女が強い世界で剣聖の息子   作:紺南

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今話よりレン君の一人称に戻ります。
時系列も43話まで戻り、アキちゃんの裏でレン君が何をしていたのかを書いていきます。


第55話

夜も明けないうちに母上が発ち、明け方にゲンさんがアキを連れて発った。

二人を見送った後、布団の上で一人天井を見ていた。眠ろうと思って布団に転がっているのだが、一向に眠くない。目が冴えている。

心の中には不安が満ちていた。どうにも心配だ。方向性は違えど、母上とアキの両方が心配だ。睡魔が引っ込むぐらい心配している。

 

母上については、身の安全については全く心配していない。仮にも剣聖だ。心配する意味がない。

心配なのは目的について。飢饉が起きることがほぼ確実になり、それについて領主を説得するという話だったが、そもそも説得以前に上手く話が出来るかが心配だ。あの人は口下手だから、そのせいでアキとの仲も拗れている。出来ることなら、偉い人と会う前に何とかしてほしい。顔見知りらしいけど、親しき仲にも礼儀ありとも言う。この世界の偉い人がどういう人たちなのか分からないが、ふとしたことで処刑されないとも限らない。偏見だろうか。権力を持つ人にあまりいい印象がないのはなぜだろう。前世の影響だろうか。ともかく、良い人ならいいのだけど。

 

アキの方はもうあらゆる意味で心配だ。出来ることなら今からでも追いかけたい。追いかけて引き戻したい。

過保護と言われるかもしれないけど、何か嫌な予感がする。目の届かない所で何か仕出かすかもしれない。ゲンさんがいるから大丈夫だと思いたいが、思いきれない。最近のアキの動向を思い出すに、善悪の区別なく良からぬことをしそうな気がする。そもそもゲンさんとの仲が悪い。言うことを聞くか怪しい。反抗心から間違った判断を下しかねない。そうでなくても直情的だ。ちょっとしたことであらぬ方向に突っ走るかもしれない。

 

こうして色々考えてみると、心配する理由しかなかった。悪い要素しかない。特にアキは最悪だ。誰がどう見ても悪手だと思い至るだろう。思い至ったところで普通は考え直す。母上は考え直さなかった。

一度決めたことには頑固な人だ。何を言っても聞き入れなかった。自己評価の低いあの人のことだから、あんたの娘だぞと不安を煽れば止められただろうか。そんなことを息子が言うのもおかしな話だし、聞き入れてくれた可能性はやはり低いと思うけど。

 

「はぁ……」

 

溜息を吐く。

この身体が恨めしい。最低限歩けるぐらいだったなら俺も一緒に行っていた。

どうにかならないだろうかと拳を握ってみる。ズキリと腕から背中にかけて痛んだ。

どうしようもない。歯がゆい。死にたい。まだ、死ねない。

 

布団の上から景色を見る。外は晴れていた。雪はすっかり融けている。

この状況で今俺に出来ることと言えば神頼みぐらいか。てるてる坊主でも作って晴天でも祈ろうか。

 

てるてる坊主の材料を考え始めたところで我に返る。おかしなことを考えたと自嘲する。しかしそれ以外にすることがないと言うのは事実だった。だから真面目に考えた。バカなことを愚か者のように。

再び込み上げた自嘲を噛み潰す。寝ようと思った。寝て起きれば解決するわけではないが、睡眠不足が思考を鈍らせている可能性は十分にある。

 

目を閉じる。眠気は一向にやってこなかったが、頑張って目を閉じ続けていたらいつの間にか眠っていたらしい。

起きたのは人の気配がしたせい。気配を読むと言う特技だか技能だかも便利ではあるが、いつもいつも都合がいいわけではない。

実際、家の外の気配で起きてしまったわけだから、何でも思い通りに行くわけではない。敵意など感じなかったのに、身体は反応してしまった。

 

起き上がって窓を見る。

窓の外、死角の向こう側。見えない所にいる気配はまごついている。行くか行くまいか迷っているらしい。目に見えないものでも、気配一つ辿ればでそこまで分かる。極めればどこまで分かるのだろうか。実際の所、どこまで伸びるか何気に楽しみにしていたのだが、もうそれを知ることはないと思うと悲しくなる。

 

悲しみを振り払い、迎えに行こうと立ち上がる。激痛に備え歯を食いしばって立ったせいか、眩暈がして立ち眩みを起こした。転びかけ、体勢を整えようとしても身体は言うことを効かない。そのまま仰向けに倒れる。倒れた衝撃が痛みとなって全身に巡る。息が止まって目の前がチカチカする。

 

痛みが和らぐまでしばらく待った。激痛の余韻は遅々として引いてくれない。何度か深呼吸して無理やり落ち着かせる。

余計な行動は余計な痛みを感じさせる。立とうとしただけでこれだから、本当なら動かないのが一番なのだろうが、生きている内はそうも言っていられない。

 

