女が強い世界で剣聖の息子   作:紺南

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第52話

――――こりゃ撒けないな。

 

背後に捉える三つの気配。そのあまりのしつこさに辟易とし、溜息を吐きつつアザミは結論付ける。

それは自分の行いが間違いであると認めることに相違ない。(あやま)ちを過ちだと認めるには多少の胆力と僅かな勇気が必要だったが、よくあることだと自分を慰める。

さて、何が過ちだったろうかと失敗に終わった策と共に振り返ってみる。

 

人通りの多い大通りを避け、このような入り組んだ路地裏に逃げ込んだのは様々な理由があるが、一番期待したのは追っ手を躱すことである。

物陰に潜むなりして身を隠せば、アキ達の背後を取るのは容易だと考えた。あとは煮るなり焼くなり自由自在。不意を衝いて一人片づければそれで終わり。恐らくは最後尾にいるであろうおっさんになるかな、と皮算用などしていたが、結果としては安直な発想で終わってしまった。

しかし、気配を読めると言うアドバンテージを考えれば悪くない策だったはずである。

 

アキに受けた傷もすでに血は止まっており、それを利用して血痕を偽装し、追っ手の目を欺く小細工まで講じた。

それに引っかかることなく、あまつさえ悩む素振りすらなく真っ直ぐに追ってくるのだから、どうやら自分と同じように気配が読めるようだと思い至った。思えば、いつかアキに選択肢を与えた時、アキは宵闇の中にいながら、気配を消したアザミ(じぶん)の存在に気が付いていた。今の今まで気に留めることなく忘れていたのは、アキの実力を把握し、取るに足らぬと判断していたからに他ならない。その判断自体が間違っているなどとは思わないが、慢心が油断を生み今の状況に至らせた。

 

自嘲せざるを得ない。苦笑が浮かぶ。

最初からこの鬼ごっこに意味などなかった。撒くことは出来ず、不意打ちも難しく、三人は固まって行動している。そしてこの狭い道は戦うのに適しているとは言い難い。

 

やることなすこと裏目に出ている気がした。こんなことなら最初から真っ直ぐ屋敷に戻っておけばよかった。

今更嘆いても仕方ないことではある。後悔が先に立つはずもないが、あれやこれやと考えるのは止められない。

やっぱりジンクスか。頭で考えるより動けと言うことか。

 

仕方ねえな、ともう一度嘆息して気持ちを切り替える。

あの三人を連れて屋敷に戻るのは気が進まない。特段理由などない。気分の問題だ。だが今となっては他に手立てもない。

仲間と合流させることになるが、それはこちらとて同じ。別に向こうばかりに利することではない。むしろ自分の方が有利になっておかしくはない。

 

さてさて。吉と出るか凶と出るか。あるいは鬼が出るか蛇が出るか。もしや化け物が出ると言うこともあるかもしれない。

 

アザミは再び走り出す。

まさか本当に化け物は出てこないよな、と自分の想像に不安を覚えながら。

 

 

 

 

 

アザミが大通りに出たのにわずかに遅れ、追っていた三人もまた大通りに出た。

その際、闇から光に出たように感じたのは、何も路地裏の薄暗さだけが理由ではなかった。いつどこから襲撃を受けるか分からないと言う状況は想像以上に精神を摩耗させる。正直な所助かったと言うのが鬼灯(ほおずき)とゲンの本音だった。

 

しかし、それは同時にアザミが屋敷に戻ることを選んだのを意味する。

となれば仲間と合流されるのは必至。その前にもう一度叩いておきたいところだったが、三人足並みを揃えてと言うことを踏まえると中々そうもいかない。

 

このままでは追いつく前に合流される公算が高い。

仕方がないと割り切るより他にないが、悔しさは募る。

 

人の気配がまばらな大通りを進む内、三人の耳に喧騒が届き始めた。

それは何も知らない者からすれば祭りのように聞こえたかもしれない。だが、実際は和達の屋敷に攻めかかる自警団と、頑強に抵抗する護衛達の抗争の音だった。

 

