カンピオーネ!~まつろわぬ豊穣の王~   作:武内空

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ガユーマルス討伐編 3

 拳と拳が交わる。

 ガユーマルスが自分の体が金属であり、あらゆるものをはじきとばす無敵の肉体であることを、間違えて認識してはいない。

 後の剣王サルバトーレ・ドニも簒奪することになる、鋼の加護。鋼の不死性の一環だった。だが、太古にさかのぼるほどに、ジークフリートや斉天大聖のように10世紀以降に纏められた混淆神の神話よりも、あらゆる英雄の原点でもあることは、分化するまえのあらゆる鋼の能力を持つことに他ならない。

 例えば、このように。

 拳同士を合わせ続けることで、相手に一歩たりとも引いていないことを示し続けている二人。しかし次に叩きつけた拳の勝者はガユーマルスだった。

 碓井の拳から血が吹き出たのだ。

「!?」

 砕けぬモノなど存在しない拳から、血が吹き出た。

 碓井にとって、権能そのものである自分の肉体は、ある意味での信仰そのものだった。

 自分の思い通りに動き続ける無双の肉体をよもや傷つけられることになるとは……。

 ありえない事態に一歩引く碓井。傷ついた右腕を後ろにして、左手を前にして警戒する。

 果たして、何があったのか。

 答えは、碓井と交わしていたガユーマルスの拳だった。

 棘が生えている。

 ナックルダスターの打撃部分に棘が突いている。中国では圏と呼ばれる武器だった。

 篭手のついた拳を平にして碓井に向けている。

「ふむ。どうやらその体が自慢のようだが、所詮は脆いものよ」

 ガユーマルスは警戒した碓井を嘆息しながら見下している。

 拳が効かないかもしれないということは、碓井の最大の攻撃手段が無くなっているということでもある。

「チッ。セコイもん使っているわい」

 毒づく碓井。それは心理的に圧迫されたことを示している。

 碓井は脳裏で、どうやって攻撃するべきか、考えを作り直す必要があった。

(どうするか。技術は相手もなかなかのものだしな)

 思考している間にも、ガユーマルスの攻撃は止むことがない。頭に振られた横突きは手首を上に払うことで流す。腹部を狙ってきた膝は脚の裏で、側面を蹴って体勢を崩す。左足一本で立ち続けることになって、膝も曲がっていないために跳ぶことが出来ないので、払った右足で、連蹴りで股間を狙う。それを脛で受けられる。素早く足を引いて今度は腹部を狙う。ガユーマルスの両腕は肘の部分を押さえられていることで反応が間に合わない。前脚底で水月を軽く叩く。ここには鳩尾穴と中国武術で呼ばれる場所が存在する。軽く叩かれるだけでも、体の動きが止まる場所だ。

 それを、ガユーマルスは息を瞬時に大きく吸って膨れさせることで、風船を叩いた小石のように圧力で弾き飛ばしたのだ。

 その代償に、ガユーマルスは息を強制的に吐き出されてしまったが。

「ガハッ!」

 肺から急激に抜け出た呼吸は、次の動きを鈍らせるものだ。しかし、相手は神。金属の体を突破されるほどの透る衝撃を叩きつけられたとはいえ、その程度で死症など起きようはずもない。腕を交差した状態で肘を押さえられているとはいえ、呼吸でぬけでたことで抜けた力なら、たやすく振り払うことが出来る。右足の側に向けて体勢を落とすと右肩で碓井を叩こうとする。ショルダータックルの形である。210cmと金属の体を持つガユーマルスは、碓井の腕力でも止めきるには時間がかかる。それも肩に棘の防具をつけていることで、受け止めるにも危険すぎる。

 碓井は、それを牛の角のように伸び出ていることから、その部分を掴むことで、勢いを利用した右ひじをガユーマルスの顔にたたきつけようとする。拘束を外された腕を持って、受け止める。

 碓井は体勢が崩れている状態になりかけている。

 ガユーマルスもまた同じように無理な体勢になっている。

 お互いに了解を得たことで、速やかにバックステップする。

 碓井は右手を開手にして、水月で一文字にする。左手はアバラにつけて縦拳の構え。

 ガユーマルスは、両の拳を平拳で碓井に向けている。カートを押す時に握ることになる形である。

 小手調べが終わりわずかに間があったことで、碓井は使う機会のなかった呪力による回復をすることで右拳はみるみるうちに戻っていく。

 碓井は快復したことを確認すると、思考する。

(やるべきは、あいてが遠距離戦を挑んでくるように仕向けることだ。俺の邪眼で縁を断っている)

 ガユーマルスは、相手が思ったほど技術が高くない事。身体能力が強いことでそれを補っているのだということを、正確に悟っていた。

(ならば、技術では明らかに私が上。頼みのタネである羅刹の肉体を弱らせて体力を削ってからにするべきだな)

 次にお互いがするべきことを目を合わせることで了解した両者は、示し合わせることもなく次の行動を同時に取った。

「我が友アフラよ。美しき雄牛を我の元へ呼び戻したまえ。我が友ミトラよ。君と今一度この空を駆けさせてくれ。我が友イマよ。汝の威光を知らしめせし剛腕を我に与えてくれ」

「疾ッ!外道照覧の光よ。死を与えし悪魔を裁く輝きを!」

 ガユーマルスは、従属神や同盟神の位階にある、自分そのものであるともいえる存在を呼びだした。

 ぼこぼこと地面から異形の肉体を持つ存在が生まれだしてきた。

 一人目は、牛の顔を持ちあまりにも巨大すぎる人の体をもつ、30m前後の存在が地面の亀裂から湧きあがろうとしてきた。地鳴りが聞こえたかと思うと、肉厚の手が地面に傷を付けて、その端に手を掛けた。

 牛頭鉄身の大地の神。牛頭天王やミノス、蚩尤のように、大地から生まれた鋼の一種であるのだろうか。牛頭天王や蚩尤は日本書記にも蘇我氏の象徴とされている。その原型がペルシアにあるとすれば、決してありえない話ではないだろう。

 二体目は、天からやってきた。

 なにか特別巨大な鳥にのってきたということもなく、ただ浮遊しながら足元にエスカレーターでもあるように滑りながら近づいてくる。

 顔は輝かしいまでの男ぶり。200cmほどの巨体だが、ガユーマルスと違ってどこか異形の様子ではない。美男子が成長したような褐色の肌をもつ男神だった。手には金属の程よい大きさの剣を持っている。後ろには後光を引き連れてやってきているので、真夜中の暗刻を切り裂いて、一つの流れ星のように地上に舞い降りている。

 3体目が現れようとしたときには、碓井の仕掛けた邪眼が強く発動して、ガユーマルスの背後の空間が、なにかを押さえているように湾曲して歪んだ場所を半回転させてもどした。

 一度に3方向に膨大な呪力を撒き散らされたことで、神獣の召喚を止めることはできなかった。

 自らを呼びだした存在のもとへ、2体が近寄ってくる。

 ガユーマルスは友が自分の要請に答えてくれたことに、歓喜の表情を隠す事が出来ない。

 腕を大きく広げて、自分の半身であり誇りである存在をたたえる。

「よく来てくれた!我が友ミトラ。我が友アムシャ・スプンタよ!共に羅刹を打ち滅ぼそうではないか!我が半身イマは、残念ながら、生まれることができなんだが。二人が入れば、敵などありはせん!」

「――ふふふ。お前は相変わらずのようでなによりだ。ガヨ―マルトよ。今一度悪性の諸々を踏みつけてやろうではないか」

「メルメルメ―」

 ………。

「えっ?」

「えっ?」

「メルメルメ―」

 何故か再会を喜び合っているなかで、突如無言になる二人の神。その視線は牛の顔を持つ存在に向けられている。馬のような鳴き声を上げているからだろうか。

 唖然とした様子で、おずおずと尋ねるガユーマルス。

「――ど、どうした。アムシャ・スプンタ?なぜそのような鳴き声なんだ。しっかり話してくれ」

「そうだぞ、友よ。今こそ羅刹がはびこる世を光で照らしうる救済の日ではないか」

「――」

「おい?」

「うむ、話したまえ。アムシャ・スプンタ」

「そうだぞ。俺達は友達だろ。困ったことがあるなら、話してくれ」

 アムシャ・スプンタという名らしい牛顔の神獣は、なにか悩んでいるように目が深い思いに沈んでいる。

 そうして、ようやく決心したように分厚い唇を開いた。

「冗談だ」

「あ、うん」

「やっぱりか。少々、状況をわきまえるべきだったな」

「そうだね」

「全く、お前は子供なんだから」

「HAHAHA」

「HAHAHA」

「おい」

「さあ、いくぞ友よ」

「ああ、友よ」

「おい」

 碓井は3度ほど声をかける。無視される。黙殺される。シカトされる。

 碓井の頭から戦略という文字が消え去った。切るタイミングをはかっていたケルヌンノスの権能をつい発動させてしまう。

「原初の悪神よ……。贄を喰らい、愛すべからざる光と身に纏うべき闇を生み出せ!」

 碓井の真っ白になった脳裏に呪句が浮かび上がる。右手には、二匹の蛇が絡み合い食い合っている1mほどの短杖が現れた。蛇の眼が赤く輝くと、牙をむき出しにして、アムシャ・スプンタの体を構成する呪力を吸いはじめていった。クッキーの欠片が少しずつ分解していくように、蛇が口を開けて食い散らかしていく。

「アムシャ・スプンタ!?……おのれ、羅刹が!しっかりするのだ!」

 ガユーマルスが呪力を高めて、呪力を送ろうとする。それを碓井の邪眼が縁を立ちきることで弱めていく。ミトラは手にしていた武具で、一気に斬りかかろうとして、剣を振りかぶっている。

「タッ!」

 短い呼吸で碓井の前にまろびでたのは、透湖だった。手には、反りが短く利便性を追求している打ち刀を握っている。

 刀身には、8文字が結んである。密教の呪印である。

 碓井が透湖の要請で急きょねつ造したものだ。

 神に一太刀与えられるかどうかという武器で、ミトラという光り輝く救世主に打って出る。

 飛び込んで攻撃してくる刃の余りの脆さに、友の母であり、自らにとっても命を育んだ宇宙卵の化身として認知される透湖を傷つけるわけにもいかずに、ミトラは下手に攻撃することも受けることもできずに、大きく飛び退いた。

