女が強い世界で剣聖の息子   作:紺南

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第61話

「あのね、レン」

 

シオンの姿が見えなくなって早々、まだ家にも入っていないと言うのに父上が口火を切った。

一歩前から振り向いた父上は、人差し指を立てながら諭すような口調で語りかけて来る。言いにくいけど、言わなくちゃいけない。節々からそんな気配が感じられた。

 

「男の子を好きになってもいいけど、女の子も好きにならなきゃ駄目だからね」

 

わざわざ探していたぐらいだから、さぞかし大事な用件だろうと待ち構えていたら、実際言われたのはそんなことだった。何を言っているのかと目を瞬かせる。

内容を理解して、もう一度考えてみて、やっぱり意味が分からない。分かることは一つだけ。多分、父上の目は節穴だ。そうとしか思えない。

 

「なんの話ですか」

 

「男の子同士も駄目ってわけじゃないけど、子供は作らなきゃいけないから。だから女の子も好きになるんだよ」

 

何を言えばいいのか分からない。

なんだか無性に目頭を揉みたくなる。現実逃避がしたかった。物理的にも一度目を逸らしたかった。

うつむき、足元を見ながら言葉を探す。

 

「……男の子同士っていいんですか?」

 

「よくはないけど……でもそれが好きな人もいるから……」

 

奥歯に物が挟まったような言い方だ。

推奨はしない。だから自己責任で。そう言うことだろうか。

 

「女の子同士もありなんですか」

 

「……うん……それが好きな人もいるだろうから」

 

そうなんだ。

別に同性愛に思うところはないけれど、じゃあ自分がそうかと言うと違うので。多分、普通に異性が好きだと思うから、知識として覚えておくことにする。

 

「シオンのことなら違いますよ」

 

「……でも、抱き合ってた」

 

「無理やり抱きしめられたんです」

 

「……え?」

 

難しい顔で唸り始めた父上を置いて、一人家に戻る。

開けっ放しの玄関口をまたいで土間に腰を下ろし、ふうと息を吐く。

後からやって来た父上が玄関を閉めるのを見ていた。閉めるや否や、父上はすぐ側に座って怒涛の勢いで念を押してくる。

 

「子供は大事だからね。作らないと駄目だからね。じゃないと行く宛てないからね」

 

「わかってます。多分、その内ちゃんと作ります」

 

「……えっと、子供の作り方は知ってるの?」

 

「知ってます」

 

自分で聞いて来たくせに、答えてみれば釈然としない面持ちとなってしまった。そんな父を呆れ眼で見ていたら、家の中からバタバタと子どもの走り回る音が響いてくる。「ひろーい!」と楽しそうな声が追随する。

やけに賑やかだなと中の様子を探れば、子供のみならず大勢の人が客間にいるようだった。まだ広間で議論しているのかと思ったが、そっちはすでに終わっているらしい。

 

「他人様の家で走り回るな!」

 

「はーい!」

 

母親らしき人の怒鳴り声。子供の返事。鳴り止む気配のない足音。今まで、この家がこんなに賑やかになったことはない。アキがいてもここまで騒々しかったことはない。でもやっぱり子供は元気が一番だ。

自然と微笑みがこぼれ、エンジュちゃんのことを思い出す。心に冷や水を浴びせられた気がした。

 

「何人か家に泊まることになったよ」

 

「……なぜでしょうか」

 

「大勢集まっていた方が襲われにくいってことで」

 

事後承諾でごめんねと謝って来た父上にいえと答える。

別段、俺に拒否する意思はないし、その立場にもない。

実際、集まれば集まるほど襲われにくくはなるだろうし、悪い判断ではないだろう。食料に関しては各自持ち寄ってほしいところだが。

 

「もう一つ決まったことがあって」

 

「なんでしょう」

 

「今夜、山狩りに出るって」

 

「はい?」

 

理解が追い付かず反芻する。

やまがり……山狩り?

何を狩るつもりだ? 食料でも探しに行くのか? こんな時期に?

