女が強い世界で剣聖の息子   作:紺南

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第54話

瞳から光が失われるのに合わせ、アザミの身体から力が抜ける。アキがそうするまでもなく、ずるりと刀が抜けていった。

横に倒れたアザミに生気はない。青白い肌と変色した唇。薄く開かれた目は瞳孔が開き、何も捉えてはいない。

 

己の勝利を確認したアキは膝をついた。どっと疲労感が押し寄せている。絶え間なく頭痛に襲われ、立つこともままならない。

このまま仰向けに寝っ転がりたかった。身体が休息を求めている。目を閉じればそのまま闇の中に引き摺り込まれそうな気がする。

けれども立たなくてはならない。まだ戦いは終わっていない。まだまだ敵はたくさんいる。全て殺さなくては。

 

白の上に赤く装飾された刀を杖代わりに、無理やり立ち上がったアキは、敵を求めて周囲を見回した。

 

いつの間にか注目が集まっている。皆がアキを見ていた。死んだアザミと立ち上がったアキを見比べて沈黙が流れている。

アキは朦朧とする意識でそれを見返す。とりあえずは手近な奴から殺そうと一歩踏み出せば、後退りされる。

 

遠ざかられるのは面倒だ。追いかける手間が増える。

アキは舌打ちし、苛立ち任せに刀を振り払う。血が飛び散って点々と地面に跡を残す。ひっと息をのむ音がして、悲鳴が上がった。

 

突然上がった悲鳴にアキは困惑する。理由が分からなかった。呆気にとられ、逃げ去る背中を見送ってしまう。

端的に言えばアザミが死んだことへの悲鳴だ。化け物(アザミ)が死んだ。化け物(アキ)によって。そう言うことだった。

 

元よりアザミは支柱であった。烏合の衆に過ぎなかった護衛たちが、曲がりなりにも纏まっていたのはアザミの存在が大きい。

戦いが始まった後も、数に劣り劣勢だった和達をたった一人で優勢にまで持っていった。

護衛たちの中でアザミは恐れられていたし頼られてもいた。アザミがいれば大丈夫だと楽観視する者すらいた。

そのアザミが死んだのだ。誰しも命は惜しい。金で繋がっていただけの薄い関係に、これ以上の献身は望むべくもない。

 

護衛たちは瓦解し、敗走を始めた。

逃げていく護衛たちを見て、自警団は歓声を上げ勝利に吠えた。

長く苦しかった戦いがようやく終わった。自分たちの勝利で。

 

皆が勝利の美酒を噛みしめる中、アキは一人だけその場に倒れた。

どうしようもないほど頭が痛かった。目をつむれば、瞼の裏に走馬灯のよう記憶が流れていく。

引き摺り込まれる感覚があった。抵抗など出来ようはずもない。恐怖を感じる暇もなく、暗闇の中に落ちていった。

 

 

 

 

 

――――人を殺す夢を見た。

 

たくさんの人間を手にかける夢。

夢の中でアキは手始めに女を殺した。次に男を殺し、子供を殺し、老人を殺した。

家に火をつけ、家族もろとも焼き殺し、穴に突き落とし生き埋めにもした。拷問をしたし虐殺もした。何も知らない人間を、血が繋がっていると言う理由だけで、あるいは理由すらあやふやなままで、殺して、殺して、殺した。

 

人の業だった。人間と言うのはこんなにも醜い。欲深で汚れきっている。きっと、生まれた瞬間からそうなのだろう。生きるとは罪を背負うことなのかもしれない。だとするなら人は皆咎人だ。自分も例外ではない。

 

聞くに堪えない咎人の断末魔を聞いて、不意にアキは目を覚ます。

色の抜け落ちた景色の中で、見知った顔がアキを見下ろしていた。

 

「お、起きた……?」

 

「……」

 

「起きた! 起きたぞ! 起きた!」

 

すぐ真上で喚き散らかされ、アキはうるさいと顔をしかめる。

その顔はやけに嬉しそうで、やけに馴れ馴れしい。身体のあちこちをべたべたと触れてくるのが不快だった。

 

不快ではあるけれど、知っている顔な気がする。誰だっけと記憶を探った。早々思い出すことは出来ない。手がかりは記憶の奥深くに埋もれている。

 

「大丈夫か? 大丈夫だよな? 大丈夫って言え!」

 

「うるさい」

 

「大丈夫っぽい!」

 

