女が強い世界で剣聖の息子   作:紺南

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きりが良いので、いつもの半分ぐらいの文字数になります


第62話

「――――僕は、椛さんに買われただけなんだよ」

 

その言葉を聞いた瞬間、頭が真っ白になった。

心が拒絶した。理解すること、知ること、認めることを。

けれども、全部が全部真っ白になったわけではなくて、呆然としながらも頭の片隅に母上の言葉が蘇る。

 

――――あれは元々花屋だ。

 

その言葉を咀嚼する。そして裏に潜んでいた意味を悟った。理解して、納得する。……ああ、そういうことだったのか、と。

 

どうして気づかなかったのだろうと今となっては不思議に思う。今まで、なぜ考えもしなかったのか。

分かっていたはずだ。花と言う言葉が隠語に用いられることぐらい。

気づけたはずだ。ほんの少し疑問に思いさえすれば。

 

しかし気づけなかった。悟れなかった。

一体なぜ、と自分自身に問いかけて、その答えはすぐに得られる。

――――目を逸らしていただけなのかもしれない。

 

とっくの昔に頭では気づいていて、けれど無意識に拒絶していた。

二人の関係が、二人の仲が、そうだとは思いたくなかった。そう思ったが最後、何を信じていいか分からなくなりそうだったから。母上の言葉と父上の言葉、どちらが本当でどちらが嘘なのか。記憶に残る仲睦まじい姿は嘘だったと言うのか。

真実は何なのか、何一つとして分からなくなってしまいそうだったから。

 

心は拒絶して、けれど頭は勝手に理解していく。

こんな状況で、突き付けられた事実を飲み込むためには、途方もない労力が必要だった。

父の泣き顔を見つめるだけの無為な時間が過ぎて、誰かの足音がすぐそこまで近づいている。何も出来ないでいる俺に対し、その言葉がかけられる。

 

「――――何事?」

 

その声にほぼ無意識に反応し、ゆっくりと顔を上げる。

土間から廊下へと続く戸の前に、広間で見た覚えのある女の人が立っていて、その背後には記憶にない男の人もいた。男の腕の中には子供もいる。先ほど逃げて行った子供だ。

 

俺に対して険しい視線を向ける女性。その目に宿っている感情は嫌悪に近い。

よくよくと慣れ親しんだ目ではあるが、改めて意識するとやはり辛い。どいつもこいつも、どうしてそんな目で見て来るのか。

 

僅かばかりの感情を込めて見返すと、女性の瞳に僅かに怯えが滲み出した。何かを言おうとして言葉に詰まった様子だ。

その背後に隠れるように立っている男の人は、俺たちのやり取りに気づかず、今なお泣いている父を心配そうに見ていた。

 

「……」

 

「……」

 

「あの、喧嘩ですか?」

 

見つめ合ったまま口を利かない俺たちに変わり、男の人がおどおどした態度でそんなことを訊ねてくる。

瞬間、女性が振り返り止めさせようとしたが、男の人は任せてと言わんばかりの態度で言葉をかけ続けてくる。

 

「喧嘩は、よくないです」

 

それはそうだと内心同意する。

紛うことなき正論。しかし、今そんなことを言われたところで答える気にもならなくて、変わらず無言を貫くと更に言い募って来た。

 

「子供も見ていますし、一旦落ち着いたらどうですか? 話、聞きます」

 

何を言っているのだろうと、目を細めて男の人を見つめる。すると男の人はびくりと身体を強張らせた。女の人が守るように移動して子供諸共背中に隠した。

多分、二人は夫婦なのだろう。そしてあの子供は二人の子供。これまでの行動から何となくそう思えた。

 

「……」

 

「……」

 

沈黙と、一人分の小さな泣き声が場を満たす。

視線を下げ、父の泣き顔を見つめ、未だに跨ったままであることを思い出した。

 

なんだか、酷く現実味がない。

さっきまでのやり取りが嘘のように思えてきた。嘘だったらいいなと他人事のように考えて、駆けつけた二人に聞かれた可能性を思い出す。

 

「……聞きましたか?」

 

「え、あ――――」

 

「何のこと?」

 

何かを言いかけた男の人を背中で押し留め、女の人が先に答えた。

声音からどことなく白々しさが感じられ、重ねて問う。

 

「俺と……この人の会話のことです」

 

「何も聞いてない」

 

即答だった。考える間すらない。

あまりに露骨だったから、あぁ……と察する。どうやら聞かれてしまった。戸は開いていたから、筒抜けだったのだろう。もう苦笑すら浮かばない。

 

「……他言無用でお願いします」

 

呟くように一言だけ述べ、立ち上がり転がっていた杖を拾いに向かう。

転がった際に刃こぼれなどしていないかを確認し、刃を収め、もう一度二人を振り返る。

 

「どうか、お願いします」

 

頭を下げてお願いした。

しかし反応はなく、頭を上げれば二人は微動だにもしていない。

何事かと思えば、その視線は俺の手元に集中している。身の危険を感じているらしい。俺にそのつもりはないが、脅しているようにも見えるのだろう。唯一、子供だけは妙にキラキラした目で杖を見ている。それが救いに思えてしまった。

