機動戦士ガンダム U.C. HARD GRAPH 名も無き新米士官の軌跡 作:きゅっぱち
この世の始まりは爆発だ。
力を持った炸裂は、その世界を塗り替える。
この宇宙を支える反応は、戦場においても健在だ。
破壊と終わりをもたらす爆発。
それでも世界を終わらせるには程遠い。
── U.C. 0079 10.4──
音が頭の中で鳴り響く。響き渡り、反響する。ぼやけた視界には何かが映っているが理解には至らない。何も判らない。何も。真っ白だ。真っ白?そんな訳はない。ほら、赤い。動いてる。火か?火?白の中に?何で白いんだ?
「心配するな」
声がした。神の声が。
「ぅあ」
何かが身体を引き起こす。肺が痙攣した様に空気を押し出し、声帯を震わす。手放しそうになった何かを抱きしめる。判らないが、これは、これだけは。これだけは……。
「んそぉ……」
「大きな、外傷はない。爆轟の、影響も、軽微だろう。しかし、基地に戻ったら、精密検査が、必要だ」
「じょう…」
「気絶して、2分も経って、いない」
なんて言った?呻きながら聴き直そうと思った矢先、銃弾が音を立てて耳元を掠めた。独特の破裂音。空気を引き裂き、歪め、それが戻る音。衝撃波。反射的にか、根源的な恐怖からか、思わず首を縮める。一気に感覚が戻ってくる。最悪なモーニングコールに頭痛がする。手を動かそうとして足が動いたのが目で判った。状況が把握出来ないが、隣に軍曹が居て、何故か伍長が胸の上で伸びている。頭を振り、動く手で頭を叩こうとしてヘルメットに当たる。顎に鈍い痛みが走った。ぶつけて脳震盪起こしたか。全く。
目に見えない爆風、爆圧、爆轟の影響はとても恐ろしい。飛び散る破片の様に目に見える外傷でなく、体内に直接ダメージを与えるのだ。それも直ちに影響は無くとも、また本人は自覚して居なくとも脳や臓器、血管と言った内臓を著しく傷つけていた、何て事例は枚挙にいとまがない。それらを計測するブラストゲージなる簡易センサーもあるくらいだ。
これは爆風の過剰圧、加速度を記録、分析する装置で、小さく単純ながら丈夫な作りで、衛生兵の持つ機械で直ぐ様診断に活かす事が出来る。勿論詳しい事は判らないが、直ぐ様手軽に参考に出来ると言うのが強みだ。上にパイロットにも必要だと申請上げとこう。生きて帰れたらの話だが。
非現実的な感覚だ。余計な事に頭は回るのに、中尉は未だに状況を把握しきれていなかった。散り散りになったオメガ達はそれぞれ反撃を始めた様だが、よく判らない。目を回す伍長を抱き起こし怪我を確認しながら、中尉は混乱しながらも声を上げた。
今や壁は崩れ、一気に雪が吹き込む。いや、空が見える。ほぼここも野外になった。
「やられた!援護頼む!」
「ナカムラぁ!」
「くたばれこの!!」
「クソ!撃たれたぁ!足だ!」
「ヒィイ!かあちゃん!!」
しかし、未だに状況が掴めない。断片的な声だけだ。それも理解が出来ない。なんとか立とうとしようとしても、少し動くだけで目から火花が散り、頭がガンガンと痛み動作を阻害してしまう。まるで頭蓋骨を内側からぶん殴られてるみたいだ。手足の先端は焼ける様に熱い。だが、末端から離れれば、驚くほど寒い。顔を顰め細める目には銃口炎か爆発か、撓んだ様に歪んだ光が視界を埋めている。音を立てて飛び過ぎる弾丸の破裂音、切り裂く様な着弾音。時折爆風が身体を揺さぶる。視界の端に何かが映った。素早く身を翻す灰色のそれは、自分より大きい!
身体が強張る。何も出来ない。何も。恐ろしい速さで飛びかかってくる死から目を逸らす事も。
しかし、目の前でそれが無造作に掴まれ地面に叩きつけられた。動かなくなる。
「うぉ!!」
「急げ……早く速く疾く!」
「俺の!俺の足は!?」
「お連れしろ!!」
「足はついてる!衛生兵!」
「足!俺の!」
目の前に影が落ちた。思わず声を上げ手を翳す。何も無い。軍曹だ。助け起こされる。伍長を担いだ軍曹は片手で拾ったらしいアサルトライフルをハンドリングし、射撃しながら器用に中尉を引っ張る。
中尉のよろめき倒れ込んだ先に勢いよく飛び込んできたのはオメガのベレー帽だ。額から血が垂れ、顔を染めている。追う様に飛び込んできてのはなんと連邦兵だ。"アサカ"の
もたれかかっている壁に不規則かつ断続的な振動を感じる。遮蔽物の裏にいるらしいが、ここはどこだ?海兵が銃を頭の上に抱え、塀から銃だけを出しめちゃくちゃに乱射している。広がり、しっかりし始めた視界の先で他の連邦兵が近場の遮蔽物に取りつき、銃を撃つのが見える。誰か撃たれた。血が飛び散り、雪を彩るのがスローモーションの様に見えた。そのまま倒れ込み暴れる
しかしそれはヘルメットに阻まれ、ツルツルとした表面を撫でるに終わった。混乱してるが、この無駄な動きが中尉に少し冷静さを取り戻させた。咳き込む様に深呼吸し、考えを巡らせる。恐らく今、どうやら少し盆地になり、崩れた壁がL字の様にして2方を囲っている所にいるらしい。何故か交戦地帯のど真ん中だ。あらゆる方向に敵と味方が入り乱れ、銃撃戦を展開している。姿がお互い殆ど見えないからこその泥沼だ。銃声の隙間を縫う様に悲鳴と怒声が聞こえてくる。早くなんとかしなければ。俺が出来る事を。それはこのままここで拳銃を撃つ事では決してない。
「ACGSは?」
「8m前方だ。しかし、遮蔽物が、少ない。危険だ」
「ようやくお目覚めか!」
「今敵の本隊と大規模交戦中だ!あいつら俺達がマルっと運び出した事に気づいたらしい!死に物狂いだ!」
「死にたくないなら早くしてくれよ!俺は死にたくない!だからあいつらには悪いが死んでもらうがね!!」
また味方が目の前で撃たれた。何も出来ない。助けられない。少し身を乗り出し、比較的近いジオン兵のシルエットへマテバを撃つ。当たらなかった。眉を顰め舌を巻く。距離が遠過ぎる。それに、そもそも拳銃とはそう当たるモノでない。
リボルバーは殆どのオートと比べ本体重量があり、弾頭も重く装薬量も多い。また銃身も固定されている為命中率は高く、拳銃の中でも比較的遠距離を狙える精度がある。しかし、それはあくまで拳銃の中での話だ。短い銃身は装薬のエネルギーを最大限発揮させる事は出来ず、またシリンダーと銃身の隙間から発射ガスのエネルギーはロスしてしまう。重量があり、大きく、肩に当て抱え込む様に両手で構えられ、遠距離を狙う事が前提のライフルとは違い、軽くて小さく基本的に手と手首だけで支える、携行性を第一に、そして近距離戦で運用すべきハンドガンは安定させる事自体が至難の技であり、当てるのが難しい。至近距離ですら外れる場合があるくらいだ。優れた射手ならハンドガンでも高い命中率と射程を発揮出来るだろうが、中尉はそもそも射撃は得意な方では無い。それに、この吹雪だ。視界も効かない上、銃弾も風に大きく流される。当てろと言う方が土台無理な話なのである。
──アサルトライフル、せめてサブマシンガンが欲しい。しかし意味はあった。その独特の発射音に多くの味方がこちらに気づいた。そして倒れ込んだ味方にも。目の前で他の味方が身の危険を省みず走り込み、倒れた味方を遮蔽物の裏へと引き摺る。それを確認し頭を下げると同時に、また誰か駆け込んできた。オメガののっぽだ。息を荒げる彼を軍曹が手早く引っ張り込む。ドサリと腰を下ろしたのっぽは、手に持ったSMGのリロードを手早く済まそうとし、隣の目を回しっぱなしの伍長の枕に驚いて取り落とした。不審に思いつつ覗きこんだ中尉もギョッとした。狼の死体だ。しかもかなり大きい。化け物みたいなサイズだ。だらしなく四肢を投げ出し、あらぬ方向へ向いた首と虚な瞳を見ない様にしながら恐々と触れてみる。灰色の毛並みは艶やかで、まだ暖かい。血はついてなかった。何故こんな物がここに?
