鎮守府におじいちゃんが着任しました   作:幻想の投影物

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撤退は許されない。
皆ここで散る事こそ、正しき未来を――
  嫌だ、死にたくない! オレを故郷に返してくれ! なんだこのさくせ

繰り返す、撤退も、敗北主義者もこの地にはいらん。
皆、死ににいけ。それが未来だ。

―――再編成された南雲機動部隊作戦基地跡、音声記録より。


道程

 戦況は芳しくない。そうした判断を下すに足りる情報ばかりがなだれ込んできた。那珂率いる軽巡洋艦の機雷設置用臨時艦隊は、鎮守府より760kmほど離れたマレーシア本島と北スマトラ海域の間、つまりはマラッカ海峡より襲撃を受けたとのこと。平均水深は約25メートルしかない、この浅く狭いかつての輸送航路は、人類が深海の脅威に脅かされる以前には盛んな輸送に使われていただけあって、航行するにしても快適この上ない。かつ、この鎮守府聳えるリンガ島へ直結しているということを踏まえれば敵へ来てみなさい、と案内するようなものだ。

 とはいえ、世界地図上で見れば確かに内陸地への入り組んだ地形であろうとも、その間を大型の艦が通り過ぎるのはたやすい。縮尺を見ればわかるとおりに、有り得ないが、数キロメートルもある幅の船でない限りこの地形を突破できないという事はありえない。

 

 起こるべくして起こった強襲。まだ艦娘を率いるのに慣れていないと言うのは言い訳に過ぎない。深海の脅威は今のところ地上に及ばず、なおかつここ数日はあちらから打って出てくることがなかったと安心しきっていたのも護衛・引航させる艦を控えさせなかったこちらの落ち度に違いない。

 なおも進撃は続いている。だが、一つだけいい情報をも取得した。敵は航行速度が比較的遅い艦が多く、またなれない浅瀬での活動は動きが鈍っているのか、常時2馬身の差をつけるようにして逃げ帰ることに成功したと那珂からの報告を受けている。

 だが、相手は圧倒的な深海棲艦勢力。悪い情報ももちろん存在した。

 続けざまの報告によれば、その大半が黄金の瘴気を撒き散らす戦艦型。現在は敵も棲艦形態による湾岸の破壊行為を行いながら、こちらへゆったりとした足取りで向かっているそうだ。勝者を気取った余裕か、はたまた手当たり次第に生命という生命を破壊し続ける深海棲艦の特性に従ったまでに過ぎぬのか。あの怪物どもの思考を読み取ることなど到底不可能であるが、今はこの鈍足という事実に感謝して攻撃艦隊の編成と防衛陣形を組まねばならぬようだ。

 執務室のマイクへ指を伸ばし、警報と赤光飛び交う鎮守府へ命令を下す。

 

「各艦娘へ通達。陸奥、伊勢、日向、金剛、比叡。この泊地に存在するすべての戦艦に加え、水上機母艦千歳を加えた6艦を当鎮守府の臨時第1戦隊へと制定する。鎮守府内の担当艦娘以外の全妖精は千歳の艤装へ集中、水上機へ乗り込み千歳の号令に従え」

 

 突如、横のランプがカタッと音を立てて揺れた。目には見えぬ確かな質量がちいさな足跡を立ててドックに向かい、命令通りに妖精は戦闘準備に取り掛かったようだ。

 

「続いて吹雪型全3隻は川内を旗艦とした第一艦隊右翼側の水雷戦隊を組め。初春、雪風、望月、叢雲は阿武隈を旗艦として左翼側を。以上の艦娘以外は空母系を除いて鎮守府前にて迎撃体制をとれ。恐らく、狙いはこちらに集中するだろう。敵航空機の襲来に備えて網を仕掛けるのだ。煩いハエに決して我らの海を、我々の空を好きにさせるな。敵情報に関しては艦娘の同調を用いて把握、以降は同調を繰り返し戦場を掌握せよ。各艦配置につき次第、行動開始」

 

 ドタドタと騒がしい足音が増え、それからシン……とこの基地に静寂が訪れた。

 港からは船の騒がしい動力の音が響き渡り、これから戦いが始まるのだと予感させるような、子ども時代の出港する軍艦を見送った風景が、あの懐かしい光景が思い浮かぶ。戦艦形態の艦娘を見送ったあの光景から一転、今度は私自身の手で艦娘を率いて戦うことになろうとは、実に人生とは数奇なものだ。

