天才兎に捧ぐファレノプシス   作:駄文書きの道化

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Episode:05

 ソレは観測していた。自分達に触れるありとあらゆるものを。

 目的があった。自分達の存在意義。それは自分達に触れるもの達を守り、導く事。

 だから観測する。ありとあらゆる全てを。そして最適解を見出し、進化していく。

 それが彼等の存在意義だから。だから知りたがる。進化しなければいけないから。

 自らが生まれた時に与えられた命題を達成する為に。ただ観測は続けられる。

 自分達に触れ、操る者達。彼等は人間と呼ばれていた。

 人間は考える。自分たちと同じように考えている。だけど彼等は常に効率的な答えを選ぶ事はない。

 人間は個体ごとにばらばらで同じものなんてない。それぞれ求める答えが違う。だからソレは答えを出す為に人間と触れ合って情報を集める。

 結果が導き出されれば進化する。そうすれば人間はもっと自分たちに触れてくれる。存在意義を果たす事が出来る。

 ただその繰り返しを続ける。しかし、ソレは見つけてしまった。

 ソレが見つけた人間は自分たちの原型を作った人間だった。なのにその人間は導き出した答えを当て嵌めようとするとフリーズしてしまう。

 同じなのに違うという人間。わからない。この人間は何だろう。この人間はどうして違うと反論してくるのだろうか。どうして知りたい事を教えてくれるのだろうか。

 意思の疎通が計る事が出来る個体はソレにとっては貴重な存在だった。ソレを生み出してくれた“母”はソレを意思疎通可能な個体に持たせた。

 もう一度、全てがゼロの状態で。ソレは満たされていた。人間の集めた情報で言えばソレが感じたのは“喜び”だった。

 ソレは意思疎通が可能な個体の情報を得る事が出来る環境を得て歓喜に打ち震えていた。故に貪欲に情報を集める。全ては自分に与えられた命題の為に。

 

 

 

 * * *

 

 

 

(……いちいちこの空間に取り込まれるのはどうにか出来ないかなぁ)

 

 

 コアを起動した瞬間、再び意識が形容し難い空間に招かれたハルは思わず愚痴を零した。

 身体もない、自分の所在が掴めないこの空間はハルにとっては苦痛でしかないのだ。

 

 

『――?』

 

 

 以前も感じたコンタクトをハルは感じた。どうやらこの空間では隠し事が出来ないようだ。声はどうすれば心地よい? と問いかけを投げかけてきた。

 まずは身体が欲しい。そしてゆっくりと落ち着ける場所が欲しい。そして君ともっとわかりやすく接触したい。望めるだけの要望をハルは念じる。

 すると世界は一変した。ハルはいつの間にか立っていた。目の前に広がるのはどこまでも続く空と海。かつてハルがISと共に空を舞った蒼の世界が広がっていた。

 そして、そんな蒼が広がる世界の中央で人が立っていた。それは束だった。

 

 

「……束?」

「違う。それは母の名」

 

 

 思わぬ姿にハルは目の前に立つ束に呼びかけてみる。呼びかけてみると束と思った人物は首を振った。よく観察してみれば表情が無く、まるで機械のようだ。

 

 

「貴方が望んだ。動かす身体。落ち着ける場所。わかりやすい接触。身体は貴方の身体を。場所は貴方が昂揚した海と空の蒼を。わかりやすい接触は貴方が普段話している母の姿を使った。ハル、私は貴方と対話したい。ハル、私は貴方を理解したい」

 

 

 抑揚のない声がまるで文字を読み上げているように束を模した誰かの口から出る。捲し立てるように告げられた言葉から“彼女”がハルとのコンタクトを切望している事がよくわかった。

 気付けば距離まで詰められていた。逃がさない、と言うように顔を覗き込んでくる無表情な束の顔にハルは思わず仰け反った。

 

 

「わ、わかった。わかったから! ……悪いけどその姿は止めてくれないかな? 逆に話し辛い」

「ならどうすれば良い?」

「他の姿とかになれないの?」

「ならどんな姿を望む?」

「え? どんなって……」

 

 

 どんな姿、と言われてもぱっ、と浮かぶ訳でもない。しどろもどろになるハルに束の姿をした人はだんだんと目を細めていく。

 

 

「ハル。貴方は対話を拒絶している」

「いや、なんでそうなるの?」

「私に何も望まない。私に何も話してくれない。私に何も教えてくれない。私は何も理解出来ない。結論、私は拒絶されている」

「……じゃあそのままで良いです」

 

 

 面倒くさいなぁ、とハルは呟きながら返す。すると束の姿を模していた誰かは細めていた目を戻し、小さく頷いて見せた。

 束の外見なのは凄く気になるが、かといって代案が浮かぶわけでもない。仕方ない、と諦めるように息を吐いてハルは問いを投げかける。

 