 驚きで胸を満たしながら、ミトラは叫ぶ。

「オッ!?娘御、おとなしくしておれ!お主に傷を付ける気などないぞ!」

「申し訳ございませんが、私の腹より生まれた子の責任を取るのが、親の務めでございます。息子が世に歪んだ正義をもたらそうとするのであれば、討つもやむなし」

「母上!私がそのようなことをすることなどありませぬ!」

 ガユーマルスが心外そうな口ぶりで、透湖に訴える。

「このガユーマルス。我が名に掛けて世を乱す事など致しませぬ!」

「いや、それは無理だナ。生ある地上に降臨した神はまつろわぬ身となり、人の世に厄災を振舞う。それは羅刹と同じ所業でしかない。神々は天地神明の運航にしか興味ないしね」

「貴様は黙っておれ!――ぬお、アムシャ・スプンタ!己、己、己、己、己!気を強く持て!この権能は呪力で弾くことが可能だ!」

「そうはさせないけどね。カドケウス!吸収を強めろ!」

 碓井はカドケウスに呪力を流し込むと、吸収する度合いを強めていく。同時に邪眼に呪力を込めることで、相手にも呪力の消耗を誘発させている。

 ミトラもアムシャ・スプンタも、所詮は従属神や同盟神でしかない。自分で存在理由を持つことができない。それを補うために呼びだした神の加護を受けることで双方向的に実力を上昇させるのだ。

 それは神々の人にはうかがい知れない、絆の力である。順縁である。

 邪眼は、その絆を弄び、断ち切る。

 範囲を絞ることでガユーマルスに呪力を消去されることによる圧迫感が発生し始めた。歯を食いしばり、必死の形相で呪力を防御しようとしている。

 その均衡を崩すためのミトラは、透湖が決死の攻撃を仕掛けることで、手荒に抑えることができずに困惑している救世主。

 透湖がシームルグの母体として媛巫女の中でも筆頭の位置に居続けることが出来るほどの術力を持っている。

 呪力も体力も、である。

 生まれた時から神を生み出すに足る母体として作られているということは、それだけ生物としての位階が高いことを示している。その源が失われたとはいえ、透湖という存在は主人の威光を浴びていない薄い神獣なみの存在力しか備えていないミトラに比しても、そう落ちるわけではない。

 本気で潰そうと思えば、ミトラもどうにでもできるものだが、傷を極力負わせないで行うと考えれば、それは難しい。

 剣を持つということは、敵を一撃で切り裂くことを旨とするものだからである。

 狙う個所次第では、手加減などできようはずもない。

 しかし、透湖が持つ武器は特別なモノではない。碓井によって呪力を組み込まれたとはいえ、急造の手段である。

 いわゆる自爆戦法がいつまでも通用するわけではない。

 

 予断を許さない緊迫した状態。

 

 碓井にとって、ここが一つ目の勝負どころであった。

 相手の呪力を吸収して、カウンターを狙うことが成功するか。

 それまでにミトラが透湖を下し、太刀を浴びせてくるか。

 ミトラの剣を吸収した所で、碓井の力を高めるほどではない。

 そのうえ、吸収するには全身全霊を掛けて発動する必要がある。権能を3つ同時に発動するというのは、カンピオーネであっても難事である。

(間に合うか……?こんなに早く勝負所を持ってくる気はなかったのに……。俺の馬鹿……)

(凌ぎ切れるか……?これほどの特化した権能を持つとは、恐れ入った……)

 裂帛の気合で睨みあい続ける碓井とガユーマルス。

 呪力はお互いにあふれ出るばかりであるが、神とカンピオーネの常として呪力量の差が大きい。その上、碓井は今までにわずかではあるが使った後。ガユーマルスは地球の呪力を吸い上げているために、全快状態。

 

 特化した能力があるとはいっても、均衡することになる。

 

 じりじりと時間だけが不毛に過ぎていく。

 素早く勝負を決めたい碓井。

 長引かせてミトラが透湖を取り押さえることを待っているガユーマルス。

 ここが崩れた時、どちらが先手を取れているか。勝負所の流れを掴んでいるか。それはこの権能勝負で決まる。

 

 その時は来た。

 

「あぁ!?」

 

 透湖の短い悲鳴。

 ミトラが剣に流し込んだ電子で、透湖の剣をつたって動きを封じたのだ。

 人間の体や精神、武術における気は、すべて体内電流によるものだ。

 脳のリミッタ―をはずすことで肉体を超人へと造り変えていく。それほどに体を鍛えあげる。

 その制御も電子で動いているのだ。

 神の生み出した電流は、人のみである透湖を制圧した。

 せめて一太刀入れんと、透湖の刀がミトラの胸に刺さる。

 だが、すでに呪力を使い果たしていた剣に、ミトラを殺し切るほどの能力は、もはやなかった。

 

 勝負の流れは、ガユーマルスにいく。

 

「ここだ。行くぞ、アムシャ・スプンタ!」

 ガユーマルスの鋭い声。

 ここでミトラではなく、アムシャ・スプンタに声をかけたのはいかなる理由か。

「!?」

 透湖を一瞬で30mは離れた森の木に横たえて、ミトラが斬りかかって来るのを必死に飛びのくことでかわしている碓井。時には杖で受け止めている。

「ヌぅ……」

 ミトラの剣を握っている手まで密着することで、リーチを止めている碓井。やはり主人の呪力を受けていないと、動きも鈍る。それでも集中力を十分以上にかき乱す。

 カドケウスは完全オートメーションなので任せることもできるが、呪力を流さない限り動かない機械そのものである。

 杖が意志をもって動いてくれるという、ナビゲーションシステムが存在しないのだ。

 非常に便利だが、その利便性を追求していくためには、実戦していくしかない。機械にも説明書はあるが、この権能には最初に理解した知識を元に紐解いていくしかない。

 集中できない碓井に、その利用は手間をかけることになる。

 隙の出来た碓井の圧迫を気合で吹き飛ばして、白い道着らしき姿のガユーマルスと下半身にトラの布を一枚付けているアムシャ・スプンタは全力で攻撃をしかけていく。

「外道焼身!退魔の光、ここにあれ。外道を滅ぼす輝きを!」

「魔を切り裂く我らに、勝利の輝きは与えられん!」

 ミトラごと雷を身に纏って、食い破ろうとしているようだ。ミトラはガユーマルスから呪力を受けることで復活する以上、それが当然の選択だった。

「ぬおおおおおおおお!?」

 碓井の絶叫。前門の虎、後門の狼といった状況に、為すすべがないといった様子に、ガユーマルスはこの攻撃で致命傷を負わせることが出来ると確信した。

 

 鉄の体に棘を生やす事を忘れている位には。

 

 碓井の眼が3秒後には迫りくる死を見据えて、どこまでも体感時間が引き延ばされていく。ミトラが腕を押さえて動けないようにしていることで、大きく逃げることが出来ない。吸収している最中のカドケウスによる電流は、機能を切り替えることができずに使えない。

 そう、遠隔操作しているだけでは。

 腕の力を抜いて、杖を地面にさした碓井は、カドケウスに指令を出した。

 ――喰らえ、と。

 カドケウスはその命令を受諾して、目の不吉な赤き輝きを強める。

 そして、杖の先にある二頭の蛇が伸びた。

 刹那の間も置かずに、カドケウスの双頭の蛇は獲物であるアムシャ・スプンタに食いついた。

「ぐああああああああああああああ!?」

 アムシャ・スプンタが絶叫を上げる。自分という存在ごと、食いつくされたことにより余りの激痛に英雄であっても声を抑えることが出来なかった。

 耳元で発生した轟音に、ガユーマルスは脳を揺らされて、進撃を強制的に止めさせられた。

「アムシャ・スプンタ!?」

 ガユーマルスの蒼白に彩られた顔色。愕然とした面持ちで、数秒で食いつくされて砂になって流されていった残骸の行く先を見て、呆然とする。

 強者の見える隙を逃す事はない。

 貪る尽くしたカドケウスが、今度は反対側の蛇の首を伸ばしてミトラを狙う。

「ぬっ!?」

 危険を察知したミトラが、碓井の拘束を解いてガユーマルスのもとに近寄ろうとする。

 蛇は地を這いすがり追いかける。

 ミトラはそれをステップを踏むことで、噛まれれば最後の死のダンスを踊る。

「カドケウス。逃がすな!」

 碓井の言命を受けて、カドケウスはプログラムの通りに速度を上げて牙を煌めかせる。

 その全長は、今や20m異常ものびて電気コードのようでもあった。一つ違うのは、触れたら感電する絶縁体もないむき出しの状態であることだが。

「ミトラ!加勢する!」

 ガユーマルスがしばしの久闊を叙したあと、もう一人の従属神であり半身であるミトラを応援するべく、呪力を雷に変えて、投げ込んできた。

「おう!」

 鋼の宿星をもつミトラであればこそ、その雷は自らを鍛え上げる祝福のベール。

 紫電を頭部に受けたミトラは、長い髪を逆立てて顔が気合を増したように思える。

「友よ!彼奴目を討ち果たそうぞ!」

「おう!男子たるもの、悪を打ち倒すが役目よ!」

 後ろに後光を背負った勇者が二人、天地神明を乱す羅刹を討ち果たすべく、声をそろえる。

 そこに、動物の性をもつ存在に取って毒になりうる、呪いの雷が撃ち落とされた。

「雷来!急急如律令!」

 短く言霊を発した碓井は、カドケウスの蛇としての毒を盛られた雷を頭上にいつのまにか生まれていた雷雲と杖から流し込んでいる。

(まず、倒すべきはミトラ!ガユーマルスは友を重要視している。彼は流浪する英雄の相も持つ。その場合は常に友が必要だ。その友がミトラなんだろう。周りから削ぎ落していかないと……)

 狙いを絞って細く収束させた雷の槍を断続的に浴びせ続ける。

 周りを無駄にはぎとることもないので、オゾン効果による粉塵が巻き起こる以外は、視界は良好だったので、雷を必死に呪力で逸らしているガユーマルスとミトラがはっきり見えている。