 だが、私自身は鎮守府に残り続ける。最前線に立つには、あまりにもこの身は老いさらばえたということを、前回の出撃で身を以って知ったからだ。何とも、かつての大日本帝国のやり方とは程遠いか、知らずのうちに顔も知らない天皇陛下へ皮肉気な嘲笑が漏れてしまう。忠誠など、在ったものか。無形の神こそ存在しても、有形の生き神などあるはずもない。死ねば皆、同じ肉袋なのだから。

 

「だが、それ故に死ぬわけにはいかぬよ」

 

 再認識するようにつぶやいた言葉。もう似たようなことを何度言ったかも覚えてはおらん。年を取りすぎると同じ言葉でも、繰り返して言っておきたいような衝動に駆られるとでも言うべきか。

 本来、軍艦の提督という立場にありながら、戦いであるというのに旗艦へ搭乗せずに通信機器を前にして指示を飛ばすだけの役回りか。最前線の指揮は大いに乱れるであろうし、鎮守府近海に敵艦載機や強襲部隊が襲ってきても、資格情報がないためにろくな戦況判断など望めんだろう。艦娘達には多大なリスクを負ってもらうことになるが、まぁ今回ばかりは仕方がない。一隻たりとも無駄にする気はないが、いざとなれば。

 不穏な空気が近いだけに頭の中には剣呑な考えばかりが浮かんでくる。ただ、限られた期間しか与えられていないこの老体には、その一刻すら惜しい。目的の先には己の滅びのみが待ち受けているとも重々承知の上だ。だからこそ、私は。

 

「……秘匿回線だ、繋いでもらえるかね」

「…………」

 

 重ねて言うようだが、私には存在もしているかすらも分からない、妖精への問いかけ。だが、やはり私の周りには一匹ほど残っていたようで、スピーカーからは砂をひっかいたような一瞬の乱れた音。誰、とも言っていないだが、不思議とそこにいた妖精に意図のすべてが伝わっているような気がして、私は次なる言葉を紡いだ。

 

「軽空母、龍驤。誰にも悟られず執務室に来てもらいたい」

 

 そろそろ、動き出さなければならんのだ。

 

 

 

「Hmm……」

≪お姉さま、提督の指示なのですから……≫

「でもネー、いきなりの全員出撃? それも邪険にしていた私たちをヨ? 私たちがいると邪魔だから、追い出したようにしか思えないネー」

≪疑るばかりでは何も生まんが…同感だ≫

≪あら、そうかしらね。おじいちゃんにしては良くやってる方だと思うけど≫

≪≫

 

 金剛の呟きに、日向が同意を示した。伊勢や陸奥も、やっぱり意見としては伏見がそれぞれ艦娘に別々の印象を与えていることを示してるようだ。

 出撃指令後、鎮守府から、艤装形態のまま戦艦5隻、水母1隻として繰り出されたこの艦隊は、左右に伏見が指示した水雷戦隊を侍らせながら戦いへの経路を進んでいる。しかし、全員が艤装形態のままであるのは、大きな船影である戦艦形態のままであれば敵から発見されやすく、先制攻撃を受ける危険性があるからの処置。されど、どちらの形態でも航行速度が変わることもないため、艦娘という存在がいかに戦術的・戦略的価値の高い兵器だということを示しているのかがよく分かる。

 とは言うものの、搭載されているのは少女や女性の人格。それも空想上にしか存在しないような「個性的」な人格ばかりである。設定されたそれからほとんど逸脱しないが故に、彼女らは常に利用しやすいものとされているのだが。

 

≪そうですね、敵フラグシップ級の中には形態に関係なくダメージを与えてくる輩がいるようですが、私たちは結局のところ相手に合わせるしかできないんですし、ともかくいつも通りに“提督が居なかった日々通り”に殲滅していけばいいと思いますよ≫