「助かった!すまん!」
「パイロットは貴重だ!俺達は消耗品だからな!」
「普段守られてんだ!守ってみせるよ!」
「ガム4本、タバコ5本分の仕事はするさ」
「車輌は!?」
「
「輸送部隊護衛優先だ!!すぐ戻ってくる!!」
「俺達が殿さ。最後の便が尻尾踏まれちまって」
「RPG!!」
空気を引き裂く言葉に、反射的に頭を上げようとした瞬間、頭上を特徴的で大きな音を立ててロケット弾が通り過ぎた。"ラングベル"、ジオン軍の手持ちのロケットランチャーだ。ロケット噴流の生み出した逆巻く風の風圧に持っていかれそうになり、滑る雪を踏み躙る様にしてたたらを踏む。危ない。慌てて狼の事を頭から追い出し、少しズレたヘルメットを押さえつける。軍曹から手渡されてアサルトライフルを何も考えず受け取り、抱え込む様にしてしゃがむ。危ない。危なかった。危ない?辺に冷静な自分がいる事に違和感を覚えながら、すぐ隣の小さな遮蔽物にアサルトライフル持ちが居るのに気づく。手足を投げ出した様にして寝転がっており、一瞬死んでいるのかと思ったが、向こうもこちらに気づいたのか、頭を下げたままジリジリ近づき、海兵が撃っている間に転がり込んできた。その影は1つではなく、他の連邦兵も一緒だ。彼を皮切りに続々と続き、息を荒げながらSAWを抱え飛び込んできた男を最後に、ようやくその列は終わりを告げた。先程までの事が嘘の様に人で溢れ、途端にこの小さな遮蔽物は人でいっぱいになった。小さな窪地に数人が集まり一気に人口密度が増し、大渋滞している。
遮蔽物は周りにも沢山あるが、有効に使える物は限られてくる。身体の大半を隠しながら相手へ向かって正確に射撃出来る射角があるのが理想だが、そう都合良くそんな遮蔽物はまず無い。射角の広い狭いはともかく、その先に敵がいるかどうかはまた別の問題だ。身体を覆い隠すには小さい物や、脆く弾丸を通す物は使うにリスクが大きい。仮に隠れられても、射角が無く反撃が出来なければそれはジリ貧へと繋がる。結局、この様に使える、使いやすい遮蔽物に人は集まり、それは弾丸を引き寄せる磁石になるのだ。
「なんでこんな事に!?」
「また狼だ!!あいつら恐れを知らないのか!?突っ込んで来やがる!!」
「づぁっ!!クソッタレ!撃ちやがったなこの!!」
「何!?」
「敵を追いかけてたら狼で敵も味方もパニックだ」
「這ってこれるか!?スモーク!!」
「んむぁ……」
「必要なら月までも這ってやるよ!!クソ!!」
そりゃやばい。人間は野生動物にはまず勝てない。その目安は体重の半分以上だろう。それ以下であり、武器があっても素早い身の熟しの前に無力のまま殺される事だって十分にある。牙や爪はそれだけ鋭く、それ程獣は強く、人間は弱い。状況は最悪だ。
思わず舌打ちをした瞬間、身を乗り出そうとした隣の陸軍兵士が撃たれた。肩を押さえ倒れ込む。白に映える鮮血が飛び散り、雪を彩った。中尉の顔にも湯気を立てる程暖かく、硝煙にも負けない鉄臭い液体が降りかかった。ぼたりと重たく、粘っこくバイザーを垂れるそれの、忍び寄るリアルな死の臭いとそのショッキングな光景に驚き固まる中尉の前で、暴れ出そうとした彼を軍曹が器用にも足だけで押さえ込み、拳銃で反撃しつつ彼の医療キットを弄る。
しかし、彼の医療キットからはチョコと飴、その他のお菓子が転がり出て来ただけだった。あまりの事に思わず悪態をつく海兵が自分の医療キットを取り出そうとしたのを制止し、中尉が手早く自分の医療キットを軍曹に渡す。中身を確認する軍曹を尻目に、音と情報の洪水に流されながら、中尉は寒さを肺に馴染ませる様にして息を整えた。今の俺の、あとやる事は1つ。アサルトライフルの
「ほら起きろほら」
「伍長!目を覚ましたな?」
「んぁー……ぬぅ〜……」
「よせよ。礼を言うくらいなら、ビタ銭の1枚でもくれ」
「そうじゃない。礼はいらん。仕事だ」
「小松さんお金ないですもんねイテテ」
先程までの緊迫感はどこへやら、軽口を叩き反撃するオメガ達へ頼もしさと呆れを半々に、中尉は軍曹と目配せをし、伍長の頬を軽く張る。ペチペチと叩けばもごもごと何やら言っているが、だからこそ安心した。白い吐息と共に魂まで吐き出しそうだった伍長も、もうすぐ起きるだろう。起きたら移動開始だ。軍曹がヘルメットを外し脇に置き、転がっていたジオン兵のヘルメットを手に取った。中尉は軍曹の被っていたヘルメットを薄ら目を開けた伍長に被せる。サイズはめちゃくちゃでブカブカだが無いよりは絶対にいい。ホントに野戦のカッコじゃないな俺達。周りが雪で助かった。爆風で巻き上げられた土や石は馬鹿に出来ない。ヘルメットは主にその様な破片避けなのだ。また、転んで頭を打っても人は死ぬ。人は簡単に死ぬ。銃弾を防げる性能は無いが、それはこのヘルメットには求められていない。それでも被り続けたら肩が凝る位の重量はあるが。しかし、どれだけ重たくて嵩張り汗で蒸れようと、ヘルメットは被るだけで生存率は大きく跳ね上がる。覆う面積が広い方が尚いい。それだけで十分だ。不確定要素は減らすに限る。最終的に全てを決めるのは時の運だが、その運に頼らない可能性を潰していくのが生きて行くという事でもある。出来る事はしたい。後で後悔ぐらい出来る様に。それはいつでも変わらない俺の信条だ。
止血を終えた軍曹は余った布をそのまま手早く折り、固めた雪玉をそれに包み、それを軽く振り回し確認した。周りの兵士たちがその奇行に思わず振り向く。低体温症の混乱だとでも思ったのか、しかし軍曹は大真面目だ。
手の中の反動で跳ね回っていたアサルトライフルが止まった。スライドが音を立てて開き、まろび出た煙はすぐさま風に攫われる。弾が切れたと銃をいじる中尉の横で、軍曹がそれを頭の上で回し、鋭く放つ。なる程、
「ありがとうな!」
「手空きは雪玉作れ!早く!」
「ランチャー無いか!?まとめてぶっ飛ばしてやる!」
「マジかよすげぇ」
「40mm、今のでカンバンで!」
背景の音が急に遠くなった気がした。もう一度深呼吸をする。バイザーの曇りも気にならない。軽く肩と首を回し、覚悟を決める。肩じゃなく、腹に力を込める。うん、よし。
前を横切る吹雪がよく見える。白く小さな雪の粒が横殴りに吹き付けるのが、少しゆっくりに見える気がする。その間隙の先、希望が見えた。
「押すなよ当たっちゃうだろ!」
「こっちだって危ねぇんだ!」
「そうだわ手榴弾飛ばせるかな?」
「怖い事考えるなお前」
「大丈夫だな!?」
「行けるか?」
「行くってどこに?」
あそこだと目の前を指差しながら、攻撃を続ける軍曹とアイコンタクトを取る。軍曹は周りの兵士が意図を汲みスリングを渡すからか、なんか両手でスリングを扱っていた。ホバリング中の"キングホーク"みたいだ。そこはかとなく間抜けな光景に少し笑う。よし、さて、上手くトライを決められるか。いや、決めなけりゃならない。絶対に。
