少年の誓い~魔法少女リリカルなのはO's~   作:さっき~

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――駆ける、駆ける、駆ける!!
――見慣れた景色を振り払うように、只管に前へ。
――呼吸すら忘れてしまいそうな、それ程の急を要す今の状況。

――発端は、アルフから受けた連絡だった。

(フェイトが居なくなっちゃったんだよ!!)

――余りにも唐突過ぎて、最初は何を言ってるのか分からなかった。
――彼女が言うには、ハラオウンから俺の警護をお願いされたらしい。
――だが主人の様子が気に掛かったアルフは、ひなた園へ向かう途中、踵を返して家に戻ったのだ。
――そしてアルフが戻った頃には、既にハラオウンの姿は無かった。
――家から離れたとは言え、時間にすれば10分弱。
――明らかに計画的な行動だと分かる、アルフが不安がるのは無理も無い事だ。

(強盗の類か!?)
(いや、荒らされた形跡は全く無かったから、それは無い筈だよ。それにフェイトなら、強盗程度に遅れを取る訳無い)

――自分のご主人様が行方知れずという異常事態。
――それでもきちんと現状を把握して、必要な情報を頭に叩き込んでいる。
――自宅内は綺麗なもので、ハラオウンの自室もきちんと整頓されていたらしい。
――バルディッシュは持っていったようだが、他の物を持った様子は見られず、着の身着のままで居なくなったという結論。
――そんな状態で何処に行くって言うんだ、アイツは……。

(使い魔のリンクは殆んど感じられなくて、バルディッシュにも連絡が付かなくて、今何処に居るのか全く分からないんだよ……)

――冷静を装っているように聴こえるが、徐々に言葉尻が弱々しいものに変わっていく。
――誰よりもアイツに近しいアルフでさえ見付けられずにいる。
――それを分かっている彼女だから、こんなにも激しく焦燥に駆られているんだろう。
――ったく、お前をここまで大切に想ってるのに、悲しませるような事するなっての。

(さっきからずっと探してるけど、全然見付からなくって。アタシ、どうしたら良いのか全然分からなくて)
(アルフ……)

――誰よりも彼女を理解していると思っていたから、こんなにも辛い。
――いざという時に何も出来ない自分が恨めしい。
――念話越しで感じるその声は、それ程までに自分を責めていた。

――でも今は、自責に駆られている暇は無い。

(兎に角、こうなったら手当たり次第探しまくるしかない)
(聖、でも……)
(泣き言も言い訳も無しだ。何が何でも、どんな手を使っても、アイツを必ず見付ける!!)

――前へ進むと決めた、アイツに出来る事をすると決めた。
――今更、この程度のハプニングなんかで俺の決意は揺らがない。
――アルフ、それはお前だって同じ気持ちの筈だ。

(……分かったよ。アタシは空から離れた場所を探すから)
(俺は海鳴周辺を重点的に、だな)
(頼んだよ、聖)
(そっちこそ)

――交わす言葉は短く、だが互いを信じる想いが込められている。
――念話を切って、俺は改めて捜索に乗り出す。

《It is necessary never to never find her.(絶対に見付けなければ)》
(当たり前だ!!)

――きっとアイツは、何処までも俺達から離れようとするだろう。
――あの時の諦観の眼差しは、紛れもなくその意志の表れだった。
――誰にも依存しない為に、大切な人達に迷惑を掛けない為に。

――俺にはそれが本当に正しいのか、間違っているのかは分からない。
――その真偽を決めるのはハラオウン自身であり、俺ではないのだから。
――でも、まだそれを決め付けるには早過ぎる。
――だから俺は、無理矢理にでもお前を連れ戻す。

《Hijiri(聖)!!》
(――――ちっ)

――海鳴臨海公園を海沿いに走っていたその時、視界に映る風景が一変した。
――所々の色が抜け落ちた不気味な景色、落書きのような不完全な色彩。
――余りにも唐突で不可解で、俺の精神に否応無く影響を及ぼす。
――周囲には誰も、端から存在しなかったかのように人影すら在らず……。
――生きとし生ける鼓動すら感じられずに、孤独の世界が顕現した。

――そして

《She is......(彼女は)》
(タイミングが悪過ぎるっての)

――薄青の髪をはためかせる、漆黒の法衣が立っていた。
――以前……いや、昨日見たその少女の姿。
――生気の宿らない意志無き瞳、俺よりも少し低い背丈。
――唯一の違いを言うならば、彼女の手に禍々しき得物が握られている事だろう。
――彼女の身の丈にも近い棒から生える、湾曲した2本の銀刃。
――巨大な戦斧、見ただけでそれが危険な代物であると理解出来た。

《Armed device,It came to this conduct oneself and it went out to the force employment.(アームドデバイス、此処に来て実力行使に出ましたか)》

――アポクリファの警告が耳に響き、全身に緊張が走った。
――アレは間違いなく、俺へ向けられる脅威の塊。
――彼女へ連なる『黒衣』という存在が差し向けた悪意の1つ。

「相手なんて、してる暇無いってのに……」

――不満に満ちた呟きはしかし、少女の巨斧の動きに掻き消される。
――柄を握る手には力が込められ、得物がゆっくりと掲げられていく。




――――それは合図、今から貴様を叩き潰すという悪意の化身。

――――この場は既に、奴等の檻の中だった。














F№Ⅴ「定められた絶望に抗う決意」

 

 

 

 

《Crack Steel(クラック・スティール)》

「――――――っ!?」

 

 先制攻撃は一瞬、一歩の踏み込みと共に彼我距離は瞬く間にゼロへ。

 振り抜かれる横一閃が鼻先を掠めそうになるが、寸での所で回避し、距離を大きく取った。

 そのまま体勢を立て直し、急いで相手を視界に収める。

 前髪を浮かせた風圧の感触に、小さな溜息が漏れた。

 だが心を落ち着けるソレを許す程、相手は生温い思考をしていなかった。

 

「くっ……!?」

 

 追撃行動は迅速だった。

 振り切ったデバイスを飛び掛かる勢いのままに掲げ、振り下ろされる大上段の一撃。

 既に相手は間合いの内、そしてこの体は反射的に動いていた。

 

「シールドっ!!」

 

 黒衣へ向けた手の先に展開される、灰色の円盾。

 それは脳天へ振り下ろされた銀刃と激突、衝撃音と共に拮抗する。

 飛び散る火花、圧倒的な力が俺の盾を腕ごと押し潰さんと喰らい付く。

 更に刃は徐々に壁を侵食し、そこを起点に幾筋もの(ヒビ)を生み出して……。

 

 ――――押さえ切れないっ!!

