眉間にしわを寄せ黙りこくる兄を見ながらドズル・ザビ国防大臣は落ち着かない気持ちで、兄ギレン・ザビ首相の表情の原因である手元の端末へと視線を落とした。そこに大きく映し出されているのは87年度中期防衛計画の文字である。
「ドズル、今の軍事予算が我が国の国家予算の何%を占めているか言ってみろ」
ギレン首相の言葉にドズルは若干目を泳がせながら、なんとか口を動かした。
「あー、確か、1割、…だったか?」
ドズルの回答に不満だったのか、ギレン首相は溜息を吐きながら口を開く。
「20%だ。お前の持って来た中期計画を読んだが、更に増額を求めているな?今年度の我が国の予算から考えれば、この数字は実に25%相当になる。国家予算の四分の一を軍事費につぎ込めとお前は言うのか?」
確かに国家予算の25%という数字は非常に大きい割合だ、それが平時であれば尚更である。旧世紀の大国でも15%程であった事からも、軍が要求している額が大きいことは明らかだ。だがドズルとしても言い分はある。木星航路の安定化を目的としたアステロイドベルトの開拓が順調に進んだことにより、ジオンの勢力圏が大幅に拡大したためだ。
「そうは言うが兄貴、申請額は戦前の半額だぞ。そりゃあ予算の割合でそうなるのは解るが…」
苦々しい思いでそう返せば、ギレン首相は平然と答えた。
「戦時と平時だ比較にならん。第一あの時は開戦を前提とした予算配分だったのだ、アレを当たり前と思って貰っては困る」
「承知しているさ。だから戦後の軍縮にも協力しただろう?だが防衛圏の拡大に対応するためにはどうしても手が要るし、何よりその金額は軍人への各種年金を含んだ数字だろう?実際軍の手元に来るのは更に減るんだぞ?」
その様子に苛立ちを感じながらもドズルはそれを抑えてなお言いつのる。だがそれに対する返事は冷淡なものだった。
「だから人員の拡大については前回の議会で承認しただろう?」
「人が居ても装備が無ければ意味がないだろう!」
「おかしなことを言うな。軍縮の際にモスボールした装備には余裕があるはずだぞ?」
その言葉にドズルは頭を抱えたくなった。確かにモスボールされた装備は多くあるが、そのほとんどはMSやMAであり、今回更新を申請している艦艇については殆どが解体されてしまっている。元々建造費が高い艦艇はギリギリまで使い倒される事が多く、現役の艦艇についても近代化改修を繰り返しているが、それでも限界はある。
「MSについてはある程度誤魔化せるだろうが、艦の方はもう限界だ。特にムサイがまずい」
ルウム戦役における損害を補填するために増産された艦艇はムサイが大半であったが、ムサイは元々連邦軍との艦隊決戦を前提に設計された艦であり、MSの運用能力と正面火力を重視している。特に短期決戦を想定していたこともあって航続力や居住性に難点を抱えており、現在増加している任務である火星、アステロイドベルトへの派遣には全く適していないのだ。現状これらの任務には航続距離に優れるグワジン級を当てているが、元々艦隊旗艦として設計された同艦は維持運用費がその他の艦艇とは比較にならず、また戦力として重要な位置を占めるこの艦を警備艦として辺境へ派遣する事には国防の面から本国で疑問の声が上がっている。軍としてもコストパフォーマンスの悪い同艦をアステロイドベルトへ送る事には否定的であり、その点からも任務に適した新型艦の必要性が高まっていた。
「ドズル、後3年保たせられんか?」
その言葉にドズルは頭を掻いた。3年後と言えば丁度戦勝10周年だ。そうした節目の年であれば軍の功績を民間にアピールすることで議会内でも予算が通しやすいという目算だろう。ドズル自身も2年前の5周年で巡洋艦の更新を打診するつもりだったのだが。
「厳しいな。後3年となると今度は残っている艦艇の方が厳しくなってくる」
特にドロスとドロワが深刻だった。十分なノウハウを蓄積する前に設計された両艦は技術力に対し要求された能力が過大であり、採算をある程度無視出来た戦中ならばまだしも平時ではその動かす度に噴出する膨大なメンテナンスで維持費を圧迫する難物と化していた。加えて搭載機の更新に艦側の設備が追いついていないことも問題だった。元々ジオン系のMSは流体パルスシステム方式を使用した機体だったのだが、戦後機体の方式が連邦系であったフィールドモーター方式に代わったことで最大の利点であった艦内の製造設備が陳腐化してしまったのだ。現段階でも騙し騙し運用しているが、双方とも去年は運用しているよりドックにいる方が長いという有様だった。このため両艦に本格的な近代化改修を施すか、あるいは代替する新造艦が必要となるだろう。
