「分かっているのか!!」
――あれはいつの事だったか……。
――真っ白な部屋に響く怒号。
――目の前でそれを発したのは、自らの父親同然の人だった。
「全治1ヶ月の大怪我なんだぞ!!」
――自分の全身には部屋に負けない程の、真っ白な包帯。
――両手足に巻かれていて、とても痛々しい。
「二度とこんな真似をするんじゃないぞ!!」
――普段なら絶対に発しない程の大声を上げる。
――でも、本気で怒っている訳でもない。
――だって……この人の両の目尻には、透明な雫が湛えられていたのだから。
「このっ、親を心配させるんじゃない……!!」
――ふわっ、とこの体を優しく抱き締める。
――その抱擁が温かくて、嬉しくて……
――激痛に苛まれる体のまま、それに身を委ねていた。
――それは、懐かしい記憶。
――守る事に必死だった少年の、1つの通過点。
「マジか……」
初見の感想は、たったそれだけのくだらないものだった。
だがその3文字が、何よりも今の自分の心境を如実に表していた。
これは現実なのか、という色が混じる俺の声。
まるで童話の中に迷い込んだ錯覚に陥る。
それ程までに、目の前のものは現実味を帯びていなかった。
「これが、月村の家」
聳え立つ家門は堅牢なイメージを髣髴とさせ、その奥に赤銅色のレンガは城壁。
無数のソレに組み立てられ、巨大と呼べる洋風な屋敷がそこに存在していた。
そのあまりの大きさに、溜息しか出てこない。
はぁぁ、日本にこんな所が存在していたとは……。
感嘆の溜息を漏らしながら、俺はその場に硬直してしまった。
「すずかちゃんの家に来るのも久し振りだね」
「そやね~」
「最近は、私達の都合で時間も合わなかったし」
「仕方ないわよ。だから、今日は此処に来ようって言ったんじゃない」
俺の数歩前を進んでいる4人は、此方の呆然を完全に無視しながら話している。
その至って平然としているその態度に、何故か無性に腹が立ったのは気のせいじゃないだろう。
この差は慣れか、慣れなのか!?
「聖君、どうしたの?」
フリーズ中の俺に、前方の高町から声が掛かった。
それに反応して他の3人も、彼女と同じような表情をして俺を見てくる。
「あっ、いや……何でもない」
おぉっと、いかんいかん。
いつの間にか止まっていた足を、俺は再び動かし始める。
どうやら、眼前に聳え立つお屋敷様に圧倒されていたようだ。
――――つーか、何で此処に居るんだっけ?
前の4人に付いていきながら、俺はこの場に至るまでの経緯を振り返ってみた。
それは、時間にして1時間程度前に遡る。
中間テストを翌週に控え、授業も内容も復習ばかりになってきた時の事だ。
しかし今日は土曜日、授業も午前中だけで恙無く終わっていった。
それじゃ帰りますか、と俺は帰り支度を整える。
この後は家の手伝いや、テスト対策の自主勉強に時間を割かないといけない。
行動は可能な限り迅速に正確に、それが理想だからな。
さて、帰った後は家と礼拝堂の掃除からだな。
それから、帰って来た皆の相手をして――
「聖、ちょっといい?」
「ん?」
脳内に張り巡らされた思考が、横入りしてきた声によって強制終了させられた。
半ば脊髄反射で返事をした俺が、声の主へ向くと……
「あっ、急に声掛けてごめんね」
前席に凛然と立つ、金色の少女が視界に収まった。
少し気まずそうな顔で、それでも真っ直ぐに俺を見てくる。
……俺、何かしたか?
