獅子劫界離と“赤”のセイバーは、正午になる前には“黒”の陣営から離れて独自行動を再開していた。今後、“黒”の陣営を協調路線を取るとはいえ、心から信用できるというわけではなく、何れは聖杯を巡って争う間柄である以上は必要以上に深入りしてはならないと戦場で生きてきた傭兵の勘が告げていた。
状況からして寝首を掻かれることはないだろう。
しかし、信用もされなくなるだろう。共に活動していれば、「こいつらは何を考えているのだろうか」と、疑いの視線を向けられることとなる。そうなれば、対“赤”の陣営という構図の中に、表面化しない内部抗争の図式が生まれてしまう。その小さな罅が、後々致命的なものになる可能性が否定できないからには、互いに適度な距離を保つ必要があると判断したのである。
美味い飯と高級ベッドには、後ろ髪を引かれるのだが、敵地であることを忘れて牙を抜かれては話にならない。
ただ、令呪とトゥリファスを自由に行動できるようになったことを収穫とすべきであろう。
獅子劫は車を走らせて、石造りの街並を通り抜ける。
さすがにユグドミレニアは金があると見えて、使わない車を一つ譲ってもらえたのである。
獅子劫はハンドルを握りつつも、助手席でアンニュイな雰囲気を醸し出している自分のサーヴァントに視線を向けた。
セイバーは窓際に頬杖をついて、外を眺めている。
元気ハツラツとした雰囲気が鳴りを潜めて、すっかり物静かになってしまった。正直に言えば、非常にやりにくい状況である。
「アーサー王があのアーチャーに召喚されたことが気になるのか?」
意を決して、獅子劫はセイバーに尋ねた。
アーサー王。
六世紀ごろにブリテンを治めたとされる伝説的な騎士王。その栄枯盛衰は文学作品として中世以降大いに西洋諸国を熱狂させ、一時は廃れたこともあったものの、十九世紀ごろからは再び人気を取り戻して今となっては世界的に知れ渡っている。
英霊としての格は最高位と言っても過言ではないだろう。
『セイバー』として召喚するのであれば、まず真っ先に名前が挙がるサーヴァントに違いなく、そして『セイバー』として召喚できれば、間違いなく最強クラスのサーヴァントとして猛威を振るうのは想像に難くない。
アーサー王は、円卓の騎士を率いた正真正銘の王であり、自らも一騎当千の武人であった。
ブリテン島の外から押し寄せる数多の蛮族を討ち果たし、衰退しつつあったブリテンに栄光と繁栄をもたらした奇跡の王にして、朋友たるランスロットと后のグィネヴィアとの不倫から始まりモードレッドの反乱によって国を滅ぼされた悲劇の王でもある。
“黒”のアーチャーが生前に参加した冬木の聖杯戦争では、アーサー王をセイバーのサーヴァントとして召喚したという。
しかも、彼はセイバーと共に最後まで生き残り、汚染された聖杯を破壊して聖杯戦争のすべてに決着を付けたというのだ。
この世界では決して行われることのない第五次聖杯戦争。
『セイバー』はアーサー王。
『アーチャー』はギルガメッシュ。
『ランサー』はクーフーリン。
『キャスター』はメディア。
『ライダー』はメドゥーサ。
『バーサーカー』はヘラクレス。
『アサシン』は佐々木小次郎。
名前を聞くだけで、頭が痛くなる面子である。
現在行われている亜種聖杯戦争では、アーサー王が参加しただけでほとんど勝敗が決まったも同然となる。
著名なサーヴァントを召喚するための触媒の値段は高騰し、争いの中で散逸してしまっているから、高位のサーヴァントそのものが召喚しにくい環境になっているのである。
しかし、“黒”のアーチャーが生きた世界はそのようなこともなく触媒の用意は比較的容易だったとはいえ、参加したサーヴァントはどれも超一級のサーヴァントである。
佐々木小次郎は、この中では格下であると言わざるを得ないが、しかし剣技だけはアーサー王を凌いだというのだから驚きである。
