“黒”の紅茶《完結》   作:山中 一

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二十四話

 

 

「この場にいる全サーヴァントに令呪を以て命ず。元ランサーのサーヴァントである吸血鬼を打倒せよ!」

 

 

 膨大な魔力が解き放たれて、眩い輝きを放つ。

 ルーラーの特権が、その最大の威力を発揮した瞬間であった。

 令呪を核として発生した莫大な魔力は個々のサーヴァントに戒めとなって絡みつき、その行動を限定する。吸血鬼と戦う際には能力を向上させ、令呪に逆らう場合には大きな枷となって動きを阻害する。

「こうなっては仕方がないか。少々良心が痛むが、悪く思うな、ランサー」

 “黒”のアーチャーが陰陽剣『干将(かんしょう)莫耶(ばくや)』を構え、“黒”のセイバーは『幻想大剣・天魔失墜(バルムンク)』の柄を握る。  

 ほんの数分前まで頼れる将であった者に武器を向けることに若干の後ろめたさを感じつつも、今討たねばならぬと分かっているアーチャーに臆する心はない。

「まあ、仕方ねえか。姐さん」

「うむ。援護は任せろ」

 “赤”のライダーが槍で突き、“赤”のアーチャーが矢を放つ。ワンテンポ遅れて、“赤”のランサーが黄金の豪槍を振るった。

 ランサーの槍は吸血鬼の頭蓋を押し潰し、身体を大きく拉げさせた。

「む……」

 だが、再生する。

 肉体の損傷は、吸血鬼の命に僅かばかりの影響も与えないのか。神すら殺す槍を以てしても、吸血鬼の苦悶に満ちた笑みを消すことはできなかった。

 逆に、吸血鬼の怪力が近接戦を挑んだ英雄二人を殴り飛ばす。吹き飛んだ二騎のサーヴァントと入れ替わるように、ルーラーが前に出る。彼女が持つ旗は聖旗である。十字教の教えに則った武具は、それだけで吸血鬼の弱点となる。旗に打たれた吸血鬼が忌々しそうに後退する。そこに、“黒”のアーチャーが斬りかかる。

「ハッ!」

 黒刃が吸血鬼の右手を斬り裂き、返す白刃が胸に浅く横一文字を刻む。

「オオオオッ!」

 吸血鬼が苦悶の声を上げる。

「これは……!」

 ルーラーが、吸血鬼の変化に気付いた。

 “黒”のアーチャーに斬り付けられた箇所から白煙が上がっている。今までのような常軌を逸した再生ができないようだ。

「その剣の効果ですか、アー……チャー?」

「何だね、その目は?」

 『アーチャー』が剣を持っていることが珍しかったのか、また別の理由か。ルーラーの表情には僅かな困惑が見られた。

「いえ、失礼しました。その双剣には、吸血鬼に有効な能力があるようですね」

「そのようだな。このような形で活躍してくれるとは思わなかったが」

 アーチャーの双剣は、投影品のためにランクが下がっているものの、その本来の能力はあらゆる怪異に対して絶大な力を発揮するというものだ。

 オリジナルの『干将(かんしょう)莫耶(ばくや)』ならば、ゴルゴンの怪物すらも両断できるという。

 怪異の代表格である吸血鬼には、効果的な武器だろう。

 だが、それも吸血鬼の命を僅かに削るのみで、決定的な攻撃にはならない。“黒”のセイバーの聖剣をかわした吸血鬼に、“黒”のキャスターが自ら操る十体のゴーレムが襲い掛かる。“赤”のライダーと“赤”のランサーが後れを取るまいと示し合わせて吸血鬼を左右から刺し貫き、ルーラーが聖旗で強かに打ち据える。サーヴァントたちの隙間を縫って“赤”のアーチャーが矢を放つ。

「また、霧に!」

「面倒なッ」

 サーヴァントの総攻撃を受けながら、吸血鬼は健在だ。受けるダメージもルーラーの聖旗によるものと“黒”のアーチャーの双剣によるものだけであり、それらも危険と分かればまともに受けたりはしない。倫理観が欠如しているのに、理性はあるから厄介だ。『バーサーカー』のように暴れまわるのではなく、彼なりに敵を分析しているのだ。

