“黒”の紅茶《完結》   作:山中 一

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四十三話

 天草四郎時貞は決して奇跡を起こしたわけではない。

 確かに伝説ではそのように語り継がれているし、事情を知らない人間はそのように理解していただろう。

 しかし、現実には彼が起こした奇跡とはただの魔術に他ならなかった。

 彼の両腕はありとあらゆる魔術基盤にアクセスする能力を持った万能のスケルトンキーであり、時に魔術回路すらも増減するほどであった。通常、生まれたら一生変わることのない魔術回路も、四郎のそれは常に変化し続けるものになっていた。

 要するに彼は生まれついての魔術使いであり、それ以上のものではなかったのである。

 だが、それも生前の話である。

 サーヴァントとなった彼の両手は正しく奇跡を織り成す技を持つ。

 大聖杯にアクセスする。

 この世の魔術師はおろか“赤”のアサシンですら到達し得ない奇跡の領域。大聖杯のシステムを改竄し、第三魔法を普遍化する。

 この世の誰もがその領域に押し上げられれば、きっとそれは奇跡ではなくなるだろう。

 それでいい。 

 不老不死が当たり前の世界では、奇跡など必要とされないからである。

 四郎にとっても未知の世界。だが、その先にこの世のすべての人が笑顔になれる世界があると信じている。

 大聖杯が鳴動する。

 聖杯に問う。

 我等の望みは邪悪か否か。我等の希望に汚点はあるか、と。

 聖杯は答える。否だ、と。その祈りに邪悪はなく、世界の平和に非難の余地は皆無だと。

「ならば、我が望みを聞き届けよ! 我等の祈りを以て、現実を昇華させよ! 人類は天の杯に至り、無限の星々に到達するのだから! この世界を、未来への希望で満たすのだ!」

 弱肉強食の世界。

 対立する願望。

 迷える子羊たちは、二千年経とうとも行き付くことができておらず、未だに放蕩を続けている。

 そんな在り方が肯定されていいはずがない。

 誤った世界なら、それを正す誰かが必要だ。人間にできぬなら、聖杯という奇跡を以て成し遂げるまで。

「さあ、聖杯よ。全人類を次なる世界に導け!」

 全身全霊をかけて、四郎は吼える。

 両腕にかかる負荷は凄まじいの一言に尽きる。しかし、大聖杯の基盤が、ユスティーツァの魔術回路を基にしたものならば、天草四郎にハッキングできないはずがない。燃えるような両腕の熱は、大聖杯の鼓動で歓喜に変わる。

 ――――我は至れり。

 輝く大聖杯は、確かに四郎の夢を聞き届けた。

 人類は一夜にして、大きな一歩を歩みだすことだろう。世界は一変し、未知の明日が待っている。

 

 

 

 

 幾重にもなる罠も、ルーラーの防御の前には歯が立たない。触れるだけで魔術は消え失せ、旗の一振りで岩塊は砕け散った。

 道は示され続けている。

 『啓示』は、戦時も平時も作用するスキルだ。目的を完遂するために必要な過程を感じ取ることができるこのスキルは、“赤”のアサシンの庭園の中でも正しく機能し、迷路の如き『虚栄の空中庭園(ハンギングガーデンズ・オブ・バビロン)』を攻略する。

 近い、とルーラーは直感した。

 もうじき終着点に行き着くであろう。問題は、そこで待っているサーヴァントである。未だ姿を見せない“赤”のキャスターか、あるいはこの庭園の主である“赤”のアサシン。“赤”のセイバーはこちらに味方している。“赤”のランサーは今“黒”のセイバーと死闘の真っ只中。二騎が激突しているのは、ずっと同じ位置に二騎のサーヴァントが留まり続けているところから判断できる。“赤”のライダーも、“黒”のアーチャーの固有結界に押さえ込まれている状況である。

 これまでの因縁を思えば、この先に待っているのは“赤”のアサシンの可能性が高い。

 ルーラーの絶大な『対魔力』は、“赤”のアサシンの魔術を尽く封殺してみせるし、この旗がある限り、物理攻撃も含めて無効化される。こと防御という点に於いて、ルーラーは規格外の性能を誇っている。