 

溜息を吐き、踵を返して玄関口から外に出る。戸を閉めて身体を預けた。

気配や音で中の様子を確認してみれば、二人は父上に駆け寄って何か言葉をかけていた。心配してくれているようだから、一先ずはこれでいい。

 

もう一度大きく息を吐く。

視界が狭まっている気がした。胸の奥から込み上げる暗い感情。これの名前を、俺は知らない。

 

胸を抑え、じっと耐えていた俺のすぐ近くで草を踏む音が聞こえた。はっとして視線を向ける。

数歩先に、所在なさげに立つシオンがいた。

 

「あー……」

 

視線は惑い、見るからに困っている様子。何を言おうかと迷っているようでもあった。

それだけで察することが出来る。どいつもこいつも露骨すぎた。

 

「聞きましたか?」

 

「……うん。ごめんね」

 

「それは、何に対する謝罪でしょうか」

 

「盗み聞きしたこと……かなぁ?」

 

疑問調子でそんなことを言われても、俺に他人の真意など分からない。

答える代わりに息を吐く。俯いて足元を見る。何だか心が重い。指一本動かすのも億劫だ。身体に走る痛みを、どこか他人事のように感じている。

 

戸に背中を預けたままズルズルとその場に座り込む。

ゆっくりと近づいて来たシオンが屈みこんで視線を合わせてきた。労わるような、可哀想なものを見るような目に耐えられなくて視線を逸らす。

 

「それで、どうするの?」

 

「……どうする、とは」

 

「この後のこと」

 

そう言われて思い出した。やらなければならないことがある。

山に登り、猿を皆殺しにしなくてはならない。村人たちが山に入ってしまう前に。一刻も早く。

 

そう頭では分かっていても、身体は鈍く、心は沈んでいる。

答えなど決まっているのに、何も言えないでいる俺に対し、シオンは躊躇いがちに言葉をかけて来る。

 

「聞き流してもらってもいいんだけど」

 

それは随分と勿体ぶった口調に思えた。

「聞く?」と言わんばかりに首を傾げたシオンに対し、視線を向けて続きを促す。

 

「僕は、逃げるのもいいと思うよ」

 

「……逃げる?」

 

「逃げたいなら、どうしようもないなら、逃げるのも手だよ。宛てがないなら、手ぐらいは貸す」

 

何を言っているのかと、半ば呆けてその顔を見つめた。

数舜見つめ合い、真剣な顔で視線を返すシオンに、冗談で言っているわけではないと悟る。

 

「逃げるって、どこへ」

 

「どこでもいいんじゃない? 逃げられればさ。どこか行きたいところはあるの?」

 

「そんなのは……」

 

逃げるなんて考えたこともない。行きたいところなんて、あるはずがない。

 

生まれてこの方、俺の世界はこの村で完結していた。もっと言うなら、この家が全てだった。母と父と妹と、あとは馬とトカゲ。それで全部。小さな世界だが、それで満足していた。

いつかは失うものだと分かってはいたけれど、実際の所この世界が壊れるなんて考えたことはない。

しかし、今まさに壊れかけている。所詮は箱庭に過ぎなかったのだとようやく気が付いた。

 

「……ありません」

 

「じゃあ連れて行ってあげるよ。君に死なれたら僕もちょっと困るから」

 

差し出された手を見つめる。

その手を握れば、シオンはどこへなりとて連れて行ってくれるのかもしれない。

その時俺はどんな気持ちを抱いているのだろう。清々しい気持ちだろうか。後ろめたい気持ちだろうか。

清々しい気持ちだったらいいなと、その先にある都合の良い未来を想像し、自虐的に笑った。

 

「……助けてくれますか?」

 

「うん」

 

「碌にお礼も出来そうにありませんが」

 

「大丈夫だよ。生きてくれるなら、それがお礼になる時が来るから」

 

「……そうですか」

 

はあと息を吐く。

胸の辺りに痛みを感じ、身体の調子を思い出す。ズキズキと全身を蝕む苦痛。もうこれにも随分慣れた。あと少し、頑張ろうか。

 

「行きたいところがあります」

 

「どこ?」

 

「あの山に」

 

指し示す先には山がある。この言葉が力になるだろうと思って、断言する。

 

「猿を殺しに」

 

大きく深い山。恐らく、この村でもゲンさんぐらいしか立ち入らないだろうその山は、近頃の寒さで随分と葉が落ち、茶色い土が露わになっていた。まだ少しだけ残っている葉もほとんどが赤く染まっている。

 

指の先を追い、じっと山を見上げていたシオンの視線が俺の元に戻って来る。向けられるその目は、思いのほか優しかった。

 

「そっか」

 

その一言に様々な思いが込められていたように思う。

それをわざわざ理解しようとは思わない。知らなくていいこともあるだろう。特に、こんな俺には殊更多いに違いない。

 

「じゃあ行こっか」

 

立ち上がり歩き出す。

あの山に、猿を殺しに。


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