軍曹が風を読み、周りに指示を出す。もう周りを掌握している。そしてそれが漣の様に広がっていく。中尉はヘルメットバイザーを口元だけ開け深呼吸をし、息を整える。気にしない様にしていた血の匂いと硝煙の臭いがむせ返る程強くなり、続いて飛び込んできた冷たい空気に肺が充血し、喉元まで血の味がせり上がって来る。痛い。見えない手で引き絞られている様だ。その刺す様な痛みを馴染ませる様に、口の中で転がす様に息をする。身体全身に酸素を行き渡らせる様に。それを細胞一つ一つが感じる様に。これから飛び込む地獄に負けない様に。
軍曹曰く8m。MSに乗って居なくとも目と鼻の先の距離だが、足元は深い雪で、前は猛吹雪、そして敵味方の弾丸があらゆる方向へ飛び交っている。人生で最も長い8mになりそうだ。あの時を思い出す。砂漠と、氷原。とある映画が脳裏を過ぎる。確かに砂漠の夜は最高だった。だから比べる為にもここの星も見なければ。その為には走り抜けられる。走り切って見せる。ここでまだ走るのを辞める訳にはいかない。
バイザーに張り付いた赤い雪を拭う。手で庇を作りながら前を見た。雪が舞い込み口へと入る。微かにザラつく舌触りに、地球への悲しみを感じるが、すぐに忘れる。隣の海兵が肩を叩き親指を立てる。口元を歪めながら、中尉は息を吐いた。
「流石
「鈍臭い
「なんだとクレヨン喰い!見てろ!」
「静かに!お前は動くな!!」
「ふふ……援護頼みます!!よし!!軍曹!伍長!」
「準備良し」
「おぶってもらいました!」
「3!」
「とにかく乗り込んで暴れるぞ。軍曹はすぐ輸送部隊を……」
風が吹く、あまりの寒さに口を噤む。口の中に入った雪を溶かしながら、前を向き直す。もういい。とにかく目の前の事だ。余計な事は後からついてくる。その都度やればいい。俺達なら出来るんだから。
「弾丸は礼儀正しいヤツが大嫌いだ、背を丸めて走るか、寝っころがって迎えろ、そうすりゃ向こうからよけてくれる」
「2!!」
「弾に当たらんよう、ボミオスの呪文でも唱えとけ!」
「行ってきます!!」
「撃てぇ!!」
吐き出す様な怒声と共に壁を乗り越える。それと同時に至る所から連邦兵達が一斉に身を乗り出し、出来る限りの全力射撃を敢行した。爆発する様な空気に後押しされたまま、深い雪をなんとか掻き分け、雪を巻き上げ転がる様にしてACGSに張り付く。人間で言う脹脛の辺りに設けられたアクセスハッチ目掛けがむしゃらに雪を掻き、感覚を頼りになんとか掘り出す。薄く張った雪まみれの氷を剥ぎ、凍った隙間を叩き割りこじ開け、小さなハッチを解放する。緊急解放スイッチを押し込み、ハンドルを回す。上方で圧縮空気の漏れ出す音と共に装甲がスライドし、吹雪の中でも判る、微かでも確かな希望の光が漏れ出した。
酷使され怠さと疲れを感じ始めた筋肉に鞭を打ち、攀じ登る為に装甲に手をかける中尉を尻目に、軍曹機が立ち上がりながら派手に雪を蹴立て跳躍した。まるで地面が爆発した様だ。目眩しも兼ねたか?その凄まじい余波に顔を顰めながら、中尉も何とかコクピットまで辿り着き、文字通り滑り込んだ。目眩がする。息が荒い。それでも身体はまだ動く。震える手で叩きつける様にスイッチを押し、ハッチを締めた。モーター音が鳴り響き、装甲が噛み合う音と共に全ての音が遮断される。頭から狭いコクピット内に突っ込み、逆立ちの様になっていた。まるで海老反りだ。腰が少し辛い。しかし、心の底から安堵する。足をたたみ、身体を捩り、何とかシートに座り直しながら嘆息する。危なかった。すぐ近くにも着弾してたぞ今。装甲で跳ねてた。跳弾、案外目で捉えられるものなんだな。つーか一歩間違えれば死んでたかもしれん。だがその心配はもう無い。それでも逸る心でヴェトロニクスを立ち上げながら唇を噛む。空調の音が耳障りだ。激しさを増した高い金属音も。耐えてくれよ。
急げ早く頼む。世界がお前の目覚めを待ってるぞ。お前を欲しているんだ。その力を。
ようやく文字の羅列が終わり、星の瞬きの様なコクピット内が照らし出され、メインモニターが立ち上がった。スクリーン越しに隣の伍長を見遣れば、ようやくコクピットハッチに到達した所だった。怪我も無さそうだ。運がいい。やはり幸運の女神は俺達にまだ微笑んでいるらしい。
その伍長のヘルメットバイザーが砕け散った。彼女はノックアウトされたかの様に仰け反り、その肢体は力無くコクピットへと摺り落ちて行った。
「伍長!!」
叫ぶ。返事が無い。ようやくその重い腰を上げたACGSを盾にする様にし、目につく何かに機関銃を撃ちながらもう一度叫ぶ。弾丸の行き先なんて知らない。喉が痛い。視界の隅では軍曹機がジオンの装甲車を蹴り飛ばし、連邦兵達のバリケードを作りながらまたも跳躍、空中でアーチを描きながらスマートガンを一撃、"マゼラ・アタック"を撃破している。虎の仔の兵器が無惨な鉄屑に変わり、敵は大混乱だ。あの動きはジャクソンアーチか?それがなんだ。ダメだ。俺が何とかしなければ。何を?死者を蘇らせるとでも?いや、違う!衛生兵だ!まだ死んだとは……しかし。クソ、無線を……。バイタルは?データリンクは?HSLを……。あの向きはきっと横からバイザーを砕いただけでは無い。そもそもバイザーの破片だけでも……考えが、まと……。
《やったなぁぁ"ぁ"あ!!許さな"いよ"こんの"ぉ"ぉおお!!》
中尉の背後で突然伍長機が立ち上がり、吠えた。その怒声に思わず硬直する。何?何だ?何が起きた?中尉の混乱を他所に、いつの間にかハッチを閉め、臨戦態勢を整えていた伍長機は飛び上がり、走り、そのまま敵陣に転がり込んだ。
正に転がり込んだ、だ。着地もクソも無く、ジオン兵を巻き込む様に倒れ込み、雪煙を立て縺れ込む。白いヴェールの奥、伍長機のシルエットは仰向けのまま、近くの逃げ遅れたジオン兵を掴み、投げつける。手脚を振り回し、バタつかせる様にして立ち上がり、そのまま近い兵士を蹴り上げ、追いかけては掴んでは振り回し、叩きつけ、そして放り出す。鎧を血に染めた巨人はその手を止めず、嵐の如く暴れ回る。
「何の何だどうした!?」
《あぁ"ぁ"ぁああああ!!》
「あれさっきの嬢ちゃんか!!おい!!」
「とにかく隠れてろ!俺達が暴れる!今の内だ!」
「りょ、了解!」
「任せたぞ!」
《んゃ"ぁ"ぁ"ぁあああ!!》
理解などしている暇はない。今はとにかく戦闘に追い付かなければ。雪を蹴立て、ACGSを疾走らせる。センサーが捉える味方を踏まない様にし、最優先目標としてピックアップされた装甲車を優先的に撃破する。唸る機関銃の前に蜂の巣になり、火を噴く残骸を横目に、とにかく前へ。軍曹は既に撤退支援に移っており、縦横無尽に跳ね回りながら遥か彼方の輸送部隊の直掩に着いていた。余裕が無い。もう独自裁量に任せる。それがいい。
