プリンセス・アリスの腹黒い笑みによって進行された、カンピオーネ:香山碓井によるまつろわぬ神討伐への誘導。
2週間後にまつろわぬ神が日本に来る、という選択ならぬ宣託を聞いたことで、賢人議会でも、財産の行方をどうこうするという問題は棚上げになった。
元々、おおよその結論は出ていたのだから。後はどれだけ取り分を自分の下に引きだせるかという駆け引きに終始していたのである。
そして、緊急の課題が誕生する。
この情報を売り付け、討伐させるのはどのカンピオーネにするべきなのか。
黒王子は論外。
狼王も論外。
中国の王は意思疎通不可能。
アメリカは常に忙しい。
永遠の美少女は、いまもどこかをうろついている。
必然的に、カードを渡す事になったのは、香山碓井だった。
3日後に行われたニ度めの会談の時に、ミス・エリクソンが案内する城に送迎され、初めて拝見する上流階級の姫という風貌さながらに、演じ切っていた白き巫女姫が告げたことであった。
下手に自分の立ち位置を計算する性格であったのが、運のつきということだろうか。
神と戦うというカードを与えられて、心が躍った。
そのために何を捨ててもいいと感じるからだ。
黒王子ほどひねくれた対応をするわけでもないことで、難しい手練手管を用いることもなく、正面からまつろわぬ神の討伐をお願いいたしますといい、頭を下げたプリンセス・アリスに別段問題を感じることもなかった。
勿論、もらうものはもらったが。
具体的には、雷の審判の総帥が保有していた財産をすべて譲り受けること。
息子夫婦への補償を子子孫孫まで行うこと。
この2点を交渉の結果、そのまま丸呑みさせた。
お金があれば、わざわざ魔術結社を使う必要もない上に、魔術師を見ているとつい身ぐるみを剥いでやりたいという感情が芽生えるからだ。
戦いにおいて分析・計算するタイプである以上、常日頃からある程度の計算をした行動をする必要があることを痛感した。
魔術師からの信用も利害も大して必要でもないだろうと考え、金銭を重視したことになる。
一周回って肉体労働者としての放浪の旅に戻った事になる。
旅先で身ぐるみ剥ぐというのも面白いのだが。
こうした感情の推移もあり、交渉成立となった。
カンピオーネとは、神と戦うために生きているというのも理由の一つだ。
神とは危険・死の代名詞である。
危険に挑むことで、常に生と死の綱渡りを好み、刹那の時間をかいくぐり続けるためにこそ、権能はあるのだから。
相手が殴る理由を与えなければ、殴る必要もなく、唐突に殴るほど神の力というものは安くない。襲われた限りでは使用するが横暴を行うと言うのは面倒だな、というのが碓井の素直な気持ちだった。
(神と戦うのに余計な不純物はいらないし、魔術師は生活のサポートをさせる位でいいかな)
プリンセス・アリスとの会合の結果、魔術師への対応を暫定的に結論付けた。
こうした経緯の末、香山碓井は、賢人議会の中で服属させた魔術師・騎士の歓待を受けながら、自分ひとりで動けるように上流階級用のパスポート・ビザ・身分証明証を造らせて戦いに気をはやらせていった。
そうして、賢人議会から正史編纂委員会に連絡がいき、日本の呪術界が激震したあと、対応をどのようにするべきかでさんざんに揉めることになる。
日本の最初の王について、賢人議会から連絡がきたのである。
すでに賢人議会と強い結びつきがあるかもしれないと考えるのも無理はなく、碓井自身も大して賢人議会に違和感を覚えない程度の距離感を感じたために、事実上、ある程度のつながりを獲得した形になるだろう。
このことに対して、委員会上層部では過去5年間の神の来臨に関する情報を集め、どのような人員をカンピオーネのそばにおくかを、考えていくことになる。
巫女と優秀なエージェントが必要になると思われたが、カンピオーネと対応できるほどのコミュニケーション能力を持つ巫女はおらず、沙耶宮家の令嬢もいまだ元服にも満たない年齢であることから、当時の巫女のまとめ役が派遣されることになった。
しかし、東の巫女と西の巫女の勢力争いの問題も重なり、紛糾することになる。
さらに神が出現するという連絡のあった場所も、非常に厳しい地域であった。
――――――古都・京都なのである。
正史編纂委員会は東側という立場にいる連合盟主であり、西は独特の公家社会でもある。そうした違いから京都というのは、非常にめんどうな土地なのである。
こうして方針の違いと意識の違い・人員の問題が関わった事によって、結論が決定するには、多大な時間を弄したのである。
△
大阪・関西国際空港。
第一ターミナル、第二ターミナル、エアロプラザホテルなどの設備を整え、大阪の玄関口として、もう一つの伊丹空港と若干客層がずれながらも競い合っている。
第一ターミナルに国際線ゲートエリアがが存在しており、三階建ての通路を人ガぎっしりと歩いている。
改札口を出てしばらくすると、4階のエリアに着く。
買い物などをすることも多いのは、3階のエリアからになる。
そして、碓井が現地の魔術結社と待ち合わせているのも、このエリアのカフェである。
小奇麗なバール形式の店を確認した碓井は、待ち合わせの人間を探す。
すると、窓際に緊張した様子で注文したコーヒーにも手をつけていない女性と、一種諦めの感情も見えるような男がいた。
女性の方は、20歳前後だろうか。
いよいよ女性の華盛といえるような、若々しさと桃を思わせる甘やかな風貌がかわいらしい。それに亜麻色の髪があわさり、気品あるたたずまいの女性である。
体格からして、よほど鍛えられていることがわかるような背筋の伸び方である。それでいて、スタイルを細く保ち続けていることからも、なかなかの逸材なのではと感じられた。
男は、ネクタイこそ締めている真面目なスーツ姿だが、全体的に人から信用されるのを拒んでいるかのような雰囲気を持っており、うさんくさい。
フライトが1時間ほど早まったことで、恐らく彼らは協議をしているのだろうと見受けられた。
気が抜けている様子のエージェントに話しかける気にもなれず、そっとその場を離れ、4階のカフェで一服することにした。
銀の単髪なので、シャーロックホームズ記念館で購入した中折れ帽に、紺のスーツ姿で歩く碓井を見とがめる人間はいなかった。肌の色が褐色だが、これも薄く化粧を整えることで肌の黒い日本人らしき姿に整えていた。
1時間経ち、当初の予定時刻に再び赴いた時には、あの二人組が店の前に立っており、誰かを探しているようであった。
(やはり、あの二人で間違いないな)
ゆっくりと視界に入るか入らないかの場所を歩きながら、碓井は彼らに尋ねる。
「―――もしもし、貴方達が正史編纂委員会のかたですか」
