“黒”の紅茶《完結》   作:山中 一

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三十七話

 決戦は五日後。

 その決定を受けても、ゴルドは何も感慨が湧かなかった。

 万全を期したはずの聖杯戦争は、瞬く間に聖杯大戦へと姿を変え、そうかと思えばこちらが聖杯を追う展開になだれ込んだ。

 怒涛の展開に頭がついていかないのも無理はない。

 初めに抱いていた小さな自負など、とうの昔に消し飛んでいる。英雄の戦いに魔術師ができることなど何もない。ただ見守ることだけが、ゴルドの役目だった。一流だろうがなんだろうが、彼らからみれば木っ端のようなもので、ゴルドは自分の命運をサーヴァントに託す以外に生き残る術がない。

 魔術師としての未来と誇りを賭けて望んだはずの戦いは、まったく見当はずれのところに突入し、そしてゴルドがほとんど関わることなく最後の時を迎えようとしている。

 当初はもっとできるはずだと思っていた。

 途中からどうしてこうなったのだと考えを改めた。

 今となっては、なるようにしかならないと受け入れるまでになった。

 先行きは暗く、自分は穴に引き篭もって日がな一日貯水槽で肉塊と向き合う日々だ。穴倉の鼠でももっとマシな時間を費やしている。

 貯水槽は何とかサーヴァントの魔力をカバーできるところまで稼動させたが、“黒”のキャスターの襲撃によって破損した部分に応急処置を施して騙し騙し運転しているものもあるので、ゴルドは長時間この部屋を離れるわけにはいかないのである。

 先ず間違いないなく、『虚栄の空中庭園(ハンギングガーデンズ・オブ・バビロン)』に突入するメンバーに加わることはないだろう。ここでも、自分は流れの外に追いやられている。傷つくべき自尊心など、とうの昔に彼方に置いてきた。

 戦いに敗れれば自分にも死が待っているのだ。今、ゴルドを動かしているのは偏に死にたくないという単純な本能であった。

「なんだ、ここはお前のような英霊が踏み入る場所ではないぞ」

 不機嫌そうに、ゴルドは扉を開けて入ってきたセイバーに言った。

「アーチャーからの差し入れだ、マスター」

 真っ暗な中で、水槽のみが青白く発光している。液体の中に浮かぶのは不定形の青白い肉の塊である。ホムンクルスになる過程の肉塊に魔術回路を組み込んだだけの簡単な生け贄である。

 そんなものが浮かんでいる水槽がいくつも立ち並ぶ部屋に、“黒”のセイバー(ジークフリート)という大英雄はあまりにも似つかわしくない。

 ゴルドの辛らつな言葉に、セイバーは不機嫌になる様子もなく手に持っていたサンドイッチと紅茶が載ったお盆を空いたテーブルの上に置いた。

「そんなものはホムンクルスにやらせればいいだろう」

「いや、俺もマスターの仕事ぶりをもう一度見ておきたいと思ったからな」

「こんなものを見ても楽しくも何もないだろう」

 ゴルドはセイバーに背を向けて、機器の調整を再開する。

 そんなゴルドにセイバーはどのような感情を抱いているのか。彼の表情は相変わらず大きく変わることはなく、ゴルドの対応に不満を漏らすこともない。

「そうだな。俺にはマスターのような錬金術の才はない。だから、この技術を見てどうということはできないが、貴公の力が、俺たちの助けになっているのは紛れもない事実だ。我がマスターが“黒”全体を支えていると思えば、悪い気はしないものだ」

「お前は何を言っている」

 顔を顰めてゴルドは手を止めた。

 支えになっているなどと、これまで一度たりとも言われたことはなかった。

 魔力供給パスを形成する技術は、ゴルドが考案し実現したものだ。だが、それは戦争に勝つための手段であり、やって当たり前のことでもあった。誰に誉められるものでもなければ、認められるものでもなかったのである。