 神秘としては百年ほどの浅い歴史。元となった“黒”のランサーにも届かぬ薄い神秘だ。小説の中の化物でありながら、世界を覆い尽くした恐怖の元凶の実力は、神話の英雄たちでも一歩間違えば死を与えられてしまうほどである。姿を蝙蝠や霧に変え、あるいは強靭な拳と爪で襲い掛かり、サーヴァントたちに囲まれても一歩も退かずに戦っている。

 吸血鬼の漆黒の衣から、杭が生み出された。

 “黒”のランサーだったときの名残が今でも残っているらしい。地面から突き上げてくるものではないので、不意を打たれることはないが、この杭の投擲は当たり前のように音速を上回る。

「ええい、鬱陶しい」

 狙われた“赤”のライダーは、英雄の中で最速。たかだか音速程度では捕らえられない。槍を振るって杭を弾き、瞬間移動にも等しい移動速度で吸血鬼の心臓を抉る。

 飛び立つ蝙蝠を“黒”のアーチャーが斬り落とし、ルーラーが叩き落す。

 “黒”のアーチャーとルーラーが吸血鬼に危害を加えることのできるサーヴァントだ。それを、吸血鬼自身も理解している。だからこそ、この二騎を最大限に警戒して距離を取っている。この二騎に対しては、煙に巻くように蝙蝠と霧で対応しているのだ。

「意外だな。そこまで成り果てて、合理的な思考をするか」

 霧は斬れない。いかに対怪異宝具でも、霧化されれば討ち取れない。その霧は“赤”のランサーの炎が押し戻してくれるので、吸血鬼を逃すことはないのだが、決め手がない。

 とはいえ、現状は不利なわけではない。

 吸血鬼は確かに強大で、その能力は厄介極まりないが、明確な弱点というものも併せ持っている。

 このまま戦い続けても、サーヴァントたちが有利になっていくだけである。日が昇れば太陽光が彼を焼く。時はサーヴァントたちを利するだけである。

 しかし、その一方で、サーヴァントたちも魔力という名の燃料がなければ活動できないという弱点を抱えている。

 “黒”の陣営に魔力切れはないが、“赤”の陣営はどうか。これほどの大英雄たちを朝まで全力戦闘させる余裕があるだろうか。

 常識的に考えれば、そんなことはありえない。

 誰か一騎のマスターがリタイアすれば、その時点で戦列が崩壊する恐れがある。

 故に、日の出を待つよりも、早々に決着をつけることが望まれる。

投影開始(トレース・オン)

 戦いの最中に、後退した“黒”のアーチャーが投影したのは、宝具ではなかった。

 それは、短い柄と細長い両刃の刃を持つ剣だった。

「アーチャー、それは」

 それは、ルーラーも知る浄化の剣。

「ルーラー、君は聖言を使えるかね?」

「え、ええ。もちろん、習得していますが」

「よし、黒鍵を預ける。私は所持していても、あれを浄化する技能はないのでな。こちらで隙を作るが、使用するタイミングは君に任せる」

「承知しました。任せてください」

 そう言って、アーチャーはルーラーに剣を預けた。

 アーチャーが投影し、ルーラーに預けた黒鍵は、代行者が使用する概念武装の一つだ。対死徒用の武装だが、浄化の効果からこの吸血鬼にも効果があるはずだと睨んだ。『十字架が嫌い』など、多分に宗教的な要素を持つ小説の怪物だけに、聖言を会得しているルーラーが使用する黒鍵は吸血鬼にとって致命的な毒となるだろう。

 当てれば勝てる。

 ルーラーもそう確信する。黒鍵と聖言を組み合わせれば、あの吸血鬼を消滅させることができる。

 が、しかし、そのような明確な弱所を持つ者が、天敵に己が姿をむざむざと曝したりはしない。

「おい、ルーラー。ソイツはこの吸血鬼を確実に仕留められる代物か!?」

 “赤”のライダーはルーラーに尋ねた。

「はい、間違いなく。ただし、蝙蝠や霧ではなく、彼の身体そのものに突き立てる必要があります」

「上等だ。隙を作ればいいわけだな!」

 討伐の糸口が見えただけでもありがたい。

 無論、そんなものがなくとも日の出まで戦えばいいのだからライダーにとっては勝利したも同然の戦なのだが、持久戦はそもそも彼の意に沿うものではない。それに、太陽(アポロン)に頼るより、討ち果たしたほうがすっきりする。