コイツにこんな顔される憶えは無いんだけどなぁ。
「どうかしたか?」
数瞬考えた末、取り敢えず普段通りに答えを返した。
何を危惧しているのか分からない以上、変に構えずに常態で居る方が相手にも良いだろうから。
そんな俺の気配りもどきを感じ取ったのか、ハラオウンはふっと表情をいつも通りに戻した。
「あのね、これからなのは達とすずかの家に行くんだけど……」
「月村の?」
「うん。皆とテスト勉強も兼ねて」
ふぅん、アイツの家か。
高町達って事は、間違いなくバニングスと八神も行くんだろうな。
しかし、それと俺に声を掛ける事との繋がりは…………あぁ、そう言う事か。
つまり――
「聖もどうかな、って思ったんだけど」
此方が口を開く前に答えを出されてしまった。
いやまぁ、流れ的にそういう事なんだろうと十中八九思ってはいたけど。
うぅむ、しかし月村の家か……。
個人的に興味が無い訳ではないけど、やっぱり行くのは気が引けるよなぁ。
コイツ等みたいに女子同士ならいざ知らず、男である俺が行くなんて迷惑なんじゃ――
「すずかなら、全然問題無いって」
「あっ、そうですか……」
またも先回りされてしまった。
つーか、本人に直接訊いたのかよお前は。
手際が良いというか何と言うか、俺が断ったら意味無いだろうが。
でも、家の仕事も手伝わないといけないしなぁ。
だけど、折角のお誘いを無碍にするのもどうかと思うしなぁ。
あまりに突然の事に、どうしようかなぁ、と深く考え込んでしまう。
「あっ、別に忙しいならいいんだよ。聖の場合、家の事もあるし……」
「そうだな……」
考えた末、俺の出した答えは――――
「そんじゃ、行かせて貰うか」
ハラオウンにとって、満足のいく答えとなったようだ。
自分でも、どうしてその答えに行き着いたのか分からない。
月村に貸す本を見繕い終わったから、持っていく口実が出来たからだろうか?
……いや、それもあるが、それだけじゃない筈だ。
友人らしい何かをしてみたかった、もしかしたらソレもあるのだろう。
これが、俺の変化という事なのか?
だとしたら、傍迷惑な話でもあり――――良い傾向なのだろう。
家族だけでなく、友人と付き合える事。
今まで自ら律してきたそれを、自ら解いているのだから。
この気持ちが、俺にとってのプラスとなるのか……。
それは、これからの俺次第だろう。
「皆様、ようこそいらっしゃいました」
と、色々と感慨に耽っていると、玄関と思しき所から1人の女性が現れた。
透き通る青髪、その身には紫地の衣服の上にフリルのあしらわれた白いエプロンを着飾った美女。
姿からして、まず間違いなくこの屋敷のメイドさんなのだろう。
無駄にでかいし、こういったお手伝いさん雇わないと維持するのも難しそうだしな。
「お久し振りです、ノエルさん」
「はい。お久し振りです、なのはお嬢様」
顔馴染みである4人は、至って普通に挨拶を交わしている。
気心知れた間柄なのか、その様子は当たり前のように穏やかさに包まれていた。
俺も挨拶の一つでもした方が良いのだろうが、その空気感を前にどうにも切り出すタイミングを掴めない。
しかも初対面である事が、更に出鼻を挫く要因となっている。
どうしたものか、何とか切っ掛けを見付けようと彼女達のやり取りをみていると。
「瑞代聖様ですね?」
「えっ……あっ、はい」
どうやら考えるのは無駄だったらしい。
先程まで高町達に挨拶していた女性は、いつの間にか視線を俺へと動かしていた。
「初めまして。私は、この月村家にお仕えしている『ノエル・K・エーアリヒカイト』と申します」
「あっ、ご丁寧にどうもです。えぇっと……初めまして、瑞代聖です。今日はお招き頂き、ありがとうございます」
両手を前で組み、正しい姿勢で一礼する。
そのしっかりとした佇まいに、かなり気後れしてしまった。
動きの一つ一つが洗練されていて、此方が思わず萎縮してしまう程の美麗さ。
一朝一夕で身に付けられる技能ではない事が、それを一目見ただけで理解出来てしまう。
俺の誠意なんて、紙屑のように思えてしまうレベルだ。
静の持つ迫力と言うのを、初めて実感した瞬間だった。
「お話は、すずかお嬢様から聞き及んでおります」
「あぁ……」
クロノさん達と会った時のパターン、そう考えるとあまり聴きたくないなぁ。
月村が人の悪口を言うなんて微塵も思っていない。
それでも自分がどう思われているかなんて、好き好んで聴きたいとは思わない。
寧ろ、俺に黙ったまま墓まで持っていって欲しい。
いや、忘れて貰った方が早いか?
