────初めに抱いた印象は、単なる覗きの先輩だった。
俺が一目惚れのような衝撃を受けた清楚先輩との会話をこっそりと影から覗いていた先輩。それ以上でもなくそれ以下でもない。というか名前すらも知らなかった。
────次に抱いた印象は、姉貴と戦えるくらいに強い人だった。
グラウンドで姉貴と戦う先輩の姿を見て違和感を抱きながらも、素直に感心していた。彼女がその日に転校してきた松永燕という西の武士娘だという事を知ったのもその時だった。
その後、交流の機会が増えた。燕先輩は姉貴と仲が良かったし川神院にも合同稽古に来てたからその繋がりで俺にもよく話しかけてきてくれていた。
そこから遊びに行くようになり、組手をするようになり、二人きりで過ごす時間が増えたりもした。
ある時ふと気づいた。紋ちゃんが言ってた姉貴への刺客が燕先輩だということに。
燕先輩の戦い方、というか戦闘のための準備として事前に情報を集めて勝てると確信できる対策を練る。今は爪を砥いでいる段階なんだろう。
そこは別にいい。勝負に関する人のスタンスに口出しする気はないし、興味もない。
だけど、気付いてしまった。
その情報収集に俺との戦闘も含まれている事に。
会話の中に姉貴の戦闘スタイルを尋ねる質問が有ったりした。それはいい。
姉貴との戦いで全力を出さずに様子見をしているのもわかった。それもいい。
俺との組手の時に手札を出し切らないのも気付いていた。それも構わない。
ただ、俺との組手の時に、俺に姉貴を投影しているのが、俺を見ていない事が、とにかく許せなかった。
燕先輩にとって、俺は『川神十夜』ではなく、『川神百代に対する仮想敵』でしかなかったのだ。
それは俺にとって途轍もなく屈辱的な事だったし、イラつくなんてレベルじゃないくらいに頭に来た。そして何より────
────途轍もなく、悲しかった
だからだろうか。燕先輩から若獅子タッグマッチについて発表があってすぐにタッグを組んでほしいと言われた時に、そんな感情が爆発したのだ。
「────ふざけんなよ」
「…………え?」
「俺と組みたい? 違うだろ? 姉貴に勝つために、俺を利用したいだけなんだろ」
「っ!? ち、違────」
「違わねぇだろ! 姉貴の情報集めるために絡んでただけで、アンタは俺の事なんか見てない!! 俺と話してたのは姉貴の情報を知るためだけで、俺との組手なんて、姉貴戦の予行練習程度にしか思ってなかった! アンタにとって俺は、姉貴に勝つための要素でしかなかったんだろ!!」
「……っ!」
「俺は、俺自身の事を見てない奴とタッグ組もうだなんて思えない!」
それだけ言い捨てて、俺はその場から逃げ出した。
今思えば子供の癇癪のように一方的に叫んでしまった。だがそれだけ許せなかったのだ。
それがどうしてなのか、俺自身わからなかった。
◆◆◆◆◆◆
────最初は情報収集のためのターゲットでしかなかった
依頼された打倒・武神を達成するためにはいつも以上に多くの情報を分析する必要がある。そのために目を付けた内の一人だった。
憧れからか、戦法もモモちゃんに似ていたし、モモちゃんに手の内をあまり見せたくなかった私としては都合がよかった。
でもいつからだろう。私が彼にそれ以外の感情を抱き始めたのは。
仲良くなって、意外に彼が自分の思った事を結構口に出す人だと知った。
遊びに行った時、こちらの細かい所作とか機微には疎いけど、自然と車道側を歩いたり危ない所ではこちらを気にかけたりと、無意識に気遣ってくれてる事を知った。
組手をした時、モモちゃんに似た戦法は彼にとってあくまで一面でしかなく、それ以外にも多くの戦い方が出来る事を知った。
二人で話している時、彼の笑顔が純粋でとても可愛い物だと知った。
鍛錬をしている時、彼の顔がとても輝いていてカッコイイ事を知った。
モモちゃんの情報を聞き出そうとした時、いつの間にかモモちゃんとは関係のない話題になって、それでもいいかと思っている私がいる事を知った。