≪そうは言ってもねぇ、千歳。実戦でこれだけ沢山飛ばすのは久しぶりでしょう? あなたは無理しないで下がってていいわよ≫

≪陸奥さんのお言葉に甘えたいですが……提督の判断次第です。いつも通りですが、今回は通信で提督の指示もあった事ですし≫

≪あ、そうよね。あらあら、さっき自分で言ってたのに大切なこと忘れちゃってたわ≫

 

 疑ることをしないというわけでもない。ただの道具としては終わらないのが艦娘という存在であろうか。そうしてふぅ、と陸奥のため息が通信越しに響き渡る。

 金剛はふと、これを聞いているはずの伏見がまだ何も反応を示していないのは、一体どういう事なのかと首を傾げざるを得ない。と思ったその時、あのしわがれた声が聞こえた。

 

≪おおよそ、数時間後に戦闘海域に到着する。こちらの合図で千歳は偵察機を発艦させろ≫

≪分りました、提督≫

≪それから、前線に出ている君たちには頼みごとがある。何、簡単なことだ≫

「……All right、ミスター。私たちは何をするんデスか?」

≪那珂の報告から推測したにすぎぬが、まぁ知っておいて損はない。調べてもらいたいのだよ、戦闘中、君たちが敵に関して感じたこと、どんな細かな情報であっても、各々の視点からそれぞれ報告書を提出してくれたまえ。件の形態変化の常識が通じない敵艦もいたならば、その数も事細かに記してもらいたいのだ≫

≪わかったわ、じゃあおじいちゃんは指令室でふんぞり返って待ってなさい。いい戦果を報告してあげる≫

≪……ふむ、こちらの身を案じてくれているのはとくと理解させていただいた。不敬な口をたたいたことは不問にしよう、戦艦陸奥≫

≪あら、どうもありがとうね≫

 

 返答を訊く前に、本部のいささか型が古いマイクのノイズ音と一緒に通信が断ち切られた。これを、艦娘たちは「指示は最低限なため、自由に戦え」という意味であると受け取り、同時にまだ実戦経験の薄い水雷戦隊の両翼は提督の指示がないことに不安を覚えているらしい。

 だが、指揮系統は提督不在の際にも深海棲艦と場数を踏んで渡り合ってきた戦艦級が味方にいる。戦いの渦中にいることで総合的な判断力は劣るだろうが、「この程度」の規模の敵ならば後れを取ることはまずないといっても過言ではない。知らず、口許を緩めたのはこの14隻の中にどれほどいたであろうか。戦いの砲火が交わされる時は近く、その戦意に呼応した兵器共は無意識の内に己が本分を呼び起こし始めていたのだろう。

 

 

数時間後、敵側の先制で攻撃は開始された。

 始まりは敵の先制空爆だった。桜花特攻をも厭わぬ小さな偽装形態の艦載機の群れの中心に、覆い隠されるような形で包まれていた棲艦形態の爆撃機。早期の発見、形態の違い、機銃の掃射による対応で直撃する危険なダメージはなかったものの、巻き起こる爆風による視覚阻害まではさすがの彼女たちであろうと影響を受けずにいられるというわけではない。

 当たり前ではあるが、それだけで終わることなどない。第一波をしのぎ切り、ほぼ無傷で潜り抜けた艦娘に待ち受けていたのはさらなる絶望。前回に比べ、おおよそ二、三十に匹敵する敵戦艦の群れ。まるで水平線から顔を出す太陽のように、見渡す限り黄金のオーラが立ち上るさまを見つけた瞬間、艦娘たちから優越的な笑顔は消えた。続けざま、当たることも何も考えない、知能を感じられない砲撃の嵐。ただ外敵を見つけたからと言うように、風を裂いて飛んでくる巨大な棲艦形態の砲丸が勢い良く水柱を立たせたことで、海を大きくうねらせ、バランスを崩された艦娘を偽装形態の深海棲艦が追い打ちを掛けるように鉄の雨を降らす。ゆっくりと、その航行速度の遅さでじわじわと、隊列を崩すことなく迫ってくる敵の姿は吊り天井をも想起させられる。

 されど、金剛型の砲塔は回った。横に87度、連装砲は縦に40度微調整。距離を測り、電探の情報が艦娘のネットワークを通じ、情報は絶えず更新、リンクされる。荒れる波にあおられながらも、ひときわ大きな津波が艦娘を襲う。強大な質量は、艦娘の形態に関係なく甚大な被害を与えるであろうことは確実。これすらも、深海棲艦は狙っていたとでもいうのかと、この場に第三者がいればもはやこれまでと己の蛮勇を呪ったであろう。