…………だって、恥ずかしいじゃんか。
「内容の方は、出来れば言わないでくれると助かります」
「そうですか」
フフッ、とノエルさんは慈愛に満ちた微笑を見せる。
その挙動は、やはり目で追ってしまう程に綺麗で、目の前の女性に良く似合っていた。
「どうぞ、お入り下さい」
入場を促され、早速入っていく高町達に続いて、俺は静々と月村家へ入っていった。
こういう空気は、ちょっと苦手かもしれない……。
連れて来られた場所は、硝子で覆われた一室だった。
植物園の温室のようで、曇り一つ無いそこからは外で青々と茂る緑達を美しく映している。
中央には大きな円形のテーブルが鎮座しており、その一角には、椅子に腰掛けて紅茶を嗜む少女が1人。
彼女の傍らには、ノエルさんと同じ衣服を纏った同年代であろう少女の姿がある。
それはまるで、高名な画家が描いた絵画のよう。
学校での彼女しか知らない俺にとって、その姿は新鮮味に溢れていた。
カップに口を付けていた少女――――月村は、持っていたそれをソーサーに乗せてテーブルに置くと、此方に視線を動かす。
その仕種があまりに綺麗で、あまりに気品ある所作だった為、鼓動が一瞬だけ高鳴った。
「いらっしゃい、皆」
柔らかな笑みを浮かべて挨拶する月村に、俺の前に立つ少女達は同じように挨拶を交わす。
数瞬だけ遅れて、俺もそれを倣う。
「おっす、月村。今日は招待してくれてありがとな」
「来てくれたんだね、聖君」
「まぁ、な。月村の家がどういう所なのか、興味はあったからな」
俺の来訪を心から喜んでくれている少女に、フッと視線を逸らして答える。
面と向かって話すには、少々……いやかなり恥ずかしい。
逸らすという行動が、俺にとって出来る限りの反抗なのだろう。
まぁ、無駄な抵抗なんだろうけどさ……。
「フフフッ……」
すると、月村の居る所から慎ましい笑い声が、俺の耳をくすぐった。
そちらを向くと――――発生源が居た。
月村から後ろに一歩離れた位置で佇んでいる少女。
ノエルさんと同じ衣服に身を包んだ、何処か幼さを残すメイド。
恐らく同年代、もしくは少し年上であろうその少女は、俺の気恥ずかしさを悟ったようだ。
俺を見て全て理解してるような顔をしている。
……つーか、貴女は誰ですか?
「あっ、彼女はファリン。私専属のメイドだよ」
「はい、ファリン・K・エーアリヒカイトと申します。宜しくね、聖君」
「は、はぁ……宜しくお願いします」
俺の視線の意図に気付いた月村に促され、瞳の先に居る少女が物腰を正して挨拶をしてきた。
まぁ、それも即行で崩れた訳だが……。
エーアリヒカイトって事はノエルさんの妹なんだろうけど、あの人とはかなり違うメイドさんだな。
ノエルさんは終始相手を敬う態度だが、このファリンさんはどちらかと言うと友達感覚に似ている。
懐っこいと言えば聞こえは良いが、メイドとしてはどうなのだろう?
