鎮守府におじいちゃんが着任しました   作:幻想の投影物

9 / 11
私はかつてないものを見た。
そこに至ることは罪であるのか。
いや、この世こそが人間の作り出した罪なのだろう。
ただ、深海より這い上がりし脅威は……恒久的な災害でしかないのは確かだ。

―――焼け焦げた紙片、その再生文より。



休息

 

 暖かな陽光。人間のみならず、一部を除いたありとあらゆる生物がその身に恩恵を受けし暖かなる光が瞼の奥をじりじりと照りつけた。ゆっくりと双眸が開かれたとき、陽光以外のふわりとした温かさに身が包まれていることに気づいた。

 

「毛布、か」

 

 おそらくはここを訪れた艦娘の誰かが、もしくは任務係がかけてくれたのだろう。寝起きで力の入らない手で少し横にずらし、起き上がって時計を見る。短針は7を指しており、結局のところは「健康な生活習慣」を送ってしまっているらしい。

 自分が正規の軍人、ひいては最前線で使いつぶされるような人材であったならばこのような体たらくを晒してはいなかっただろう。いくつもの報告書の上でしか確認したことのない赤の他人の死を集計された紙をめくっていた日々を思い出し、故にこそここに来たのではないかと、小さく息を吐く。

 

 本来の地位も、なにもかも、投げ捨てて。元より、その場に己がいることこそおかしいのだと言い訳を心の中で反響させながら、後悔ばかりを胸に抱いた結果が。

 

 のそり、と老人は椅子を揺らした。

 体のあちこちをパキパキと鳴らして、畳んだ毛布を机の隣に置いて。部屋を出ていった彼を、執務室の世話担当の妖精だけが見送っていた。どこか不安げな表情は、決して人間である伏見には見ることはできない。

 

 

 

 本部との通信を仲介するためには、本来電波の届かない離島などであっても艦娘の「霊的な技術」から確立された通信システムが使われている。電力を必要とせず、それぞれの施設にいる妖精をそれぞれのアンテナとして利用されたこの仕組みは、秘匿度が高く人間を前提とした戦いが繰り広げられてもなお重宝されている、軍部の独自技術である。

 

 しかし、そのためにはやはり機材の類は必要となる。大陸を超え、ほぼロスタイムもなく高精度な通信をするためには妖精専用の施設が用意されており、それは人間であれば建物を新たに必要とする規模を、妖精用に一つの6畳間ほどにまで縮小された形でそこにあった。

 

 そして、この鎮守府に来て以来、寝泊りも日中も夜間も、何か事態が起こらない限りはそこから動かない者がいる。それが任務係と伏見が呼んでいる存在であり、姿形こそは人間と大差もないが、決して人間ではない存在。だが艦娘というわけでもなく、どこか中途半端な存在である。

 そんな彼女が、自身の背後にある扉が開かれる音を聞いて振り返れば、そこには日本から自分を連れ出した存在であり、現在の自分の上司となる人物が立っていた。

 

「お疲れ様です」

 

 彼を認識した彼女は、行動をインプットされた機械のように定型文を述べる。

 どこか無感情に頷いた伏見は彼女のそばへ行くと、無数にちりばめられたボタンの中から一つを迷いなく押し、その部屋の機能を活動状態へと変える。低く唸るようなモーター音もなく、動力音もなく、ただ光がともっていく機材に若干のまぶしさを覚えながら、口を開いた。

 任務係の隣に座り、老いてより鋭さを増した視線で任務係を見る。

 

「おはよう、早速だが前回の出撃における映像記録を出してくれたまえ」

「了解しました。前線の映像ですか?」

「うむ、姫が出たとの報告が入った」

 

 そうでしたか、と本来ならば大事であるはずの存在を無視するように平坦な声で任務係は告げる。近くの妖精に指示を出しながら艦娘の視界を通じて記録された映像の中から履歴を洗い、もっとも映像が鮮明であるものを引っ張り出し、少ない言葉ながら伏見の望むものであろう記録が正面モニターに再生される。

 