女性はびくっと震えた後、慌てて振り向いた。武道をたしなむ者が死角を取られ続けていることに驚いたのだろう。
男性の方は、やはりうさんくさい笑みを浮かべながら余裕のあるしぐさでゆっくりと振り向いた。会話の主導権を握らせることのないように振舞うくせがあるようだ。また顔の筋肉があまり動かないことから閉心術の訓練も受けている様子である。
「おや、誰かとお間違いではございませんか?私どもはとある貴人の方の出迎えでございまして」
「これでいいかい」
碓井が中折れ帽を取り銀髪を見せる。
そして、賢人議会が発行した、要人専用の永久パスポートとビザを見せる。
パスポートの中にある写真を見て、ようやく理解したのか、男女が頭を下げて来た。
「失礼いたしました。私どもは正史編纂委員会に所属する者です。私が甘粕冬馬と申します。こちらが正史編纂委員会が力をお借りしている媛巫女の方で、桃河透湖と申します」
「桃河透湖と申します」
「それでは早速なのですが、ご足労いただいてよろしいでしょうか。近くにホテルを用意しておりますので、そちらまでご案内させていただきます」
「ここの隣ではないのですか」
「いえ、そちらですと少々ご不便かと思われますので」
「なるほど、わかりました」
「それではこちらへ」
そういうと、黒スーツの男が先導する。
足運びに隙がなく音がしないことから、やはり日本武術の移動法を習得しているようである。
一方、女性は少々分厚いブ―ティーを履いているようで、わずかに音が経つが、身中線がぶれない歩き方をすることから、剣術に近い歩法を学んでいるようである。
その女性は碓井の後ろに付き、周囲の警護を行っているようである。
そうして用意してあったセンチュリーに乗り込んだ。
道中は大した問題はなかった。
お互い、話をするべきはホテルであると考えていたからだ。
委員会としても本番は明日の予定なのだ。
用意されたホテルは大阪市内にある海外展開をしており、従業員サービスも行き届いていると評判のホテルだった。
歴史もあり、従業員の質が高いということもあり、客人の理不尽な突発的な要望にもこたえるのが売りである。
何でもホテルを貸し切っているとのことであり、どれほどの手間をかけたのかといぶかしむほどの対応だった。
この待遇は相手の性格が分からないので、余分な存在を入れたくないのと同時に、財力・政治力は日本国内であれば国の支援の下、十分なことが行えるというアピールでもあった。
「では、最上階のスイートをご用意させておりますので、何かご不便がございましたらホテルマンに遠慮なくお申し付けください。本日は我々も一階に宿泊しておりますので、警備はご心配なく」
「なるほど。では、一足先に休ませてもらう」
「ハッ。こちらのキーをお持ち下さい。マスターキーですので、どの部屋でも開くことが出来ます」
「そうか」
そうして、碓井はエレベーターに乗り込んでいった。
「どうですか、透湖さん。彼は本当にカンピオーネなのでしょうか」
「ええ、どうやら間違いないようです。うまく気を隠しておりましたが、霊視が車中で下りましたので間違いありません」
「そうですかー。いやはや困りましたねぇ。突然の神殺しの誕生とまつろわぬ神の対決ですか………どんな大惨事が起きるのか想像したくありませんねぇ」
「はい…」
透湖はうつむくと、考えをまとめたように顔を上げた。
「倒した神についてですが、お聞きした限りですと、イギリスの神であるケルヌンノスという神格と、イラクのギルタブルルという神だという話ですが、おそらくもう一つ始まりの権能があると思われます。それもこの日本の神格だと」
「なるほどー。そこも賢人議会の連絡通りなんですねー」
「ええ、勘ですが太古の豊穣の神のように見受けられましたが、有名な神ではないと思われます」
「―――そうなりますと、彼が日本にいた後、旅立つ前に寄ったと思われる神社からすると、武甕鎚が有力候補ですかねぇ」
「武甕鎚様の類縁の神格ではないかともおもわれますが」
「まあ、そこは考えすぎたら大変ですので、話を変えまして、明日の予定ですが、朝8時に一度最後の段取りについて打ち合わせた後、10時からの会見を予定しています。勿論、王様の意向によっては伸びるでしょうが」
「はい、わかりました。そのように」
「しかし、なんでしょうか。あの王様、噂に聞く神殺しの方の性格のようには思えませんねぇ。というより、リア充乙!とか真顔でしゃべりたくなるぐらいのイケメンでしたよね。銀髪に青い目で褐色肌、160cm弱の無駄なモノが何一つないバランス。正直、属性を付けすぎてますので、逆に受けないレベルのかっこよさですよ」
「甘粕さん!そのような物言いを聞かれては!」
「そうですねぇ。透湖さんはどうでしたか。私でもかっこいいと感じるくらいなんですから、やはりなにかありませんか?」
「―――確かに容姿が優れているとは感じましたが………」
「なるほど。我々としても、今回の一軒でそれなりに好印象を委員会含めもっていただかないといけませんからねぇ。一つお願いしますよ。上層部も誰を生かせるかで結構やりあいましたからねぇ。それに我々の王がイギリスの賢人議会に取られるなど、業界上の恥になりますし」
「承知しております。私ごときを気に入ってくださるかわかりませんが、精一杯努力いたします」
「お願いしますね、さて私たちも部屋へ行きましょう。ごゆっくり休養なさってください」
「はい」
別れて部屋へいったあと、調度品の整った部屋の右側にある、シャワールームで風呂に入ることにした。
お湯をためながら、体を流す。
その後、浴槽につかりながら、じっくりかの王についての感想を考えている。
(―――格闘術については甘粕さんも気付かない位置に陣取られた以上、相当な気配の隠し方。そして、わざわざ軍隊用の化粧と中折れ帽で特徴を消す慎重さもある。今回、清秋院の方からも委員会からも、必要だったら体でも捧げて、そばに侍ることが出来るようにと言い含められているけれど、あの行動を見る限り、無理ね。そういった存在を求めているようには思えない。必要なのは、旅先でも手配とかの秘書業務ね。そういった意味での便利な存在であるべき、ということ………。日本の王の庇護下にいる組織という者を持つかどうかが、逆に持たなければ私たちは諸外国の笑い物。なんとしてもがんばらなきゃ。もしかしたら、このことを相談できるかもしれないし………)
そこまで意識が及んだあと、腹部に直径1cm弱の玉が埋まっている体を見て、ため息をついた。