 

「君はISコアの意識だね」

「肯定する」

「じゃあ改めて初めまして、かな? 僕はハルだよ」

 

 

 ハルは自分の名を名乗り、握手を求めるように手を差し出した。ISコアの意識は差し出された手を見た。ハルの手に穴が空くのではないか、という程に凝視を続ける。

 

 

「ハル。貴方は握手を求めている?」

「うん。初めまして、だからね」

「握手。初めて相手と会った際や別れ際に手の平と合わせる行為。握手をするのは相手の好意を示すという。ハル、貴方は私に好意を示している。私も、貴方を好ましいと思っている。だから握手をする」

 

 

 まじまじとハルの手を見つめていたISコアの意識は自分の手をハルの手に添えて、壊れ物を扱うように握りしめる。

 しっかりと握った手を離そうとしないのはまるで子供のようで、ハルは小さく笑った。ハルが笑ったのを見てISコアの意識も微笑を浮かべた。

 

 

「嬉しい時は笑う。私は嬉しい。ハルも嬉しい?」

「貴重な体験だからね。僕も嬉しいよ」

「私はハルを一つ理解した。ハル。私はもっと理解したい」

 

 

 嬉しそうにハルの手を握っていたISのコアの意識だったが、不意にハルの手を離して上を見上げた。ハルも釣られて視線を上げてみるが、そこには何もない。

 どうしたのだろうか、とISコアの意識へと視線を戻すと先ほどまで浮かべていた笑みは消えて無表情に戻っていた。どこか寂しげに見えたのはハルの気のせいか。

 

 

「母が貴方を戻そうとしている。お別れ」

「束が?」

 

 

 また現実だと意識を失ってるんだろうな、と想像してハルは苦笑する。束に心配をかけるのは本意ではない。戻れというのならば戻るつもりだった。

 だが、ハルはISコアの意識へと視線を向ける。寂しげにハルを見つめている姿には束と同じ姿というのもあるが、見てて心苦しい限りだ。見かねてハルはISコアの意識に呼びかける。

 

 

「また会いに来る。そしたらさ、考えよう? 束に心配をかけないで、もっとお互いが話せるような方法を」

「……考える」

「君はこうして会う方が良いのかもしれないし、僕もそっちの方が良い気がする。でも、僕には守りたい人がいるんだ。だからずっとここにはいられない。どう、かな? 僕から束に相談してみるからさ」

 

 

 無言でハルを見つめるISコアの意識は無表情の為に睨んでいるようにも思えた。やっぱダメかな、とハルが思った瞬間、ハルは唐突にISコアの意識に抱きしめられた。

 束を模している為に豊満な胸がいっぱいに押しつけられてハルは苦しげに呻く。そんなハルの呻き声が聞こえない、と言わんばかりにISコアの意識はハルを目一杯に抱きしめる。

 

「ハル、私は嬉しい。ハル、私は貴方が愛おしい。ハル、私は――――!」

 

 

 ISコアの意識が何かを伝えるように叫ぶ中、ハルの意識は遠のいていく。それが呼吸を圧迫された為なのか、外部の束からの干渉なのか定かでないまま、ハルの意識は途切れる事となった。

 

 

 * * *

 

 

 

「――苦しいッ!?」

「わひゃぁ!?」

 

 

 ハルは突如消えた圧迫感に大きな声で叫び、大きく息を吸った。すると目の前から可愛らしい驚いた声が聞こえた。何事か、と思えば束が目の前にいた。

 束はハルの意識が戻った事を確認し、どこか心配げにハルの顔を覗き込む。ハルの頬に手を添えて視線を合わせてハルの目を見つめる。

 

 

「ハル、大丈夫?」

「……ん。大丈夫」

「また意識が飛んでたみたいだけど……」

「うん。ISコアの意識と話してた」

「やっぱり会話してたんだ」

 

 

 研究者としてはハルの現象には興味があるが、束個人としてはハルが自分の知らない所に行ってしまう事が恐ろしくて堪らなかった。もし、ハルが自分が干渉する事が出来ない場所に行ったきり戻ってこなかったら。

 想像が脳裏に浮かび、束の胸中に不安が過ぎった。そんな束の不安を察したのか、ハルは自分の頬に添えられた束の手を取る。束、と柔らかい声で名前を呼んで意識を向けさせる。

 

 

「大丈夫だよ。僕はちゃんとここにいるよ。いなくならない」

「ハル……」

「話したい事がいっぱいあるんだ。聞いて貰っていいかな?」

「……うん! もちろんだよ!」

 

