“黒”の紅茶《完結》   作:山中 一

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十七話

 “黒”のバーサーカーは戦列を離れて森を疾駆する。

 敵対する“赤”の陣営のサーヴァントを求めてのことだが、マスターからの念話ですでに“黒”のセイバーと“赤”のランサー、“黒”のランサーと“赤”のアーチャー、“黒”のライダーと“赤”のアサシン、“黒”のアーチャーと“赤”のライダー、そして“赤”のバーサーカーと“赤”のセイバーが交戦中とのことだ。彼女は完全に出遅れている。“黒”のキャスターは全体を俯瞰しゴーレムを操っているので、バーサーカーの役目は自ずと“赤”のキャスターを打倒することとなるはずだ。

 バーサーカーは宙に浮かぶ城を見上げる。

 念話によると、あれはアサシンの宝具だという。キャスターだとばかり思っていたがそうではないらしい。だとすると、“赤”のキャスターはあの城の奥にいるのではないか。『キャスター』のクラスは自分にとって都合のよい環境を整える『陣地作成』のスキルを持つ。それは、魔術師の工房であり城だ。基本的にキャスターは打って出ることはなく、『待ち』の姿勢でいることが多い。

 さて、アサシンの大宝具である城の内部に工房が設置されていた場合、“赤”のキャスターの守りはミレニア城塞の城壁を遥かに上回るものとなる。おそらく、彼女の火力で抜くことはできないだろう。

 そうなると、あの空中庭園の中に潜入しなければならないが、“黒”のライダーと“赤”のアサシンの激突は空を斬り裂く華々しい魔力光を散らしている。

 『対魔力』がAランクのライダーですら、一定の距離を維持しなければならないほどの高度な魔術を連発するあの空中庭園に近づくことは、バーサーカーにとっての死を意味する。

「ウ……ヴゥ……」

 狂戦士でありながら、高度な知性を維持している彼女は生死のなんたるかを知っている。死んでしまえば元も子もないということを理解しているが故に、逡巡する。だが、長考はしない。そもそも、そのような思考には耐えられない。できるか否か、やるかやらないか。それだけである。そして、やらねばならないことが明白ならば、考える余地など初めからない。

 問題は、どうやってあの空中庭園に侵入するかである。

 可能性があるとすれば、令呪による転移くらいしかないが、あそこに“赤”のキャスターがいる保証はない。いなかった場合は令呪の無駄使いになってしまう。

 その時、木陰に人影を認めてメイスを抜き放つ。

「おや、なるほど。どうやら私の相手は貴女のようですね。“黒”のバーサーカー――――フランケンシュタイン」

 現れたのは黒衣白髪の青年だ。

 見たところ、鍛えてはいるようだが人の枠を越えるほどではない。この戦場にいる以上は敵側のマスターであることは変わりないのだが、ここまで堂々と姿を曝しているのが気にかかる。“黒”の陣営のマスターたちはこの戦いがサーヴァント同士の戦いと断じて要塞に篭っている。まさか、このマスターはその思考を読んで要塞に殴りこみをかけようとしているのだろうか。

 それはあまりにも、“黒”の陣営を甘く見ているとしか言いようがない。

 だが、バーサーカーがいぶかしむのは、この青年の行動ではない。そんなものは、考えなしのマスターということで片付く話。問題なのは、彼が自分の真名を平然と口にしたということだ。

「ヴヴ……ヴ……」

 そもそも言語能力のない彼女は自分の意思をYesとNoで伝えることしかできない。自分の名前など、こちら側のマスターかサーヴァントが口を割らない限りは漏れる情報ではないのである。

「ふむ、確かに貴女は狂戦士でありながらある程度高次の思考回路を保持しているようですね。なんとも近代的な英雄です」

 屈託のない笑みを浮かべて、青年は手を差し出した。

「私は貴女をよく知っている。よく理解している。どうです、貴女さえよければスパルタクスの代わりにこちらに来ませんか? 待遇は応相談で、決して悪いようにはしませんよ?」

