能性が高い。
そうならないための付き添いだ。シオンにはそれが可能だと思っている。
けれども、改めて考えてみればシオンの負担が大きすぎる。足を踏み外した俺の巻き添えで一緒に死ぬことだってありえるのだ。
そんな危険を冒してもらうというのに、見返りに差し出せるものは何もなかった。
シオンはお礼はいいと言っているが、そういうわけにもいかないだろう。
こういう時はやはりお金を渡すのが筋だと思うが、生憎と俺個人は一銭も持ってない。小遣いなんて貰ったこともなかった。
お金以外でシオンが喜びそうなものと考えると思い浮かばない。いっそのこと身体で払うことも考えた。
昨晩、シオンが俺に向けてきた視線から言って、興味がないというわけではなさそうだし。しかし、そうするなら前払いで払うべきだっただろう。昨晩のうちに決断しておくべきだったと後悔する。
「どうかした?」
「いえ……」
訝しむ視線で我に返る。余計なことを考えた。今は目の前のことに集中すべきだ。とりあえず薬草を口に放り込む。
「……」
「苦いでしょ」
シオンの言う通り、鼻を突き抜ける青臭さに顔をしかめ、我慢して噛んでみれば口内に広がった苦みに吐き気を覚える。
「よく噛んでから飲み込んで。そのほうが効果があるから」
嚙めば嚙むほど苦みは増す。本気で吐き出そうかとも思ったが、それをしたら元の木阿弥だと、無理をして飲み込んだ。
「よくできました」
「……それほどでも」
手の甲で口元を拭う。
口の中には酷い苦味が残っている。この場ですすぎたいぐらいだ。
「即効性があるはずだけど、どうかな?」
「実感はありませんが、行きましょう」
あまりモタモタしているわけにもいかない。
エンジュちゃんのことと父上のこと。それを考えれば、急ぐ理由しかないのだから。
山を登り始めて四半刻。
薬は効いている。身体に走る痛みはいつもほどではなく、ピリピリとした感覚があるだけだ。
多少なり山を知っている俺が先導する形で歩く。できる限り緩やかな道を行く。出来れば傾斜が急であろうと突っ切っていきたかったが、薬草の副作用のせいか時折足を滑らせている。そのたびに後ろを歩くシオンに支えてもらった。
自覚がある程度には注意力が散漫だ。注意してもしきれていない。崖を登るのは自殺行為だろう。この体で山道を歩いている時点でそれに近しいが。
「ぬかるんでるねえ」
「雪が降りましたから」
「あんまり無茶はできないかな」
その口調は穏やかだが釘を刺されたように感じる。
自覚はあるから反論もない。これ以上の無茶なんて出来るはずがなかった。遠回りでも出来る限り安全な道を行くことに決めた。
「ところで、山に詳しいのかな? 全然迷いがないけど」
「この山に登ったのは数えるぐらいで詳しいわけではありません。知っているのは地形ぐらいですよ。ただ、目的地はわかってます」
「目的地って? どこに行くの? そこには何がいるの?」
質問が多い。口を開くよりも歩くことに集中したいが、むげにするわけにもいかない。
「正体は知りませんが、奴らが集まってる場所に行きます。多分巣ですね」
「いなくなった子供は?」
その質問には答えられなかった。
薬草が効いてからずっと気配を探っているが、どこにもエンジュちゃんの気配がない。絶望的と言わざるを得ない。
「急ぎましょう」
「……ひょっとして、気配が分かるのかな? ふーん?」
この先にたくさんの気配が集まっている場所がある。夜襲を仕掛けてきた気配も一緒だ。気配の正体が猿かどうかはまだ不明だが、それもすぐにはっきりする。集団から離れた気配が三つほど近づいて来ている。
「来ます」
「うん。来るね」
目視などできない距離で伝えたのにあっさりと同意された。
どうやら、気配が読めるのは俺だけじゃないらしい。
「殺すけど、いいよね?」
「構いませんが、正体を見極めてからでお願いします。猿なら猿で、違うなら違うではっきりさせたい」
「この速さは猿だと思うけどなあ」
奴らがやって来る方向を見ながら待ち構える。
傾斜がある上に木々がひしめいているが、葉は落ちているからさほど視界は悪くない。
注視していると不自然に揺れる木が目についた。何かが木を伝って移動している証拠だろう。
「猿だね」
シオンが断言する。
どうやら正体が見えたらしい。俺にはまだ見えていない。
「殺していいね?」
「木の上の獲物を殺すのは骨ですよ。飛び道具はありますか?」
「三の太刀を使えば済む話だよ」
「……使えるんですか?」