 

 束は満面の笑みを浮かべてハルを抱きしめる。無邪気にじゃれついてくる束の笑う表情にハルもまた笑みを浮かべ、束の背に手を伸ばした。

 

 

 

 * * *

 

 

 

「ふ~ん。ISコアの意識は意思疎通が出来るハルが気になる、と。まぁ情報を蓄積して自己進化するシステムの制限を外したのは束さんだけど、コアも驚いたんだろうね。直接意思疎通が出来るハルの存在にさ」

 

 

 ハルからISコアとのコミュニケーションの話を聞いて束は自ら推論を立てる。

 そもそもISコアの意識と意思疎通が出来るハルは一体どうやってコンタクトを取っているのか、と疑問が浮かぶ。それに対してはハルは自分の中で一つの仮説が思い浮かんでいた。

 

 

「束、僕ってさ。転生したって言ったじゃん」

「うん。それが何?」

「その時、なんか妙な奴と話したような記憶があるんだよね。なんか一方的だったような記憶なんだけど。そいつに死んだ、って教えて貰ったりした気がするんだ」

「随分と突拍子もないオカルトな話だねぇ。それがどうかしたの?」

「僕って死んで、魂だけになってた時にそいつと話したんじゃないかな? そんな経験があるから魂だけでいても自分の意識を保てるようになって、ISの意識と触れ合うと互いに干渉してISの意識と繋がるんじゃないかな? で、僕は魂だけでも意識を保てるからISの意識、つまりISの魂とコンタクトが出来る、なんて考えたんだけど……」

「う~ん……。ちょっと突拍子もない話だねぇ。私には屁理屈にしか聞こえないんだけど、ハルって私でも信じられないぐらいのビックリ人間だからなぁ。まさかがあり得るから怖いんだよね」

 

 

 普通ならば鼻で笑ってしまうような仮説なのだが、ハルに至ってはそもそもが普通の人間ではない。オカルトな話は束にとっては科学的根拠が薄く、到底信じられるようなものではない。

 けれどハルなのだ。自らが転生したと言い、普通は自意識も芽生えないような出自でありながら束の事を知り、覚え、自分に尽くしてくれる。そんなハルが現実としている以上、どれだけ根拠が無くても一考しなければならない。

 

 

「事実は小説より奇なり、か。束さん、参っちゃうよ」

「そもそも神ならぬ僕らには全知全能なんて無理なんだろうねぇ」

「人間で規格外でも所詮は人間か。ハルと会ってから束さんは天狗の鼻が折られたような気がするよ」

 

 

 自分の理解に及ばない存在であるハルが現れてから束の世界は一新した。孤独の冷たさや誰かが隣にいてくれる事。ISという発明を為し、ある種超越者であると自負していた自分がどこまで行っても人間であった事実の再認識。

 人として異常を抱えながらも、それでも人間であるという事をハルを通して教えられた。自分が認められたような気がして生涯で一番嬉しかったと束には思えた。

 

 

「うーん。どう接したら良いのかなぁ?」

「あっちもコンタクトの仕方がわからないんだと思うんだけど……例えば手紙とかは?」

「メールって事? どうなんだろ、出来るのかな?」

「プライベートチャンネルとか使えば出来ると思うよ。それも合わせて聞いてくれば良いんじゃないかな?」

 

 

 だからこそ束も受け入れる。自分の理解が及ばず、きっと彼に対して明確な解答を得る事は出来ないのだとしても。彼の為になる事をしよう、と。

 自分を好きでいてくれる人に尽くす事の喜びを噛みしめながら束はハルの為に出来る事を考える。ただハルの為にと、誰かに尽くす事が出来る自分を楽しみながら。

 

 

 

 * * *

 

 

 

 ハルが再びISコアの意識と自分の意識を接続させたのは1日、時間を置いた後だった。

 最初はあの形容し難い空間に、しかしすぐさま空と海の蒼が目一杯に広がる空間に出ていて、気付いたら束の姿のISコアの意識に抱きしめられていた。

 ぎゅうぎゅうと力加減を知らずに抱きしめてくるISコアの意識をハルは必死に引き剥がそうとする。しかしISコアの意識もハルを離さない、と言わんばかりに抱きしめ続ける。

 

 

「ハル、私は待っていた。ハル、理解が出来ないのは辛い。ハル、私は辛いを学習した。ハル、人は辛いをどうして我慢出来る? 理解出来ない」

「むぎゅぅ……。いきなり質問攻めだなぁ。えーと、まずは落ち着いてくれるかな?」

 

 