敵が敵だけに多大な苦戦をしたという。しかも、マスターであった“黒”のアーチャーは満足に魔力を供給することすらも儘ならない三流以下の魔術師であったらしい。その状態で、超一級のサーヴァントが集った聖杯戦争によくもまあ勝利できたものだ。
獅子劫の問いにセイバーは軽く頷いた。
「気にならねえっつったら嘘になるな。まあ、父上は最上級の英雄だから、サーヴァントとして召喚されるのは当たり前のことだ」
「へえ、意外に冷静なんだな」
「ふん」
獅子劫にとって意外だったのは、セイバーがアーチャーの話を聞いた後で、すっかり大人しくなってしまったことであった。
セイバーが父に抱く感情は一言では言い表せないものであり、彼女の性格からすればアーチャーの経験談に影響されて大騒ぎになる可能性を危惧していたのだが、まったく正反対の空気に獅子劫は困惑するばかりである。
「だが、よかったじゃねえか」
「あ?」
「お前の目指すところはワールドランクでトップだったってことが証明されたんだからよ」
アーサー王は大きな足枷をされながら、超一級のサーヴァントが集った聖杯戦争で勝ち残った。聖杯そのものは降臨した時点で使い物にならなくなっていたものだから破壊したというが、その判断の如何は問わず、勝ち残ったという事実は、セイバーにとってモチベーションを上げる要因となるはずである。
「父上が聖杯戦争に勝ち残ることに疑問はねえ。ただな……」
「なんだ?」
「あの父上が、魔術師共が用意した聖杯なんぞを使って何をしようとしていたのかなってな」
「アーチャーに聞けばよかったじゃねえか」
セイバーは答えず窓の外に視線を戻した。
確かに、アーチャーに聞けばアーサー王の望みを知ることができるだろう。しかし、セイバーはあえてアーチャーに尋ねなかった。そこには、彼女なりの複雑な理由があるのであろう。
獅子劫は、その日はそれ以上アーサー王の話題を出さず、聖杯戦争とは異なる話題でコミュニケーションを取ることに終始した。
□
知らない街並の中に、わたしはいた。
街角を吹き抜ける風は冷たく、雪はなくとも真冬の一風景であると理解できた。
立ち並ぶ家々には近代的なデザインが多いものの、石造りの街並の中で育ったわたしには文化の違いが新鮮だった。
主人公は赤毛の少年だった。
わたしよりも少し年下であどけなさが残るものの、きちんと鍛えているのだろう。バランスのよい筋肉のつきかたをしているのが制服の上からでも見て取れた。人体工学を得意とするわたしは、そういった身体的特徴を把握する術に長けているのだ。
そしてどうやらここは日本らしい。
詳しくは知らない遠い異国。魔術師の世界では、聖杯戦争発祥の地として知られているし、それ以外ではサムライ、ゲイシャ程度の単語を時々聞くくらいだ。
しかし、話に拠れば今回の聖杯戦争の黒幕である天草四郎時貞は日本の英霊だし、自分が召喚したアーチャーのサーヴァントは日本人だったという。
となれば、きっとこれはアーチャーの記憶だろう。
ここはアーチャーが生まれ育った街。並行世界の冬木市なのだと思う。
サーヴァントとのパスを通して、マスターはサーヴァントの記憶を夢見ることがあるという。
意識的にカットすることもできるが、アーチャーの過去には興味がある。申し訳ないが、このまま見させてもらおうと、意識を調整する。
よりクリアになっていく視界、その一方で映像にはラグが走り、時折ブレーカーがチャンネルが変わるかのように場面が切り替わる。アーチャーの記憶が磨耗しているという話は間違いではなかったらしい。
「衛宮」と呼ばれる少年は、一見すればアーチャーとは似ても似つかないのだが、眉や目元にどことなく面影がある。この少年が、後々英雄として語り継がれることになるのかと思うと不思議だ。
それにしても、魔術師として三流だったというアーチャーの言葉は正しかったらしい。強化の魔術すら満足にできないどころか、魔術回路の扱いからしてなっていない。彼がやっているのは、いたずらに自分の身体を痛めつけるだけの狂気の沙汰だ。魔術の修行にすらなっていない。自殺志願者と言われても、わたしは納得できるだろう。