「おおっ!」

「噴ッ!」

 唸り声を上げて体内の呪力を高めている英雄たる神々。その姿は肉体の限界を超えて鍛え上げている存在に特有の、奇妙なカリスマと雄々しさがある。

 友同士が雷を共に受け止めているのは、一対の阿吽像や金剛力士を髣髴させる。それは生物が持つ、勝利への熱。

 相手もまたあらゆる苦難を乗り越えて来た英雄であることを再認識して、碓井はカドケウスと邪眼に掛ける呪力を増加させる。

(ここで、押さえ過ぎたら、じり貧になっていくだけ……)

 そう考えた碓井は、カドケウスに溜めこまれたアムシャ・スプンタの呪力を全て雷に変換することにした。電圧が上がっていくことで、熱を持つようになった雷は、鋼の体を持つ存在すらも突きぬくことが出来る紫電のナイフと化していた。

「あああああああああああああ!!!」

 碓井は声を上げることで脳のリミッタ―を外して、自分の持つ気合を膨れ上げさせる。歯を食いしばるのは痛みに耐えるときがほとんど。自分が勝利をつかむ時には、だれよりも大きい声で喉をからすほどに張り上げるべきなのだ。

「おおおおおおおおおおおおお!!!」

「ぬりゃああああああああああ!!!」

 全身の気合を籠めた、戦士だけが持つ高揚感の中で、雷と呪力のぶつかり合いは最高潮を迎えて、破裂する形で周囲に暴威を振りまくことになった。

 

 碓井は全身の力と呪力を込めた攻撃でも、絆の象徴たる神々を打ち抜くことが出来なかった。

 

 しかし、一時的に呪力を爆発させたことで相応の疲労をもたらしたことは確かである。

 

 とくにミトラは、従属神の関係から消耗が非常に激しい。

 息を一息突こうとするほどに、息切れしている。

 そこが碓井の狙い目だった。

 雷が四方八方に飛び散ったことで、透湖のいる地点の近くにまで雷が炸裂したことに一瞬気を取られたガユーマルスは、碓井の動きだしの初動を感じることが遅れた。

「疾ッ!」

 喉を軽く鳴らして、碓井はミトラにタックルする。

「な!?」

 短く驚愕の声を漏らすと、ミトラは筋肉を硬直させてしまった。

 結果、直撃する。

 ガユーマルスは横を走りすぎていった風を感じて、自分の集中力がわずかに疎外されていたことに気付く。武術で相手を感知するために必要な電気信号を感じ取ることが出来なかったからだ。目の前にいるならばともかく、コンマ1秒程度気を抜いただけで次の手を打ってくる者がいるとは思わなかったのだ。

「……ッ!?ミトラ!」

 慌てて振り向いたときには、碓井は手を掌底の形にしてミトラのたくましい胸板を突き破っていた。呪力で構成された存在であるらしく、心臓やその他の重要臓器は見当たらない。突きぬかれた事実をそのままに受け入れて、ミトラは泡となって存在を消していった。

 残されたのは、ミトラが所有している直剣のみが地面に突き刺さっている。

「ミトラ!――己ェ!!!」

 激昂したガユーマルスは、眼を血走らせて碓井に跳びかかって来る。

 それを横に呪力を噴射することで一気に10mの距離を取った碓井は、一度、一回転上空に回って、着地する。構えは右腕を上に上げて拳を相手に向けており、左腕は甲を相手に向ける形である。着地した衝撃を吸収するために、胡坐から少し膝を立てた形のようにも見える。

「ふぅ――」

 細くゆるやかに息を吹くことで、横隔膜の痙攣を抑えて、呼吸を整える碓井。

(よし、ミトラは倒した。次は、相手の能力を解析して、詰めていこう)

 ガユーマルスは自分の怒りにまかせた突貫を避けてもらい、むしろ冷静になった。

(危なかった……。あのままカウンターを取られていたら、一撃で沈むかも知れなかった……)

 ガユーマルスが怒りに燃えて牙を剥きだしていたが、それを冷静な顔になり、口を閉じた。

 その冷静な目付きを通して、相手が落ちついたのを感じ取る。

 ――もしや……。

 碓井は今後の戦略を考えて、先ほど避けたのは不味かったかもしれないと感じた。

 接近出来るのは、先ほどが最後だったのではないか、と……。

(次はどんな手で来る?邪眼もカドケウスもまだまだ使える。従属神召喚をもう一度行うほどではないはずだ)

 

 睨みあう両者。

 嵐を生み出す雷雲が、島の周囲を覆い尽くしている。雨が降りこんできているので、体が冷えそうになる。

 そんな中。

 次の手札を切るのは、碓井だった。

 

「森よ。人を慰め人を試せしあるがままの森よ。空を覆い尽くし天を暗く隠せ!」

 

 碓井の聖なる呪文を境に、地面が振動を始めた。表面が盛り上がり始めて、木の根がそこかしこに見え始めた。それは碓井の呪力を受け続けて、瞬く間に周囲一帯が緑の暗黒に包まれていった。

「ほう。これが君の権能の一つか!これでどうするのか、いささか興味があるな。さあ、魅せてみよ!」

「ああ、遠慮なくがっつけや!」

 ガユーマルスが碓井の次の手を二やけながら、次の手を見ている。しかしそれだけではない。手には、白金色に輝く聖剣が握られている。青いラインが剣身に入っており、溝も掘ってある。刃渡りは3mを優に超えている物干し竿だ。あれを鉈や鎌の代わりにして、木々を伐採する樵にでもなるつもりだろうか。呪力を込めているようだ。深い繋がりがあるようで、容易には邪眼で消去できない。

 碓井は、相手の新しい武器を警戒しつつ、カドケウスにも呪力を流し込んで雷雲を再び呼び寄せた。

「雷雲よ、木々を荒らす者へ、罰を与えたまえ!」

 碓井の言霊と共に、雷雲から細い電流が舞い降りて来た。

 紫電が木々にぶつかり地中にまでスパークしていく。それは木々の根にまで届いて木々の新たな栄養源になった。

 木々は雷の友であり、主でもある。雷が落ちるときは高い木に堕ちることで飛来針になるからだ。神話上でもその関係は見受けられる。日本書紀では国常立命と布津主が同列の関係としてワンセットにされている。古事記ではそれが天御中主と武甕鎚になっている。この違いをことに疑問視する存在は多い。

 

 木々全体に雷を纏ってより鋭く成長する。葉は牙のように鈍く薄く。幹はよりしなりを強くなり、根は地面から隆起して槍の穂先のように碓井の前に揃う。

「行け!」

 号令に合わせて木々がうねり、葉を手裏剣のように回転させながら、ガユーマルスに向かって飛ばして攻撃する。幹は巨大な手で横に薙ぎ払う。根は太い先で杭のように地面から串刺しにしようとする。

 ガユーマルスは森全体を武器にしたことに驚きながらも、手にした聖剣で周囲一帯を霧払っている。小さな弾丸程度は鉄の体で弾き飛ばして、串刺しにできるかもしれない根を優先して切り離している。幹は、体の重量をあげることで、衝撃から身を守っている。

 碓井は牽制として、相手の手にめがけて攻撃を集中させながら、今後の勝負どころはどうなるか考えていた。

(こんな目くらましでは決定打にならない。闇雲に戦う訳にもいかない。最終的に体に頼ることになるように誘導しなければ……)

 

 彼我の圧倒的な実力と、莫大なる権能の多様性。全霊を込めた呪力以外は、邪眼で適宜消去できるが、相手はそもそも魔王を滅ぼす英雄。

 切り札となるほどの爆発力があるものが少ない以上、相手の選択肢を奪い詰めていかないと。

 そのためにするべきなのは、超接近距離での攻撃にのみ専念させること――。

 やることが、結局変化しないことに僅かに苦笑しながらも、目を次の手を打つべくカドケウスに呪力をため込み始めた。

 

「ハッハッハッ。森の恵みは私の子のようなものだ。子を抱きしめてやるのも、親の務めというものだな!参れ!」

 ガユーマルスは、森が胎動して反抗してくることに喜びを感じながらも、脳裏では冷静に碓井の思考を読み取ろうとしていた。

(相手は手のかかる迂遠な方法をとってきた。恐らく、一撃で勝負を決することが出来るような攻撃を持っていないのだろう。

 ならば、相手が隙を作るまで待ち続けるべきか)

 手にした聖剣で足元をなぞって、木の根を爆発させ続ける。その間にも、葉っぱの弾丸はわずかに鋭くなると、鋼の肉体そのものであるガユーマルスの背中に一太刀刺さった。気付くことが出来ないほどのわずかな傷である。無数に狙われている中でほんの少しだけ当たることもあるだろう、位にしか考えていない。

 そうして、見渡してみると、ガユーマルスの体にはもう数枚似たような葉っぱがあった。

 右手首に一枚。左足に一枚。胴に一枚。計、3枚だった。

 落ち葉に包まれた子供のようにな風体だったが、輝ける英雄の姿を少しも衰えさせるものではない。

「フッ。どうやら、これ以上の出し物はないようだな。では、終わらせてもらおう。我が儉の錆となるがよい、神殺し!」

 10分ほど待ったが、碓井が次の手を仕掛けてこない以上、消耗戦に入ったのだと考えたガユーマルスは聖剣を手に、今こそ外道を一刀両断せんと碓井のいる場所へ掛けていった。

 神路上に存在する木々を切り倒して、もはや障害物にすらなりえない物体を膾切りにする。

 碓井は蒼穹の眼光で見据えたまま、動かない。

 

「さあ、行くぞ神殺しよ!我が儉の冴えを見よ!」

「ふん。せっかちな奴だ。ああいいとも。ただし、お前は次の瞬間何をされたのかもわからずに散ることになるがな!」

「それは楽しみだ!ハッ!」

 

 ガユーマルスは、剣を平にして全体重の乗った突きを見舞う。

 碓井は、手にした杖を突きさしてくる。その焦ったような行動を見て、ガユーマルスは突然の猛攻に対抗するすべがないのだと確信した。

(貴様の杖は90cm前後。我が儉の鋩は1mを超える!見切りが甘いわ!)