彼が別の女の子といる時、何やら寂しかったりイラッとしてしまったりする私がいる事を知った。
彼に好きな人がいると思い出した時、胸にぽっかり穴が開いたように感じてしまう私がいる事を知った。
いつもみたいに、そんな私を冷静かつ客観的に分析しようとして、でもそれが巧く出来ない事に気付いた時、私はきっといつからか彼に惹かれていた事を自覚した。
だから、もしも『打倒武神』という九鬼との契約がなくても、今回の若獅子杯のパートナーとして彼を誘っていたと断言できる。
でも、私がモモちゃんに勝つために彼に近づいたのは紛れもない事実だから、彼の言葉を否定する事などてできなかった。
弁解をしても口では何とでも言えるのだと言い返されるのが怖かった。
だから、言葉以外で伝える事にした。
彼はきっと若獅子杯に出場して勝ち上がってくるだろう。
ならばそこできちんと伝えよう。
私の想いを。言葉ではなく行動を以って。
◆◆◆◆◆◆
『それでは、若獅子タッグトーナメント決勝戦を開始したいと思います! 出場選手は舞台の上へ!』
審判の声に従い、舞台に上がってきたのは四人。
知性チーム、すなわち松永燕とその相方である直江大和の二人。
ミステリータッグ、すなわち川神十夜とその相方である九鬼揚羽の二人。
激闘を繰り広げ、トーナメントを勝ち上がってきた二組が相対した。
さらなる激闘を期待し盛り上がっていく歓声の中、燕が揚羽へと声をかけた。
「あの、試合の前に一つ確認しておきたいんですけど、揚羽さんは今回戦闘には参加しないんですよね?」
「うむ。我は弟を止めに来ただけだからな。それ以外の試合には手を出さぬ。それが川神十夜とタッグを組む際に交わした約定だ」
つまり決勝は実質燕と十夜の一騎打ちになる事を言質として取った燕は、内心ガッツポーズを取りながらさらに一つのお願いをした。
「なら、私のタッグパートナーの大和クンを守ってくれませんか?」
「うむ?」
「タッグマッチの決勝戦としては趣旨がずれてしまうかもしれないんですけど、この戦いは悔いのない物にしたいんです。彼が大和クンを狙うとは思わないですけど、戦いの余波が飛んでこないとも限らないですし……」
「確かに。それで勝敗が決まってもつまらぬだろうし……よかろう。直江大和の身の安全は我が保証しよう。……というわけだ。あまり動くでないぞ」
「あ、はい」
燕のお願いに対して快諾した揚羽は、大和を引き連れ武舞台の隅へと移動する。
結果、武舞台にて向かい合うのは二人となった。
「……まあいくら回避が得意な大和でも事故る確率はあるわけだし打倒な所っすね。ま、やる事は変わりないですが」
「……十夜クン、なんとなくだけど君にタッグを断られたとき、こうして対峙する事になるって思ったよ」
「…………」
「あの時、君の言ってた事は、間違いじゃない。最初君に近づいた理由もそのためだったし、その後の付き合いもそういう打算があったのは確か」
「…………っ」
「でもね、それだけじゃなくなったのも本当なんだ。それだけは信じてほしい」
「…………口だけなら……」
「うん。だよね。だから、本来の私の目的を考えたらまだここで出すべきじゃないんだけど……でも、この戦いで使わせてもらうよ」
すると燕は見慣れぬゴテゴテとしたベルトを腰に取り付けると、ポーズを取って静かに口にした。
「──── 装 ・ 着 ────」
その言葉とともに光が発せられ、それが治まった頃には燕の装備が変わっていた。
服装が川神学園の制服から身体にピッタリと張り付くような黒い戦闘服に変わっているのもそうだが、それ以上に目につくのが彼女の右腕に装着された巨大な手甲であった。
「それが……」
「そう、これこそ私のオトン、松永久信が作り上げた最高傑作『平蜘蛛』。正真正銘、私の切り札だよ」
本来であれば、平蜘蛛は百代と戦うまでは温存しておきたい、というのが燕の考えであった。