 しかし、それでも魔獣の召喚や刃を召喚するなど『対魔力』をすり抜ける魔術の使い方も当然あるので、油断はできない。

 “赤”のアサシンほどの実力者ならば、それくらいは容易にやってのけるであろう。

 回廊を駆け抜けた先に、両開きの鉄の門が聳えていた。

 どうやら、当たりを引いたらしい。

 ルーラーは、呼吸を整えて門を押し開いた。

 そこは王の間であった。

 仕えるべき騎士もいなければ、道化師もいないが王気を纏う女帝が玉座に座っている。ただ、それだけの事実があれば王の間と呼ぶに相応しい風格を持つ。

 玉座は獣の骨を組み合わせてできていた。その下には水が満ち満ちて、睡蓮が咲き乱れている。地下のはずだが、天井は吹き抜けを思わせるほどの高さにあった。

「やはり、あなたでしたか。“赤”のアサシン」

「よく来た、ルーラー。歓迎はできぬがな」

 アサシンはそう言って、無言で指を鳴らす。それを合図に、壁の一部が消え失せて魔術で構築された扉が開く。扉の奥には、下層に続く階段があった。

「そこを抜けて階下に降りるがいい。そこで、我がマスターが待っている」

「何ですって?」

 ルーラーは唖然としてアサシンを見る。

 この道が罠ではなく正しい道であると分かっても、即座に動くわけにはいかなかった。

「ふん、そう疑うな。我とて不本意なのだ。だが、我がマスターがそうしろと言ったからには従わないわけにはいくまい」

 言うだけ言って、アサシンはルーラーから興味が失せたとでも言うように視線を逸らした。

 多少の敵意は抱いているが、彼女自身でルーラーを排除しようという意識は感じ取れなかった。

「では、これが今生の別れですね」

「そうなるだろうな。さらばだ、ルーラー。お前は、実に退屈な聖人だ。定められた道しか歩めぬお前には、何一つ面白みを感じんよ」

 ルーラーは、アサシンの毒舌を無視して先に進んだ。

 ルーラーの背中を見送って、アサシンはため息をつく。ルーラーと天草四郎では、英雄としての格が違う。戦闘能力も含めて四郎が不利には違いない。如何に聖杯と接続を完了したとはいえ、確実に勝てるかと言うと否である。ならば、命令に逆らってでも、ここで自分が足止めをするべきだったのだろうが、そういうわけにもいかない理由があった。

 この部屋は大聖杯へと至る道のすべてが交錯する最後の関門。

 “黒”のサーヴァントは“赤”のサーヴァントを倒すか出し抜くかしてここに辿り着かねばならない。故に、“赤”のアサシンは敵のサーヴァントをこそ討ち果たさねばならない。

 ルーラーと自分の相性は最悪である。さらに、そこにほかのサーヴァントが加勢に来れば、アサシンとてどうなるか分からない。

 敵は分断して各個撃破するのが最もよい戦術である。

 今の時点で、この部屋に向かってくるサーヴァントは二騎。

 一騎は“赤”のアーチャーを撃破した“黒”のアサシン。もう一騎は、特に妨害を受けることなく罠と竜牙兵をなぎ倒して進んでくる“赤”のセイバーである。

 

 

 

 “赤”のアーチャーが死んだことは、正直に言って想定外であった。それも決戦の序盤での脱落である。彼女は大英雄というほどではないが、それでも上位の英霊であることに変わりがない。それが、暗殺者風情に仕留められるとはどうしたことか。

 “赤”のアサシンは、こう結論付ける。

 “黒”のアサシンの宝具ないしスキルは、対象を無条件に殺傷する運命干渉系または呪詛的、魔術的性質を帯びたものである、と。

 こうした能力は物理的な破壊力に劣るものの、対人戦闘においては無類の強さを誇る。発動させれば終わりなのだから、そこにサーヴァントのステータスは意味を成さない。ジャイアントキリングを成立させる悪辣な能力である。

 今分かっているのは、“黒”のアサシンが霧に紛れて行動するということと、彼女の戦闘終了後にこちらの記憶から情報が抹消されるということである。

 これについては、事前にアーチャーがもたらした情報から推測できており、“黒”の陣営のカウレスと同様に別途記録することで事なきを得ていた。

「……アーチャーの戦闘を記録しておくのであったな」

 アーチャーの実力を高く評価していたので、まさか敗れるとは思っていなかった。想定外が重なり、はっきり言って非常に苛立っている。

 庭園の深部、王の間で玉座に座っている“赤”のアサシンは、肘掛に頬杖を突いてにやり、と笑った。

「来たか」

 王の間に硫酸の霧が立ち込め始めた。

 “黒”のアサシンが遂に“赤”のアサシンの領域に足を踏み入れたのである。

「同一クラスでの激突というのも乙なものではないか――――なあ、“黒”のアサシン」

 無論、返答はない。

 霧の中に潜む“黒”のアサシンは、完全に気配を隠し切っている。

 この霧がある限り、“黒”のアサシンを捉えることはできない。

「舐めるなよ、“黒”のアサシン。貴様がルーラーの後をつけていたことに気付かぬとでも思っていたか?」

 蛇の如き目で以て、見えないはずの“黒”のアサシンを睨み付けた女帝は、王の間を瞬時に換気した(・・・・)