 それを、理由にしてこの大英雄はマスターであるゴルドを悪くないと評しているのである。

「もういい。気が散るからその辺りをうろついていろ」

「そうだな。長居し過ぎたようだ。俺はこれで失礼する」

 セイバーを外に追い出して、再び仕事を再開する。

 この数日で多少やつれたような気もする。だが、それも最終決戦までの辛抱だ。

 口を開くなと命じたのが遠い昔のようだ。

 セイバーはもとより口下手なようで無駄話はほとんどしないが、時たま二言三言会話をすることがある。

 それがゴルドにはちょうどいい。

 ライダーのようなお調子者やアーチャーのような皮肉屋では精神が疲れるだけだ。セイバーのように必要最小限の情報交換に終始するほうが、幾分かやりやすい。

 ゴルドは自分の仕事をただ繰り返す。

 没頭して没頭して没頭する。

 今までにないくらい、頭の中は冴えている。

 自分にできることをそれぞれがただ積み上げることしか、今はない。

 ゴルドの仕事はまさしく彼にしかできないことであり、セイバーが言ったとおり、ゴルドの働き次第でサーヴァントの戦闘に大きく影響するものでもあったから、ゴルドは手を抜くわけにもいかず黙々と仕事を続けるのであった。

 

 

 

 

 □

 

 

 

 

 夜が明けた。

 ルーマニアの空は青く、高い。

 魔力供給の要であるゴルドを除いた面々は、トゥリファスからブカレストに移動していた。国際空港に止めてあるプライベートジェットに乗り込み、“赤”の陣営に最終決戦を挑むためである。

 出発を四日後に控え、静かな緊張感が陣内に漂っている。

 打って出れば、高確率で死ぬ。

 もう戻ってこられないとなれば、口数が減るのは当たり前か。

 無論、一度死を経験したサーヴァントはまた別だ。嵐の前の静けさというべきか。彼らの間に流れているのは、恐れでも憂いでもなく、武者震いに近い緊張感である。

 四日も前からこれでは、本番に精神が磨り減ってしまう。 

 フィオレの提案で、サーヴァントも含めて各々が自由行動をすることになったのであった。

「そういえば、このような形でアーチャーと表に出るのは初めてだったか」

 当世風の衣装に身を包んだ“黒”のセイバーが徐に口を開く。

「確かにそうかもしれん。君は、常にマスターと付かず離れずの距離を維持していたからな」

 “黒”のアーチャーもまた、一般人に紛れるように私服を着込んでいる。

 三騎士に該当するサーヴァント二人が街を練り歩けば、発する空気からして周囲の視線を誘う。

 まして、顔立ちが整っているのだから注目されるばかりである。

 とりわけ注目されるのはセイバーの服装だ。

 長い髪に隠れているが、セイバーの衣服は後ろが大きく裂けたようなデザインとなっていて、鍛え抜かれた肉体が髪の後ろに見え隠れする。スマートさを追及した落ち着いた衣服のアーチャーに対して、ワイルドさを醸し出したセイバーの衣服は、彼の長髪も相俟って見事な調和を生み出し、奇抜なデザインが極自然なものに見えてしまう。

 背中が開いた男物の服はそう多くなく、どうしようもなかったのでフィオレがホムンクルスに作らせたものである。

 セイバーは弱点となる背中を隠すことができない。

 これは、サーヴァントとして召喚されたときにかけられた聖杯からの呪いのようなものだ。

「アーチャーはこの時代に近い時間軸で生きた英霊だったな。では、これといって珍しいものもないか」

「そうだな。私にとっては見慣れた光景がほとんどだな。もちろん、この国に来た記憶があるわけではないが、それなりに発展した国ならば、どこも似たようなものだよ」

「俺の時代とは、かなり異なるな。その辺りの事情は」

 中世ヨーロッパを生きたセイバーにはグローバル化社会などという概念自体が異質なものに思える。人間の技術についても、目覚しく発展しており、彼にとっては建物を除くすべてが新鮮だ。