生まれた時から付いていたと言われる、原因不明のおそらく神具だろうと考えれらている。本来、霊視が強い巫女は肉体が追い付かずに、プリンセス・アリスのように衰弱していくものだが、この珠は呪力が強く、肉体を通常とは違うほど、霊的に強靭なモノにしている。
怪我もするが、風を引くことはなく、治りも早い。いろんな武芸をやっても瞬時に身についてしまう。
そうしたことから、卑怯だのなんだの言われ続けたが、別にそれは当然のことだから気にもならない。
一番気になるのは、常にどこかとつながっているような気持ち悪さがあるということ。
寝ても覚めても、どこかとつながっている感覚が気持ち悪い。
一方で、何かをいとしく思う気持ちが湧いてくることが嫌だった。
だから、熱心に武術の練習を行い、聖騎士級といわれる剣技を手に入れた。家事労働も欠かすことはなく、神への祈りを行い、どんなに気持ち悪くても地に足が付く必要があるのだと感じた。
そうしたことから、自然と信頼を得るようになり、姫巫女の取りまとめ役になった。
霊視が強く、神獣相手でも戦うことができる存在。
今回の接触においても失礼がなく、好印象を持ってもらえるだろうという目的から、抜擢されたことを思い出した。
「―――王様に話しかけるのは簡単にはいかないし、まずは相手がどんな性格なのか知らないとね。賢人議会の簡易レポート通りの性格だったら、ビジネスパートナーとしての秘書くらいが妥当だろうし、まずはそれで攻めてみないとね」
腹部の珠を軽く撫で摩ると、浴槽から立ち上がった。
△
部屋109:甘粕
「さて、まずはなんとか無事に接触できましたね…透湖さんも好印象を持ってもらえたようですし、あとは碓井氏が気に入るかですね。全く、胃が痛くなりますよ」
ベッドに書類を広げながら、明日以降の内容を考える甘粕が独り言をつぶやく。
書類は、急きょ作られた香山碓井の出生を載せたものである。
概ね、彼が生きて来た経歴を見ても、そこまで神と出会える家系ですらないことを確認した。さらに入院歴も長く、通院も多い。これで神と戦い勝利したというのだから理不尽極まるというものだった。
「さて、私がすることは、京都に現れると言うまつろわぬ神と碓井氏の戦いをどのように隠ぺいするかの道筋を考えることと、日本の王になってもらえるのかという見極めですね。見たところ、秘書が必要なのかも知れませんが、透湖さんなら勤まるでしょうし、そばに侍ることが出来れば、日本の王としてもアピールできますしね」
ノートパソコンに、碓井の印象と今後の展開を考察した後、就寝した。
――――――なにより、明日が一番ストレスがたまるだろうから………
△
午前9時
部屋でスーツに着替えていた碓井は、ドアを激しく叩く音を聞き、会談の時間が来たのかと思い、ノブを回す。
すると、透湖が慌てた顔で、衝撃的な事柄を口にする。
「突然おじゃまいたしまして申し訳ありません!実は、さきほど入った連絡なのですが、京都の舞鶴でまつろわぬ神の僕らしき神獣が出現したとのことです!さらに、呪力がその地点に渦巻き、もうじき神が降臨するのではないだろうかとのことです!ヘリを用意しましたので、用意をすませていただいた後、近くにあるマンションのヘリポートからお送りいたします!」
「神獣か…どういった形をしているという情報はあるのか」
「そ…それは…あの…」
「少し落ち着きなさい。神獣ならそこまで急がなくてもいい」
碓井は右手にあるコップに水を入れ、手渡す。
「も…申し訳ございません…」
透湖は畏れ慄きながらも、コップを受け取り、一息で飲み干す。
(まあ、慌てる理由もわかるしな。神託によると、3日後のはずだったし、会談の用意をしていたら、いきなりの連絡だもんね)
「し…失礼いたしました!このようなことを王にさせるなど!」
「気にしないように。戦う相手を否定するほど狭量ではない。それで、どんな形だったか連絡はあるか」
「は…はい!連絡によりますと、山羊と羊、牛、馬の形をしたものがいるとのことです。山羊は角から雷を鳴らし、羊の群れを率いて、近くの山を襲っているとのこと。牛はあいている土地に爪を叩きつけて、地ならしを起こしています。そのため、半径10kmの家屋の窓ガラスが割れているとのこと。馬は火の粉を撒き散らしながら、各地を駆け回っておりまして、舞鶴から大阪の樟葉まで一気に現れたとのこと。その後は再び、舞鶴へ…」
「それはまた………」
「委員会の霊視が出来る巫女によると、日本の神ではないが、非常に密接に関連した豊穣と雷の神格であるとのことです!」
「――――――また、豊穣神か………それも嵐を使うやつ…」
神と戦えることは娯楽なのだが、かといって、毎回嵐に叩きこまれるような戦いはご免こうむりたいというのも、偽れない本音だった。
とはいいつつも、テンションが上がってくるのも、又、カンピオーネの荒れぶる本性なのだった。
「―――あの、碓井様?」
「ああ、失礼。では、案内を頼む」
「かしこまりました!」
ホテルの玄関まで急いでやってくると、甘粕が携帯電話で連絡しているところだった。
碓井たちが駆け寄ってくる姿を見かけると、連絡を終わらせると、携帯電話をしまう。
「これは碓井さん。ご足労願いまして、申し訳ありません。早速ですが、車を用意しておりますので、こちらへ」
「よろしく頼む」
「甘粕さん、王へのそのような物言いは…」
「まあ、緊急事態ということで」
へらへら笑いながら、スーツ姿のうさんくさい男がごまかす。
向かう先に用意してある車は、昨日のセンチュリーだった。
この車が走っている時は、車は基本的に避けなければならないとも言われている。
しかし、お構いなしに走り去る車両は多いため、甘粕が連絡した通りに警察がマンションまでの道路を封鎖したことで、10分弱で到着することが出来た。
エレベーターで屋上まで上った後に、ドクターヘリと書かれているヘリに乗り込んだ。
機内は、各種医療品が詰め込まれており、とても窮屈だった。ストレッチャーがあり、心臓マッサージ機があり、血圧測定器あり、様々な薬品が整然とならんでいる。
その中に布をかぶったモノがあるようだが、判別は付かない。
そのため、ストレッチャーを境に、碓井と透湖が左側、甘粕が右側になった。
特に右側の衣料品が多かったこともあるのだが、この組み合わせは不可解といえば不可解ではあった。
さきに甘粕が右側に座った事もあったのだが。
密接することになるので、匂い立つような桃の香りをまとった女性がそばにいるということなので、戦いに逸る心が、この女をモノにするのも一興なのではとささやく声も生まれたのだ。景気づけにどうだ、とも。
タイツを履いたブーティーから覗く脚のライン。
パンツスーツながらもその脚の細さが分かる脚線美。
布の上からでも正確に判断できる腰と腹筋のバランス。
