“黒”の紅茶《完結》   作:山中 一

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十五話

 ユグドミレニアは戦術を組み立てる上で、当然のように敵の進軍ルートを複数設定していた。

 街を抜けて攻め入るか、以前のように森を踏破してくるか。現代の魔術師では飛行はほぼ不可能になってしまったが、それでもサーヴァントが相手ということで空から攻め込んでくるという可能性も考慮はしていた。

 とはいえ、まさか――――領土ごと攻め込んでくるとは予想していなかった。

 城壁に立つアーチャーは千里眼で、ライダーは驚異的な視力でそれを捉えていた。

「これで、お互いに城持ちになったということだな」

 アーチャーが呟くと、ライダーが腰に手を当てて笑った。

「ふふん。分かりやすくていいじゃないか。敵が領土ごと攻めて来たってことは、あれが敵の全兵力ってわけでしょ。探す手間が省けたってことさ」

「そうだな。もとより、全兵力でぶつかるのは、この聖杯大戦での当然の帰結だ。今さら恐れることでもない」

 すべてのサーヴァントが個別に戦う聖杯戦争と異なり、明確な陣営に別れての戦いだ。小競り合いを続けても囲まれて仕留められる可能性が高く、決着をつけようとぶつかるとすれば、それは一騎打ちが確実に実現できる総力戦に持ち込むべきなのだ。まして、こちらはミレニア城砦という地の利を持つ。“赤”の陣営は個別に攻めても埒が明かない。

「で、アーチャー。あれ、撃ち落せない?」

「無茶を言うな。あれほどの質量、対城宝具クラスでも怪しい」

「だよねー」

 移動要塞の巨大さは、まさに規格外。ミレニア城砦を丸ごと空に浮かべているようなものである。

「アーチャー。では、始まるのですか?」

 アーチャーの隣にいたフィオレの言葉には、僅かな震えが混じっていた。無論、それは極めて微小なものであり、傍目から見ても決然とした様子に見えたことだろう。サーヴァントとして、彼女の傍らにいたアーチャーだからこそ、彼女の僅かな怯えを感じることができたのだ。

「ああ、敵の準備も整ったということだろう。さかしまの城。ネブカドネザル二世かあるいはセミラミスか。向こうのアサシンかキャスターなのだろうが、厄介なものを持ち出してきたものだ。……フィオレ、事ここに至っては、サーヴァント同士の戦いが中心になる。おそらく、敵のマスターは出てこないだろう。君は城砦の中へ」

「アーチャーの言うとおりだ、フィオレ。敵がこのような出方をしたのだ。ここは彼らに任せなければ」

 とん、とダーニックが城壁に着地した。

「敵はどうやら竜牙兵を召喚したらしい。おそらく、こちらのゴーレムとホムンクルスに対応するためだろう」

 ダーニックは見てきたように言った。方法は不明ながら、敵の様子を偵察したのだろう。大胆なことだ。

「おじ様……」

「サーヴァント同士の戦いに魔術師ができることはない。今、我々がすべきことは、彼らの邪魔をしないことだけだ」

 マスターが出てくるのであれば話は別だが、敵が本拠地ごと乗り込んできたからには個別にマスターが現れるということはまずない。敵マスターは最も安全で、戦場を俯瞰できるあの要塞に閉じ篭っているはずだ。

「ダーニック。お前の言うとおり、後は我々サーヴァントの仕事だ。早々に中に入るといい」

 煌びやかな粒子が人の形を取る。“黒”のランサー(ヴラド三世)が凄絶な笑みを浮かべて現れた。ランサーは、空中に浮かぶ『虚栄の空中庭園(ハンギング・ガーデンズ・オブ・バビロン)』を忌々しそうに睨み付ける。

「我が領土に醜悪な要塞で乗り込んできた挙句、あのような汚らわしい骸骨兵を撒き散らすとはな」

 ランサーの身体に、敵を屠らなければならないという義務感が満ちる。

 サーヴァントとしての使命とは別だ。ここはルーマニアで彼の領土なのだ。そこに、攻め込んでくる時点で問答の余地なく『敵』なのだ。それこそ、彼が最も毛嫌いするオスマントルコに等しい蛮行である。