 されど、この場にいるのは兵器。艦娘であった。

 

≪砲撃、始め≫

 

 指揮()の声が響き渡る。

 壁となった波のカーテンは円形に抉り取られ、鉄の塊が空けた幾つもの穴からは爛々と輝く殺意の目を覗かせる。ひときわ、喉を無理やり通り過ぎたような声が、兵器の電源を蹴り起こした。爆音が艤装を揺らし、搭乗員(妖精さん)が次弾装填、艦娘がトリガーを引き絞る。敵棲艦形態の姿を発見した瞬間、金剛は光に包まれ大戦艦金剛へと姿を変える。艤装形態の時とは比べ物にならない音の暴力が、静寂なる海を砲火の戦場へと誘った。

 激戦、勃発。それか、数時間前にまた時はさかのぼる。

 通信を切った伏見は―――?

 

 

 

 音声を切った。周囲が見えていない状態では、私の指示を聞くよりも彼女たちの独断で動いた方がいいだろう。元々最上位の指揮系統が挽回した状態でも数カ月もの間深海からの脅威を退けてきた彼女たちにはこの程度、すでに慣れきったものであるに違いない。指揮官などいらぬのか、と苦笑が漏れる。わかっているとも、その戦果は、これまでずっと処理・整頓していた過去の報告書や資料によって裏付けされたものなのだから。

 さて、先程から訪れていた「龍驤」だが、ふてくされた表情でこちらを見やっているようだ。

 

「なんやの、この基地唯一の軽空母。そんなウチだけ呼び出すなんてよっぽどのことやないと思ってみれば……これ見よがしに。当てつけかいな? あーあ、ウチも飛ばしたいなー」

「全くそのつもりはなかったのだがね。ただ、先ほどの陸奥と同じく口のきき方には気を付けたまえよ」

「謝らんあたり流石やわ、と言って欲しかったん? 爺ちゃん、所詮は本部との繋がりもほとんどあらへん。お山の大将気取って……ああ、ちゃうな。お山の大将に自らなろうとしとるんや、その目的がなんか知らんけど、変な使い潰しはごめんやで」

「だが、使われてくれるつもりはあるわけだ。驚いた、良い心がけではないか」

「ウチらも道具でしかあらへんからこそ使われたいんよ、結局はなぁ。ただ、意思のある道具っちゅうことで使い道を正しくしてほしいだけやで。被造物に深い意味なんぞありはせんのや」

 

 悟ったかのように振る舞う龍驤。これが、兵器という久遠の存在でなければ容姿と言葉の差異に、我々はこのような時代を歩んできたことを後悔していただろう。それほどまでに、人に近い形のものが見せる憂いというものは、人間の、ひいては私の心を揺り動かしかけた。

 

「……ほんなら、本題に入ろか」

「そうだな、君ならばこれからの特務を言い渡すことができそうだ」

「どうせ待っとるんは数十秒後か、数十年後の破滅や。ええで、どんな無茶ぶりにも……戦いさえついてまわっとるんやったら受けたるよ。誰かに言うたりもせん」

「幸先がいいとはこのことか、では天運がいいうちにさっそく行動に移すとしよう」

「ウチとしては那珂あたりがこういうのするんやないか思とったけどな」

「さてな」

「ケッ、食えんなぁ」

 

 一泊の間を置く。この兵器である空母・龍驤の覚悟を決めさせるというのもあるが、私の喉を休める意味合いをも持っている。だが、難儀なものだ。ほんの数秒に過ぎないこの感覚がなんともいえぬ重圧感として私の口を塞ごうとはするが、舌が潰れ顎が砕けることも厭わず伝えなければならぬのだ。

 

「別方向への哨戒、という形でこの……海図の点にいくらか飛ばしてほしい。目的は情報収集、といったところか」

「なんやの、ハッキリせん作戦やめてくれん?」

「私とて確証が持てているわけではない。だが、得たものによっては深海の脅威を堅実ながらも退かせることも可能であろうよ」

「あのな爺ちゃん、ウチの予想でしかないけど―――」

 