すべてが碓井の好みではあった。
そういえば、あの天津甕星は黒いスーツだったが、タイトスカートだったから尻のラインが………。
「もしもし、碓井様?」
「―――うん?どうかしたのか」
「いえ、先ほどお呼びしましたがお返事されなかったようですので。―――それでですが、現在京都の清水におります。あと、一時間前後で到着しますとのことなので、ご承知おきくださいませ」
「―――そうか」
碓井がその一言を呟くと同時に、ヘリの仲の空気が硬く張り詰めた。
碓井の戦意が高まりつつあるのだ。いまだ、神の気配を強く感じることはないが、神獣が暴れていることを感じ取ったことで、テンションが一定になったのだ。
さきほどまでとは比べ物にならないほど、威圧感が湧きでた碓井に、出来るだけ顔に出さないようにしつつも、甘粕と透湖は冷や汗をかいていた。
さきほどまで甘粕は携帯電話で連絡を再び取っていた。
漏れ聞こえる内容からすると、舞鶴付近の緊急避難に関しての情報を受け取っているようだった。
周囲の状況を確認しようと、碓井は甘粕に声をかける。
「甘粕さん、現在の神獣に関する状況はどうなっていますか。それと周囲の避難状況を」
「は、はい。―――神獣は今も森を荒らしていたりなどの行動を取っていますが、人間を狙った行動はしないようです。逃げ遅れた子どもなどがいましたが、特段、攻撃するそぶりは見せなかったそうです。避難状況ですが、周囲30kmまでの避難は完了したようです。しかしそれ以上となると京都市内に入りますので、退避は困難です」
「なるほど、了解。ということはある程度は消えてもかまわないね」
「あ………あの、被害が余りに大きい場合、隠ぺいが非常に困難になりますので…」
「ああ、まあ、できれば」
「お願いいたします」
透湖は懸念を伝えると、ぺこりと短く頭を下げて来た。
王へ無礼を働いたと思っているのかもしれない。
それが分かったからといって、安易な声はかけられない。
何よりも、立場が上のものであるからこそ、戦場で優しさを伝えることはないのだ。
それにいよいよ神の気配が近くなってきたことで、カンピオーネの恒常性体調回復が発生したのだ。
神と戦うという愉悦。
戦いに向けて心と体が研がれていく感覚。
不純物が無くなっていく全能感。
さきほどとは気配が完全に変化したことで、甘粕と透湖は否応なく理解した。
この男こそがカンピオーネであると。
その時、ヘリのパイロットから無線連絡が入る。
「失礼します。現在舞鶴市内に到着しました。近くにヘリポートがございませんので、着陸いたします。横にある支え棒につかまってください」
「いや、いい」
「えっ?」
「おや?」
碓井はそう呟くと、ヘリの後部ドアを開いた。
上空1200mの高さにいるために、地上の景色がとても小さく見えた。
勿論、そんなところでヘリのドアを開くということは、猛烈な突風が襲ってくるということでもある。
しかし、瞬時に姿をヘリの外に出した碓井が、ヘリに張り付きながら、ドアを閉めたために内部環境はモノが盛大に荒れた意外に問題はなかったが、気流の変化により、ヘリは大きく傾いた。
必死に体勢を整えようとするヘリを尻目に、碓井は飛び降りた。
彼の体は神の体そのものである。
上空といえど、魔術的に問題が起きているわけでもないのであれば、着地する位わけがない。
呪力をわずかに燃やし、ふわりとひざを折り曲げつつ降り立った。
その時、碓井の背を寒気が襲った。
鋭すぎる感覚による直間を信じ、左側に全力で跳ね跳ぶとともに、呪力を右腕から放射することで、飛距離を伸ばした。
鋭い一太刀。
地面が音を立てぬままに切り裂かれ、土ぼこりすらも立てぬほどに静かな重い一閃。
この太刀を放ったものも、それを避けた碓井も同時に力量を悟った。
(………邪眼ですら見切れないほどの鋭い一撃。感覚しきれない以上、距離を取るか接近戦のニ托。つまり全力で突っ込む!)
未だ、姿がみえぬ敵でありながら、闇雲に突っ込むことを決めた碓井。
姿を隠しながらも、見えぬ剣をかわした敵に賞賛を感じる神。
出方をうかがうことはできない碓井が先手を取った。
とはいっても、殴れない相手をどうこうはできない。
ならば、何をするべきなのか。
走るのである。
とりあえず全力でまっすぐ突っ込んでいった、
「おおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおお!!!!!!」
とりあえず意味もなく走りだした碓井に、神は静かに距離を取った。
「はああああああああああああああああああああああああああああああああ!!!!!!」
呪力をまきちらしながら土ぼこりを上げて走り続ける碓井。
基本的に体の権能は呪力を燃やすごとに出力が上がっていく。
一秒で500回以上は行動できる身体能力があり、まだまだ出力は上がっていく。
走り出せば、猛烈に土誇りが上がっていく脚力に脅威と感じたのか、不可避の斬撃が徐々に脚元に増えていく。一撃が脚に直撃する。
しかし、スーツが切り裂かれただけであり、肌は無傷だった。
方向がわかったはずの攻撃でも碓井は回り続けて、土煙を上げていった。
もうもうと経ちこめる煙。
カンピオーネの体でなければ、眼も喉も開けてなどいられないほどの、猛烈な勢い。
碓井はその中で呪力を撒き散らしながら、なおも走り続けていた。
一方、斬撃の方向を予測されると考えられたのか、攻撃が止めた神。
しかし、姿を隠すということにも、かならず種がある。
このままでは遠からず正体を見られると判断した神は、接近して攻撃を当てようとする。
一撃が碓井の肩に当たる。
しかし、肌は無傷。
ニ撃。今度は腹を切り裂かれる。
今回も無傷。
三撃。腕を切りつけられたのか、血が流れる。
手の中にまで流れた血を切られた方向に撒き散らす。
しかし、その血は地面に落ちただけだった。
さらに攻撃。
今度は背中をまともに切りつけられた。
切り傷が走り、血が吹き出る。
なます切りにされつつも碓井も眼はぎらついている。
そうして、ついに碓井が立ち止った。
「よし、そこか」
呟いた言葉に、神が警戒したのか攻撃が止んだ。
しかし、遅かった。
碓井が足裏に込めていた呪力を爆発させると一直線に突っ込んだのだ。
「ふんっ!!!」
左拳を全力で突き出すと、がつんと硬いものがぶつかりあう音が響く。
「みーつけた!」
碓井がとぼけた掛け声を出すとともに、拳でラッシュをかけていく。
的があって、テンションが上がった時の速度は、秒間300発を超える。
肘をアバラにつけ、短い呼吸と共に付きだすことで、付き手がみえないほどの速さになる。
細かい攻撃も重ねていけば、ストレスがたまっていく。