 生涯侵略者と戦い続けた“黒”のランサーは、この状況を苦々しい思いで懐かしむ。

 勝ち目などない戦だった。

 だが、屈服することだけはありえなかった。

 そして、万に一つも勝ち目のない戦いを勝利に導いて彼は英雄となった。

 ならば、今さら領内に敵が侵入したからと言って絶望することなどありえない。それがたとえ、神代の英雄であろうとも、この地(ルーマニア)に足をつけているランサーに負けは許されないのである。

「それでは領主(ロード)よ。私たちは要塞の内部に避難します。それと、敵があの地点に陣取る以上、我々は街を背にして戦えます。存分に力をお振るいください」

 ダーニックは恭しく一礼して城砦の中へ消えていった。

「アーチャー。あなたの相手は……」

「ライダーだろう。私以外に、アレの相手ができる者もいないからな」

 “赤”のライダー――――アキレウス。

 全世界規模、知らぬ者のいない大英雄だ。パラメータを視ても、アーチャーを遥かに凌駕していた。

「何、心配はいらない。例え、相手が大英雄であろうとも、私が為すことに変わりはない。何より、君が召喚したサーヴァントが、最強でないはずがないだろう」

 正面から、アーチャーは宣言する。

 その言葉に、フィオレは息を呑んだ。

 それは、あの日、アーチャーがフィオレに言ったこととまったく同じ言葉だったからだ。

 実際、彼は“赤”のセイバーとの二度の戦いと、“赤”のライダーとの戦いでその実力を見せ付けてくれた。パラメータや知名度だけではサーヴァントの実力が測れないという実例を示して見せた。

 知名度がまったくない、未来の英霊というハンデを抱えながら、神話の大英雄と互角に戦うと言う。傍から見れば無謀なのだろう。しかし、フィオレにはそうは思えなかった。

「わかりました、アーチャー。わたしは、もう何も言いません。……あなたに、すべてお任せします」

 フィオレはそう言うと、ダーニックを追って城砦の中に避難した。

 ザァ、と風が吹く。

 風に乗るように粒子が城壁上に揺蕩い、現実の肉を得る。

 “黒”のバーサーカー――――フランケンシュタイン。

 身の丈ほどのメイスを背負い、表情なく彼方の城を見る。

 “黒”のキャスター――――アヴィケブロン。

 捕縛した“赤”のバーサーカーを伴い、全体の一歩後ろに立つ。仮面の下の顔は見えないが、彼も英霊。戦いに臨み、臆する様子はない。

 そして、“黒”のセイバー――――ジークフリート。

 聖剣の切先を下にして、静かに佇んでいる。

 総計七騎。

 これが“黒”の陣営が誇る総兵力だ。

 両手で数えられる程度の戦力だ。だがしかし、その存在感、煌びやかさは大国の軍隊すらも霞ませる。

「皆、揃ったな」

 ランサーは、一歩前に踏み出して言う。

「ライダー。編制したホムンクルスとゴーレムの指揮を執れ」

「ラジャー!」

 ライダーは屈託のない笑顔を浮かべて胸を叩く。

「アーチャー。君は“()”のライダーの抑えだ。あれの相手は君でなくては務まらん」

「精精期待に応えるとしよう」

 “赤”のライダーはアーチャーの宝具でなくては傷付けられない。間違っても、アーチャーが他のサーヴァントと出会ってしまうことは避けねばならず、彼は序盤から“赤”のライダーの相手をすることに決まっていた。

「キャスターはここで待機だ。“()”のバーサーカーを解放するタイミングはお前に任せる」

 キャスターはゴーレムの操作以上に、バーサーカーの扱いに注意しなければならない。このバーサーカーの代理マスターである彼は、一応バーサーカーを魔力供給という鎖で繋いでいるが、この狂戦士は思考が「反逆」という一点に固まっているという理由でバーサーカーになっている。それは、思考そのものが存在しない通常のバーサーカーと異なるし、それ故に、マスターが彼の思考に反した場合、自らの意思で反逆を起こしかねない。