 

「ちっ……!!」

 

 完全な力負け、数瞬後の盾破壊を前に、次の行動を防御から回避へと移行。

 即座に地を蹴って飛び退き距離を開ける。

 直後、耳を突き、鼓膜を際限無く振るわせる轟音が響いた。

 

「……マジかよ」

 

 目線の先、そこには極限まで粉砕されたコンクリートの亡骸が広がっていた。

 たった一度の衝突で、平滑だった人工石の床が小粒大粒へと還元されている。

 突き刺さる戦斧によって引き起こされた、問答無用の暴虐の証。

 その様相に、冷や汗が一筋流れる。

 デバイスである以上、主の魔法を補助する道具である事は間違いないだろう。

 だが、目の前に広がる光景は明らかにその範疇を越えていた。

 魔力で強化したんだろうが、それでもあの威力は馬鹿にならない。

 

 己が身に纏う灰色の光、心強い筈のそれが、今はあまりにも脆弱に思えた。

 此方の肉体が魔法で保護されていたとしても、アレは単純な一振りで容易く薙ぎ払うだろう。

 骨の2,3本は確実に叩き潰す程の威力が、目に見えて理解出来てしまった。

 

《However, correspondence is made.(ですが、対応は出来ています)》

(ギリギリだけどな)

《No problem.(充分です)》

 

 俺の精神を案じるように、アポクリファが言葉を紡ぐ。

 至って平静に告げられるが、正直今の俺にそんな余裕は微塵も無い。

 眼前で繰り広げられた惨状を思い返せば、それも当然だろう。

 斧を構える少女のパワーは、本気のアルフに引けを取らない、もしかしたらそれ以上のレベルだ。

 万全な防御を行ってもその上で押し負かされてしまうのは、先程の拮抗で理解した。

 そしてスピードに関しては恐らく同程度、もしくは俺が若干劣っている。

 しかもそれは、俺が回避に専念している状態だからこそ許される範疇。

 

 ……つまり、視線の先で此方を注意深く見ている少女は、全てに於いて俺を上回っているという事だ。

 そんな相手を目の前にして、相棒のように気楽に構えるなんて事は、今の俺には不可能。

 だが、アポクリファは冷静さを崩さない。

 

《You need not fight forcibly. Because it is not in the decided translation.(無理に戦う必要はありません。決められた訳では無いのですから)》

(確かにそうだけど……)

《Let's wait for assistance concentrating on evasion.(回避に専念しつつ、応援を待ちましょう)》

 

 彼女の言に、そうだなと同意を述べる。

 相手が此方を狙おうと、律儀にそれに対応する義理は無い。

 これだけの結界を展開した以上、外側の誰かが気付く可能性は充分にある。

 高町と八神は管理局の方らしいが、アルフは勿論、ヴォルケンリッターの誰かが残ってるかもしれない。

 皆の手を煩わせる事は避けたい、だけど俺は此処より先に進まなければいけない。

 手段なんて選んでられるか!!

 

(だったら、兎に角避け続けて時間稼ぎをするしかないな)

《Yes. There is no reason that can't get away because the reaction is made.(はい。反応は出来ているのですから、逃げ切れない道理はありません)》

 

 そうだ、突然の異変に頭の切り替えが着いていけなかったが、冷静に努めれば対処は不可能じゃない。

 回避はスピードではなく、相手の攻撃の軌道を見切る事が重要なのだ。

 

 気を静めろ、相手の動きを見ろ、体に力を滾らせろ……。

 こんな所で時間を割いてる暇なんて、今の俺には微塵も無い。

 アイツの許へ、ハラオウンの傍へ行かなくちゃいけない。

 丹田に力を込め、全身をリラックスさせ、そして――――

 

『まさか逃げるつもりかい? ハギオス』

 

 ――――耳を突いた合成音に、拳を握った。

 眼前に現れる魔法陣(モニター)、その先に映る黒色の法衣。

 俺と少女の間に立つように、事の元凶は姿を見せ付けた。

 

『だが感心しないな。逃走は敗北への一途だ』

「……この国には、逃げるが勝ちって言葉があるんだよ」

 

 この張り詰めた状況に似合わない余裕、此方の言葉に対して笑みを漏らしている。

 フードの奥に隠された見えない顔が、僅かに歪んだ気がした。

 それは今の俺に対する嘲りか、それとも純粋にこの状況を楽しんでいるのか。

 どちらにしろ、ヤツの考えなんて知りたいとは思わない。

 

「悪いが、そっちの相手をする気は無いからな」

『ふむ、それは残念だ』

 

 画面の先の肩を竦める姿には、未だ余裕は消えない。

 寧ろ愉悦が深まったように感じられた。

 それは、一体どのような感情から生まれるものか……。

 

 

 

 

 

『君の探し人である彼女の居場所、それが此処だとしてもかな?』

「……えっ?」

 

 刹那、我が耳を疑った。

 呆けるように半開きになった口元に気付き、慌てて息を飲み込んで冷静さを取り戻そうとする。

 そして向けられた言葉の一つ一つを咀嚼して、漸く言葉の意味に気付いた。

 

 ――――ハラオウンが、此処に居る。

 その一つの結論に。

 

「どういう事だ!?」

 

 今は居ない彼女の姿、その行方を当然のように知っている黒衣。

 それはつまり、居なくなった原因にコイツが絡んでいるという事に他ならない。

 嘘かもしれない、俺をこの場に留める為の虚言かもしれない。

 だがそれでも、頭ごなしにヤツの言葉を無視する事は出来なかった。

 

『君を手に入れる為に、使い道のある人形を利用しただけさ』

「アンタ、本気で言ってんのか……!?」

 

 知らず、拳に一層の力が込められた。

 猛烈に溢れ出そうになる憤りを何とか抑え込んでいるが、それも決壊まで時間の問題。

 それ程までに、画面の先に佇む黒衣に対して苛立ちを募らせていた。

 

『君こそ本気かい? 彼女は君を利用したのだよ?』

 

 だがヤツは俺の怒りなぞ何処吹く風、柳のように流していく。

 その態度もまた、苛立ちを増長させると分かっていながら。

 

『依存する事でしか生きられない者を、人間という枠に入れてはいけない』

「……っ」

『彼女は1人では何も出来ない。誰かからの命令や懇願、そういった理由が無ければ動く事もままならない』

 

 つらつらとよく出る音が、合成に塗れた音が耳障りに感じる。

 いい加減黙れと、心の底が吼えている。

 目の前から居なくなれと、全身から言葉が溢れてくる。

 内側から沸々と湧き上がる怒りが静かに熱を帯びていく。

 

『そんなモノに、君は何を感じているんだい?』

「煩い」

『ムキになる理由は無い筈だ。彼女は君を利用したのだか――』

「煩いって言ってんだよ」

 

