女が強い世界で剣聖の息子   作:紺南

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第56話

日が落ちて、日が明けて。また日が落ちて。そして日が明けたなら、日は二日跨いだことになる。

早朝に東に向けて発ったアキは、早ければその日の内に帰って来るはずだった。遅くても次の日には帰って来ると思っていた。けれど、アキは二日が経った今日になっても帰って来ていない。

 

何かあったのだろうと確信する。それが何かは想像も出来ないけれど、十中八九良からぬことだ。

やっぱり俺も行けばよかった。同行したところで足を引っ張るだけだけど、こんなに不安になるぐらいなら、無理にでも行けばよかった。

 

そう思って悶々と過ごす俺とは反対に、父上はいつもと変わらない様子で過ごしている。

 

「はい、あーん」

 

「……いや、あの……」

 

「口開けて。あーん」

 

変わらない、は言い過ぎかもしれない。

変わることには変わっている。主に俺に対する世話焼きっぷりが。

一人で食べれると言っているのに食べさせようとしてくるところとか。用を足すのに必ず付き添おうとしてくるところとか。

 

母上とアキがいないので気張っているのだろう。それは理解出来る。でもちょっとやりすぎている。

いくら父親と言えど、男にあーんはされたくない。いくら同性と言えど、用を足すのを手伝ってほしくない。

やめてほしかった。切実に。本当に。本気で。

 

「自分で食べますので」

 

「でも」

 

「自分で食べられますので」

 

ひったくるように茶碗を貰い受け、自分の手で食べる。……ゆっくりと。

 

「大丈夫?」

 

食事の最中、父上はずっと俺のそばにいてじっと見つめてくる。

口を開けば身体の調子を訊ねてきた。噛んでいる最中に口を開くのはマナーが悪いので頷くにとどめる。

それでも、父上は心配そうに見つめてくる。なんだかばつが悪くて視線を逸らしながら食事を進めた。

 

「……ごちそうさまでした」

 

「お粗末さまでした」

 

茶碗の中、半分ほどを残して食事を終える。

父上は悲しそうな顔で茶碗を片づける。もともと量はなかったが、それにしても完食は出来なかった。

いくら少量とはいえ、残していることに変わりはない。食べ物を残すことに罪悪感が募る。もったいないと思う。食べ物は大事にしたい。特に、こんなご時世なら。

 

「……父上は」

 

「ん?」

 

食事を終え、ようやく話すことが出来る。

げっぷが出そうになったので治まるまで待ってから口を開いた。

 

「心配じゃないんですか?」

 

「え? 誰が?」

 

どことなく責めるような口調になってしまったが、父上は気にした素振りもなく、きょとんとした顔で聞き返してきた。

 

「アキが、です」

 

「大丈夫だよ」

 

思いもしない即答に俺の方が言葉を失った。

なんで? と思う。どうしてそう言えるのか。俺は心配で仕方がない。だってアキだから。妹だから。目を離したら何をするか分からないから。

 

そんな風に思う俺に、父上は自信を持って断言する。

 

「だって、椛さんの子供だもの」

 

妙に納得した自分がいる。それでいて、そうだろうかとも思った。

いや、確かに母上の心配はあまりしていなかった。どちらかと言うとアキの方が心配で、でも母上だって全く心配してないと言うわけでもなくて。

 

方向性は別として二人とも心配だ。でも、母上はまず間違いなく帰ってくると思うのに対し、アキはどうだろう。ゲンさんが一緒だから、死ぬことはないはずだ。そう思いながら、それは所詮願望に過ぎないことにも気づいていた。

突然何が襲ってくるか分からないのがこの世界だ。例えば、突拍子もなく凄腕の老婆がやってくるとか。

 

「……っ」

 

あの時のことを思い出すと、傷跡が疼いて胸を掻き毟りたくなる。どくんどくんと心臓が暴れて苦しくなった。

 

仮にもう一度戦ったら次は勝てないだろう。それは身体の調子に関わらず、万全だろうと関係ない。あの勝ちは、十に一つの幸運を拾っただけだった。

殺せてよかったと心の底から思う。もうあんなことはごめんだ。突然、誰とも知らない人に命を狙われるなんて。

もしまたあんなことがあったなら、もう俺は何もできない。誰も守れない。

 

何の役にも立たない自分を想像して、そんな自分が嫌になる。

傍目に突然落ち込んだ俺を見て、父上はアキのことで不安に駆られていると思ったのだろう。安心させるように、再び断言した。

 

