「馬鹿は病気にならんと言うが本当らしいな」
ゲンの言葉である。
辛辣な言葉だが諫める者はいない。「さもありなん」と頷く者すらいた。
昨晩のこと。自警団の屋敷に絶叫が響き渡った。すわ襲撃かとほぼ全員が起き出し、声の元に駆け付けた。
そこにいたのは酷く取り乱した
這う這うと皆の元に逃げ込んだ鬼灯が震える指でアキを指し示す。
暗闇の中、ぽたぽたと滴を落としながら無表情に立ち尽くすアキ。それを見て、駆けつけた者たちは一様に凍りついた。亡霊にしか見えなかった。
誰もが唖然とし、声一つ上がらない状況で、遅れて駆けつけたカオリが中の様子を伺って言葉を発す。
「どうしたのアキちゃん。そんなびしょ濡れで」
それで事態は落ち着いた。
言われてみれば確かにアキだった。こんな夜更けにどうしてびしょ濡れなのか意味が分からない。怒る者、呆れる者、反応は種々様々だったが、一晩明ければ笑い話で収まった。
唯一「幽鬼が出た!」と悲鳴を上げてしまった鬼灯だけは己を恥じ続けている。仕方ないですよと杏が慰めの言葉などかけているがあまり効果はない。
「こんなに可愛らしい幽鬼なら私の枕元に立ってほしかったわ」
ゲンに続いてカオリがそんなことを言う。視線の先にはぐびぐびと湯を飲むアキがいて、げふっとゲップを吐いたところだ。
衣服を着替え、毛布などで厳重に包められ一晩寝たアキはケロッとした顔をしている。触診の結果も異状なし。ゲンの言葉の真偽は分からないが、無事風邪は引かなかった。
「ねえ幽鬼ちゃん。今晩は私の枕元に立ってくれない? 一緒のお布団で温まりましょう?」
「……ホオズキ」
揶揄うカオリをアキは無視した。それでもカオリはいささか嬉しそうである。落ち込み続ける鬼灯と対照的な明るさだった。
「……なんだ」
「あいつにあった」
「あいつとは」
「アザミ」
その一言で場が驚愕に包まれる。
昨晩はいくら問い詰めたところで何も話さなかったくせに、一晩寝たらあっさり口を割った。アキの中で整理がついたと言うのが理由だが、あまりに突拍子がないので皆が驚かされた。
「はあ!? お前、それ本当かよ!?」
いの一番に尋ねたのは杏だ。アキを揺さぶって問い詰める。
当のアキは鬱陶しそうにしながら、「誰こいつ」と言う目をしている。
「何があった」
「戦った」
間に杏を挟みながら鬼灯とアキが会話する。
「勝ったら食糧くれるって言うから戦った。負けた」
致し方ないことだと強がって見せるアキだが、内心は悔しくて悔しくて仕方がない。次戦う時は絶対に勝つと決意している。戦わないと言う選択肢は浮かんでもいなかった。昨晩、当のアザミに何を言われたかなどすっかり忘れている。
「よ、よく生きてたな、お前……」
戦慄する杏に、アキは思い出しながら言葉を紡ぐ。
「そもそも殺す気がなかった」
もしアザミにその気があったなら、アキは為す術なく死んでいたに違いない。手も足も出なかったと言うのはまさにこのことで、一晩明けた今をもって勝つ方法は何一つ浮かばない。
「次は負けない」
だがそんなことは意にも介さず再戦の意思は固い。
勝つ見込みがどれだけ薄くともとりあえずぶつかりに行くつもりのアキは、母親以上の猪突猛進ぶりを発揮している。それはもはや無謀であり、向こう見ずであり、命知らずであって、端的に言うなら馬鹿であった。
「どれほどのものだった」
「強かった」
「もっと具体的に教えてくれ」
「大きな剣だった」
「それは知っている」
鬼灯が根掘り葉掘り聞き出しにかかる。
自警団で一番強い彼女と和達の護衛で一番強いアザミ。戦えばぶつかるのは必然と言える。
アザミはどのように戦うのか。力が強いと聞いたがどれほど強いのか。