 ということで、“赤”のライダーは俄然やる気を出して槍を振るった。その他のサーヴァントもそれに続く。

 “黒”のアーチャーが振るう双剣だけではない。英雄たちの攻撃が徐々に通るようになって来ている。再生速度が低下し始めたのだ。

 考えてみれば、もともとこの世のものではない吸血鬼が存在するためには、そのためのエネルギーが必要だ。生き続けろと令呪で縛られているとはいえ、その命令を実行するための魔力が尽きれば弱体化、あるいは消滅もするだろう。

 “黒”のセイバーの剣と拳が逃れようとする吸血鬼の胸を打つ。弾かれる吸血鬼は、くるりと回転して着地する。霧化の速度が鈍っているのか、吸血鬼への攻撃に手応えがある。これまでは暖簾に腕押しという状態だったが、吸血鬼の実体を捉えられるようになってきたのである。

「英霊でもなく、魔術師ですらない今のお前の苦痛は尋常のものではないだろう。未練を残すな、怪物。疾く、消え去るがいい」

 “赤”のランサーの言葉通り、吸血鬼にはもはや自己はない。ヴラド三世の人格も、ダーニックの人格も消滅し、まったく別のナニカに組み替えられていた。

 妄執、怨念、あるいは妄念。誇りなど欠片もない、動物的で本能的な衝動に任せて命を貪るだけの存在に成り果てた英雄の苦痛たるや、想像できるものではない。

 己すらも失った彼が、それでも聖杯に向かって突き進むのは、偏に令呪で命じられたからに過ぎない。

「嫌だね。まだ消えん! 私はまだ殺されてやるわけにはいかないのだ! 聖杯を……聖杯を手に入れるまでは、断じてな!」

 神殺しの豪槍に胸を突かれて、僅かに勢いを殺しながらも、吸血鬼は前に出る。その顔面に矢が降り注ぎ、背中を英雄殺しの槍が突き、腕を双剣が斬り裂いて、腹部を聖剣が串刺しにする。最後に全身を青銅のゴーレムが殴りつけた。怒涛の連続攻撃に、吸血鬼は吹き飛ばされる。

 この隙に、とルーラーが三本の黒鍵を指に挟んで吸血鬼を狙う。

 だが、この瞬間、あまりにも唐突に“赤”のサーヴァントたちが苦悶の表情を浮かべてふらついた。さすがに、膝を突くことはなかったが、ほんの一瞬、存在がひどく不安定化した。

「が、ぐ……!」

「な、んだ……? マスターか?」

 あまりのことにルーラーは期を逸した。そして、それを好機とばかりに吸血鬼が跳躍する。一息にサーヴァントたちを飛び越えて、一目散に聖杯を目指して走る。

「しまった、“黒”のアーチャー! 足止めを!」

 ルーラーが叫ぶ。遠距離攻撃手段を持つのは、二騎のアーチャーのみ。そして、“赤”のアーチャーは正体不明の異変によって存在がぐらついたばかりだ。

「いや、ルーラー。まずは、君が黒鍵の準備をしてくれ」

 “黒”のアーチャーは、真っ直ぐ吸血鬼の後姿を見つめる。

「隙はこちらで作ると言った」

 

 

 

 吸血鬼は薄暗い廊下を疾駆する。

 綺羅星の如く輝くサーヴァントたちから受けた傷は、大半が修復済みだ。特に両足は完全に再生しており、可能な限りの速度で走っている。身体能力は高位のサーヴァントに匹敵するだけに、目的地までは瞬く間だ。

 激痛すらも忘れる狂おしいほどの渇望がある。この先に、望んで止まない聖杯があると思うと胸が痛む。聖杯を手に入れて、どうするのかすら理解できず、ただ辿り着きたい一心で足を動かした。

 一歩一歩が遠い。

 喉は渇き、胸は苦しく、身も心も苦痛に満ち溢れている。

 ただ辿り着く。手に入れる。そのためだけに、何もかもを投げ出した。その結末が、すぐそこに迫っている。

「セイハイ、セヰハイ、ハ汰死ノセヰハ夷ッ!」

 狂気のままに叫ぶ。

 喉を裂かんばかりに猛り。願望の成就を前に、今までにないほど我が身は昂ぶっている。

 目指してきたユメが、すぐ目の前にある。誰の邪魔もないこの通廊を駆け抜ければ、彼のユメは叶う――――もはや、己のユメすら判然としなくなった中で、ユメを叶えるためだけに苦痛を物ともせずに足を動かし続ける。

