―――事変解決後より二ヶ月後……
~王都グランセル グランセル城 謁見の間~
王室親衛隊中隊長ユリア・シュバルツ大尉がグランセル城を訪れる前……謁見の間にいたのは、アリシア女王と……ユリアの義弟であり、実際にはリベール王家の“次期王太子”と言われても不思議ではない人物。王室親衛隊大隊長シオン・シュバルツ准佐もといシュトレオン・フォン・アウスレーゼの姿であった。
シュトレオンもといシオンがこの場所にいたのは、ある重要な話を女王にするためでもあった……
「なるほど……確かに、彼女ほどの人物ならば、立派に務めあげることでしょう。……シュトレオン、貴方はそれでいいのですか?」
「良いも何も……どの道このまま隠しきれるとは限らないから……それは、お祖母様とてご存知の事だ。今のエレボニア帝国の皇帝はともかく、政府代表のギリアス・オズボーン宰相……そして、彼の肝煎りというべき帝国軍情報局や鉄道憲兵隊。彼らを前に隠しきるよりは、こちらから打って出る。アスベルらも同様の意見だったからな……ま、公表するタイミングは既に決めているが。」
いつまでも『シオン・シュバルツ』として隠せる保証などない。隠したまま…また危険な目に遭うよりは、こちらから打って出る形で公表する。言い訳などはどうにでもなるし、幸いにも国内にいる“スパイ”は全員居場所を掴んでいる。クローディアや自分を狙うようならば、その覚悟は彼等にあるのか……『撃つということは、撃たれる覚悟があるのか?』……ということを帝国に突き付けることも出来る。無言の圧力……それを体現するための『切り札』を切るということだ。
「それもあるけれど、ユリ姉……ユリア大尉の性格はよく知っているからな。ま、弟として世話になっているお礼みたいものになるけど。」
それはともかくとして、あの謙虚な義姉の上にいては、彼女も色々萎縮しかねないし、いつまで経ってもその立場に甘んじる可能性があった……そこでシオンが提案したのは……今回の事変解決の功績を称える形での昇進と……ユリア・シュバルツを王室親衛隊大隊長に昇格させることへの提案であった。
シオンは一時的な措置としてクローディア王太女の“近衛騎士”という地位を新設し、暫くはシオンがその地位に就くこととする。武術的にも王室親衛隊大隊長を務めた実績からして問題は無く、クローディア王太女の全幅の信頼を持ちうるシオンに対しては誰も反対しようがない……女王もその提案に賛成した。
「解りました……ユリア大尉には、シュトレオンからの提案だということは伏せておきましょう……身内とはいえ、これが礼儀ですが……シオン・シュバルツ准佐。本日を以て王室親衛隊大隊長を解任いたしますが、後任が正式決定するまでその任を続けるようお願いいたします。以後はクローディア王太女の近衛騎士として一層の精進を果たしてください。そして、クローディアの護衛ならびに王都への攻撃を防いだ功績を称え、中佐への二階級昇進といたします。」
「その任と階級、しかとお引き受けいたします。以後はこれまで以上に精進し、迫りくる脅威を討ち払う刃とならんことをここにお誓いいたします。」
「………ふふ、昔はやんちゃだったシュトレオンも随分と丸くなったものですね。」
「何時の話だよ、お祖母様……」
王家の……クローディアの近衛騎士となり、事変時の功績から中佐となったシオンに女王は柔らかい笑みを浮かべた。彼女の言葉はある意味事実であるが、いつまでもそう言う感じではいられないということはシオン自身も解っていたことだ……ある意味自分の姉と、自分を好いている彼女の存在による『被害』を被り続けた結果とも言えなくはないのだが……
一通り話を終えた後、シオンは謁見の間を後にして、自分に宛がわれた執務室に向かった。すると、そこにいたのはかつて“鬼の大隊長”とも呼ばれ、今はシオンの身内とも言うべき人間の教育係的存在とも言える執事―――フィリップ・ルナールの姿であった。彼はシオンの姿を見つけると畏まって挨拶をした。
「これは殿下、ご無沙汰しております。」