いまだ姿を隠す神も、距離を取ったのか拳の感触が消える。
だが、見切られた陰凝に意味はなく、碓井は蹴りをぶつけることで吹き飛ばす感触を得た。
遠くに存在した家屋が崩れていくとともに、おそらく型であろう部分に乗っている瓦礫がその全長を分からせた。
3mほどの体躯でしかないようだが、型の形からして、尋常ではない筋力を誇る神であろうことは想像がついた。
ようやく全体が把握できたことで、碓井は邪眼を開く。
空気しかないと思われていた部分が湾曲を強めていき、それにともなって、色鮮やかな衣装が明らかになった。
まず、足が見えた。
靴を履いている。革靴だ。雪国での使用を前提としているのかトレッキングブーツのように、足首から先まで伸びている。黄色に赤のラインが入っており、ひもが付いている。
次に、下半身が見えた。
すその部分が靴と同じように、黄色と赤のラインが入っている。しかし、ズボン全体は黒色に染まっている。道着のようにひもで縛るようで、丈がすねまでしかない。
いよいよ上半身である。
やはり相当な筋肉質である。
盛り上がった胸筋。丸太を思わせる腕。あらゆるものを砕いてきたであろう手。あらゆる打撃に耐えうるだろう首。持てぬものなしといわんばかりに盛り上がった肩。
そして、顔が見えた。
黒ひげが顔の下半分を覆っている。
黒髪も長く、後ろで荒く縛ってある。縛ってある紐は青色のあざやかなものだった。
そして、眼だ。
静かにしかし、あらゆるものを射ぬく眼をしている。
鷹のように猛獣のように。
獲物の戦力を見極めているようだった。
しかし、気になるのが、上半身の衣装だった。
頭に熊の毛皮を付けているのは、豊穣神の証だろう。欧州に見られるという野人なのかもしれない。
だが、黒を基調としながらも、赤色と青色・黄色・白のラインが衣服に幾何学模様でからんでいるのだ。
野人のようでありながら、まるで美意識があるかのような神。
ケルヌンノスは簡素ながら調度品と共に身につけることで、王の風格を持っていた。
天津甕星は、姿を場所に合わせて変えるということをやっていた。
だが、こいつは違う。街に溶け込もうとしているような、でもできていないというなんとも不思議な男だった。
武器が見当たらないが、戻したのだろう。
完全に姿が現れたことを悟った神は、野太い声で問いを投げる。
「なにゆえ、私の居場所を探ることが出来たのだ」
「自然現象として存在していて、姿を隠している。間違いなく権能によるものだろうと思って、呪力を土ぼこりにまぜて、放射していたんだよ。そのあと、攻撃を受けていた時に血にも呪力を混ぜておいた。二つの俺の呪力で探知したんだよ」
「なるほど。それは盲点だった。面白いことを考え着く少年だ。自己紹介は要るかね?」
「ふん、いらないね」
「そうか。ならば拳でもって語り合おうぞ!」
「ああ、見えていればかわせるがな!」
そういうと、野人がのしのしと歩いてきた。威勢のいいことを言った割には弱腰の行動であった。
「―――なめてんのか?」
碓井は相手の反応を読み切れずに、仕掛けていった。
それを神はどことなく物憂げな顔で見詰めたままであった。
たしかに大きいが、腕力で負けることはほぼないと判断して右拳で正拳付きを掛ける。
「えっ!?」
碓井の戸惑った声。
付き手を取られ、そのまま流されたのだ。
巨人とは思えぬ繊細な技術に驚きながら、そのまま空中で呪力を噴射し、三角蹴りを顔に狙う。
それを腰を落として避けた髭はそのまま突撃して、見事なカウンターを当てた。
「ガハッ!?」
そのまま、民家を破壊しつつ、タックルを受け続けた碓井。
「―――ッッッ!!!………カァッ!!!」
碓井が全力で呪力を練り上げると、肘を延髄部分に叩きこんだ。
衝撃に耐えられなかった神は、倒れこんだことで、碓井は飛びのき難を逃れた。
「おいおい。マジかよ。格闘能力で俺より大きく上回っているのか?」
「ふむ、よい攻撃力だが、振り幅が大きすぎて見極めがしやすいのだよ」
「―――ッ」
神のささやくような声に、碓井は口をかみしめる。
ここまで格闘で大きく後れを取ったことがなかったために、まともに殴りあえることが出来るものだと思っていたが、いまだ1年に満たない新米に過ぎない。
実戦経験豊富な見切りに対抗したことがないのであった。
格闘術には、少々実力が違う場合でもフェイントによってだまされることがある。しかしこの神は反射を利用した攻撃が通用するのだろうか。
「―――しかし、これでは詰まらんな。少し派手に行こう」
呟いた神は、呪力をあふれるように流れださせ、言霊を捧げる。
「―――さあ、わが下へ参れ。天を駆ける山羊よ。雷と民衆の神威を纏い、わが足となれ!」
詠唱が終わるとともに、本当に天から雷が降ってきた。戦車を率いる山羊である。報告にあった雷を降らせる山羊だろう。森を破壊していたことから農耕民の象徴として顕現しているのだろう。
神の足元に滑り込んできた山羊は一鳴きすると、主を誘うように首をこすりつける。
「ふふふ、やはりお前たちは頼りになる」
そうして神は乗り込んだ。戦車に乗る雷の化身。豊穣神であり、鋼の存在でもあるのだろうか………。
「それ!」
格闘で自分よりもまさっている相手に軽々に仕掛けることができずに、飛び込んできた雷の速さの戦車を飛び越す。
カクカクとした動きだが、縦横無尽に走り回る戦車をよけながら、邪眼ですこしずつ相手の動きを弱らせていく。
今、相手は武器を一つ振るってきた。それも邪眼に有利な飛び道具である。気付かれない程度に弱めながら、タイミングを計り、突進した。
神は予期していたかのように冷静に、戦車の手綱を引くが、その手綱が突如切れたことでわずかにバランスを崩し、山羊も脚が止まった事に戸惑いと感じ、結果、足が止まった。
そこに、邪眼を全開にした碓井が拳を振り上げる。
「ゼァ!」
止まった的を全力で振りぬく。
体重と腕力も呪力に応じ変化するようで、地面を大きくひび割れさせる威力で2頭の山羊の顔を叩く。貫くと同時に、戦車の前面をも砕く。
「おお。見事だ」
それでも慌てることなく、飛び降りる神。
碓井は一手空いた神に突っ込んだ手を支点に戦車を振りまわして殴りつける。
それを、両手でしっかり受け止めた神。
戦車を壁にしながら、力比べをしているかのような二人の姿は奇妙ながら、雄々しい。
「ぬうううううう」
「ふうううううう」
お互いにうめきあった後、戦車に罅が入ったことで、弾かれるように離れた。
「さて、あんたの脚は封じたかな」
「いやいや、これからではないか」
「なに?」
怪しげな神の言葉に状況を全感覚で読み取ろうとする。
かすかに響く山羊の声。