夢の中に度々出てくる「正義の味方」というキーワード。
おそらくは、これがアーチャーの根幹に関わるのだろう。
そして、場面は急速に切り替わっていく。
夜の学校で、ランサーのサーヴァントに殺害されたこと。それを誰かに救われたこと。そして、そのときに拾った宝石が、わたしがアーチャーを召喚した触媒になっていたということ。あまりにも唐突に聖杯戦争に巻き込まれた未熟者は、自宅で再びランサーの襲撃を受ける。
逃げ回る彼は必死になって敷地内の倉庫のような建物に逃げ込んだ。
だが、そこは死地だった。
逃げ場のない建物の中ではランサーから逃げ切ることはできない。
ついに追い詰められた少年は、それでもランサーに向き合った。サーヴァントに殺意を向けられて、凶器を突きつけられていながら、少年の意志は砕けなかった。
それが、わたしには信じられなかった。鋼のような意思が、どこからやってくるのか理解できず、そしてそれでもランサーには敵わないと分かっていたから、無駄と知りつつ止めに入ろうとしてしまった。
突き出される槍に、万事休すかと思ったそのとき、突如湧き上がった魔力の輝きと共に現れた一人の騎士が少年を救った。
月光を背景に振り返る騎士はこの世のものとは思えないほどに美しかった。
“赤”のセイバーに酷似したその顔を見れば分かる。
これが、アーサー王。
アーチャーがかつて召喚した、セイバーのサーヴァント。
騎士王は尻餅を突いた少年に、問いかける。
「問おう。あなたがわたしのマスターか」
それは、運命の幕開けだった。
アーチャーが語ったとおり、聖杯戦争は苦戦の連続だった。断片的に覗き見た戦いは、どれも尋常のものではなく、わたしたちの聖杯大戦にも匹敵する戦いを街中で行うのだから信じられない。さぞ、隠蔽工作が大変だったことだろう。
少年はなんとか聖杯戦争を生き残り、汚染された聖杯を破壊してアーサー王と別れた。
輝く日々を印象付けるような最後だった。
だが、彼の人生の中で聖杯戦争は運命の序章に過ぎなかったのだと理解させられた。
魔術の研鑽のための渡英。
それは、魔術の世界に身を浸した人間ならば誰もが目指すところだろう。それ自体にはおかしなところはない。ロンドンの時計塔は、魔術を学ぶ上では最高の環境が整っている。彼自身は時計塔に入れるだけの力はないが、その師匠となった遠坂の令嬢の付き添いという形ならば関わることはできる。
もしも、時代や世界が同一だったなら、彼と魔術協会で出会うこともできたかもしれないと思うと奇妙な感覚に囚われる。
ロンドンで、彼は魔術の研鑽に励んだ。
しかし、魔術師たちの中にあって彼はあまりに異質だったし、彼自身も魔術そのもののあり方には興味がなかった。
「正義の味方」を実現するために、ひたすら生きた彼は引き止める友人たちに背を向けて戦いの日々に身を投じた。出口の見えない戦争の中を駆け回り、一人でも多くの人を救おうと腐心した彼は次第に多くを大のために小を斬り捨てる冷酷な判断を下すようになっていった。
見たことのない現代の戦争の悲惨な光景に吐き気がする。
諸悪の根源を潰すことで、安定を目指した彼は、いつの間にか悪人として世界に名を知られるようになっていった。その過程を飛び飛びながら追体験させられたわたしは、もう限界だった。
なぜ、人を救いたいと真摯に願い続けた彼が、こんな目に合わなければならないのか。どこで歯車が狂ってしまったのか。
目を背けることもできず、わたしは夢が覚めることをただ願いながら、過ぎ去っていく血塗れの日々を見続けた。
□
まったく困ったことになったものだ。
ゴルド・ムジーク・ユグドミレニアは苛立ちを隠しもせずに頭を掻き毟る。
彼がいるのは貯水槽が立ち並ぶ部屋である。
ホムンクルスから魔力を搾り取り、サーヴァントたちに供給する発電所かつ送電施設とも言うべき場所であったが、今となっては見る影もなく、天井は崩れ落ち、瓦礫によって多くの貯水槽が押し潰されていた。