 

理解は出来ても意味は分からない。

答えに至る前に、分かりやすい言葉が足された。

 

「猿を駆除しに行くことになったんだ。大人たちみんなで」

 

その言葉で、頭の中がぐるぐると回り始める。

夜に、猿を狩りに、山に、行く。

 

一語一語噛みしめて呟く。

剣聖はいない。ゲンさんもいない。纏まりのなかった広間の様子を思い出す。到底、上手くいくとは思えない。

 

「え……なんで、そんなことに……」

 

「猿は昼行性なんだって。だから夜なら寝てて無防備だろうから、その時にみんなで襲おうって話になって」

 

誰がそんな話をした?

広間の議論がそんなところに帰結するのは予想外だ。誰かが纏めたのか。よく纏められたな。終始言い争うだけで結論なんて出ないと思っていた。

 

「昨日、襲われたのは夜ですよ。昼行性だって言いきれますか?」

 

「それは……」

 

「ゲンさんもいないのに、夜の山を行くんですか?」

 

「……」

 

「そもそも、猿が襲ってきてるってみんな納得したんですか?」

 

俺みたいに気配を探って手がかりを得られるならともかく、ほとんどの人は何が起こっているのか分かっていないだろう。

何か異常な事態に見舞われている認識はあっても、それが猿によるものだとは断言できないはずだ。

それを思えば会議が紛糾するのも、そのせいで後手に回ってしまうのも、当然と言えば当然の話だった。

 

それなのに一体誰が話を纏めたんだと、顔も分からない誰かのことを憎々しく思っていたら、思いがけない言葉が父上の口から飛び出した。

 

「みんなのことは、僕が説得したんだ」

 

唖然としてまともに声が出なかった。

辛うじて「なんで」と、か細い声が口を衝いて出る。

 

「だってレンが言うんだから間違いないよ。椛さんの息子だもん」

 

「……」

 

「もちろん協力はしてもらったけど」

 

「……」

 

「でも言い出したのは僕だから、一緒に行くことにしたよ」

 

頭を抱えたくなった。次から次へと落とされる爆弾に振り回されている。

なぜ? と思う。単純に、どうしてそんなことになっているのかと。

 

「僕がみんなを説得したから、責任はとらないと」

 

「……」

 

「大丈夫。最近鍛えてるんだ。レンは安心してゆっくり寝ててね。危ないことは全部僕が終わらせておくから。守るから。レンのこと」

 

足元に視線を下ろし、考えを纏める。言うべきことを考える。

直前まで混乱していた思考は一周回って落ち着いた。何を言うべきかはすんなりと思いついた。

 

「心配してくれて、ありがとうございます」

 

自分の口から出たとは思えない声に、自分自身で驚く。

あまりに機械的な声だった。感情がこもっていない、抑揚のない声。

こんなことを考えている間も、無意識に口が動いている。

 

「でも、駄目です」

 

「え……? 駄目って、どういう意味?」

 

「そのままの意味です。だから、どうかお願いします」

 

依然、俯いたまま告げる俺に、父上は訝しげに聞き返してくる。努めて冷静を意識して告げた。

 

「父上が山に登っても何の役にも立たないので、ただ殺されるだけの足手纏いにしかならないと思うので、父上の方こそ家で大人しくしててください」

 

きっぱりと告げたその言葉に、父上は息を呑む。

 

「代わりに俺が山に登って奴らを皆殺しにしてきます」

 

視線を上げ、正面から父を見据える。動揺し傷ついたその顔を見てわずかに心が痛んだが、仕方のないことだと割り切った。

 

多少なりとも酷いことを言った自覚はもちろんある。例え事実だったとしても、言い方というものもあっただろう。

けれども、こんなことで傷つくような人が山に登ったところで、一体何の役に立つと言うのだろう。ただ山を登ればそれでいいと言う訳ではない。命のやり取りはそんな生半可なことではないのだと、俺は身を持って知っている。

 

「ぼ、僕だって!」

 

ようやく我に返った父上が、激情に駆られ詰め寄りながら言い募って来る。

 