とか何とか気になったが、善く善く考えなくても俺には全く以って関係無い話だ。
取り敢えずいつまでもその状態は拙いので、左手に提げられている紙袋をテーブルに置く。
「これ、約束の物だ」
「あっ、持って来てくれたんだ!!」
置かれた物を見るや否や、月村は瞳を輝かせてソレを見詰める。
どうやら彼女にとってコレは、思っていた以上に待ち望んでいたものらしい。
嬉しい反応をしてくれるな。
「聖君。ずっと気になってたんだけど、それって……」
「月村に貸す為の本だ。前に約束したからな」
いつの間にか椅子に腰を下ろしている高町の疑問に、簡単に答える。
何だ、さっきから気になっていたんなら訊けば良いのに……。
俺の答えに、「へぇ~」とか言いながら納得する面々。
一方では、嬉しさを全く隠そうとしない月村が、双眸を輝かせながら中身を確認してワクワクしている。
――――何だ、このシュールな光景。
「瑞代、いつまでボォ~と突っ立ってんのよ」
「あぁ、それもそうだな」
気付いてたら目の前の月村に視線を釘付けにされていた俺に、バニングスの不機嫌そうな声が掛けられた。
反応してそちらを向くと――
「…………」
如何にも『私怒ってます』ってな感じでした。
ムスッとしたその表情に、妙な迫力があって怖い。
何に対して怒ってんだろうか、コイツは。
自分の親友を取られたと感じたとか…………まぁ無いわな。
依然としてワクワクしっ放しの少女から視線を外し、自分に宛がわれた……もとい空いていた椅子に腰掛ける。
「ほんなら、テスト勉強始めよか」
その八神の掛け声で、俺達は各々の勉強道具を取り出した。
まぁ、分かっていた事ではあるけどさ……。
「簡単過ぎるよなぁ」
目の前でスラスラ問題を解いていく5人を見て、そう思わずにはいられない。
俺も似たようなもので、特に詰まるような問題は全く無い。
まぁ、中一の最初のテストだしな。
ぶっちゃけ、此処に来てまでやる必要があったのだろうかと思うのが現状だ。
「まっ、アタシに掛かれば、この程度の問題なんて朝飯前よ」
「アリサは頭良いからね」
俺と同じような考えなのか、バニングスが余裕な顔をしてそんな事を言い放つ。
ハラオウンの言葉を聴いて、「お前も同じだろ」という突っ込みが出そうになったのは俺だけの秘密だ……。
代わりに、それとは違った言葉が口を突いて出た。
「でも、やっぱりすげぇよな。特にハラオウンとバニングスはさ……」
「「えっ?」」
「だってさ、外人なのに国語も完璧なんだろ?」
自国の言葉ならいざ知らず、他国の言語まで理解を深めているなんて早々出来るようなものじゃない。
俺の言葉に目が点になっている2人は、間の抜けた顔をしながらもそれを見事に体現しているのだ。
凄い、そうとしか言えない。
「私はまだまだだよ。アリサと比べると、文系の成績良くないし……」
「まぁそうよね。聖祥のパーフェクトバイリンガルとは、アタシの事だしね」
ハラオウンは謙遜っぽく、バニングスは自信たっぷりに答える。
取り敢えず後者の姿には、如何にも「えっへん」という言葉が良く似合う。
前者と比べると、明らかに調子に乗ってる感じがするのは気のせいか?
……まぁ、実力を伴っているから文句は無いけどさ。
「How are you today?」
「うぇ!?」
何ですと!?
突然何やら面白い事を思いついたのか、薄ら笑みを浮かべながら英語で話しかけてきやがった。
くそっ、俺が慌てている様子を楽しんでやがるのか?
どうする、あの英文は確か……相手の状態を尋ねる時とかに使うヤツだよな。
だったら答えは「I'm fine」 とか「I'm so-so」辺りが常套句だ。
しかし、バニングスの事だ。
この小悪魔染みた表情からして、その後に追撃を繰り出してもおかしくない。
ならどうする、今の俺がコイツに対抗出来る策は?