今1番大切なのは伍長だ。とてもじゃ無いが正気じゃ無い。通信は繋がっているが、血を吐く様な唸り声はもう無く、何かがぶつかる激しい衝撃音と荒い息遣いしか聞こえない。そして四方八方から攻撃を受け、もうその装甲はボロボロだった。いくら装甲があろうと、どんな攻撃でも蓄積すれば致命傷になり得る。比較的攻撃を受けていない中尉機ですら、度重なる攻撃により装甲強度が低下しているくらいなのだ。それに、敵には"ラングベル"もある。大口径の重機関銃もだ。それらの直撃にACGSの装甲は耐えられない。それに今はもはや小銃弾でもいつマシントラブルを発生させ、撃破されてもおかしくはない。敵陣の真ん中、火花の中心にいる伍長のACGSはもう限界に見えた。
「伍長!聞こえていたら返事をしろ!!おい!!頼む!!」
敵弾が装甲を叩く音が恐ろしい。自機のセンサーが悲鳴を上げている。ダメージリポートが至る所で
そこに人は居なかった。人では無かった。胃が捩れ、底冷えする様な寒気が背筋を走る。彼女は独り、血溜まりの中、だらりとマニピュレーターから垂れる千切れた肉片を掴んでいた。伍長のACGSの頭部センサーがこちらを向いた。ひび割れたバイザーその先に瞳が見えた気がした。こちらを睨む、正気を失った眼。ぎょろり、とこちらを覗き込む、丸くかっ開いた瞳孔が、カメラアイだと気づくのに少しかかった。
「ご、伍長……?どうした?死にたてフレッシュだったから生き返ったのか……?」
震えた唇から下らないジョークを絞り出す。何?これがサガ?違う。そうじゃ無い。今は……とにかく伍長機の肩に手を当てる。お肌の触れ合い通信だ。吹雪だろうがミノフスキー粒子下だろうと確実に通信が出来る。なんでかは知らない。そういう事になっている。余計な事ばかり考えちまう。最近いつもそうだ。
「……行こう。ここは危ない。着いてこい」
《はーい……》
返事があった事に安堵する。どっと疲れた。汗が酷い。何の汗だ。考えたく無い。また装甲を敵弾が叩く。新手か?だがその勢いは鳴りを潜めつつあった。振り返らず、歩を前に進める。無言の伍長を引き連れながら。一心不乱に、今はとにかく、先へ。
ボロボロの鎧を血と煤で彩った暴君を連れ、コンディションチェックしつつ軍曹の置いた
「伍長。大丈夫か?休むか?」
「ダイジョーブです!ありがとうございます!あ、でもちょっと待ってください」
思い出したかの様に、中尉は口を開いた。そして思い出す。この機体にもコクピットカメラが装備されていた筈だ。MSの時同様、通信量を抑える為使用して無かったのだ。
サブスクリーンに伍長の顔が映った。いつもの顔だった。額に髪が汗で張り付いているが、生きている伍長がこちらに笑顔を向けていた。思わず溢れかけた涙を堪えようと上を向く。伍長が笑い、どうしたのか聞くのを何とか苦笑で流し、センサーとレーダーに目を向ける。大丈夫そうだ。
「いや、少しでもいい。休もう。あの木陰がいい。顔を、見せてくれ──」
「へんなしょーい。全くもー、疲れたならすなおに言えばいいのに……」
今度一緒におやすみしましょ!と笑う伍長に、中尉が苦笑する。機体を操作し指差した先に伍長機が先んじて滑り込み、更に中尉機が続く。一際大きな木の下に、2機は並んで収まった。突然の闖入者に雪を抱えた針葉樹林の枝が震え、その雪化粧を少し落とすが、それだけだった。側から見れば、山男か何かが仲良く並んでいる様に見えるのだろうか。膝をつき、今更細かく震え始めた手を一度強く握りしめ、軽く動かし、最後にハッチを解放する。一足先にハッチを開いた伍長は、手にしていたヘルメットを放り投げ、中尉へと元気に手を振っていた。
「ははっ……」
「も少しですよ少尉!頑張りましょ!ほら、なんか食べて!……私だって眠いんですからね!」
「判った、判ったよ……そうだな、生きてるんだし、食わんとね」
「はい!!えへへ……」
取り出したパックゼリーを音を立てて啜る伍長を見て、それだけで中尉の胸はいっぱいだった。取り敢えず自分もと取り出したカロリーメイトを齧ると、顎の痛みが中尉を襲った。頬に手を当て、顔を顰めるも食事を止めない中尉の様子に伍長は嬉しそうに頷き、また笑った。その屈託の無い笑顔と、先程の獣性を纏った戦いのギャップが脳裏を過ぎる。
乾いたクッキーが口に張り付く。ほのかな甘み。いつもの味。細やかなカスのついた包装を持つ手元を見やる。俺もああ見えるのだろうか。何人殺したなんて覚えてない。人の殺し方に上等も下等も無い。ただの殺人には変わりないのに。無意識の内に拳を握りしめる。腕に痛みが走った。それと同時に身体のあちこちが悲鳴を上げる。身体が変に強張ったのと、打ち身だろう。血を流す様な外傷は無い。見えない服の下の怪我も、死にはしないし行動にも支障は然程ないだろうが、痛みはそれなりにあった。それでも、心の痛みはほぼ無かった。一末の寂しさと悲しさ、申し訳無さが通り過ぎたが、それだけだった。
──本当に最近は無駄な事ばかり考えてしまう。ため息をひとつ。顔を上げ、2本目のパックを取り出す伍長を見る。俺はいい。だが伍長は。いや、これはお節介か?しかし。
答えは出ない。本当にあるのか。このキャッチ22はどこへぶつければいいんだ。
「伍長、怪我はないか?」
「ぜんぜんです!」
「嘘つけほっぺた切れてるぞ?」
「え!?」
「嘘だ」
顔をペタペタさわり、そのままその場で危なげなく回ってみせた伍長に、中尉はその様子に安心して頬をかく。本当に、本当に怪我してないのかよ。マジか……どうやら伍長は、本当に神に愛されているらしい。
口が回りやすくなる。口の中のカロリーメイトが少なくなったので、パイン飴を放り込み、一緒に噛み砕く。包装紙が風に攫われそうになるのを抑え、雑にポケットに突っ込む。取り出したパックゼリーを流し込み、口の中のカオスをカオスで押し流していく。悪くない。悪くないんだ、これが。
「もー、もし怪我したら責任とって下さいね?や、もう決定してますけどね?一応ですよ?」
「……はいはい」
「はいは一回です!」
「はーい」
そこまで言って、中尉と伍長は同時に噴き出した。懐かしいですね、なんて伍長が装甲を拳で叩き、雪が崩れ、お互いに降りかかる。また笑う。
本当に、本当に怪我は無さそうだ。ケタケタ、ケラケラと笑い、器用にも狭い装甲の上で腹を抱えて仰反る伍長に、心の底から安堵する。いつのまにか3本も飲んでやがる。本当に調子のいい事で。奇跡か、何かか?それでも、何でもいいから感謝したかった。
「よし行くか」
「ガッテーン!」