「ところで、セイバー。君はマスターとのパスは大丈夫なのか?」

 マスターとサーヴァントとの繋がりは、霊的なもののために距離の影響は余り受けないのだが、それでも万が一ということはある。ゴルドはトゥリファスで魔力供給槽の調整をしなければならないために最終決戦には参戦できず、結果としてセイバーはマスターを地上に残して空中庭園に乗り込むことになる。

 未だ嘗て、聖杯戦争でマスターとサーヴァントが数百キロもの距離を隔てたことはない。

「それならば、問題ない」

 と、セイバーは言う。

「念のために、マスターが令呪でパスを強化した」

「なるほど。ならば、万が一もないか」

「俺のことよりも、今はライダーが不安だ」

「確かに。だが、ルーラーが上手くやっているだろう」

 好奇心の塊であるライダーは理性が蒸発しているためにトラブルメイカーを素で行くサーヴァントとなっている。伝説の通り、表に出れば騒動に巻き込まれないことはない。今はルーラーが監督しているが、それもどこまで持つか。

「彼を大人しくさせるには、それこそ令呪以外にないからな」

 もちろん、その令呪も高すぎる『対魔力』によって幾分か軽減される。そんなくだらないことに令呪を二画も使っていられない。

 二人の性格からして、会話が盛り上がるということはない。

 だが、途切れるということもなく続く。

 特にセイバーは現代の技術にそれなりに興味を示しており、そういった技術に親しみのあるアーチャーが説明するという形で会話は続いていた。

 アーチャーにとっては前時代の遺物でも、セイバーにとっては初めて見る最新の技術である。時代が異なるからこそ生まれるギャップは、新たな発見にも繋がるもので、息抜きにはちょうどいい。

 そうして街中を歩いているとき、サーヴァントの気配を感じて二人は足を止めた。

 ルーラーや“黒”のライダーではないだろう。“黒”のアサシンは気配を感じ取れるかどうか怪しい。そもそも、彼女は母親の膝の上で昼寝をしている頃合である。

 アーチャーとセイバーは互いに視線を交わし、気配を発する誰かの下へと向かうこととした。

 “赤”の陣営に属する誰かだというのは確実だ。この状況下で考えられるのは、一人しかいないが、それ以外であったとしても昼間から戦闘に突入することはないだろう。

 果たして、アーチャーの推測は的を射た。

 獅子を思わせる金色の髪を後ろで纏めた少女が、赤いジャケットのポケットに手を突っ込んで街を練り歩いていたのである。

「あ? なんで、お前らがここにいるんだ?」

 出会い頭に顔を歪めた少女が、喧嘩腰になって問う。

「やはり君か、“赤”のセイバー」

 唯一、“黒”の陣営と協調路線を取った“赤”のサーヴァント。“赤”のセイバーがそこにいた。

 マスターの姿はない。

 どうやら、単独で街をぶらついていたらしい。

「君はマスターの傍にいなくていいのか?」

「当面の敵が引き篭もってんだから、護衛する意味もあんまねえだろ。そっちがやる気なら遠慮なく買うけどな」

「そうか。私たちも最後の戦いを前にした息抜きの最中でね。君とわざわざ鋒を交えるつもりはない」

「聞いたぜ。確か、四日後だったな」

「そうだ。足はこちらでも用意しているが……」

 アーチャーの言葉を遮って、“赤”のセイバーが手を適当に振って言う。

「悪りぃが馴れ合いはしねえよ。こっちはこっちで好きにやるさ」

「それならば、それで構わない。互いにできることをすればいいだけの話だからな。だが、どうやって空中庭園に辿り着く?」

「その辺はマスターの仕事だ。何かあんだろ」

 セイバーは適当に答えた。

 すべてをマスターに放り投げているように聞こえるが、実際はできると思っているからやらせているのであろう。そこには確かな信頼関係があるように見える。このサーヴァントは信じない者はとことん信じない。利用することはあっても信頼はしないし背中を預けることもしない。ならば、彼女にとってマスターは、信頼に足る存在であるということだろう。