 浮かんだのは先日の光景だった。

 いくつもの砲撃音、弾け飛んだ敵の身体(せんたい)。ぱらぱらと降り注ぐそれを荒波ごと掻き分けて、海上をスケートのように進み、陸上選手のように踏みしめて駆け抜けるのは今回の作戦の要となった艦隊の姿。時折左右からちらりと見える布や、長い茶色の髪の毛から察するに、これは戦艦金剛のものであるのだろう。艦船の一部がくっついたかのような砲塔が視界の下側から姿を現し、片手で狙いをつけられてから敵の死を告げる鉄塊をいくつも吐き出している。

 

 艦娘が持つ浄化の力。聞こえはいいが、結局のところはそういった力が付加されただけの砲弾を敵へぶち込み、破壊するだけだ。怨念が何処に行ったか、など戦いのさなかに考えるのは愚者の極み。奴らはどこからでも現れ、浮上する。奇跡的にこのリンガ泊地において不意を打たれるを事は無かったが、本来ならば確認した敵影が2倍にも3倍にも膨れ上がったとしておかしくは無い。

 だが、今回はそんな事は無かったのだろう。轟砲がひどく耳の奥底を打ち鳴らし、目に見える重巡洋艦を悉く蹴散らした主力戦艦たちは、敵がひしめきまるで黒い壁のようにも見えるその向こう側に、異様なまでに映える「白」を視界へと収めることになった。

 

「映像、止めます」

 

 ぼんやりと、真っ白な亡霊がモニタに映る。

 赤く輝く瞳と武装は、金剛ではなくこちらを睨みつけているようだった。

 

「確かに興味深い。吸い込まれそうな威容…これが噂に聞く“姫”か」

 

 映像越しでなお、妖艶かつ禍々しく、そして荒ぶる波動が感じられる。深海棲艦の根源である怨念とやらが渦巻いているのか、はたまた別の何かがあるからなのか。それは未だに理解も解明も成されていないが、この姫の発生によって一つの事実が挙げられる。

 それは、姫が根城とする「深海棲艦の工廠」の存在。時にはその姫や、鬼そのものが泊地・拠点そのものとなる例もある。だが、須らく姫クラスの出現に際して深海棲艦が無限に生み出されるような工廠を起点とした根城が作られている筈だ。

 

「任務係。近海、いや先の深海棲艦が襲撃してきた方向に生き残った人類の生活拠点はあったかね?」

「しばしお待ちください」

 

 カタカタとコンソールを叩く任務娘の上方、建物の上方で妖精がアンテナの向きを変え、そのアンテナそのものと同化する。やがて送られてきた情報を任務係がモニターに表記すると、妖精は同化を解いて外部点検を再開した。

 

「10年前は救援物資すら運び込まれないほど、点在する小さな諸島に住民が脱出できず固まって“いた”そうですが、現在は妖精の観測が不可能な状況に陥っています。とくにジャミングが酷いのは海図で言えばディエゴガルシア島周辺みたいですね」

「旧米軍基地跡か、深海の奴らの手段はいつになっても変わらんな」

「ですがそれで押されているのが現状です」

 

 淀みなく答える任務係に対して、苦笑を返す。

 

「全く、違いない」

「……米軍と言えば数少ない艦娘保有国の一つですが、日本を含め全世界、現在は妖精通信による交流しかできていません。各国に手を伸ばした建設基地が、海洋に放置されていればそのほとんどが浸食済みでしょう。沖縄も例外ではありませんでした」

「うむ、いやというほど分かっているとも」

 

 それこそ、と続く台詞は胸にしまっておいた。言ったところで意味が無い。

 そう、任務係の言うとおりではないか。

 日本列島はアメリカではなく深海棲艦の手に渡り、北方領土はロシアではなく深海棲艦に侵略され、尖閣諸島は中国ではなく深海棲艦に奪い取られてしまった。現状、離島孤島の基地や施設といったものは、深海棲艦の世界に作り替えられ補給基地として扱われているか、姫や鬼が出現して根城とし、新たな尖兵の生産工廠へ作り変えているか、どちらにせよ気分のいい話ではない。