“黒”のキャスターがやらかした破壊行為によって魔力の生成量は最盛期から七割減はするだろう。
今は、緊急措置としてパスをすべてマスターに接続しているが、今後もしばらくはこの状態を続けなければならないだろう。
ゴルドは優秀な魔術師だが、それでも大英雄を全力で戦わせるとなると何かしらのバックアップを用意しなければ耐えられるかどうか分からない。相手は大聖杯と接続しているために魔力量が無尽蔵になっていることもある。
よって、ゴルドの役目は低下した魔力生成量を何とかして上昇させることにあった。
セイバーは室外で霊体化させている。こうなった以上は魔力の消費量を抑えてもらわなければならない。それが、ゴルドにとっては腹立たしい。想定外な事態が起こりすぎていて頭が回らない。まったく予定通りに進まない。自分の知恵を結集した貯水槽を容易く破壊され、敗北の二文字がちらつく状況で、ゴルドは足掻かなければならない。どこかで諦め癖のついていた中年には、今更死に物狂いで足掻くなど滑稽にしか思えないが、しかし、そうしなければ、本当に死ぬ。“赤”の連中に殺されるか、それとも魔術協会に殺されるかは分からないがどちらにしてもまともな最期を迎えることはあるまい。
ならば、自分が出来る範囲の足掻きくらいはみせてやろうとゴルドは修復作業に入る。
貯水槽そのものは魔術を使えばすぐに元通りにすることができる。
壊れた机も椅子も直すのに苦労することはない。
問題はホムンクルスの確保だ。
魔術師型のホムンクルスは、魔力の生成効率はいいものの生み出すのにそれなりの時間がかかる。ならば、別の手段で代用するしかない。魔力の生成効率を無視して、量産しやすい生物に切り替える。魔術の実験によく用いられる犬猫の類、いや、もうここまできたらいっそ動物の形をしている必要もない。極端に無駄をそぎ落とし、実用主義を貫こう。魔術回路を備えた肉の塊でいいと割り切れば、それなりの数を用意することはできるだろう。
長時間の戦闘には耐えられないが、決戦を下支えすることは可能なはずだ。
“なぜ、この私がこのような雑な仕事をしなければならんのだ”
ゴルドとて錬金術師としての誇りがある。
肉塊をひたすら生成するなどという誇りも何もない仕事をしなければならないのか。
名誉ある戦いだったはずなのに、自分のそれまでのすべてが否定されているかのようであった。
□
フィオレが眠りに就いてからしばらく経った。
目覚めるころには、日が暮れているに違いない。昼夜逆転の生活は身体によくないのだが、と心配しつつ廊下を歩く“黒”のアーチャーを呼び止めたのはルーラーであった。
「アーチャー。……と、ライダーもそこにいましたか」
「おまけみたいに言わないでもらえる?」
廊下の曲がり角からひょっこりと顔を出した“黒”のライダーは、不機嫌さを隠しもしないでやってくる。
それから、ルーラーはきょろきょろと見回して、
「“黒”のセイバーはどこにいるか分かりますか?」
「彼ならばマスターの護衛をしているだろう」
「なるほど、では彼に後で伝えるとします」
「何か私たちに用事でも?」
「あなた方がここから救い出したホムンクルスの少年から言伝を預かっています」
ルーラーの言葉にライダーは飛びかからんばかりに詰め寄る。
「なんだって!? あいつは無事なのか!? なんでルーラーが知ってるんだよ!?」
「ちょ、ちょっと。落ち着いて、きちんと話しますから」
ルーラーに詰め寄るライダーの襟首をアーチャーは掴み、引き戻す。
「ルーラー。どういうことだね。君は彼と面識があるのか?」
「はい」
ルーラーは頷いて続けた。
「彼とはミレニア城塞の外に逃げていたところで出会いました。今は、ホーエンハイムと名乗って、街の教会で寝起きしています」
「ホーエンハイム、か。なるほど、ホムンクルスにかけたか」