いよいよ嫌気がさして上体を起こす。妙に顔が近いので乱暴に押しのけた。

顔を掴まれながら「無理すんな」とそいつは言っている。「うるさい」とアキは繰り返す。

 

頭痛が酷く倦怠感が抜けない。頭の中がグルグル回っている。気を抜いたら嘔吐しかねない。

アキは疲労感からくる溜息を吐いて周囲を見回した。すぐ近くに見上げるような塀がある。どこだここ、と一瞬思い、その形に見覚えがあって思い出した。これは和達の屋敷だ。

 

と言うことは、ここはアキ達がアザミや和達の護衛たちと戦っていた場所と言うことになる。

上を見上げれば、空は微かに色が変わっているだけで、時間はそう経っていないようだった。

 

何となしに塀を見ていると、すぐ隣に人の気配があることに気づいた。

視線を下げれば、ゲンと鬼灯(ほおずき)が寝かされている。二人とも胸が上下しているから生きているらしい。

 

「……生きてたか」

 

ぼそっと呟いたアキの言葉に、うるさい奴が反応する。その顔を見て唐突に思い出した。確か杏とか言う名前だったはず。

そう言えばこんな奴もいたなあ、とぼんやり思う。一人だけ腰を抜かせて怯えていたのをよく覚えている。

 

「姐さんとおっさんは生きてるよ……よかった……」

 

杏が涙ぐみながら答えた。

この二人は生きているが、他に大勢が死んでしまった。それらは全て杏の顔馴染みで、その悲しみが押し寄せている。

 

寝かされている二人の近くには矢筒が四つ置いてあり、杏はゲンの言いつけ通り持てるだけ持って来ていた。本当に持てる限界まで抱えたせいで、移動に遅れが生じて戦いに間に合わなかったのだが、結果的にゲンが無事であるから、致し方ないで済ますことが出来る。

 

この二人が生きていようが死んでいようがどうでもよかったアキは、「あっそ」と素っ気なく相槌を打つ。

次いで、土の固い感触を確かめ憎々しく杏を睨んだ。

 

「……え、なに?」

 

「なんで、私はまだこんなところに寝かされてる?」

 

さっさと自警団の屋敷なりに運べと、未だに痛む頭に顔をしかめながら文句を言う。

当然と言えば当然である。この戦いにおいて、アキはアザミを討ち取った功労者なのだから、相応の扱いを求めるのは何もおかしいことではない。自力で動けない奴をいつまでも地べたに寝かせておくな、と言うのは至極当然の指摘である。

 

「悪い……早く運ぼうと思ったんだけど、みんなあっちに行っちまったから」

 

「あっち?」

 

杏の視線を追いかけて、首を巡らす。

そこには和達の屋敷がある。固く閉じられていた門は無残に破壊され、耳を澄ますまでもなく人の怒号が聞こえて来る。

 

「今、和達の当主を探してる」

 

勝利に吠えていたあの瞬間から、本当にあまり時間は過ぎていなかったらしい。

アキは沈みかけている太陽に目を向けて屋敷に視線を戻す。

丁度、和達の当主が引き摺り出されたところだった。

 

「いやあぁぁぁっ!!」

 

甲高い叫び声に目を瞑る。うるさいと思った。これだけ離れていてこの声量は流石と言うべきか。相変わらずうるさい。

 

やれやれと言う心境でアキは当主を見た。

殴られたのだろう。髪は乱れ、口の端から血を流している。頬には青あざがあった。

 

何十人と言う自警団員に力づくで外に出された当主は、広い場所に出た途端暴行を受けている。

溜まりに溜まった恨みを晴らすように、団員たちは思い思いに殴る蹴るなどの暴行を加えていた。

 

殴打されて血しぶきが飛ぶ。折れた歯が宙を舞う。ぶちぶちと髪を引っ張られて激痛に咽び泣く。

 

私刑である。止める者はいなかった。その場の全員が囃し立てている。狂気が蔓延していた。

 

「助けてええぇぇぇ!!!」

 

当主は助けを求めて這いずった。

その無様な様子に団員たちは下卑た笑いを浮かべ、逃げられないよう足を踏み潰す。声にならない悲鳴が響き渡る。

 

アキは冷めた目でその様子を見ていた。何をやっているのかと半ば呆れていた。何の意味があってその人を痛ぶっているのか、まるで意味がわからない。

 