 放っておけば更なる被害が拡大するため、ほぼ全世界を見渡せる妖精の観測が不可能な地が現れたのならば人間勢力は艦娘を動員し、各地にいる提督や各国の隔たりなく協力・団結して姫・鬼の討伐を行っていた。だが、その輝かしい人類統一の栄華もほんのわずかな夢。今となっては、自国の安全地帯に引きこもり、わずかに残された戦力で自分の国を必要以上に侵食してきた深海棲艦を必要最小限に撃退・討滅することしかできてはおらん。

 だが、呼応するかのように大人しくしていた奴らは、ついにここで姿を現した。姫が発生した以上、その姫を一体倒せば終わり、ということはない。本部の記録を見た限りの情報ではあるのだが、大本となる本土の生産施設ごと艦娘の浄化の力(ほうげきのあめ)で焼き払わねば、いくらでも新たなる姫が湧く。

 つまり、少しずつ進撃しつつ、我らは限りある資源を消費し、倒せるかどうかも分からない確率を繰り返しながら大本を叩きに行かなければならん。過去、多くの艦娘が失われ、一部の「提督」は最初からある艦娘を囮にし、ただひたすら湧き出る…いや、強く生まれ変わる姫や鬼を延々と叩き続けたという話もある。そうでもしなければ滅しきれないしつこさ、ということだ。

 

「進行方向と進撃速度、第二波がくるのは近い、か」

 

 任務娘は私の言葉に何も答えない。

 艦娘は一度戦闘に出せば最適化されるとはいえ、奴らの搭載された人格はあくまでも「人間らしい」それ、でしかない。長らく出撃させなければ鈍ることもあり、また扱われずに埃を被った兵器は不調を訴えることすらある。生きた兵器とはいえ、モノである以上すべてが好都合というわけには行くはずがない。劣化もなく幾度となく、そして回収のたびに最高の形で扱い続ける兵器や道具など、空想の中でしか訪れない。

 それが兵器。艦娘もまた、これに適用されるばかりか、あれらは人的資源としての面も併せ持つ。ただの物的資産としては図りきれない異形の塊。その見目麗しい外見ばかりがちやほやとされる時代はとっくの昔に過ぎ去った。

 もっとも、この泊地に生き残っている艦娘たちがそうであるのかは分からない。

 

「正直なところ、どうなのかね。敵の泊地がこちらへ再度戦力を寄越してくるのは」

「こればかりは憶測でしかありません。ですが」

 

 彼女が眼鏡の奥で、感情を悟らせぬ瞳を光らせる。

 

「一か月は最低でもかかるでしょう。それまでの間、こちらも資源を蓄えなければなりません」

 

 一か月、ひと月ときたか。

 こちらは戦力の増強すらできず、そして減るばかり。だがあちらは無限の兵団。さらにはたったのひと月で戦艦などを大量に作り上げてくる。戦争どころか、ただの競い合いですらこの量という差は巨大すぎる壁となるだろう。

 だがその練度には大きな差が開いている。こちらが上、あちらが下だ。前回の出撃で姫を相手にして、大破した艦娘が一隻も居ないことがそれを裏付けている。

 

「言わずともあれらは気づいておるだろうが、艦隊に通達を頼む」

「わかりました。伏見提督」

 

 ひとつ頷き、私はその場を去った。

 酷く疲れそうだ。これからのことを考えると、肉体的な寿命よりも先に命運として待っている筈の寿命が縮みあがり、今にでも不慮の事故が発生してわが身を散らすのではないかと考えるくらいには、やはり私は疲れているらしい。

 ゆったりとした足取りで、時折廊下を走る艦娘の何名かとすれ違う。あからさまに視線を寄越さないものもいれば、青葉などはわざとらしい声色で短い挨拶をかけてくる。

 

 かつかつと軍刀でならされる床音ばかりで、他「人」の足音も聞こえなくなった頃。ようやく私は執務室にたどり着いた。

 やけに静かであるのは簡単な理由だ。近くに私室を取っていた艦娘は配慮のつもりか、はたまた嫌悪の感情か。この私が勤務する部屋の周辺からは立ち退き、艦娘用の寮へと拠点を変えているため。私に前面の信頼を置いている者など一人としていない。

 