 心の奥が煮え滾る。

 目障りなヤツを叩き伏せろと、その見えない顔面に際限無く拳を突き立てろと。

 出来もしない命令を、俺自身に向けていた。

 怒りは頂点へ至り、唯、目の前のヤツへ強く吐き出される。

 

「アイツの事を悪く言われて、黙っていられるか!!」

『理解に苦しむ。君は利用されたのだよ?』

「それを決めるのはお前じゃない!!」

 

 万が一の話、もしかしたら俺は利用されたのかもしれない、彼女の生きる術として。

 だがその問いに結論(こたえ)は出ていないのだから、そんな事でグダグダ議論している暇は無い。

 まずはハラオウンを捕まえる。

 何もかもを決めるのは、それからだって遅くはない。

 故に、黒衣の言葉に耳を貸すという事の方が、今の俺には理解に苦しむ行為そのものだ。

 

「アンタが何と言おうと、俺はハラオウンを連れ戻す。他人の言葉なんて関係無い」

『…………そうか』

 

 ジリ、と微かな音が聞こえた。

 この歪な空間で、音を発するモノは限りなく少ない。

 地面を踏み締める音、地に足を着けている存在なんて……俺を抜いて1人しか居ないのだ。

 

「来るか」

 

 空間モニターに遮られた視界の先には、既に臨戦態勢を整えた少女の姿。

 半身を引く敵が、斧を構えて俺を見据えていた。

 

『やはり、強引な手を使わざるを得ないか』

 

 三度目の強襲は、黒衣の声によって引き起こされた。

 だが予めその突進を予測していた俺は、着地点から大きく横に逃れ、必殺の一撃をやり過ごす。

 モニターは既に消滅している、俺に言うべき言葉はもう無いという意思表示だろう。

 

《Hijiri,A word a little while ago is......(聖、先程の言葉は)》

(真偽は分からない。だけど、無視していいとも思えない)

 

 ハラオウンが此処に居る、確証も何も無い黒衣の言葉。

 これまで何度かアイツと対峙したが、明らかな虚言を吐いた事は一度も無かった。

 つまり今回も、そういう事なのだろうか?

 敵の真意を測りかねている今の状況、迂闊な動きは明らかな隙を与えてしまう。

 そしてその隙を逃す程、視線の先の敵は甘くない。

 

(ったく、考えていても埒が明かない)

《Then, let's assume the search for her running away.(では、逃げながら彼女を探すとしましょう)》

(――っ!? そうだな)

 

 再度の突撃に対応し、そのまま背を向けながら海沿いの道を進む。

 兎に角、今は少しでも状況を好転させる為の時間が欲しい。

 それには、一旦彼女を完全に撒かなければならない。

 背後の警戒をアポクリファに任せ、俺は只管、走る事だけに専心を向ける。

 

「ハラオウン……」

 

 ずっと傍に居た少女の姿を、今は居ない少女の姿を、心に刻みながら。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 臨海公園は広いが、撒く為に必要な障害物が極端に少ない。

 公園という外観を損なわない為の配慮なのだろうから、当然と言えば当然だ。

 結論として、姿を見付け易い場所は逃走経路として却下せざるを得ない。

 そうなると必然的に、動ける場所は森林区域に限定される。

 乱立する木々は自然が作り出した壁、身を隠すには持って来いのステージと言えた。

 

 だが同時に、此方にもリスクは存在する。

 樹木の生え方に規則性は皆無、つまり自分の進路先に立ち塞がる木があるのは必定。

 先程から何度も木が立ち塞がる度に、太い幹を蹴り飛ばして方向転換をしている。

 どうしようもない力技だが、コンマ数秒のタイムロスを防ぐにはこれが一番妥当なのも事実だった。

 

「――ちっ」

 

 今もまた、こうして一蹴り入れる事で真横に飛び退いている。

 こんな環境じゃ、ハラオウンに教えて貰った高速移動も使えやしない。

 胸中で文句を垂れながら、全力で森林を駆け抜ける。

 

《Comes from overhead(頭上から来ます)!!》

 

 アポクリファから発された警告の瞬間、覆い被さるように影が差し込んだ。

 即座に着地と同時に一歩を踏み回避、周囲の木々の位置を見ながら、大きく間合いを取って後退する。

 鼓膜を震わせる轟音と共に撒かれた砂塵は、着地点を覆い隠す程の濃度を誇っている。

 

 だがそれだけで、攻撃の手が緩まる事は無かった。

 

《Comes from front(正面来ます)!!》

 

 砂煙の膜を突き破って、黒影が飛び掛かる。

 弾丸のようなスピードに対して間合いは意味を無くし、下段に構えた斧は縦一閃に振り上げられた。

 

「ぐぅっ……」

 

 すぐさまラウンドシールドを形成、掬い上がる凶刃を受け止める。

 だが、依然として力の差は歴然。

 どれだけ強く地を踏み締めても、負けじと腕を伸ばそうとも、抗いは数瞬で打ち砕かれる。

 

「――っ、ぐぁ!!」

 

 純粋な力押し、少女のそれとは思えぬ一撃に、遂に体が宙に浮き上がる。

 勢いのまま押し込まれ、重力に反した運動を余儀無くされた。

 背中を無理矢理引っ張られるような感覚、足場も無い状況では抵抗する事すら出来ない。

 

《The body pose is early(体勢を、早く)!!》

「分かってる!!」

 

 彼女の声に従うまでもなく、この身は反応していた。

 全身を捻り正面から地面と向き合い、腕を突き立て急制動を掛ける。

 体勢を整えると、間断無く視線を先程の位置へ。

 

「……」

 

 癖のある薄青の長髪と光無き瞳。

 不釣合いな戦斧を水平に構え、何も語らぬ少女が敢然と佇んでいた。

 それが唯一の救い。

 もしあのまま追撃を続けられていれば、隙を突かれて終わりを迎えていた。

 回避直後の隙を狙った連続攻撃、先程の二撃目のタイミングはかなり際どかったしな……。

 

(アポクリファ、この状況をどう見る?)

《Is it Gilli poverty(ジリ貧ですか)?》

 

 これまで逃げ続けて分かった事がある。

 それは『逃げ続けるだけでは、いずれ追い詰められる』という現実。

 元よりこれは当たり前の結果だ。

 打つ手を持たぬ逃亡者は、追跡者にいずれ追い詰められるのが必然なのだから。

 なら、今の俺に出来る行動は……。

 

(――――やるか)

 

 地面を蹴る。

 緑深き世界の奥、その更なる奥へ向かって。

 背後から空を切る音が耳を掠めるが、それでも足は止めない。

 止む事の無い暴撃の嵐、俺に出来るのは防御と回避の二択のみ。

 視界と行動に制限が敷かれる、この空間を最大限利用しての逃走行為。

 一撃でも貰えば負けるというプレッシャーの下、周囲に細心の注意を払いつつ捜索と逃走を続ける。

 

 だが事態に流されるまま、場当たり的な対応を続けるだけでは、この状況が好転する筈が無い。

 故に今此処で、俺自身が出来る最大限を行使しなければならない。

 前方には巨木、後方には追跡者。

 ――――――――条件は揃った。

 

(よしっ!!)