「まだ、生きていたか!」
振り返った碓井は山羊の突進を喰らい、更に神に思い切り投げられたことで頭から地面に突っ込んだ。
△
「なんという戦いでしょうか…」
「いやはや、これは景気よくいきましたね~」
ヘリの中で、窓から戦況を見守る透湖と甘粕。
首から下しか飛び出していない碓井を眺め、じたばたしている姿に若干の面白さを感じている二人。
とはいえ、周囲の状況は戦車と肉弾戦の結果として、何もかもが吹き飛んでいた。
ミサイルが何発も撃ち込まれた戦場跡にふさわしい光景だった。
これを二人の存在が生み出しているというのだから、空恐ろしいことだった。
「これが、神…」
「ええ。始めてみましたね~こんな京都」
クレーター痕の残る場所で、首を引きずりだした碓井と再び戦車に乗る神。
戦局はまだまだ神の有利といったところか………。
「ところで、透湖さん。霊視は下りましたか?」
「いえ、まだです。しかし、もう少し時間がたてば何か分かりそうな気がします」
「お願いしますね~。今回で情報を入手するのも我々の仕事ですので」
「霊視というものは望んだら分かるものではございません。お間違えなきよう」
「ええ、承知しております………と、碓井氏が再び突撃しましたね~」
「それを戦車に乗った神が離れた所から雷を流して…」
「碓井氏が払いのけながらなおも突進…」
「いままでとは戦車の速度が遅いです。これが報告書にあった邪眼ですか」
「ギルタブルルは境界を守るとされる神ですからね~」
「脚が止まった戦車を飛びけりで破壊。今度は山羊の首が落ちましたが、すぐに復活。それなりに呪力を使っているみたいですが、落とした首が雷になって叩きつけられると首が戻る………これはどういった理なのでしょう」
「雷を運ぶ豊穣神で山羊で、野人のような格好といえばトールを思い出しますね」
「トールといいますと」
「北欧神話の神です。この神には死んでも復活する戦車に乗った山羊というモチーフがあります。しかし、日本でトールはないでしょうね~さすがに」
「―――トール………」
「おや、どうかしましたか」
ぼんやりとした顔になった透湖が、亜麻の髪と玻璃色の眼をする由来である霊視が降りようとしているのだ。
「古き、とても古き雷を纏う豊穣の荒らぶる神。されど、決して悪しき神ではない。英雄であり、民衆に常に信仰される創造神。その名は―――」
「「トール」」
甘粕と透湖が声をそろえていった。
気がついた透湖が、甘粕に問う。
「なぜ、分かられたのですか」
「さきほどのトールという言葉から霊視があったので、カマをかけました」
「そうでしたか。私が見えた神名もトールでした。かの神が日本に誕生した理由もわかりました」
「でしたら、碓井氏に伝えるべきですかねぇ。巻き込まれて死にそうですが」
「私が、行います。大音量指向性スピーカーを用意してもらいましたし」
「巻き込まれないように、祈っておきますか~これは労災入りますね、絶対」
機材を用意しながら、甘粕は泣き言をいう。
透湖は窓から不安そうに見つつ、スピーカーの調整をした。
△
3度目の山羊殺しだった。
延々、戦車を追いかけまわすのも飽きてきたが、他に打つ手はなかったのだ。
(せめて神の名前ぐらいわかればよかったのに………)
闇雲に殴り続けていた碓井の耳に、透湖の声が聞こえた。
「碓井様!そのままでお聞きください!かの神格はトールです!大国主様と習合により日本にて誕生したんです!」
トール。
北欧神話の神である。
この神は牧畜系の主神としての地位がある神でもある、オーディン以前の最高神でもある。
主に、農耕民に信仰されており、タングリスニとタングニョーストという山羊は、死と再生の神としての意味を表している。山羊である理由は、三機能分節での、農耕のみに信仰されていることを示している。牛は宗教者などが食べるものである。
そして彼は、トールハンマーというものを武器にしている。
鎚で叩くことで、動物を再生する。手持ちが短い。これらはケルト神話のダグザのこん棒と同じ意味がある。
農耕民の武器だったのだ。
これは、北欧の厳しい自然を征服する農耕民が、狩猟民族を追い払って森の獲物を家畜化した事を示す。
農耕民と狩猟民族が関わるとき、農耕民特有の病気が狩猟民族を襲うというのは、現代でもブラジルでは存在する。
だが、フレイヤは炎の剣・レ―ヴァテインを持つというように、彼女も豊穣神として農耕民に信仰されるも、大母神のように異民族を滅ぼす鋼としての性質を強く持っているのは、彼女である。
しかし、トールもロキと共に、自然を征服し、異民族を倒す旅をしているということから、後に、鋼の神としての性質を手に入れたのだと思われる。
寒い地域という自然の猛威には炎がいる。大地に炎をささねば、生きていけない。
反面、凶悪なだけの嵐神などは大して面白みがなく、トールが既に雷神として農耕民からの信仰を得ていたことで、戦士集団に信仰されたオーディンであっても、職業の違いという意味しかない戦士集団だけでは不足していたのだ。
前述のトールが放浪する内容だが、これはトールは野人が信仰するともいわれるからだ。
野人信仰は、ゲルマニア・フランス・イングランド・スラブにも広まるように、極めてヨーロッパ的な信仰である。
野人はクマや狼の皮をかぶり、戦場で狂猛に戦うが農耕民では迫害される。
古代は農耕創造神であったトールが、野人信仰による鋼の要素を手に入れたのは、オーディン以降の1000年頃ではないだろうか。
ここに関しては判断できない。
だが後述する、巨人と小人の創造神話こそがトールの原点であろうことは疑いえない。
『トールとアルヴィースの歌』というものがある。
トールとアルヴィース(全てを知る者)が問答を行い、最後には小人が太陽の光を浴びて灰になるというものだ。
ここでは大地・天・月・太陽・雲・風・凪・海・火・森・夜・種・麦酒の順に、各地の名称を答えさせたあと、朝になったので小人は灰になったという物語だ。
これは古代ヴァイキングの世界観を表している。
特に、雲・風は海に出て航海する民族であることを考えると、重要であることが分かる。にわか雨の雲は嵐の前触れなのだから。
火と森は農耕民の開拓した森の夜の事ではないだろうか。
最後に麦酒をのむというのは、灌漑農法が整った文明の証である。
これは、巨人と小人の創造神話に属するものである。
インドのマハ―バリとヴァ―マナ、日本の大国主と少彦名と同じ神話と考えざるを得ないのである。
DNA分析では、北欧とインド・日本は、後期旧石器時代で交わったのではないだろうか、と判断されている。
しかし、日本は過去5万年以内の波をニ度受けた後、独自民族化した節があり、若干の疑問はある。