「大丈夫だよ」

 

「……そうでしょうか」

 

「大丈夫。大丈夫。だって、椛さんだから。椛さんの子供だから」

 

そればかりを言う父上を横目に見てから視線を落とす。

言葉の端々から絶対的な信頼が感じられる。二人で積み重ねてきた年月がそれを言わせるのだろうか。

 

きっと、今までもこんなことは多々あって、二人はそれを乗り越えてきた。だからこその言葉なのだろう。

でも、俺にはその信頼が依存とか過信とかそう言うものに思えてならず、父上のように断言する気にはなれなかった。

 

こうしていると嫌なことばかりが頭に浮かぶ。

母上の欠点とか、アキの悪いところとか。それ以上に良いところがたくさんあるはずなのに、どうしてもそればかりが思い浮かんで易々と安心はできない。

 

不安に押しつぶされそうな自分に苦笑する。

こんなに心配性だったのかと新しい自分を発見した。アキのことを思うとじっとしていられなくなる。今すぐにでも駆け出したくなる。

 

兄離れなんて偉そうなことを言っておいて、そう言う自分が妹離れできていない。

こんなんじゃ駄目だなと己を叱咤する。俺は兄だから、手本にならないといけない。最低限、人のことが言えるようにならないといけない。

 

「……二人とも、無事だといいですね」

 

「うん。きっと、大丈夫だよ」

 

父上は朗らかに笑った。

本心はどうあれ、表面上は不安なんて全く抱いていない、そんな顔で。

 

この世界では女が外に稼ぎに行き、その間、男が家を守っている。

ならば、待つのもまた男の仕事の内なのだろう。不安や心配を押し込めて、無事に帰ってきた家族に笑顔を見せ、労わるのが男の仕事なのだろう。

 

頭では分かった気になっていたが、こうして待ってみて初めて分かった。

ただ待つことの大変さと、それがどれほど俺に向いていないのかが。

 

じっと待つだけなんて俺にはとても耐えられない。

誰かが俺のために戦うのなら、俺も一緒に戦いたい。後ろで待つのではなく、横で共に戦いたい。

 

誰かの背中に隠れて生きたくはない。守られるだけなんて真っ平だ。俺は強くなりたかった。男だからと言う理由で諦めたくなかった。猿に襲われたあの夜に、何もできなかった自分が、ただ守られるだけだった自分が、どれだけ惨めで悔しかったか。

一生忘れることは出来ないだろう。あの時の辛さや苦しさや痛みを。駆けつけた母上の背中を。抱いた憧れを。

 

俺には俺の価値観があり、常識があり、この世界に迎合こそしたけれど、否定出来ないものだってある。

性別を理由に諦めることは出来なかった。俺は男だ。やってみなくちゃ分からない。やりたいことがあるなら思いっきりやるものだ。そう思って力いっぱい頑張った。正直、いいところまで行ったと思う。

 

結果的にこうなったのが残念で、悔いはあるけれど、もし過去に戻れたとしてまた同じことをするだろうから、そう言う運命だったのだと割り切る他ない。

 

生きる目標はなくなった。けれど、この世界でいうところの普通の男になるつもりはない。

俺に残っている役目はアキが立派に成長する手助けと、剣聖まで上り詰めた母上の血を残すこと。つまり種馬みたいなことをすればいい。

この身体で射精できるかは甚だ疑問ではあるけれど、やり方を考えれば出来ないことはないはずだ。

 

とりあえず、今の俺に出来るのはアキの無事を祈ることぐらい。

いつまでたっても消えない嫌な予感から目を逸らしながら、遠くにいるであろうアキのことを思い続ける。

 

 

 

 

 

母上たちが発ったその日から、村長が我が家に訪れるようになった。

最初、玄関口に立った村長は応対した父上に向け、はっきり用件を告げたらしい。

 

「ご子息の様子を見させていただけませんか」

 

どんな顔の面の厚さかと半ば感心する。

自分が殺そうとしている子供に会うために、その父親にそう言ったのだから。

 

当然のことながら父上は断った。

「もう来ないでください」と取り付く島もなく。

 

普通はそこで諦めるだろうに、どのような理由があってか諦められなかった村長は家の周りをぐるりと回り、たまたま外を見ていた俺を見つけて声をかけきた。

 

「お加減どうですか」

 