(つむぎ)(こずえ)! 逃げなさい! 逃げて、幸せになるのよぉっ!!」

 

暴行の最中、当主が不意に天に叫ぶ。

息も絶え絶えで喉を枯らしながら叫んだそれは、子供たちの名前だった。子は戦いが始まる直前に身内の元に逃がしている。

自らの死期を悟った当主は最後の力を振り絞り、この場にいない我が子たちの安否を案じ、幸福を叫んだ。

それを最後に当主は悲鳴を上げなくなる。時折苦悶に耐える声がし、殴打する音が掻き消してしまった。

 

誰がどう見てもやり過ぎだと思うその惨状を、自警団は喜々として行っていた。戦場の狂気が人を染めたのだろうか。

あまりの痛々しさにアキは視線を逸らした。逸らした先に真っ青に血の気の引いた顔の杏がいる。わなわなと震える口で何か呟いていた。

 

「な、なんで……」

 

「……」

 

「なんで……あんな……」

 

杏にとっても信じられない光景だった。

先輩や上司にあたる団員たちが、あんなことをしているのが信じられないと言う。しかし現にやっているのだから、現実を受け止める他はない。

 

アキは天を仰ぐ。

恐らく、当主は体中の骨が折れ、その何本かが内臓に突き刺さっている。血の泡ぶくを吐いて激痛に苛まれているだろう。運が良ければ気絶している。そうでなければもう目も当てられない。

 

アキにはなぜかそれが分かった。分かっていてなお、止めようとは思わなかった。

自分でも驚くほど無感情だった。どうでもいいと思った。早く家に帰りたいとそればかりを思い続けて、時が過ぎるのをただ待っていた。

 

 

 

 

 

和達当主の殺害後、自警団は速やかに和達の所有する蔵や食糧庫を襲撃し、そこに存在した全ての食糧を強奪した。

団員たちが意気揚々と帰還した頃には日はすっかり暮れていた。

数多くの犠牲を払いながらも生き残った団員たちは英雄と持て囃され、興奮冷めやらぬ様相で次なる獲物を探す。

無事な者は日が明け次第行動に移るつもりでいる。止める者はいない。仮に止められたとしても止まらないだろう。もはや統率などあってないようなものだった。

 

これほど大規模な抗争は自警団にとって初めてのことであり、昂った気持ちを持て余す者が大勢いた。団員たちはそれぞれの方法で夜を過ごすことになる。

 

アキは自警団の屋敷で空を見上げていた。縁側に片膝立てて座り、静かな時間を過ごしている。

傍らには刀がある。今は鞘に収められているそれも、アキがその気になれば刃が抜かれ、色までもが変わってしまう。

いつでも手に取れるように置いてあるのは、警戒していると言うわけではなく、手元に置いておかないと気が休まらないからだった。

 

あまりに静かなので時が止まったかと思うほどの静寂の中、アキは目を瞑り記憶に浸っていた。邪魔が入らないよう周囲の気配を探っていたが、この屋敷には今ほとんど人がいない。

 

揃ってどこかに行ってしまった。アキも誘われたが行かなかった。答えることすらしなかった。興味がなかった。投げかけられた言葉にも、投げかけてきたその人間自体にも。

 

屋敷に残っているのはほとんどが怪我人と病人。数としては怪我人の方が多い。病人も介護が必要なほどの重病人はいない。そんなものはとっくに死んでいる。

 

しかし歩き回る病人と言うのは中々厄介なもので、アキは近寄って来る病人の気配を感じて渋面を作った。

 

「こんばんは。月が綺麗ね、アキちゃん」

 

やって来たのはカオリだった。

その顔を見て、来てしまったかとアキは大きな溜息を吐く。記憶に浸るのは後回しだ。

 

「……」

 

「そんなに嫌そうな顔をしないで。少しお話しましょうよ」

 

仮にここで嫌だと言っても意味などないことをアキは知っている。

かと言って受け入れるのは生理的に不可能だった。気持ち悪くて気味が悪い。以前から抱いているこの気持ちも今や二倍になっている。到底受け入れ難い。

 

「……」

 

「……」

 

縁側に並んで座った二人の間に沈黙が流れる。

アキにとっては居心地の悪い空気だったが、カオリにとってはそうではない。逆にこの空気を楽しんでいる。ずっと続けばいいのにな、と思うほどに楽しんでいた。

 