「……フィリップさん。その、立場的には同じ大隊長だったわけですし、人生的には貴方の方が上ですし、レイピアの方も貴方に色々手解きしていただきましたし……」
「ですが……」
フィリップの生真面目さ……王家に対する忠誠心は見事なものである……だが、その堅苦しさは、今は必要ないということでシオンは滅多に使わない“王家の人間”としての命令を下す。
「じゃあ、王子として……せめて名前ぐらいは読んでほしい。ただし、今はシュトレオン・フォン・アウスレーゼではなくシオン・シュバルツということ。その代り、普通にしゃべらせてもらう……それでいいか?」
「……解りました、シオン殿。」
「……それが落としどころか。何と言うか、その忠誠心は驚嘆の一言に尽きるよ。」
フィリップの呼び名を聞いてシオンは笑みを零しつつ、備え付けてあったお湯を注ぎ、紅茶を淹れる。それをフィリップに差出し、ソファーに座るよう促した。
「どうかな、味の方は?流石に本職の人間には劣るだろうけど。」
「滅相もありません。淹れ方一つとっても、文句のつけようがありません……そういえば、先程大隊長『だった』という言葉を聞きましたが……」
本職であるフィリップも思わず見とれてしまうほどの手際の良さ……本来ならば自分の仕事であるはずのその作業なのだが、彼のその作業には思わず言葉を無くしてしまうほどの芸術性を感じるほどであったらしい。そう褒めつつも、フィリップは先程シオンの口から聞かれた言葉について尋ねると、シオンは笑みを浮かべつつ答えた。
「まぁ、正式発表があるまでは黙っていてくれるとありがたいが……大隊長の任を降り、クローディアの近衛騎士となった。後任にはユリ姉を推薦している。」
「ユリア大尉ですか……確かに、彼女ほどの人間ならば立派に務めあげることでしょう……どうかされましたか?」
かつて“鬼の大隊長”と言われた人間の目から見ても、ユリアの実力は問題ないという言葉に、シオンは彼女が慌てふためく様子が脳裏に過ぎり、笑いがこぼれ……それを不思議に思ったフィリップが尋ねた。
「いや、失敬……あの姉の事だから、『自分はその立場になって日が浅いので……』とか言いそうなんだよ。」
「ふむ……そう言われれば、そうかもしれませんな。」
「ところで、フィリップさんは何でここに?公爵閣下に付き添ってなくていいのか?」
「実はですね……」
フィリップが言うには、デュナンから『たまには息抜きをしておけ。この程度の仕事であれば私一人でも問題ない』と言われ、暇を与えられたのだ。確かにデュナンの能力ならば一人でも問題ない内容ではあった……困ったフィリップは、城にいるシュトレオンもといシオンを頼ることにしたのだ。これにはシオンも驚きであった。今までフィリップをパシリ同然に使っていたデュナンとは思えない言動と配慮に、フィリップはその原因を述べた。
「どうやら、エステル殿に『迷惑をかけるのは止めなさい』ということをきつく言われたようでして……それからは、私だけでなく他の方々にも何かと配慮されるようになったのです。クローディア殿下に対しても、何かと至らぬ点をフォローするようになっておりました……」
「ハハハ………(やっぱ、何か持ってるな……あの一家は)」
フィリップの説明に引き攣った笑みを浮かべるシオン………エステルといい、カシウスといい……ブライト家の影響力は半端ないということを改めて実感する羽目になった。
「とはいえ、クローゼはエルベ離宮のほうに行っているし…政務も一通り片付いている…フィリップさん、久々に手合わせ願えますか?」
「これはこれは……今や“紅氷の隼”とも謳われる神技……このフィリップ・ルナール、僭越ながらもシオン殿のお相手をいたしましょう。」
そう言ってシオンとフィリップが空中庭園へと向かっている頃、ユリアは謁見の間に入り、女王に対して今回の事変の顛末を全て報告し、女王はその報告を一言一句たりとも聞き逃さないという姿勢で聞き入っていた。
「―――以上が、今回の『百日事変』に関する詳細な報告となります。」
「ユリア大尉、良くやってくれました。あれほどの状況に屈することなく終止符を打ち、この国に再び光を齎してくれたこと、心より感謝します。」