 結界宝具たる霧がそれを上回る神秘を宿した強風に吹き散らされていく。

 “赤”のアサシンは最古の毒殺者。その歴史は、人類史の初期に当たる。三千年前にアッシリアに君臨した女帝が内包する神秘は、その十分の一に満たない歴史しかない近代の怨霊如きとは比較にならない。

 神秘はより強い神秘に打ち消されるのが道理である。“黒”のアサシンが近代の英霊である以上、正面から能力をぶつけ合った場合劣勢に立たされるのは不思議なことではないだろう。

「ほう、……貴様のような小娘が、な」

 惚けたような顔でこちらを見上げる幼い少女。

 ところどころに血がついているのが、アーチャーと戦ってきた証と言えるだろう。

「ッ――――!」

 少女の判断は早かった。

 敵わないと判断して、そのまま王の間からの脱出を図ったのである。“赤”のアサシンにはステータス情報は読み取れないが、“黒”のアサシンの『敏捷』はかなり高いようである。もっとも、この女帝がむざむざと脱出を許すほど生ぬるいはずもない。

「逃がさんぞ」

 雷光が煌いた。

 伸び上がった雷の蛇が“黒”のアサシンの足に噛み付き、炸裂する。

「あああああああああああああああッ」

 “黒”のアサシンは絶叫し、宙を舞って壁に激突した。

 何とも脆いが、所詮は暗殺者。直に戦えばこの程度であるのも頷ける。

 もちろん、女帝たる“赤”のアサシンにとって暗殺者は大敵に等しく、手ずから抹殺する対象であるのは言うまでもない。

 笑みすら浮かべて次なる魔術を解き放つ。

「霊体化するか? 『気配遮断』に頼るか? 何でも構わん。使ってみろ。この我の前で使えるのならな」

 ここは“赤”のアサシンが構築した庭園である。この庭園の内部は魔術師の工房と同じ役割を、魔術師の工房の数千倍の濃度の魔術で果たしている。ただの魔術師ですら、その気になれば『アサシン』の侵入を防ぐことができるというのに、“赤”のアサシンにできないなどということはない。まして、一度取り込んだ相手を逃がすようなことは絶対にありえない。

 “黒”のアサシンがこの王の間にやってくることができたのは、偏に“赤”のアサシンが招き入れたというだけで、それはつまり“黒”のアサシンは自ら蛇の口に飛び込んだに等しい状況になってしまったことを意味していた。

 

 

 

 □

 

 

 

「あなたもずいぶんと無茶をしますね」

 呆れたようなフィオレの言葉に“黒”のライダーは頬を掻いて笑った。

「いやぁ、冒険好きってのは、無茶しないことには成果を感じることができない生き物でさ」

「それで死んだら元も子もありません」

「まったくだ。今は一人でも戦力が欲しいってときなんだからさ」

 カウレスはライダーに治癒魔術をかけていた。

 ライダーはヒポグリフと共に空を駆け抜け、“赤”のアサシンの守りを破壊し尽くした。あの砲台を破壊するのに、無茶をしないというのが土台無理な話で、それはフィオレもカウレスも分かっている。だが、分かってはいてもそれを口に出すのは憚られた。自分たちは彼らサーヴァントに頼るしかない。こんなに近くに来ているのに、できることと言えば見守ることくらいしかないのである。それが、魔術師の限界であった。

「それにしてもマスターは治癒術が上手くないね」

「ほっとけ」

 ライダーのあっけらかんとした指摘にカウレスは眉根を寄せる。

 治癒術は基礎中の基礎。オーソドックスな魔術の一つであり、魔術基盤の違いによらず存在しているポピュラーな魔術である。細かい術式の違いは流派や家系ごとにあるにしても、治癒という結果をもたらす魔術は、魔術師の世界では必要不可欠のものであった。

 それでも、ライダーの重傷を治癒し尽くすにはカウレスでは少々荷が重い。フィオレの手を借りたいところであるが、彼女は彼女でアーチャーを遠隔治癒しなければならないので、手を借りることはできないでいた。

 それでも、カウレスが苦心して治癒した結果、運動機能については問題ないところまで修復されていたし、表面的な部分は別にしても骨折などの戦闘に関わる部分は何とか治療を終えることに成功した。

