少年の誓い~魔法少女リリカルなのはO's~   作:さっき~

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――夕焼けに染まる空の下、1人の少年と2人の少女が向かいあっている。
――彼は少しの期待と大きな不安を抱えて……
――少年は手に持っているチケットを、2人に差し出していた。

――相対する2人の少女は、その姿に何を思うのだろうか。
――今日一日、彼の行動によって最悪の事態が避けられた。
――彼女達が望んだ未来を迎える事が出来た。
――それが2人にとって、どれだけの救いとなっただろうか。
――それを少年が知る由も無いが、彼自身もその行動に後悔は無い。
――ならば、此処で彼の持つチケットを受け取らない理由は無い。

――だが彼の心には既に、満ち足りただけの充足感があった。
――これ以上、彼が求めるものも無いだろう。

――3人の間には、様々な想いが交錯している。
――強気な少女の本心を、少年に知って貰おうとする者。
――いつも静かに一歩引いた場所に居る少女を、前へ押し出そうとする者。
――チケットを有効利用しようと考えながら、万が一の儚い運を願っている者。
――それぞれの方向に向けられる想いは全くの別々だが、きっと純粋で好意的なものである事は間違いない。
――その微笑ましい1つの空間、きっと悪いようにはならないであろう風景。

――しかし、その時


――その空間が



―――――色の落ちた、抜け殻のような世界に変わった。





――それは、運命の出会い。
――少年の未来を変える、誓いの物語の始まり。







運命翻弄編
№ⅩⅩⅢ「非日常へのイザナイ」


 

 

 

 

「――っ!?」

 

 いち早くその変化に気付いたのは誰だろうか?

 俺か、バニングスか、月村か……。

 しかし、そんな事はどうでもいい。

 誰が変化に気付いたかが重要なんじゃなくて、その変化が何を意味するのかが重要だった。

 先程まで夕焼けだった鮮やかな赤空が、所々が虫食いになったような歪な風景に変わる。

 

 何だよ、これ……。

 目の前に広がるのは非常識な光景、何とか理解しようと思考がフル回転するが、出てくる答えは『理解不能』の4文字だけだ。

 相対する2人も同じようで、理解出来ない現状に不安を募らせている。

 あまりに突然の状況変化、全く以って意味が分からない。

 だがこの異変は、それだけでは終わらなかった。

 

「……誰も、居ない?」

 

 周りから、人の姿が消え去っていた。

 人込みに紛れていた訳じゃない、でも全く人影の無い場所に居た訳でもない。

 なのに今の俺達の周囲に、目に見える範囲に――――誰も居なかった。

 

 おかしい、おかし過ぎる。

 理解出来ない、何だ此処……。

 本当に、さっきまで居た場所か?

 本当に、同じ世界なのか?

 

「アリサちゃん」

「えぇ、もしかして……」

 

 小さく、耳に声が入ってくる。

 バニングスと月村が、互いに目を合わせていた。

 忙しなく周囲を見渡す俺と対照的に、目の前の2人は徐々に落ち着きを取り戻し、現状を理解しているようにも見える。

 コイツ等、もしかしてこの状況を知ってるのか?

 

「2人共、何か知ってるのか!?」

「うん……」

 

 俺の問いに、月村が控えめな頷きで答える。

 それはつまり、知っていると言う肯定の意。

 こんな非常識な世界で何の頼りもないこの状況だが、今のコイツ等が非常に頼もしく見えた。

 

「それで、これは何なんだ!?」

「えっとね、凄く説明し辛い事なんだけど……」

「何でもいい。こんなおかしな風景、普通はあり得ないだろ!!」

 

 訳も分からずこんな場所に放り出されて、落ち着いてなんか居られる筈がない。

 少なくとも俺の知識に、こんな状況を生み出す要因なんて存在しないのだ。

 兎に角、まず何よりも、この世界を理解出来る説明が欲しかった。

 答えを急かすように月村の両肩を掴んで、乞うように彼女に縋る。

 

 ――――その視界の隅で、何かが動いた。

 

「えっ……?」

「どっ、どうしたの?」

 

 およそ100メートルの距離、視線の先の黒いナニカが徐々に大きくなっていく。

 バニングスの言葉すら反応出来ない程、俺の視線と意識はそちらへと向いていた。

 

 低い、地鳴りがする。

 黒い影は少しずつ輪郭を鮮明にしながら、それは更に大きくなって……。

 違う……あれは、走っている!?

 四足を巧みに操り、コンクリートの地上をまるで弾丸の如きスピードで疾駆していた。

 

『ガァッ!!』

 

 ――――此方に向かって

 

「くっ……!?」

「きゃっ!?」

 

 気付けば俺は2人を両脇に抱えて、横っ飛びでその場から離れていた。

 殆んど無意識の直感的な行動。

 

 数瞬後、先程まで居た場所に飛び込んだ黒い影。

 駆け抜けるスピードが尋常ではなく、その余波が前髪を揺らした。

 あんな速度であれだけの質量がもし直撃していたら、肋骨全てが粉砕してもおかしくない。

 

 その事実に、額から冷や汗が一筋流れる。

 そして漸く、件の影の実体を目の当たりにした。

 

「何だよ、これ……」

 

 全長2メートル近くある体躯、獣のような毛皮を持つ漆黒の体表。

 狼の如くしなやかな体付きと、全ての足に生えた鋭い爪。

 口からはみ出る程の大きさを持つ牙も、その凶暴性を否が応にも理解させる。

 そして何よりも、その額に雄々しく顕在する――――剣の如き『尖角』。

 異常と言わざるを得ないその肉体、その存在、それは正しく異形だった。

 

『グルルル……』

「――っ!?」

 

 ギロリ、と紅玉のような瞳が俺を貫く。

 視線を此方を向けてるだけなのに、心臓を鷲掴みにされたような感覚に襲われた。

 額から背中から汗が流れ、指先が震える。

 呼吸は荒くなり喉がカラカラに渇いてきた。

 瞳は必要以上に開かれ、奴の挙動に過剰に反応している。

 

 目の前に存在する脅威に対して俺は、純粋に恐怖していた。

 

「あっ、あぁ……」

 

 何だよコイツ、こんな生物見た事無い。

 どうすればいい?

 どうすれば、コイツから逃げられる?