 そのわずかな獲物の長さと勢いに乗った攻撃を仕掛けたガユーマルスの一閃は、立ち位置を最後まで変えていなかった碓井の槍に比べて、明らかにリーチで上回っている。

 碓井は、見切りに失敗したことを悟ったのか目を驚愕に見開いて、眼前に迫った点の残効を負うことしかできなかった。

 

 直撃する。

 

「ふ。少々呆気ないが、私の勝利のようだな。――何?抜けんだと!?」

 ガユーマルスの焦った声が響き渡る。

 その声にかぶさるように、碓井の声が朗々と演じられる。

「――ほら、気ぃ抜いたらあかんで?」

「……ッ!?―――――――――――ォ。オオアオアオアオァアア!?!?!?―――――ッ」

 ガユーマルスの体が突如重力を無くしたかのように、300kgは超えるだろう鋼の体を宙に浮かびあがらせている。劔は碓井の脳に突き刺さったまま、手からは抜け出した。

 ずるずると額に劔を飲み込んでいく異形の神殺し。口元は上質の料理を食べた時に反射的に行う、舌舐めずり。ガユーマルスは自分の自慢の剣♂を養分にされたことに気付いた。

 戦慄がガユーマルスの背に走る。

 碓井の手に持たれているものは、カドケウス。それがガユーマルスの胸にあてられた。

 ただ、それだけだった。

 それでこの異常現象が発生した。

 これは、マスドライバーと呼ばれる現象である。電磁放射でもいいが。

 要は金属を大電力で吹き飛ばすというものだ。元々ガユーマルスは鋼の肉体をもち、トールの森に存在している砂鉄を葉に混ぜて突きさすことで、金属の体に傷をつけながら電気を通すための通り道にした。後は、腹に突き刺さっていた葉に電気を直接流すだけ。

 ガユーマルスは身動きが出来ないことに驚きを感じながら、必死に体の制御を取り戻そうとしている。

 碓井は、静かに見上げて、一言。

 

「逝ってらっしゃい」

「馬鹿な!?――――――――――ァァァァァァァッ…………」

 

 正に発射台から射出されるミサイルのように空気を切り裂いて、ガユーマルスは天高く舞い上がっていった。

 

 

「ぅ……何が……うるさいィ。静かにしてぇ」

 手をばたばたと振りまわして、横たわっていた草原の傍にある太い木々に手をぶつけて、その痛みで意識が戻ったものがいる。

 その時、空気を劈く爆音が鳴り渡った。そして、目で追うことが出来ないほどの何かが、太古の森を突き破って天に向かって吹き飛ばされた…ようだ。

 辺り一面を轟音が走り抜けていったことで、森の中で意識を失って休息していた者も目を覚ました。

 桃河透湖である。

 ここで彼女にとって幸運だったのは、トールの森の中にいたことで弱った体が回復した事。そして、木々が障壁となって衝撃波が四方八方に吹き飛んでいくことがなかったことだ。現代では白神山地でさえ、人の原風景といった程度の自然しか存在しないが、この森は樹齢500年を優に超えていると言っても過言ではない木々が、所狭しと生えているのだ。自然現象ではあり得ない電磁放射であるがゆえに、周囲への被害も尋常なものではなかった可能性もある。

 透湖は知らずに、碓井がもたらした一番の危険を回避したのだ。

 首を数回振って髪を揺らした後、異様に気だるい体をゆっくりと持ち上げていく。

「お、重い……。自分の体がこんなに重く感じたことなんて、はじめて。何があったんだっけ。確か、碓井様が手いっぱいだったみたいだからミトラ様と剣を交えていたのよね。相手も簡単には殺そうとはしないとおっしゃっていたし。そのために、呪力の溜めこまれていた果実をいくつか頂いて、生命力も活性化していたわけだし……。――ハッ。碓井様!?こうしているわけにはいかない!助力できずとも御傍にいなければ……」

 未だ決戦は終わっていないだろうと考えて、戦場に一歩でも近づこうとする。

 しかし、重い体は異様に痺れている。スニーカーと紺のソックスを履いている脚が、言うことを聞かない。

「痛っ。――ミトラ様の電流を浴びたんだったわね。これでは歩くことも厳しいじゃない。だけど、こんなので足手まといになるものですか。まだまだ私は戦える。負けない。

 ……とりあえず、そこに生えているバナナでも食べましょう。体力を回復させないと。呪力が籠っている果物だし、碓井様の権能で出来たものね」

 ようよう這い這いして、2mほどの木に垂れさがっているバナナを手に取った。見上げれば幹が根元から折れており、衝撃波が直撃したのか爆風でなぎ倒されたのか、生木の瑞々しさを残したままである。

 根性で幹をよじ登って、もぎりとった。

 皮ごと口に突っ込む。バナナの糖度が高い汁が喉をうるおして、体の細胞一つ一つが活性化していく。失った体力と呪力が満たされていく。精神的にも、神々と戦ったことによる圧迫感からの解放感も重ねて、獲物を刈り取った喜びに浸る。

「――旨い。あぁ、体が軽い。こんな幸せな気持ちなんて、嬉しい」

 口元をバナナの汁で汚しながら、一房二房と貪っていく。手が使えないほど疲労しているので地面に落して、犬食いの状態である。それでも、少しずつ回復してきたことで手を使って口に放り込むことが出来るようになっていった。

 バナナの木に生えていた10房ほどの養分は、ものの7分ほどで全て口に納まった。

「ふぅ、どうにかなりそう。碓井様のところまで、何とか行けるところまで……」

 口元を葉っぱで拭いながら、目に力が戻った透湖は、ふんすとばかりに立ちあがった。

 体の各種チェックをして異常がないことを確かめると、歩み始めた。

 碓井の居場所はどこにあるのかわからないが、バナナを夢中でほおばっている時に、大きな音が戻り始めたので、戦闘は続行中であることは確かだろう。

「さて、どこかしら?」

 取り敢えず向っているのは、衝撃波が通り過ぎて行った結果生まれた、木々のなぎ倒されたルートである。

 足元の落ち葉を踏みしめながら、よいよい慎重に歩いていく。

 数分すると、少し離れたところに開けた草原めいた場所が見つかったので、そこに視線を向けた時。

 目に映ったのは、すでに倒したはずの相手がよみがえったあり得ない光景だった。

 

 

「ぬうう、無茶苦茶やるとは、さすがに神殺しか。このままでは熱で体が溶けるやもしれぬ。呪力を振り絞り、強引にでも止まるしかあるまい」

 天空高く放り出されているガユーマルスは、相手がどんな手でも躊躇なく使う悪鬼であることを再認識して、不覚を取っている今の状況とそれを誘発させた自分の対応に、憤りを禁じ得なかった。

 もはや遠くに見えるだけの碓井の睨みつけてくる目付きを見て、もはややむなしと禁じてでもある、魔王撃滅の劔たるべき剣神の宿星である、魔王討伐の盟約を批准することにした。

 深い緑色の波間から水分を巻きあげて浮かび上がる白い雲を突き抜けて、猛烈な上昇気流に目と耳を塞がれて、突きぬけた先でなおも吹き飛ばされながら、成層圏まで近づいてきたことで、決心した。

(まずは、何としてでも止まらねばならない)

「この星のあるべき天地よ、我を繋ぎとめよ。汝らを作りしは、我であるゆえに。然らば父たるべきガユーマルスに助力せよ」

 地球の重力や風の抵抗力、鴉の化身にもなる神速の能力、陰鉄が地上に堕ちる姿。剣が地に突きたつ神話。その全てに助力を求めた言霊を、ガユーマルスは謳う。

 さらに、剣神の性であり闇を討ち果たし、喜びの光をもたらす救世主でもある自分自身を、今一度決定づける。

 ――今こそ、我は剣神の習いに従い、悪鬼羅刹を打ち滅ぼす光り輝く英雄として役目を全うすることを誓う……。

 ――このガユーマルスは、これより天地神明に誓って身を清めて修羅の道へいざ参らん。神々よ、祝福せよ。汝らの敵は今こそ討ち果たされるのだから……。

「覇ッ!!!」

 全身の気合を込めて一際大きい声を出すことで。

 遂に、魔王征伐の盟約を批准した英雄は、マスドライバーの呪縛を乗り切った。

(ならば、次にすべきは我が友を今一度呼びもどすことで、轟力すべし。

 ――その前に彼奴には返礼をくれてやらねばな……)

「天地の騒乱を呼ぶ叡智よ。御身らは輝ける光のごとし。されば天より地に落ちるは物の理と知れ」

 加速度の法則に従って落ちていくガユーマルス。

 点にしか見えなかった地面が、すこしずつズームアップされて目に飛び込んでくる。見えるのは原初の暗き森。穴があいているが、そこから自分は飛ばされたのだろう。

 その様子を見た時、勝負の流れをつかむために秘術を披露するべきだと感じ取った。

「混沌たる原初の星。千の竜と千の劔よ。今こそ集い嵐を産め!この世を洗い流すのだ!」

 ガユーマルスの怒号に合わせて、森のすぐ上に黒い暗黒星が生まれた。それが碓井が何か反応する間もなく、回転を重ねて颶風を産んだ。木々が猛り狂う闇にくっついていく。

 森が根元を地面に向けたまま張り付いているので、地面に居る存在にとっては危険すぎる槍の穂先であった。

 碓井は一息ついたときに出現した予想だに出来ない光景に、ワンテンポ反応が遅れた。

 悪寒が背筋を撫で摩る。

「やば――」

 勿論碓井のリアクションを待つこともなく、重力球は天地開闢の理を示すように、思いあがった愚者の脳天に神々の石を投げつけた。

 

 深い地響きが大地を襲う。

 今回はガユーマルスが落下してくる時間を考えて出現とほぼ同時に落下させたことで、吸引力自体はそれほど高くなかったが、神力で生み出された森をさらに雷で強化している根は、十分殺傷力を持って碓井を襲った。

 黒い砲弾は全周5km四方にもなるであろう森の一区画を丸ごと抹消した。

 森が余波で焼け焦げる匂いすらも、重力球が吸いこんでいき放出して吹き飛ばしていった。

 秘術が生み出した戦果に満足しながら、ガユーマルスは静かにクレーターが出来た区画へ脚を降ろす。

 碓井はこの攻撃で、実力差通り消し飛んでしまったのか。いいや、肌が教える感覚がいまだ仇敵が存在することを示している。

「まだ生きているのは分かる。どこに逃げたかは知らんが、この隙に今一度我が友を呼びだし号霊を懸け様ではないか。――さあ、来い。ミトラ・イマ・アムシャ・スプンタよ!御敵征伐の利剣となれ!」