 置かれても困る、と思う私自身ひねくれているとは自覚しているのだが。まぁそれは今となってはどうでもいい。呼べば応じ、来るときには来る、それさえ出来ていれば、この俗世とはかけ離れた本部の手も及ばぬ孤島に、堅苦しさを極めたような理論も必要なかろう。とはいえ、海軍に長らく勤務していた私がそのように砕けるわけにもいかず。従えるのは人間ではなくなったが、これからも憎まれていかねばどうにもならん。

 

 苦笑ばかりがもれるのは年を取った証か、自嘲の念ばかりが押し寄せる。ますますこういった、肉体的な劣化を頭の何処かで必ず言い訳がましく使うようになった。

 だが憎しみか。そんな言い分もまたこのための布石だったのだろうか、大分見慣れた仕事部屋の戸を開ければ、想定外の光景があった。私は思わずと言った無意識の言葉を放つしかなかった。

 

「何? 君は」

「こうして顔を合わせるのは初めて、ですね」

 

 接点など、当の昔に千切れたのだとばかり思っていた。あれだけの仕打ち、心理に働きかけた無礼。兵器として扱うことに何ら問題も、その反対意見すら抱かなかった。だが、自己としての意志ある生物としては最低と罵られても仕方のないマネをした相手。

 だが、そのはずの「これ」が、どうして私の前に立っているのか。あのときに見えた瞳は確かなる人間という種族への絶望、そして悲観。艦娘という立場を最大限まで利用されることに反抗的な意識まで持ったとしてもおかしくはないはずだ。

 

「場所を変えてもいいですか? 電にお気に入りの場所があるのです」

「む、構わんが……」

「よかったのです。ではいきましょう」

 

 手招きされるままに、何を考えているのか表情が、いやその感情すら読めない。完全に固まっている顔の娘に導かれる。深海の脅威への対策。それも頭に浮かんだが、付き合いのある任務係のことだ、少しはあちらに任せても罰は当たるまい。

 いくばくかの予測を立てては、それらをすべて破却する。今はただ、この目の前にいる不可思議な存在に対して話を聞かねばならないだろう。そして、叶うのならば……前提督について少しばかりの情報が得られるだろうか。

 

 奥へと案内される。人の気配もなく、この手にある鞘に収まった杖替わりの軍刀。それが鳴らすカツカツという音がやけに響く。鎮守府施設の裏手を通り、今はまだ納めるべき資源もない多くの倉庫の中を歩けば、「これ」はひとつの空の倉庫を指さした。「ここにしましょう」と抑揚のない声で告げられ、逆らうことも無いのでそれに従うことにする。

 重々しい巨大な倉庫の扉を片手で開ける姿は、やはり人間ではなく艦娘という異形の存在であることを今一度認識させる。私が続けて入り、まるで逃がさないと言わんばかりに閉められた倉庫は闇に満ちた次の瞬間、その艦娘が艤装から分離して置かれた探照灯によって照らされた。

 

「ここなら、落ち着いて話ができますね。おじいちゃん」

「……なに、この矮小な身は貴艦の前では、とてもではないがね。逃げられはせん」

「それでも、です。電は個人として聞きたいことがあって」

 

 それで、こうしたというわけである、と。

 言い聞かせなくとも、姉妹の心を弄んだばかりのこの老害に言いたいことがあるなど分かり切っていた。だが、少しばかり腑に落ちないのは「聞きたいこと」であるという点だ。言葉尻の弱い、そんな恨みつらみを吐き出すのではないかと、従来の「電という艦娘」の性格から想像していたのだが、少しばかり当てが外れる。

 これも、前提督に可愛がられていたためであろう。心を持つ人間として扱われ、そして兵士として送り出されて来た艦娘の中には、いくらかこのように文面上のスペックでは想像しえないことがあってもおかしくはない。

 私もすべてがカタログ通りなどと、思ってはいない。あの時に心理誘導を行ったこの身ではあるが、あれは単なる偶然にすぎぬ。

 

「ほう、それは随分と大切な話のようではないか」

「とっても大切なことなのです。とっても」

「とても大切なこと。成程、是非とも答えられる限りは答えよう。私のように耄碌寸前の半死人に答えられるものであるのならば」

あなた(・・・)、は」

 

