フィオレはカウレスと共に回廊の内部に身を潜めてサーヴァントの勝利を願うしかなかった。
“赤”のランサーが出現したところを見ると、“黒”のセイバーは完全に敗北したのであろう。
“赤”のセイバーと“黒”のライダーが二騎でかかっても、ランサーに喰らい付くのが精一杯であった。見るからに不利だ。特に、ライダーはあのランサーには遠く及ばす、セイバーとランサーの激突に介入する力すらない。
打つ手がない。
“黒”の陣営は大聖杯を前にして敗北する。奮闘したし全力も尽くした。しかし、最後の一歩が及ばなかった。魔術師が神に祈るなどどうかと思うが、それでもフィオレは祈らずにはいられない。
ぎゅっと目を瞑って、かつて学んだ言葉を脳裏に思い描く、その直前だった。
『神に祈るのは、すべてが終わってからにしたらどうだね、フィオレ』
ハッとフィオレは目を開けた。
幻聴かと思った。“赤”のライダーと死闘を演じていたはずの自分のサーヴァントはある時を境に連絡が付かなくなったからである。
「アーチャー……?」
「それ以外の何に見えるのだ?」
不敵な笑みは相変わらずだ。
いつの間に追いついてきたのだろうか。フィオレの最後の令呪が、アーチャーをここに導いたのであろう。必ず帰って来いと、フィオレは令呪で命じていた。
「アーチャー。お前、“赤”のライダーはどうしたんだ?」
カウレスが、アーチャーに問いかけた。
「強敵だったよ。勝利できたのは、フィオレのおかげだな」
フィオレもカウレスも、アーチャーの発言には驚かざるを得なかった。
フィオレは違うが、カウレスはアーチャーが“赤”のライダーに勝利する可能性はほとんどないと考えていた。フィオレが三画の令呪をすべて費やしても、アーチャーが乗り切れるとは思えなかったのである。
しかし、そんな下馬評を覆してアーチャーは駆けつけてくれた。
全身に重傷を負っている。動けるのが奇跡に近い。フィオレとの約束を履行したために、アーチャーを守っていた令呪の効果が消滅した。
アーチャーは裸一貫の状態で戦場に立たねばならない。
その身体に刻み込まれた傷の数々は激烈な戦闘を乗り越えてきた証であり、アーチャーがいつ消滅してもおかしくない綱渡りの状態で存在していることを如実に表すものでもあった。
「さて、フィオレ。私は決着を付けにいく。巻き込まれないように、下がっていてくれ」
「もう、行くんですね」
「ああ。今なら敵を一騎、上手くいけば二騎纏めて倒せそうなのでな」
声には疲労の色が濃く浮き出ている。
血を滴らせ、アーチャーは戦場に向かって歩き出した。
フィオレは声をかけることもできず、ただ巨大な敵に立ち向かうその背中を、厚い信頼と共に見送った。
□
腕の中で女帝を看取った四郎は、立ち上がり、踏み込んできたアーチャーを睨み付けた。
「ライダーを倒してきましたか、“黒”のアーチャー」
想定外といえば、“黒”のアーチャーが“赤”のライダーを討ち果たしてこの場に現れたことである。
“赤”のランサーが四郎の下を離れて二騎のサーヴァントを相手にしているその隙を突き、四郎と大聖杯を狙った宝具の掃射を行った。
アーチャーの狙いは四郎だったのだろう。
四郎は聖杯を守らざるを得ず、我が身を捨てて聖杯を守るとなれば、宝具を受け入れるしかない。“赤”のアサシンが守らなければ、すべてが決着していた。
マスターを失えば、アサシンもランサーも存在できないからである。
「世界平和を謳いながら、やはり私の邪魔をするのか?」
「押し付けられる平和など平和ではないだろう。ただの管理社会だ。その世界に、人類の笑顔があるものか」
「そんなはずはない。――――誰も血を流さない世界が、幸福以外の何だというのだ」
両者の溝は埋め難い。
そも、ここでの問答は意味がない。アーチャーと四郎の立場は決定的に違っており、激突は避けられない。避けることができるのなら、この部屋で出会うこともなかっただろう。
「決着を付けるぞ、アーチャー。お前の偽善を、俺はここで叩き潰す!」
四郎は残された左腕を掲げ、大聖杯の魔力を紡ぎだす。巨大な拳が、生成されて宙に浮かび上がる。