事細かに質問する鬼灯に対し、アキは面倒そうにしながらも聞かれれば答えた。逆に言えば聞かれないことを話す気は一切なかったが、幸いなことに鬼灯の質問は必要なことをほぼ網羅していた。
「厄介だな……盾にも使うのか……」
おおよそ把握した鬼灯が呟く。
自分が対峙した場面を想像しどのように戦うか脳内でシミュレートする。
一般的な大剣使いならどうとでも戦えるだろう。しかし大剣を軽々扱える人間となると難しい。長所はそのままに短所がまるでないのだから、付け入る隙が見当たらない。
真面に戦えば十中八九負ける。男と女が戦う時のように、圧倒的な暴力で一方的に屠られる結果に繋がりかねない。
その上でいくらか戦い方を考えてみた。しかしどんな戦い方をしたところで勝ち目が薄いことに変わりない。実際に戦わないと分からないことも多いが、腕力の差は如実に実力差となる。勘案すればほぼほぼ負けるのはそれまでの経験で察することが出来た。
どうすればいいか頭を悩ませる。
早朝に届いた手紙の内容は既にアキ以外は皆知っている。
自警団の半分は徹底抗戦を叫んでいる。後押しするように多くの民も声を上げ始めた。最早戦いは避けられない。あとはどう戦うか。それだけである。
暗殺などはどうだろうか。
しかしたかだか護衛を暗殺と言うのは……それをするならいっそ和達の方を――――等々。
一人考え込む鬼灯の頭は堂々巡りに陥った。考えるのは得意でないくせに考え込むのは悪い癖である。そう言う時に助け舟を出すのはカオリの役目だった。
「一人で無理なら複数人でかかるしかないでしょう」
真っ暗な袋小路に光が差し込まれた。鬼灯の気持ちを表現すればそんな感じだった。
考えあぐね、いつの間にか俯いていた顔を上げ、鬼灯はカオリと目を合わせる。数瞬の間二人は見つめ合い、互いが言わんとするところを全て交わした。
「そうしよう」
膝を叩いて立ち上がった鬼灯は杏に「私の槍を持って来てくれ」と指示を出す。
慌てて走り去る杏の足音を聞きながら、鬼灯は言う。
「アキ。共に戦おう」
正直に言って、鬼灯はアキのことを何の役にも立たないと考えていた。猫の手も借りたい状況であり、手ぶらで帰るわけにもいかず、剣聖の娘だと言うことで連れて来た。
まさかこんな形で役に立つことになるとは予想だにしなかった。
現状、自警団は多くの人員を失い、鬼灯とその他の戦闘員とでは実力に大きな開きがある。
そのためにアキは鬼灯に次ぐ実力者となっていた。経験不足で要所要所で動きが甘く、才能だけで刀を振っているような子供だが、有り余る才能の片鱗は一度手合わせしただけで垣間見ることが出来た。
あともう一年鍛えるか、下手をすれば少し経験を積ませるだけで自分と伍するほどになるかもしれない。
そのように鬼灯はアキを高く評価している。
だからこその言葉であった。それに対して、アキは正面から向けられる視線に真っ向から見返し、簡潔明瞭にこう言った。
「は? いやだ」
私は一人であいつをやる。手出すな。
即答且つ無謀にも程がある答えだった。
まさかの返答に鬼灯は固まる。その横でカオリがぷっと噴き出す。そしてゲンのゲンコツが飛んだ。
ゲンとアキが喧嘩するその目の前で、この向こう見ずな子供をどのように説得すればいいかと頭を悩ます鬼灯であった。
場所は変わり、和達の邸宅。いつものごとく絶叫が木霊する。
「いいぃぃやあぁぁぁぁぁぁぁ!!!!?????」
頭を抱え盛大に身体を反りながら迸った絶叫は、部屋の中で数度に渡って反響した。
正面にいたアザミは人差し指で耳を塞いでやり過ごす。その騒音たるや何度聞いても慣れることがない。むしろ日に日に大きくなっている気がする。内心舌を巻く思いだった。