人の怒声や断末魔と思しき叫び声。金属がぶつかり合う音に何かが壊れる音。

派手にやっている。その音のけたたましさだけ互いに必死なのだ。命など惜しまず戦っている。

自警団の一員として、誇らしさと一抹の不安が鬼灯の胸を貫いた。意味のないことだと言ったカオリの言葉が脳裏によぎる。

 

その音を辿りながら角を曲がれば、ついに屋敷が目に映る。

遠目から見ても大勢が戦っているのが分かる。横たわる者もまた大勢いた。倒れているのは自警団員の方が多いように思える。残念だがその大半は死んでいるだろう。生きていたとしても、五体満足である者がどれほどいるだろうか。

 

鬼灯たちの少し前を走っていたアザミが、それら血に塗れた抗争を目の前にして、おもむろに大剣を天高く担ぎ上げる。

何をする気かと三人が訝しむのも束の間、走ってきた勢いを乗せ、渾身の力で大剣を投げ放った。

 

くるくると回転しながら弧を描き空を舞う巨剣は、その質量に見合わぬ速度と飛距離を行く。先には戦っている最中の自警団員がいた。

屋敷に攻め込む形である。背後から来たアザミには背を向けていて気付かない。対して、迎え撃つ護衛は気が付いた。普通ならありえぬものが飛んでくる。それも異常な速度で。

 

今の今まで繰り広げていた戦いなど投げ捨てる勢いで護衛は逃げ出した。

満面に恐怖を滲ませ、必死な様子で逃げ出す護衛に相対していた団員は戸惑うばかり。その耳に剣が風を切る音が届き、振り向いた所でようやく迫る巨剣に気が付いた。

 

完全に虚を突かれた団員は呆気にとられる。自然、その身体は逃げるよりも盾で防ごうと動いた。それはあるいは大した反射神経だと称賛される行いだったかもしれないが、この場合はそれが生死を決めた。

盾に意味などなく、圧倒的な質量を誇る大剣は嘲笑うように打ち砕き、団員の体は爆ぜるようにバラバラになった。

 

大剣が地を叩いた衝撃はその場の全員に届いた。

何事かとそちらを向けば人の身体がバラバラになっている。いくら戦場とは言えありえない死に方である。

刹那、敵味方関係なく釘付けになり、全ての動きが止まった。

 

時すらも止まったかのような静けさの中、唯一鬼灯が動く。得物を手放し無防備になったアザミを前にして、連携などと言う考えは雲散していた。

千載一遇の好機。必ず仕留めると確固たる決意を槍に込め、アザミの背中に突き立てに行く。

 

そのあまりに無防備な背中。しかも、渾身の力で大剣を投げ放った直後で立ち止まってすらいる。

対して鬼灯の勢いは凄まじい。全速力で駆けていく。

 

必中だと思った。殺せると思った。これまでのアザミの動きは全て鬼灯の目に焼き付いている。躱せるはずがない。

よしんばこの一突きを躱したとして、無防備であることに変わらない。後ろにはアキも控えているのだ。続く連撃で必ず殺せる。

戦場の只中で武器を手放した、無謀にも程がある行い。愚行と断言できる。それが命すら手放すことになるのだと、鬼灯は当然のごとく思う。

 

その一突きに持てる全てをつぎ込んだ。あまりに集中しすぎたためか、鬼灯の中で時の進む速度が緩やかになった。

じれったくなるほど緩慢な世界で、鬼灯はアザミの背中を注視している。

アザミの動き、指一本に至るまで警戒は怠らず、走り出そうとする予兆を捉えた。させじと鬼灯は力を込める。

届くと言う確信。それを裏切り、予想を遥か越え、どんどんと遠ざかるアザミの背中を見せつけられる。

このまま振っても槍は届かないと言う確信に至るまで間もなく、それとほぼ同時に一つの思考に辿りつく。

 