「墜ちるのは君のほうだ、天草四郎時貞。君の正義を私は否定する!」
アーチャーは三十あまりの宝剣を投影し、その切先をすべて四郎に向ける。
喉を裂く咆哮は同時。
射出された宝具と拳が、空中で激しく激突して火花を散らす。
「
四郎は魔術回路に全身全霊をかける。聖杯の魔力を肉体の限界まで引き出して、空の拳を二つに裂いた。左腕が激しく痙攣する。痛みは超越し、身体のどこかが崩壊した。それでも、対軍クラスの一撃を断続的に振るうには、命そのものを賭ける以外にないのである。
「オオオオオオッ」
対するアーチャーは宝剣を打ち込み、墜ちる星を弾く。
一発の威力は敵のほうが遙かに上で、
やはり、対軍宝具並の一撃を連続できる四郎のアドヴァンテージは大きい。
アーチャーも、上位宝具を使用すればどうにかなるだろうが、そのために魔力をチャージする時間が与えられていないのだからどうにもならない。
強烈な四郎の攻撃は、弱りきったアーチャーでは耐え切れない。直撃は一発たりとも貰うわけにはいかず、その隙を見せるわけにもいかない。
しかしながら、攻撃を受ければ終わりだというのは四郎のほうも同じだ。
宝具に貫かれて生きていられるスキルを四郎は持たない。霊体ではなく肉体を持つが故に、身体の破壊は致命的なものとなる。
勝機は皆無ではない。
この戦いは、先に一発入れた者が勝利する。アーチャーは状況的に不利ではあるが、決して勝ちの目がないわけではなく、僅かでも可能性があるのならそれを掴み取ってみようと激痛に苛まれる身体を叱咤する。
「――――
青い爆撃が地面を穿つ。
砕けた石がアーチャーの身体を叩き、骨を砕いた。
構うものか。
もとよりこの身体は死に瀕している。骨の一つや二つが砕けたところで問題にならない。フィオレの治癒も、アーチャーの欠損を埋めるにはまったく足りない。
「――――
アーチャーは投影した双剣を四郎に向けて投じる。引き合う夫婦剣は回避されてもブーメランのように四郎の首を狙う。
「――――
心臓は鼓動を止め、内臓が悲鳴を上げる。魔術回路が限界まで励起して、可能な限りの投影宝具を射出した。
□
「ッ――――」
ライダーは頭から血を出して地に墜ちた。
痛みで目尻に涙が溜まる。
せっかく施してもらった治癒魔術でどうにか癒した傷が開き、血が滴り落ちる。
目を開けると“赤”のセイバーと“赤”のランサーが激しく火花を散らしている。どちらも一級のサーヴァントで、どちらも重傷を負っている。
天秤がどちらに傾くかは、傍で見ていてもまったく分からない。
ランサーは強靭な意志で以て胸の痛みを押し殺し、宝槍を振るう。
セイバーは反逆の意思と令呪の縛りで以て、宝剣を振るう。
二騎の刃はすべてが音速を超えて交じり合う。
常人の目では、空間に刻み込まれる光の軌跡を追うことしかできない。
神速の槍と超速の剣は洗練された技と必ずや打倒してやろうという肉食獣の如き意思が込められていて、結果として戦いが長引いた。
両者のステータスはほぼ同等。
性質こそ違えど『魔力放出』による能力のブーストが重なり、周囲一帯はまるで台風に襲われたかのような激しい風に曝されている。
一歩間違えば死ぬという状況で、セイバーは『直感』で以てランサーの槍筋を読み取る。
忌々しいことに、このランサーの槍術はセイバーにとっても脅威であり、明らかに彼女の剣技を越えた巧みな技である。
持ち前の防御力と自慢の鎧を駆使しても、ランサーの槍を防ぐことはできまい。
そして、今のセイバーは令呪の補助を受けて辛うじて動くことができる。次に致命傷を受ければ、ほぼ間違いなく戦闘不能に陥るであろう。
大英雄カルナ――――想像以上の難敵である。
“赤”のランサーにとってもセイバーは油断ならぬ敵だ。
彼女の剣術には決められた型がない。
根本にあるのは騎士の剣術のはずだが、そのあり方はどちらかというと野生の化身のような戦い方だ。人間を相手にしていると思っていると、足を掬われることになるだろう。
攻撃力の高さにも目を向けなければならない。
黄金の鎧を失ったランサーの『耐久』では、セイバーの攻撃には耐えられまい。