 

 繰り広げられる何度目かの攻防、背後より襲い掛かる黒衣の重斧。

 逃げ惑う獲物を狩る狩猟者のように、慈悲も何も無い非情の一撃を振るう。

 相棒の内なる警告に合わせ、同時に俺は力強く跳んだ。

 背後から地面を叩き砕く音が響くが、俺の視線は目の前の硬質な幹へ。

 無数の根を地に張り巡らし不倒へ至ったソレを、最大限の加速に乗った両足で踏み付ける。

 両脚に掛かる極限の運動エネルギー、身を翻すと幹から悲鳴が聞こえたが無視、更に限界まで溜め込む。

 敵は獲物の重量故か、振り抜いた後の一時的な硬直に見舞われていた。

 

《Geo――(ジオ)》

 

 右腕に纏うは円環魔法陣、そこに集束してゆく大気の渦は流動する力。

 重みで落ちそうになる腕に力を込め、大きく振りかぶる。

 ――――放つ時は、今だ。

 

「堕ちろ!!」

 

 折り畳まれた膝を弾くように返し、極限にまで溜め込まれた力の解放する。

 前方へ落下する体躯、初速から頂点に到達した砲弾の接近は瞬く間もなく彼我距離をゼロにする。

 拳に集う鋼の風が荒れ狂い、発露される時を今か今かと待ち望み……

 

 そして螺旋は最上へ――――

 

《Impact(インパクト)》

 

 己が全力と有りっ丈の意志を以って、眼下の黒に叩き付ける。

 硬直するヤツの間合いの内側、最大のチャンスが目の前に広がっていた。

 相手への牽制、此方に手段があると示す為、持ち得る魔法(チカラ)の最大限で外敵を叩き伏せる。

 それが、今の自分に出来る最大の手段!!

 

 

 

 

 

 

 

 

 

《Tri Shield(トライ・シールド)》

「――――――――えっ?」

 

 あと1メートル、瞬きの時間で届くであろう距離で防がれた。

 剣十字を内包する若葉色の三角魔法陣、俺とは明らかに異なる盾によって。

 ――そんなの在り得ない。

 

「つぁ……くっ……!!」

 

 ガリガリと削られるような拮抗音が響く。

 だがそんな事より、どうしてこんな状況になったのか理解出来ない。

 

 完全に意表を突いた真正面からの奇襲。

 タイミングは紛れもなく完璧、デバイスのオートですら対応出来たかどうか怪しい刹那だった筈……!!

 しかし相手は体勢を変える事も、此方を見る事もせずに、無防備な肢体のままに防御を構えた。

 

 ――――完全に読み切られていた。

 

《Please avoid it(聖、避けて)!!》

 

 視界の端から何かが迫った。

 呆然とする思考、だけど体は別物のように反応して……。

 攻撃の手を即座に止め、胴を守るように両腕を構えた。

 

 

 

 直後、両腕の激痛と共に全身が紙屑みたいに吹き飛んだ。

 

「ぐっ!?」

 

 空中に飛ばされ、衝撃によって叫びにならない呼気が漏れた。

 みっともなく放り出された体は、ボールのように軽々と宙を舞う。

 外界から与えられた抗えぬ力による飛行、高速で流れていく緑の光景。

 体勢を立て直す暇さえ無く、遠くへ、更に遠くへ。

 

「がはっ!!」

 

 だが飛行は唐突に、そして強制的に終了を告げる。

 途轍もない衝撃が全身を貫き、肺に残る酸素の全てが吐き出された。

 

 一瞬だけ、本当に一瞬だけだが、紛れもなく意識が飛んだ。

 それを辛うじて避けたのが、背中全体を襲う激しい痛みだったのは何と言う皮肉か。

 

「ぐっ、つ……痛っ……!?」

 

 体の至る所から発される灼き切れるような熱に、顔面が否応無く歪む。

 以前と似たような感触から十中八九、木の幹に体を打ちつけられたのだろう。

 だが分かっていても痛いものは痛い、間断無く責め立てる激痛の波は止まる事を知らない。

 ふざけんなっ……!!

 

「くっ……はぁっ……」

 

 出血が無い分マシだろうが、あの時を遥かに凌駕する痛みには耐えられない。

 全身を暴走しながら駆け巡る痛覚の信号、思考が熱にうなされ呆然としてくる。

 

 ――――駄目だ、逃げないと。

 

 力の入らない体に鞭を打って、痛みに折れそうになる意志を奮い立たせて。

 負傷した――防御時の衝撃で痙攣、感覚もあまり無い――両腕で支え、何とか立ち上がる。

 しかし、もう満足に動ける事は無いだろうと、半ば本能で理解していた。

 

「それ、でも……」

 

 まだ止まれない。

 此処に居るのは、アイツを見付ける為だけで……。

 モニター越しに此方を監視する、引き篭もりなヤツに掴まる為じゃない。

 だから、この足はまだ止められない。

 

「ハ……ラ、オウ、……ン」

 

 苦しい、呼吸が正常に行えない。

 背中を強かに打った所為か、喉元に何かが迫り上がってくる感触がある。

 それが空気の通りを乱し、最低限の生命維持(こきゅう)すら困難にさせている。

 酸素が足らない、全身が痛む、背中が特に痛む、視界も定まらない。

 周囲の風景に焦点が1ミリも合わず、平衡感覚が音も無く崩れていく。

 

 

 

 

 

《Quick heal(治癒加速)》

 

 ……でも、まだ動く。

 この体は、胸の内に在る意志は、全然全くこれっぽっちも諦めていない。

 動けるならきっと、何か出来る事がある。

 アポクリファもそれを分かっているから、こうして自然治癒加速の魔法を掛けているのだ。

 俺の意志が何であるか理解してるから、この歩みを手助けしてくれる。

 

「はっ……はぁっ、くっ…………!!」

 

 呼吸は未だ治らない、全身にも上手く力が入らない。

 樹木を支えにしなければ、前に進む事すら、一歩を踏みしめる事すら危うい。

 呆然と霞んでいく思考が、堕ちろ堕ちろと手招きしている。

 

 それでも止まる事だけはしない。

 一歩ずつ確実に、ふらつくような足取りで前に進んでいく。

 

「はぁ……はっ、……はっ」

 

 背後から追撃が迫る様子は無いが、絶対そこにヤツは居る。

 何の意図で俺を見逃しているのかは知らないし、考えるつもりも毛頭無い。

 今は唯、前へ…………っ!?