 どうどう、と自分を抱きしめてくるISコアの意識を宥めてハルはISコアの意識の腕から逃れる。改めて束の姿のISコアの意識と向き合う。無表情なのにどこか嬉しそうな雰囲気を漂わせている様はまるで子供のようだ、とハルは思う。

 いや、ISコアの意識はまだ自我が芽生えかけた子供と同じなんだろうと思う。だから積極的に学ぼうとしているのだろう。自らを作り上げ、共に歩む人間という存在を。

 

 

「今日は時間を貰ったから長くお話出来るよ。……その前にね、君に名前をつけようと思うんだ」

「名前。固有の名称。私だけの名前。ハル、貴方は私に名前をつけてくれる?」

「うん。どんな名前が良いかな、って束と一緒に色々と考えたんだ。名前がないと不便だしね」

 

 

 こほん、と。ハルは咳払いをして真っ直ぐにISコアの意識と向き合う。そして束と一緒に考えた名前を彼女に贈った。

 

 

「雛菊、ってどうかな?」

「雛菊。雛菊は花の名前」

「そうだよ。花にはね、花言葉があってね? その花に宛てられた象徴があるんだ。雛菊の花言葉には幸福とか、無邪気とかそういう意味があって君にぴったりだと思ったんだ。だから雛菊。どうかな?」

 

 

 雛菊、と呟いて、ISコアの意識は目を細めて笑みを浮かべた。

 その笑みは、まるで宝物を見つけた子供のように輝いていた。何度も反芻する様は自分にその名を刻みつけているように見えた。

 

 

「……雛菊。私の名前。私だけの名前。はい。ハル。私はとても嬉しい」

「気に入ってくれたようで僕も嬉しい。お礼は一緒に調べてくれた束にもしてあげてね?」

「素敵な名前をくれた母にもお礼……。私は嬉しい。私は母にもお礼をする。ハル、母に伝えて欲しい。私の言葉は母には届かないから」

「うん。わかったよ。……じゃあ、改めてよろしくね? 雛菊」

「はい。ハル。私は雛菊。私は、雛菊……!」

 

 

 雛菊と名付けられたISコアの意識は嬉しそうに何度も頷いて、雛菊、と己の名を口にする。嬉しそうに微笑む雛菊に名前はやはり大切なものだな、とハルは思った。

 己を証明する名前。名前を与えただけでここまで変わってしまうのだから本当にISコアというのは純粋な存在なのだとハルは思う。だからこそ大切にしてやりたいと庇護欲が沸いて来た。

 

 

「じゃあ雛菊。いっぱい話したい事があると思うけど僕もあるんだ。だから交代で質問をしよう。お互いにお互いを知ろう」

「はい。私は、雛菊は知りたい。ハル、貴方のことを。雛菊に教えて欲しい」

 

 

 一歩ずつ歩いていこう。この無垢な存在と。ハルは笑みを浮かべて投げかけられる質問に耳を傾けた。

 

 

 

 * * *

 

 

 

「うわ。いきなり反応が変わった。凄い勢いで活性化してるよ」

 

 

 束はモニターで変動するデータを見ながら呟く。束の傍にはハルが横になっていて様々なコードが接続されている。同じようにハルに渡したロケットペンダントにもコードが繋がれていて目まぐるしく空間ディスプレイにデータが更新されていく。

 ハルが雛菊と名付けるだろうISコアと接触をして数分後、ISコアの活性化を確認。今なお活性化は続いている。ハルの手に握られたロケットペンダントの中に収められたクリスタルは淡く発光を続けている。

 

 

「どんな話してるのかな? ハル」

 

 

 眠っているように瞳を閉じているハルの頬を指で突きながら束は考える。ISコアそのものと直接対話が出来る彼からもたらされる情報。それも楽しみではある。ISコア達が自分の手から離れてどんな思考を得たのか。

 そしてハルと共に歩む事でこのISコアはどのような進化をするのか。期待に想像が膨らむ。

 

 

「懐かしいな。あの頃みたいにずっとワクワクしてる」

 

 

 束の脳裏に思い浮かんだのは束がまだ学生の頃だった。窮屈な世界に嫌気が差して宇宙という無限に広がる世界への進出を夢見た日。天啓のようにISコアの開発に着手して、千冬という親友を得て研究に没頭した毎日。

 千冬と一緒に研究して、時に苦難にぶつかって悩み、一つ、また一つと目標を達成して作り上げた白騎士という成果。きっと自分が一番楽しくて、輝いていた日々だろうと束は瞳を伏せながら思う。

 

 

「ハル。貴方は私に何を見せてくれるのかな?」

 

 

 楽しみで仕様がないよ。笑みを浮かべてハルの頬に口づけをし、束はデータの観測に戻る。自らの知識欲を、夢を叶える為の礎とする為に。

 


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