「How did you do?」
ニヤリ、と肉食動物のように
楽しんでやがる、絶対楽しんでるぞコイツ。
くそぅ、可愛い顔してやる事が容赦無いから困る。
あぁ、どうすれば……………………
………………………………そうだ。
あっちがその気なら、こっちも同じ事を返しせばいい。
最近は全く使わなかったから、ちょっと危険かもしれないけど。
まぁ、コイツなら分からないだろうから大丈夫。
脳内を整理、反撃の糸口を掴んだ俺は、言うべき言葉を自身の口で発する。
「
『……えっ?』
おぉおぉ、驚いてる驚いてる。
俺から発される聴き慣れない異国語に、彼女だけでなく全員が目を丸くしている。
バニングスへのちょっとした対抗だったが、予想以上に効果があったようだ。
――――よし、だったら今の内に一気に畳み掛ける。
「
「えっ、えっと……」
まさしく『窮鼠猫を噛む』状態。
普段から慣れ親しんでいる日本語、彼女の母国語である英語、そのどれとも当て嵌まらない独特の発音。
インド・ヨーロッパ語族に属し、ギリシアやキプロス、また学術用語としても使われている言語。
そう、――――ギリシア語だ。
元々、ギリシア神話の原本を読みたい為に、師父に無理を言って教えて貰ったものだ。
しかし一般会話まではそれなりに覚えたものの、それ以上のものをマスターする事は出来なかった。
まぁ、俺に才能が無かったんだろうな……。
そんな事はどうでもいいか。
取り敢えず、バニングスに一矢報いる事が出来たので良しとしよう。
「あら、楽しそうね」
テスト勉強も一段落着いて、本格的に手持ち無沙汰になってしまった俺達。
やる事といったら、他愛も無い日常会話ぐらいなものだ。
そんな時に聴こえたのが、興味深そうに此方を見てくる女性の声だった。
腰まで伸びるストレートな紫髪、俺より少しだけ高い身長、端正な顔立ち。
微笑を湛えたその表情は、正に絶世の美女そのもの。
そして何よりも…………月村と良く似ていた。
まるで、彼女の未来を見ているかのような錯覚に陥る。
「皆で勉強? そっか、もうすぐ中間テストだもんね」
「うん。お姉ちゃん達は……見れば分かるね」
女性の言葉に、苦笑しながら月村は返した。
ふむ、やはりあの人は月村の姉だったか。
確かに容姿や佇まいが良く似てるし、2人共『美』が付いてもおかしくない。
「…………」
だが、俺がそれ以上に気になったのは別の存在。
女性の斜め後ろ辺りで、彼女を見守るように立っている男性。
それは女性を守る騎士を思わせる様相で、言葉に出来ない位に凛々しい姿だった。
「…………」
正直、言葉が出なかった。
その姿が、あまりにも似合い過ぎていたのと、自分には生涯辿り着けないであろう場所に見えたから。
俺だって馬鹿じゃない。
相手の姿や纏っている雰囲気から、少しはその人の実力が分かる。
そしてあの人は――――――――強い。
心も、体も、何もかもが強靭に作り上げられていた。
俺では足許にも及ばない、雲の上の存在である事を認めざるを得ない。
「それで、あの子が噂の彼ね」
「うん、瑞代聖君だよ」
「で、聞いてるのかな、聖君?」
「ふぇっ?」
姫を守る騎士の姿に見惚れていた俺は、その声を向けられて漸く我に返った。
そちらを向くと、姉妹揃って俺を真っ直ぐに見ている。
2人が並ぶと本当に良く似ているなぁ、と今更な事を考えたり……。
「うんうん、本当に面白い声出すんだね」
「面白い声って……」
「「ふぇっ?」なんて、普通じゃ聞けないよ」
「うぅ………」
ヤバい、初対面から弄られているのが自分でも分かる。
周りの奴等は面白がっているようで、クスクス笑いを殺しながら助け舟を出そうともしない。
非情だな、お前等。
「忍、その辺りで止めてやれ。彼も困ってるぞ」
「あはは、ゴメンね。反応が面白くて、つい」
先程まで見守るだけだった男性が、困ったお姫様を諌める。
俺的には助かったのだが、正直意外で驚いた。
月村のお姉さんだから、もう少しお淑やかな性分かと思ったんだが……。
意外や意外、気さくな態度で此方に接してきた。
「私はすずかのお姉ちゃんの月村忍、宜しくね」
「は、はぁ。宜しくです……」
綺麗な笑顔を湛えるそれは、目映い輝きを放っている。
底抜けに明るく、この世の全てに不満などまるで無いと、表情が物語っていた。
自分の人生を幸せだと誇れる人だけが持つ、強く優しい心。
それを、目の前の人は持ち得ていた。
「ほら、恭也」
「あ、あぁ……。高町恭也だ」
突然腕を引っ張られて、後ろで静かに佇んでいた男性は月村さんの前へと押しやられる。
微妙に困った顔をしながらも、きちんと名前を名乗る所から、こういった強引な行動には慣れているようだ。
……まぁ、あまり慣れたいものとは思えないけど。
しかし、高町か。
以前の翠屋と全く似たような状況だが、流石に2度も同じ馬鹿はしない。
確信を持っているが、念の為に高町の方を見遣る。
「高町って事は、お前の……」
「うん、私のお兄ちゃんだよ」
まぁ、そうだよな。
もしそれ以外だったら本気で困った所だぞ。
「君の事はなのはや両親から聴いている。誠実な人柄の少年だと」
「そう、ですか」
「特にウチの両親はかなり気に入っているようだ」