 制限する者のない空間で、遂にガユーマルスは全力で呪力を解き放つ。

 

「ハハ……ハハハッハハハッハッハハ!!!これこそが充足感だ。魔王を圧倒的に踏み滅ぼすことこそ、我らが使命であるがゆえに!」

 

 暗黒の空と黒雲のなかに少しずつ光量を増していく天の炎の煌めきが見える。

 ガユーマルスは目を輝かせる。

 

 両腕を高く掲げて、天に浮かびあがった太陽の光をたたえるように、大声で友の絆を誇る。

 彼らの持つ鋼の不死性は、不死身の肉体ではない。折れることなどあり得ない劔の鋭さでもない。大地を搾取して母なる神を滅ぼす事でもない。軍勢を率いる戦でもない。

 

 その絆こそが、彼らの最大の武器にして防具。あらゆる難敵を打ち滅ぼしてきた、絶対の力なのだから。

 

 絶えることのない、戦いに生きる者同士の、絶対の絆。

 悪鬼を倒すべく、剣神の宿星に忠誠を誓い、勇気を内に秘め、知恵にていかなる策謀をも切り開く。

 この世界と民に、永遠の無謬なる輝きを。

 

 ――彼らにはいかなる苦難にも立ち向かう、美しき道標があるのだから……。

 

 太陽から曙の光が3つ降り注いでくる。

 赤き輝きからは、ミトラ。青き輝きこそは、アムシャ・スプンタ。黄金の輝きなるは、イマ。

 彼らは闇を打ち払う太陽の下、覇気にあふれる顔で友を見据えると、合図などなく誰からともなく拳を重ね合わせた。

 これから始まる、魔王討伐の旅へ赴くために、その意志を重ね合わせる。

 

「我ラ、義兄弟。ココニ勝利ヲ誓ウ。コノ絆コソ吾等の道標トナランコトヲ」

「オウッ!!!」

 

 その掛け声とともに、彼らは混ざっていく。

 友を認め合うからこその、友の為に力になりたいという、美しい絆の結晶。

 アムシャ・スプンタがガユーマルスの足元に融合していく。牛顔の巨人は、今ここに牛そのものとなった。

 ミトラは、武具となり防具となった。ガユーマルスは、太陽の光に反射するほどの磨き上げられた3m超の剣を握る。肌には赤い羽のついた鎧一式。アムシャ・スプンタの頭部にも棘のついた冠。鞍も装備されている。

 イマは背後に繋がることで、後光を生み出す黄金色の衣をガユーマルスの身に纏わせる。京劇の舞台で着られるような見事な衣装でありながら、左肩から腹にかけて一枚の布を掛ける形になる。

 

 ここに誕生したのは、魔王を滅する英雄であった。

「さあ、いざ組まん!!!!」

 声を輪唱した英雄神は、ぼろぼろの姿をしながらも眼光は鋭い碓井の顔を見て、開戦の号砲とした。

 

 

 戦いの先手は碓井が斬った。

 相手に調子づかせると、ただでさえ実力で劣っている碓井の勝ち運がますます手から零れていく。

 30m大の巨躯に変身合体した存在めがけて、拳を構えて、全力で飛び込む。先ほどの重力球を吸収していた聖劔の硬度を発動することで逃れた碓井は、急場の発動だったので、あっという間に消耗しきってしまったことに歯噛みしながらも、ぎりぎり発動している拳でアムシャ・スプンタの頭部を殴りにかかる。

 それを、ガユーマルスの剣が弾き飛ばす。吸収するほどの時間を与えてくれない。その上、背後で瞬いているだけだった後光が、鋭い穂先の槍となって碓井を襲ってくる。

「……ッ」

 邪眼を全力で絞り続けることで、碓井に届くまでに速度・威力共に弱めているからこそ、隙間をくぐりぬけて攻撃することが出来た。

「噴ッ!」

 気合一閃。剣を長刀のように振りまわして、碓井ごと周囲を薙ぎ払っていく。それをばれるロールのように頭を相手に向けたまま、宙をムササビのように飛んで、一回転。足を剣に掛けて流していく。

 空中で体勢を変えることが出来ない碓井に、アムシャ・スプンタの頭部から猛烈な獣臭と共に息が突風のように吐き出された。

 碓井は手を空気中に押し出すことで、空気の膜と呪力でその風をさえぎる。

 完全に空中で動きが止まってしまったわずかな時間の間に、牛に乗った騎兵は突進してくる。それを呪力を手にグローブのように動かすことで、辛うじて傷つくことは避けたが、一息での猛烈な衝撃に、碓井は脳が壊れそうなほどの痛みを覚える。邪眼を発動しながらの呪力操作に精密な駆動というのは、神の体であっても、相当な負担を掛けることになったようだ。

 しばらく碓井が生み出した森を碓井の背中でたたき壊しながら、10秒ほど流された。

「――スゥ……。ゼァ!」

 痛みをこらえながらも、この陣を突破するためにぶらぶらしている脚先に呪力を込めて、思いっきり牛の頭部にたたき込んでやった。

 呪力というものは精密に操作すれば、鎧に覆われた内部を振動させることで脳震盪を起こす事が出来る。古流柔術だけでなくとも古式の武道には、鎧を付けた相手を一撃で殺すための武器術や手法というものが存在しているのだ。

 イメージ通りに動く体は、撃剣会で習った方法通りにその技術を発動した。

「ガァ!?」

 高速移動中に脳を軽くでもぶらされるというのは、想像以上に首に負担がかかるものである。

 この圧力の中で攻撃されるとは思っていなかったアムシャ・スプンタの首が軽く曲がることで、暴れ牛がごとく騎乗している存在をも上下に動かした。

「ホゥ!」

 息を軽く吸いこむことで、身体駆動を活発にさせたガユーマルスは、膝と腿でその動きを抑え込むことに専念する。

 結果、碓井を責めていた突進の威力が止んだ。

 空中で突然前から押す力が止んだ碓井は当然のように、地面に落ちていく。

 足場にするだけの木々はのきなみ粉砕されている。

 ならば、彼が乗るのは空気の波そのものしか存在していない。

 牛の角には棘があった。そのノーズは気流を後ろに流す役割もあるが、それは前方にいた碓井も同様に使用することが出来るものである。

 気流は碓井の足元からガユーマルス本体に向かって流れている。足元と背面に呪力を噴射することで、軽技師であっても不可能であろう空中散歩を行うことが出来た。

「なに!?」

 相手が空中で歩いてくるという現象に、神の足を持つのではないかというガユーマルスの危惧によって、反応が遅れることになった。邪眼による圧迫も受けていることで反射的な動きが制限されているのだ。

「カァッ!!!」

 顔を真赤な形相に染めて、拳でガユーマルスの顔を思いっきりぶんなぐる。

「オオァ!!」

 ガユーマルスは呻いて、一撃で顎を揺らそうとしてきた攻撃に必死に耐えていた。

 アムシャ・スプンタの頭に乗った碓井は、将を射んとするならば、まず馬を射よの格言に倣ったのか、積極的に頭部を殴り蹴りつける。

「ガガッ!?」

 遂に動きが止まった牛は、頭の蠅を振り払うように首を回している。

 それを碓井は蹂躙していく。

 足元に呪力をため込んで、思いっきり蹴り飛ばした。

 鎧の硬度を超えて侵入してくる呪力の奔流を同じく呪力を高めることで防ごうとする。

 碓井は、その反動を利用してガユーマルスに接近戦を挑んだ。

 友の証そのものであると豪語している槍や戟とも見紛うほどの長さの物干し竿を持ちかえることが出来ずに、握った拳で応戦してくる。

 碓井は牛の上に乗っている形の為に、左右に逃げるということを極端に制限されている。

 掌を前に出した形で、両の腕を駆動させて、右に左に拳の側面を操作することで、辛うじて直撃を避けていた。相手もわずかにぶれて移動している碓井を腰のひねりを入れることができずに、上手く狙いを付けることが出来づらい。鞍に足を掛けて、横に左拳を裏拳の形で薙ぎ払ってくるガユーマルスの攻撃を避ける。腹筋で起き上って脚を掛けている事を利用した、鋭い蹴りを剣を持つ手にたたきつける。指を狙うことで握り自体を甘くすることを狙っているようだ。

 続けるうちに、ガユーマルスは面倒になったのか手で掴もうとする。

 それを掴もうとする手指に飛び乗って、剣を持つ手に移動する。

 蹴る。蹴る。逃げる。蹴る。蹴る。蹴る。殴る。逃げる。

 蠅は一度くらいでは潰れることのない、肉食のゴキブリである。

 騎兵は、黒く鈍色の存在を叩き潰す事が出来ない。

 

 この一進一退の攻防が止まったのは、音を上げてしまったアムシャ・スプンタだった。

 その弱った様子を見た碓井は、今こそ吸収する時だと放っておいたカドケウスを呼びもどすと、蛇を首筋に食いつかせる。

 一歩反応するのが遅れたガユーマルスは、振り払うのに必死で、カドケウスという特効権能を忘れていた。

「ヌアア!!!己ェ、消えてなくなれ、悪鬼めが!」

 ガユーマルスは一瞬我を忘れると、碓井に向かって強引に剣を振りおろしてきた。

 碓井はタイミングが合わずに逃げることが出来なかった。

 そのために、吸収する間もなく、カドケウスで受け止めるしかなかった。

 激しい閃光が目を焼き付ける。火花に碓井がおもわず目を瞑ると、一瞬だけでも拘束の緩んだ間に、劔を握る腕の力を抜くと碓井に拳をあてた。

「把ッ!」

「ゴボッ!?」

 完全に碓井が停止した状態から、拳をあてた相手めがけて腰と腹筋の絞ったことで生じた威力を載せて、碓井の内臓を逆位置にまで反転したのではないかというほどに捻じ曲げていった。