 さっきのスピードから考えて、逃げ切るのは不可能だ。

 

 なら、どうすれば……。

 恐怖でバラバラになりそうになる思考を何とか掻き集め、自身や周囲から判断材料を探る。

 少しでも自分の心を支えるに足るものが、欲しくて堪らなかった。

 この状況に於いて、俺はどうすれ――

 

「っぅ!?」

「うぅ……」

 

 

 

 

 ――――あっ

 不意に、背中にしがみ付くような感触。

 それが誰によるものか、そんな事は考えるまでもない。

 

 俺の背後に控えている2人の少女、バニングスと月村。

 喉から絞り出すような声は、明らかな恐怖を孕んでいた。

 震える手が、俺の服をしっかりと掴んでいる。

 必死に、離さないように、その柔らかい手は、必死に俺を掴んでいた。

 それを感じた瞬間、彼女達の声を聴いた瞬間……

 

「……っ」

 

 喉元まで上り詰めていた恐怖を、意地で飲み込んだ。

 目の前の奴に恐怖してるのは俺だけじゃない、後ろの2人だってこの状況を必死に耐えようとしている。

 そんな細い体で、強大なプレッシャーを受け止めながら……。

 なのに俺は、同じように震えてるだけなのか?

 

 ――――否、断じて認めない。

 俺が今考えるべきはどうやって逃げるかではなく、自分がどうしたいかを考えるんだ。

 忘れていた、俺の優先順位はいつだって己の意志を前へ……。

 『どうしなくちゃいけない』じゃない、『どうしたい』か――――それだけだ。

 この状況に於いて、俺が最優先にすべき事。

 それはつまり……

 

「2人共、合図と同時に後ろに向かって走れ」

「えっ?」

「いいか、絶対に振り返るなよ」

 

 後ろの2人を、安全な場所まで辿り着かせる事だ。

 「何言ってんの!?」とか「駄目だよ!!」とか何とか小声で喚いているが無視。

 もう既に、俺の心は決めたのだから。

 

「聞いて――」

「黙ってろ」

「っ……」

 

 バニングスが声を張り上げようとする寸前、抑揚の無い声で抑えた。

 苦々しく口を噤む顔が容易に浮かぶが、今はそちらに一分たりとも意識を向けられない。

 距離にしておよそ30メートル、その場所に奴は居るのだ。

 目を離したらあの爪が、あの牙が、あの角が、此方を狙い殺してくる。

 容赦の欠片すら無く、一呼吸の後に気付けば死んでいる。

 目の前の存在は、恐らくその類のものだ。

 

「聖君、私達の為にそんな無茶するなんて……」

「っ、誰がお前等の為だなんて言った?」

「えっ?」

 

 視線の先に居る化け物、無言に佇むその様相に異常なプレッシャーを感じる。

 今は唇や内臓すら震え上がっている、まるで極寒に晒されたかのような底冷えに嫌悪感しか出てこない。

 それでも、きちんと口が回ったのは助かった。

 

 これならまだ俺は意地を張り続けられる。

 こんなものと相対して、常態で居られるなんて不可能だ。

 恐怖による震えは未だ止む事は無く、俺の神経を磨り減らしていた。

 そんな情けない姿を、恥も外聞も捨てて露呈している。

 

 怖い、マジで怖い、言葉に出来ない位怖い、どう考えても怖過ぎる。

 まるで心に刻まれたように、刷り込まれた恐怖を吐き出している。

 そんな絶対的な奴から、自分以外の人を守るなんて馬鹿にも程がある。

 それ程出来た人間じゃないし、他人の為に全てを擲つ覚悟なんて更々無い。

 ――俺は聖人君子(おひとよし)の類などでは、決してないのだから。

 

「俺は、自分で決めたんだよ」

 

 そう、これは自分で決めた事だ。

 俺が考えて決めた、自分が一番したいと思った事。

 自分自身が後悔しない、最も納得出来る行い。

 

 2人を守る、それこそが自分にとっての最善。

 途切れ途切れになりそうになる声を、無理矢理押し出して2人に伝えた。

 飲み込んだ恐怖は次から次へと現れ、その度に俺は嚥下していく。

 腹の中には、既に許容量限界までの恐怖が詰まっている。

 もうこれ以上、耐えられる時間が無い。

 

「それに、俺1人の方が逃げ易い」

 

 3人揃ってアイツから逃げるのは不可能、初見のスピードから考えて当然の帰結だ。

 あれは人間の疾走速度を遥かに超えている。

 このままでは3人とも仲良くお陀仏なのは、言わずもがな。

 

 しかし俺1人なら、何とかなるかもしれない。

 行動が制限されない1人なら、様々な策を弄せる。

 その中に必ず、生存の為の道筋が在る筈……!!

 

「要するに、お前等は足手纏いなんだよ」

 

 首の力が自然と強まる、きっと緊張が極限まで迫り上がって来ている。

 俺の内部では、きっと奴への感情で暴風が起きてるに違いない。

 だがそれでも、心を気楽に余裕ぶって呟けた。

 本当はそんな余裕は微塵も無いのだが、俺の意志を曲げる訳にはいかない。

 それにこう言えば、コイツ等だって強く出れないだろう。

 

 悪口を言って引いてくれるなら、幾らだって言ってみせるさ。

 そして視界の先の異形が、身震いを始めた。

 ――――っ、来るか!?

 

「合図してから走れ、それまでは1ミリも動くなよ」

 

 早口で言うだけ言い終わると、体を軽く沈める。

 臨戦態勢、もうコイツとの衝突は止められない。

 自分が何処まで出来るか分からない、もしかしたら数瞬で奴に殺されるかも知れない。

 視線の行く先に居る異形に、虚勢で奮い立たせた瞳を向ける。

 もう此処まで来たのだ、今更引くつもりはない。

 

 後はバニングス達が、俺の言葉通りに動いてくれる事を祈るだけ。

 両脚に力を込めて、その想いを胸に、恐怖を腹の底に秘め――――走る。

 

「行けっ!!」

 

 進路方向は真横へ、全力を以って駆け抜けた。

 バニングス達の事は気掛かりだが、そんな余裕は微塵も無い。

 化け物との距離を一定に保ちつつ、奴の周囲を疾走。

 その間、奴はいつでも飛び掛かれる体勢で、俺の動きを目で追っている。

 

「……よしっ」

 

 血を連想させる紅玉の瞳は、俺に『のみ』それを向けている。

 つまり、2人の事は全く視界に入っていない。

 何処まで逃げれば安心出来るか分からないが、少なくともこれでアイツ等は逃げ易くなる筈だ。

 その時間だけ、2人への対応が遅れるのだから。

 

 ……しかし、危ない状況でもあった。

 これは一種の賭け、化け物の注意が俺に向く事が前提での作戦なのだ。

 言ってしまえば失敗すればその場で終わり、2人を助けられず俺も此処で殺される結果になる事も充分にあった。

 でも、それ以外の方法が見付からなかったのもまた事実。

 理解不能の化け物を前にして失敗は許されない状況。

 故にその姿が動物に酷似していた事から、動体に対する興味を利用したが……。

 此方の思惑通り、奴は最初に動いた俺に注意を向けた。

 

「こっちだバケモノ!!」

 

 大きな音で、更に注意を此方に寄せる。

 これだって、さっきバニングスの声を遮らなければ無駄になったかも知れない。

 金髪の少女に悪態を吐きながら、化け物だけに絞っていた視界を広げる。

 視界の端に2人の後姿が映り、俺の言葉通りに走って逃げているのを確認した。

 