 その手に、バーサーカーはメイスを振るった。

 明確な拒絶の意を受けて、青年は苦笑して半歩下がった。

「おや、残念」

「そりゃ、そうでしょうよ、マスター」

 青年の背後に実体化したサーヴァントを認識していよいよバーサーカーの警戒心は最高潮に達した。

 やはり、敵のマスター。従えるサーヴァントは、現状確認されていない唯一のクラス。つまり、“赤”のキャスターで決まりだ。

「おっと、失礼。戦うのは我輩ではありませんよ。貴女のダンスのお相手はあくまでもこちらの我がマスター。我輩はただ見守り、応援するだけ」

 そして、そのサーヴァントは事もあろうにマスターの背に隠れるように後退したのである。

「ええ、その通り。貴女の相手はこの私。シロウ・コトミネが務めます」

 そう言って、青年――――シロウは腕を振るった。

「ッ!」

 バーサーカーは咄嗟にメイスを回転させる。

 三回、立て続けに金属音が響き、地面に銀色の剣が落下した。

 『黒鍵』という教会の代行者が使用する概念武装だ。もっともスタンダードな装備ながら扱いが難しく、好んで使う者はよほどの好き者か真正の実力者くらいであろう。そして、今の抜き打ちを見る限りこの男はかなりの腕前だ。サーヴァントの前に立つだけのことはあるということか。

「ナーーーーーーーーーーーーオォゥゥゥッ!」

 だが、それだけだ。

 所詮は人間技に過ぎない。

 如何なる策を巡らしたところで、サーヴァントに人間が敵う道理はない。

 バーサーカーは実体化した敵のキャスターに注意を払いつつも、目下の障害をこのシロウと名乗ったマスターだと認識した。

 魔力を振り撒いて、バーサーカーは突貫する。シロウが四本の黒鍵を投じる。人間にしてはなかなかの技の冴え。しかし、正面から芸もなく投じられただけの黒鍵など、避けるまでもない。

 バーサーカーはメイスを振るって障害物を除去し、突き進む。彼我の距離は僅かに二メートル。後一歩踏み込めば、それだけであの白髪頭をミンチにできる距離だ。

「惜しい惜しい」

 それにも拘らず、シロウは薄ら笑いを浮かべているのだ。気色が悪い。

告げる(セット)

 シロウの身体から魔力の気配を感じた。

 直後、バーサーカーは身の危険を察して速度を緩め、身体を捻ってメイス――――『乙女の貞節(ブライダル・チェスト)』を振るう。なんと、打ち落としたはずの黒鍵が回転しながらバーサーカーの首を狙っていたのだ。

 そこに、シロウがさらなる追撃を仕掛ける。

 右手の指に挟み込む黒鍵は三本。それを投じる。背後からの攻撃に対応したバーサーカーは崩れた体勢でこれを迎撃しなければならなかった。

 メイスと黒鍵が激突する。今まで通り、何事もなく弾き返せると油断していたバーサーカーは、理性なき思考を驚愕に染める。

 信じがたいことに、バーサーカーの膂力でも受け止め切れないほどの衝撃が、彼女を襲ったのだ。体勢を崩していたこともあり、バーサーカーは跳ね飛ばされた。

 魔術的な何かが用いられたのか。サーヴァントである彼女を跳ね飛ばすなど、通常の人間の筋力では不可能である。

「ヴ……ウゥゥッ」

 受身を取って立ち上がる。

 苛立ちが募る。

 油断ならぬ敵だが、人間だ。その人間に、手玉に取られているのが気に入らない。

「ヴヴヴ、ナーーーーーーーーオウッ」

 叫び、魔力をジェット噴射のように利用して突撃する。

「来ましたか。キャスター、私の刀を」

「ええ、ええ、いいでしょう。存分にお使いください! 烈火の如き戦いは、未来永劫醒めることのない物語を紡ぎだす! さあ、我がマスターよ。貴方の栄光の物語を、どうか我輩に見せてくださいませ!」

 シロウが手を虚空に翳すと、落雷めいた閃光と共に一振りの日本刀が現れる。

 バーサーカーは、一目でそれが宝具であると看破する。

 この人間は宝具を使うのか!