「は……ははは…………」
それはきっと、良い玩具だとでも思っているんですよ。
会ってその度に弄られてれば、嫌でもそう思わずにはいられない。
あの2人は、お遊び半分で俺をからかっているだけだと……。
ははは……………はぁ。
何か自分で言ってて虚しくなるなぁ。
「どうかしたの? 聖君」
「いえ、少々自己嫌悪に陥っていた所です」
月村さん、出来ればそっとしておいて下さるとありがたいです。
周囲の人達に翻弄されている自分を顧みると、何とも言えない情けなさに襲われるんですよ。
自覚無しに溜息を吐いてるレベルで……。
「恭也さん、お久し振りです!」
ふと、沈み掛けていた意識が、弾むような声色によって引き上げられた。
発生源はバニングス、そちらを見ると花の咲いたような笑顔で恭也さんに話し掛けている。
「あぁ、久し振りだね。アリサちゃん」
相対する男性も控えめながら、微笑みながら彼女に返していた。
へぇ、結構仲が良いんだなぁ。
高町とはかなり前から友人だったらしいから、会う機会もそれなりにあるって事か。
……にしても、随分とバニングスの表情が明るい。
「実はなぁ聖君。アリサちゃんって恭也さんにホの字なんよ」
「ホの字って、随分古い表現だなオイ……」
その様子を見ていた俺に、隣から八神が口元を押さえながら小声で語りかけてくる。
しかしホの字……もとい、バニングスがあの人の事をねぇ。
確かに見た目からして格好良いし、誠実そうな感じがするから、好きになるのも当然と言える。
「でも恭也さんは忍さんの恋人やから、実際の所は憧れみたいなもんやね」
「あー……ご愁傷様ってヤツか」
傍目でチラッと2人を見遣る。
高町も混じりつつ楽しげに話している様子からして、適度な親密さ以上のものは感じない。
それでもバニングスの表情に陰りは一切無いし、非常に楽しそうだ。
少なくとも、俺の前であんな顔をした事は一度も無い。
「まっ、本人が楽しそうなら良いんじゃないか?」
「そやね~。見てて微笑ましいもんな~」
「こらそこっ! 何コソコソ話してるのよ!?」
おっと、いつの間にやらバニングスが俺達の密談に気付いてしまった。
本人には聴こえないボリュームだったのだが、勘の良いヤツめ。
先程までの表情から一変、楽しい会話に水を差されたようで不満顔である。
「あはは、何もあらへんよ~。なぁ聖君?」
「そうだな、単なる世間話みたいなもんだし。なぁ八神?」
「アンタ達揃って怪しいんだけど……」
至って自然体を装って八神に合わせたんだが、どうやらお気に召さなかったらしい。
何を馬鹿な、こっちは単にお前をネタに話していただけだというのに。
困ったお嬢様である。
「まったく……はやては兎も角、変な事言うんじゃないわよ瑞代」
「何故に八神は許されて俺は駄目なんだ?」
「何となくよ」
何という完全女性上位社会、この横暴さには遺憾の意を表明したい気分である。
フン、と鼻を鳴らしながら膨れっ面を此方に向ける少女に、最早先程までの面影は一切無い。
あんな顔をしたバニングスは見た事無かっただけに、新鮮であると共に少し勿体無い感じだな。
何というか、凄く綺麗な笑顔だったし……。
「アンタ、少しは恭也さんを見習ったらどうなの?」
「何で急にそんな話になるんだよ?」
「ちょっとは大人になれって言ってるの」
またも鼻を鳴らしながら、そっぽを向くバニングス。
此処まで機嫌を悪くしているのであれば、流石に謝っておくべきだったかとも思ったが……。
急に話の方向を転換、更には恭也さんを見習えときたものだ。
何となく言いたい事も分かるのだが、今日初めて会った相手、しかも年上の男性と比較されても俺としても困るんだが。
「いや、それは……」
見ろバニングス、急に引き合いに出されて困ってる当人も居るんだぞ。
まるで苦虫を噛み潰したまま我慢している表情を浮かべるその人を、少しだけ不憫に思ってしまった。
でもな、そもそもの話――――
「そんな事……」
――――言われるまでもなく、自分が誰より理解していた。
テーブルに肘を掛けて、寄り掛かるように溜息を吐く。
天気の良い硝子越しの風景、そこに目を向けながら自分自身を顧みてみる。
いつになれば、人から一人前と認めて貰えるのか……。
いつまでも子供じゃいられないのに、いつまでもそこから抜け出せない。
俺は本当に駄目なヤツなのだと、理解せざるを得ないのが現状だった。
「すずか」
「何、お姉ちゃん」
「今がチャンス。何かに悩み、苦しむ1人の少年。ここで包容力のある所を見せれば、彼もイチコロよ」
「イチコロって……。別に私は、そんなつもりじゃ……」
「すずかも女の子なんだから、恋の一つや二つ位しなきゃ駄目よ」
……何かよく分からん会話だが、俺には聴こえない。
聴こえないったら聴こえない。
あの月村さんの性格から考えて、どうせ俺をからかう為の冗談に決まってる。
そうでなければ、俺みたいな凡人を妹に勧める筈が無いんだから。
俺と、月村が…………
……………
…………
………
……
だぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁっ!!