「街で元気にしているとあなた方に伝えるよう頼まれました。感謝していると」
ライダーは大きく頷いて、笑った。
「そっか。あいつ、元気にしているのか。それはよかった! なあ、アーチャー!」
「そうだな」
それはもう、心から嬉しそうにしてライダーは笑った。
「ホーエンハイムか。そうか、いい名前だ」
新たな名を得た無垢な少年は、残りの短い人生の中で何を得るのだろうか。
ホムンクルスである以上、人並みに生きることは許されない。もとより、長く生きることを想定されていないから、三年も持てばいいほうだろう。それは何かを学ぶには短すぎる。何も得ないまま人生を終える可能性のほうが高い。
しかし、ライダーはそんなことは構わなかった。
ただ、生きて元気にしてくれていればそれでいい。所詮は死した存在である自分が、この世に何かを残せるのならそれに越したことがない。エゴかもしれないが、彼が彼の人生を全うしてくれることを祈るばかりである。
「きっと、セイバーも喜ぶ。うん、今すぐ教えに行こう」
ライダーはそれまでの不機嫌そうな顔を一変させて、すっかり上機嫌になってセイバーの下に向かう。
「言伝はわたしが頼まれたのですから、わたしも」
と、ルーラーもその後に続いた。
アーチャーはその後姿を見送った後で踵を返して廊下を歩いていった。
それから数時間。
日が暮れた後で、フィオレは目覚めた。
ベッドから身体を起こした後で顔にかかった髪をかきあげた。
アーチャーの記憶を見た。英雄の記憶は華々しいものだと、心のどこかで思っていたが、現代人である彼にそれは求めることはできなかった。なるほど、彼の人生は英雄と呼ぶに相応しいものだった。誰かのために自分を犠牲にし、自分は何も求めずにただ戦い続けた。
「聖杯戦争の記憶だけでよかったわ」
大英雄が集った彼の聖杯戦争。
神話に語られる英雄を見る機会はこのような場合以外にはない。彼は高校生の頃に名だたる英雄たちを相手に立ち回ったのだから、それは大きな経験になったことだろう。
「アーチャー。そこにいますか?」
声をかけてから数秒、部屋の外の気配が室内にまで移動してきた。実体化したアーチャーは、普段と変わらない様子でフィオレの傍にやってくる。
「目覚めたようだな、フィオレ」
「ええ、ずいぶんと長く眠ってしまったようで。その後、何か大事ありませんでしたか?」
「いいや。これといった変化はない。今のうちに休憩しておいて、英気を養うのは悪いことではないだろう」
自分が寝ている間にトラブルが起こっていないかと心配したのだが、そういうこともないらしい。
「ところで、君はよく眠れたのか?」
「どうして、そのようなことを聞くのですか?」
「どうにも、顔色が優れないように見えるからな」
顔に出ていただろうか。
フィオレは自分の顔に軽く手を当てて、意外そうな顔をする。
夢見が悪かったのは、アーチャーの記憶を見たからだ。
「アーチャー。あなたは生前、聖杯戦争に参加しましたよね」
「それは以前言ったとおりだと思うが。“赤”のセイバーにも、大まかに説明したではないか」
フィオレもその場にいたのだから、アーチャーがどのような説明をしたのかは知っている。主に、自分のサーヴァントであった
そして、彼の説明に矛盾があることも理解している。
「ですが、『アーチャー』についてはギルガメッシュと事実と異なる説明をしましたね」
アーチャーは、自分の経験した冬木の聖杯戦争に参加した『アーチャー』のサーヴァントを
「なるほど、君は私の記憶を見たのか」
「はい」
「まあ、隠し通せるものでもないが、奇妙な話なのでな」
「確かに、それは思います」
過去の自分と未来の自分が出会う。有史以来そのような経験ができた人間がどれくらいいるだろうか。少なくともフィオレの記憶には、そのような話は聞いたことがない。
「英霊になれば、時間に囚われないからな。未来に呼ばれる場合が多いが、私のように過去に呼ばれることもある。聖杯戦争に生前関わっていれば、出会うこともあっただろう。正直、見ていられなかったよ」