 だが、それでも身体能力はバーサーカーが上だ。筋力も速度も上回っている上に、なによりもバーサーカーに疲労はない。それが、この敵マスターと彼女の単純で明確で致命的な差。

 バーサーカーは途切れることなく連撃を放つ。

 一撃当たればそれだけでシロウは即死する。シロウは嵐のようなバーサーカーの攻撃を、刀を振るって掻い潜る。通常の武具ならば折れ曲がり使い物にならなくなるはずだが、宝具にまでなった刀はバーサーカーの攻撃を防ぐ楯として存分に機能していた。

 シロウの剣術はほぼ並だった。

 達人には程遠く、華々しく戦う武の体現者たちとは比較にならないものだ。ただただ基礎に忠実な剣術は、堅実ではあるが決定力に欠け、無骨極まりない。そんな剣術に、バーサーカーが遅れを取るはずがない。バーサーカーも、武人として名を馳せたわけではない。だが、サーヴァントであるという以前に、機械仕掛けという時点で人間を遥かに上回る身体能力を持っているのである。加えて、バーサーカーは第二種永久機関を擬似的に再現した存在だ。大気中の魔力を取り込んで自らの活動に再利用することができる彼女には疲労や魔力不足という心配がない。理論上無限に活動を続けることのできるバーサーカーに、体力や精神力の限界がある生物である人間が敵う道理がそもそもないのだ。

 時間はバーサーカーを利するのみ。

 どういうわけか攻めきれない苛立ちを雄叫びでかき消して、バーサーカーはメイスを振るい続ける。

 

 

 

 □

 

 

 

 

 “黒”のキャスターは戦場を俯瞰する。彼のゴーレムは尖兵としては有能だが、サーヴァントに止めを刺すのには向いていない。それなりに強い物でも十合と持たないからである。

 しかし、それは彼のゴーレムが弱いということを意味しない。

 普通の魔術師が作ったゴーレムは、サーヴァントと相対して一合と持たないのだ。僅かでもサーヴァントと打ち合えるのは、キャスターのゴーレムがそれだけ強力だからである。

 戦場となる草原に、キャスターのゴーレムはばら撒かれている。およそ、この戦場で起こっている事象はキャスターの下に情報として入ってくる。

 彼の役目は、各戦場の情報を伝える司令塔なのである。

「叶うことならばこの戦場で僕の宝具を使いたかったのだが」

 A+ランクの対軍宝具だ。単純な神秘は“黒”の陣営でも最高だと自負している。何よりも、キャスターはその宝具を完成させるため(・・・・・・・)にこの聖杯戦争に参加している。

 生前創り出すことのできなかった史上最高のゴーレムを製作する。彼には聖杯に託す望みなどなく、宝具の起動と宝具が織り成す世界を見ることだけが彼のユメなのだ。

 一度動き出せば世界を塗り替える至高のゴーレム。ゴーレムの原点にして原典。苦難に満ちた民草を栄光に導く者。それが、彼の宝具『王冠・叡智の光(ゴーレム・ケテルマルクト)』なのだ。

 問題は、生前完成させることができなかったことから、この時代でも特定の材料を集めて一から創らなければならないということである。

 ダーニックが資産の三割を割いて、必要な材料を集めてくれたおかげでその問題もクリアしつつある。後は最後の一手。『炉心』を手に入れればすぐにでも起動ができる。

“先生!”

 黙考していたキャスターの下に念話が届く。

 彼のマスターであるロシェだ。“黒”の陣営でも最年少ながら稀有な魔術の才を持つゴーレム使い。つまり、彼はキャスターの魔術を受け継いだ家系の出身でもあるのだ。

 時の果てに、自分の魔術の後継者がいる。人嫌いを自認するキャスターにとっては、極めて意外で不可思議な事実である。

“どうしたんだ、ロシェ”

“あの、先生。戻ってきたら、ゴーレムを見てもらえませんか? 今度は上手くいったと思うんです”

 ほう、とキャスターは感心する。

 ロシェのゴーレムに対する情熱はなかなかのものがあった。実力も秀でていて、生前ならば弟子にしてもいいと思えたくらいである。

“では、時間があれば見させてもらう”

“ありがとうございます!”

 およそ、戦場でする会話ではない。

 だが、それも仕方がないだろう。彼はキャスターの敗北など考えてもいない。ロシェはキャスターが戻ってくると信じきっているし、キャスターもまたこの戦いで果てることなど望んでいない。彼の望みは聖杯に託すようなものではないが、それでもユメ半ばに倒れるようなことがあってはならない。

“危ないから、工房に戻っていなさい”

 キャスターにそう言われてロシェはそそくさとキャスターの工房に戻った。ミレニア城塞の中でも、キャスターの工房ほど安全な場所はないだろう。魔術的な要塞ではなく、ゴーレムの生産工場となっている彼の工房だが、その役割から戦場に出撃していないゴーレムたちが未だに眠っている。万が一侵入を許しても、即座にそのゴーレムたちが迎撃に出ることができる。