カオリは思う存分にこの空気を堪能し、アキの嫌がる姿を噛みしめた後に口火を切る。まずは雑談から。どうでもいい話題から。

 

「みんな行ってしまったけど、アキちゃんは行かないの?」

 

「どこに」

 

「花街」

 

その単語を聞いた途端、頭痛が酷くなる。初めて聞く単語のはずだが、どこかで聞いたことがある気がして、「花街?」とおうむ返しに聞き返す。

 

どういう意味だったろうか。頭痛を感じながら記憶を掘り返してみるも、中々思い出すには至らず、それよりも前にカオリが口を開いた。

 

「もしかして、知らない? 花街」

 

なんだか小馬鹿にされている気がして、アキは顔をしかめる。

 

「花街って言うのは、お花屋さんがたくさんある場所のことだけど。知らないなら、まあ知らない方が良いかもしれないわね」

 

「……花屋?」

 

聞き覚えのある単語に反応する。

花街のことは一旦隅に置き記憶を探る。こちらの方は容易に思い出せた。確か、父上が昔花屋だったらしい。そういう話を聞いたことがある。

 

「花が売ってる?」

 

「そうね。たくさん売っているらしいわね。綺麗なお花が」

 

ふうんとアキは相槌を打つ。

花など普段野原に咲いている物で見慣れきっているが、それとはまた別なのだろうか。そう思うと少し興味が湧いた。

 

アキの興味が惹かれたことを察し、カオリは短く息を吐いた。

僅かな逡巡。好奇心と理性がせめぎ合い、打ち勝った理性が「今日のことだけど」と話題を変えさせる。

 

「アキちゃんは、どうだった?」

 

「なにが」

 

「怪我はない?」

 

「ない」

 

アキは間髪入れずに断言する。

もちろんそんなはずはなく、小さな傷なら数え切れぬほど負っており、それはカオリも知っている。知っている上で乗ってあげる。

 

「良かったわ」

 

「なにが」

 

「怪我がなくて」

 

「……」

 

嘘を真に受けられ、アキは何だか悪いことをした気分になる。ばつが悪くて視線をそらした。

 

「和達の当主様の最後は見たのよね」

 

「見た」

 

「かわいそうなことだわ。あんな死に方をするなんて」

 

カオリ自身は現場におらず、私刑なんて聞いてもいなかった。終わったあとに聞かされたわけだが、それにしたって白々しい言葉である。

当主の私刑は他ならぬ自警団がやったことで、カオリはその一員だ。それはお前が言っていい言葉なのかとアキは眉を顰める。

 

胡乱気なアキの視線を受け、カオリはにっこりと笑う。

 

「ええ。報いは受けなくてはね」

 

意味が分からなかったが、アキはそこを追及する気はなかった。勝手にしてろと言う気持ちしかない。

「それでね」とカオリが言葉を続ける。

 

「アキちゃんには出来るだけ早くここを発ってほしい。邪魔なの」

 

突然の辛辣な言葉に鼻白む。邪魔者扱いは心外だった。

お前たちが手も足も出なかったあの女を殺したのは、一体誰だと思っているのかとアキの心に怒りが湧き、次の瞬間には冷静になる。何かがアキの気持ちを鎮めた。

 

「あの男の人はまだ寝ているけど、死ぬほどの怪我ではないから、目が覚め次第出て行ってもらう。文句ぐらいなら聞くけど、決定が覆ることはない。ごめんなさいね」

 

「わかった」

 

考えるよりも先にアキの口は動いていた。

文句どころか怒鳴りたいぐらいの気持ちではあったが、なぜだかそれを言う気になれない。言っても無駄だと分かっていた。

 

「……」

 

「なに」

 

カオリにじっと見つめられ、アキが理由を問うた。カオリは首を振る。

 

「いえ……少し、アキちゃんが賢くなった気がして。……戦いは人を成長させるのね」

 

カオリにとって、アキのその反応は予想外だった。良い意味でも悪い意味でも子供なアキのことだから、間違いなく怒りを露わにすると思っていた。

 

いつの間にかアキは成長していた。しかしその理由は昼間の殺し合いである。

それを思うとどことなく寂しく、それでいて悲しかった。

 

アキはカオリの哀れみの籠った視線に嫌悪感を示し、「お前には関係ない」と素っ気なく言い返した。

「そうね」と同意してカオリは立ち上がる。

 