『ガァァ!!』

 

 瞬間、化け物が俺目掛けて跳び掛かった。

 その雄叫びで心臓が萎縮したような感覚に襲われて、渇いた息が口から漏れる。

 それでもこの体は敏感に反応した。

 奴の跳び掛かりに合わせて足を止め、接近する間際に体を沈めて化け物の真下を全力で潜った。

 だが――

 

「ぐっ!?」

 

 背中に燃えるような熱と鋭い痛み。

 それに耐えながら前転受身を取り、痛む背中を無視して急いで背後へ振り返る。

 奴は……此方を向いていた。

 相手を見定めるかのように、体勢を低く保ちながら……。

 俺とは違う意味で息を荒くして、獲物を前にした高揚感に包まれている。

 

 よく見ると前足の爪が赤く染まり、白い布切れが引っ掛かっている。

 背中の痛みは、あの爪で切り裂かれたものらしい。

 酷い出血はしてない様子から傷は深くないが、顔を歪めるだけの苦痛は感じざるを得ない。

 

「痛ぅ……」

 

 チリチリと焼かれるような痛みに苛まれながら、相対する獣を見据える。

 相手のスピードが数段上である以上、此方が先手を取るのはマズい。

 さっきは俺が動かないとアイツ等を巻き込むという懸念から、敢えて危険な先手を取った。

 本当なら相手の行動の一つ一つを観察し予測し、それに合わせて自分の行動を一瞬で複数の中から選択する。

 それは言わば、1本のロープの上で綱渡りをする状態。

 自分の神経が少しずつ磨り減っていく中、思考だけは止めないようにとフル回転させる。

 奴は次、どう出る?

 

『グゥゥ……』

 

 唯の低い唸り声でさえ、相手を威圧する行為となり得る。

 その鋭い眼光に射抜かれる度に、思考の糸が切れそうになる。

 焦りが、頭の中を埋め尽くしていく。

 

 ――冷静になれ、冷静になれ、勝つ事じゃない、負けない事を考えろ。

 傷を負う事を恐れるな、背中の事など忘れろ、やり過ごす事に専心を向けろ。

 奴の動きは素早いが単調、直線的な動きが主だ。

 少し掠ったにせよ、2回とも俺が避けられたのは奴の進行方向から逃れたから。

 一度目は横に、二度目は下に……。

 つまり奴と一定の距離を保っていれば、見切る事は容易とは言えないが可能だ。

 だったら、そこに重点を置けば――

 

『グルルル……』

「なっ!?」

 

 ――奴の視線が、意識が俺から逸れた。

 鮮血の如き瞳は此方ではなく、違う方向へと向いている。

 それが意味する事は、俺以外の獲物――バニングス達に狙いを変えたと言う事だ。

 

 俺が餌になって奴の意識を此方に向け、その間に2人は安全な場所まで逃がす。

 1人になった所で奴と、得意な持久戦を展開し隙あらば逃げ切る。

 

 その作戦の前提が今、崩れようとしていた。

 2人は此処から50メートル程離れている、決して速くはないが充分健闘している。

 だがしかし、奴が全力で疾走すればそんな距離は瞬く間にゼロとなるだろう。

 それは最悪の結末…………誰がそんなものを認めてやるか!!

 

「くそっ……!!」

 

 考えてる暇は無い。

 さっきまで脳内を巡っていた思考を切り捨てて、アイツ等を追従するように走り出す。

 全力で空気の壁を突き破るように、奴が飛び出す前に疾走した。

 もしかしたら化け物の意識がこっちに戻るかもしれない、出来なくとも――――何とかすればいい!!

 

『グアァァ!!』

 

 空気が張り裂けんばかりの雄叫びと共に、化け物が飛び出す。

 俺よりも1秒遅れてはいるが、そんなもの両者のスピードを考えれば無に等しい。

 もっと、もっと速く!!

 一瞬だけでいい、奴に匹敵する速さを。

 彼女達との距離が詰まる、注意を叫ぼうと口を開き……

 

「バニングス!! 月む――」

 

 

 

 

 

『ガァッ!!』

「――――えっ?」

 

 自分の浅はかさを思い知った。

 耳に入った短い咆哮が聞こえた時、反射的にそちらを向いたのは、後に思えば幸運と言わざるを得ない。

 視界に映ったのは所々に色を失った気味悪い景色と、視界の7割を占める黒い物体。

 紅くギラついた双眸、そして……鈍く光る鋭い剛爪。

 

 獣王が獲物を狩る瞬間

 人間の身で知る事は無いであろう、その光景が

 目の前に――

 

「――あ」

 

 その声は、酷く情けないものだった。

 

 10個の間違いを見付ける間違い探しで、何分も掛けて見付けた最後の1個が、物凄く単調なものだった時に出た呟き、例えるならそんなものだろう。

 

 振り上げられた黒いモノは、俺の体を袈裟斬りの要領で振り下ろし……

 この身を容易く、斬り裂いた。

 更に勢いは死なず、俺の体に真正面から体当たりをぶち当ててきた。

 

「ぐぁ、――――ぁっ!?」

 

 その尋常じゃない衝撃で、肺に残った全ての空気が強制的に吐き出された。

 しかも大きく吹き飛ばされ、街路樹に背中を叩きつけられるオマケ付き。

 あまりに突然で身構える事すら忘れ、無防備なまま全ての衝撃を受け入れた。

 

「はっ、ぁぁ………ぐっ!!」

 

 その全身を貫く凄まじい痛みに、一瞬意識が飛びかけた。

 ヤバい、マジで痛い、今のは効いたぞコノヤロウ!!

 呼吸の荒くなる中、何とか意識を繋げようと腕に力を込めて、地面の土を抉って握り締める。

 

 体の前面は大きな爪痕から赤い液体が流れ、流れに沿って痛覚が悲鳴を上げる。

 背面は浅い傷口に先程の衝撃、それに樹木の表面が皮膚を削って余計に開いた。

 さっきから耳の奥からドクドクと心臓の音が聴こえてきて、全身が馬鹿みたいな高熱を帯びている。

 特に頭の中は茹で上がる程の熱が篭もり、インフルエンザに罹るとこんな感じかなぁと、理解も出来ない事を考えてしまう。

 

 何でこうなったんだろう? いやそもそも何でこんな怪我してるんだろう? いやいやそもそもどうして此処に居るんだろう?