「だとすれば艦の方の更新分を何処かで削るしかあるまい」
「ならばMSの開発費だな。何処かのバカがやらかしてくれたおかげで連邦には大分水を開けることが出来ているから、暫くは予算を縮小してもかまわんだろう」
ドズルがそう答えれば、ギレン首相は苦虫を噛み潰した顔になりながら口を開く。
「ジオニックの連中がまたへそを曲げそうだな」
開発費の縮小はそのまま共同研究を行っている各社への資金提供に影響する。艦艇の受注である程度の収益が見込めるMIP社とツィマッド社はそれほどでもないだろうが、新規のMS購入数も落ち込んでいるジオニック社には痛い減収だろう。だが、それだけでは無いとドズルは鼻を鳴らした。
「あれだろう?次期主力に技術本部が開発した機体が選ばれた事に腹を立てているんだろう?だったらもっと良い機体を造れば良い」
その言葉にギレン首相は喉を鳴らして笑う。
「そんなことを言えば開発費を削っておいてその言い草はなんだと暴れ出しかねん」
「あのバカ共には出来たぞ?」
腕を組みそう答えるドズルを見て、ギレン首相は憚らず笑い声を上げるのだった。
「なんだこれ」
「どうされたのですか?」
朝晩の気温差が厳しくなってきた11月終わり。幾つかの鉱山を閉鎖し、その従業員へ宇宙移民の案内をしていたら、なんか知らんがドズル国防大臣からメールが来た。努力の甲斐あって俺のペドフィリア疑惑が晴れて以降、事あるごとにミネバ様自慢のメールを送りつけてくるようになったのでいつも通り既読スルーをしようとしたら、なんかお堅いタイトルがついてやがる。訝しげに尋ねてくるウラガンに画面を見せると、ウラガンは渋面を作った。ですよねー。
「国防大臣はまだ戦時中の気分が抜けんらしい」
「困ったものですね」
戦時中に比べたら、オデッサはその規模を格段に縮小している。何せここにあった製造ラインは古いから殆ど閉鎖してしまったし、陸戦用の兵器開発というニーズが低下したため集まっていた技術者も殆どは解散して別の場所に移っている。鉱物資源もアステロイドベルトと火星の鉱山が軌道に乗り始めたので順次閉鎖し、労働者の方々には先に述べたように宇宙移民の斡旋をしている最中だ。なので残っているのは欧州方面の緊急展開部隊と俺のような万年大佐の事務員くらいなのだが。
「新規MS調達における予算削減の技術的見地から見た意見具申の作成?」
端的に換言すれば、要は新しいMSを安く造れということらしい。そう言うのは俺じゃ無くて技術開発本部の方々に言って下さいませんかね?
「ああ、そう言えば次の主力機はパプテマス技術少佐の作でしたか」
紅茶を淹れるのを再開しながら得心したといった声音でウラガンが返事をした。パプテマス少佐なぁ。こっちに来てから楽しくMS作ってるのは良いんだけど、毎回データ送ってきて俺をテストパイロットにするし、そんで何故か共同開発者に名前挙げるんだよなぁ。おかげで最近は技術将校(笑)とかからかわれる始末である。MSの事なんか微塵もわかんねえよ。
「まあ、あれは金のかかる機体ではあるからな。幾らか削る余地はあるか」
具体的には装甲材とか、でもなぁ。
「どうされたのです?」
悩んでいると良い香りの紅茶が差し出される。出来た副官がいる俺は実に幸運だ。
「いや、機体を安くする方法はあるが、パプテマス少佐は渋るだろうと思ってな」
「しかし安くしろと大臣は仰られているのですから、仕方がないのでは?」
「そこはこう発想の転換などで、…ああ、そうか」
今の時期にこんな書類が送られてくるって事は、どうせ来期の予算申請で眉なしに突っぱねられたな?しょうがねぇなぁ。
「財源が有限である以上、何処かに割を食わせるのは致し方ない。だが、真っ先に未来への投資に手を付けるのは気に入らんな」
そう言って俺は端末を弄ぶ。さて、何処から削ってやろう?
後に87年の大鉈と呼ばれるジオン共和国軍の組織改革により、ジオン軍はその後数年に渡り軍事力において連邦の後塵を喫する事となる。しかし95年に発生した一連の事件によって改革を断行したドズル国防大臣は共和国の威信を守り抜いた名将として長く語り継がれることとなる。