 希望の中に絶望があり、絶望は流転して希望へと変わる。混濁した意識の欠片が、令呪の力でただ一つの目的に束縛されているからこそ、すべてを失いながら一点を目指して走ることができる。

「やっとボクの出番だね」

 しかし、そんな吸血鬼の前に、やおら桃色の髪のサーヴァントが立ちはだかった。

 その身体は、吸血鬼からすれば取るに足らないほどに小さい。武勇輝かしいサーヴァントたちを相手に立ち回り、出し抜いてみせた吸血鬼が、今更この弱いサーヴァント一騎に目くじらを立てることもない。

 ただ、邪魔ではある。

 それならば、蹴飛ばせばいい。転がっている小石を蹴飛ばす感覚で、排除すれば済む話だ。彼の戦闘能力が、今の吸血鬼に勝るものではないと、かつて仲間だったときの知識が教えてくれる。

「どけえェェェェェェェッ!」

 吸血鬼は、“黒”のライダーに勢いのままに襲い掛かった。

 このとき、“黒”のライダーを弱小サーヴァントだと知っているからこそ、吸血鬼は判断を誤ったのかもしれない。彼が前に出たときに、その武器の危険性を正しく認識できていたならば、無造作に飛び掛ったりしなかったはずだ。

「いくぞ」

 静かに、かつての仲間を手に掛ける覚悟を口にした“黒”のライダーは、黄金の穂先を持つ馬上槍を掲げる。槍は薄暗がりの世界に、月光の如き金色の軌跡を描く。

 強力な不死性を有する吸血鬼は、槍で貫かれた程度で死にはしない。相打ち覚悟の突撃でも、自分は生きながらえることができる。

 “黒”のライダーでは自分を殺すことはできない。

 それが、吸血鬼の大きな勘違い。“黒”のライダーは、そもそも吸血鬼を殺そうなどとはこれっぽっちも考えていないのだから。

 向かってくる吸血鬼に対して、“黒”のライダーは進路を空けるように横に移動した。正面から受け止めるのを避けるつもりだろうか。

 それから、黄金の穂先を持つ槍を掲げて、叫ぶ。

「さよならだよ、ランサー。――――『触れれば転倒!(トラップ・オブ・アルガリア)』!!」

 姿勢を低くした“黒”のライダーは、吸血鬼の突進をかわしながらその手に掠めるように穂先を当てる。その瞬間、吸血鬼の視界が回った。

「な、がッ」

 吸血鬼の両足が消失して、身体が宙を舞った。

 “黒”のライダーは、確かに吸血鬼とまともに戦えるだけの攻撃力も耐久力も有していない。

 だが、それも適材適所だ。言うまでもなくこの吸血鬼は、槍で心臓を抉られても、次の瞬間には炉端の石のように“黒”のライダーを蹴飛ばせるだろう。しかし、それは吸血鬼の足が正しく機能したときの話である。

 “黒”のライダーは自他共に認める弱いサーヴァントだが、多彩な宝具で敵を追い詰めることは可能であり、この宝具も“黒”のランサー自身が“赤”のバーサーカーを捕獲する際に実際に使わせていたではないか。あの屈強な戦士ですら、“黒”のライダーの宝具にしてやられたというのに、それが吸血鬼に通じないなどということはない。

 そう、決して忘れてはならなかったのだ。こと足を掬うという一点に関して、“黒”のライダーの右に出る者はいないのだということを。

「ごめんね、ランサー。そして、ダーニック。ここが、君たちのゴールだよ」

 心からの謝罪の言葉を投げかける。

 宙を舞う吸血鬼の胸に、三挺の黒鍵が突き立った。浄化の力が、吸血鬼の身体を蹂躙する。ただの人間が使う黒鍵ならば、まだ抗しようもあった。だが、これは世界で最も信仰を集める聖女が放った黒鍵だ。その威力、聖性は、並みの黒鍵とは比べ物にならない。