“黒”のセイバーに受けた傷が大きく響いているのは否定できない。彼が自身の胸に付き立てた剣は、未だにランサーを蝕んでいる。
ランサーを突き動かすのはただ一点。この傷に恥じない戦いをしなければならないということである。
穂先だけで一メートルはあろうかという豪槍が、蛇のようにセイバーの剣に絡みつく。
セイバーは驚愕し、そしてこれは危険だと直感する。
セイバーの剣は真上に跳ね上げられて、胴ががら空きになった。
「お、おおおおおおおおおおおおおおッ」
負けてたまるか、という根性がセイバーの命を救った。
魔力を噴射して、セイバーは無理矢理自分の身体を捻じ曲げた。メキメキと鎧が拉げ、身体が悲鳴を上げるが、左足を軸にして回転する。
ランサーの槍が狙いを逸れてセイバーの腹部を掠める。そのまま、セイバーは独楽のように回って、横薙ぎに剣を振るう。
白銀のギロチンが、ランサーの首に迫る間にランサーは左手でセイバーの籠手を叩く。セイバーの剣は斜め上に逸れて、ランサーを仕留めることはできなかったが、そのままセイバーは後方に大きく跳躍した。
「セイバー!」
ライダーがセイバーに呼びかける。
「こっちは気にすんな。まずいぞッ」
セイバーは剣を構えてランサーを見ている。
ライダーもセイバーが感じた危機感を、我が身を以て感じていた。
――――他の追随を許さない魔力の渦が、ランサーを中心に燃え上がっている。
□
サーヴァントの戦いは星と星の激突に似ている。
輝かしく、個性的な光が瞬いては消える。瞬間瞬間に全力を打ち込む彼らの戦いに、魔術師は介入できず眺めていることしかできない。
「クソ……」
カウレスは舌打ちする。
ただ眺めているだけというのが辛い。何か彼らの助けになることができないだろうかと、必死に頭を働かせる。
「姉さん。あれ……!」
扉の影に隠れて中を窺っていたカウレスが何かに気付いて姉に呼びかけた。
「あれは……ルーラー?」
サーヴァントの激闘に目を奪われて気付かなかったが、戦場のど真ん中にルーラーが倒れている。
「いや、でも、あれはサーヴァントじゃないぜ。きっと、……」
「レティシア……!」
フィオレは顔を青褪めさせて口を手で覆った。
ルーラーは自分とよく似た特徴を持つフランス人少女に憑依する形で召喚されたと言っていた。レティシアはその肉体の持ち主の名である。
だとしたら、非常にまずい。
ルーラーのサーヴァントならばいざ知らず、ただの人間がサーヴァント戦の只中で放り出されているとなれば、いつ死んでもおかしくない。
四郎がどうかは分からないが、アーチャーは彼女を気にして戦うだろう。
レティシアとの距離は、実に一五〇メートルは離れている。
「わたしが行くわ」
「姉さん」
「わたしなら、あそこまですぐに行ける」
フィオレの
レティシアとの距離など、数秒で詰められる。
その数秒が命取りになりかねない現状では、それすらもあまりに危険なのである。
「でも行くわ。カウレス、あなたはライダーを助けてあげて」
ごくり、とフィオレは生唾を飲んだ。
アーチャーが戦っている戦場に、生身で飛び込むというのか。馬鹿げていると思うが、彼が少しでも後方の憂いを感じることなく戦えるのなら、命くらい賭けてやる。
それが、マスターの務めではないか。
そしてフィオレは、自慢の礼装に魔力を通し、英雄たちの戦場に身を投じた。
「姉さん!」
魔術師を捨てるといいながら、マスターとしての責任は最後まで果たそうとしている。
まったくどこまで真面目なのだか。
フィオレがその気になったのだから、必ずレティシアを救い出すだろう。
それでは、カウレスはどうすればいい。
フィオレの援護かライダーの援護か。それともアーチャーの援護か。考えるのがマスターの仕事であり、カウレスはそういった分野についてはそこそこの自信がある。
考えるのが苦手な“黒”のバーサーカーのマスターとして参戦し、理性が蒸発しているという“黒”のライダーのマスターとして最後の戦いに臨んでいる。
どのタイミング、いったい何をすればいい――――。