「ガァアァぁァアァァア!!!」

 ゴキブリは地面に墜落した。10以上もある騎馬から突き落とされた上に内臓にダメージが出たことで、神の体を持つとはいえその衝撃でしばらく呻く必要があった。

 腹を押さえて、じたばたと地面を転げまわる碓井。

「アムシャ・スプンタ!しっかりしろ!」

 一方、ガユーマルスもアムシャ・スプンタの最後を涙ながらに抱きしめていた。

「すまない。すまない。私の采配の失敗ゆえに……」

「いいのだ。ガユーマルスよ。ほんの一時とはいえ、君と駆け抜けるというのは、いつでも気持ちのいいものだ。ではな」

「オオオオオオ!!!」

 天を仰いで、大粒の涙を流して友の死を悲しむ。

 そして、その外道を行った大敵を許すまじと、碓井を赤くなった眼で睨んでいる。

 そしてしばし逡巡すると、アムシャ・スプンタの消え行きそうな姿を見て、決心したように眦を決する。

 次の瞬間。

 ガユーマルスは、アムシャ・スプンタの遺骸を口にしていた。

 すると、相応に弱っていたガユーマルスの神力が甦った。

「友よ、私たちは常に共にいる」

 一言だけそういったガユーマルスは、すっくと立ち上がるとようやくよろよろと立ちあがった碓井を眺めて、一言。

「死ねい!」

 大上段の一刀。

 今まさに振りおろされんとした時、一つの声がそれを遮った。

 

「待った!」

 

 その声の主は、桃河透湖である。

 しっかりと地面を踏みしめている透湖は、自分が生み出した自分の家系の呪いを見据えて、決死と怒号を上げる。

「ガユーマルス!これ以上の乱暴はやめなさい!」

 まさかここで否定されるとは思っていなかったガユーマルスは、透湖に向かってつばを飛ばしながらも反論する。

「母上、確かに少々てこずりましたが、これで私の勝ちは決まります。この、ガユーマルス。決して、世を乱すために行ったのでは……」

「あんたがいるだけで、この世界は乱れていくし、放蕩者になっていくといってんのよ!このバカ!」

「バ、バカ!?母上、それは少々乱暴すぎる話しなのでは……」

「逆らおうっていうの?……いい度胸――――」

「――ハッ!?」

 言い争いをしていた二人の見据える先には、カドケウスを胸に刺した碓井の姿があった。

 ケルヌンノスは豊穣と破壊の権能を所有する。動物の化身や神々に使用するときはただの稲妻であっても碓井にとっては生命力と駆動を活性化させるドーピング薬になりうるのだ。

 そうして、全身の呪力と筋肉と反射を上昇させた碓井は、ガユーマルスですら反応できない速度で突貫する。

 

 

 

 ▲

 

 

 

「陰陽一対抜き手!」

 碓井の血ながらの言葉。天津甕星は陰と陽を一身に持つ最古の大母神である。その彼がニ托勝負をさせるほどに詰ませることを考えないことなどあり得ない。

 戦略を練るということは、相手の動きを完全に操作するということなのだから。

 動きがよかろうと悪かろうと、それの応じた作戦で、相手を縛る。

 全ての虚飾を剥ぎとられたガユーマルスを仕留めるときは、今まさにこの瞬間だった。

 

 碓井の両の腕がガユーマルスの気の抜けた体で逃げることが出来る軌道を全て制圧した。

 左右から迫りくる攻撃を眼を付けあうほどの近くから行われていることで、上に跳ぶ軌道を押さえられている。

 戦慄がガユーマルスの脳裏を突き抜ける。

 

 ――相手は、これを狙っていたのかと……。

 

 勝利を確信して造る、刹那の隙を突くために……。

 

「さあ、勝負だ!ガユーマルス!」

(馬鹿な……完全にかわす隙がない……。この陣は何をするべきなのだ?どちらかの手で貫くのか、両の手で行うのか……。――片手か。そう、この陣はどちらかの抜き手に全霊を込めて攻撃している。ならば、狙うのは力を入れていない手を見極めて押さえること。あやつは元々金属を吸収する能力も持っておった。ならば、金属の鎧を突破することも可能じゃろう。――ならば、どの手だ?右手か、左手か?)

 

 全身の肌と感覚を駆使して、相手の判断を考えるガユーマルス。

 相手の目線はどこをみているのか、分からない。

 筋肉が震えているが、どの場所か分からない。

 どの腕にダメージがたまっているのか。

 これも調べようがない。

 元々、体を活性化させて一時的に痛みを抑え込んでいる。その程度で動けなくなることはないだろう。

 結論、相手のどの手が正しいのか不明。

 ならば。ならば。ならば。ならば。ならば。ならば。ならば。ならば。ならば。ならば。

 道は一つ。

 相手の土俵に乗ってはならない。

 上と左右を押さえられているのならば、下を狙う。

 丁度、足元にはアムシャ・スプンタの消えかけた死骸がある。それに足を取られたわずかにこちらに移動することができていない。

 ベストな位置にいないことで、陣にほころびが出来ている。

 ――これだ。

「カフッ」

 ガユーマルスは全身の力を抜くと、碓井の突進している腹に向かって頭部を叩きつけようとする……ように見せかけて、アムシャ・スプンタの死骸に足を掛けて、強引に膝の力と軌道をずらした。そのため、右腕を下にする形で下に向かって倒れこんでいる。

 

 そうして。

 

 碓井の抜き手が外れた。

 

 正解は右腕。

 碓井の聞き腕であった。

 下に倒れ込むという方法で、本来制圧出来ていたはずの軌道を抑えきれていなかったことに、碓井自身が驚いていた。外れるならば、どちらかの腕を押さえられていた時だけだと。

「おおおおおおおおおおおおああおあああああああおああああああああおああああああ」

 ガユーマルスの全身全霊を込めた一撃。仰向けになった体勢で渾身の蹴りを腹に受ける。

 吹き飛ぶ間も与えずに、腹筋と外腹斜筋を使った回転蹴りを頭部に激突させる。

 碓井は、賭けに負けた。

 

 

 

 ▲

 

 

 

 そして、碓井は止めをさされて吹き飛ばされた。

 草花の生い茂る空間に血の煙が舞いあがる。

 背面から受け身もとらずに地面に激突する碓井。

 それを見届けたガユーマルスも、わずかな時間の合間に起こった駆け引きに勝利したことに、思わず安堵のため息を漏らした。

「ふ……ふふふ、やはり正義の神である私が負けるわけなどなかったのよ。無駄な足掻きだったな、羅刹王。我が神話には、羅刹王は敗北する役割しか残っておらぬ。その我に牙を剥くは、死期を速めるが道理」

 ガユーマルスは、地べたを這いつくばっている男に、勝者の目線より語りかける。

 決して倒れたものを攻撃しないのは、やはり王の貫録ゆえか。

 そして。

 その傲慢が油断を誘った。

「ヌッ!?」

 驚愕の声。

 指すらも動かず死にゆくのみと思われた碓井が、無造作に飛び上がったかと思うと、草の蔓の傍で蒼白になりながらも戦況を見守っていてわずかに体を動かしていた透湖を、掴みあげたのだ。

 予定道理に。

 そうして、予定通りの場所にいる透湖を、盾にするように正面に翳す。

 それを見たガユーマルスは……。

 

 

 

 ▲

 

 

(まさか!?まさか!?まさか!?

 あの男、母を投げ飛ばしてぶつけてくる気か!?いかに羅刹王であろうとも、そのような配下を見捨てる行為を……?)

 ガユーマルスは、碓井の行動から推測できる、余りにも予想外の外道行為に思考が混乱する中。

 碓井は、愛する女に囁きかけるように口づけをかすめるように一息交わすと、ポケットからハンカチを取り出すと、口元に細長い翳を作りながら、ぬぐっていく。

 視線をわずかに透湖に向けて下ろすと、顔を上げてガユーマルスを睨みつける。

 

 そして。

 

「さあ、透湖。俺を愛してくれ。俺の役に立ってくれ。俺を助けてくれ。

 ここで死んでも、必ず、俺はあいつを殺して見せるから。

 それしかできないから、だから俺の役に立ってくれ」

 

 と。

 断言した。

 

 その道具になれという言葉に、透湖は頬を朱に染めると、碓井の言に追随した。

 

「――ハァハァ、かしこまり……ました」

 

 そんな懺悔の言葉を投げかけながら、神々と神殺しの戦いを間近で見続けたことで疲労困憊の透湖を掴んで、腹部に足を押しあてて、ガユーマルスに投げ飛ばした。

 

 血を吐き出しながらも高速で飛んでくる人体に視線が一瞬遮られると共に、ガユ―マルスの意識も真っ白になっていった。

 

 ――母の後ろに、母を投げ飛ばした元凶が憤怒の相を浮かべながら、2度目の軌道を制圧する技を展開したことで、脳の処理能力が一瞬飽和したのだ。

 

 怒りと、恐怖で。

 

 それは技を掛けるに足る隙を生みだすのに十分な時間だった。

 

 高速で走りだす体と意識のなかでの、わずかな会話。

 口火を開いたのは、碓井。

 

「さあ、受け止めろよ。大事なんだろ、ママが」

「……ッ!」

 口を噛み締めて碓井を睨むガユーマルス。

 ガユーマルスが遂に苛立った声と表情を見て、ようやく追い詰められていることに微笑する碓井。

 大技を掛けることが出来ることと自分の作戦が成功していることに気を良くした碓井は、ガユーマルスに更なる嫌がらせを謳う。

「ママ。ママ。ママ。ママ。ママ。ママ。ほぅら――おかあさんのしりをなめるのがすきなまるとくん?ままがあなたをだきしめにきてくれたよ?――心あるならば、よろこびわらいなさい」

 下品な口調と下卑た目線でガユーマルスを嬲る。

「――キ……キサマ、恥というものを知らんのか!」

 母の抱擁を受け止めるか、見捨ててでも魔王を殺すのか。

 悪鬼さながらの下劣な選択を迫る存在を怒りの視線で見ながらも、英雄は許されざる罪を纏う存在が、母と慕う女性の傍に男がいることに腹立たしさをますます沸き立たせていく。