「うん」
母上に教わったのだろうか。母上自身はよく剣術指南に出向いているから不思議ではないが、だとするならシオンはそれなりの身分ということになる。初対面時の言動を思い出すにそれは考えづらいのだが。
「なら、追い払うだけに留めてください」
「なんで?」
「一網打尽にしたいので」
「……まあ、まとめて殺したほうが清々するだろうけど」
「解体するのが楽でしょう」
話をしている間にようやく俺にも奴らの姿が見えた。シオンの言う通り猿だった。大きいのが二匹と小さいのが一匹。俺たちの姿をみとめてキイキイと鳴いている。威嚇だろうか。
こいつらは食料の足しにする。猿は一応食えるらしい。
何匹いるかもわからないのに散発的に来られては迷惑だ。たかだか猿ごときに労力を使いたくない。最低限の労力で終わらせる。そうしないと俺の体がもたない。
「投石くるよ」
「はい」
そうこうする間に石が飛んでくる。
木の上からの投石だ。頭上を取られるのは厄介この上ないが、それにしたってよく飛ぶ。夜襲を受けた時から不思議だったが、どうやらその理由はあの紐らしい。
「投石紐だね。猿にしては頭が良い」
「道具を使うのは驚きです」
「どうやって作ったんだろうね。狐憑きがいるのかもしれないよ」
「だとしても、殺すだけですよ」
次々投げ込まれる石の行方を追うと、大半は届いてすらいない。精度はそれほどよくない。というか、山中で投石なんかしたって木を盾にすれば当たるはずもない。
傾斜のある地形に加えて木々が生い茂っている条件下での投石だ。攻撃の仕方を間違えているとしか思えない。直接殴りに来たほうが早いだろうに。
シオンは奴らを頭が良いと称したが、こうして見ると頭が悪いように思える。環境を考えずに、教えられたことを愚直に繰り返しているだけだ。
「様子見は十分でしょ」
木の影に隠れながら奴らの様子を伺っていると、シオンがじれったそうに催促してきた。手早く片づけたいらしい。
確かにこれ以上観察しても得るものはなさそうだ。
唯一気になるのは、一番小さい猿が一番偉そうにしていること。何もしていない割にキイキイと喚き散らしている。それが指図しているように見えた。
「追い返すだけにしてください」
「三匹くらいならすぐ終わるけど……まあ、言う通りにしようか」
直後、木の影から飛び出したシオンがジグザクに走りながら猿たちに迫る。
足元はぬかるんでいて、木の根や石など躓きそうなものは山ほどあるが、特段苦にした様子もなく突き進んでいく。
頭上では猿たちが一層騒がしく鳴き始めたが、精々石を投げることしか出来ず、蛇行しながら近づくシオンに当たるはずもない。
一息に奴らのたむろする木の根元にたどり着いたシオンは、走ってきた勢いそのまま刀を抜いて幹を切った。
直後、倒れ始めた木から猿たちが一目散に逃げていく。
自らが切り裂いた木が音を立てて倒れるのを目の前にしながら、逃げた猿たちの行方を目で追っていたシオンは、杖を突きながら追いついた俺に若干不満そうな態度を見せた。
「あれでいいの?」
「いいと思いますよ」
シオンとしてはやれる時にやりたかったみたいだが、俺としてはまとめてやりたかった。
その方が都合がいい。自分勝手な理由だ。
「三の太刀を使いませんでしたね」
「使うまでもないからね」
逃がすだけなら必要ないと考えたらしい。
わざわざ近づいて切るよりも、三の太刀で遠くから切ったほうが安全だと思うのだが、シオンはそうは思わなかったようだ。
「それよりも。ねえ、どうだった?」
「何がですか?」
「格好良かった?」
首をかしげる。
意図を探るためにまじまじとシオンの顔を見つめた。
そうすると、どことなく自慢げにしていた顔が見る見る間に不機嫌になっていく。
「……格好良くなかった?」
「格好良かったと思いますよ」
とりあえず、そう言っておく。
格好良いとか悪いとか、そんなことは特段思わなかったというのが正直な感想だが、それを言ったら怒ってしまいそうだった。
協力してもらっている立場でわざわざ虎の尾を踏む理由もない。おだてて満足するならそれにこしたことはない。
「本当にそう思ってる?」
「思いました」
虚飾にまみれた人生だったが、その割には嘘は得意じゃない。多分母上の影響だ。変なところで似てしまっている。
口でどのように言い繕ったところで、嘘と見抜かれているのなら無駄でしかない。だから早々に会話を切り上げて先に進む。
すでに奴らの巣はほど近い。あと少しだ。