「僕だって鍛え始めたんだ! また足手まといになるのが嫌で、椛さんやアキには遠く及ばないかも知れないけど、今のレンに比べれば役に立つと思う!」

 

「立ちません」

 

「なんで言い切れるの!?」

 

どうやら引く気はないらしい。

小さく息を吐く。視線を切り、あらぬ方向を見やる。

 

「父上だけじゃありません。他の大人たちも、今のままでは決して役に立たないでしょう」

 

どこまでも淡々と告げる俺の言葉を、父上は頭を振って否定する。そんなはずはないと。あれだけたくさん集まっているのだから、必ずやり遂げられると。

父上はそう信じているようだが、俺にそう思わせるほどの根拠は何もない。

 

「父上は知らないでしょうが、奴らはどうやら頭が良い。何の策もなく飛び込んでは一網打尽にされるだけです」

 

「どうして、そんなこと分かるの……」

 

「感覚的なものなので説明は難しいですが、俺はそう思っています」

 

「……なら、間違ってるかもしれない」

 

「そうですね。もし間違っているのなら、猿が襲ってきていると言うところから考え直さないといけません。ところで、父上は先ほど信じると言ってくれましたが、これについては信じてくれないのですか?」

 

ある程度意識してのことだったが、思った以上に嫌味ったらしい言葉になった。

信じたいものを信じ、信じたくないものは信じない。人間らしいと言えばそれまでだが、この状況で都合が良いことだけを信じられるのは困る。

 

「……僕は、役に立たないかも、しれない。確かに、そうかも……。でも、レンが行ったって同じことでしょ?」

 

途切れ途切れの言葉で、父上は自らの力のなさを認めた。

それが出来るだけ自分と言うものを知っている。あるいは、もっと優先すべきものがあるからこそ言えたのかもしれない。

 

「そんな身体で何が出来るの? 普通の生活も出来ないのに、山に登るなんて、出来っこないよ……」

 

「はい。その通りです」

 

「だったら――――」

 

「だから、助けを借ります」

 

わずかに父上の視線が惑う。

 

「……誰に?」

 

「シオンに」

 

告げられた名に、父上は理解出来ないと頭を振る。

 

「昨日会ったばかりの人に助けを求めるの?」

 

「はい。それが一番だと思うので」

 

「――――僕は?」

 

その声は、ともすれば叫びそうになるのを我慢している。そんな声音だった。

 

「僕は父親だよ? そんなに頼りにならない? 僕じゃなくて、見ず知らずの人に助けを求めないといけない理由は何?」

 

「強いからです。シオンは強い。だから助けを求めました」

 

「なんで、わかるの?」

 

「……これも感覚です。分かったから、分かったんです」

 

くしゃりと父上の顔が歪む。

誤魔化されていると思ったのかもしれない。

この感覚は父上にはわからないだろう。けれども、俺には分かる。見れば、話せば、顔を合わせれば。多少なりとて武の心得があるのなら、相手がどの程度の強さなのか。感覚で理解出来てしまう。

 

「それでも、僕はレンを守りたい……。誓ったんだ。守るって。今度は足手まといにならないって……お願い、行かないで。無理をしないで。大人しくしてて。ちゃんと出来るから。僕一人じゃ無理でも、みんなとなら――――」

 

「あなたも、この村の人も、今の状況では誰一人頼りにならない。俺が行きます。足手纏いにうろつかれてはかえって邪魔になりますので、家にいてください」

 

今一度、はっきりと足手纏いだと告げた。父は俯き、身体は震え始める。

泣くのを堪えているのだろうと思った。あるいは、すでに泣いているのかもしれない。可哀想なことをしたなと思った。

でもこれぐらいしなくてはならない。例え嫌われようとも、エンジュちゃんと同じ過ちを繰り返してはならないのだから。

 

話は終わった。これ以上話すことは何もない。

本来の目的に返らなくてはならない。

 

「一つ、聞きたいことがあるのですが」

 

答えてくれるはずはないと分かっていたが、念のため聞いておく。

 

「母上が杖を持っていませんでしたか。中に刀が仕込んである杖なのですが」

 