 扱い辛さということに関しては、随一のサーヴァントだ。

 キャスターは頷いてから、

「ああ、それとランサー。王たる君がまさか徒歩で戦争というわけにもいかないだろう。馬を用意させた」

「ほう」

 ランサーは興味深そうに、キャスターに視線を注いだ。

「無論、造り物だが」

「大いに結構。ただの馬ではこの戦いについていけぬ」

 キャスターはゴーレム製作に特化した魔術師だ。故に彼が用意するのもまた馬の形をしたゴーレムである。

 身の丈ほどの馬のゴーレムは青銅と鉄を継ぎ接ぎしたマダラ模様で、サファイアとルビーの瞳が怪しく輝いていた。

「大いに結構」

 ランサーは、大層満足したようで、頷いてから颯爽とその背に跨った。

「セイバー。君の相手は“赤”のランサーでいいだろう」

 セイバーは黙然としたまま頷いた。

 願ってもないことだ。竜の鎧に傷を付けることができたのは、生前から今までを通して“赤”のランサーだけである。それも宝具を解放することなくだ。

 彼との再戦は、セイバーの願望と言っても過言ではない。

「バーサーカー。お前はただ目の前の敵を屠れ。本能の赴くままに果てるまで暴れるがいい」

「ゥ……ゥィィィ……」

 バーサーカーは、僅かに残った理性でランサーの言葉を理解する。

 城壁の縁に両手をかけて、今にも飛び出していきそうだ。

「さて、諸君。いよいよ雌雄を決する時が来たようだ。皆、それぞれ心の準備はできていると思うが、改めて問おう。殺し、殺される覚悟はあるかと」

 誰も、敢えて答えを発する者はいない。

 言うまでもなく理解している。戦いとはそういうものだ。敵を殲滅しなければならない聖杯大戦に召喚された時点で、覚悟するまでもなく理解している。理解したが故に召喚に応じたのだ。

「敵は六騎のサーヴァント。奴等のバーサーカーがこちらの手にあるが所詮は使い捨ての兵器に過ぎぬ。実質兵数は拮抗しており、“赤”のランサーはセイバーと互角に戦い、“赤”のライダーはアーチャーの宝具でなければ傷一つ付かない。あの巨大宝具を操るのはアサシンかキャスターであろうが、いずれにしても皆難敵に相違ない」