 

 熱に侵された思考は纏まりが無く、グチャグチャに散乱していく。

 考えれば考える程、熱は温度を上げて襲い掛かり、意識を奪おうと纏わりついてくる。

 

 ――もう何も、考えられない。

 眼に映る黒い塊、明らかな敵意を宿した視線にさえ俺は何も感じない。

 震えていた全身は最早、用を成さない。

 心を締め付けていた恐怖は、今は欠片すら残っていなかった。

 

 そして奴は……俺を己が視界から外した。

 目の前の玩具に興味を無くしたように、何の感慨も見せずに、ソイツは歩を進めた。

 体が動かない為、視線だけでその先を見てみると……。

 

「ぁ……」

 

 先程より更に離れた場所で、2人の少女が此方を向いていた。

 何か酷いものを見たような見開いた双眸は、確実に俺を射抜いている。

 何で、そんな……顔をして…………。

 呼吸が荒くて、声にならない声を胸中で呟く。

 視線の先の少女の顔が、傍から見ていて笑みが零れる位におかしかった。

 顔を動かす力すら、今はもう残ってないけど……。

 

「――ろ!!」

「――ん!!」

 

 何か叫んでるように見えるけど、熱に侵された頭には何も入ってこない。

 何も聴こえない。

 体の前後から熱い液体が流れ出て、傷口を刺激する。

 その痛みだけが、俺と目の前の光景を繋ぐものだった。

 でも、もう……それすらも、俺には…………

 

 

 

 呼吸が深くなってくる。

 握っていた拳が徐々に緩む。

 背中に感じていた樹木の感触は、もう無い。

 神経と体が切り離されて、首から下の存在を感じ取れない。

 

 

 

 

 

 瞼が、落ちてきた。

 ……これで、終わりのようだ。

 死ぬんだな……俺。

 

 心残り、無いと言えば嘘になる。

 どんなに滅茶苦茶に侵された思考でも、アイツ等の事だけは決して壊されない。

 大切な友達に無様な姿を晒した事、守れなかった事。

 嘘を吐いてしまった事と、彼女達に俺の死という重荷を背負わせてしまった事。

 どれだけ謝罪の言葉を並べようと、何万回の土下座をしても赦されぬ所業。

 

 そして家族に、友達に二度と逢う事が叶わない事実。

 師父、シスター、平太、明菜、勇気、沙夜、一弥、夏希、芽衣、達樹、慎二……。

 瀬田、遠藤、金月、高杉、高町、ハラオウン、八神。

 皆と、もう……

 

 

 

 

 いやだ、イヤだ、嫌だ、否だ、厭だ、もう逢えないなんて絶対嫌だ!!

 もっと一緒に居たい、もっと仲良くなりたい、もっと色んな想い出を分かち合いたい!!

 大切な家族、大切な友達、今まで俺を支えてくれた人達と!!

 俺はまだ何も返せていないんだ、助けて貰ってばかりで、まだ何も恩返し出来ていないんだよ!!

 そんなの嫌だ!!

 誓いがどうとかじゃない、心の底からそう思っているだけだ。

 でも此処で何もかもが終ってしまうなんて、認めたくない!!

 

 しかし、もう体は動いてはくれない。

 どんなに強く願っても、結局は強大な暴力に全てを潰される。

 最後に残ったのは、己に対する無力感と、急激に襲い掛かる睡魔。

 心と別離した体では、それに抗う事も出来ず……

 

 

 

 ――俺の視界は、ブラックアウトした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 黒い空、黒い地上、境界線の見えない黒一色の世界。

 放り出されたかのように俺は、そこで力無く立ち尽くしていた。

 

 思い返すのは……今までの自分。

 数え切れない後悔をしてきた。

 全ては俺の力不足で、その度に俺は強くなりたいと願った。

 その願いがあるからこそ、今まで努力をしてこれた。

 例え今は無理でも、この努力はいつか実を結ぶと信じて。

 どれだけ苦汁を舐めようが関係無く、俺は自分を強く持っていた……筈だった。

 でも、今は――

 

 

 ――こんなにも悔しくて、堪らない。

 非日常の光景、非常識の化け物、そんなものを目の前に出されて空回りしていた自分。

 異常に慌てて、脅威に震えて、何一つ満足に出来なかった自分。

 前者2つなんてどうでもいい。

 問題は何よりも、自分自身だったのだから。

 俺がもっとしっかりしていれば、どんな状況に置かれても揺るがぬ心を持っていれば或いは……。

 そんな過ぎた事を否定してる自分が、世界中のどんなものよりも嫌いだった。

 そして――

 

――俺に力があれば――

 

 ――存在しないものに縋ろうとする自分が、大嫌いだった。

 今はもう叶わない、その願い。

 死して尚、手放す事の出来ない想い。

 現実から切り捨てられた俺の胸に残る、最後の願い。

 他力本願が嫌いな俺が生涯で数少ない、自分ではない誰かに向ける言葉。

 

 

――アイツ等を、助けて欲しい――

 

 

 俺が不甲斐無いばかりに、今窮地に立たされているであろう2人の少女。

 アリサ・バニングスと月村すずか。

 聖祥で出会った2人を……。

 気が強くて、でも優しい心を持っているバニングスを。

 穏やかで、でも時々だけど人懐っこい月村を。

 きっと強く美しい人になれる、希望ある少女達を……

 俺の大切な、友達を……

 

 誰でもいいから、救って欲しい。

 これからも前へ進める人だから、俺なんかよりもずっと凄い人だから……。

 そんな彼女達を、閉ざされた世界に置いていかないでくれ。

 

 お願いだ、頼むからアイツ等を助けてくれ!!

 

 一寸先すら見えぬ漆黒の世界で叫ぶ、俺の心の願い。

 届く筈の無い声を必死に届けたくて……。

 無駄だと知りつつも俺は、今の自分に出来る事をしたかった。

 かくしてその想いは……

 

 

 

 

 

 

 

 

《Is it your hope(それが貴方の望み)?》

 

 

 

 聴いた事も無い、でも何処か懐かしさを感じさせる合成音らしき女声によって、完全に吹っ飛んでしまった。

 

《Is leaving to others your hope(他人に任せるのが、貴方の望み)?》

 

 まさか返答が来るとは思わず、眼を見開いて辺りを見回す。

 しかし相も変わらず、俺の周囲は漆黒の闇が埋め尽くしている。

 聞き間違い? 唯の空耳か?

 自問自答するが、そこに更なる追い討ちを掛けられる事になった。

 

《You are weaker than it thinks.(貴方は思ったよりも軟弱なんですね)》

 

 グサッと俺の胸を穿つ発言。

 異様にムカつくが、その反応が先程までの声が空耳でない証となる。

 それじゃあ、この発言の主は一体何処に?

 周囲は何も見えない、寧ろ目を開けてるかどうかすら分からない状態だ。

 取り敢えず、声を掛けてみる事にした。

 

「お前、誰だ?」

《Is it me? I am nameless(私ですか? 私は名無しです)》

「名無し? 何だそりゃ?」

《Because a name that might be reluctant is not named.(仕方ないでしょう、名前を付けられてないのだから)》

 

 何故だろうか、合成音という異質な音色だというのに――――そこに込められた想いや意志を感じる。

 落胆、残念、そんな想いを……。

 それにしても、名前を付けられてないって、どういう意味だ?