 もったいぶるように、それでもその言葉を重く吐き出した。

 目の前の兵器は、人ひとりなど造作もなく片付けられる威圧を抑え込んで。まるで寒さに震える赤子のように。見れば見るほどに、憐れむべきではないかという感情を誘発するような声色で。

 震えておった。まるで見た目通りの幼子のように。だが決して手を差し伸べようとは思えない、そんな感情が私の中に確固たる要として存在する。その製造された理由と、人間に似通ったものでしか無いという言い訳じみた真実を知っているのからこそ。

 

 私は、その問いを悠然と受け、返す準備を整えた。

 

「あなたは、電たちの敵ですか?」

 

 敵を射抜くかのような瞳だ。成程、スペック通りではないというのは面白い。

 探照灯の強い明かりを受けてもなお、その目は鈍い輝きしか纏えない。どれほどまでに「我が身」が罪深いか、刻みつけるように答えるとしよう。嗚呼いかんな、思わず汚らしい笑みがこみ上げて来るのを抑えられなくなりそうだ。

 そうだ、ひねり出すように、答えねば。

 

「私は紛れもない味方だ。貴艦らの敵では、断じて無い」

「そう、ですか」

 

 納得したような、それでいて相手に聞くべき問いに対して、自らで答えようとしている表情を浮かべている。大方、そういったところだろう。

 だが同時に少しばかり落胆する。駆逐艦、電の心は、やはりどうあがいても「植え付けられた優しさ」を取っ払うことなど出来ないのだろう。こうして答えただけで、電という艦娘に搭載された感情はまるで決まっていたかのように悩みを見せる。しかしそれが艦娘なのだ。

 この駆逐艦の場合は、優しさを強制され、矯正されている。

 あの時のように心がいくらか壊れていれば、まだ「人らしい」と言われただろう。だが私が「直してしまった」からには、この哀れなる兵器はいつまでも答えを変えられない自問自答に陥ることになる。

 使えなくなることはなるべく避けねばならない。私が死んだ後ならどうでもいい。

 だが、今はまだだ。

 

「私は」

「?」

「深海棲艦共を必ず殺し尽くさなければならない。奴らの発祥は不明、その似通った姿形から恨みを溜め込んだ艦娘がその正体なのかもしれない、そんな噂が真実であったとしてもだ。敵として現れたからには、慈悲もなく殺す。その領海を奪う。それが、私という人間の出せる答えだ」

 

 設定された言葉のように、「沈んだ敵もできれば助けたい」そういった発言をする駆逐艦:電という個体は数多く存在する。それだけではない、艦娘というのは同じ艦艇である限り、必ず共通して固定された台詞を持っている。

 そしてその言葉は、その艦娘に搭載されている心のあり方と全く同じであるのだ。

 この駆逐艦に、このような言葉を投げかけたのは此奴のあり方に真っ向から反対するような行動を私は続けていくという宣言だ。

 

「……わかりました、おじいちゃん」

「軍人ではなく兵器である貴艦らに、最早呼び方に関しては目を瞑ろう。だが、私が白だと言えば白と言え。黒だと言えば、たとえ白だとしても黒と納得させよ」

「はい……」

「だが、貴艦らはこの私の闘いが終わるその時まで、一隻足りとも沈ませるつもりはない。私の思い描く死への旅路に、貴艦らの先導は必要ないのでな」

 

 軍刀の鞘を強く、地面に叩きつける。

 それだけで何を言いたいのかは察したのだろう。製造され、そうであることを決定づけられた目の前の存在は、重苦しく閉じた倉庫の扉を今一度、その小さな手から発揮されたとは信じられない怪力でこじ開けた。

 不安げに見上げる姿は、この鎮守府近くにあるあの村にいた幼子と見まごうばかりに、精巧に作られている。深海棲艦と人間、そして私とこの艦娘。一体何がこの世界にとっての害悪であるのか、わかり切った答えを胸に抱きながら、私は倉庫を後にした。本当であるならば、兵器から流れてはいけない嗚咽の声を背中に受けても、足は止められんのだ。

 

 