得意げな顔とガッツポーズではあったが、変なイントネーションにまた笑いそうになりながら、中尉はコクピットに滑り込み、流れる様にハッチをロックする。センサーが地面に落ちたヘルメットをピックアップし、拡大した。バイザーが砕けたヘルメットの内装に、一筋の線が見える。立ち上がりこちらを見る伍長に待てと言い、ヘルメットを摘み上げよく観察してみる。
なんと、バイザーを掠め、貫通し、そのままヘルメットに飛び込んだ弾丸は、ヘルメットの中をぐるりと一周し、反対側から飛び出していた。
──この様なケースは聞いた事がある。それでも頭部を一周する怪我は中々だった筈だ。しかし伍長の場合、ヘルメットがブカブカだったからか、弾丸に引っ張られた遠心力でヘルメットもズレ、擦過傷すら残ってないらしい。目を瞑った中尉は、デコピンの要領でヘルメットを飛ばした。そうでもしないと、変な笑いが出そうだった。
笑うとまた痛むだろう。それは避けたかった。
「どったんです?」
「いや……記念にとって置かなくてよかったのか?」
「破片持ちました!」
「そうかい」
スクリーンの中で伍長は笑い、カメラに向かい件の破片を見せつける。ピンボケだ。近過ぎて見えない。また笑いそうになるのをなんとか噛み殺し、地面を確かめ、歩き出すと伍長が聞いてきた。無線機から雑音が消えている。どうやらコクピット内で脱ぎ捨てられたヘルメットがぶつかる音だったらしい。また変な笑いが出そうになる。
本当に、伍長らしい。唇を舐め、首を振って前を向く。ついでに飴をもう一つ。はてさて、はてさて……。
方向は大体判っている。マップも更新され、情報支援こそ受けられては居ないが大丈夫だ。しかし遅れているのは事実。ショートカットすべきだ。伍長をつれ、えっちらおっちら渓谷を抜け、丘を越える。途中、伍長機の"ロケットハーガン"が故障したもののそれ以外は順調だ。開閉部近くに喰らった弾が挟まり、動かなくなってしまったのだ。頑健なACGSにも、遂に限界は見え始めていた。なるべく先を急ぐ。ビーコンの間隔が近くなっている。遠距離からでも戦闘の跡、轍も確認出来る位だ。もうすぐだと全てが大合唱している。
雪庇を踏み抜き、脚を滑らせた伍長に手を貸し、台地に引っ張り上げる。折れた鉄骨が邪魔だ。曲げる。飴細工の様に捻られた鉄骨から寸断された電線が震え、風に吹かれ鞭のような唸りを立てた。
短距離無線機が雑音を拾った。味方が近い。
伍長とアイコンタクトを取る。そのまま走り出した。センサーが発砲音と爆発音を拾った。雪煙が見える。追いついた。仕事の時間だ。
《っそ……流石、残弾がカツカt……だっ……の……》
遂に無線が入る。雑音混じりで、飛び飛びではあったが、それは確かに友軍の発した信号だった。内容も報告とも呼べない、無駄なボヤきではあったが、中尉達には充分過ぎるものだった。
《こり……大盤振る……過ぎたな》
《弾……足りな……手榴……心細……ってきた》
《弾くれ!》
《誰か弾を……早く!》
《ほら!これでカンバンだ!》
《これっぽっちか。ま、使い切るまで生きてられるか……》
中尉は唇を噛む。もどかしい。あと数百メートルが永遠に感じる。出来る事を、為すべき事を、すべき事を、何かを。
中尉はもう前しか見ていない。そのまま口を開く。再び上がり始めた息を押し出す様に、そしてまた噛み締める様に。
「伍長!武器は?」
《マシンガンがちょいです!》
「俺もだ!でも行くぞ!」
《はい!どこまでも!》
決意を新たに稜線を飛び越える。遂にセンサーが眼下のジオン兵を捉えた。そう広くはない谷間を縫う様に逃げる連邦軍の車輌部隊を、ジオンの車輌部隊が追っている。どっちも必死だ。先頭の車輌から閃光が瞬いた。白煙を引くランチャーが後続の一台を遂に捉え、後輪を吹き飛ばされた装甲車が雪を巻き上げ派手に転がる。そこから這い出し、反撃を始めた男は、あのベレー帽だった。
ここで中尉も覚悟を決めた。とにかく疾走る。あそこへ。構うものか。
「先に行け!」
「おい!」
「すまん!!」
「戻れ見捨てるのか!」
「殺す!!殺してやるぞ畜生!!死ね!!」
「あぁ!!クソ!!」
車列は勢いを緩めない。だが、その中の2台が突如として反転、列から離れた。そのまま勢い良く転がり、まだ周囲に雪を舞わせている装甲車へと突進して行く。横転するかの様に車を止め、転がり出た連邦兵等が猛然と展開し、装甲車を盾に決死の反撃する。捨て駒だ。いや、捨て奸と言うべきか。追撃するジオン軍との距離は詰まって行く。だがこちらの脚の方が速い。まだ走れる。コイツは、まだ。
「ぁあ、クソ、クソクソクソ!もうダメだ!」
「馬鹿野郎諦めるな、生きて帰るんだ」
「俺は空挺部隊だ、包囲されるのにはもう飽き飽きさ。だが今回ばかりはちと……」
「畜生。ここで、こんな所で。巻き込まれて死ぬのか……」
「この戦争始まってからタフでフーバーなタイト・スポットばかりさ。ノー・マッチ・オブ・バーゲン!おい日本人、これは何だ?」
「ライフル?」
「来やがれ!!ジオンのクズども!!殺してやる!!」
「はっ!そうとも、海兵隊にライフルさ。何を言ってる?今も昔もこれからも!俺たちゃ世界で最もヤバい武器よ!俺の息が続く限り!終わらねえよ!!」
「その通りだ海兵!!こちらSST01!今助ける!!」
雄叫び受け、叫んだ中尉は両軍の間に割って入り、機関銃を乱射する。装甲はボロボロで、機関銃もジャムりかけ、弾の出ない銃身もある。その銃身に当たった弾薬はマシンパワーで強制排出される為、負担も増加しマルファンクションしかけている。それでもまだ戦える。吐き出された機関銃弾がそれでもトラックを瞬く間に蜂の巣にし、バランスを崩したそれは横転し雪煙の中に消える。追跡部隊は頭を潰され、追跡を止め散開する。包囲する気か戦線を形成するのか。構わん。迎え撃つのみ。続く伍長機も脚を止め、残り僅かだろう機関銃を撃つ。近寄らせず、とにかく車輌を潰す!話はそれからだ。
視界の隅で並んだ0の目立つ残弾カウンターが凄まじい勢いで減って行く。終わりが近い。しかし、決めた。一歩も引かない。彼等の為にも。
そして、自分の為にも。
膝をつき機体を盾に、とにかく時間を稼ぐ。後ろではベレー帽が負傷者を引っ張り出し、担ぎ上げている。急げ、急げよ。時は待ってくれず、残された時間は少ないんだ。
元々雀の涙程だった弾はすぐに切れた。ビープ音が鳴り、残弾カウンターがゼロになる。遂に吼え続けてきた機関銃が音を立てて空転した。本当にコレでおしまいだ。だが、先程中尉は知ったのだ。理解したのだ。何故この兵器が、人型なのかを。
伍長が突進する。中尉も傍に転がっていた残骸から
まぁ何でもいい。割れたバブルヘッドキャノピーに、胴の太い大型の機体、5枚のローター。これが良い。その翼を拝借する。捥ぎ取ったローターを振り、様子を見る。空気を切り裂く音がコクピットまで響くかの様だ。よし!