 

《It is called that it likes it and doesn't care.(好きなように呼んでくれて構いません)》

「好きなようにって……急に言われてもなぁ」

 

 こんな突然の出会い、と言うか顔を合わせてすらいない相手を好きなように呼べって……。

 

「せめて、姿を見せてくれても良いんじゃないのか?」

《Then, please compromise.(なら、歩み寄って下さい)》

「歩み寄る? お前にか?」

《It is a thing only of not your coming beside of me that doesn't see.(見えていないのは、貴方が私の傍に来ていないから)》

 

 その答えは至極真っ当なものだろうけど、傍って何処だよ?

 姿も見えないのに、傍に来いって問答としておかしくないか?

 傍に寄ってないから見えないって、そんなに距離的に遠いのか?

 

「こんな真っ暗闇の中、お前の傍にどうやって寄れってんだよ?」

 

 遠回しな発言に、いい加減ウンザリしてきた。

 少しずつ怒りが込み上げてくるが、ぶつける相手が見えないからどうしようもないのが現状。

 

《Here is your inside. The sense of incompatibility of the thing that I am there has shut your view.(此処は貴方の内側です。そこに私が居るという違和感が、貴方の視界を閉ざしているのです)》

「俺の、内側?」

《Accept, and the sense of incompatibility. Irritation to me who feels it now and the mystery are all …… in your mind.(受け入れるのです、その違和感を。今感じている私への苛立ちも不可解さも全て、貴方の心で……)》

「受け入れる、俺の心で……」

 

 それが何を意味するのか、俺には分からない。

 でもその言葉から感じるものは、嘘偽りの無い真摯な音色。

 きっとこの女性の言ってる事は間違っていなくて、それは俺にとって重要なものだと、無意識に心で理解していた。

 でも、出来るだろうか?

 名前も顔も知らず、声のみの相手を受け入れるなんて事を……。

 

《no problem. Because you have the talent to be able to do it.(問題ありません。貴方には、それが出来る才能がありますから)》

「才能?」

《Now there is no leave that says the doubt. Because danger approaches them while it is doing so.(さぁ、疑問を口にする暇はありません。こうしている間にも、彼女達に危険が迫っているのです)》

「――っ、バニングスと月村に!?」

 

 忘れていた。

 自分がこうなった経緯、その原因たる異形の存在。

 黒の体毛を纏いし獣王、俺の視界が捉えた2人へ歩を進める奴の姿。

 そして、その先に起こるであろう悲劇を……。

 止めなくちゃいけない。

 

「でも俺は、奴に殺されて……」

《You are not dead. The life maintenance manages to consist of my power though the serious injury was owed.(貴方は死んでいません。深手は負いましたが、私の力で生命維持は出来ています)》

「お前の力で?」

《It explains later. It is a thing that returns to their places.(説明は後です。今、貴方がするべきは私を受け入れ、彼女達の所へ戻る事です)》

 

 思わず、目が点になった。

 彼女の言葉が事実であれば、俺はまだ死んでいない事になる。

 あれだけボロボロにされて尚、俺は生きている。

 

 アイツ等の許へ戻る事が出来る。

 友達を、大切な人達を守れるかも知れない。

 その事実を知って諦めていた心に希望の灯火が点き、全身から力が湧いて来るのを感じた。

 

「どうすれば良い? お前を受け入れるには!?」

《It doesn't give birth to any haste. The mind is calmed down, and everything is opened.(焦りは何も生みません。心を鎮めて、全てを開放するのです)》

 

 逸る気持ちを諌められ、彼女の言葉に従う。

 そうだ、こういう時に慌てても、何にもならないのが常だ。

 冷静になれ、心を鎮めろ。

 波立つ感情を抑え、起伏を鎮めていく。

 

《The murmuring in the river is imaged. (川のせせらぎをイメージして)》

 

 穏やかな声、まるで母親が子をあやすような優しさを感じる。

 それに促されて瞳を閉じ、脳内にイメージを広げていく。

 透き通る清流、流れる葉、泳ぐ川魚。

 流れの方向、速さ、音。

 

《Small bird's twittering and leaves trembling in the wind.(小鳥の囀り、風に揺れる葉を)》

 

 木に止まる小鳥、1羽、2羽……互いを呼び合うような音色。

 サラサラと流れるような葉の音は、心を自然と鎮めてくれる。

 全身に滾っていた力が抜けて、浮ついてた気持ちも地に着いた。

 それは無気力ではなく、リラックスの極地点。

 ゆっくりと拍動する心音が聴こえる。

 全身の血管を通る血液が清流のように流れ、脳内に涼風が吹き抜け雑念が消えていく。

 思考が、真っ白になる。

 

 ――――この感覚を、俺は知っている。

 今日二度目の『覚醒現象』、そして……

 

「俺はお前を受け入れる」

《You accept me.(貴方は私を受け入れる)》

 

 視界が、開けた。

 先程までの暗闇に蛍光色の線が幾つも走り、それが灯りとなる。

 改めて周りを見渡せば、そこはだだっ広い空間だった。

 周囲の壁や天井に描かれた幾筋もの光は、まるで蜘蛛の巣のように張り巡らされ、全てが奥へと続いている。

 よく見ると、それらはある一点で集束し、その場所には――――

 

 ――――金色に輝く珠が浮いていた。

 クリアになる思考が、その珠へと近付く行動を起こした。

 数メートルの距離はすぐにゼロとなり、その珠を凝視する。

 真円の月を連想させるその光に、思わず手を伸ばして……

 

《Don't touch(触れないで)!!》

 

 その声と珠の明滅で、反射的に手を引っ込めた。

 そして理解する。

 この珠こそが、先程まで俺と会話していた声の主なのだと。

 

《The approach more than this influences your body harmfully.(これ以上の接近は、貴方の体にも悪影響を及ぼします)》

 

 数度の明滅と同時に放たれた言葉に、俺は一歩その場から引いた。

 悪影響が何を意味しているのか分からないが、必死に止める声を聴いてしまえば誰だって引くしかない。

 従順なまでの迅速な行動、しかし不快感も違和感も無い。

 そうする事が正しいと、思考の何処かで理解していたかのように……。

 

《The completion of the 1st and 2nd contact was confirmed.(第一、第二接触の完了を確認しました)》

 

 俺が真っ直ぐにソレを見据える中、彼女の声(システムボイス)が冷静に響く。

 

《As a result, an invisible field is switched in the annulment and the device is usually switched to operation.(これによりインビジブルフィールドを破棄、デバイスを通常運行に切り替えます)》

 

 何度も明滅を繰り返す珠玉。

 暗い空間にある数少ない灯りだが、視覚を刺激するようなものではない。

 そして彼女から告げられる聞き慣れない単語の連なり。

 だがそれに疑問符を並べる事も無く、耳と脳で聴き留めていた。

 