だが、燕は敢えてここで平蜘蛛を使う事を判断した。
でなければ、十夜の疑心を祓えない……それが燕の感情からくる判断だった。
でなければ、十夜に勝つ事ができない……それが燕の理性からくる判断だった。
そんな燕の気迫を感じ取ったのか、十夜もそれに応えるかのように構えを取った。
『それでは……若獅子タッグマッチトーナメント決勝戦、レディ…………ファァァァァイトッッッッ!!』
◆◆◆◆◆◆
決勝戦は観衆の期待通り激闘となったが、しかし燕が常に優勢なまま進んでいた。
その様子を実況席にて見ていた百代と石田は解説役として戦況について語り始める。
「これは松永が川神弟よりも上の実力を持っていたという事か」
「いや、単純な実力だけで言えば十夜の方が少し上だろう。あの平蜘蛛という装備を含めて五分って所だな」
「何? だが現状どう見ても優勢なのは松永だぞ」
「そうだな。だが戦いは実力だけで勝敗が決まるわけじゃない。それはお前もよく知っているだろ」
「では何がその差を覆しているというのだ?」
「よく組手をしてたからか燕は十夜の動きを読み切っている。対する十夜はあの平蜘蛛を用いた燕の戦法に初見で慣れていない。その差だよ」
「それだけのことで……」
それだけと石田は言うが、相手の情報を知っているからといってそれを最大限の効果で発揮できるわけではない。分析と予測を事細かに行う事で知識はようやく実を結ぶのだ。
それでいうと燕は十夜を完璧に研究し尽くしている。生半可な分析では十夜もここまで苦戦しなかっただろう。何故そこまで燕が十夜を研究し尽くせたのか、それは百代にもわからなかったが……それはさておき今は試合である。
「今の戦況を十夜が打開するには、燕も知らない新たな戦法を繰り出すか、圧倒的な何かで燕の分析ごとねじ伏せるかくらいしかないな」
「はっ、そんな都合のいいものあるものか。見応えはあるが決勝戦の勝敗はもう見えたようなものだな」
その言い草にイラっと来たが、石田の言っている事も間違ってはいない。順当にいけば燕がこのまま競り勝って終わるだろう。
そう考えていた百代は……否、その場にいた人々は、次の瞬間自らの目を疑った。
燕と攻防を繰り広げていた十夜から一瞬、青白い光が発せられたかと思えば、轟音がなると同時に燕が場外の壁まで吹き飛ばされていた。
「ゲホッ……!?」
吹き飛ばされ壁に叩きつけられた燕本人も、一体何が起きたのか理解していない様子であった。
「な、なんだ!? 一体何が起こったのいうのだ!?」
「…………わからない」
「わからないだと? そんなはずないだろう! 武神たる貴様なら何が起きたか見えていたはずだ!!」
「……
「……何?」
「私にも、あいつがどう動いたのか、見えなかったんだ……!」
燕が吹き飛ばされる瞬間、十夜の攻撃が燕へと叩き込まれていたのは見えた。
だが、その叩き込まれる前の、その動きそのものは、武神と称される百代を目を以ってしても見切る事はできなかった。
こんな事、それこそ川神鉄心の使うあの技くらいしか…………
「いや、待て……さっきのあの光、毘沙門天に似て…………はは、まさか……!」
「何かわかったのか!? 説明しろ武神!」
「あくまで私の推測だが、今の一撃はジジイが使う『神々の顕現』が元になっている」
「『神々の顕現』……噂に聞く川神鉄心の奥義か!」
「本来であれば神々を気によって模り、その神威の一撃を食らわせる技だ」
「だが別に神の偶像など出ていないではないか!?」
「十夜自身、外に気を放出する技は不得手だ。そんなあいつにとって大量の気を体外に出して操作する必要のある神々の顕現が苦手な分類の技である事は予想に難くない。だからアイツは体内で発動できるように技を改造したんだろう。その結果、十夜は神威を自身の身体に憑依させる形で顕現させた。言ってみれば、『神々の顕現』ならぬ『神々の憑依』……!!」
「つまりあの技の神髄は……!!」
「────俺自身が、神となる事だ」