「君のマスターも相当にできる人物のようだ――――武運を祈っている、ではなセイバー」

 “赤”のセイバーは強力なサーヴァントである。それこそ、となりにいる“黒”のセイバーに並ぶ猛者としてこれからの戦いで活躍してくれることだろう。完全に味方というわけではないが、敵を同じくしている段階では非常に心強い。

 別行動を取るので、これが今生の別れになるかもしれないがアーチャーも“黒”のセイバーも“赤”のセイバーと語らう必要性を感じていない。

 彼女が言ったとおり、馴れ合いはサーヴァントにとって大きな意味を持たない。

「待て」

 立ち去ろうとした二人を“赤”のセイバーが呼び止めた。

「アーチャー。あんたに聞きたいことがある。ちょっと付き合え」

 

 

 

 

 “赤”のセイバーが聖杯大戦に参加したのは、万能の願望機で以て選定の剣に挑むことを夢見たからであった。

 偉大なる王の跡を継ぎ、ブリテンの王として君臨する。自らの実力を広く示し、歴史にブリテン王として名を刻むことが、彼女の目的であった。

 聖杯は王に至るための通過点である。

 聖杯そのものに、王となるという夢を託すわけではない。

 “赤”のセイバーには聖杯を手に入れるだけの願いがあり、執着がある。志半ばに死したからには、その志を全うする好機が与えられて挑戦しないという選択肢はない。

 そうして召喚された聖杯大戦で、“黒”のアーチャーの存在が彼女の中に疑念を呼び起こした。

 “黒”のアーチャーは、並行世界で英雄と化した人物であり、“赤”のセイバーが生前も死後も追いかけ続けているアーサー王を自身のサーヴァントとして召喚し、聖杯戦争に臨んだことがあるというのだ。

 アーサー王を従えるという時点で、腹立たしいがそれはこの際不問にする。

 “赤”のセイバーが知りたいのは、何ゆえにアーサー王は聖杯を求めたのかということであった。

 アーサー王は、彼女から見ても完璧な王だった。

 我欲を抱かず、ただ国のために戦い続けた。その生に瑕疵などあるはずもない。ただ、あの王を理解しなかった者がいただけだ。

 故に、アーサー王が聖杯戦争に参加したという話を聞いてまっさきに脳裏を過ぎったのは、完璧な王がいったいどのような望みを聖杯に託すつもりだったのかということであった。

 近場の店を選び、オープンテラスの席に腰掛けたセイバーは、乱暴に足を組んでアーチャーを睨め付けた。

 俺は席を外そう、そう言って、“黒”のセイバーは離れていった。アーサー王という共通の話題がある者同士で会話をするべきである。これは、サーヴァントの「願い」に深く関わる問答だ。“黒”のセイバーが二人から離れたのは、そうした配慮があったからであろう。

 邪魔者がいなくなった“赤”のセイバーは、注文したオレンジジュースを一気にグラスの半分ほど飲んでから、改めてアーチャーに尋ねる。

「で、父上はどんな願いで聖杯戦争に参加していたんだ? マスターだったんなら、知ってんだろ?」

「それを、私が君に言う理由はあるのかね?」

「ねえ。が、言わねえなら、力ずくで聞き出す。そっちにとってどうか知らんが、オレにとっては重要だからな――――」

 昼の街中では戦わないが、決戦まで四日もある。決闘を挑む機会はいくらでもあるのである。

 “赤”のセイバーは本気であった。

 少なくとも、アーチャーに口を割らせるために如何なる手法でも用いる覚悟があった。

 当然、アーチャーとしてはここで仲間割れはしたくない。

 “赤”の陣営に属するサーヴァントである“赤”のセイバーは、一旦は“赤”の陣営を見限ったもののかといって“黒”の陣営に完全に鞍替えしたわけでもない。ここでの争いは“赤”の陣営を利するだけであった。