《Is it good(宜しいですか)?》

 

 俺に向けられるその言葉。

 何に対する了解か、それすら考える間も無く、俺は頷いた。

 すると、急激に金珠の明滅が早くなる。

 何度、何十度も繰り返し……

 最後に、この空間全てを照らし尽くす剛光を放った。

 

《You have come to the place where it cannot turn back.(もう貴方は、引き返せない場所まで来てしまった)》

 

 視界を純白に埋め尽くされる中で俺は、静かにその光を受け入れる。

 体が浮上するような感覚、意識がサルベージされていく。

 沈み、今にも消え去ろうとしていた想いが……

 砕け、自身の弱さを嘆くしかなかった意志が……

 深い深い海の底から、引き上げられて……

 

《One wish for Lucil disappeared.(ルシルの願いの一つが、消えてしまいましたね)》

 

 悔恨の情を込めた声を傍に、俺は立ち上がった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 原色と灰色の交じり合った世界。

 異常で、異型で、異質。

 存在そのものが異たる空間、反吐が出る程の気色悪さを醸し出していた。

 

 だが最早、今の俺には何も関係無い。

 為すべき事があるのなら、それの為だけに動けばいい。

 唯、それだけだ……。

 倒れ伏していた体を腕の力で持ち上げる。

 問題は無い、多少の痛みは残っているものの想定の範囲内だ。

 

 上半身を上げて、足で地に強く踏み込む。

 多少バランスを崩したがすぐに持ち直し、そうして俺は傷だらけの体を再び立ち上がらせた。

 視線の先には、少女2人と一匹の化け物。

 力無き少女は化け物の放つ威圧に当てられ、その場に立ち尽くしている。

 

 紫髪の少女がもう1人を庇っているような立ち位置。

 奴と少女達との距離を見て、気を失ってから殆んど時間は経っていないと悟った。

 まだ立ち上がった俺に気付いていない。

 だが獣の勘か、奴は徐に視線を此方に移してきた。

 

『グゥゥ……』

 

 牙を剥き出しに、紅玉を思わせる双眸がジロリと俺を睨みつける。

 瞳の奥を射抜くような視線は、脆弱な人間では為す術も無く心を折られるだろう。

 現実として、それだけの眼力が奴にはある。

 

 ――――だからどうした、今更それが何になる?

 今の俺には、お前の威嚇の感想を呟いてる暇も、鑑賞するつもりも無い。

 クリアな思考が切り開くのは、奴を打倒する術へ至る道筋。

 それ以外は、最初から何も要らない。

 

《The damage to the body doesn't finish recovering though the wound was closed.(傷口は塞ぎましたが、体へのダメージは治りきっていません)》

「動くなら関係無い。それよりも……」

《Yes, a temporary magic boost is multiplied by your body now.(はい、今より貴方の体に一時的な魔力ブーストを掛けます)》

「持続時間は?」

《In your today amount of magic, about ten minutes are limits.(今の貴方の魔力総量では、およそ10分が限界です)》

「――――それだけあれば充分だ」

 

 体勢を低く、左足を前に構える。

 

《Burst Veil(バーストヴェール)》

 

 瞬間、俺の体に灰色の光が纏わり、全身に力が漲りだした。

 これが彼女の言う魔力ブーストと言うヤツなんだろうか?

 だがそれを考えるのは、時間がある時でいい。

 今は先ず……奴を潰す。

 

「ふっ……!!」

 

 一拍の後、後ろに溜めた右足の力で飛び出す。

 たったの一歩、それだけで土の地面が抉れたが気にしない。

 俺の視界に映る景色が、今までとは比べ物にならない位の速さで通り過ぎていった。

 風を切る、大気を吹き飛ばす、そして奴を――

 

「くっ!?」

 

 ――拳を構えた時には、既に間合いの内。

 懐への一歩を踏み抜いて、無理矢理の方向転換で距離を取る。

 その間、化け物は一ミリたりとも動きを見せなかった。

 恐らくだが今までの俺の動きとの差異に、本能の部分が反応出来ていないのだろう。

 

 だがそれは俺も同じだった。

 スピードは予測だが、先程までの奴の速度とほぼ同じ。

 今までに感じた事の無い疾走感、それは俺の思っていた以上の速さを示していた。

 たったの2,3歩で懐まで来てしまうとは、俺自身としても予想外だ。

 ブーストというヤツは、それ程までにこの体を強化していたようだ……。

 

「でも、感覚は今ので掴んだ」

 

 右手を開いたり閉じたりして、神経伝達の状態を確かめる。

 地上最速と言われているチーターが120キロだが、きっと今の俺はそれに限りなく近い。

 まさに破格の力だが、使えるなら何だって使ってやる。

 視界の端、信じられないものを見たような双眸で、俺から目を離せないでいる少女達を守ると決めたのだから。

 

『ガァァァ!!』

「来るか……」

 

 目の前の俺を倒すべき優先対象に決めたのか、雄叫びを上げ全力を以って飛び掛かってきた。

 虚像を残す程の疾走、化け物たる所以が何者にも負けないスピードとなって襲い掛かる。

 常人ならその一撃で首を刎ねられ、無様な首無し人形の姿を晒すだろう。

 しかし、今の俺なら――――負ける道理は無い。

 

 奴のスタートに遅れる事一瞬、俺も前へ――

 勢いを殺さず、踏み込みと同時に襲い来る巨躯の真下へと、スライディングの要領で潜り込む。

 今回は何とか避け切り、刹那の交差に奴の腹下を抜けて腕を伸ばし、あるモノを掴み取った。

 

『ギャウン!?』

 

 予想外の状況に、奴は今までに聴いた事の無い狂乱染みた鳴き声を上げる。

 それに対し、掴んだモノを離さぬように握力を強めた。

 そしてその腕を、剣道の上段の如く――

 

「はぁっ!!」

 

 思い切り振り下ろした。

 化け物は俺に掴まれていた自身の『尻尾』に引っ張られ、先程までの運動エネルギーとは逆向きの力を与えられる。

 通常ならスピードで同等の相手ではウェイトの差で力負けするだろうが、パワーもブーストで大幅に強化された俺なら負ける事は無い。

 千切れてしまえとでも言うように振り下ろした尻尾は、しかし地面に着く前に障害物に阻まれて事無きを得た。

 だがその身は障害物である街路樹に、背中からモロに打ち付ける事となる。

 

『グゥッ!!』

 

 喉から苦しそうな鳴き声が漏れる。

 俺はと言うと、ぶつかる直前に樹木を蹴る事で反対側へと逃げ果せた。

 

「さっきのお返しだ、バケモノ」

 

 気を失う前、体当たりで同じような目に遭った事を忘れていない。

 視線の先には、身構える間も無く受けた衝撃に悶えている奴の姿。

 脚が震えている所を見ると、先程のダメージはかなり効いているようだ。

 だったら……と目標へ特攻を掛けようとした瞬間――――視界が歪んだ。

 