 次なる言葉を手で制す。

 わかっているとも、だからこそ、続きは言わせんよ。

 

「貴艦は命令に従えばいい。口外せず、特務を達成し戻ってくること。私はそれだけを願っている。成功の合否はともかく、行ったことにこそ意味があるのだ。いやなに、今回はほんの3時間もあれば済む。あ奴らが出撃から戻るころには、使用燃料の残量も“初の全員出撃で計算を間違えてしまった”とでもいえば、私の耄碌さに拍車がかかったのだろうな、と悪意はこちらに向くであろうよ」

「ああ、やっぱり。最初のスピーチん時から思うたんやけど、爺ちゃん進んで嫌われるんが目的かいな。ウチら道具ごときに優しいこっちゃ……いつか言うとった、家族に重ね取るんとちゃう?」

「ふむ、否定はできんな。それよりも、上司としては与えた仕事を速やかに部下にはこなしてもらいたい」

「はいはい、ウチに任せとき。ドックに集まっとる妖精借りてくで」

「遂行方法はそちらに一任しよう。ああ、できれば追加任務として妖精の確保も頼みたいのだが――」

「……気が向いたらな」

 

 手を振り、去っていく背中は扉の向こう側へと消えていった。ギシリと綿も傷み始めた椅子へもたれかかり、埃っぽい執務室の空気を肺ヘ満たして、大きく吐き出す。

 これからは、艦娘の聴力にはより一層気をつけなければならないらしい。

 

 

 

 

 

 

「こちらが報告書ネ。戦績は言うまでもなくMission completeヨ」

「ご苦労、下がっていいぞ」

「私もこれ以上、ミスターが提督の椅子に座る姿を見たくはないネー」

 

 白い改造巫女服の袖がドアの向こうへ吸い込まれ、バン、といささか乱暴に扉が閉められた。騒音に因る、ただでさえ短い寿命を減らすような行為、上司に当たる私への不敬、通常の海軍、無能な自分勝手な上司ならば罰せられ、投獄されることも少なくはない状況であるが、あの金剛自体が兵器という身分、そして私もそれを容認しているという現状に、一昔前のしゃがれた悪役のような笑みが込み上げてくるのを抑えることは叶わなかった。

 それよりも、今はこの紙の束に目を通すべきであろう。はやる気持ちを抑えられず、すぐにでも、と言わんばかりにそれらに手を伸ばす。

 

「ほぉ、こちらへどんな当て付けを送ってくると思えば、なかなかどうして……」

 

 今度は、違う意味での微笑が口元をゆがませる。皺の刻まれた自分の顔は、それにより更に見れたものではないものとなっているだろうが、私がそんな些細なことを気にする程乙女な思考回路を持ち合わせているはずもない。すぐさま、書類へと没頭した。

 

 数日前の戦闘報告書。沈めた敵艦の数、種類、そして個人的に頼んでおいた敵の特徴がこれでもかという程、「余白も見えないほど」ちりばめられていた。事細かで、どんな小さな情報も欲しい我が身としては嬉しい限りではあるが、本部の報告書を録に読みたくもない腐りきった事務職の輩にとっては、なるほど、最大の苦痛となるであろう。

 だが、今回ばかりはどのような意思が込められていようとも、この報告書一枚一枚が非常に貴重なものには違いない。一部、報告書にしては前任の提督の影響か、文面上の口調が日記形式というか、一人称形式のものや「でした、ます」などが手に取った中でもちらほらと見受けられる。戦艦など大型艦連中はまだマシと言えようが、経歴上の出撃回数、及びに常務が少ない駆逐艦系統の艦娘は、特にそういった傾向が多いらしい。艦娘の起動時には搭載されているはずの基礎情報には、一通りの常識や知識は詰まっていても、艦種の大きさによってはバラバラであるようだが、まったくもって難儀なことだ。

 一枚一枚、丁寧に片付けていきながら次の一枚へと手を伸ばしたところで、不意にドアの方から音が聞こえた。先ほどの金剛の乱暴な締め方のせいか、少しノブのあたりを弄るようにやかましくなり、そして4秒後には扉が開く。