――――重りを身に着けていたのと同じか。

 

瞬時の思考でそれに思い至ったのは、鬼灯の中で体感速度が遅くなっていたおかげだった。

考えるまでもなく当たり前の話である。アザミの巨剣は、人が振り回すことの出来る重さを遥かに超えた重量がある。振り回すどころか、常人では担ぐことすら難しいだろう。

そんなものを持っているのだから、体の動きが制限されるのは当然のことだ。むしろそんなものを背負っておきながら、アキとほとんど変わらぬ速度で走れていたのが異常だった。

 

今や、決して槍の届かない所に行ってしまったアザミの背中を見ながら、鬼灯は無力感を噛みしめる。

穂先が空を切ったのにほとんど間を開けず、アザミは大剣の元に辿り着いていた。恐ろしいほどの脚力だった。この世界でそれに対抗できる者はいないだろう。そう断言できるほどに。

 

地面に突き刺さっていた剣を引き抜き、アザミは周囲を見回す。

自警団が一塊になって呆然と立ち尽くしている場所で視線を止めた。そのまま大剣を掲げる姿は、直前に人を一人爆ぜさせた時と全く同じ。見る者には恐怖しか浮かばない。一度放たれれば、最早止めることは不可能である。

 

「そいつを止めろっ!!」

 

ゲンの叫びの後、誰かが行動を起こす暇は与えられなかった。

投げられた巨剣は人に向かって飛んでいく。弧を描くことすらなく、一直線に最短距離を向かっていく。

 

それを回避するにはすぐさま行動に移るより術はない。呆然とし、恐怖にすくんだ者はバラバラになった。

土煙に血の赤い霧が混じり、その者たちの末路を一旦は覆い隠す。ほどなく、どこからともなく落ちて来た人の上半身に悲鳴が上がった。

 

その間にも、アザミは縦横無尽に駆け回る。

その怪力と巨剣を前に、誰もがなす術なくやられていく。

そもそも、わざわざ剣を投げる必要もなかった。ただ横に振るだけで盾が割れ剣が砕ける。投げたのは見せつける意味合いが強い。あの一投はこの場の全てに恐怖を植え付けた。効果的な示威行動であった。

 

優勢だった自警団は一転劣勢になった。どころか、総崩れとなり半狂乱に陥った。

立て直そうと指揮を執ろうとした者から殺された。アザミはこの場で勝負を決しようとしている。

 

ついには逃げ出す者が出始める。

一度背中を見せた者を、アザミが追うことはなかった。すぐ目の前、斬りかかる直前に背を向けた者ですら、攻撃を中断した。逃げるなら討たないと行動で示すことで、戦いの早期終結を目論んだ。

 

あともう一歩でそうなるだろう。予感に微笑を浮かべていたアザミの元に、小さな影が飛び込んでくる。

 

「お前の相手は――――」

 

吠えながら斬りかかって来る小さな体躯。あまりの小ささに一瞬獣と見間違え、アザミは苦笑で迎えた。

 

「私っ!」

 

「そんな約束したっけか」

 

今にも噛み付いてこんばかりのアキにアザミが軽口を放てば、面白いほど逆上して犬歯をむき出しにした。

たちどころに猛攻が始まり、アザミは受け、隙があれば反撃した。剣戟が繰り広げられる。

 

ほんの一瞬、二人の実力は伯仲したように見えたが、膂力に勝るアザミが有利であることに変わりなく、何合か打ち合っただけで瞬く間にアキは劣勢になった。それを補うために鬼灯がやってきて、当然のように矢も飛んでくる。

 

矢と槍を同時に捌くのは厳しい。避けるしかない。

後方に跳びながらアザミはちぇっと舌打ちする。あと少しでアキを気絶させることが出来た。

 

「まったく面倒くさいなあ……」

 

正面に三人を見据えながら、心の底から思った。

どっか行ってくれないかなあと叶うはずのないことを願う。それを言葉にするほどの余裕がアザミにはあった。

 