とはいえ、三度目の波ではインドのポンペイ・西中国まで広がっているので、交わったわけではないともいいかねる距離である。
航海上でいえば、インドから東南アジアを通って、日本に着くと言うのもルートとしてはある。
北欧・インド・日本で細部が異なるのは、こうした距離によって変化していったのではないだろうか。
いずれにしても、物語上は、新しい神に追いやられる前世代の創造神として似通う部分が多い。
新しい神であっても倒せないほどの力を持つ神として。
トールが日本の京都に現れたのは、大国主がかつては日本全域で信仰されていた創造神であったからだったのだ。
ルーツが同じ神は地域を超えて誕生する。
まつろわぬ神の本領といえる。
△
「なるほど。そういう理屈か」
納得した碓井は、それでも愚直に一進一退の攻防を行う。
突き、蹴り、突進する。
その様子にいらついたようで、ふと手が止まったトールが口火を切る。
「時間がかかりすぎるな。ここは我が眷属を呼びよせるとしよう。来い、我が半身なりし者どもよ!神殺しに天地の理を示せ!」
すると、後ろの空間から馬と牛が登場して、戦車の横に並んだ。
呪力が膨大だと消去には時間がかかる。この理屈を理解したのだろうトールが瞬間的に魔力を爆発させたのだ。
「さあ、次はよけられるとは思わない方が良いぞ!」
けしかけて来た動物どもを見つつ、どのように対処するかを思考加速しながら思案し続ける。
―――すると、自分のうちから新たな力が生まれていることに気付いた。
一度理解すると、瞬く間に脳裏に広がる権能の詳細。
心が湧きたつ全能感。なによりも勝利の報酬だからこそ、細胞が震えるのである。
口角を引き上げつつ、叫ぶ。
「ケルヌンノスよ!贄を求めし、原初の悪神よ!呪いと栄光を喰らい、輝ける光を我に与えたまえ!」
聖句を唱える。
すると、今まで、猛威をふるっていた動物たちが姿を消したのだ。
呪力の泡と化した者たちが、碓井の手に現れた蛇のからみつく槍に吸収された。
クロウ・クルワッハの槍(魔法の杖)である。
槍に呪力が蓄えられたことで先端から雷が軽く放電する。
発動したばかりの権能の制御は難しい。
細かく使うには経験がいるのだ。
台規模になればなるほど、他の権能との併用に手間取るようになる。
(だけど、この槍は制限がある代わりにそれなりに特殊な能力があるのか)
一般的にカンピオーネの権能は制限があると、発動する能力に変化が生じる。
使ってみるまではわからないが………。
「落ちろ!」
碓井が鋭く叫ぶと、槍から雷が放電された。まばらに散った雷だが、神獣を呼びだして攻勢を強めようとしたトールは、機を外され直撃することになった。
「―――ぬうう。だが効かぬ!」
やはり、トールもまた雷の神。
制御能力は非常に優れている。
格闘で差が大きい以上、邪眼を併用しながらの遠距離放射が望ましいのだが、雷神である以上、決め手にはならない。
結果、膠着状態になる。
呪力を高め、槍に蓄えられた呪力を雷に変換したままの攻撃は徐々に勢いを増し、叩きこまれる大電流に、トールも苦悶の顔を見せ始める。
だが、彼と碓井で雷の制御を競い合うことは、時間がたつほどに不利になる。
暴れる槍を押さえることに手いっぱいの碓井もじり貧になることが眼に見えていながらも、歯噛みしながら、放射を強めることに専念する。
「くぅぅぅぅぅぅぅ」
「ぬっぅぅぅぅぅぅ」
眼がくらむような大電流の押し合いを続ける碓井とトール。
しかし、トールは眼が爛々と輝いており、明らかに何かを狙っていることは予想がついた。
果たして、予想通りに、トールは創造神としての能力を使用し始めた。
「天よ。輝ける陽に照らされる風よ。押し流せ!」
「おごっ!?」
顔を突如、鉄板のような強風に叩きつけられたことで、生じた言葉にならぬ声。
とっさに邪眼で縁を消去したものの、呪力の上昇と邪眼で消し切れないほどの呪力を叩きこまれたのだ。
「…痛い。痛い。痛い。―――邪魔だゾ!」
碓井の怒声とますます呪力が上がっていく。
トールはこの状況を見て、ほくそ笑む。
(ようやく、感情が乱れ始めたようだ。きゃつは冷静に淡々とした策を取るから面倒じゃったのだ。雷神のワシでさえ、均衡を保つことになったのじゃからな。眷属に呪力を放り込んだところを食われたから、それなりに呪力を消耗したが、まだまだ尻が青い)
トールのもくろみ通り、感情を乱した碓井の攻撃はまばらになっていき、制御も甘くなっていった。
(ほうれ、攻撃が大ぶりになりおった。最初に押し込まれた優位は消えたわい)
ぬるくなった攻撃にもはや脅威を感じなかったトールは、じりじりと体を押し込みはじめた。
それを焦りの表情を見せながら、必死に槍を握りしめる碓井。
遂に辿り着かれてしまったことで、顔が恐慌を示すように引きつり始めた
「くくく。これでおしまいじゃな!!!」
トールが右手に鎚を召喚した。
代名詞であるトールハンマーだろう。
大きく振りかぶりながら、槌に雷を纏わせて碓井を潰さんとする。
碓井は迫りくる死を眼をそらさずに、睨み続ける。
直撃する。
大電流の津波が辺り一面を焼き払う。
5km以上離れていたヘリにさえ、雷の閃光が届いたことからもどれほどのものか想像がつかないほどのエネルギー。
勝利を確信したトールは顔を笑顔にほころばせたあと、急に凍りつくような衝動を感じた。
―――まるで、なにかに怯えているように。
(なんだ。槌からはモノを叩いた衝撃があったぞ!?神殺しといえど、生きていられるわけが………)
疑問を頭に浮かべてしまったことで、筋肉が硬直して次の手を打つことが出来なかった。
槌という金属を吸収したことで、体を硬化させた碓井が雷を纏って槍ごと突進してきたのだ。
それを経験から受け流してきたトールだが、裏を返せば碓井の突進は避けなければ死を知覚するほどの威力だったということになる。
顔をひきつらせたトールは、よけきれないことを悟って、体の右半身を引きちぎられた。
「―――お…おおう。―――死ぬかと思った」
碓井は全力で駆け抜けた代償として、槍に蓄えた呪力と一時的に発動した硬化の権能の維持が出来なくなるほどの、消耗を引き換えにした。
「―――こ…これで、なんとかなったか!?」
碓井は、楽観的な予想をしつつ、振り返る。
目の前に壁があった。
「ぬおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおお!?」
全力で右に跳び跳ねたことで、トールの拳を交わす事が出来た。
「―――危ねぇ!!!…さきほど、体を貫いたはずだぞ!?…」
焦る碓井に、あくまで静かにトールが見下ろしながら答える。