 ランサーはそこで言葉を切る。戦場を俯瞰し、空中要塞を睨み、そして頼れる戦友たちを視界に収める。

「ここまで聞いて、怖気づいた者はいるかね?」

 いるわけがない。

 “赤”のバーサーカーを除いた全員がそれぞれの言葉と仕草で否定する。

「それでこその英雄だ。皆それぞれ、乗り越えてきた苦難があったろう。それを思えば――――この程度の苦境、乗り越えられずして何が英雄か!」

 ランサーは語気を強めて言い放つ。

 オスマントルコの侵略者に包囲され、これを打ち破ったランサーにとっては、これは窮地でもなんでもない。

 確かに敵はこちらの懐に入り込んでいる。

 王城を目の前にして、王の首と財宝を求めて剣を磨いでいることだろう。

 来るなら来い。

 お前たちに待っているのは『串刺し公(ブラド三世)』。侵略者の天敵に等しい苛烈なる王である。

「あれは蛮族だ。他人の土地を踏みにじり、財を奪い、大地を血に染める汚らわしき蛮族だ。血で血を洗うことしか頭にない愚者共は、徹頭徹尾躾け直さねばならぬ」

 ランサーの物言いは実に分かりやすい。

 生かして帰すな。

 偏にそれだけのことである。

「では、先陣を切らせてもらおう」

 ランサーは馬のゴーレムと共に城塞から飛び降りた。

 キャスターのゴーレムは、たとえ戦闘用でなくとも頑丈だ。この程度の高さでは破損もしない。

 『騎乗』スキルを持たないランサーは、それでも持ち前の馬術だけでこの馬を操り、着地を成功させた。そして、ゆっくりと草原を歩む。

 戦場。

 久しく感じなかった戦いの気配に、ランサーは闘志が燃え上がるのを感じていた。

 かつて、二万の軍勢と相対した故国ルーマニアの大地に、奇しくも再び仮初の生を得た王は、己が人生を省みるように戦場に舞い戻ってきた。

 今度の敵は、六騎だけ。しかし、オスマントルコよりも尚強力な六騎だ。

 だが、それでも敗北はないと確信できる。

 生前、ランサーを追い込んだのは深刻な人手不足であった。一騎当千の将が手元にいなかったのである。もしも、彼の手元に一軍を相手にできる『英雄』がいたならば、ランサーの戦術眼と相まって、串刺しという手を取るまでもなく敵を撃退できただろうに。

 あの日々を思えば、今のランサーは実に幸運だ。

 少なくとも、敵を退ける戦力が手元にあるのだから。

 ランサーの背後にライダーに率いられたゴーレムとホムンクルスが整然と並んだ状態で現れた。

 さすがにライダーは高位の騎士なだけあって、その指揮は見事なものだ。

 その軍勢の脇に、“赤”のバーサーカーが連れ出される。屈強な肉体が、ギチギチと拘束具を鳴らしている。この分なら、解き放てば命令するまでもなく敵の下まで突き進むだろう。 

 アーチャーの姿はすでにない。彼は早々に姿を潜め、敵の襲来に備えているのだろう。

 そして、こちら側のバーサーカーは全体から距離を取った位置にいる。彼女はバーサーカーにしては理性的な方だが、それでも全力を出すとなると周りを巻き込む。特に、最期の一撃を放つとなれば、周囲に味方はいない方がいい。

 こちらの戦列は整った。次は“(あちら)”の番だが。

「さて、どう来る」

 ランサーは滞空して動かない『虚栄の空中庭園(ハンギング・ガーデンズ・オブ・バビロン)』を見上げて呟いた。

 

 

 

 

 ■

 

 

 

 

 戦いの用意ができたのは“赤”も同じ。

 戦場に出てきた敵軍の威容に、当たり前のように戦意を高めていく。

 “赤”のアーチャー、アタランテは天穹の弓「タウロポロス」に二本の矢を番える。その名はアルテミス神の別名であり、添え名でもある。意味は「雄牛の屠殺者」。狩りの女神であるアルテミスから送られた至高の逸品である。

「我が弓と矢を以て太陽神と月女神の加護を願い奉る」 

 朧な月光に照らされる晩秋の月夜。冷え冷えとした光を降り注がせる月に向かって、アーチャーは二本の矢を放った。

 彼女の宝具は弓でもなければ矢でもない。弓を引き、矢を放つ。この一連の術理こそが彼女の宝具なのである。

「『訴状の矢文(ボイポス・カタストロフェ)』!」

 アーチャーの宝具は、太陽神(アポロン)月女神(アルテミス)に加護を願う代わりに、敵の命を捧げるというもの。

 空高く放たれた矢は、やがて死の雨へと姿を変える。

 幽玄なる月時雨は、その一粒一粒が明瞭な殺意に溢れていた。

 蕭蕭と、静かに風を切るのは光り輝く矢である。

 数え切れないほどの光が地上に死を振りまく。巻き込まれたホムンクルスはただの一矢で即死し、頑強なゴーレムが針鼠にされて砕け散る。攻撃範囲を広く設定したために、サーヴァントを傷付けられるほどの密度は持たせられなかった。敵のサーヴァントは、かわし、打ち払い、受け止めてアーチャーの宝具を耐え抜いた。