「じゃあ、行こう。僕と一緒にいれば、とりあえず魔術の類は何とかなるから」

「そうですね。後はトラップに気をつけて進めば、行けますか」

 フィオレは悩みながらも先に進むことにする。

 この先は死地だ。

 魔術師がほかの魔術師の工房に足を踏み入れる際には死を覚悟しなければならない。ましてや相手はサーヴァント。並の工房とは比較にもならない。仕掛けられている罠は尽く一級品であろう。如何にあらゆる魔術を無効化するライダーの『破却宣言(キャッサー・デ・ロジェスティラ)』があったとしても、断じて油断していいわけではない。

 それでも先に進まなければならない。

 “黒”の陣営を束ねる長としての最後の仕事だ。聖杯に辿り着き、何とかして聖杯を確保する。それがだめなら、破壊するかその場で願いを叶えるか。状況に応じて方法を変えなければならないものの、すべては聖杯に辿り着けるか否かが勝負どころである。

 

 

 

 □

 

 

 

 黄昏の極光と太陽の焔は、互いの中間地点で激突し破壊的なエネルギーを放出して果てた。

 眩い光が消えた後には、僅かな暗闇だけが残った。光の加減で照明が落ちたかのような錯覚に陥る。あまりにも膨大な光の量に感覚が麻痺しているのであろう。それ以前よりも一層暗くなったような気すらする。しかしながら、それは所詮錯覚に過ぎない。明暗に順応する程度、サーヴァントならば造作もないことであり、あっという間に視界は元に戻った。

「互角か」 

 互いに無傷。

 『幻想大剣・天魔失墜(バルムンク)』と『梵天よ、我を呪え(ブラフマーストラ・クンダーラ)』は両者譲らず拮抗し、最後には対消滅する形で決着した。

 “赤”のランサーにとっても、今の宝具は自身の生涯を通じて切り札としてあり続けたものであった。相殺されるなどありえないと、思っていたわけではないが実際に目の前で相殺されると何ともいえない気持ちになる。

 己の秘儀が通じなくて無念であったか。違う。この感情は、恐らく喜悦の類であろう。

 『不滅の刃(ブラフマーストラ)』は、“赤”のランサーだけの宝具ではない。古代インドの勇士が挙って修練に励み、到達した武の頂点にして必殺の奥義である。それだけに、この一撃を受け止めた“黒”のセイバーには驚きと共に敬意を抱くに値する。

 この勇士とどこまでも武を競い、そして討ち果たしたい。

 “赤”のランサーは、より強く“黒”のセイバーの打倒を願った。“黒”のセイバーの真名はジークフリート。ネーデルランドの王子にして竜殺し。富と名声を恣にして、悲劇のままに散った大英雄。どこかアルジュナを思わせながらも、その目からは確かな餓えを感じ取れる。

 武具を操っての近接戦闘能力はほぼ互角。宝具の真名解放も互角。そして、肉体の防御力もほぼ互角。現状、“赤”のランサーと“黒”のセイバーは互いに決定打を与えるには至っておらず、その道筋も見えていない。

 “赤”のランサーは、黄金の鎧が敵の攻撃を無力化し、宝具の直撃にすら平然と耐えてみせる。

 “黒”のセイバーもまた竜の血を浴びて頑強となった肉体が“赤”のランサーの攻撃を弾き返す。

 微細な傷を負うことはあったとしても、それが戦闘そのものに影響を与えることにはならない。

「このまま刃をぶつけ合っても一向に構わんが、それではお前を打倒することはできまい。かといって、『梵天よ、我を呪え(ブラフマーストラ・クンダーラ)』も相殺されるのでは芸がない」

 仮にもインドの勇士が振るう必殺奥義。軽々しく放ち、封殺されるというのは、先達に合わせる顔がない。さらに言えば、直撃させたとしても完全に倒しきるのは不可能だろうし、“黒”のセイバーの宝具はこちらの宝具よりも連射性に優れているようにも思う。攻撃態勢に入ったのは“赤”のランサーが先立ったにも拘らず、“黒”のセイバーは合わせてきた。相手の魔力量がどの程度か不明だが、二度の真名解放をした後でも平然としているところを見ると彼のマスターは相当な魔力タンクであるらしい。あるいは、“赤”のランサーと同じく魔力供給を別の場所から受けているか。いずれにしても、宝具の撃ち合いとなれば押し切られる可能性が高い。それは、威力ではなく性質の差。

 尚且つ、この戦いには制限時間がある。

「大聖杯の調整が今しがた終わったらしい。機関を温めている段階に入ったというが、後一時間もしないうちに稼動を始めるだろう。そうなれば、オレたちの戦いも終わることになる」