ぴたりと父の身体の震えが止まる。俯いたまま答えてくれた父の言葉は、意外なほどに冷静で落ち着いていた。

 

「――――それをどうするの」

 

「アキに自分の刀を渡してしまったので、使わせてもらおうかと」

 

告げた瞬間、父がすっと立ち上がる。

眦に涙の跡が光り、代わりに瞳に光はなかった。

不安になるその表情のまま「待ってて」と抑揚なく告げられ、声をかける暇もなくその場を去って行く。

ほどなくして戻って来た父の手には見覚えのある杖があった。アキを斬り、俺を殺しかけたあの杖だ。

 

「父上が持っていたんですか」

 

「……これなら、僕でも使えるかと思って」

 

先んじて、母の部屋から持ち出していたのだと言う。どうやら、母上は隠していたわけではないらしい。いや、隠すことには隠してはいたのだが、自分の部屋に隠していただけだった。考えてみれば、普段俺が母上の部屋を物色することなどないし、頭を捻って隠し場所を工夫する必要などなかった。

 

その場に立ち上がり、父上と向かい合う。

土間の上に立つ俺から、床の上に立つ父上を見上げる格好になった。

相変わらず光のないその瞳を見つつ、少しばかし警戒しながら手を差し出す。

 

「貸してもらえますか」

 

「レン」

 

静かで、尚且つ力強い呼びかけだった。

覚悟と狂気がないまぜになった声音で、それを聞いた瞬間嫌な予感が全身を駆け巡り、おもむろに刃を抜いた父が切っ先を俺に向けて来る。

 

「行かないで」

 

「……」

 

包丁を握る様な持ち方で、両手で杖を握っている。

その身体はがちがちに強張っていた。この様子では突き刺すことしかできないだろう。走って向かってくるに違いない。その光景が容易に想像できる。

 

「行ったら刺す」

 

「……」

 

切っ先と父の顔を見比べる。

面倒だと言う思いが真っ先に来た。刀など持ったことがないのはすぐに分かった。

身体に走る震えのせいで、ろくに目標も定まっていない切っ先を向けられても、恐怖など覚えるはずもない。どこに来るか分からなくて、ちょっと危ないなと思うだけだ。

 

「レン」

 

「何と言われようと、俺は行きます。刺すと言うならどうぞ刺しに来て下さい」

 

わずかに父の目が見開かれる。

杖を握る拳に力が込められたのが見て取れた。

来るかなと疑念を抱き、来ないだろうと確信する。あれだけ守らせてと言っておきながら、その対象を刺すなんて真似、この人に出来るはずはない。

 

「あなたに俺が刺せますか?」

 

「……刺せないよ。決まってるよそんなこと」

 

全身の力が抜け、だらりと崩れ落ちた父に歩み寄ろうとして、その手がゆったりと動く。今度は、刃を己の首に当てた。

 

「これなら、どう?」

 

「……」

 

「レンが行ったら、僕は死ぬ。これならどう?」

 

その問いかけには、すぐに答えることは出来なかった。簡単な二者択一ではあるのだが、天秤にかけられているものがあまりに重い。

考える時間を稼ぐために質問する。

 

「……どうして、そこまでするんですか」

 

「どうして? おかしなことを言うね。僕は父親だよ? 息子を守りたいと思うのは普通のことだし、身体を張ってでも無茶を止めるのは親の役目だよ?」

 

「その身体の張り方は正気じゃない」

 

「どうかな。正気じゃないのはどっちだろう。僕かな? それともレンの方かな?」

 

「俺は正気ですよ」

 

「死ぬつもりなのに?」

 

思いもしなかった問いを受け、答えるのに間が空いた。

その間が答えになっていた。

 

「子供の死を見たい親がいると思う? 僕は二度と嫌だ。あんな思いは」

 

「……」

 

「お願い。行かないで。僕が何とかするから。僕が守るから。頼りないかもしれないけど、足りない分は命を懸けて補うから」

 