どうにか落ち着いた頃を見計らって縁側へと赴く。

立つのは諦めて四つん這いで這って行った。窓ガラスに映った自分を見て間抜けな奴だと思う。格好と言い表情と言い、間抜けと言うか滑稽だった。苦笑が漏れれば窓ガラスに映る顔も歪む。やっぱり滑稽だ。

 

間抜けの顔を拝むついでによくよく自分の髪を見る。寝癖がついていないか気になった。

人に会う前に身だしなみを気にする癖がある。身だしなみなど気にする余裕もなければそういう身分でもないのに、なぜか染みついている。

三つ子の魂百までと言うからそう言うことだろう。俺と言う人間を構成する一部になっている。いらないとも思うが過去があって今があることを考えるに、どんな些細なことでも、人格を構成するのに意外な役目を持っているのかもしれない。

 

このあたり、母上とアキはまるで気にしていない。俺と父上は気にしている。見事に男女で別れているが、この場合は性差ではなく単純な性格の問題だろう。

ずぼらと言うのは少し違って、花より団子みたいな感じで、身だしなみの優先度が低いのが我が家の女性陣だ。まあ、アキの寝癖は微笑ましくて好きではある。まれに頭が爆発しているときは整えてやったりもする。しかし、母上に寝癖があるのはちょっとどうかと思う。威厳がなくなったらどうするつもりなのか。

 

寝癖がないことを確認して窓を開けた。

音に反応して、見えない気配がびくりと震える。

「おいで」と声をかけると、恐る恐るエンジュちゃんが顔を出す。

 

微笑みかけると安心したのか小走りに駆け寄って来た。

近寄ってきた頭を撫で、「いらっしゃい」と出迎える。エンジュちゃんは俯いてされるがままになっていた。

 

可愛い反応に癒される。

不甲斐なさや不安、諦めなど色々なものが浄化される。

 

子供はいいなと思う。純粋で可愛い。

もうちょっと大きくなると、色々なことを知ってしまってすっかり汚れる。

最近のアキなどがそうだ。俺の介護を通じてちょっと汚れかけている。はっきりした原因はよくわからないのだが、性癖が刺激されている可能性がある。となれば、早晩性欲に目覚めるだろう。

 

それは別に悪いことではないのだが、自分のことを棚に上げて悪いなどと言う気はないけれど、欲望と言うのは人が長いこと向き合って未だに持て余している恐ろしい奴だから、中々扱いに困る。

特にこの世界は俺の知る世界ではないから、欲望の取り扱いには注意したい。特に性欲について。

人間の三大欲求の一つだ。個人的に、最も恐ろしいと思っている。

いつか水浴びの時の母上の言葉を思い返すに、この世界では女の方が性欲が強いのではないかと思うが確証はない。デリケートな問題だから、積極的に確かめるわけにもいかない。

 

撫でていた手を止めてエンジュちゃんを見る。

手が止まったのを受け、エンジュちゃんはちょっとだけ感情を顔に出した。もっと撫でてほしいと言う感情。素直な子だ。

撫でても良かったが、その前に話をしなければならない。エンジュちゃんが手に抱えている薬草。もう採りに行ってはダメだと言ったそれ。

採ってしまったらしい。山に入ったことになる。どうしよう。怒るか。

 

「それは?」

 

「あ……」

 

尋ねれば、エンジュちゃんは持っていたものを後ろ手に隠した。どうやら俺の考えが多少は伝わったらしい。顔に出たか、雰囲気に出たか。どちらにせよ、怒られることを恐れている。悪いことをしたと言う自覚はあるようだ。

しかし、ここまで来て往生際が悪いのはいただけない。意思を込め、じっとエンジュちゃんを見つめていたら、おずおずと薬草を胸の前に出した。

 

「これ……」

 

「うん」

 

「あの……」

 

「うん」

 

相槌を打ちながら考える。怒るのは苦手だ。と言うか、説教が苦手だ。どの面下げてと言う気持ちとどんな資格があってと言う気持ちがある。自分が大した人間じゃないのはとっくに知っている。

 

兄妹の関係ならともかく、何の関係もない他所様の子に説教するのは正直気乗りしない。いつだか川から追い散らしたように実力行使染みたことを出来るならまだその方がいい。

 

そう思いつつもゲンさんに大見え切った手前やらなければならないが、実際にやるとなると難しい。やりすぎると委縮させるし、足りなければ効果がない。前回のやり方では効果がなかったようだ。となれば少し強めにした方がいいが、さすがに怒気を出すのはやりすぎだろう。淡々と注意する程度で留めようか。

 

「また山に入ったの?」

 

「……」

 

「入った?」

 

無言でこくりと頷くエンジュちゃん。

 

「入ったらダメって言ったと思うけど、どうして入ったの?」

 

「……」

 

俯いて黙ってしまうエンジュちゃんは肩が震えている。

もう泣いてしまった。やりすぎたか。どうしよう。

 

仕方なく、エンジュちゃんの頭に手を置いた。泣き止ませることを優先する。

 

「ごめんね。怒ってるわけじゃないんだ。泣かないで」

 