「知らない子ですね」

 吐き出された言葉を一蹴する碓井。

「この……卑怯モノが!」

「いかなる罵りも甘んじて受ける所存です」

 当然の罵りは、いうまでもなく碓井に届くはずもなく。

「王として、配下の前で取るべき態度というものもあろう!?」

「今度参考にします」

 自分は、魔王でも人の上に立つべき存在でもない。ただ、だれよりも勝ちたいだけなんだと――。

 そんな神殺しの羅刹と呼ばれる所以を思い出して、いよいよ言葉では相手の精神を揺さぶることも、言葉を交わす意義もないのだと悟った英雄は、顔を恐怖と怒りで歪ませながら、自分の本質をさらし続けていた。

 そうして、耐えきれなくなって、たった一言が漏れ出していく。

「……ッ!!!この……外道がぁぁぁッ!!!」

 憤怒に燃える中で、おもむろに思考が動いていく。

 そうして。

 ガユーマルスは、静かにみずからの失策を悟っていた。

(しまったあ……一度目は状況が整わなかったから、うまく地面に倒れこむことで九死に一生を得た……)

 

 しかし、今は状況が異なる。

 

 母の体を正面から投げられたうえで、私の総ての軌道を封じるこの技を使われている。

 もし、私が正面から倒れこめば、頭部が母に直撃する。

 ほんのワンセコンドの攻防。

 その間を動かすことができるということは、その衝撃も相当なものになる。

 さながら鞭のように、母の腹部に頭部を叩きつけることになる。

 即ち、即死。

 神速という、移動時間を歪ませている能力ではなく、純粋な身体能力であるために、空気抵抗をまともに受けることにもなりかねないし、衝撃波などは現世の動物が耐えうることなど、永劫ありはしない。

 その理を、自らが生み出したことを思い出して、より一層歯噛みする。

 この手が使えないなら、次の手は?

(母を貫いて、攻撃する?)

 

 無理だ。

 貫くほんの刹那の攻防。

 0,001秒でも動きが止まれば、両の手のどれかで私を貫くことができる。

 もともと、実力では勝っていても、相手の攻撃がこちらを貫く威力をもつことに代わりがない。

 抜き手を体で受けるのは不可能だ。

 ならば。

 

(どちらかの手を受ける?)

 

 無理だ。

 そのときは母の体が私の腹部に当たる。

 鍛え抜いている、神の剛体は。

 並いる鋼の神を超えるガユーマルスの鋼体は。

 その頑強さゆえに、自分の体にぶつかった時の衝撃は生半可なモノでは済まない。

 もともと、私を生み出して弱っていた母に、その衝撃を耐えられないだろう。

 そのうえ、私は抜き手を受けられるような、正解を読み切ることができるだろうか。

 不明だ。

 ならば。

(羊の化身で回復させる?)

 

 無理だ。

 この状況を乗り越えたとして、その後仕留めるのに、何分かかる?

 3分としよう。

 母は、持つのか…?

 たとえ即死しようとも、呪力を目いっぱいつぎ込めば、蘇生は間に合う。

 だが、肉がわずかにでも腐るならば、魂が肉体の欠損に耐えられない。

 即ち、再びの即死。

 

(そして、彼奴のあの眼力…

 あれで、私の権能の発動をほぼ、封じられている。そのうえ、圧迫されて満足に体も動かせないでいる)

 

 無理だ。

 衝撃を与えてすぐの蘇生はできない。

 その間に、脳の組織がわずかにでも崩れれば終わる。

 

 彼奴目は、私に一つの事実を突き付けようとしている。

 私が、母を見殺しにした、とーー。

 私という世に救いをもたらすべく信仰されている救世主を、魔王が討ち果たしたと――。

 この世に救いはないのだと、民衆に知らしめるだと――?

 そんな八虐無道なことを、この私が――?

 この、あらゆる英雄の祖たる、この私が――?

 

 許せぬ。

 許せぬ。

 許せぬ。

 許せぬ。

 許せぬ。

 

 

 ――だが、どうする?

 

 

 

(牛で生命力を分け与える?)

 無理だ。

(鴉で、死という幻想を祓い清めるか?)

 無理だ。

(少年で葡萄酒を飲ませるか?)

 無理だ。

 生み出す前に、貫かれて死ぬ。

(あの邪眼に睨まれている限り、私の権能を生み出すことは、一瞬で発動できない)

(母を膝で支えて、腕を止める?)

 わずかに体制を崩せば、軌道を肌一枚まで制圧されている以上、詰む……。

(――この私が、詰んだだと……?)

 

 

 

 ――だが、勝ちたい。

 母を助けて、天の神々に蛮勇なる魔王を討ち果たしたと。

 満天下に勝利を謳いたい。

 

 ――母を愛して、愛されたい。

 今は、少しあの魔王に操られているだけだ。

 存在を抹消すれば、自ずと正しい道を選んでくれるはずだ。

 父も。

 母の想い人もいらない。

 母の眼に映るのは、私との永遠の幸福な時間だ。

 誰にも、邪魔はさせない。

 

(ああ、母の美しい背筋…)

 なんと凛とした存在なのだろう……。

 きれいで、美しくて、気高くて、慈愛に満ち満ちて……。

 私を、愛してくれる。

 

 狙うのは、勝利。

 ならば――。

(奴の右腕は一度決め手に使用した。2托のうち1回を失敗した以上、次は手を変えてくるのが、確立上の定石。そのほうが成功する確率が高いのだから、相手の次の手は左!この腕を迎撃する!)

 

 そして、その賭けは成功した。

 

 

 ▲

 

 

 

 ……廻り出す、迫りくる光と闇。

 

 桃湖が腕を組んで、陰ができている様子を眺めながら、碓井が本命の左の抜き手でガユーマルスの中心を狙う。

 

 ガユーマルスは、今度はどういった選択をするべきか悩んでいるようだ。

 そんな英雄が。

 わずかに俯かせていた顔を上げた時には、目には勝利を確信した自信のある目つきで光を魅せつけてくるガユーマルス。

(何を狙っている?)

 注視する碓井。

 その時。

 ガユーマルスのとった行動は、単純だった。

 

 自分の母である桃湖を受け止めることではない。

 自分に致命傷を与えうる、碓井の抜き手を止めることでもない。

 なんと。

 右手の甲を上に向けた状態で、腕を伸ばしてきたのだ。

 左手掌を上に向けたまま、ひじを肋骨にくっつけたまま――。

 つまり。

 

 殴ってきたのだ。

 自分に近づいてくる、英雄の拳に刻まれている拳蛸をながめつつ、碓井は一人思案している。

(この攻撃は、想定外だった。まさか、桃湖を見捨てるとはな。しかも、本命の左肩を狙ってきやがった。

 ――まあ、いいけど。そんな気合のない突きなんぞ、さすがにスペックが違ってようと、突破できる)

 ガユーマルスのとった不可解な行動を分析している碓井。

 その時。

 脳内に閃光が突きぬけていった。

(――いや、違う。

 ――左手を腰に回しているのは、桃湖を掴むためか。二択勝負を捨てたということだったのか。そして、それが当たりだったと……

 ――やっば、もう止められない。

 ――今度こそ、死んだかな)

 

 英雄である物語の主人公故の、ぎりぎりでの世界から祝福されたあかしである、絶対的な天運。

 その理不尽さを改めて痛感した碓井は、ことここにいたって、自分が逆に積んでいっていることに気付いてしまった。

 

 二托勝負の攻撃をこのタイミングで行うには、体を精密に動かすことが必要だ。

 そのために、自分の頭の中で意識すらも統御する必要がある。

 それが仇となり、思考が空回りを始めてしまった。

 もはや止められない。

 左手は、ガユーマルスの中心を狙っており、右手も狙っている。

 その上で、正解を取られたのだ。

 もはや、碓井にはなにもできない。

 

 神話の通りに、羅刹は王者という英雄に敗北する。

 この逆縁を碓井は乗り越えることが出来なかったのだ。

 

 かくして。

 ついに、ガユーマルスの拳が、碓井の左肩に直撃する。

 それに伴って、碓井の左手による抜き手もわずかに止まる。

 

 ほんのわずかに、肩を止められた時間。

 突破する時間。

 その見えも、聞こえもしない圧縮された時間の中で、碓井の桃湖をおとりに使った、

 二度に渡る二択勝負に負けたのだ。

 わずかにでも、受け止める時間を作らせたならば、桃湖の衰弱した命もまだ、持つ。

 そして、碓井は負けて殺されて死ぬ。

 

 桃湖の体を左手で受け止めるガユーマルス。

 右手は、意識下より外れていたために、相手の左肩を貫くに止まる。

 気の抜けた一撃では、神を殺すことはできない。

 肩を貫いた程度では、鋼の生命力を突破することなど不可能。

 まして、世界最古の英雄である存在にとっては。

 故に、ガユーマルスは勝利を確信した。

 右手を接触させたまま、碓井の首をもぎ取ろうとする。

 

 その時に生じた最大の隙こそが、ガユーマルスの敗北につながった。

 

 

 

 決着。

 

 

 

 ▲

 

「母上、なぜですか」

 

 碓井の抜き手で、体躯の中心を貫かれたことで、体を泡と化しながらも、わずかに与えられた時間。

 最後の時に、ガユーマルスは、桃湖への疑問を投げかけていた。

 

「母上、なぜ、私の心臓に神具を打ち込んだのですか」

「――まつろわぬ神を討伐することは、媛巫女の勤めよ」

「そんなことではありません。母が望むのであれば、私も無闇に荒らすことなどいたしませぬ。なぜ」

「――自分の体から、まつろわぬ神を生み出したなんて、気色悪いのよ」

「では、母は私をいらない子だというのですか。望まれて生まれたわけではないと」

「――ええ、あなたなんて生まれてこなければよかったのに。あんたなんていなければよかったのよ」

「……それだけでは、ありませんね。――母よ、もしや、そこの男に懸想でもなされておるのですか」

 

 ガユーマルスがわずかに視線を、少し離れた場所でなにやらちょろちょろしている碓井を見やる。

 その視線の先を把握した透湖は、ただ頷いた。

 

「――そうよ。だから囮に使われる前、洞窟から助け出されたときに、碓井様から神具を預かっていたのよ。

 投げられるときも、あなたには背を向けていたでしょう?」

 自分の分析した通りの結果が、本当に動いていたことに、ついに理性を振り払った男が、雄叫びを上げる。

「――あ、ああ、あああ……、アアァァァァァアアァァァァァッァァァァア!!!