 集中を途切れさせられた身としては文句の一つも言わなければ、と方向転換してみれば、そこには知った顔が除いていた。

 

「よークソジジイ、暇か?」

「見ての通りだが、なにかね」

「最近資材不足で艤装がなぁ、点検の妖精も一新されちまったせいでなーんか違和感あるんだよな。そこんとこ融通通らねえか直談判しにきた」

 

 男らしい態度でニカッと笑うのは軽巡天龍。ここを訪れた理由としては最前線で戦うものとして正しいものに思えるが、この小娘がそんな真っ当な理由付けをしてくるわけもなかろうて。

 

「嫌がらせも程々にしておきたまえ。提督命令で謹慎でも言い渡されたいのかね」

「げっ、バレてるし。だけどよ、艤装云々はマジだぜ」

「……分かった、少しそこに座って待っていろ」

「話がわかるジジイで助かるぜ」

 

 不敬の言葉に関しては今更だ。前提督に関してはある程度吹っ切れたようであるが、私に対する態度としてはこれを崩すつもりもないらしい。だが、これも元はといえば艤装をサーカスのように扱う天龍自身の責任もあるはずだが……。

 思わず、ため息を吐く。余計な愚痴も、年をとるごとに増えてきている。己の最優先されるべき目標があったとしても、脳が衰えたせいで余計なことばかりに働かせてしまうことが多い。

 立ち上がり、埃が綺麗に掃除された分厚い一冊の本を手に取る。目録を見ながらある頁を開き、そのまま天龍へと手渡した。

 

「そこに艤装のデータを妖精に譲渡する方法が書いてある。必要だと思ったのなら、各員分のコピーを取って配布しておくといい」

「おっサンキュ、知らない奴も多そうだしそうしとくぜ。ありがとなー」

 

 嵐のように立ち入り、嵐のように去っていく。天の気まぐれとでも言うべき気性はその名が通じるところから来たものか、ギシギシと潮風に当てられた関節を傷ませながら歩けば、慣れ親しんだ苦痛に老いを何度も確認させられる。

 あと数ヶ月もすれば立ち上がるのすら億劫になるであろう。そして、残りの時間は寝たきり提督の完成というわけか? いや、自嘲に過ぎるな、忘れてしまおう。

 

「……ふぅー」

 

 座れば、椅子との間に根が張りそうな心地よさ。

 もっとも楽な体制となるのが、現状この椅子に座ることだった。

 されど心が晴れることなどない。陰るばかりが心境の、腐れ爺とはどこに需要があるのやら。後悔ばかりを書き綴るのはいささか飽きてきたところだが、よもや目的までもを飽きたとは言えぬのが生きる辛さというもの。

 さて、続きを拝見すべきかと読み始めるのを再開した瞬間、書類を捲る手がひた、と止まる。ちらりと目に入った一文は探していたものとは程遠くも、関連性も近からず、されど深海棲艦のものであるということには違いない。

 絵日記である。いや、正確には絵日記地味た報告書か。語尾もそれらしさなど全くないのだが、完全な一人称視点を通じて描かれた出来事は事細か、かつとある事象一点にのみ絞られた報告が成されていた。その筆者は、幸運と奇跡を謳われし駆逐艦、呉の雪風。

 

 かの大戦争の折、数多くの武勲を打ち立てた艦は、意外なことに最も武装が小さく耐久力も低い、されど速度がある駆逐艦という艦種が挙げられる。鬼神綾波、佐世保の時雨、このような呼び名すら存在している。最も、その武勲に反して穏やかな性格の持ち主ばかりが艦娘の現状ではあるが。

 

 さて、あの雪風。幸運とは己の生き残り以外にも発揮されたというのか、はたまた様々な憶測が灰色の脳細胞を巡るが、私の頭はそれらをすべて隅に追いやり、ただただその報告書の内容に、その「絵」に見入っていた。

 

「……姫、か。なるほど、姫君直々に、あちらから来たとはな」

 

 姫。それは、そこに棲む姫。

 深海棲艦の中でも、唯一言語らしき呪怨を紡ぎ、艦娘ひいては全ての生物に怨念の砲弾を浴びせかけてくるという災害のような存在。棲艦形態の姫は、およそ船としては機能しないような兵装のみで組み上げられた物体として知られており、偽装形態になった姫、ひいてはその下位種であるとされる「鬼」もまた、自身は兵装と完全に分離された美しくも畏ろしい美女としての姿が確認されている。