 

「――――くっ!?」

《Hijiri(聖)!?》

 

 突然、横腹に途轍もない激痛が響いた。

 それに気を取られ、足が縺れて体が地に叩き付けられた。

 

 ……さっきの一撃、防御を完全に貫いてたのか。

 腕が折れてないだけマシだろうけど、バリアジャケット代わりの簡易魔法の上からこれだけのダメージ。

 脳裏に『絶体絶命』の4文字が、克明に浮かんだ。

 

 

 

 

「知……る……か…………」

 

 でも、まだ動ける。

 痙攣して感覚すら殆んど無い腕では、もう体を支え切るには至らず、立ち上がる事すら不可能。

 しかしまだ、心は体に今以上の酷使を要求した。

 立ち上がれないならそのままで良い、這って進めば事足りると。

 灰色の温かな光に包まれ、激痛に苛まれ、満足に立つ事すら出来ず、地面を鈍く這う姿。

 

 …………何という、無様。

 嘲笑や冷笑すら沸かない醜い人間の蠢き、いっそ諦めてしまった方がまだ潔いだろう。

 

 

 だが、それでも止まれない。

 

 

 

「ハ……ラ、オ…………ウン」

 

 沙耶に誓った、もう一度進むのだと。

 

「ハラ……オウ、ン……」

 

 クロノさんに誓った、アイツの手を離さないと。

 リミエッタさんに誓った、アイツの傍に居続けると。

 

「ハラオ、ウ……ン」

 

 自分自身に誓った。

 未だ答えは見付からないけど、少しずつでも進んでいこうと。

 大切な事に気付いたあの夜空に恥じない、自分自身で居られるように……。

 

「ハラオウン……っ」

 

 そして、アイツを。

 いつも控えめで優しくて、それが災いして自分から前に出る事をしない女の子。

 優しいなんて言葉を恥ずかしげも無く俺に言ってきた女の子。

 他人の不幸を見過ごせず、その為に尽力を惜しまない女の子。

 あまりにも優し過ぎて、自分が傷付く事を厭わず、涙を耐え続けた女の子。

 

「ハラオウン……!!」

 

 伝えるべき言葉なんて分からない。

 何か掴めそうな筈なのに、その先に黒い霧が邪魔をして何も見えない。

 しかし手を伸ばし続けなければ、一生答えは見付からないのだ。

 だからこそ、その行為がどんなに醜くても、汚らわしくても、俺は止まってはいけない。

 進む速さがどれだけ遅くても、1センチでも前へ、1ミリでも前へ……。

 

「ハラオウン!!」

 

 只管に力を込めて、少女の名を叫ぶ。

 傷に響く事が分かっていても躊躇わず、己の内を曝け出すように。

 この声が微かでも、居るかもしれないアイツに届くように。

 そう、願いを込めて……。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「――――――え?」

 

 見付けた。

 鬱蒼と茂る木々と雑草の先。

 虚ろな赤い瞳、長くしなやかな金髪、力無く垂れ下がり巨木に寄り掛かる四肢。

 そして体を痛々しく縛り上げる、若葉色の拘束魔法。

 

 …………居た。

 最後に見た時よりもずっと弱り切った姿だけど、紛れもなく本物。

 本物の、フェイト・テスタロッサ・ハラオウンだ。

 

 

 

 

「――――――――――――あ」

 

 彼女の姿が視界に収まった途端、全身から振り絞っていた力が根こそぎ抜けていった。

 先程まで無理矢理でも動いていた筈のソレに、まるで芯が抜けたような空虚さが襲い掛かる。

 腕も足も、指一本すらまともに曲がらない。

 

 

 そうか……

 この肉体はもう、限界をとうに超えていたのか。

 

 

 

 徐々に視界も霞んで、意識が遠のいていく感覚に襲われる。

 全身に張り巡っている神経は完全に眠りに落ち、唯一の原動力だった心の滾りも、今は静かに、深く沈んでいた。

 

 

 

 

 

 ――――ヤバい、眠い。

 

 

 漸くハラオウンを見付けたのに、少しの時間さえあれば触れられる距離まで、辿り着けたのに。

 此処で、終わりなのか……。

 

「――――――あぁ」

 

 目蓋が、ゆっくり落ちていく。

 全力で最後の抵抗を試みるが、それが意味を成す事は無い。

 この姿をアイツは、どんな風に見ているのだろう。

 

 

 ……いや、もう見ていないかもしれない。

 俺達から離れようとしたって事は、繋がりを断つって事は、つまりはそういう事なんだ。

 

 

 

 

 だけど、まだ間に合う。

 ハラオウンの手を掴んで、もう一度こっちに引き止める。

 そうすればきっと、彼女を戻せる筈…………だから。

 

 

「……………………っ」

 

 

 睡魔は最早、頂点にまで達している。

 思考さえ歩みを止めて、回転を急速に落としていく。

 

 我慢の、限界だった。

 

 だから最後に一言、彼女に会えた時の為に。

 最初に伝えたかった言葉を、彼女に送る。

 

 

 

 

 

「――――――おっす、ハラオウン」

 

 俺達の1日の始まりを告げる、なんて事の無い在り来たりな朝の挨拶。

 でも初めて出会ってから今まで、俺はこの言葉をお前に向け続けたんだ。

 俺とお前の日常を繋ぐ、最も相応しいその言葉……。

 そしてソレが引き金となり、自己の意識は、胸に宿る想いは、深く深く落ちていく。

 抗いは無い、そもそもそれが許される境界をとうに越えてしまった。

 

 零れる途切れ途切れの吐息だけを残し、俺自身が現実から乖離して……

 

 

 

 世界は、漆黒に染まった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

――――私は、人間のフリをするお人形でしか、なかったんです――――

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 …………

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

――――私は、皆を利用していた――――

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 …………駄目だ

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

――――だから、その前に断つ事にしたんだ、皆との繋がりを――――

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ……まだ、終われない

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

――――皆と、聖と一緒に居られない――――

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 こんな所で、終わらせちゃいけない

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

――――さよなら――――

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 終わりを認めるなんて、あってはならない

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 アイツは言った。

 俺達は出会ってはいけなかったのだと、これ以上一緒に居てはいけないのだと。

 そんな考えるだけでも辛い言葉を、涙の一筋すら押し殺しながら口にした。

 誰にも負けない優しさを持つ彼女が、その心を際限無く傷付けながら。

 俺達との関係を切り捨てる為に、一生懸命になって告げた。

 