 ――結局のところ、前提督の目的その他を聴くことが出来なかったか。

 ある意味で吹っ切れた心のままに、髭を撫でては潮風を身に受ける。港の方に目を向ければ、資源が溜まり始めた最近になって余裕が出てきたのか、艤装を装着し、模擬弾を装填し、海上を往く艦娘たちの鍛錬風景が見えた。

 一度の戦闘で最適化され、その艤装を十全に扱えるようになったとしても、アレラはある程度の自己進化を許された生きた兵器とも呼ばれているように、戦闘をこなす、演習で艦隊同士を戦わせる。そうして、戦闘行動が模範的なものから独自に発展していく。

 

 だがその戦い方は、かつての軍艦のような側面砲撃を主としたものでもなく、人間のように隊列を組んだ戦闘行動であるとも言い切れない。悪く言えば物語や創作のように、良く言えば常識を覆すような闘いとなっていく。

 戦艦形態、艤装形態。この2つの形態を持っているということからも、その変化すらも戦術と敵の予想を欺くような形で取り入れる。パレンバンからの帰投の際、那珂の戦艦形態で、敵の偽装形態戦艦級を押しつぶした時がいい例だ。深海棲艦と銘打っておきながらも、奴らは体勢を立て直し海上で攻撃態勢を取れなければこちらへ攻撃できないのだから。

 だがなぜ、奴らは行動できない海の底から這い上がるようにして襲撃してくるのか? その疑問の答えは、まだまだ此奴らに話すべきではないだろう。

 

「あれ、伏見さんじゃん。よーっす」

「重雷装巡洋艦、北上か」

「前と同じ返し方だね」

 

 言われてみれば、あの廊下で会った時もそうだったか。

 

「それよりまた考え事? なんかすっごい皺寄ってたけど」

「そうだな、少しばかり考えていたよ」

「年取ったら頭固くなっちゃいそうだもんね、あーやだやだ」

「まったくだ。考えなくともいいことまで、無駄に思考を巡らせてしまう。年は取りたくないものだ」

「……何か、皮肉とかには反論しないよねぇ」

「本部にいた時より、下官・上官問わず影で囁かれていれば」

「うっわ、そりゃ嫌でも慣れるかもね」

「…そういうことだ」

 

 言葉を先に掻っ攫っていく。どこか浮かんでいるようで、話しやすい。それでいて甲標的を装備し、高い殲滅力を持つ艦娘として「北上」やその姉妹の名は話題に上がることがあった。尤も、それも前時代の話ではあるが。

 だがその噂に違えず、多少の口悪さはあるとしてもこの軽巡洋艦はまだ話しが通じやすい類ではあるだろう。戦闘の際に見せる牙が、こちらに向きさえしなければ。

 

「そうそう、あんたが来てからさ。那珂とか天龍とか、影響受けた連中が必死になってるんだよね。訓練見てく? ちょうど軽巡連中が使う時間だし」

「ほう、時間は問題ない」

「いいね。んじゃ、あっち……って、見える?」

 

 首を振って、無理だと答える。

 北上が指をさした方向は、私の目ではかろうじて人の形であると見える程度の距離だ。隣のこやつは失敗したか、などと頬を掻いて冷や汗を流している。私としても艦娘独自の訓練とはどのようなものか、天龍への剣術の心得指南とはまた別の形を見ることができれば、何かを得られるかもしれないかと期待していたが。

 

「仕方あるまい。人間の限界だ。では、私は執務室に」

「あ、あの司令っ!」

「む」

 

 今日は台詞を遮られることがどうにも多い。

 何事かと声のした方向へ目線を下ろせば、そこにはこれまで交流が殆どなかった艦娘があるものを差し出していた。頭身は随分と低い。片手でそれを、手にとった。

 

「これ、使って下さい」

「艤装の、双眼鏡?」

「はいっ! こうして顔を合わせるのは初めてですね!」

 

 双眼鏡を手渡した後、しっかりとした海軍式敬礼。

 初期の頃より頭に装備された艤装、22号対水上電探が特徴的な駆逐艦・雪風である。表情の読めない朗らかな笑みをこの老いぼれに見せながら、何食わぬ態度で雪風は言う。

 