「ふむ、確かに貴様はわしの体を貫いた。しかし、わしは生命を創造する神である。羊を化身にするわしが復活するとは読めなんだか?」
「………あーーー。そういえばそうか…。忘れとったわいのう」
「ふん。とはいえ、この荒技は貴様の鋼の攻撃でずいぶんと消耗させられた。攻撃に使う分しかないわい。そして、貴様を砕かずに逃げることなど、腹立たしくて仕方ないわい!いらいらするのじゃ!常にその忌々しい眼でわしの体を縛り追ってからに。あのテュールめを思わせるのう、不信心モノめが。たとえ、ワシが倒れようとも貴様はここで始末する。覚悟は良いな」
激情を瞳に宿し、いらだちを拳に込め、構えるトール。
原初の創造神にふさわしい、荒々しい立ち姿だった。
「――――――ふぅっーーーー」
対する碓井はゆっくり立ち上がると、爪先を立たせた状態で前のめりになる獣のような体勢になった。
腕を脇に締め、牙を光らせるその姿。
その姿を眺めたトールは、激突する数瞬前に問うた。
「貴様の名は?」
「―――香山碓井だ!」
名のりと共に、咆哮する碓井。
呪力を内に固め、鋼のようにすることで、呪力による干渉を弾くことになる。
あとは、肉体の勝負だった。
トールは腰を落とし、手を開いたまま前にそなえる。
だが、トールは剛直な武人でもあるが、かのロキとも友である間柄。
決して絡め手が使えないわけではないのだ。
碓井の脚が何かにひっかかる。
弾力性があることから、加速する思考速度の中で感じたのは、樹の根だった。
脚を取られ、体勢を更に前に崩す碓井。
その顔に肉厚の手が迫る。
カウンター狙いだったのだろう。
タイミングを計り、樹木に呪力をつぎ込んでいた虚をつく策だった。
しかし。
しかし、脚を取られ、体勢を崩したのはトールだった。
槍を背中にしょっていた碓井は、体に突きさすことで、雷による超駆動を発動していたのだ。
武術において、気というものは、人間が発する微弱な電流のことである。その電流を読み取ることで、相手の行動を推察するのだ。さらに肌感覚などを含めて研ぎ澄ませることで判断する技術を「聴剄」と呼ぶ。
しかし、鋭すぎるセンサーは、誤認が多くなる。
眼に見えない速度は、感覚に頼るが、体が勝手に反射的に動いてしまうのだ。
碓井は、体内の電流量を瞬時に、莫大な量に増加させることで、動いたのだと認識させたのだ。
タイミングを読み違えたトールは、自身の経験量ゆえに、体が動いた。
仕掛けを見抜かれたトールに、碓井の突進を留めることはできない。
脚を吹き飛ばされ地に這いつくばったトールは、反転した碓井の抜き手を避けることはできなかった。
決着。
「―――見事だ。香山碓井。まさかワシの経験を逆手に取った攻撃を可能にするとは…」
「―――なんか、一番やばい敵と戦ったわ………。格闘で負けると、案外俺の攻撃って選択肢がないもんなぁ…」
「―――ふん、勝ったのだから堂々とせぬか。やはり初見で仕留められなんだのは、失敗じゃったのう。霧に紛れた攻撃も見抜かれたし…。まあ、よい、爽快じゃ!やはり、ワシに街に住むような軟弱な行為は向かぬ!民衆を導くなど、土台無理じゃ。それがわかっただけでも業幸というものよ。しかしあのオーディンめに覇権は渡さん。真なる我らの世界で、永劫の闘争を続けるとしよう。さらば、さらばじゃ!香山碓井よ!貴様に呪いと報われぬ闘争があることを祈ろう!」
「うるせえよ、爺」
トールは、呪いの言葉を吐き出すとともに、次なる闘争に向けて喜悦を満面の笑みに変えて、泡となっていった。
碓井に残るのは、肩にかかった重みだけだった。
「いやーーー、碓井さんが無事に勝利されたこと、喜ばしく存じます」
「碓井様、お怪我はご無事でしょうか」
「―――ああ、アバラと内臓破裂くらいだな。大したことない。とはいえ、少し疲れた。休ませてもら………」
「きゃっ、碓井様!?」
「おおっと」
甘粕が、意識を失ったのか透湖のほうに倒れかかった碓井の右肩をとっさに押さえたが、予想以上の体重の重さに耐えきれずに、透湖の方に碓井の左肩をぶつけて止まった。
透湖はふくらみの少ない胸で支えたのだが、今まで、男性との接触が少ない環境で育っており、巫女としてもある程度の年齢を重ねたため、一般並みの耐性しか男性との接触における行動はなかった。加えて、微妙に同年代の女性と比べて慎ましやかなために、ひそかなコンプレックスを抱いていた胸に、王とは言え、男性が倒れこんできたためにとっさに払いのけようと体が動いてしまった。
だが、甘粕が右肩を押さえていたことがあり、透湖自身も瞬時に体の反応を押さえこんだことで、王への不敬を行うことはなかった。
だが、重さと体勢を崩したことで、地面に背中を叩きつけることになった。
「………っ!?―――ふぅ~。危なかったですね。お怪我はございませんか、碓井様」
「………」
「碓井様?………お休みですか。―――あの、そこは。―――あの!?胸に頭を擦りつけないでくださいませ!まだ、明るいですし、王といえど、まだお会いしたばかりですし!そこ、他の人より劣ってるので王に捧げるには少々物足りないかもしれませんし!初めて触れられた殿方にもっと欲しいとか言われたら、ついいらっときて、一命を賭して不敬にも刃を向けることにもなりかねませんし!」
「―――これはこれで面白いので、しばらく放置しますか~」
「あ、甘粕さん!お手をお貸し願えませんか!?」
「いえいえ、王が透湖さんをお求めということでしたら、妨げることは不敬となりますので」
「そんな!?」
「くぅくぅ」
半径10kmが崩れ落ちた伽藍の中で、ほんの少しのなごみを与える存在。
瓦礫の中にある、わずかな光。
近づけば燃え、離れれば寒い。
カンピオーネがもたらす勝利というものは、そのような離れがたいものなのかも知れない。
誰もが、勝利を願うものなのだから。
☆
ドクン。
ドクン。
ドクン。
ドクン。ドクン。ドクン。
―――鼓動が聞こえる。
―――自分を生み育てる母の命の輝きが
―――この暖かさは永劫自分のモノだ。
―――そう思っていたのに………。
―――忌々しい神殺しめが、母のそばにいる。
―――許せない。許せない。許せない。
―――たとえ、母が己のために命を費やす事になろうとも………。
―――母を私のモノにする。
―――私のモノは全て私のものなのだから、何人にも奪わせない。
―――母よ、貴方に勝利を捧げます。
円環少女を魔法少女だとする友人の内容を聞きまして、絶対ウソだろと思った私です
個人的には、理論上無理だろという再演理論を除いては、アンゼロッタさんが好みです
でもメイぜルもいい………
ジェルヴェーヌは興味ありませんが………
感想待ってます