 彼女は理解していた、誰もハラオウンを責めようとはしない事を。

 だから自分で自分を責める事で、自分の導き出した最良に辿り着こうと至った。

 ……いや、思い込んでしまった。

 

《Boy who has made himself neglectful to protect one's family. Girl who tried to cast away herself for important people.(家族を守る為に、自分を蔑ろにしてきた者。大切な人達の為に、自分を切り捨てようとした少女)》

 

 

 ――――それは、何か似ていた。

 自分以外の誰かの為に、自分を顧みない意志。

 自ら矢面に立つ事で、大切なものを必死に守ろうとする想い。

 

 だがそれは全て、誰かの為にあった行動なのは確かだった。

 俺が家族を、何よりも大切に想っていたのと同じように。

 アイツもまた、自分の周囲の人達を何よりも大切に想っていた。

 どうしようもない程、あんなにも自分を傷付けてしまう位に……。

 

 唯、それだけだったんだ。

 

(……そっか。だから俺は、アイツに何も言えなかったんだ)

 

 幾ら探しても見付からなかった、ハラオウンに伝えるべき言葉の行方。

 掴めそうで掴めない、雲のようなモノ。

 だけどそれは『見付からなかった』のではなく、『見付ける必要の無い』言葉だったのだ。

 

《It is to her and it is not in the word the necessity. If you grip times and the only hands.(彼女に言葉は必要無かった。唯、その迷う手を掴みさえすれば)》

 

 たったそれだけの事で充分だったんだ。

 慰めや憐憫や励ましなんかじゃなくて、無理して進もうとする彼女の腕を、掴んでさえいればよかった。

 言葉でなく行動で示せばよかった、居なくなるなって……。

 だと言うのに、そんな簡単な事に全く気付く事が出来ず、こんな回り道をしてしまった。

 本当に駄目な奴だ、俺は……。

 

 

 

 

 

 ――――でも今ならまだ間に合う。

 すぐ近くにアイツが、目に見える場所に居るのだ。

 もう開かない目を開く事さえ出来れば、そこに居ると確信出来る場所に。

 

(あぁくそ、ヤツが近付いてるってのに……)

 

 歩行は軽く、足並みは穏やかに、草を踏む音色が耳を突く。

 音源はとても近い、恐らく傍らにまで迫っているだろう。

 

 そこから先の展開は…………言われるまでも無い。

 意味も訳も分からないまま、俺は黒衣の許へ連れ去られる。

 唯、それだけ。

 

 

 

(うっ、あぁ……)

 

 

 

 ふざけるな、そんなもの絶対に認めない。

 こんな所で終われない、俺のやるべき事もやりたい事もまだ残ってる。

 今度こそ、俺はアイツを連れ戻すんだ。

 

 お前が掛ける迷惑如き、苦でも何でもない。

 だから幾らでも迷惑を掛けろ、俺はお前のものなら幾らでも受け止めてみせる。

 そもそも利用しようとしたのは俺が先だった。

 ハラオウンがそれを申し訳無く思う事自体が、甚だ可笑しい事なんだ。

 

 

 

 

(あぁぁっ、あああああ……)

 

 足音が途絶えた。

 それに反応し、心は今まで以上に叫びを上げる。

 

 動け

 動け、動け

 動け、動け、動け

 動け動け動け動け

 動け動け動け動け動け動け動け動け動け動け

 

 

 沈黙を続ける肉体に呪詛の如く言葉を送る。

 先の戦闘で致命的な深手を負っているのは重々承知の上、それでも俺はまだ動かないといけない。

 傷付いたままのアイツを、自分を追い詰め続けるアイツを、放って置くなんて出来ない。

 目的も何も分からない黒衣の言いなりになんて、なりたくない。

 

 

 

 ――――この体がどうなっても構わない。

 ――――戦い続けられるのなら払える代償は払ってみせる。

 ――――だから

 

 

 

 

 

 

《All right.(分かりました)》

 

 

 

 

 

 

「――――あっ」

 

 その瞬間、世界が変転する。

 開かぬ目蓋によって光すら遮られた世界に、幾筋もの光が走った。

 蜘蛛の巣を連想させるそれは、その全てが奥へと伸びていき

 

(……アポクリファ)

 

 中央に座する金珠、己が内に秘められし相棒へ集っていた。

 記憶が確かならば、これで3度目となる邂逅。

 だが今回は今までと違い、完全に正気を保った状態での顔合わせ。

 

 こんな事、今までで初めてだ。

 

《Because it completely connected your will with me.(それは、貴方の意志が私と繋がったから)》

(繋がった……?)

《You have already reached even the region. It set foot on the depth of the gene that was not sure to be done in the ordinary man.(貴方は既にその域にまで達している。常人では成し得ない、遺伝子の最奥に足を踏み入れた)》

 

 俺の心中の疑問を、口に出すまでもなく答えてみせる。

 まるでそれが当然のように、此方の同意も何も求めない。

 凛と佇み、己が金身を輝かせ、当然の如く告げるのみだった。

 

《Therefore, it asks it. Do you still fight(故に問います。貴方はまだ戦いますか)?》

 

 それは、彼女から告げられた最後の選択だった。

 このまま今の状況を受け入れて楽になるか、それとも抗って今以上に傷付くか。

 

 ……答えなんて、言わなくても分かっているだろうに。

 

《As a result, do even if what painful road waits previously in the future(それによって、これから先にどのような辛い道が待っていても)?》

(俺の望むこの先は、たった一つの形だけだ)

《It is so. It was a barren question to you.(そうですね。貴方には不毛な問いでした)》

 

 己の言を恥じるようにアポクリファは身を引く。

 彼女にも理解出来たのだろう、俺の言葉の意味を。

 この心が求めるのはハラオウンが居る今と未来(これから)、アイツが居ない世界なんて想像も出来ない。

 いや、そんな事は絶対にしたくない。

 

 彼女の言葉は、彼女の笑顔は、いつだって俺に穏やかさをくれた。

 自分の弱さを責める俺の手を、アイツは何度もその手で優しく包んでくれた。

 俺にとってハラオウンは、フェイトという1人の少女の存在は、もう無くてはならない大切なものだった。

 家族に対するものとは違う、別の感情から溢れ出た想い。

 それがこの胸に宿っている限り、これから戦う事も今以上に傷付く事にも、臆する心なんて微塵も無い。

 負けられない理由がある限り、俺は背を向けるなんて出来ないし、絶対にしたくない。

 

《It might be good. Then, please touch me.(良いでしょう。ならば、私に触れて下さい)》

(……分かった)