 そのため、キャスターはロシェには工房に入っていてもらわねばならない。仮にロシェが討たれてしまえば、キャスターが五体満足でも消滅を免れないからだ。

「やはり、子どもは苦手だ」

 生前は病を患っていたこともあり、人を遠ざける生活を送っていた。それが人間嫌いを加速度的に進行させる要因にもなったのだが、何の偶然か第二の生を得てロシェと言葉を交わすようなことになろうとは。

 まあ、悪くはない。

 個人的にロシェには好感を持っているのである。ただ、子ども慣れしていないというだけで、ロシェを嫌う要素はないのである。

 そこにゴーレムを通して興味深い情報が入った。

 主戦場となっている草原から僅かに外れた森の中で、“(こちら)”のバーサーカーと“赤”のキャスターとそのマスターが交戦をし始めたらしい。

「ふむ……」

 キャスターは頤に手を当てて僅かに思案する。

 それからゴーレムを操って、一団をバーサーカーの元に向かわせた。

 どういうわけか、“赤”のキャスターは戦わずマスターに戦わせているのだという。サーヴァントに匹敵する魔術師などそうそういるはずもない。いたと仮定しても、バーサーカーの相手をしながらゴーレムの集団に対処するなど不可能だろう。

 “赤”のマスターならば、炉心にしても構うまい。幸い、敵のキャスターに戦闘能力はないようだし、“黒”のバーサーカーが炉心を殺してしまう前に回収しておきたいのである。

 

 

 

 □

 

 

 

 “赤”のセイバーには、敵対する大男がもともと“赤”の陣営であったなどという意識は毛頭ない。端から暴走して使い潰されるだけの駒だというシビアな認識だったし、だからこそ、彼が暴走して“黒”の陣営に乗り込んで行ったときにも早々に見切りをつけていた。

 だが、結局敵対するのであれば、あの時に斬っておけばよかったとも思う。

 “赤”のバーサーカー、スパルタクス。

 神話と史実の境目。紀元前のローマ帝国を震撼させた反乱の首謀者である剣闘士だ。

 『筋力』A、『耐久』EXという極めて高い数値。その一方で『敏捷』はDランクとセイバーに比べれば鈍足に過ぎる値だ。

 どれだけ破壊力があろうとも、当たらなければ意味がない。

 セイバーは重装甲を物ともしない爆発的な加速でバーサーカーを翻弄し、愛剣で滅多やたらに斬り付ける。

「オオッ!」

 赤雷が弾け、剣閃が夜闇に紅い線を引く。

 青白いバーサーカーの肌は、セイバーが剣を振るうたびに斬り裂かれ、肉と血を露出させる。

「ハハハハハハ。大した剣だ。どれ、もっと痛めつけてみるがいい」

 バーサーカーは気色を露にして微笑んだ。額が割れて血が流れ出ているのに、顔には戦闘が始まってからずっと笑顔が張り付いている。

「コイツ、キメェ……」

 セイバーの背筋に冷や汗が浮かぶ。

 彼女も今まで様々な敵と戦ってきた。そこには誇りがあり、名誉があり、喜びが、憎悪があり、怒りがあった。無論、快楽というものもあったはずだ。しかし、剣で斬りつけられて悦に入るのは、さすがにぶっ飛んでいるとしか思えない。

「いや、だからこそのバーサーカーか」

 彼は口が利けるが意思疎通できるわけではない。『狂化』のランクがEXと桁外れに高いくせに人語を話すのでどうしたのかと思ったが、このサーヴァントは思考が固定されている。それはおそらく彼が生前歩んだ、『困難』という名の道を突き進む行為に限定されているのだろう。