「それなら人間にも使えると思いますので!」

「そうか、助かる」

 

 積もる話があるのかもしれないが、後に回せばいいだろう。双眼鏡を覗き込み、近くの係留柱(ビット)に腰を下ろす。軍刀をこちらに凭れさせ、鍛錬を行っている軽巡洋艦とやら見始めることにした。

 

 

 本日の波の揺れは、どうやら穏やかであるらしい。

 そうした海上に波紋と飛沫を上げて突き進む幾人かの姿。軽巡洋艦の艤装に身を包む艦娘たちである。艤装形態にて射撃訓練をしている中には、伏見の見慣れた三隻――天龍・那珂・川内――の姿もあった。残りの五隻はまだ、彼とろくに会話も交わしたことのない艦娘たち。今のところは伏見が見えなかったように、戦艦形態での訓練を行っている者は居ないらしい。

 

 ここで、動きがあった。

 水上に立つ数十の的は、最初は全て伏せていた。だが、深海棲艦の動きに似せたのだろうか、突如としてそれらの幾つかが勢い良く垂直に立った、と思った瞬間にその中央から的部分を破壊される。

 外れた弾が勢い良く飛沫を上げる様子も見受けられない。艦娘たちの表情は皆様々では有ったが、一様にして真剣味を帯びている。砲撃の力強い音は、港で観察している伏見の耳にも残響として届いていた。

 隊列を組み直し、現存する鎮守府の八隻ある軽巡洋艦は、4:4に分かれて一列を作る。中央に護衛するべき艦がいる時の陣であろうか、その間隔を守りながら進み、また突発的に中央側に出現する的は破壊した後、その残骸が障害物とならぬよう破片すらも爆風で吹き飛ばす。

 

 (てき)が跋扈する海域の端まで到達した時、八隻の艦娘は進行した方向とは逆側を守るように列を成す。その瞬間、破壊されずに残っていた全ての的が乱立し――

 

 全艦、()ぇッ!

 

 とある艦娘の号令とともに、艦娘の艤装として取り付けられた砲台全てが破壊の嵐を生み出した。ドミノ倒しのように艦娘に近い場所から的は粉々に破壊されていき、最後は一つたりとも残ることはない。

 護衛するだけというのは最早人間にしか通用しない。出会う深海棲艦、なるべくその全てを殲滅することが艦娘に対して第一に遵守すべき命令として与えられる。それは前提督からの教えでもあったのか、伏見が命じた覚えがなくとも、種類を変えつつも一貫して敵艦隊の全滅を目的とした訓練であることは間違いなかった。

 それからは静けさとともに、第二波を警戒する態勢。だが、的も上がらず向こうでしか聞こえない訓練終了の合図があったのか、艦娘たちは一様に張り詰めた空気を霧散させて、各々を励ましあう。

 

「本日の訓練はここまでのようですね」

 

 雪風の声が隣から聞こえる。

 伏見の意識は、そうして双眼鏡のこちら側へと引き戻された。

 

「礼を言う」

「いえ! 司令(しれい)のお役に立てたのならば光栄です!」

「あれ、あんた前提督のこと気に入って…あぁ、そういうこと」

「何ですか? 北上さん」

「ナンデモナイヨー」

 

 誤魔化すように言う北上の真意を、私は理解していた。

 駆逐艦雪風。かつての大戦にて終戦まで生き残った数少ない艦艇の魂を受け継ぎ、艦娘としてもなお未知数の幸運艦としての名を馳せている。その製造数は非常に少なく、日本所有の鎮守府に一隻あるかないか、と言ったところか。

 そして何より、他の艦娘と同じだ。

 私の呼び方が、前提督と見比べていることはすぐに分かった。資料通りでしか無い艦娘という存在は、やはり人事とは全く違う。そう思い知らされてばかりだ。

 

「貴艦はなぜここに?」

「電さんが司令を連れて行ったので、気になりまして!」

「そうか、では聞こえていたかね?」

「はい! これからもよろしくお願いしますね!」

 

 元気いっぱい、というべきか。

 その雪風に対して、北上の反応は苦笑いといったところか。

 