 

 もう躊躇いは無いと心が叫び、強く訴えている。

 この行為が以前、彼女自身によって咎められたものだとしても構わない。

 俺は、俺の意志とアポクリファの導きを信じる。

 それだけだ。

 

(行くぞ、アポクリファ)

 

 俺の声に、彼女は明滅という無言の答えを返す。

 

 この先に何が待っているのか知らない。

 けれど不思議と恐怖は感じなかった。

 何かに恐れるよりも、今は大切なものを守りたいと心が叫び続けている。

 自分を顧みずこれまで進み続けた彼女に代わって、俺が自身の全てを懸けて、その姿を守ってあげたい(・・・・)と……。

 それ以外の何も望まず、唯々それだけを――――

 

《Then, let's open "Harmonic Chord".(では、"扉"を開きましょう)》

 

 

 ――――心の底から、強く願った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

~Interlude side:Fate~

 

 

 ……もう、どうでもいい。

 その言葉が脳内を占めて、物事を考える行為を放棄する。

 全てを振り切って、何もかもから目を背けて、独りになる事で。

 私は、私を支えてきたモノを置き去りにした。

 それが何よりも正しい事なのだと、皆が望む最良の判断だと信じて。

 

 今朝突然現れた少女、カリス・ハルベルト。

 それに対しても、私は何も感じる事はなかった。

 自分はもうフェイト・テスタロッサ・ハラオウンでも、時空管理局の執務官でもなく、フェイトというラベルを貼られた唯の人形でしかない。

 誰かの存在だけを理由にして動き続けた、人の形をした失敗作なのだから。

 そんなものは在ってはならない、人としてこの世に存在してはならない。

 だから私のココロは、この身が消えゆく事実に揺らぎはしなかった。

 たとえ何が起ころうと、何をされようと、何の意味も持たない。

 元より私自身に、意味なんて欠片も無かったのだから。

 風化して消えるだけだと思っていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 さっきまでは

 

 

 

 

 

 

「ハラオウン!!」

 

 

 

 

 ――――力強く叫ぶ、彼の声が聴こえた。

 その時の心臓の鼓動が忘れられない。

 彼の声に負けない位の強さで一回拍動した、ドクンという音。

 生命を維持する為だけだった活動が、何の前触れも無く加速を始める。

 全身に流れていた冷たい血液を、その一瞬だけで苛烈に熱を引き上げた。

 細波すら立たなかった心を、その呼び掛けで簡単に揺さぶってしまった。

 

 

「――――――――」

 

 ドクン……ドクン……ドクン……ドクン……

 心の歯車がギチギチと擦り切れながら、鈍い音を上げている。

 無機質で滑稽過ぎる動作音、だけど何故か――――胸の奥が熱い。

 鼓動の一つ一つが、灯火のような熱を帯びていた。

 決して激しくなく、静かに、唯静かに温度を上げて……。

 再び、私の心を動かし始めた。

 

(何で……)

 

 視線の先、地に倒れ伏す1人の少年。

 土に擦れて汚れた衣服、所々に浮き出る小さな傷。

 それが、此処に来るまでに負ったものなのだと考えるまでも無く……

 彼が、私の姿を探し続けた証だった。

 

(どうして……)

 

 きっと全力で探していたんだろう。

 君は、聖はそういう人だから。

 自分が心に決めた事なら、どんな時だって違えたりしない。

 どれだけ高く厚い壁がそびえ立とうとも、行う事を、進む事を諦めたりしない。

 その為なら自分がどれだけ傷付く事も厭わない――――それが瑞代聖という少年の、強さと優しさだった。

 

(どうして、私を……)

 

 だけどその強さと優しさは、私に向けられるべきじゃない。

 人形でしかない私なんかに、彼の想いをこの身に受ける資格も、価値も無いのだから。

 だから…………

 

 

 

 

 

 

 

 

――――俺の友人だ――――

 

 

 

 

 

 

(……っ)

 

 ふと、あの景色を思い出した。

 機械のレンズ越しに見た放課後の屋上、そして1人の少年の姿。

 まだ出会って間も無い時に彼が告げた一言。

 意地っ張りな性格が災いして、私達との関係を『知り合い』という言葉で誤魔化していた彼。

 けどそれは、性格だけじゃなくて、絆に対して深く尊い念を抱いていたから。

 『友』という心の繋がりを本当に大切にしていたから。

 

 だからこそ、その言葉を聴いた時、私の心は例えようもない想いに満たされた。

 彼の深い想い、その先に自分が立てた気がして……。

 

 

 

 

 

 

 

 

――――友達だ――――

 

 

 

 

 

 

(……あっ)

 

 遠い過去を思い出した。

 夜空を覆う結界、孤立した世界で立ち向かった1人の少女。

 幾度もの戦いを経て名前を呼び合って、初めて出来た友達。

 

 

 掛け替えの無い、大切な存在。

 

 

 

 

 

 だから守りたいと思った。

 友達が悲しんでいる姿、泣いている姿を見たくなかったから。

 いつまでも笑っていて欲しいから、これからも続くであろう未来で、心の底から一緒に笑顔で居たいから。

 

 

 

 

 

 ――――最初はきっと、そんな理由から始まった。

 ――――だけど今まで、それがあったから戦えた。

 

 

 

 

 

 それは間違ってるのかもしれない。

 黒衣の人が言うように、誰かに依存しているだけかもしれない。

 それでも……

 

 

 

 

 

 

 

 

――――俺の、友人だ――――

 

 

 

 

 

 

 

 (キミ)の言葉を信じたい。

 その真っ直ぐな想いと、真っ直ぐな瞳を信じたい。

 私の友達を、大切な貴方を信じたい。

 

 

 

 だから、お願い

 彼を何処にも連れて行かないで……

 私の傍から引き離そうとしないで……

 依存でも構わないから……どうか、彼の傍に居させて下さい

 

 

 

 そして、お願い

 傲慢かもしれないけど、今のままじゃ私はきっと立てないから

 今だけ、少しでもいいから、君の優しい腕でこの手を引き上げて

 

 

 私を――――――――助けて。

 

 

 

 

 

 天に祈るように、物言わぬ彼に自分の願いを押し付ける。

 1人じゃ微塵も動けない自分を腹立たしく思い、それでも私は何も出来ない。

 それなのに今、私以上に傷付いて倒れている彼に助けを求めている。

 守ると誓った人なのに…………自分への不甲斐無さで涙が溢れてくる。

 だけど想いの奔流は更に激しさを増して、声では表し切れない数だけ雫となって流れ出ていく。

 

「お願い……だから…………」

 