「ヒュー!待ってたぜ
《おっまたせー!!いっくよー!!》
中尉も外した機関銃を1番近い敵車輌に投げつけながら、伍長に続き突進する。投げつけられた機関銃は2、3回バウンドし、一番手前の車輌のボンネットを凹ませながら転がり、フロントガラスを突き破った。中は想像したくない。激しい損傷を受けてもなお車輌そのものは順調に走り続けていたが、その魔法は解けた様だ。そのままのスピードでコントロールを失い、激しく横転した。上へと向けられた車輪が虚しく空を掻くが、舞い上がった雪以外にもうその動力を伝えるものは無かった。
すかさず"ロケットハーガン"でひっくり返った車輌を引き寄せ、簡易の盾にする。装甲の損傷が酷い以上無理は出来ない。車と言う物は当たり前だが装甲は無く、小銃弾ですらエンジンブロックやピラー、フレームの一部を除いて
「ここは俺たちに任せろ!」
「すまない!」
「少し先に建て屋がある!そこで!」
「おうともさ!」
「君は行け。自分の戦場へ」
「伍長!」
《はい!?あ!少尉あぶない!!》
「んぃ!?」
振り返った瞬間、渦を巻くロケットモーターの白煙と、新円を描く弾頭が目に飛び込んできた。呼吸が止まる。ぞわりと全身の毛が逆立つ感覚が走り抜ける。直撃コースだ。
ACGSの装甲は前述の通り薄い。小銃弾を防ぐ程度の物しかない。そんな機体の装甲に、ロケットランチャーの持つ運動エネルギーと成形炸薬の生み出す化学エネルギーを打ち消す事は不可能だ。
あと少しで、弾頭は薄い装甲を凹ませながら炸裂、モンロー・ノイマン効果が生み出す
──死、と言う単語が脳裏を掠める。しかし、脳が死を意識するより先に、身体は反射的に生へと疾走り出していた。
機体が地面を蹴り、膝を折る。猛然と膝を突き出す様にして上体が倒れ、ACGSの上半身の持つ位置エネルギーが、前へ下へと向かう運動エネルギーへと変換される。ACGSの機体は蹴飛ばされたかの様に前へ滑り出し、不恰好なスライディングが雪を蹴立てた。
スローモーションの様に流れる景色に、舞いあがった雪が吸い込まれそうな程に真っ黒な空を背景に散るのを見上げた中尉は、その視界を切り裂く閃光と白煙を見た。それと同時に、飛来するロケットモーターの下を潜り抜け回避した事を悟った中尉は膝のバネだけで跳ね起き、その反動をそのままに雪煙の先へと車輌を投げた。
センサーがまた悲鳴を上げた。別方向の敵がまた"ラングベル"を構えたのを検知したのだ。無我夢中で中尉は機体を操る。もはや考えては間に合わない。反射的に、直感的に、その激動に身を任せる。"ラングベル"が火を噴いたのと、中尉がマニピュレータに握りしめた砂利を投げつけたのはほぼ同時だった。その一握の砂利は予想以上の効果を発揮し、猛烈な散弾の如き効果を発揮した。迎撃され信管を叩かれた弾頭は空中で炸裂し、その奥では雪や木に穴が開き、派手な血飛沫が上がる。
しかし、それは終わりでは無かった。反動をそのままに転がる中尉機の至る所に重機関銃の弾頭が突き刺さり、その装甲を砕く。ダメージが蓄積していた所に、許容値を遥かに上回る威力、耐えられるはずもない。ダメージリポートの警告が鳴り響くコクピット内で中尉は"ラングベル"の鶴瓶撃ちにより複数の弾頭が殺到する伍長機を見た。
初めから敵の狙いは俺達だったのだ。キルゾーンに誘い込まれた獲物は自分達だった。ロケットランチャーと重機関銃による十字砲火。万全では無い機体。もはや逃れる術は無かった。
ぐるぐる回る視界の端でも状況は進む。進んで行ってしまう。避けきれないと悟ったか、伍長が両腕をクロスさせた。そこへ飛び込む様に弾頭が突き刺さる。噴射炎で照らされた装甲が目に焼き付く。閃光。激しい音と共に両腕が根本から吹き飛ぶ。猛烈な黒煙が戦場に噴き上がる。ACGSがゆっくりと倒れ伏すのがスローモーションで見える。また雪が舞う。伍長の悲鳴が聞こえた気がした。いや、この音は自機の脚が千切れた音か?歪む視界は真っ赤だ。死神とやらは、赤いのか?
警告音は止まない。そこへ新たな警告音が鳴り響く。もうダメだ。降り注ぐ重機関銃弾がそこかしこに着弾し、四肢は捥がれコクピット内は漏電によるスパークと発火、煙が充満していた。弾丸がまだここに飛び込んでいない事が奇跡だ。この機体を動かしているが、手応えが無い。本当に動いているのか。いないのか。今自分はどっちを向き、何を見ているのか。何も見えない。聞こえない。弾丸がこの中に飛び込んで俺と有機ディスプレイを掻き混ぜるのはそう遠い未来では無い。
中尉は来るべき死の感触に、無自覚に身を震わせた。どんな感じなんだろうか。熱いのか寒いのか、痛いのか、一瞬なのか。何も知らない。知らないから、怖い。そう感じる自分を、どこか冷静な頭が俯瞰している。身体を縮こませる。次の一瞬か、その次の一瞬なのか、そこまで来ている死と、急に向き合えなくなる。あれ程意識してたのに。前も何度も死にかけたし、また新しく遺書も書いた。それでも、ただ怖かった。何が怖いのかすら判らない。
……身構えた所で、その一瞬は来なかった。中尉は無意識の内に緊急脱出機能を作動させていた。無我夢中と言ってもいい。とにかく外へ出たいの一心だった。こんなところで、こんなところで終わりにしたくは無い。死にたくない。諦めたく無い。頭のどこかでは諦めている。理解している。未練や心残りも正直無い。家族は悲しむだろう。だがそれもいずれは大丈夫になる。自分の知り合いは別に悲しまない筈だ。そう思うと気は楽だ。でも、たくさん殺してきた。たくさん。だからこの様に殺されてる事に文句は無い。だが、殺してきたからこそ、生きなければ、生きていかねばならない。その義務がある。必要がある。
──生きたい。そうだ。生きたいんだ。きっと。
無意識の、深層心理の中尉の叫びに応える様に、機体が最後の仕事を忠実に遂行する。音を立て爆砕ボルトが作動、ACGSの首から上に当たる部分が吹っ飛んだ。ぼろぼろの装甲を押し除け、身を捩り、痛む身体を芋虫の様に引っ張り出す。恥も外聞も何も無い。転がり出た中尉は頭から雪に突っ込む。大自然に、地球にしがみつく様に。硬く雪を握りしめた。あー、くそぅ、全てと一体になる時が来たのか。土すら握れないのに。海に還り、宇宙に漂う時が。次の瞬間に、ヘルメットに銃口が押し当てられるのか?それとも重機関銃が身体をバラバラにするのか?