「……まぁなんて言うか、雪風はこんなんだよ。伏見さんは手綱握れるかな?」

「無論、艦娘は艦娘でしかなく、その逸脱は残念ながら報告されておらん」

「だよねぇ」

「北上よ、貴艦もそれに含まれていることは忘れるな」

「知ってる」

 

 そう、それを踏まえての対応だ。北上にはこれといった注意も、忠告もする必要はない。当人がそうである態度のままに当たれば、あちらはそれを理解した上でそう動くのだから。

 

「ふむ、忘れる前に言っておかねば。駆逐艦・雪風に命ずる」

「何でしょうか」

「貴艦所属の第四艦隊は後日、遠征を予定しているのでな。詳細は本日一五◯◯、任務係のアナウンスに従い、集合場所を伝える。同じく第四艦隊所属の艦娘へ事前に伝えてもらいたい」

「了解しました! それでは行って参ります!」

 

 恐らくは、あれも那珂やこの北上と同じ手合、か。

 いや、憶測ばかりを立てても仕方があるまい。

 係留柱から、軍刀に力を込めて立ち上がる。座り込んでいたのだろう、こちらを見上げる北上に、時間を取らせたと言ってその場を去ろうとした。だが、聞き逃すことの出来ん一言が我が耳を打つ。

 

「そういえばさ」

 

 声を、かけられる。

 

「龍驤に頼んだもの、見つかった?」

「……いや、だがいずれは」

「そっか」

 

 ……まったくもって油断ならん。艦娘の聴力というべきか、情報収集能力は対人戦で役立てようという案が引っ切り無しに出てくるわけだ。納得せざるを得まい。いったい何度、このような身のすくむような体験をしなければならぬのか。

 

「でも気をつけてよね、あたし以外にも気づいてる奴はたくさんいるし、何考えてるのかもわからないのもいる。この会話だって、あそこの軽巡連中にも聞かれてるんだから」

「心に留めておこう。忠告感謝する」

「ふふーん、やっぱ北上様は役に立つよね。ま、あとどれだけ保つかわからないけどそれなりにやってこっか。じゃあね~」

 

 ある意味で、一番読めない相手かもしれん。

 含み笑いを持たせている、あの飄々とした態度にはやはり北上という艦娘の性格がそのまま浮き出ている、が、先の電のことでも解決し切ることはなかったように、艦娘というのは制御できたとしても操作することは難しい。

 搭載された感情とはいえ、それは感情に違いない。人間味を帯びた、状況判断が可能な性能の良い欠陥兵器。そしてただ、唯一の深海棲艦への対抗が可能な浄化の力を持つ存在。

 

「気を引き締めなければ、食われるのはどちらからが先か」

 

 頭を振って、その考えを否定する。

 食われる、などと。喰らい尽くすのは人間(こちら)の領分だ。何もかもを食い尽くし、敵対する者は利用し、エコだ効率的だと見かけは綺麗な言葉で飾りながら、放っておけば腐臭を放つ存在へと昇華する。それが、我々人間の長所であろう。

 

 足取りは重い。緊張から来ているのか、はたまた私自身の負い目から来ているのか。かつて那珂に傷つけられた傷跡が、これこそが私が生きる罪深さであると言わんばかりに幻痛を発してきた。後遺症はあるといえ、精神にまで語りかけてくるとは実に獰猛なものよ。

 そうだ、あの時よりこの日まで、龍驤からの報告は芳しくない。

 見つけるべきものを詳しく伝えていないというのも拍車をかけているのだろうが、それでも手がかり一つ、このリンガの近海では見つかることはなかった。代わりに、伏兵として忍んでいたと思しき深海棲艦ならば見つかったが。

 

 私の持つ真実も、いつかは伝えねばなるまい。だが、それが明かされるのは私の探しものが見つかったその時からでなければならない。ただの詭弁だとは分かっている、だが、そうでもしなければ――

 

「……いかんな、年は取りたく無いものだ」

 

 ああ、全くだとも。嘆かわしい。

 




縛り内容 ではなく、公開情報

任務係は一般に言う「大淀」という艦娘ではない。
だが、同時に純粋な人間でもない。

▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。