その報告を聞き終え、女王はユリアを労うが、その言葉は身に余るとでも言いたげにユリアは言葉を返した。
「陛下……そのような勿体なきお言葉……」
「いえ、全ての民を代表して礼を言わせていただきます……『事変』後の王国各地の事後処理にも飛び回っていただきました。現在も親衛隊を束ねる者として非常に多忙だとは聞いていますが、一先(ひとま)ず労を労(ねぎら)わせてください。本当にご苦労様でしたね。」
「はっ……ありがとうございます!」
だが、王室親衛隊という職務につきながらも国内の安定に尽力したことに対する率直な評価を素直に受け止め、ユリアは女王に礼の言葉を述べた。
「大尉の功労に対する褒章などは、後ほど正式に贈られることと思います。ふふ、モルガン将軍も昇進は堅いと仰っていましたし、私(わたくし)も楽しみにしていますよ。」
「い、いえ陛下。そのような……此度の事件解決は、多くの人々の尽力によるものです。自分の成したことなど、ほんの些細なものに過ぎません。ですから、褒章や昇進をお受けするわけには……」
今回の功績でいえば、遊撃士であるエステルらや、帝国との交渉役を引き受けたクローディアやシオン、他にも多くの人々によるものであり、自分のしたことなど『アルセイユ』を指揮し、飛び回った程度なのだと……一個人で成したものではないため、身に余るというユリアの言葉であったが、
「……ユリア大尉。貴女の言う通り、『事変』を止めることが出来たのは多くの人々の力によるものでしょう。何かと戦った者、大切なものを守った者、そしてあの困難に耐え抜いた人々も……皆が皆、『事変』の終息に貢献していたのです。しかし、『アルセイユ』という翼がなければ事件が解決を見なかったのも明らかです。そして、その翼を率いていたのは……他でもないユリア大尉、貴女なのですよ。」
女王の言葉も尤もである……あの状況下で冷静に状況を判断し、適切な対応を行えるだけの強靭な精神力。普通の人間ならば精神的にまいってしまう可能性が高い状態にありながらも、任務を遂行したユリアは率直に評価されるべきなのであると……だが、それでもユリアにしてみれば戸惑っていた。
「し、しかし、褒章はまだしも昇進はお受けできません。自分は大尉となって浅い身ですし、これ以上の大任は……」
「ふふ、そんなに謙遜しないでください。あなたは自分が思っているより、多くの事を成してきたのですから………そうですね……ユリア大尉、本日は貴女の休暇にしたいと思うのですが、どうでしょう。」
これでは完全に鼬ごっこである……そう感じた女王が出した提案にユリアは目を丸くする。
「は………?休暇……でしょうか?」
「ええ、堅苦しい話よりも……今は私個人の感謝の気持ちを示したいと思います。聞けば、大尉は毎日のように軍司令部とグランセル城を往復なさっているそうですね。親衛隊の者たちからも『大尉を休ませてほしい』という話を伺っております。」
「も、申し訳ありません。そのような話を陛下の耳に入れることになってしまい……(ルクスかリオンだな………あの二人、顔を合わせるたびに『大尉、少しはお休みください!』などと……)」
女王の言葉に対して申し訳なさそうに謝りつつ、心当たりともいえる『アルセイユ』のクルーの面々を思い出し、彼等が女王に対して働きかけたのではないかと推測した。だが、ユリアはここで一つの可能性を捨てていた。彼等よりも女王に身近で、ユリアにとっても身近な人間の存在を。
「ユリア大尉。今日一日は手を休め、十全に休息をとってください。そして、また明日からは親衛隊“全体”を束ねる者として、新たな気持ちで職務に励んでほしいと思います。」
だが、その労いを反故にするわけにはいかない……女王の言葉を聞き終え、襟を正すような感じで背筋を張り、女王に敬礼しつつその提案を受けることとした。だが、その言葉に妙な引っ掛かりを覚え、ユリアは尋ねた。
「は、はい………了解しました。王室親衛隊中隊長ユリア・シュバルツ。本日はお休みとさせていただきます。(今、何か引っかかる言葉を聞いた気がするのだが……)それと、陛下……先程親衛隊全体と仰られましたが……それは一体……」