 背中から地面に落ちた吸血鬼は、肺腑の空気を吐き出そうとして、黒鍵に貫かれていたことを思い返して喉を干上がらせた。

 

「主の恵みは深く、慈しみは永久(とこしえ)に絶えず」

 

 歩み寄るルーラーの聖なる言葉が通廊を満たす。

 

「貴方は人なき荒野に住まい、生きるべき場所に至る道も知らず」

 

 すべてが無に帰す恐怖に、吸血鬼は悲鳴を上げる。

 

「餓え、渇き、魂は衰えていく。彼の名を口にし、救われよ。生きるべき場所へと導く者の名を」

 

 吸血鬼の足掻きも意味を成さない。足を失い、身体を縫い止められた死に体に何ができるか。

 

「渇いた魂を満ち足らし、餓えた魂を良き物で満たす」

 

 ルーラーの言葉は力強く、鋼のような信仰が一言一言に現れている。今や信仰を失い、何者でもなくなった存在に抵抗することなど許されない。

 ルーラーの聖言が、刃となって吸血鬼の魂に突き刺さり、切り刻んでいく。

 

「深い闇の中、苦しみと(くろがね)に縛られし者に救いあれ」

 

 人の身では為し得ない、破格の洗礼詠唱。それはまさしく、教義の敵そのものとなった吸血鬼の天敵に相違ない。そもそも、吸血鬼(ドラキュラ)は教えに敗れることを前提に創作された魔物なのだ。

 

「今、枷を壊し、深い闇から救い出される」

 

 ルーラーの言葉が耳に届くごとに、聖杯が遠退いていく。絶望と焦燥が、吸血鬼の胸を覆い尽くしていく。僅か数時間前まで、胸に抱いていた栄光へのユメが崩れ落ちていく。

 

「罪に汚れた行いを病み、不義を悩む者には救いあれ」

 

 ああ、だが何故だろう。

 不思議と心が安らいでいく。かつて、敬虔な信仰者であったころの名残だろうか。魂の奥深くに染み込んで来る聖なる言葉が、吸血鬼を浄化していく。

 

「正しき者には喜びの歌を、不義の者には沈黙を」

 

 そして、ルーラーは最後の言葉を口にする。

 この魔物に、安らぎと慈悲を届けるために。 

 

 

「――――去りゆく魂に安らぎあれ(パクス・エクセウンティブス)

 

 

 

 ■

 

 

 

 しゅうしゅうと白い蒸気を吹いて吸血鬼は消えていく。

 伝承では灰になるとも言われるが、彼は何も残すことなく魔力に還元されて消滅する運命にあるようだ。

 それが、あのダーニックと“黒”のランサーの最期だと思うと、言い知れぬ無常感に囚われてしまう。

 決定的な隙を作り、吸血鬼の討伐に功を上げた“黒”のライダーは、理性が蒸発していると言われながらも、その行き着く先は『正しい行い』に集約される。彼はとことんまでバカみたいに笑いながら、悪を挫き、弱きを助ける者なのだ。だから、吸血鬼を討ち果たすという行為を躊躇うことなく行った。令呪による強制も必要なかった。やるべきことははっきりしていたから、躊躇もしない。だが、その吸血鬼が、かつての仲間だと思うと、やるせない思いにはなってしまう。

「こんなことになるなんてね」

 死ぬ順番は、彼が最後だと思っていた。彼はそういう立場だったし、文句なく最上のサーヴァントだった。まさか、マスターと共に、真っ先に倒れることになるとは予想外にもほどがある。

「なんとかうまくいったか、ライダー」

「まあね。アーチャーは怪我してない?」

「ああ、問題ない」

 “黒”のライダーは、“黒”のアーチャーの言葉に満足げに頷いた。

「そうか。アーチャーは僕並に『耐久』が低いのに、前に出るから心配だよ」

「君に言われたくはないな」

 “黒”のライダーは、他の“黒”のサーヴァントに遅れて城塞に侵入していた。物陰に隠れて、戦況を窺いつつ、“赤”のアサシンへの抑えとして控えていたのだ。

 まさか、“黒”のランサーを討ち果たすことになるとは思っていなかった。

 

「聖杯を目にすることもなく、志半ばで果てましたか――――ダーニック」

 