やめろ、ヤメロ、止めろ!!
何でそんな事を想像するんだ、俺は。
有り得ない、有り得る筈が無いんだ。
俺と月村が……そんな…………。
それに、俺にはやるべき事がある。
自分1人だけ、そんな幸せを噛み締めるなんて間違ってる。
家族を守るという、不変にして絶対の誓い。
それを破る訳にはいかない。
そして何より――――
――あんな思いをする位なら――
――僕はもう――
俺は、もう二度と…………。
「それじゃ、また来週だね」
時が過ぎるのはとても早い事なのは、小さな頃から気付いていた。
その度に、「あぁ、こうすれば良かった」とか「あの時に、あぁすればなぁ」等と思っていたものだ。
それはやはりと言うか、殆んどが家に関わる事だったが……。
でも、今日はそれが違っていた。
「あぁ、また来週な」
こんなにも、コイツ等と離れる事が惜しいと思ってしまう。
もっと傍で、もっと色々な話したい……。
それが不必要な思いだと知っていながらも、拭い去る事が出来ない。
矛盾する意志に、自分自身が分からなくなる。
「すずかちゃん、また来週ね」
「初めてのテストやけど、お互い頑張ろな~」
月村家の玄関前で、1人1人が挨拶を交わしていく。
その中で俺は心中で、自分でも全く分からない問答を厭きる事無く続けていた。
だったのだが……
「聖君、これからは好きな時に来て良いからね」
「お姉ちゃん!?」
夕陽に負けない程の目映い笑顔で、トンデモない事を言いやがったよこの人。
諌める妹の姿に目もくれず、目の前の女性は俺をその瞳で射抜く。
「全力全開で遠慮します」
「え~、つまんない~」
いや、そんな駄々捏ねられてもなぁ。
この人が本当に俺より年上なのか甚だ疑問であり、納得いかざる現実だ……。
隣の恭也さんなんか、既に溜息吐いて諦めてるし。
「本は読み終わってから返してくれれば良いからな」
「うん、出来るだけ早く読み終わらせるようにするね」
斑模様の猫(名前はフィーアらしい)を胸に抱いている月村。
俺に笑顔を返すその姿は、美しいとしか形容出来ない。
だがしかし、彼女の答えは俺が求めていたものじゃなかった。
「俺は、そんなつもりで本を貸した覚えは無いんだが」
「えっ……」
「つーか、俺の時間を掛けた選別を、早く切り上げて無駄にするのだけは勘弁してくれ」
そう、そんなつもりで月村に本を貸す訳じゃない。
最初から決めていた事だ。
あの日、書斎で本棚を楽しそうに見ていた月村を見て……。
俺は心の底から思ったんだ。
「俺は、お前に楽しんで欲しいんだよ」
「えっ……?」
俺の唐突な言葉に、目を点にする少女。
傍から見る分には楽しめるが、俺自身が完全な中心人物なので笑えない。
ハッキリ言うが…………凄い恥ずかしいんだぞ。
お陰で、さっきから顔がマジで熱い。
もしかしなくても、俺の顔は真っ赤になってるに違いないだろう。
それを知られたくなくて、思いっきり明後日の方向を向いたりする。
「聖君」
そんな内心焦りで一杯な状態で、突然月村の声が聞こえた。
今の状態を考えれば、そっちに向くのは自殺行為に近いんだが……。
条件反射なのか、何をトチ狂ったのか、俺は従順にも彼女の方へ向き直ってしまった。
「私の為に本当にありがとう」
「うっ……」
「貸してくれた本、大切に読ませてもらうね」
「ぅぅ…………」
彼女の姉に負けず劣らずの『眩しい笑顔』がそこにあった。
どこまでも真っ直ぐなそれは、今までには見た事の無い純粋なもので……。
――――ゴメン、もう無理だ!!