「ハッ……そんなに欲しいんならくれてやるよ。脳天にブッ刺して、イッちまいなッ!」

 セイバーは『魔力放出』でブーストし、バーサーカーの懐に飛び込む。そのまま、青白い膝を足場にして身体ごと剣をバーサーカーの顎に突き立てた。

 セイバーの剣はバーサーカーの下顎から脳天まで貫通し、押し出された脳漿が耳からこぼれ出た。

 さすがのバーサーカーも動きを止める。ごぼり、と口から血が溢れる。砕けた顎がぶら下がり、無残な姿を曝した。

 そして、黒目がぎょろりと動き、セイバーを捉えた。

「テメッ!?」

 バーサーカーが、両手を大きく広げ、セイバーの小さな身体を抱きしめた。

 脳を潰されていながら活動するなどありえない。サーヴァントの霊核は脳と心臓にあり、どちらか一方が破壊されれば消えるしかないのが常識だ。

 だが、常識はずれの耐久力はセイバーの攻撃から身を守り続け、宝具である『疵獣の咆哮(クライング・ウォーモンガー)』はセイバーから受けたダメージを魔力に変換し肉体に蓄積する。そして、蓄積された魔力はバーサーカーの身体能力を向上させるブースターとなるのだ。

 ただでさえ強力な筋力が、さらに増強される。

「ほうら、抱き締めて上げよう」

 砕けた顎の奥から響く不気味な声。そして、異様な金属音が響く。

「あ、ぐがあああああああああああッ!!」

 丸太のような両腕がセイバーを締め上げる。Bランクの『耐久』を持ち、重装甲に身を包んだセイバーでもこのままでは押し潰されてしまうのは明白だ。

「な、めんじゃ、ねえェェェェェェッ!!」

 赤雷が全方面に噴射された。『魔力放出』の攻撃のための用法。密着状態からのジェット噴射は、バーサーカーのみならずその足元の地面を抉るほどの威力であり、セイバーを抱きかかえていたバーサーカーからすれば文字通り手榴弾を抱きかかえていたのと同じような状態に陥ったのである。

 爆発音と共に、セイバーが投げ出される。

 地面に強く叩きつけられて転がるも、すぐに起き上がる。剣を構えなおし、バーサーカーを見る。

 崩れ落ちるバーサーカーの膝。上半身は腹部から上が大きく捻じ曲がり、右半身が大きく抉れていた。両腕は肘から先が吹き飛んでいる。原形を留めているのは下半身だけという惨状で、ボトボトと臓物が零れ墜ち、肉が飛び散った。

「手間、かけさせやがって狂獣風情が」

 刀身の血を払うように大きく剣を振って肩に担ぐ。

 あれでは如何に『耐久』がEXランクであっても瀕死は免れまい。バーサーカーはもともと通常のサーヴァントの二倍の魔力を消費するクラスでもある。あれほどの傷を治癒しようとすれば、マスターの方が枯れてしまう。

 勝敗はここに決した――――かに見えた。

「何?」

 セイバーは目を見張った。

 バーサーカーの骸がもぞもぞと動き出したのである。傷口からは血の泡が溢れ出て、肉が盛り上がる。吹き飛んだ両腕は、なぜか傷口から二股に分かれて腕の数が倍になった。抉れた上半身は亀の甲羅を背負っているかのように背中が膨らみ、頭が肉の壁に半ばまでめり込む。

“なあ、マスター”

“なんだ、セイバー”

 堪らず、セイバーは念話で獅子劫に語りかけた。

“ローマってのはどうやってあの怪物を囲ってたんだ?”

“囲えなかったから反乱されたんだろ”

“ああ、まあ、それもそうだけどよ”

 セイバーはバーサーカーを睨む。すでに人の姿を忘却している。神の加護も悪魔の契約もなしに、異形と化すとは、あまりに常軌を逸している。

 頭を貫いても、上半身を吹き飛ばしても復活する。細胞レベルで蒸発させる以外に倒す術はあるのだろうか。

「まあ、いい。死ぬまでやるだけだ」

 巨人殺しはアーサー王も成し遂げた偉業だ。彼の後継であるモードレッドが臆する道理はない。

 セイバーは戦意を露に、バーサーカーに斬りかかって行った。

 

 

 

 □

 

 

 

 

 “赤”のライダーは森を飛ぶように駆ける。

 鬱蒼とした木々が行く手を遮っているにも拘らず、速度が低下することはない。最速の英霊たる『ランサー』を尻目に両陣営の中で最高の『敏捷』を誇っている。なにせ、彼の真名はアキレウス。あらゆる英雄の中で最も速いとされた神速の英雄なのだ。

「どこだ、“黒”のアーチャー! 隠れてないで出て来い!」

 視界の端に光るものを見つける。ライダーは槍を振るい剣を弾く。その瞬間を狙っていたように、四方と上方から計五挺の剣が襲い掛かってくる。

 おそらくはすべてが対神宝具だ。ライダーの身体に傷をつけるにはそれしかない。

「小細工を!」

 ライダーは苛立ち混じりに舌打ちし、枝を蹴る。一足で最高速度になったライダーは、剣の包囲網を容易く抜ける。後方で宝具が爆発したようだが、その時にはすでにライダーは爆発の効果範囲から逃れていた。