「どうしてどうしてどうしてどうしてどうして!!?? どうしてなのぉ!!??」
言いながら、これ以上はないと言うほど背中を反らし天を仰ぐ当主。
昔こんな彫刻見たことある気がするとアザミは過去に思いを巡らせた。
「あいつら何なの!? やる気満々じゃない!? 殺されたんだけど!? 仲介人殺されたぁ!!」
早朝に届けられた宣戦布告とも言える手紙に遅れて、当主の言伝を預かった仲介人が昼頃に自警団の屋敷を訪れた。
仲介人は和達とも自警団とも関係がある者であり、この一件に関してはどちらにも与しない中立の立場であった。
その者を間に入れることで円滑な交渉を目論んだ当主であったが、残念なことに目論見は外れ、仲介人が屋敷を訪れて早々、激高した団員に斬り殺されてしまった。
「猿だわ! もうあいつら猿だわ! どんだけよ、大体血の気多すぎんのよ! 昔っからどいつもこいつもどいつもこいつもっ!」
髪を掻きむしり血眼になって罵倒する当主はとてもじゃないが正気ではない。しかし満足するまで言葉を並べれば正気に戻ることをアザミは知っている。今は余計な口出しはせず、静かにその時を待つばかり。
「もうこうなったらやるしか……! やる、しか…………いやぁっ!! やりたくないぃ!!」
泣き出した当主の姿は相も変わらず正視に堪えない。アザミは視線を逸らし溜息を吐く。
散々泣いて、散々喚いて、散々嘆いた。それでようやく小康状態になる。
頃合いを見計らい、「まあ、でも」とアザミが言葉を発した。
「殺しといてよかったろ」
「こ、ころ!!?」
言及しているのは無断で自警団を手にかけたことについてだ。
あれで自警団の戦力は大分減った。なまじ大所帯なだけあって、正々堂々ぶつかればいくらアザミと言えど、自らが死ぬことはなくとも護衛対象を守り切れたかは怪しいところだった。
「じ、事故よね!? 事故だったのよね!? 殺す気なかったってあんたそう言ったわよね!!?」
「あーそうそう。その通り」
アザミの適当な返事を受け、当主は裏切られたような顔をする。そもそも雇い雇われの上下関係である。より大きな金を積まれれば裏切ったとしても何らおかしいことはない。そんなことは分かっているだろうに、今まで考えもしなかったと言うその態度は非常に愚かであり、同時に好ましい部分でもある。
「殺す気なかったって。ほんとさ。信じろ。あたしを」
今度はもう少し真剣に言葉を投げた。それで当主はあからさまにほっとした顔をする。
扱いやすいなと思う半面、これで今までよくやってこれたなと思う。恐らく内助の功がいたのだろう。それが今どこにいるのかは、残念ながらアザミの知るところではないが。
「真面目な話をしましょう」
ぐすりと鼻を鳴らし、ようやく正気に戻った当主が口火を切る。
泣き腫らした顔を前にしては今一真剣になり切れないが、真面目な話をするにふさわしい体裁をアザミは取り繕った。
「奴らは来るわ。近いうちに」
「ああ」
「迎え撃ちます」
「こっちから攻めねえの?」
「……もしかしたら、来ないかもしれないから……」
かもしれないと希望的観測に縋るその姿勢はやはり煮え切らない。
やるならやる。やらないならやらない。どっちつかずでいいところ取りしたがるのは商家の性か、あるいは生来の物か。
どちらにせよ、来ると分かっていてより効果的な選択を取れないのは、本質的に臆病だからだろう。
能力はあるのだから、もっと田舎のこじんまりとした商家なら生涯幸せに暮らせただろうに。
アザミは目の前の女を憐れに思う。ずっと前から憐れんでいた。それこそ初めて会った時からずっと。
「やっぱり来るかしら……」
「お前自分で言ったろ、すぐ来るって。多分今日か明日かその内に来るぞ」
「……」