どうやら話は終わったらしい。要は早く出ていけと言いたかっただけだ。勝手なことだとアキは憤懣やるかたない思いに囚われて、やはりすぐに感情は落ち着く。どうでもいいやと投げやりな気持ちになった。それはそれとして聞かなくてはいけないことを思い出し、去ろうとしているカオリに尋ねた。

 

「食糧は?」

 

カオリが振り向き、笑顔を作る。

 

「もちろん、用意するわ」

 

「どれぐらい?」

 

「米俵半分」

 

アキは遠くを見やる。それはいつかどこかで聞いた言葉だった。

それ見たことかと言う声が心中に湧き、うるさいと抑え込む。ぎゅっと胸を抑えて尋ねた。

 

「それは、大盤振る舞いで?」

 

「ええ。大盤振る舞いで」

 

「……あっそ」

 

結局、あの戦いに何の意味があったのだろう。

アキは人を殺し、ゲンは怪我を負った。それだけの苦労と数日の時間を消費した結果、得られる食糧がそれだけだった。

この街に来た初日にアザミの誘いに乗っていれば、今頃はとっくに帰路についている。誰も傷つかず、誰も傷つけず、同じだけの食糧は手に入っていたはずだ。

 

文句を言おうかとアキは思い、言ったところで無駄だと言う心の声に口をつぐむ。和達に蓄えられていた食糧の総数と自警団員たちの数、並びに協力者たち。

それらに分配されることを考え、それでもなおこれ以上を欲するなら、更なる出血を覚悟しなければならない。しかし、アキにはそんなつもりは毛頭ない。

ならば話はこれで終わりである。アキは判断を誤った。無駄なことした。この数日に意味などなかった。

 

アキは溜息を吐く。

鈍い頭痛が続いている。アザミに勝ってからこっち、止むことのない頭痛だが、初めに比べれば弱くなっている。とはいえ、どうにも収まる気配がない。

 

落ち込んだアキを見て、カオリが興味深そうな顔をしている。好奇心がウズウズしている顔だ。またもや理性と好奇心がせめぎ合い、今度は好奇心が勝利した。

 

「一つ聞かせてほしいのだけど」

 

カオリは笑顔で口を開く。意地悪な笑顔。何も遠慮することはない。どうせもうじき死ぬのだから。

 

「アキちゃんはどうしてそんなに食糧が欲しかったの?」

 

「兄上が――――」

 

言いかけた言葉を咄嗟に飲み込む。

すっかり油断していた。カオリにレンのことを話してはならない。話したが最後、この女はレンの所に飛んでいくかもしれない。そんな危機感がアキの言葉を飲み込ませた。

 

カオリは笑みを深める。

アキの危機感はもちろんのこと、そもそもレンの身に何かあったことも察している。

しかし今更それを聞き出すことに意味はない。けれども言いたいことはある。大人としてではなく個人として、カオリはアキに言いたかった。

 

アキの隣に腰かけたカオリは、肩が触れるか触れないかの位置で囁くように話しかける。本当は抱き着くぐらいはしたかったが、あまり近づくと刀を抜かれそうだったから、ギリギリの位置を見極めた。

 

「ねえ、アキちゃん。お兄ちゃんのことは好き?」

 

何のことはない問かけだった。

カオリにとっては、アキの気持ちを探るための手始めに過ぎなかった。

 

しかし、アキはその単語に過敏に反応した。

思い出すのは村を発つ直前、「愛してる」と言われたこと。色々なことが薄くなった今でも、それだけは鮮明に覚えている。その時に抱いた気持ちがありありと蘇った。

 

アキは頬を赤く染め、気持ちは否応なく高揚する。

勝手に緩んでしまう口元を見られたくなくて手で口を覆う。

果てには、頬だけでなく耳や首筋まで赤く染まったアキを見て、カオリは微笑みを浮かべた。嫉妬や羨望の混じった薄暗い笑みだった。

 

「欲しいものがあるなら、力づくで手に入れなさい」

 

重い感情の籠った言葉がアキの心に突き刺さる。

まさしく今日、力づくで欲しいものを手に入れたばかりだった。邪魔する者は殺して手に入れた。それが苦労に見合ったとはお世辞にも言えないが、全ては兄のためだった。

 

「どんなものだろうと。どこの誰であろうと。じゃないと奪われてしまうから」

 

奪うと言う言葉に反応する。

目で刀を探す。太もものすぐ近くにあったそれは、奪うための道具だった。

 