 世界救済が始まれば戦う理由が失われる。それだけでなく、サーヴァントの役目も終わり聖杯に還ることになるだろう。どの道、天草四郎の望みが叶ってしまえば、英雄などという存在も消えてしまうかもしれないのでサーヴァントそのものがなかったことになる可能性も無きにしも非ずだ。

「となれば、今までの戦いの焼き直しでは意味がない。有無を言わさず決着する必殺の一撃が必要だな」

 ただの打ち合いでは朝までかかっても決着しない。現段階で開帳した宝具でも決着には程遠い。

 ランサーは一瞬でセイバーから大きく距離を取った。セイバーの脚力ならば、一瞬で踏み込める距離ながら、相手の出方を窺って剣を構え直す。

 ランサーは宝具を解放しようとしている。彼の言葉から察すれば、伝説に謳われる最強の神殺しの槍に違いない。 

 セイバーの宝具を遙かに上回る強大な神秘を持つ雷神の槍。確実に勝利しようというのなら、出させない、あるいは無駄撃ちさせるのが常道であるが、今の状況ではどちらも不可能。慌てて踏み込めば、至近距離から大破壊力の火炎を受けることとなるだろう。

 それが分かっているから、セイバーは自分の宝具が最大威力を発揮する間合いで迎撃することを選択した。

 だが、果たしてそれが正しかったのであろうか。

 “赤”のランサーの周囲は、今や炎の海と化している。あまりにも絶大な力の波動は空間そのものを焼き焦がしているようにすら思う。壁も床も天井も、何れは融解して潰えてしまうに違いない。

 ランサーの槍は、雷神インドラから授けられた神殺しの神槍。

 ただし、それは慈悲があってのことではない。

 太陽英雄カルナ最大の宝具たる黄金の鎧がある限り、彼は不死に近い力を持つ。それでは、自分の息子たちが殺されてしまう。息子のアルジュナは偉大な英雄であるが、黄金の鎧を持つカルナが相手では分が悪い。

 そこで、インドラは一計を案じた。

 バラモン僧に化けたインドラは、沐浴の最中であったカルナに黄金の鎧を寄進するように頼んだのである。

 沐浴の際にバラモン僧に求められたものはそれが何であれ寄進すると、カルナは誓いを立てていたのである。インドラはそれを利用した。

 そうした事情を予め、すべて知っていながら、カルナは迷うことなく自らに癒着する黄金の鎧を引き剥がし、インドラに手渡した。

 カルナの高潔な態度に恥じ入ったインドラは、その代わりとして絶大な威力を持つ神槍を彼に手渡したのであった。

 “赤”のランサーの本職は、『アーチャー』や『ライダー』である。しかし、この逸話によって彼は、『ランサー』のクラスでは最大火力の宝具を所持して召喚されるだけの性質を得たのであった。

 ランサーの黄金の鎧が砕け散り、炎の中に消えていく。伝承の通り身体に癒着していたのであろうか。血が流れ出てランサーの顔に苦悶が浮かぶ。

 手にしていた槍が消失し、代わって現れたのは信じ難いほどに神々しい豪槍であった。

 轟き渡る雷光を鍛えて刃にすれば、このようになるのではないかとすら思うほどである。

 激しい炎の嵐と神々しい雷光の輝きを前にして、セイバーは己が宝具『幻想大剣・天魔失墜(バルムンク)』が棒切れのように思えてしまった。自分の宝具が、これほど頼りなく感じられるというのは、俄には信じがたいことである。

 だが、それは一瞬の出来事である。

 このまま挑めば敗北するかもしれない。跡形もなく消し飛ばされて、後には何も残らないということもありえる、どころかその可能性のほうが高い。

 

 ――――それがどうした。

 

 純粋に、面白いと思った。

 これほどの緊張感は、悪しき竜に挑んだあのとき以来、いや、それ以上だ。

 十割方死ぬという状況で、ありえないはずの生を拾うのが英雄である。乗り越えるべき困難が強大であるほどに、乗り越えた後は、言葉にならないほどの爽快感を得るだろう。

 その機会を与えてくれた“赤”のランサーに心からの感謝と賛辞を送り、“黒”のセイバーは黄昏の剣気を放出する。

 それが、引き金となった。

 ランサーは槍を構えて最強の槍を解放する。朗々と、気高く誇り高い太陽は、その名を謳い上げる――――。

 

 

「神々の王の慈悲を知れ」

 

 

「インドラよ、刮目しろ」

 

 

「絶滅とは是、この一刺」

 

 

「焼き尽くせ――――『日輪よ、死に随え(ヴァサヴィ・シャクティ)』!!」

 


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