アザミの言葉に、当主は何かに耐えるように唇を噛んだ。結局、その口から攻めると言う言葉は出てこない。仕方ないだろう。そういう性分なのだから。
でも、世界はそんなに優しくないよなとアザミは思う。
たった一人、どれほど世の中を憂いたところで、他がそう思ってくれないなら戦うことになる。
守ってやるのが仕事だ。与えられた使命はそれで完遂される。全うしなければならない。
押し黙ってしまった当主を置いて、アザミは一人窓の近くに寄って空を見上げた。これからについて思いを馳せる。
戦いはすぐそこまで迫っているが、まあ楽勝だろう。事前に強い奴はあらかた片づけた。残っているので厄介なのは一人か二人だけ。それもたいしたことはない。残酷にも子供を引っ張り出すぐらいに戦力はひっ迫しているらしい。
加えて、自警団内部で軋轢が生じていると言う話も聞く。強硬派と穏健派で分かれていがみ合ってるとか。そんな状態で向かってくる相手など怖くない。何なら放っておけば勝手に潰し合ってくれるかもしれない。そうなれば戦う必要はなくなる。当主の理想の未来がそれだ。
戦闘の趨勢は何をどう予想したところでどうとでもなると言う結論に達する。
となればあとは細々としたことを考える。これが終わったらあれをして、あれが終わったら報告で、報告したら一回帰りたい。
そういったことを考えていたアザミの脳裏に、不意に子供の顔が浮かび上がった。昨晩叩きのめした子供の顔だ。
あいつはまだここには来ていない。来たならば伝わるようになっている。いい加減来てもいい頃だ。
ひょっとして、丁度今来てたりしないだろうかと辺りを見回した。
開けた窓から身を乗り出して、首を伸ばし背伸びをして周囲に視線を巡らせたが人っ子一人見つからない。
あそこまでボコボコにしてまだやる気があると言うのは考えづらい。あんな言動だったが何気に育ちは良さそうだった。なら教養もあるはずだ。仮になくても、一般程度の頭があれば身に染みて分かったはず。この期に及んで再び向かってくるなんて、そんなバカそうはいない。
そう考えた後、思うところあって今度は逆のことを考える。バカだった場合についてだ。
戦を目前に控えたこの状況で、これ以上肩入れする理由はない。昨晩はあくまで親切心からの忠告で、聞かないと言うならそれまでである。
万が一、まだやる気があって再び自分の前に現れると言うのなら、その時はその時だが、あまり可愛そうなことをするつもりはない。とはいえ戦いだから、甘っちょろいことばかりも言ってられない。
具体的にどうするかはその時になってみないと分からない。戦いは水物だ。状況によるし気分にもよる。
恐らくそんなことにならないとは思うのだが、心の準備だけはしておこう。子供を殺す心づもりなど、そんなものとは無縁でいたいものだが――――。
鬱屈した気分を溜息と共に吐き出したアザミは世を憂いて外を見る。相変わらず周囲に人の姿はない。代わりにあちらこちらから物騒な気配を嫌と言うほど感じた。
「……乾いてるなあ」
虚空に消える呟き。
その背中に胡乱気な表情の当主が問いかける。
「何が乾いてるの?」
「空気」
その言葉の意味など、武人じゃなくては分かるまい。
案の定、理解できなかったらしい当主を背中越しに見やって、アザミは「くくっ」と自嘲した。
――――ま、なるようにしかならんよな。
人生とはいつだってそんなものである。
大人を殺せば子どもも殺す。もっと酷い時は赤子をも手にかけた。少し前は一族郎党皆殺しなんてこともあったのだ。
「ああ、悲しきかな我が人生ってか」
不意に浮かんだその言葉を口ずさみ、二度目の自嘲を浮かべる。色々あったが、そんな嘆くほどの人生でもなかったなとそう思う次第である。