「まあ、いい。私に不利益があるわけでもないからな」

「もったいぶらずにさっさと言えってんだよ」

 じれったそうにする“赤”のセイバーは、絵本の続きを強請る子どものように身を乗り出した。

 暴れられても困るので、アーチャーはしかたなく口を開いた。

「選定のやり直し、だそうだ」

「何……?」

「選定のやり直し。完璧な王の治世が滅びに向かったのであれば、王の選定が誤りだった。セイバーは本気でそう思い込み、そして聖杯を用いてアーサー王の歴史のすべてをやり直そうと……」

 アーチャーの言葉は最後まで続かなかった。

 一際甲高い、ガラスの砕ける音が響き周囲の目を引いた。

 ぼたぼたとオレンジ色の液体がテーブルを染め、雫となって滴り落ちる。

「お客様、お怪我はありませんか!?」

 慌てて駆けつけた店員が台布巾や塵取りで後始末をする。

 “赤”のセイバーはその握力でグラスを握りつぶしてしまったのである。まさか、こんな少女がグラスを砕くとは誰も思わない。叩き付けたわけでもないので、状況としてグラスに欠陥があったというように受け取られるだろう。店側の謝罪をセイバーはぞんざいに受け流し、代わりに持ってこられたオレンジジュースを苛立たしげに睨み付ける。

「あまり人目を引く行動は慎んでくれないか?」

「うるせー」

 “赤”のセイバーは呟いた。

「あの王が、間違っていた? ありえない。父上はいつだって完璧だった。非の打ち所のない、理想の王であり続けたんだよ。それがやり直しだと……?」

 セイバーがグラスを砕いたのは純粋な怒りに、力のコントロールを誤ったからであった。

 アーサー王が聖杯に託した願いは、到底受け入れられるものではないのだから。

「君はアーサー王を憎んでいるのではないのか?」

「あ?」 

「そうだろう。君は『アーサー王伝説』を終わらせた英雄ではないか。アーサー王が気に入らないから反乱を起こしたのだろう?」

 気に入らないから、と他人に言われるのは虫唾が走る。

 そうではない、と否定したい気持ちが湧いてくる。

 “赤”のセイバーがアーサー王に抱く気持ちは極めて複雑だ。アーチャーが言うような憎しみもあれば、初めてアーサー王を見たときに抱いた純粋な憧憬も持ち合わせている。様々な方向性の感情が綯い交ぜになっているので、一言で言い表すのは難しい。

 “赤”のセイバーは頬杖をついてそっぽを向いた。 

「答えにくいか。では、質問を変えよう。君は、どうして反乱を起こしたのだね?」

 “黒”のアーチャーはアーサー王(セイバー)をパートナーとして聖杯戦争を戦い抜いた人物である。自分のサーヴァントと生前因縁がある人物に、反逆の真意を問い質したいと思うのは自然なことか。

「反逆の理由か。そんなものはな、決まっている。あの王がオレに王位を譲らなかったからだ」

「それで滅ぼしたのか」

「そうさ。政治も軍事もオレのほうが上手くやれる。あの人の血を継ぐのはオレだけだ。血統も能力もすべて王として問題なかったはずだ。だが、アーサーはオレを一度たりとも見なかった。最後の最後までだ」

 血統で見れば、アーサー王に何かあれば親戚筋のガウェインに王位が移ったであろう。

 しかし、それはアーサー王の血筋ではない。アーサー王の跡継ぎとして、正しく国を統治できるのは、自分以外にいないのだと“赤”のセイバーは思っていた。

 ところが、アーサー王は王位を誰にも譲ることはなく、“赤”のセイバーの出生の秘密を知った後でも対応を変えることはなかった。 

 偉大な父親への敬意は、時と共に憎悪へと変転し、そして遂には大規模な反乱へと向かっていく。

 アーサー王が憎かったこともあるが、それ以上にただ認めてほしかった。

 反乱を起こさないという選択肢はなかった。

 自分自身どうかと思うが、反乱しなければモードレットという英雄は誕生しなかったに違いない。名もない一騎士として常人よりも短い生涯を終え、何一つ得ることなく、満足もせず、ただ消えるだけだったはずである。