「それは、なぜ?」
「好き好んで未熟以外のなにものでもない過去の自分と言葉を交わしたいとは思わないだろう。君とて、幼い頃の失敗や後悔をもう一度直に見つめろといわれればいい思いをしないはずだ」
「……そうですね。確かに」
昔書いた日記を見返すようなものだ。しかも日記は話すし行動する。
「それで、フィオレ。今度は、どこまで見た?」
アーチャーの質問に、フィオレはすぐに答えられなかった。
凄惨な戦場の光景が脳裏に蘇ったからである。
「すみません」
フィオレは謝罪する。
「あなたの戦いの日々を垣間見てしまいました」
「そうか」
アーチャーは嘆息する。
マスターと繋がっていれば、その過去を見られるのは当たり前のことだ。責めるものではない。
「アーチャー。あなたの望みは、世界の恒久的な平和だと言いました。あなたの人生はそれを追い求めたものでしょう? 天草四郎の望みとあなたの望みは何が異なっているのでしょうか?」
「簡単なことだ。彼は過去を否定し、未来を消し去ろうとしており、私は過去を踏まえて未来を目指すべきだと考えている。言葉の上では世界平和は同じだが、その過程が大きく異なる。要するに、彼は人類に失望しており、私はそこまで人類に否定的ではないということだ」
アーチャーの言葉に違和感を覚えてフィオレはさらに尋ねた。
「あなたは、恨んでいないのですか?」
「恨むとは?」
「あなたの努力に報いなかった諸々の要因、裏切った友、変わらぬ人類――――様々あると思いますが」
「そういったものは特にない。大抵の望みは生前に叶えたし、裏切られたのも私の選択の結果でしかない。よって、私が恨むべき者はいないのだ」
「損な性格だと言われませんか?」
「さて、どうかな。日本には三つ子の魂百までという諺もあるが、こればかりは性分でね。死んでも治らん。あるいは八つ当たりの対象でもいれば別だったかもしれんが、そういうわけでもないからな」
肩を竦めるアーチャーは、どこまで本気なのか分からない顔で苦笑いを浮かべてみせる。
「まあ、これならこれでいいだろう。やつに啖呵を切ったからか色々と吹っ切れたよ」
「そうですか。それなら、いいのですけど」
フィオレは微笑んで、口を噤んだ。
そんなフィオレを見て、アーチャーは不意を突くように疑問を投げかけた。
「君はどう思った?」
「え?」
「私の夢を見たのだろう。君はあの世界を見てどのように思った?」
アーチャーの記憶の中にはフィオレの知らない世界が広がっていた。
民族紛争に端を発した内乱もあれば、領土争いで国家が激突した紛争もあった。どれもフィオレの身近にはない景色であり、それでいて今もこの世界のどこかではありふれた光景なのである。
アーチャーの記憶は他の英雄たちの過去の武勇譚とは異なる。今、あるいは未来の出来事なのだ。新聞などで報じられた情報の蓄積だけでは、到底理解できない現実がそこにはあった。
魔術師同士の殺し合いとはまったく質の異なる狂気に満ちた殺し合い。そこには名誉も誇りもなく、搾取する者とされる者との二項対立構造が成立しており、しかもそれは時として入れ替わる。
押し黙るフィオレの答えをアーチャーは強要しなかった。
「あの戦場を渡ってきたものとしては、君が彼らに対して何かしらの思いを抱いてくれると嬉しい」
それだけを言って、アーチャーは部屋から出ていった。その背中にフィオレは声をかけようとした。
「何かしらって」
そのような中途半端で軽いものではないはずだ、と続けようとして思い止まった。
魔術師であるのなら、ああいった紛争の中にすら根源への可能性があるのではないかとまずは疑うべきである。
ならば、夢に出てきた人々の死にいちいち心を動かしていてはいけない。
それは魔術師としては、非合理的な考え方だからである。
寝起きなのに非常に疲れた。
フィオレは肺腑の底から吐息を漏らして、再びベッドに身体を預けた。