 か細く掠れた声が喉を締め付け、顔はもう上げる事すら出来ない。

 自分の弱さをまざまざと見せ付けられているようで、更に涙が込み上げてきた。

 止められない、止まってくれない……。

 だから私は、その情けない姿のまま、君に言葉を掛ける。

 

 

 

 

 

 

 

「――――――――助けて」

 

 

 

 決して返る事の無い、その言葉を。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「当たり前だ《All right.》」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「え?」

 

 凛と、涼やかに……聞き慣れた声が耳を通った。

 それはとても静かで、それでいて力強い意志を内包した叫びにも似た応え。

 一分の力も入らなかった顔が、反射的にその先を求めて見上げた。

 

 そこには

 

「……」

 

 1人の少年が立っていた。

 衣服の至る所が土に塗れ、切り裂かれ、血すら滲むボロボロに成り果てた全身。

 双眸を覆う髪にも汚れは付着していて、もう見ていられない程の有様を晒しながら。

 それでも、彼の佇まいは何処までも堂々と、とても静かだった。

 

「決めたんだ《oath to oneself.》」

 

 不意に口が開く。

 呼吸をするだけで精一杯な筈なのに、躊躇いも無く声を上げる。

 何を言おうとしてるのか、私には全く分からない。

 だけど聞き逃してはいけないのだと、心がその続きを促していた。

 

「絶対に守るって……《Defends absolutely》」

 

 同時に聴こえる女声音、発される筈の無い第三者の声。

 最初は何か分からなかったけど、私は、これがアポクリファの声なんだって確信していた。

 

「傍に居続けるって……《For a long time in by the side》」

 

 斉唱するように、2人は同じ旋律を辿っていく。

 陽気でも陰気でもなく、淡々と音を合わせ奏でている。

 静かに、深く、そして優しく……

 

「だから――――《Therefore》」

 

 突然、彼を中心に微弱な渦が巻かれた。

 それは風、彼の魔力によって引き起こされた大気の流れ。

 草木を靡かせ木々を揺らし、砂塵を生み出しながらその力を徐々に強め、範囲を広げていく。

 先程まで彼の傍らに居た筈の少女は大きく飛び退いて、既に旋風の外側まで退いていた。

 

 

 ……不思議なのは、その反対位置に居る私に全く被害が無いという事。

 歩けば数秒で届く距離、でも風は私に触れる事無く地を走り、天に昇り続けている。

 これだけ繊細な魔力制御、今の聖では到底不可能な筈の技術だ。

 それを視線の先の彼は、何の苦も無く、何の躊躇いも無く遣って退けてしまっている。

 

「ひ、じり……」

 

 君は、一体どうしてしまったの?

 いつの間にこんな技術を身に付けたの?

 

「聖……」

 

 君は、一体どうしてしまったの?

 どうして、何で、君の左目が…………

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 金色(・・)に光っているの?

 

 

~Interlude out~

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

――少年は誓った――

 

――彼女を、優しい少女を守ると――

 

――その為ならば、己が身に何が起ころうとも構わない――

 

――たとえ茨の道へ続こうとも、あらゆる責め苦を負おうとも――

 

――進むと決めた先に居るであろう、たった一人の少女の為に――

 

 

――吹き荒ぶ狂風の中、少年は宣言する――

 

 

 

 

 

 

 

「――――俺は、最後まで戦う《Believe my justice.》」

 

 

 

 

 

 

 

――世界で唯一の、彼だけの聖義(せいぎ)を信じて――

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 




一度は地に伏した少年、だがその意志は戦う事を止めたりしなかった。
秘められた力の現出は彼に何をもたらし、どのような結末へと導くのだろうか……。

どうも、おはこんばんちはです( ・ω・)ノシ
フェイト編№Ⅴをお読み下さり、ありがとうございます。

決意を胸に前へ進む事を決めた聖ですが、その行く手を黒衣の少女『カリス・ハルベルト』が阻みます。
彼女の操る近代ベルカ魔法はあまりに強大で、まともに太刀打ち出来ずに倒されました。
一度は諦めかけた彼ですが、1人の少女の存在がそれを繋ぎ止め、傷だらけの体を立ち上がらせます。
今まで聖には「~してあげる」や「~してやる」といった、上から目線のような発言は最大限させないようにしてきました。
が、此処に来て遂に「フェイトを守ってあげたい」という答えに行きつきました。
それが正しいものなのか、それとも悪いものなのかは、読者の皆さんの想像や考えにお任せします。
それにしてもこの展開、『少年の誓い』といえば『主人公に楽をさせない』『大きな壁にぶつかって貰う』『それを乗り越える為に意地を張る』が特徴なので、最早必然と言っても差し支えないですよね……?(;-ω-)
最後に、聖の身に起きた現象とは一体……。
かなり超展開な流れに見えますが、一応今までにも『それらしい』点は幾つか出してきたので、ぽっと出の設定じゃございませぬ。
№ⅩⅩⅢの後書きや№ⅩⅩⅩでの黒衣の発言、他にもなのは編の一部で前フリ……今回のコレはその延長線上のものです。
同時に、これまでデバイスの発言を必ず英語で表記してきた最大の理由でもあります(`・ω・´)

この流れで「聖も遂にチートの仲間入りか……」「うはっ、此処から主人公無双かよ」という意見が出るかもしれませんが…………そもそも、これ『少年の誓い』ですから無理っす!!
聖が最強とか天地がひっくり返ってもありえねー!!(゚Д゚)クワッ
次話のネタバレになるので詳しくは言えませんが、今回で漸く聖が『戦いのステージに立てた』という事だけお伝えします。

あ、以前質問させて頂いた『聖に必要なキャラは誰か?』は今でもドシドシ募っています。
もうぶっちゃけ『StrikerS』以降でも全然構いませんので、読者の皆さんの気軽なご意見をお待ちしています。

今回はこれにて以上となります。
感想や意見、タグ関連やその他諸々は遠慮無くドシドシ書き込んで下さい。
皆さんからのお声が原動力なので、是非、是非、是非宜しくお願いします!!( ;Д;)
では、失礼します( ・ω・)ノシ



今話が以前掲載していた分の最後です。
こんなクライマックスで投稿停止とか、タイミングが悪いにも程がありますね。
ですが今後も続けていきたい意志はあるので、時間は掛かるかもしれませんが、読んで下さっている方々には改めて宜しくお願いしますm(_ _)m
№Ⅵは完成していますが、それ以降は完全に一からの制作となるので、今までとは違って定期的な更新は出来ません。
今後はある程度、活動報告で進捗を報告するかもしれないので、出来ればお気に入りユーザーに登録して頂けると幸いです。
非ログインユーザーの方々への配慮は、今の所提示出来るものが無い状態です。
何か案があればいいのですけど……。





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