 雨後の花は真紅に染まる。

 己の宝具が齎した凄惨な光景を冷厳な眼差しで見下ろして、アーチャーは振り返る。

「露払いは終わったぞ。交代だ、ライダー」

「応!」

 心底嬉しそうにしたライダーが走り出す。

 もとより、アーチャーの役目は先制攻撃で敵の機先を制することである。一番槍は、不承不承ながらライダーに譲っている。

 ライダーは空中要塞から飛び降りると、ぴゅう、と口笛を吹いた。

 それを合図に、天から堂々たる三頭の馬に引かれた戦車が舞い降りてきて、ライダーを拾い上げる。

「さあ、開戦だ。“赤”のライダー。いざ、先陣を切らせていただく!」

 御者台の上でライダーは高らかに宣言する。

 筋骨隆々な神馬と名馬に引かれた戦車は急降下して戦場を疾駆する。

 立ちはだかるは戦闘用ホムンクルスとゴーレム。魔術師程度ならば軽く捻り殺せる性能を持つ集団を前にして、ライダーは口角を吊り上げて笑う。

「そんな雑兵で―――――――――この俺を止められるか!」

 それは一陣の豪風であった。

 通り抜けた跡には轢殺死体と粉砕された瓦礫しか残らない。

 恐るべき破壊力。

 特別に調整されたホムンクルスが、史上最高のゴーレム使いが生み出した一トンを超えるゴーレムが、僅かばかりも持ちこたえることができずに砕け散る。

 それもそのはず。彼の戦車を引く三頭の内の二頭は海神(ポセイドン)から与えられた不死の神馬であり、もう一頭も不死ではないものの名高い名馬なのである。

 それ単体でサーヴァントを屠れる神獣が二頭。そして、それに匹敵する名馬が一頭。三頭の馬の圧倒的な突進力で突き進むライダーをいったい誰が止められようか。

 少なくとも正攻法では不可能だ。

 破壊することは不可能。力ずくも難しい。ならば、搦め手に頼るのみ。

 “黒”のキャスターは自分のゴーレムが蹴散らされるのを漫然と見つめていたわけではない。

「そう易々とは行かないぞ、“赤”のライダー」

 滑らかな動作で指を動かす。

 驀進する“赤”のライダーの前に、三体のゴーレムが現れた。

 特別強くも硬くもない。ライダーもそれが分かっているからこそ、舌打ちをしつつ当たり前のように粉砕を選択する。

 だが、仮にも“黒”のキャスターが鋳造したゴーレムが、ただ巨体に任せて敵を殴るだけのデカ物ばかりなはずがない。

 戦車と接触する瞬間、ゴーレムはどろりと溶けて粘塊に変貌するとそのまま馬の足に絡まって硬質化した。

 あの“赤”のバーサーカーすらも拘束する特別製の拘束具だ。如何にアキレウスの神馬と雖も、容易く抜け出すことはできない。

 戦車が加速力を失って停止する。

 その隙を逃すまいと、ホムンクルスたちが襲い掛かる。足を奪われたライダーは、一気に弱体化するものだ。『ライダー』のクラスは一般的に強力で多彩な宝具を持つ代わりにサーヴァント本体の実力はそれほどでもないものである。が、その常識はこのライダーには通じない。

「しゃらくせえ!」

 吼えたライダーは腰の剣を引き抜いて身体を捻ると、一太刀で押し寄せるホムンクルスを横一文字に両断した。

 彼はライダーだが、戦場で戦車など必要ない出鱈目な身体と武技を持っているのである。

 ホムンクルスをいとも簡単に両断したライダーは、木々の間に金色の光を垣間見た。

 

 ――――眉間か。

 

 根拠はないが、確信はあった。

 槍を取り出し、片手で回す。戦士の勘は、見事に的中し、槍の柄は飛来した神剣を打ち払った。

「来たか、アーチャー」

 ライダーは獰猛に笑う。

 “黒”の陣営に、自分を傷付けられる者がアーチャーしかいない以上、どうあってもライダーの相手はアーチャーで決まりだ。

「“黒”のアーチャーは何処や!? 預けた勝負、取り戻しに来たぞ!!」

 姿の見えぬ敵に呼びかけるライダー。返礼とばかりに、金色の閃光が襲い掛かってくる。

 だが、手の内の知れた相手の攻撃がそう何度も通るライダーではない。宝具の矢を、ライダーは槍で迎撃する。

「相変わらず、宝具だらけだな。いいね、一つ、どんなヤツか顔を拝んでやろうか」

 常道ならば、ゴーレムの拘束を砕き、戦車で以て戦場を走破するべきなのだろう。彼に与えられた一番槍の役目は、何もただ敵陣に最初に突っ込むことだけではなく、後続に道を作り出すことも含まれている。