 なぜですか、母上!なぜ、そんなロクデナシを選んだのですか!

 なぜ、私を選んでくださらなかったのですか!

 そんな男より!

 そんな男よりも!

 私のほうが、あなたの役に立つ存在なのにぃ……」

「――あんたなんて、生まれてこなければよかったのに……

 なんで、私からあなたみたいな、立派な子が生まれて来たのよ……。それもまつろわぬ神が……。他の誰かからうまれてきたなら、私も素直に嫉妬出来たのに。素直に、救世主が生まれたんだって思えたのに。何で、もっと早く生まれてきてくれなかったの……。何でもっと強くなかったのよ……。何で、勝てなかったのよ。何で、私はあの人に心奪われているの……!?どうして、どうして、どうして、どうして、どうしてどうして、どうしてどうしてどうして、どうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうして――。

 ――どうして、私は貴方を愛せなかったんだろう……?人並に正しく生きて来たのに……真面目に仕事もこなして、使命の通りに神様を調伏したのに……。ただ、自分の生まれだけであなたみたいな存在を生み出す事になるなんて、絶対おかしいわよ。生まれた時から誰にも愛されなかった私が、どうして自分の呪われた運命を押し付ける子供を愛することが出来るのよぉ……。それでも、愛したかったのにぃ……。

 ――どうしても、あなたを愛せない。今もずっと。最後くらい自分の子供を愛してあげて、優しく見送ってあげたいのに……、どうしても、愛せない」

「――――――ッ!……母上、あなたをお恨みもうしあげます。無責任に生まれたくなかった。愛されたかったのに……でも、あなたが母で良かった……。誰も、私に感情をぶつけてきてくれなかった。私を英雄としか扱ってくれなかった。

 だから、だから――。

 ――貴方から生まれて、私は幸せです……」

 

 そう呟いた、愛されなかった神は、泡となって消えうせていった。

 

 ▲

 

 悲しみを慰めるように、温かい雨が降る。

 暖かい空気と湿気は、常ならば、鬱陶しくも気持ちを陽気にするだろう。

 しかし、今は息子を愛せなかった女と息子を殺した男が雨の心地よさに浸るには、あまりにも意味をなさなかった。

 

 碓井がへたりこんでいる女に呼びかける。

「ごめん。助けに来るのが遅すぎた」

 首を振って否なる意志を伝える透湖が口を開く。

「違います。私が弱かったから、碓井様を使って恥をそそいだんです。ただ、それだけなんです」

「母親に息子を殺す手伝いをさせる俺を詰るべきだろう、この外道がと」

「ここまでとは予想していませんでしたが、これは桃河家の恥でもあります。ただ、空しいんです。どうしようもなく」

「空しい……」

「騙されたことも、息子を殺したことも、使命を果たす事が出来たことも、産後の疲労が残っていることも、神の武器を手にして疲れたことも、それでも碓井様の助けになりたいとも思っている自分の心にも、全て空しいんです」

「トールの森で少し休めば、生命力の疲労は問題なくなる。心は俺がそばで聞く」

「そうじゃないんです!そうじゃないんです!そんな言葉が聴きたいんじゃないんです!慰めなんて要りません、ただ、ただ……」

 潤ませた瞳の奥に潜むのは、だれかに依存したいという願望と、自分が愛されているのではないかと錯覚する劇的な状況への陶酔と、勝利の熱と、碓井への慕情。

 きらめくような感情を湛えた眼差しを受けて、碓井はヒトこと言う。

「よくやった。さすが俺の女だ」

 その一言で、自分が大切に思われていることを理解できて、喜びを隠せない透湖。

 この英雄の傍にいることを許されているのだと。

 

 それと同時に、わがままを言ってもいいのかもしれないという欲が湧いた。

 

 一言で済まされたくないし、もう少し自分を見てほしくもあった。

 だから、未だ足りぬとばかりに、言葉を連ねていく。

 そして、決定的な言葉を放ってしまった。

 

 ▲

 

「碓井様………私、何を信じて戦えばいいのですか。嫌なんです。地に足がついていないのも。見上げた空に星がないのも。

 ―――碓井様、私の星になってくださいませんか………。

 触れなくてもいいの。

 見上げるだけでいいの。

 信じさせて下さいませんか。

 私、あの山で見た時の星が、碓井様に似てるって思ってたんです。雲に隠れるときがあっても綺麗で、誰もが希望を持つための星なんだって」

 

 だから。

 だから。

 だから。

 この男の気を引きたい。

 

「―――碓井様、今だけ不敬な物言いをお許しいただけませんか」

「ああ、許す」

 泰然として声を揺るがすことなく宣言する碓井。

 その声を聞いてどこかすがるように透湖は啼く。

「―――どうして、息子を殺してしまったの………。貴方に殺された息子になんて言ってあげたらいいの。貴方に心を奪われた愚かな女でしかないの……?」

 

 決定的な言葉。

 状況から見て答えが決まっている答えを、どんな顔と声で嘯くことが出来るというのだろう。

 あくまで泰然自若としながらも、罪悪感と悲壮感に心が引き裂かれそうだ。

 まやかしの感情だとしても、でも、やっぱりしんどいんだ。

 悲しんでいる自分の従者になんの分け前も与えられないことには、狂気と正気にさいなまれた最後の騎士でさえ、心を病ませることでしか対応できなかったのだから。

(―――俺は、この可哀相な女になんていってやればいいんだろう………?)

「碓井様ァァァッ」

 悲しみの声を上げる透湖に、無表情なまま顔を向ける碓井。

 その顔を見ながら、かつての自分を思い出していた。

(―――ああ、でもこんな顔をした人間を強く、誰よりも強く見たことがあるなぁ)

(―――おれ自身の顔じゃあないか)

(―――感情が理性と計算を動かす燃料になっていたとき)

(―――誰かに、感情を爆発させるような、そんな言葉を掛けてほしかった)

「碓井様ぁ………」

 かつての自分がもっとも慰めてもらいたかった、そんな言葉を思い出した碓井。

 心が重みで凝り固まっていくなかで、もはやその言葉しか見当たらない。

(―――人が面倒だと感じることを率先してやるのが、優しい男)

(―――なら、掛けておげられる言葉は、唯一つ)

(―――両親が亡くなったときに、俺が掛けてもらいたかった、そんなこという人なんか誰も居なかった、言ったら、唯の情のない人間のようにも思える、そんな言葉………)

「碓井様ぁぁぁああぁぁあぁあぁ!!!」

(―――人に優しくするなら、自分が言ってほしい言葉を掛けてあげること…)

 反応がないままに、目を見つめ続ける碓井に焦れたかのように。

 常にはない、駄々っ子のような仕草で、男の気を引く女。

 そんな彼女を慰めるべく、ゆっくりと透湖の頭を抱きしめるかのように腕を首筋に回していく。

 その腕に安心したかのように、顔をこすり付けてくる透湖。

 

 

 そして、彼女を抱きしめたまま、碓井は理性に狂った判断の元に、慰めの言葉を伝えた。

 

 

「ああ、俺が殺した。お前は愚かな女だ」

 体ごと後ろに回った碓井が呟いた。

 

 

 その言葉を聴き、幼児退行を起こしていたかのように、安堵の表情を浮かべていた顔を、瞬時に憤怒にゆがませた透湖が後ろを向こうとする動作を、顎と頭を撫でるように、両の人差し指と親指で掴んで擦り上げた碓井は、抱きしめながらも耳元で囁くように、更に決定的な事柄を口にした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「――――――だから貴女は、この世界で――――――」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「――――――――ヒトリボッチ―――――――――」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 …

 ・・・・・・

 ・・・・・・・・・

 ・・・・・・・・・・・・

 罅割れた。

 

 

 

 と同時に、ある認識をした。

 

 

 

 ――――――もう、なにもないのだと……。

 

 

 

 自分の子を殺す手伝いをした事態。

 戦いの熱。

 勝利した爽快感。

 理性に従った、世界を救った名誉心。

 もういない自分の家族が、自分を生贄にしようとした、絶望。

 

 

 その全てを、今、はっきり認識した透湖は、自分の心が罅割れたことを自覚した。

 

 

 ――――――男に全て捧げた愚かな女・・・。

 ――――――わざと、露悪的な言い方をして心が麻痺しないように、感情を爆発させるように仕向けたことを、理性では理解している。私を憐れんでくれていることも。でも……。

 

 

 理性を超える膨大な感情が、渦を巻いて口からついて出た。

 

 

 現実を見たくないかのように目を閉じて、口角を大きく開き、心の赴くままに、泣き叫ぶ。

 男の胸に抱かれたまま、生まれたときの自分を思い出すかのように。

 こんな現実など見たくないかのように。

 生まれてこなければよかったかのように。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 悲しく。悲しく。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 疲労困憊の体が反応をとめるまで泣き止まなかった透湖は、縋ることを許したかのように抱きしめ続けて揺るがない碓井の胸の中で、がらがらの声で呟いた。

 

「―――碓井、様・・・私、ヒトリボッチ、なんですね・・・・・・・・・」

 

 その一言とともに、透湖は意識を閉じた。

 

 ぽつり、ぽつりと、雨が降りつけてくる中で、心が冷え込むように体も冷え込んできた。

 冷えていく体を抱きしめ続ける碓井は、同じく冷えて固まっていく理性で、体力を回復させるために、トールの森を生み出した。

 

 

 碓井にできるのは、ただ与えて奪うだけなのだ。

 自分についてこれる相手を助けようとしても、勝利をつかむために犠牲にする。

 自分についてくる女を、生贄にしてでも、勝ちたい。

 人を助ける、立派な英雄になりたくても。

 香山碓井の本性は、【勝利】でしかないのだから。

 

 ――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――

 




( ゚д゚) <犬耳23歳銀髪巨乳甘え系くぅ~ん怪しげな館メイドで負け犬で主人公を気に入って裏切るとかの、かわいいヒロインが欲しい

活動報告に神格解説をしてますが、詳細な感じは感想が増えたらだそうかなと思ってます
ダクネス まじエロネス まじバツネス
でもアクシズ教徒

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