 爆風すらもライダーの背中に届かない。

 まさしく疾風。

 吹き渡る風の如くライダーは森を駆け抜け、アーチャーの仕掛けたトラップを潜り抜けていく。トラップの反応速度が、ライダーの移動速度に追いつけない。

 降り注ぐ剣の雨。

 ライダーは止まらない。

「止まって見えんだよ、そんなのはな!」

 またしても一足飛びに罠を抜ける。

「こんなものか、“黒”のアーチャー! 小賢しい罠ばかりでまともに相対しようとしない。貴様はそれでも英雄か! 英雄の誇りはどうした!」

 大木の枝に着地して、ライダーは叫んだ。

 槍の石突で枝を叩き、苛立ちを露にする。

 アーチャーからの返答はない。代わりに、捻れた剣が射出された。

「チィ……」

 ライダーは身を屈めてこれを避ける。

 標的を見失った剣は、木々を削り飛ばして闇の中に消えていった。

「ああ、理解したぞ。テメエは俺の嫌いなタイプだ」

 ダン、とライダーは枝を蹴る。瞬間的に最高速度に達したライダーは、目にも止まらぬ速度で移動する。

 トラップは底を突いたか。どの道如何なるトラップを仕掛けたところでライダーには意味がない。ライダーを傷付けることができるのは対神宝具のみ。そして、それは宝具であるが故に、膨大な魔力を放っている。トラップとして使用するにはもともと目立ちすぎる代物だ。そして、アーチャーもまた身を隠すことができない。宝具を使用するアーチャーの居場所は森の中で火を焚いているかのようにはっきりと知覚できる。

 轟という風切り音を聞いて、ライダーは身を捻る。

 真紅の剣は、ライダーの肩口を浅く切って背後に消える。そうしている間にライダーは片手で目前の枝に手を突き、前に押し出すようにして勢いを付ける。

 風を切り、矢よりも速く駆け抜ける。

 彼は亜種聖杯戦争を含めた全聖杯戦争の中で最速のサーヴァント。襲い掛かる光の先に立つ弓兵を目掛けて一直線に突き進む。

 

 

 ザン、という足音。

 ライダーが大地を踏みしめ、遅れて枯葉が舞った。

「やっとご対面だな、“黒”のアーチャー」

 浅黒い肌と白髪を持つ男。手には赤黒い弓が握られている。鷹の目を思わせる鋭い眼光は、なるほど確かに弓兵といったところか。

「覚悟はいいな、アーチャー」

 ライダーの問いに、アーチャーは失笑を漏らす。

「それは、君にも言えることだぞ。“赤”のライダー。まさか、もうすでに勝った気になっているのか?」

 おかしい話だ。

 ライダーは確かにアーチャーを追い詰めている。

 長距離物理攻撃に特化しているからこその『弓兵(アーチャー)』だ。“黒”のアーチャーの矢はすべてが宝具という信じられないものであり、物理攻撃手段としては最高峰と言える。だが、それでもアーチャーはライダーを仕留めることができず、こうして接近を許してしまっている。

 十メートルもない至近距離。それは、ライダーならば、相手が弓に矢を番える間もなく槍で心臓を撃ち抜くことができる距離だ。

 睨み合いの中で徐にアーチャーが手を動かした。

「させるかよッ!」

 射る前に殺す。ライダーは神速の突きでアーチャーの心臓を狙う。しかし、その直後、人を覆い隠すほどの大きな剣が眼前に何挺も現れ、壁を作り出したことで好機を逸した。

 一突きで五挺の剣を砕いた。だが、アーチャーには届かない。そして、砕けた剣の向こうで、螺旋くれた宝具が牙を剥く。

「ぐ……ッ!」

 ライダーは持ち前の反射神経と運動神経で瞬時に飛び退き、放たれた矢をかわした。

「さて、“赤”のライダー」

 アーチャーは弓を片手に泰然として、ライダーの前に立つ。

「覚悟はいいかね?」

 その意趣返しに、ライダーは喜悦を露にして笑う。

「ハッ――――上等だ、アーチャー!」

 