「……みんな逃げてるし、お前も逃げていいんだぞ。追わないから」

 

「お前を倒す」

 

アキの答えは単純明快である。ただ、話が通じているかは至極怪しい。

 

「聞いてるか? お前に言ってるんだけど」

 

「倒す」

 

「……少しは聞いてくれない? そこまで馬鹿じゃないだろ?」

 

「は?」

 

アキは肝心な内容には反応せず、罵倒にのみ過敏に反応した。

話が通じないことを察して頭痛を覚えたアザミが反射的に頭を抑えれば、それを隙と見たアキが吶喊(とっかん)する。

 

気付けば自警団も体勢を立て直していた。逃げ出したはずの者たちも大半は戦線に復帰し始めている。一度完全に挫けたはずの士気が、目を離した僅かな隙に復活しているのは理解が難しい。と言うか、ありえない。

頬がひきつるのを自覚した。最早気狂いの域である。一体何が彼らを突き動かしているのかと、アザミは背筋を震わせる。

 

大剣を盾としアキの斬撃をいなすアザミは、周囲の動きを観察しながらどうするべきか思案する。

このままアキを相手取る必要はさして感じない。鬼灯など恐るるに足らないし、矢は面倒だが環境が変わり対処は容易くなった。折角仲間がたくさんいるのだ。これを利用しない手などない。

 

「誰か! そこの弓持ってるおっさん何とかしろ!」

 

戦いの中心にいたアザミの声は周囲の人間に速やかに伝わった。

それで一気にゲンが注目を浴び、次いで刃を携えた護衛たちが殺到し始める。

この場にいる以上は男だろうと容赦されることはない。武器を構えているならなおさらである。

 

殺気立った護衛達の視線をその身に浴び、ゲンは恐怖に身がすくむ。

恐怖に抗い必死に弓矢を引き絞るが、一矢射る間にそれ以上の者たちが襲い掛かって来る。万事休すと歯を食いしばったゲンの前に、間一髪近くにいた団員が割って入った。

 

ゲンのすぐ目の前で戦いが始まった。剣戟と怒声が行き交うそれらを無視し、遠くのアザミを狙い定めるほどの胆力がゲンにはなかった。まずは近くの脅威を排除しようとするのは当たり前の行動である。

 

しかし、矢が来ないとなれば途端にアザミの行動に切れが増す。三人で拮抗していた戦いに二人で対処することを強いられ、結果、形勢は瞬く間に傾いた。

 

「ほいさ」

 

軽い声音と裏腹に、恐ろしいほどの腕力でアキが吹っ飛ばされる。そこからの追撃を阻止しようと、鬼灯が即座に間に入り牽制目的で槍を振るったが、攻め気のなさを見抜かれ、アザミにあっさりと柄を掴まれた。

 

「なっ!?」

 

「ま、こんだけ見慣れればな」

 

驚愕に目を剥く鬼灯を柄ごと引き寄せ、無防備なその額に自らの額を打ち付けた。その一回で気絶した鬼灯は身体から力が抜け槍を手放したが、念のためにともう一度その服を掴み寄せ、同じように額を打ち付ける。

 

ピクリとも動かなくなったことを確認し、鬼灯を放り捨てたアザミは、吹っ飛ばされた後、勢いを殺せぬままゴロゴロと転がり、ようやく立ち上がろうとしているアキを見据えた。

 

「さてと」

 

アザミは呟いた。やっとのことで一対一である。

ここまでが長かった。判断を(あやま)ち続けて時間がかかってしまった。

けれど、ここまで来たのならもうどうしようもないだろう。この戦いだけではなく、全体の形勢もアザミ(じぶん)の加勢でほぼ決しているように思う。ここから起死回生の手立てなどあろうはずもない。

そう思いながらアキを見ると、光の失っていない瞳で見返される。まだ諦めていないらしい。

 

油断は禁物。

そう自分に言い聞かせ、アザミはアキの元へと歩き始めた。


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