「くっ……」

 

 グニャリと、泥水のような風景がそこにはあった。

 白んでくるソレは、明らかに自分の体に赤信号が点灯した証。

 限界が近いという事らしい……。

 

《It is an update of body information.(身体情報の更新です)》

 

 そこに、内側からの声が掛かる。

 

《The load more than the measurement seems to hang in 'linker core' by the magic exercise that doesn't become accustomed.(慣れない魔法行使により、『リンカーコア』に計測以上の負荷が掛かっているようです)》

 

 言ってる事は相も変わらず理解出来ない単語ばかり。

 だがそれは、この体に確実な限界が存在する事を意味していた。

 

《The damage accumulated in the whole body in addition to it seems to be deteriorating by the current combat.(それに加え、全身に蓄積されたダメージが、今の戦闘により悪化してる模様です)》

 

 淡々と事実を述べる女声だが、その中に俺を気遣うような雰囲気を感じたのは気のせいか……。

 だがそれを考えるのは、時間がある時で充分だ。

 それが事実である以上、この限界の近い体で出来る事をする。

 考える間も無く化け物は体勢を整えて、此方を警戒している。

 すぐには仕掛けてこないだろうが、時間は無い。

 

 どうする? どうすればいい?

 考えろ、考えろ、考えろ。

 

《The enemy is a death body. If a blow is decided at the end, the thing knocked down might be possible.(敵は死に体です。最後に一撃を決められれば、倒す事も可能でしょう)》

「あぁ、だがそれはこっちも同じだ」

 

 奴が後一撃で終わるのは傍目から明らかだが、それは俺もまた同じだ。

 一度でも喰らえば、今度こそ二度と立ち上がれないし、息も吹き返さないだろう。

 俺達はお互いに、死の寸前にまで歩み寄って来ていた。

 一撃、しかも一発で決められる程の威力のある豪快なものを……。

 今のブーストだけじゃ足らない、もっと大きく、もっと鋭い一撃。

 

《Please image it.(イメージしてください)》

「何を?」

《The oneself who reaches an enemy deals a blow.The powerful fist which grinds all.(敵に届く己が一撃。悉くを粉砕する、強力な拳を)》

 

 そう、この状況に於いて、それこそが俺の求めるもの。

 しかしどうやってイメージする?

 漠然としたものでは駄目だ、もっと明確な……目に見えずとも確実に存在するものを。

 

《Feel, and all of this place in which you are.(感じで下さい、貴方が居るこの場所の全てを)》

「この場所を……?」

《The flowing wind, and it is put gravity, and a buoyancy that flies up pressure.(流れる風を、圧し付ける重力を、舞い上がる浮力を)》

 

 この世に存在する、永続的に巡る力の流れ。

 人の目に見えるものではなく、しかし確実に存在するもの。

 それを、想像しろと?

 

《Power and it that flows are put on the fist by yourself.(流動する力、それを己の拳に乗せるのです)》

「流動、拳、イメージ……」

『グルルル……』

 

 視線の先の獣が、突撃の体勢を取った。

 また同じかと思いきや、それはあらぬ方向を向いていた。

 此方ではなく、大きく逸れた方へ……。

 

「まさか……」

 

 そこには、見間違えようもなく――――2人の少女が居る。

 此処に来てのターゲットの変更、予想出来なかった訳ではないが急過ぎる。

 俺を無視して確実に狩れる獲物を狙うのは、確かに理に適った行動だ。

 しかし俺がそれを見逃す筈も無く、奴が飛び出すと同時に俺も駆け出した。

 

『ガァァァ!!』

 

 喉が裂けんばかりの咆哮、それは瀕死である奴の最後の足掻き。

 ダメージによって明らかに速度を落とした疾走は、それでも常人とは比べ物にならない速さ。

 

 ――だがもう、俺には鈍い物体にしか見えない。

 黒の獣が辿り着くより遥かに早く、俺は2人より少し前で立ち塞がった。

 両脚から軋むような音が聴こえる……限界が近いのだろう。

 

「……」

 

 近付く、黒い塊が……。

 更に近付く、雄々しい尖角を此方に向けた獣が……。

 まだ近付く、最後の力を振り絞って……。

 奴は近付く、俺を刺し殺す最後の一撃を携えて……。

 

《If it is me and you, it makes it to perfect shape when even the image is vague.(私と貴方なら、たとえ曖昧なイメージでも完璧な形に出来ます)》

「あぁそうだ。俺と、お前なら……」

 

 迫り来る脅威は1秒あれば到達するだろう。

 奴が大地を踏み鳴らす音と共に、後ろで身構えるように小さな声が聴こえた。

 このまま時が過ぎれば、俺のみならず彼女達も……。

 

 ――――それだけはさせない!!

 俺の誓いは、誰にも破らせはしない。

 軋む右腕を振り上げる、痛みは一々気にしてられない。

 狙うは一点、奴の頭蓋と鋭利な角、それ等を確実に砕く。

 

「出来ない事は無い……!!」

 

 大気が変動した。

 穏やかだった空気は突如、俺の周囲だけ荒々しく活動を始め拳に集う。

 乱気流の如き暴風が圧縮されたソレは、放たれるのを今か今かと待ち構えている。

 腕には、見た事も無い模様の灰色の環が2つ取り巻いていた。

 乱気流が更に暴走し、爆風へと変貌する。

 それは何者も寄せ付けず、触れる全てを吹き飛ばす『鋼の風』。

 

『ガァァァ!!』

 

 奴が間合いに入った。

 死に物狂いの疾走、その獣の顔は正しく最後の意地。

 そしてそれは俺も同じ、これが決まらねば全てが水泡に帰す。

 

 まるで数倍、数十倍の重力が掛かったような右腕を振り下ろす。

 狙うは唯一点、そのいけ好かない剣のような尖角。

 俺を殺そうとする、バニングスを殺そうとする、月村を殺そうとする、その全てを――――

 

「堕ちろ!!」

《Geo Impact(ジオ・インパクト)》

 

 振り下ろした拳は寸分違わず目標の額へ。

 鋭利な角は此方の一撃を真っ向から迎え撃ち、鎬を削る間も無く砕け……

 刹那――――――轟音と共に、その悉くを粉砕した。

 

「……」

 

 俺の一撃の衝撃が強過ぎたのか、足元のアスファルトには網目状に砕かれた跡が数メートルもの円形となっている。

 その上で倒れ伏す、無様な姿を晒す黒い獣。

 断末魔も衝撃に掻き消され、振り下ろした瞬間に奴の命は消えていた。

 角と意識を折られたコイツは、最早二度と動く事は叶わない。

 

 

 

「……」

 

 終わった。

 少女達を苛む恐怖の象徴は、この拳によって此処に打ち砕かれた。

 

 守れたのだ、大切な友達を……。

 生きれるのだ、まだこれからも……。

 この化け物に勝った事よりも、その当たり前の日常の方が何倍も嬉しくて……。

 その想いを抱えたまま――

 

「っ、瑞代!?」

「聖君!!」

 

 ――俺は、今度こそ力尽きた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

――フフフッ、漸く見付けたよ――

 

――ずっと待っていた、君が現れる時を――

 

――君もそう思うだろう?――

 

――『ハギオス』――

 

 

 

 

 

 

 

 




聖が死んだ!(;゚Д゚)(・ω・;)この人でなし!
『少年の誓い』完 さっき~先生の次回作にご期待ください!