 しかし、それはあくまでも常道に限った話。

 この案には、森の中に潜む敵手に背を向けなければならないという致命的な欠陥がある。

 それは、背中から敵に射られるなどという話ではなく、もっと根本的な問題――――――――敵に背を向けるのは英雄の誇りに反する、という一点である。

 『英雄らしく振舞うこと』が、ライダーの本懐なのだ。彼は生前も死後()も、英雄として誇れる生き方を第一義としている。たとえ、その先に死が待っていようとも、臆することなく突き進むのが“赤”のライダーなのだ。

 偉大なる英雄である父と女神である母、そして苦楽を分かち合った友の名誉のためにも、断じてアーチャーを無視するわけにはいかない。

 飛び降りたライダーは、戦車を霊体化すると、そのまま自らの足で森に踏み入っていった。

 

 

 

 ■

 

 

 

 “黒”のランサーは槍兵のクラスで召喚されながら無手である。

 そもそも彼には剣も槍も弓も騎馬も縁がない。武芸で伝説を打ち立てたわけではなく、類希な戦術眼とオスマントルコを撃退したという実績を以て『座』に招かれた英雄だ。一般の『ランサー』とは、毛色が違う。

 さて、それでは何故に彼がランサーで召喚されたのか。

 それは、“黒”のランサーに係る歴史的事実をなぞるのであれば、槍兵のクラスこそが最も相応しいからだ。

 それは、決して槍ではない。まして、手に取って振るうようなものでもない。いや、そもそも本来は武器ですらないのだ。

 ランサーは指揮でもするように両手を挙げる。目の前には無数の竜牙兵たち。無論、ランサーにとっては有象無象の雑魚に過ぎない。

「さあ、我が国土を踏み荒らす蛮族どもよ、誅罰の時だ。慈悲と憤怒は灼熱の杭となって貴様等を刺し貫く。そして、それは、真実無限であると知れ!」

 轟、とランサーの身体から魔力が迸る。

「『極刑王(カズィクル・ベイ)』!」

 ランサーの進む道を阻む骸骨たちは、何が起こったのか分からなかっただろう。

 僅かに揺れる大地。次の瞬間には、彼らは足元から突き出してきた細長い杭に串刺しにされてしまった。

 無残にも曝されてしまった罪人の如く、骸骨たちは物言わぬ骸へと還り、カラカラと虚しい音を立てるのみ。

 ランサーの周囲にいた竜牙兵が全滅するのに、一秒とかからなかった。

 ランサーは自らの戦果を確認することもせず、馬を走らせる。

 当初の予定通り、アーチャーが敵の敵主力の両翼の一であるライダーを引き付けている。次に攻めて来るのは、ランサーかアーチャーか。

 いや、両方だったか。

 ランサーの視線の先に、戦場を疾駆する二つの影がある。

 黄金の鎧に身を固め、驚くほど神々しい槍を持つ“赤”のランサーと先ほど先制攻撃を仕掛けてきた“赤”のアーチャーだ。

 ランサーは二騎に向かって杭を一斉召喚。杭の津波を浴びせかける。風のように大地を駆けていた“赤”のアーチャーの速度が鈍った。

 “赤”のアーチャーはするりと杭の間を抜けると、流れるような動作で矢を放った。

 放たれた矢はランサーを貫く前に間に入ってきた杭によって防がれる。

 続けて二矢。しかし、それもランサーには届かない。さながら杭の結界だ。並の攻撃ではランサーには届きもしない。

「ちと、面倒なやつだな」

 “赤”のアーチャーは舌打ちをして矢を続け様に放つ。

 結局、彼女は弓術によって敵を討つしかない。

 

 