 弛緩した空気が、一瞬にして引き締まった。

 現れたのは一人の少年だった。

 “赤”のアサシンを引き連れて現れたということは、彼がアサシンのマスターであろうか。

「何……?」

 そして、“黒”のアーチャーは、我が目を疑うこととなった。

 褐色の肌に、白い髪。カソックの上に赤いストラとマントを羽織っているその姿は、一見すればただの聖職者だ。

 だが、驚くべきことに、彼から漂ってくる気配はサーヴァントのそれである。ならば、“赤”のアサシンのマスターはサーヴァントだということになる。

 もちろん、それだけならば問題はない。ルール違反ではあるが、現象としては有り得る。“黒”のアーチャーも生前にそういう事例を目撃している。問題は、彼がサーヴァントだとすると、“赤”の陣営に八騎のサーヴァントが属していることになるということである。

「そんな……!?」

 そして、絶句するのはルーラーだった。

 彼女はスキル『真名看破』によって、視認したサーヴァントのクラスや真名を把握することが可能である。この少年がサーヴァントならば、当然彼のクラスや真名を一目で見抜くことができる。

「どうして、ルーラーが……」

 そう、少年のクラスは『ルーラー』。何があっても、重複することなどありえないクラスである。

「始めまして、今回のルーラー」

「君、何者だい?」

 “黒”のライダーですら、不信感を露にしてもう一人のルーラーを見つめている。

「さて、何者でしょうか。そこのルーラーなら、もう察しはついているでしょうけど」

「アサシンのマスター。貴様、マスターに何をしたッ!?」

 そこに駆けつけた“赤”のアーチャーが、問い詰める。激高しつつある“赤”のアーチャーの視線を受けても、動じることなく、含み笑いをしながら袖を捲くった。

 彼の腕には、“赤”のセイバーを除く、“赤”のサーヴァントたちの令呪、総数十八画が刻み付けられていた。

「平和的な交渉の末に、譲っていただきました。心配せずとも、皆さんを現界させるのに必要な魔力は大聖杯に接続した今、問題にもなりません」

「平和的に、だと?」

 誰かの呟きに、少年は“赤”のランサーを一瞥する。

「ええ、そうです。何せ、こちらのランサーは嘘を見抜くことに長けた英雄ですから、極力嘘をつかないようにしなければなりませんでした。マスターを介して皆さんに命令を出させたのもそのためですよ。誰も嘘はついていない。皆さん、今でも自分が正気だと思っているのですよ」

 ルーラーは、神父の顔を見て自分の中の言い知れぬ不安の意味を悟った。これまでのルーラー襲撃も、不可解なまでに拙速な聖杯強奪も、すべては彼が裏で糸を引いていたのだ。

「理解しました。神が警告していたのは、貴方だったのですね」

「どうでしょう。私としては、神の意思に逆らっているつもりは毛頭ありませんが」

 ルーラーはこの時、ついに自分が召喚された理由を察した。

 フランス人の少女、レティシアに憑依するというあまりにもイレギュラーな召喚方法で強引にこの世に呼び出されたのも、すべては『ルーラー』のクラスが重複するというあってはならない事態に、聖杯が混乱を来たしたからだ。

 そして、彼がひたすらルーラーから逃げたのも、ルーラーに自分の正体を見破られるのを恐れたからだ。もしも、戦場でルーラーが彼を発見してしまえば、『真名看破』によってすべてがひっくり返ってしまう。

「貴方は、第三次聖杯戦争で召喚されたルーラーですね」

 その言葉に、その場に集った誰もが息を呑んだ。それと同時に納得もする。ダーニックの名を知っていたことも、もう一人のルーラーであることも、それならば合点がいく。

「ええ、そうです。だから、貴女と顔を合わせることは避けねばならなかった。何せ、貴女には令呪がありますから、いざとなれば、一瞬で俺の夢を壊しかねない」

 落ち着いた声に憎悪も敵意もない。ただ、純粋な意思だけがあった。その瞳にあるのは、ただただ強固な信念だけだ。

 この少年には説得は無意味だ。殺されるまで、彼は止まらない。故に、ルーラーは剣を抜く。

「何が目的なのです、天草四郎時貞」

「知れたこと、全人類の救済だよ。ジャンヌ・ダルク」

 


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