でも、それでもいい。それでもいいか。死ぬまで生きたのだし。
決まりかけていた覚悟が、固まった。恐怖に焦っていた心が、嘘みたいに落ち着いた。そう、澄み渡るとまでは言えないが、凪の様に穏やかに感じる。音も、寒さも、もう遠い。本や漫画、映画で見たあらゆる最期を想像し、口元に笑みが溢れた。うん。中々よかった。さようなら。
ぎゅっと目を瞑り身体を強張らせるも、シューシュー、パチパチと何かが爆ぜる音がするが、それだけだった。足音も、銃声も無い。恐る恐る顔を上げた中尉は、視線の先、森の奥で炎の中に崩れ落ちる重機関銃のシルエットを見た。寒風に引っ叩かれていた様だった頬が暖かい。首を回らせば、あちこちで同じ様な光景が広がっていた。燃え盛る炎に、爆ぜる弾薬。火がつき、のたうち回る影。それが雪を溶かし、針葉樹へと燃え移り、あたりは地獄の様相だ。木が倒れる音がする。視界の隅で針葉樹が燃えている。酷い煙だ。溶けた雪が冷たい。火の粉が舞い、すぐそばの木にも引火し、瞬く間に燃え上がる。だが、それが程よい暖かさで中尉を包み込んでいた。
生きている。久しぶりの感覚だ。さっきまで死んでいたから。視界に何か映り込んでいる。ヘルメットのバイザーに何かの破片が突き刺さっていたのだ。顔面へ届く前にストップしてくれたらしい。痛む身体を引きずる様にしてなんとか腰を下ろし、ヒビが入りロック機構も死んだヘルメットを投げ出した中尉はACGSだったものにもたれかかり、暗い空を見上げてため息を吐き出した。背を温めるぼんやりと熱を放つそれは、右腕の上腕と右脚部の大腿部、左脚部を残して転がっていた。世界にたった3機しか無いACGSの内の1機は、満身創痍ではあったが最期までその機能を果たし、今は静かに沈黙していた。人型ですら無く、最早無いに等しいぼろぼろの装甲は至る所に穴が穿たれ、引き裂かれた機械部をグロテスクに晒していた。しかし、彼は中尉を守り切った。兵器としての本分を果たし切った。戦い傷つき、そして遂に倒れた英雄を埋葬するかの様に、雪が薄く積もり始めていた。
咳き込む中尉の目線の先に、山の稜線が見える。その頂上に、雲の切れ間から月が顔を出した。青く冷たく輝く、狩人の月。その光の中、人にしては大き過ぎるシルエットが翻り、身の丈を越すライフルを振り上げたのが焼き付く。
それはたった一瞬だった。空はまたいつも通りの表情を取り戻す。それでも、確信した。
「軍曹……」
無意識の内に呟く。シルエットは姿を消した。それと同時に、雪を蹴立てこちらへやってくる一団が視界に飛び込んで来た。この短時間で随分と見慣れた顔だ。なんとか身を起こし、頭の雪を払いながら彼等に手を振る。
そして思い出した。伍長!!伍長は!?身体が跳ね起き、勝手に走り出す。肺が痛い。腕が痛い。脚が痛い。痛くない所なんて無い。でも、止まらない。止まれない。
伍長機はすぐに見つかった。崩れ落ちた巨体に取り付く。周りなんてどうでもいい。今はただ、もう一度伍長の顔が見たかった。あの笑顔が。
機体の構造は全て共通している。緊急用のハッチ解放レバーもだ。点火プラグに火を入れ、耳を塞ぎ目を押さえて口を半開きにし縮こまる。
腹に響くも、そう大きくは無い音がした。中尉は立ち上がり、緩く煙を立てる巨人の、ぽっかりと空いた穴を覗き込んだ。
「大丈夫か!?平気か!?」
「か、鐘の音が鳴り響いてるぅ……」
爆砕ボルトで吹っ飛んだハッチの下、目を回した伍長が伸びていた。どこかで聞いた様な台詞をまた聞けた事に安堵しつつ、またそのセリフを言わせてしまった事に罪悪感を感じつつ、その身体を担ぎ上げ、手早く触診する。幸いな事に、出血や骨折等の怪我は確認出来なかった。取り敢えず一安心すると共に、心の底から感謝する。こちらのACGSもその身を犠牲に最期の仕事を果たしたのだ。おやっさんには頭が上がらない。連れて帰る事は出来なかったが、きっと許してくれるだろう。その為にも帰らなければ。
最低限のミッションディスクのみを抜き取り、データを初期化、更に機密保持用の自爆装置を作動させる。念の為だ。既存の技術のみで作られた機体であるし、ここも後に爆撃される。だが、それまでにこちらが不利になる情報を抜き取られる可能性はゼロでは無い。誰よりも早く、何よりも早く届くことによって意味を持つ情報というのは、時によってはかなり大きな価値を生む。逆に言えばその情報は、ある時点をもって全く価値のないものになる。今回で言えば、無線やレーザー通信の周波数や暗号プロトコル等だ。今回の暗号はこの作戦限りのものなので暗号強度はそう高いものではない。比較的簡単に、短時間で解析されてしまう。最後の最後にそんな事で脚を掬われてもつまらない。
弱々しく、だが確かに小さな光を点滅させるコクピットから這い出し、伍長に肩を貸す。本当に小さく、本当に軽い。未だに星を飛ばしている伍長に、中尉はフッと軽く嘆息して語りかけた。
「ほら、伍長、立て。シャキッとしろ」
「……そんなのレタスに言って下さいよー」
「埋めるぞ。春先になったら解凍してやる」
「ここは一部が永久凍土ですよ!?甘くなっちゃいますよ!?」
「それで済むのか……」
あとそれはキャベツでは?変な事間違えて覚えてるな。相変わらずな伍長の様子に、もう一度ため息をつく。安堵のため息は、伍長にはどう映ったのか、拳を固めて抗議してきている。その柔らかな振動が大きくなって行く。それを軽くいなしながら振り向き、霞む視界の先、最後の力を振り絞り、最後の仕事を全うする戦士達に小さく敬礼をした。
顔を上げると目の前には息を切らしたオメガ達と、さっきの海兵が居た。そして、雪を蹴立て、無傷のACGSが到着し、膝をついた。軍曹だ。
「間に合ったな」
『遅くなった。済まない』
「ありがとう。助かった」
巨体巻き起こす風に目を細めながら中尉は髪を押さえる。その排気すら頼もしい。メインカメラの奥の瞳を感じる。やはり、人型と言うのは不思議だ。本当に。
「無事かよ。ヒヤヒヤしたよ」
「なんとかなりました」
「なんとかって……」
『追撃まで、時間が無い』
「こりゃもうダメか」
「うん。やられちゃった……リーちゃん!ありがとう!」
「よし!判った!」
装甲の隙間からゆっくりと煙をあげ始めたACGSに伍長は敬礼をする。そして手を振った。別れが済んだらしい。
伍長は物の扱いはとても荒い。それはもうめちゃくちゃだ。"ロクイチ"も、"陸戦型ジム"でもそれは同じだ。しかし、それは裏返しなのだ。どんな物にも懇切丁寧に接するタイプだ。荒い扱いも、それを信じているから故だ。不器用ながらも整備は手伝うし、彼女なりの愛着を持って接する。それが伍長だ。手を振ってはいるが、辛いのか、少し俯いている。この短時間でも一緒に戦った仲間だった。帰る時まで一緒に居れなかった、それが心残りなのかも知れない。
軍曹のACGSが手を差し出す。乗れと言う事らしい。海兵が攀じ登り、どっこらせと言った感じで腰を下ろした。まだフラつくのか、よろめく伍長に手を貸し、その頼もしい大きな腕に座らせ、中尉自身も足をかけながらオメガ達を手招きする。
しかし、彼等は動かなかった。
「行け」
「……なんです?」
「小松さん?」
「あんたらを死なせたく無い。判ったんだ。俺にとって大切な仲間だ」
思わず聞き返し、怪訝な顔をして眉を寄せる中尉に、一息でベレー帽はそう言い切った。その覚悟は、目は、本物だった。ここは島の内陸部だ。まだ距離がかなりある。人の脚じゃ無理だ。逃げ切れない。不整地の踏破力こそあれ、ACGSもそう脚が速い訳では無い。まさか……。
「……死ぬ気ですか?」
「そうじゃない」
確かに、その目は生を諦めた者の目ではなかった。生きて帰ると言う意思がビリビリと伝わってくる。それ以上に、生きて返すと言う気持ちがあった。彼等をよく見ると、オメガ達は至る所を怪我していた。比較的軽症なのはベレー帽だけだ。海兵もさっき足を引き摺っていた。
……そうか。そう言う事か。なら、俺も最後まで付き合おう。俺が始めた関係だ。その義務がある。