「不思議なことにね。弱い人が一生懸命頑張って奪ったとしても、すぐに取り返される。そして罰せられる。でも、強い人は奪い放題なの。罰せられることはないし、取り返されることもない。だから、アキちゃんも強くなって奪っちゃえばいい。例え兄妹だとしても、誰も咎める人なんていないから」

 

カオリは囁く。

薄暗い感情を、間もなく死ぬことを免罪符に。

 

「私みたいに、ただ奪われるだけの人生は嫌でしょう?」

 

アキは身じろぎ一つせずに聞いていた。

カオリは何の反応も示さないアキに薄っすら微笑んでその場を去る。

 

カオリがいなくなった後、アキは一人考えていた。

奪うとはどういうことだろう? 兄を連れてどこかに逃げればいいのだろうか。誰も自分たちを知らない場所に、決して見つからない土地へと向けて。

 

二人っきりで新天地を目指す逃避行。その妄想は実に甘美で、かぐわしい香りを放っていた。

しかし、それ以上にアキの心を惹いて止まない妄想がある。自らの唇に指を這わせたアキは、恥ずかしさのあまり両膝を抱えて顔を埋める。そのままごろりと横に転がった。

 

「……口づけ」

 

その言葉をアキは誰かから教えてもらったことはない。けれど知っている。知るはずのないことを知っている。

身に覚えのない記憶がアキの中にある。アザミを殺した後から、アキの中には記憶があふれ出した。

普通なら混乱するだろう。他人の人生を追体験しているようなもので、自我を失ってもおかしくはない。実際、今もあやふやではある。

 

少なからず精神に異常をきたしている自覚はある。自分が自分でなくなる感覚がする。

けれどアキは慌てない。すでに受け入れている。自分が何者かなんて、彼女にとってはどうでもいいことだった。それよりも、この記憶から得られる知識の方が重要だった。

 

記憶の中の映像に浸り、自らのことのように恥ずかしがり、顔を真っ赤に染める。

夫婦とはそう言うことをするのかと唇に指を這わせ、子供ってそういう風に作るんだと、下腹部に手を置いた。

 

身悶えし、兄の名前を盛んに呼ぶ。

記憶の再生が終わった後、アキは仰向けに寝転がっており、全身汗だくで息を荒げている。

 

「ふふ、ふふふ……」

 

笑いが止まらない。欲しいものを手に入れる方法を知ってしまった。それも、こんなにも気持ちのいい方法を。

 

「あにうえ……」

 

子供特有の舌っ足らずな口調に女の痺れる様な甘ったるさが加わって、蠱惑的な声となっている。

 

「あにうえぇ……」

 

身体の疼きが止まらない。

これを治める方法を知っているけど、そんなことでこの身体は治まらないことも知っていた。

手に入れるしかない。欲して止まない。ずっと望んでいた。誰も教えてくれなかった。意地悪だと思う。みんな知っていたはずだ。弄んでいたのか。ずるい。ずるい。次は私が弄ぶ。許してあげない。満足するまで。

 

「いいですよね、兄上」

 

ここにいないその人に向けて。

 

「仕方ないですよね」

 

誰に向けるでもない言い訳を連ねて。

 

「兄上は私の物です」

 

宣言する。

 

「愛してます。兄上」

 

だって愛してるから。愛してると言ってくれたから。

だから奪う。邪魔する者は全て殺して奪いつくす。

 

そのために記憶に浸る。

学ぶことはたくさんある。全て学ぼう。きっと役に立つから。

その時を心待ちにして、アキは目を閉じる。




ひと区切り。
賛否両論ありましたが、おおよそ書きたいことが書けて満足です。
自警団の末路まで書けなかったのが心残りですが、まあその内明らかになるでしょう。

次話からは主人公レン君の視点に戻ります。アキちゃんが無事成長した裏でレン君の身に何があったのかを書いていきます。

それでは、久しぶりのQ&Aです。

Q.小説家になろうの方更新止まってるけど投稿しないの?
A.区切りのいい所まで書けたのでこれから投稿します

Q.アザミ(大剣)と先代剣聖どっちが強いの?
A.本気になったらたぶんアザミ(大剣)の方が強いと思います。
 全盛期なら先代剣聖の方が間違いなく強いです。元々居合の達人だったので、目に留まらない速度で三の太刀が飛んできます。近寄ろうが何しよう勝てません。ねじ伏せられます。


以上です。

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