聖杯の魔力が空間を満たす。
緊張に胸が張り裂けそうだ。
いや、これは違う。
魔術回路が激しく励起している。この心臓の痛みは、大気に満ちた魔力に心臓が応えている証――――。
□
“赤”のセイバーの危機感は最大級に膨れ上がっていた。
“赤”のランサーは、激しい炎を穂先に集め、魔力の激流が視界を埋め尽くす。
「女帝が倒れ、この庭園も直に崩壊するだろう。聖杯は問題なかろうが、お前たちがドサクサに紛れないとも限らんのでな。――――ここで、決着を付けさせてもらう」
ランサーの宝具が雄叫びを上げる。
世界を絶叫させ、国すら滅ぼす対国宝具が“赤”のセイバーと“黒”のライダーを焼きつくさんとしている。
「ちくしょう――――!」
セイバーは白銀の剣に魔力を込める。
メキメキと音を立てて邪剣へと変貌する宝剣は、赤き雷を振り撒いて怨念の叫びを轟かす。
「ライダー。テメエは離れてろッ」
セイバーがライダーに言い放つ。
あのランサーの宝具をどうにかできるのは、セイバーのみである。ライダーでは歯が立たず消滅する未来しか残らない。
「逃がさん。二騎纏めてここで潰えてもらう」
ライダーが脱出しようというのかヒポグリフに跨った。ここで逃すわけにはいかないと、ランサーは宝具を解放する。
「『
「『
紅蓮の炎と赤き稲妻が同時に炸裂した。
二つの宝具は絶望的な赤い光をばら撒いて世界を侵す。
その射線上には何も残らず、万物の一切を打ち砕き、焼き払うであろう。
「ぐ、ごおおおおおおおおおおおおおおおおおおあああああああああああああああああああああッ」
セイバーが全力で声を振り絞る。
魔力という魔力を身体から絞り上げ、剣に食わせる。アーサー王の命にすら届いた邪剣の光だ。国を滅ぼし、偉大なる騎士王の栄光に幕を引いた輝きが、太陽如きに落とされるものか――――。
しかし、万全の状態ならばまだしも、今のセイバーは限界に近い状態を維持しているに過ぎない。宝具の出力も全開の三分の二に届けばいいという程度でしかない。獅子劫の支援ももう受けられない。最後の令呪は身体を動かすのに使ってしまった。
肉体の限界はとうの昔に振り切った。
踏み込む地面が砕け、骨という骨が悲鳴を上げた。
身体の感覚はいつの間にか失われ、ただ剣に命を懸ける自分がそこにいる。
恨みも妬みも焦りも何も感じない。
世界にはただ自分と剣だけが存在している。
剣と向かい合う――――そんな、始まりの景色にも似た世界の中に入り込む異物。
セイバーは舞い散る羽に視線を奪われた。
賭けに出るのはまさしくこのときである。
“黒”のライダーは英雄なのだ。自分の力が弱いことは重々承知しているし、“赤”のランサーには絶対に及ばないことも分かっている。
しかし、それでも負けてはならないところで負けるようなことはしたくない。
ライダーはヒポグリフに鞭を入れ、空へ飛び上がる。
炎と雷が鎬を削る光の中で、ライダーは槍と剣を携えて太陽に挑みかかる。
ライダーには何か策がある。
セイバーは、視界の端に映り込んだライダーが決して逃げるのではなく戦いに臨む騎士の顔をしていたことに、言いようのない安堵を覚えた。
あのライダーは弱いが、一発逆転の何かを持っているに違いない。
それ以前に、大敵に挑みかかるその意気が快い。
このランサーを討ち果たすその瞬間はきっと爽快に違いない。
「こんのおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおッ!」
セイバーは笑みを浮かべて赤雷を放出する。
絶対の太陽が雷に押し戻される。
身体中の骨を軋ませ、それでもセイバーは前進して剣を突き込んだ。太陽の心臓を穿つかのように、捻じ込んだ大剣は赤き雷の光で以て紅蓮の炎を打ち消した。
激烈な衝撃がセイバーに叩きつけられ、小さな身体が宙を舞う。
消え果そうな意識を必死に繋ぎ止め、空を駆けるライダーに後を託す。
「行けええええええええええええええええ! ライダーああああああああああああああああ!」
「上等だあああああああああッ!」
“黒”のライダーはヒポグリフを駆って急降下する。