「……俺も残る」
『中尉』
中尉はベレー帽の顔を見て、そう言い腕から降りた。その言葉に、伍長はポカンとしている。軍曹が咎めた。いつもと変わらない口調の中に、強い非難が感じられた。当たり前だ。でも、コレは俺にしか出来ない。大切な仕事だ。必要な契約だ。堅い約束だ。
冷静では無いかも知れない。当てられたのかも知れない。でも、心が叫んでいた。気にするなと言われ、気にしない馬鹿にはなりたくないと。先に行けと言われて行く、薄情な奴にはなりたくないと。全員で帰ると決めて、あっさり諦める根性無しにはなりたくないと。帰るんだ。全員で。そう、全員で帰る。誰1人残さない。それが最優先だと。そしてそれは、彼等も含めるのだと。
──無論、死ぬつもりは無い。さっき再確認した。俺はまだ生きたい。生きていける限り生きたい。生きなくてはならない。その為には足掻く。確率を追い求める。その最適解がこれなのだ。
……『死ぬ時には死の恐怖に心が満たされないような人間になれ。まだ時間が欲しいと後悔し、異なる人生を生きたいなどと嘆く者になるな。讃歌を口ずさみ、英雄の帰還するが如く、逝け』とは"ティカムサの詩"だったか。何度も死んだ。さっきだってそうだ。諦めた。今は違う。死ぬ気は無いが、だからこそ死なぬ為にはこの気概がいるのかも知れない。彼を見て、何故だかそんな気がした。
──賛歌か。
うっすら笑い、中尉は振り返り、軍曹に立てた人差し指を軽く曲げながら応えた。掲げた腕に、力を込めながら。
「軍曹!俺だって人差し指を冷やしちゃいないさ。軍曹は全員を必ず連れ帰ってくれ。時間は俺達が」
『了解。幸運を』
「小松、いいのか?」
「少尉!ダメですよ!何言ってるの!?」
伍長が何やら騒ぎ、止めようとしているが、軍曹が押し留めた。どうやら器用にも関節の一部で服を挟み込んでいるらしい。なんとかしようともがき、バタつく伍長に中尉は笑顔で軽くラフな敬礼をした。オメガ達もベレー帽に何か言いながら続々とACGSの左腕に足をかけ、へばりついていく。それを見て中尉は大きくうなづいた。腕時計に目をやる。タイムリミットは、迫るものから追うものになった。
16時間18分34秒。それをなんとか持ち堪えるしか無い。少ない弾薬と、戦力で、見知らぬ土地で、そして、最後は離脱まで。
正直な話自殺に近いかも知れない。無茶無理難題だ。だが、軍曹は必ず彼等を送り届け、自分達を迎えに来てくれる。"アサカ"の皆も、きっとそうだろう。全力を以て連れ帰ってくれる。それを信じている。だから残る。残って時間を稼ぐ。敵を釘付けにする。それが今出来る最善、そして最重要の達成目標だ。
「何でもいいよ。凍えそうだ」
「熱いコーヒーを頼むよ。ミルクと砂糖は多めで頼む。いや、ココアでもいいな」
「おい!手榴弾だ、少ないが」
足元に袋が放られる。肩掛け鞄だ。おそらくデモリッションバックだろう。それを雑嚢代わりにしていたのだ。有り難く受け取り、肩から襷掛けに掛ける。ベレー帽もオメガ達から装備を受け取っていた。これから始まるのは終わりの見えない遅滞戦闘、そして撤退戦だ。武器弾薬はいくらあっても足りない。無論、今回は完全な防御戦闘では無く動き回る事になるだろうから抱えていける分に限るが。しかし、天国には持って行けないから節約しつつもすぐにでも消費するだろう。追いつかれたらお終いだからだ。
敵の戦力は未知数で、こっちは2人。とにかく時間を稼ぎつつ逃げる。それしかない。その為には火力は必要不可欠だ。
「有難い」
「少尉!!」
「必ず帰るからいい子にしてお留守番しといてくれ」
「"アサカ戦隊"、全軍を代表して俺が保証する。迎えは必ず寄越す……こいつも持ってけ」
最後に海兵が腰から抜き、投げ渡したのは今時珍しい、古めかしい革製の鞘に収められたナイフだった。それは生ける海兵が受け継ぐ伝統、彼等の持つ魂、大型の戦闘用バトルナイフ、刃物メーカーの老舗であるカミラス社が生産しているKA-BARだった。
昨今の戦闘において、ナイフを使う機会は激減した。日常生活でもだ。携帯兵器の信頼性が上がり、また白兵戦もハイテク兵器の普及と共に殆ど姿を消した。対テロ戦争に置いては奇襲や強襲が主体となり戦闘時間も減少、同様に大国間の戦争も減り大規模な戦線を形成しない為、地域を制圧し支配すると言う戦争の基本原理すら生起しづらくなっていた。勿論銃剣の使用も減り、主な使用目的が威嚇や威圧、パレードになりつつあり、標準装備として装備こそ続いていたが実戦における使用機会はほぼ消滅した。同時に支給品としては銃剣と統合されつつあったナイフも緊急時の護身用の道具としては生き残り、だが使用機会の減少と共に小型化していった。生きる上で重要だった必需品は必要とされる機会が激減し、ただの重りと思われてしまっていた。今時こんな大型の刃物を提げているのは彼等や一部の特殊部隊、それに自然環境の悪化や世論により数を減らしつつあるハンターぐらいだ。
中尉は手元の重みから目線を上げ、そして口を開いた。
「ケーバー?いいのか?」
「戦友のだ。貸すから返せ」
「……了解!レザーネックさん」
「必ずバスを寄越すよ」
『再会を、必ず』
「あぁ!」
2人の前で、遂にACGSが立ち上がる。この短時間で水蒸気となった雪が氷付き、今それが剥がれ落ちていた。音を立てながらその煌めきを撒き、断末魔の様に燃え盛る炎を背に影を長く伸ばすその姿は、中尉の希望だった。まだ何か喚いてる伍長に、笑顔で手を振る海兵、複雑な面持ちのオメガ達を乗せ、あっという間に視界から消える。まるでそこには初めから誰も居なかった様に。旋風だけが緩く雪を巻き上げるだけだ。あれだけ燃え盛っていた炎も今のでトドメを刺されたか、急速に鎮静化しつつあり、辺を静寂が包みつつあった。
彼等の見えなくなった先をしばらく見ていた中尉が金属音に振り向くと、ベレー帽は独り手に持ったSMGの点検をしていた。手元のそれを丹念に覗き込みながら、口を開く。
「今更だが、正気か?危険だぞ。さっきの戦いを見たか?雑魚はもういない。相手はプロだぞ」
「相手がプロなら俺達もプロです。ここにプロが2人居ます。それで充分じゃないですか」
「お前プロだったのか?」
「……まぁ……」
……連邦軍のMS乗りの中ではプロです。相対的に。その経験が役に立つとはとても思えないけど。
投げ捨てたヘルメットを拾い、倒れたままの自分のACGSに歩み寄る。MSに乗ってる時はライフルと予備弾、そしてそれを携行する為のロードアウトを必ず積み込んでいたが……まぁ、仕方ない。完全にダウンした機体から積み込んだサバイバルキットを取り出し、ケーバーでこじ開けたミッションディスクを中に放り込む。動力は全滅し、自爆装置すら回路が切断されたか、出来なかった。是非も無し。それでも俺は五体満足でここに立っている。本当によくやってくれた。
ふとボロボロのコクピットの中を見回す。よく生きてたもんだ。焼け焦げ、ヒビの入ったスクリーンをそっと撫で、吹き込んだ雪を払う。そしてヘルメットをその上に置いた。何故かは判らない。でもそうしなきゃ行けない気がした。
最後に隅に挟まる様に転がっていた刀を手に取り、軽く確認する。外傷は無し。刀身も問題ないだろう。ナイフがそうだが、刃物と言う原始的な道具は丈夫で、使い様によっては最後の最後まで役に立ってくれる。武器があると言うのは本当に心の支えになるのだ。きっとこいつもそうだろう。刀を杖代わりにコクピットから這い出る。怪訝な顔をするベレー帽に笑いかけ、中尉は慣れた動作で刀を腰に差した。これでいつもの俺だ。さぁ、やろうか。
中尉は複雑な表情で固まるベレー帽を尻目に、動かぬACGSに向かって軽く顎をしゃくった。
「すみませんが、テルミットあります?」
『知恵と根気と体力は商売道具だからなぁ』
足跡を刻んで行く理由を探して………………
次回 第七十七章
ハルカトオク
「……ただの飛行機乗りですよ。どこにでもいる」
ブレイヴ01、エンゲージ!!