――――いやいや、冗談ですって。

どうも、おはこんばんちはです( ・ω・)ノシ
№ⅩⅩⅢをお読み下さり、ありがとうございます。

日常編の2ヒロインの物語も終わり、漸く本筋に戻ってまいりましたが、早速バイオレンスな展開になってしまいました。
更に突如として魔法に覚醒した聖、デバイスらしき発言もあり、ぶっちゃけ状況が分かり難いにも程があります。
しかも今話は、時間にして5分にも満たない短時間での出来事。
そして端折りに端折ってこの文字数、くどいレベルの心理描写。
これは酷い(;´Д`)
ですが、これらにはきちんとした理由があります。
聖に語りかけてきたデバイス、そして最後に出てきた人物は一体何者なのか……。
答えはいずれ、必ず出てくるでしょう。
そして何より、件のデバイスの発言やそれに対する聖の反応に違和感を覚えた読者の方々には、その違和感を忘れずに持ち続けて頂きたいと思います。
その分、我が盟友たるエキサイト先生が頑張るんですけどね……(・´ω・)
次回は取り敢えず、現状の説明回。
久し振りのあの人が登場します。

そういえば、前話の嘘予告に反応して下さった方が少数ですが居ましたね。
いやまぁ、以前掲載していた時の名残なんですが、普通にスルーされると思っていました。
あぁいった未来も、もしかしたらあるかもしれませんが……。

今回はこれにて以上となります。
感想や意見、タグ関連やその他諸々は遠慮無くドシドシ書き込んで下さい。
直接メッセージでも、作者的にウェルカムです。
では、失礼します( ・ω・)ノシ

『少年の誓い』にOPとEDを付けるとしたら、どんな曲が良いんだろうと考えるこの頃。
リリカルなのはの伝統に則り、OPを水樹さんでEDを田村さんなんでしょうけど。
水樹さんの曲はよく知ってますが、田村さんのはあまり知らないんですよね……(´・∀・)














誓いの行方~リリカルなのはStrikerS~


「この部隊で私だけが凡人で、実力が足りないから、こうして自主練でも何でもしないと駄目なんです」

 さも当たり前のように呟いた少女は、憮然とした表情のまま俺を見ている。
 隊舎の周囲に設置されている外灯に照らされた彼女は、しかし暗く沈んでいた。
 自分で口にした事実に落ち込んでる類だな、コイツは……。

「スバルみたいな恵まれた体力や魔力、先陣を切る突破力も無い。エリオのように早い年齢で陸戦Bランクを取れたり、高い機動力も持っていない。キャロなんて稀少技能持ちですよ?」
「確かに、そう考えると6課の新人って馬鹿みたいにレベル高いよなぁ」
「その中で私だけが何も無い。他の皆みたいに、誇れるものが何も無いんです……」

 それは、羨望と嫉妬から零れた彼女の本音。
 周りは才能豊かな人材が揃っているのに、自分にはそれが無い。
 その事実は、この少女に焦りを生ませるには充分過ぎる理由だ。

「ランスター、取り敢えずさ―――――――殴っていいか?」
「……は?」

 でも俺から言わせれば、そんなもの最初から問題外である。
 そもそもそんな事を気にしていたら、俺はどうなると言うんだ。

「俺からすれば、お前の言ってる事が意味不明だ」

 こっちは周りに居たのがハラオウン達なんだぞ、ランクS超えの馬鹿を越えた高レベルだぞ?
 ぶっちゃけ自分自身の存在意義を問われる程の天地の差と言っていい。
 確かにコイツの言いたい事は痛い程分かるし、俺も実際にそう思う時期もあった。
 絶対的な才能と実力差なんて、考え出したらキリが無い。
 でも――――

「お前にだって、お前だけの力があるじゃないか」
「そっ、そんな無責任な慰めなんて要りません!!」

 まるで牙を向かんばかりの反論。
 別に慰めのつもりで言った訳じゃないが、彼女にはそう取られたらしい。
 まぁ、そもそも勘違いしてるこの様子じゃ、何を言っても聴き入れてはくれないか。
 はぁ、と溜息を一つして、更に言葉を続けた。

「じゃあ訊くが……エリオやナカジマが確実に先陣を切る為に、お前が出来る事は何だ?」
「え…………牽制射撃、ですか?」
「基本的に支援が主なキャロを上手く立ち回らせる役目は誰だ?」
「……」
「そもそも、その3人を纏めて1つのチームにする役目は誰だ?」
「…………」

 俺の問いに、言葉を失くしていくランスター。
 きっと本人も分かっていた筈の事実、しかし自分の力不足がその現実を曇らせていた。
 だから第3者である俺から、それを正しく突きつけて認識させないと……。

「つーか射撃だって標準以上をキープしてるし、更に幻術が使えるとか恵まれ過ぎだろ。周りの天才を見て無い物ねだりしてるなっての」
「で、でも……」
「自分が凡人だって自覚があるなら、凡人なりに手札の練度を上げて上手く使う事を忘れるなよ。誰も最初から、お前に出来ない事を望んじゃいないんだから」

 高町しかり、ヴィータしかり、いや……6課の誰もが『今現在のランスター』に出来る事を望んでいる。
 実力なんて訓練を続ければ勝手に伸びる、伸び方に差はあれど、きっとその手に掴めるものはあるのだから。

「それじゃ、今までの私の努力は間違っていたって事ですか!?」
「それがどうした? 別に良いじゃないか、間違ってたって」
「……え?」
「間違った努力だって、その過程で手に入れた物は残るんだから。それに間違えたなら、それを認めて直していけばいい」

 呆然とした様子のランスター。
 何というかアレだ、可愛い顔して間抜け顔だと俺も反応に困る。
 ……まぁいいや、取り敢えず言える事だけ言っておこう。

「お前が今出来る事、お前が今するべき事を突き詰めていけば、自ずとやれる事は増えていくもんだ。凡人の先輩からのアドバイスだと思って、適当に聞き流してくれ」

 そんじゃな、という挨拶を最後に踵を返す。
 俺の言葉で何を思ったかは知らないが、きっと何かが残れば……良いんだけれど。
 背後のランスターからの言葉は、無い。



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