これ以上直視しては、俺の頭が本気で熱暴走を起こしてしまう。
慌てて月村から視線を外す俺だが、それをまるで面白い物でも見たかのようなクスクスと小さく笑う声が一つ。
あぁもういいですよ、勝手に笑って下さい。
口許を押さえながら此方を見る月村さんに、半ば睨むような視線を送り返す。
「いやぁ~ん、そんなに怒らないで~」
とか何とか言いながら恭也さんの腕に抱き付く。
被害者側である彼は………やはり諦めたような顔だった。
はぁ~、これだから女って生き物は分からない。
普段は弱々しさをアピールするのに、いざと言う時は男顔負けの行動力を示す。
曰く、『女心は秋の空』だと言う。
……別段そんなものを知りたいとは思わないけど。
あぁでも、バニングスが偶に見せる憤慨な顔の理由は知りたいかも。
だって分からないと理不尽じゃないか。
「それじゃ、な……」
「うん」
未だ赤くなったままの顔で挨拶を交わす俺と、至って平静な月村。
割に合わないよな、明らかに……別に良いけどさ。
踵を返して、堅牢な家門へと進んでいく俺と高町達。
はぁぁぁぁぁぁ、何かドッと疲れたなぁ。
主に最後のやり取りだけで。
「聖君、疲れたん?」
「あ、あぁいや別に」
隣に立っていた八神の少し心配するような表情を見て、咄嗟にそう答える。
確かに疲れてはいるが、ここまで心配させるのもお門違いだ。
「まぁ、何というか……」
なら、俺がここまで疲れた原因は何だ?
今まで一度も感じた事の無いこの心境は、一体何なのか。
唯それは、俺自身がすぐに理解していた。
そう、俺は――
「友達の家に来るのは、初めてだったんだ」
今まで他人に遠慮してきた。
どんな時も『家の事情』と言って、行く事を拒んでいた。
だからだろう、この新鮮味に溢れたシチュエーションを、意識する間もない程に満喫していたという事に。
以前の俺なら絶対に無い筈のソレを感じさせた、月村の家。
何故、此処に来たのだろう?
「俺は……」
その呟きは誰にも聞こえず、見据えた先の黄昏色に吸い込まれていった。
答えは未だ――――見つかる事は無い。
どうも、おはこんばんちはです( ・ω・)ノシ
№ⅩⅤをお読み下さり、ありがとうございます。
今回はすずかの家で勉強会、まぁあまり意味はありませんでしたが。
兎も角この回で、恭也と忍を出したかったというのがあります。
この2人、実は日常編のとある場所でキーとなる人物です。
特に恭也は存在そのものが、日常編では重要となるでしょう。
最近、編集をする傍らで、ヒロイン別のルートを読み直して感覚を取り戻そうとしています。
読んでみると「これが当時の俺のセンスか……」と、何となくギャップを感じてしまうこの頃。
読んで下さっている皆さんを胸キュンさせる物語に出来るのか、ちょっと不安です……。
リリカルなのはって胸キュンさせるストーリーですしね、Dr.HAYAMI(プレシアの中の人の旦那さん)もMOVIE 1stの時に言ってました。
兎に角、個別ルートまで行けるよう頑張ります(`・ω・´)ゝ
今回は以上となります。
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直接メッセージでも、作者的にウェルカムです。
では、失礼します( ・ω・)ノシ