 元々はかの大戦争に起因した場所でのみ存在が確認されていたが、その発生起源は明らかとされていない。いつの間にか発生し、掃討された後はいつの間にか「分解」されている。そんな謎に包まれた存在であるというのが、「海軍大佐以下」の持つ情報の全てである。

 

 ……ようやく突き止めた、ここに来た甲斐があったというものだ。

 くっくっ、と喉をつっかえたような笑いが込み上げてくる。声に出すような愚行は犯さん。あの艦娘共に知られてはまた面倒なことになる。動機が激しくなる心臓を抑え、書類へと視点を戻してみれば―――

 でるわでるわ、雪風の報告書から「姫」の字を探してみれば、事細かに記したもの、たった一度撃破したというだけのもの、敵艦と姫の動きの共通性を見出したもの。まるで輝石しかはいっていない宝石箱の中身をひっくり返してみたような有り様だ。

 

 自然と首が頷いてしまう。一つ一つを目にする度、顔に刻まれた皺が幾重にも重なっていくのが止められない。見難い皺くちゃの怪物が誕生してしまうほどに、嬉しさと悲願への結びつきが強まってくる。

 漏れ出てくる笑みは暗闇で響けば恐怖そのものであろうが、抑えることなどもはや不可能だった。最初にして、最大の足がかりが手に入ったのだ。龍驤を使う方向性もこれにて定まった。

 

「はっはっはっはっはっ………これは、これは……素晴らしいではないか」

 

 首を振り、少し目を瞑る。

 しばし訪れた静寂が、この部屋の寂しさを表しているかのように。

 自分の意識もまた、遠のいていく……。

 

 

 

 

「どもー、遅れちゃった……って、あれれ」

 

 キィ、と開け放たれた扉の先には、ほんとうに嬉しそうな顔をして眠っている提督さんの姿が。あまりにも満足そうなものだから、一瞬ついに死んじゃったのかと思ったけど、別にそういうわけでもないみたい。

 そぉーっと近づいて、手に持っていた報告書と机の上にぶちまけられたものを見比べてみると、提督さんが自分である程度分けたのか、姫の報告があるものとそうでないもの、それから細かいカテゴリに分けた、法則性のある散らばり方をしてるみたい。

 

「むー、こういうところがテキトウなおじいちゃんっぽいよね提督さん。こんな完璧超人の那珂ちゃん以外だったら、多分こうしてくれないよー?」

 

 聞こえてないのはわかってるけど、自慢するようにして自曲の鼻歌を歌いながらみんなの報告書をそれぞれに分けていく。提督さんが握ってたのもそっと取っちゃって、「姫」のまとめるほうに含めて整頓してあげた。

 さすがに机の中身は提督さんが隠しながら入れてるから、机の端に付箋を貼って並べておくしか無いけどね。

 

「…………」

「こういう姿見ると、ただの人間なんだよねー。あなたも」

 

 老人特有の触るとペタリとする肌には触れず、妖精さんを呼んで執務室のソファに寝かせてもらう。主を失った椅子が寂しげに揺れたけど、もう私はそこに前提督の姿を幻視することもなくなってる。

 思い出にひたるなんて人間みたいな真似、私たち艦娘にはおおよそ似つかわしくはないけれど、提督が優し(偽善に)過ぎたから、こんな感情を持つにまで至ってしまった。悪いものである、とは言い切れないのも優柔不断さを受け継いだせいかもしれないね。

 

「おやすみ、獣なんてもういらないから。今はおやすみなさい」

 

 本当の姿を観ることはなかったけど、沈んだ彼を思い起こせば、分かる。最後の時が訪れるよりも早く、私たちが慕っていた提督はどこにもいなかったんだって。

 あの時からここの艦娘は変わってしまった。なんて、私が言えたギリじゃないけども。

 




縛り内容公開


 難易度:無意味
・製造直後の艦娘は、一度出撃するだけで最適化される。
 しかし、この世界における艦娘製造技術は失われているため、この利点は現存する艦娘に適用されることはない。

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