衝撃波の渦を物ともせず、槍を振るって“赤”のランサーに突撃する。
ヒポグリフの宝具としてのランクはB+ではあるが、その突進による物理攻撃の威力はAランク宝具の真名解放に匹敵する。
宝具の全力を解き放った直後のランサーならば、その隙を突いて一息に突き崩せる。
ランサーはバランスを崩しつつも、ライダーの姿を捉えていた。
極めて強い眼力がライダーを射抜いた。
“まさか――――嘘だろッ”
このことを予見していたとでもいうのだろうか。
ランサーは事もあろうにライダーの動きを見切っていた。すでにその手には豪槍が戻っており、焔を纏ってライダーとヒポグリフを貫く準備を整えていた。
「“黒”のセイバーに似たような一撃を貰ってな。二度は通じん」
ライダーの与り知らぬことであったが、“黒”のセイバーとの宝具の激突の際に、その終焉の隙を突かれたランサーは胸に深手を負った。
まさしく、今回の焼き直しである。
ランサーほどの英霊に、同じ手は二度通じない。その眼力は、ライダーの突進を予見しており、返す刀でその小さな身体を貫くであろう。
「負ける、もんかあああああああああああああッ!!」
ライダーは魔力を全力で練り上げて、迫る槍にあえて飛び込んだ。
策はある。
この危険を乗り越える最後の一手が、ライダーでは歯が立たずとも――――人馬一体となった今、ヒポグリフの真の力を解き放つ。
「『
そして、奇跡が幻馬の嘶きと共に誕生する。
「ッ……!」
ランサーが驚愕に目を向いた。
突き込む槍は過たずライダーとヒポグリフを刺し貫くはずであった。その未来に、まったく疑問を持っていなかったランサーは、しかし、自らの予想に反した結果に愕然とする。
ライダーとヒポグリフが、ランサーの槍と身体をすり抜けて背後に出現したのである。あたかも、ライダーがランサーの立つその場から消失したかのようであった。
元来、ヒポグリフとは「ありえない存在」という意味が込められた名である。
グリフォンとその餌であるはずの雌馬から生まれるという奇跡によって形作られたヒポグリフは、実在しているのかしていないのか、その存在感が非常に曖昧なのだ。
圧倒的な力と魔力を誇る幻獣は、その真名を解放し力を誇示するごとにこの世界から存在感を消していく。
故に、『
「――――次元跳躍!」
「その通りッ!」
背後に現れたライダーは、ヒポグリフから飛び降りた。真っ直ぐにライダーはランサーに飛びかかる。ライダーの『
しかし温い。
避けるには一瞬遅いが、この折れ曲がった槍ではランサーは殺せない。しかしてその伝承を手繰れば触れることもできない。ランサーは一歩退いて、槍でライダーの槍を打ち払った。黄金の穂先を持つ槍は、豪槍の一閃で砕け散った。
終わった。
ライダーの攻撃宝具はここで打ち止めだ。
ライダーがどれだけ頑張ったところで、素手でランサーを殴り殺せるはずもなく、宝具でもない剣ではランサーの肉体にどこまで傷を負わせることができるか怪しい。
しかし、ランサーはこのときライダーを見誤ったと言える。
槍の間合いの遙か内側に飛び込んだライダーはランサーに槍を砕かれながらも前進した。最後の一歩はすでに踏み出されている。槍で打ち払うには、あまりに内側に入られすぎた。それでも問題ないと判断してしまったのは、ライダーの素の能力が非常に低いからであるが、彼が手をかけた剣が鞘から刃を見せた瞬間に、ランサーは失策を悟った。
遂に、その封印が解かれる。
鞘から解き放たれた剣は輝く銀と天使の祝福に満ちていた。
「役に立たなかったらぶっ飛ばすぞ、ローラン!」
それは、かつての仲間が帯びていた至高の剣。
その刃の前に斬れないものは存在せず、破壊することすらもできはしない。
大仰に振り上げる必要もなく、力を込める必要もない。その切れ味は大英雄の肉体であろうと容易く両断するだろう。
「『
輝く宝剣は太陽を斬り裂いた。
右の脇腹から左肩まで通り抜けた宝剣は、太陽の命を確かに両断したのである。
手応えを感じ取ったライダーは勢い余ってランサーの脇を通り抜け、炎に焼けた地面に頭からダイブしたのであった。