そう言ってはみたものの、ひっくひっくと嗚咽が聞こえて来た。

いよいよ全身が震えて、本格的に泣き出しそうだ。これは困った。アキを相手に培ったノウハウはまるで役に立たない。

アキは小さいころからそれほど泣かなかった。泣いたとしても笑いかければすぐ笑顔になった。次の日には泣いたことなどすっかり忘れていたと思う。

 

その点、エンジュちゃんは正反対だ。この様子だといつまでも引き摺りかねない。

こう言う子の場合はどうすればいいのか。

 

正解は思いつかず、考えあぐねて、頭を悩まし、思い詰めた結果、俺はエンジュちゃんを抱きしめていた。

抱きしめて、背中を撫でる。大丈夫大丈夫と耳元で囁いた。

 

そうすると、エンジュちゃんはすっかり泣き止んだ。震えも止まり、嗚咽も聞こえない。と言うか、動かない。呼吸すら止まっているようだ。

 

効果はあった。泣き止んでくれたならそれに越したことはない。

しばらくそうして、エンジュちゃんが落ち着いたのを見計らって離れる。「ぁ……」とか細い声が聞こえた。

 

「山に入ったの?」

 

「……はい」

 

俯きがちではあったけど、エンジュちゃんはきちんと俺の方を見て頷いた。

微かに涙で濡れた頬は少しだけ赤く目も腫れぼったい。子供の泣き顔は見ていて楽しいものじゃない。子供には笑っていてほしい。

 

眦に光っていた涙を指で拭いながら、もう一度注意する。

 

「獣に襲われて怪我でもしたら大変だから、もうしないように。わかった?」

 

エンジュちゃんはこくりと頷いた。うるんだ瞳が俺を捉えている。きちんと理解してくれている。

それが分かって頭を撫でた。根元から毛先までなぞるように優しく。

 

その間、エンジュちゃんはされるがままになっている。

身体の都合であまり長いこと撫でることは出来ず、手を退けた時には、露骨にもっと撫でてほしいと言う顔をした。

 

予想通りの反応に思わず微笑む。エンジュちゃんは恥ずかしそうに顔を伏せる。顔がどんどん赤くなる。

 

「あの……」

 

「なに?」

 

「アキ……ちゃんは……?」

 

アキの名前を知っていることにまず驚いた。あのアキのことをちゃん付けで呼んだことに一層驚いた。

 

多分、アキとエンジュちゃんは会話したことがほとんどない。ましてや自己紹介などしていようはずもない。エンジュちゃんはどうだか知らないが、アキはそこまで礼儀正しくはない。教育に失敗したとつくづく思う。

 

「今はいない。お遣いに出てる。でもすぐに帰って来るよ」

 

エンジュちゃんは頷いた。眉を顰めて少し考えている。

 

「何でも言ってください。何でもしますから」

 

突然そんなことを言われて困ってしまう。本人としては大真面目なのだろうが、言葉のニュアンスと言うか込められている意思みたいなものが随分と重い。やってほしいことも別にない。

 

苦笑を浮かべてどうしようか考えていると、何を思ったか、エンジュちゃんは顔を一層赤く染めて走り去ってしまった。

 

その背中を見送る。恥ずかしがりやな子だ。あの反応を見る限り多分人見知りだと思うけど、勇気を出して接してきている。無碍には出来ない。とはいえ困った。近所のお兄ちゃんぐらいでどうにか収まらないだろうか。

 

まあ、子供はえてして飽きっぽい。難しく考える必要はないだろう。

それにしてもアキちゃんと言うのは良い響きだった。アキと同世代の子供の口から聞けたのが特に良い。心の底から思うが、友達になってほしい。

 

ちゃん付けで呼び合う二人を想像する。エンジュちゃんが「アキちゃん」と呼ぶのに違和感はない。しかしアキが「エンジュちゃん」と呼ぶのは違和感しかない。

アキはそうは呼ばないだろう。恐らく呼び捨てにする。もしくは名前を呼ばず「お前」と呼ぶ。

 

どちらがより実物に近いかと言うと恐らく後者だ。しっくりくる。となれば、やはり育て方を間違えている。

甘やかすのもいい加減にしないといけない。最低限の礼儀作法ぐらいは学ばせる必要がある。世の中、無礼を笑って許せる人ばかりではない。言葉一つで争いに発展することだってあるだろう。下手をすればそのまま殺し合いになるかもしれない。

今はまだ子供だから見逃されている点が多いのだろうが、アキがこのまま大人になったらと思うとぞっとする。

 

兄離れもかねて教育の必要がある。俺自身も優しい兄から厳しい兄に変わらなければならない。

母上や父上とも協力して、アキを立派な人間に育てなければ。

 

そう考えてみると、まだまだ生きる理由はある。死にたいと言う気持ちが消えるわけではないが、理由があるなら生きることも出来る。この身体と戦いながら、もう少しだけ生きなければならない。中々辛そうだが、耐えられないわけでもない。そう思った。




レン君の性格を思い出すために最初は地の文多めです。

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