 

 

 □

 

 

 

 “黒”のセイバーと“赤”のランサーの戦いは依然として拮抗したままである。

 小手調べ程度の戦いで、丸一晩打ち合ったのだ。開始から一時間も経たないのでは勝敗を決することなどないだろう。

 以前と異なり、互いに必殺を誓って刃を取るが、だからこそ拮抗が続くという側面もある。

 セイバーが渾身の力を込めて聖剣をランサーに叩き付ける。しかし、それもランサーの黄金の鎧に妨げられて決定打にはならない。

 ランサーの鎧はAランクの防御宝具。神々でさえ破壊は困難とされる、光の結晶だ。インドラでさえ、破壊を諦めて姦計を以て強奪したほどの防具に守られたランサーを誰が傷付けられようか。斬り付けるだけ無駄であり、それは徒労である。

 だというのに、ランサーは感嘆の念を禁じえない。

 セイバーの剣は確実にランサーの身体に届いている。大幅にダメージを低下させているが、確かに傷を負わせているのだ。持ち前の自己治癒能力で修復できる程度であり、大勢には影響がない。だがしかし、傷を負わせるということがすでにして尋常の域ではない。ランサーは、これほどの好敵手に巡り合えた奇縁に感謝して槍を振るう。

「……」

 ランサーはセイバーの打ち込みを受けきれずに後退する。

 セイバーの剣が、以前打ち合ったときよりも重い。ステータスが召喚されてから変わることはないだろうし、見た目にも変化はない。

 これは恐らくは心情の変化によるものか。

 目を見れば分かる。

 剣を振るうことに一切の迷いがなく、自分を打ち倒すべき敵と認識してそこに立っている。

「どうやら、短い期間に何かあったらしいな。以前に比べて格段に重くなった」

 ランサーの言葉にセイバーは僅かばかり目を見張る。

「貴公ほどの英雄にそのように評して貰えるのはありがたい。だが、だからと言って加減はできない。今日の俺はマスターに勝利を献上すべくここにいる」

 答えがあるとは思っていなかったランサーもまた少し驚いたように表情を変える。

 それから、ランサーは頷いて槍を構えなおした。

「なるほど。剣を執る理由を見出したか。ならば、尚のこと今のお前は一筋縄では行かんだろう」

 そう言ったランサーの身体が、突如として眩い炎に包まれる。

 膨大な魔力が炎の形をとって顕現したのだ。

 スキル『魔力放出』。“赤”のセイバーが持つものと同名のスキルだが、ランサーのそれは『炎』に特化している。

 文字通りの爆発。太陽の如き煌きが地面を溶かし、ランサーの槍を射出する。

 燃え盛る炎が槍の穂先に収斂し、灼熱の神槍がセイバーの肩口を抉った。

「ッ……!」

 今度はセイバーがたたらを踏んで後退する。

 今まで受けた中で最も深い傷を負った。傷口は焼かれていて出血はない。マスターからの治癒魔術で修復する。

 炎を纏う槍の刺突は、セイバーの竜の鎧を以てしても脅威的である。

 セイバーとランサーの視線が交差する。

「勘違いするなよ。別に隠していたわけではない。サーヴァントとしてのオレは燃費が悪くてな、これもそう濫りに使用するわけにもいかないのだ」

 ランサーの真名は古代インドの大英雄カルナ。太陽神の息子であり、彼自身も現代に至るまで信仰され続けてきた英雄の中の英雄だ。黄金の鎧に神殺しの槍。そしてこの『魔力放出』。彼は存在するだけでも甚大な魔力消費を伴うサーヴァントなのである。

 ランサーは言葉の通りに炎をあっさりと収めた。しかし、槍の穂先は未だに熱を持ち陽炎を纏っている。

 太陽の化身とも思える戦士を前に、セイバーは僅かに口角を吊り上げた。

 そうでなければならないと、喜びを明確にする。

「来い、“赤”のランサー」

「行くぞ、“黒”のセイバー」

 赤熱の槍と黄昏の聖剣が激突する。

 稀代の大英雄同士が競い合う聖杯大戦の中でも彼らほど戦いを堪能しているサーヴァントもいないだろう。

 互いに口を噤み、ひたすらに相手を打倒するために頭と身体を酷使する。苦痛すらも敵を乗り越えるための試練の一つだと認識し、戦いに耽溺する。


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