俺は村長を招き入れ、話をすることにした。

何か得られることがあるかもしれないと少しばかり期待して。

 

「こうして話すのは初めてかねえ」

 

「そうですね」

 

縁側に腰かけた村長はゆったりとした物腰と同様に、穏やかな口調で話し始める。

 

同じ村に住んでいる同士、互いに相手の顔は知っていた。

今まで話したことがないのは、単に機会に恵まれなかったせいだろうか。

 

「剣聖様はどこかに出かけているようだね。どこに行ったか聞いてるかな?」

 

「西に。飢饉が起こるそうなので、領主様と話をしに行きました」

 

「そうか。流石は剣聖様は行動が早いね。いや、今年は寒くてね。ほら、もう雪が降っただろう。子供にとっちゃ嬉しいかもしれないが、そう嬉しいことばかりじゃなくてね。わかるかい?」

 

「ええ。おかげで不作ですから。そのせいで口減らしも」

 

どういう意図かは分からないが、どうにも話の流れが迂遠的で、そこはかとなく子供扱いされている感じがしたので、直球で本筋に触れることにした。

 

「俺を殺したいそうですね」

 

「……それは、剣聖様に聞いたのかな?」

 

「全部聞きましたよ」

 

俺がどういう子供かは知っているはずだが、実際に話してみなければ信じられないのかもしれない。考えてみれば、俺はまだ11歳だ。

 

「残念ですが、今はまだ殺されるわけにはいきません。母上が帰ってくるまでお待ちください」

 

「……そうか」

 

ふうと息を吐いた村長は、頭の頭巾を撫でて何か考えている。

考えが纏まるのを少しだけ待って、次にその口から出たのは全然関係ない言葉だった。

 

「今、いくつだろう?」

 

聞かれた内容を反芻する。

多分、俺の年齢を聞いている。

 

「11です」

 

「玄孫と同じ年頃だ。玄孫は9つだから」

 

「そうですか」

 

「最近は反抗期なのかあまり人の言うことを聞かなくてねえ。毎日泥だらけで帰って来るんだ。どこで何をしているのか」

 

「遊んでるんじゃないですか?」

 

「それはね。ただ、どこでどんな遊びをしてるのか。どこかの男の子に迷惑かけてなければいいんだけどねえ」

 

「子供は風の子と言います。じゃじゃ馬なぐらいが丁度いいと思いますよ」

 

「確かに、手のかかる子ほど可愛いくはある」

 

それ自体はよく聞く言葉だけど、経験者に言わせてもやはりそういうものらしい。

俺自身、手のかかる子と言う言葉でアキの顔が思い浮かんだ。……なるほど、確かに可愛い。

 

「ただ、最近は何かと物騒ですから、目を離さない方がいいと思います。また誰かが襲ってこないとも限りません」

 

「……そうだ、そうだ。それを忘れてた」

 

何かを思い出した村長は、言うや否や居住まいを正して俺に向けて頭を下げる。

 

「その度はありがとうございました。おかげで多くの子供が救われました。感謝してもしきれません。この村の長として礼を言います。本当にありがとう」

 

「……どういたしまして」

 

先代剣聖の襲撃について言っているのだとすぐに分かった。

確かに俺はあの時巻き込まれた子供を救っている。けれども、元を正せば母上の因縁が原因であるから、そこを突いて逆に糾弾されてもおかしくはなかった。

この人はそのことについてどこまで知っているのだろうか。全てを知った上で感謝を述べ、そして口減らしで俺を殺そうとしているのなら、この人は凄く頭のいい人で、そして色々背負っているのだと思う。

 

「頭を上げてください。あれは剣聖である母上にも原因があったことで、もう過ぎたことです。今は先のことを考えて、すべきことをしなければいけない時でしょう」

 

「……ありがとう」

 

いつまでも頭を上げなかった村長に、俺はそう言わざるを得なかった。

俺の言葉を受け、ようやく頭を上げた村長は無表情だった。感情の機微は読めない。母上の無表情は割と読めるのだが、他の人になると駄目だ。重ねた月日のおかげだろう。

 

「また来るよ」

 

「どうぞいつでも来てください」

 

最後にそう言って、村長は帰っていく。

その背中を見送りながら、そう言えばあの人も死ぬつもりなのだと思い出し、玄孫のことを語っていた嬉しそうな顔を思い浮かべながら、何とも言えない気持ちになった。

 


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