息を吐く。身体から力を抜く。

両手を上げて降参と言うポーズを取った。それで、父上の瞳にわずかに光が戻った。俺が諦めたと思ったのだろう。

その希望が心に隙間を作った。父上の背後から聞こえて来た子供の声が、心の隙間に日常を呼び戻した。

 

「なにしてるのー?」

 

驚愕した父上が咄嗟に身体から刃を離す。そのまま刃を隠す素振りを見せた。

危ないと思ったに違いない。小さな子供がいる前で、慣れない刃物を扱うのは。

その思いは正しい。けれど、自らが作り出したこの状況には即さない。

 

「あっ!?」

 

全てを予期していた俺は、何の動揺もなく動き出せた。

父に迫り、勢いそのまま押し倒した後、その手から刃を奪う。

土間へと投げ捨てた刃は軽い音を立てて転がり、俺は父の胸倉を掴んで怒鳴った。

 

「何がしたいんだあんたは!?」

 

今まで積もりに積もった思いが堰を切って溢れ出す。

 

「男の癖にすぐ泣いて、なよなよと弱弱しくて、挙句の果てにこんなことをして!!」

 

すぐそこで、子供がひっと委縮している。そのままどこかへと逃げ去ってしまう。

そんなものは構わない。この際、言いたいことは全部言った方がいい。

 

「自分を人質に言うことを聞かせようとするな!! 男だろ!! 親だろ!? そんな卑怯なことをするんじゃない!!」

 

激痛に蝕まれながら気持ちをぶつける。一度溢れ出した気持ちはどうにも止められない。

 

「もっと強くなれよ!! 男だって強くなれるんだから!! 胸を張って、正しい生き方してくれよ!!」

 

肩で息をする。

感情任せに口を開いたせいで、自分でも何を言っているのか分からない。関係ないことを言ってしまった気もする。

もっと言いたいことはたくさんあるはずだった。けれど言葉にしてみればこの程度の言葉しか出て来なかった。

 

この世界では俺の方が異端だ。それは分かっている。だけど、それは身体的なことでしかない。心は違うはずだ。

強くなれるはずなのだ。女だろうと、男だろうと。誰でも強くなれるはずなのだ。

俺は、この人(ちち)に強くなってほしかった。ずっと前から、ずっとずっと思っていた。

 

しかしそれも所詮は俺の気持ちに過ぎない。押し付けるつもりなどなかったから、今まで口に出しはしなかったけど、でもいつかは言っていただろう。我慢の限界がいずれは訪れたはずだから。

 

力の限り動き、腹の底から声を出した。

おかげで身体は散々だ。嫌な汗を掻き、痛みのあまり眩暈もする。

先ほど強くなれよなんて言った手前、情けないところを見せたくなくて、奥歯を噛み締めて我慢する。

 

廊下の方からドタバタと足音が聞こえた。

俺の声が家中に響いたに違いない。間もなく人が来る。

そう考える傍ら、俺の下でまた泣き出した父を情けないと思っていた。男らしくないと、この世界に即さないことを考えている。

 

「強くなんて……正しくなんて……無理だよ、そんなの……」

 

「何がですか……諦めてちゃ、なんにも出来ないでしょ。少しずつで、いいんですよ……」

 

「無理だよ、無理だってば……」

 

メソメソする父に訊ねる。

何故無理なんですか、と。父は答える。無理なんだよ、と。

 

「だから、どうして無理なんですか」

 

「だって、僕は花屋なんだよ? どうして出来るの? そんなことを……」

 

「それに、何の関係が――――」

 

花屋を強調するその言葉を聞いて、不意に言葉に詰まった。

思考が巡り、今まで考えもしなかった可能性が導き出されていく。

 

「レンなら分かるでしょ? 花屋なんだよ……」

 

「なにを……」

 

「僕は花屋なんだよ、だから――――」

 

心が悲鳴を上げた。

聞かない方がいいと。考えない方がいいと。

よりにもよってなんで今それを言うのかと。

 

制止しようとした。

人が来るから。言わないでと。聞かれてしまうから。

 

けれども制止は叶わず、父はその言葉を吐き出した。

 

「――――僕は、椛さんに買われただけなんだよ」

 

 


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