 杭に守られたサーヴァント。

 世界は広く、歴史も深いが杭をこのように扱う英雄は一人しかいない。

 あのサーヴァントはヴラド三世で確定だ。

 アーチャーは持ち前の敏捷性で杭をかわしながら矢を放つ。遅れて“赤”のランサーもまた豪槍を振るってアーチャーを援護する。

「“黒”のランサー――――ヴラド三世とお見受けする」

「ほう、余を真名で呼ぶ貴様は“赤”のランサーか」

 『ランサー』同士の対決。

 通常の聖杯戦争では絶対に起こらない対戦カードである。同じクラスの敵との邂逅に奇妙な愉悦を抱きつつ、“黒”のランサーは杭を召喚する。

 “赤”のランサーは出現した杭をあっけなく打ち砕く。

「やはり、この杭が宝具か。しかし……この数は異常だ」

 “赤”のランサーは呟きながらも足を止めない。止まってしまっては格好の的だ。“黒”のランサーの杭は威力も低く、宝具と言うには聊か脆い。“赤”のアーチャーの普通の矢で破壊できる程度でしかない。

 だが、この宝具の真価はそこにはない。

 確かに一本一本の杭は脆いだろう。しかし、それが数え切れないほど集ったらどうなるか。

 足元から突然突き上げてくるということに加えて、無制限に現れるという物量。それが、この宝具『極刑王(カズィクル・ベイ)』なのである。

 有効半径一km、最大展開数二万本。

 戦が物量で決まるというのなら、この時点で“黒”のランサーは勝利したに等しい。

 『極刑王(カズィクル・ベイ)』。所有者と同じ名を冠したこれは、二万人のオスマントルコ兵を串刺しにしたという歴史的事実を具現した、“黒”のランサーの象徴的宝具なのである。

 攻めるに攻められず、“赤”のランサーと“赤”のアーチャーは“黒”のランサーから一定の距離のところで足踏みする。

 壊してもかわしても次の瞬間には新たな杭が現れる。下手をすると押し返されてしまい、ますます距離ができる。

「では、そろそろ前座も終わりだ」

 “黒”のランサーが指を鳴らすと、杭が一列に突き出して“赤”のランサーと“赤”のアーチャーを分断する。

 そこからさらに杭は花を咲かせるように左右に広がっていく。

 当然のように、“赤”のランサーと“赤”のアーチャーは引き離されることになる。

 

 

 

 杭に追い立てられるように、“赤”のランサーは“黒”のランサーを中心に円周上を駆ける。

 だが、唐突に、杭の森に果てが見えた。真実無限と嘯いた杭が、唯一展開されていない場所。そこには一人の青年が佇んでいた。

「お前は……」

 杭に襲われながらも終始無表情だった“赤”のランサーの目に僅かな感情の揺らぎが生まれた。

 白銀の長い髪を風に乗せ、聖剣を肩に担ぐのは、“赤”のランサーの序盤の相手――――“黒”のセイバーであった。

「なるほど、端からこうするつもりだったか」

 “赤”のランサーは豪槍を構えながら敵を見る。

 “黒”のランサーは、初めから“()”のセイバーを自分にぶつける算段だったようだ。自身の豪槍をその身に受けて浅手で済む頑強な肉体を持ち、如何なる苦境にあっても屈しない不屈の精神の持ち主。前回の戦いでは夜通し打ち合って互いに決め手はなく、不完全燃焼に終わった。だが――――

「どうやら、誰の邪魔もなくお前と殺し合えるようだな」

 スッ、とセイバーが聖剣を構えることで返答とする。

 無駄口は叩かない。ただ、己の役割にのみ従事する。そんな、彼の態度を“赤”のランサーは悪く思わない。“赤”のランサーもまた言葉による応酬を望んでいるわけではないのだ。

 今、このセイバーは自分を殺りに来ている。

 それが分かれば十分だ。

 殺気が充満し、荘厳な闘気がぶつかり合って大気を揺るがす。

 もはや、杭の壁も視界に入らない。

 何処かで戦うサーヴァントたちとホムンクルスたちとゴーレムたちの狂騒すらも耳に届かず、ただ目の前の勇士と刃を交えることのみに注力する。

 始まりはどちらともなく。

 気が付けば、豪風の中に鮮烈な火花が咲き乱れていた。


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