「国を滅ぼしたことは、何とも思ってないわけか」

「ふん、別に。……国が終わったからどうだってのは、ただの結果論だろ。自分の行動の結果を、後で悔やんでも仕方ねえんだよ」

 終わってしまったことも、志半ばで死んだことも重要ではない。

 カムランの丘でアーサー王と全力で打ち合ったあの一瞬だけは、少なくともモードレットはアーサーの前に立ちはだかる壁であることができた。自己満足でしかなく、歪な形ではあるが、アーサー王と向き合えたことのほうが、彼女にとっては重要であった。

「それをなんだ。あの王は、血迷ったか? 反乱を起こしたのはオレだろうに、よりにもよって自分が間違っていただと? 結局、死んだ後までオレのことは眼中にねえのかッ」

 “赤”のセイバーは歯軋りして、俯いた。

 筋道としては反逆の罪を犯したモードレットを取り除くのが先だろうに、それをせずに自分が過ちを犯していただとか、なかったことにするだとかいうのは、反逆を犯してまでアーサー王に固執したモードレットにとっては己の存在を否定されたに等しい蛮行に思えた。

「君にとって都合がいいのではないのか? アーサー王が王位を否定すれば、挑戦権が他の騎士に与えられるだろう。まあ、そのときに君がいるとは限らないが……」

「どの道、アーサーがいなければオレは存在しねえし、そんな世界に意味はねえ。オレはあの王を越えるために剣に挑むんだからな」

 とどのつまり、“赤”のセイバーが必要としているのはアーサー王の正統な跡継ぎであるという「証明」である。よって、ただ王位に就ければいいという問題でもない。

「そうか。アーサー王(セイバー)が君にどのような思いを抱いていたのかは、私にも分からない。が、セイバーは聖杯戦争を通して自分の望みの危うさを認識し、迷いを払拭して帰っていったよ。もう、自分自身を否定することもないだろう。無論、これは私の個人的な願いでもあるがね」

「そうかよ。なら、まあいいんだがな。腑抜けられても、乗り越え甲斐がねえからな」

 ガシガシと、“赤”のセイバーは頭を掻いた。

「ところで、君に聞いておきたいことがあるのだが、いいかね?」

「あ、何だよ、改まって」

「君の夢のことだ」

 己の聖杯にかける望みについては、今までに散々口にしてきた。

 それを、わざわざ確認するとはどういうことか。

「君はアーサー王を越える王になると言ったな」

「ああ、言った」

「それはどのような王だ?」

「どういうことだよ?」

「これでも、私は世界を旅した経験がある。統治者に虐げられるのはいつも弱者だ。あれは悲惨でね。アーサー王を越えるのであれば、是非善き王を目指してほしいと思ったまでだよ」

「――――そんなことは当たり前だ」

 悪しき王になどなるつもりはない。

 “赤”のセイバーはアーサー王に叛旗を翻した騎士だが、決して悪意を民草に叩き付けるような人間ではないのだ。

「聞きたいことは聞いたし、オレはもう行く。次は空中庭園だな。会えるかどうかは知らねえがな」

 “赤”のセイバーは最後にグラスを空にして、ジャケットを翻して帰路につく。

 アーサー王を越えるには、どうすればいいのか。

 目指してきた背中は大きく、遠い。

 目印とするには十分に過ぎる。

 聖杯に到達し、選定の剣に挑戦して新たなブリテン王となった暁には、自分はアーサー王の先を行く者にならなければならない。

 善き王となるにしても、何をすればいいのか。

 戦での勝利、国の発展、国土の統一、すべてアーサー王はやり遂げている。アーサー王を越えるとなれば、彼以上の手柄を立てる必要がある。王として、国をどのように導くのか。目指すばかりでは、どこにも辿り着くことはできないのではないだろうか。

 きっと、アーサー王ができなかったことをすればいいのだろうが、果たしてそれはなんだったか。

 思索の海に沈みながら、“赤”のセイバーはマスターの待つカタコンベへと歩を進めるのであった。

 


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