「ふふ……褒章や昇進とは別になりますが……明日付を以て、ユリア・シュバルツ大尉にはシオン・シュバルツ“中佐”の後任―――王室親衛隊大隊長の任に就いていただきます。」
「………………えっ」
女王の言葉―――弟とも言える人物の昇進と、弟が務めているはずの地位―――『王室親衛隊大隊長』の後任に自分が入る……そのことを聞いたユリアの表情が完全に固まったのは言うまでもない。
謁見の間を出て、階段を降りながらもユリアは先程言われたことを考え込んでいた。
(昇進か……本来ならば、喜ぶべきところなのだろうな……それはともかく、まさかシオン自らが私を後任に推していたとは……)
王室親衛隊の中隊長には既に後任となるカリン・アストレイ・ブライトが決まっていたが、自分の処遇は全く分からなかった。そこにシオンが大隊長の任を降り、自分がその任に就くことには衝撃と言わんばかりであった。自分の弟のような存在から評価されることは決して悪くはない。むしろ嬉しかった……そして、弟自ら自分の妹のような存在である“彼女”を守る存在となることにも異論はなかった。だが……ユリアの心中は複雑であった。
すると、ユリアの姿を見た親衛隊士が声をかける。
「大尉、お疲れ様です!」
「お疲れ様です!今日は休暇となったそうですね。」
労いの言葉をかける隊士がユリアの事情を知っていることに疑問を感じ、尋ねると……
「……あ、ああ………お前たち、随分と耳が早いな。」
「いえ、それほどでも。」
「リオンさんがレイストン要塞から通信で言いふらしていましたからね。何でも、エコーさんが陛下に直訴したそうですよ。あとは、シオン准佐や王太女殿下にも相談していたようですし。」
「じ、直訴………!?(エコーのやつ……そういえば、あいつも何か言いたそうな顔をしていたが……全く、三人とも揃いも揃って……!)」
そこから聞いたとんでもない事実にユリアは本気で頭を抱えたくなった。まさか、女王に直接相談する事態にまでなっていたことには完全な落ち度というべきであった。いや、この場合はユリアの生真面目さが却ってこの事態を生み出したと言っても過言ではない。尤も、そこまでの考えに行きつくほどユリアの思考が柔らかいわけではないので、その事に気付くかどうかは彼女次第なのであるが……ユリアは切り替えてクローディアの事を尋ねた。
「ところで……殿下はもうお出かけになってしまったのか?」
「ええ。殿下でしたら……」
「クローディアならば先程発ったところだぞ。」
その問いかけに隊士が答えようとした時に聞こえた声……ユリアがその方を向くと、ユリアが先ほど降りて来た階段から歩いてくる人物―――デュナンが姿を見せた。
「今日はエルベ離宮の視察の予定だ。何だ、聞いておらんかったのか?」
「デュナン侯爵閣下。い、いえ……できれば自分も、視察にご一緒させていただこうと思ったもので。」
デュナンの問いかけにユリアは申し訳なさそうに答えつつも、その理由を述べるとデュナンは思い出すように言った。
「ふむ……護衛の任か。そう言えば、そなたは昔からよくクローディアの護衛を買って出ておった気がするな。もう一階級という身分でもなかろうに。」
「は、はい……」
デュナンの言葉にただ返事を返すことしかできず……心配そうな表情を見たのか、デュナンはユリアに言葉をかけた。
「……まあ、親衛隊の者が何名か付いておるのだ。心配はなかろう。そう気を揉むでないぞ。」
「はっ………ありがとうございます、閣下。」
「うむ、それでは政務があるので失礼する。」
安心させるような言葉を聞かされ、ユリアはその礼を素直に述べ、それを聞いたデュナンは政務があると言ってその場を去っていった。その光景を見た隊士がデュナンの変貌ぶりを見て感心するように話し始めた。ユリアはそれを諌めると、後の事を任せてグランセル城を後にした。
ある意味中途半端な切り方ですが……この後に投稿する予定の『ユリアの扉』との前後二部構成となります。