機動戦士ガンダム U.C. HARD GRAPH 名も無き新米士官の軌跡   作:きゅっぱち

83 / 84
残り1話でここらへんの話終わるはずだったんだがな……。どうして……。


第七十四章 死を踏み、今を歩む

敵がいるから戦争が起きる。

 

味方がいても紛争は起こる。

 

生きている限り人は争い合う。

 

死してなお、それすら理由にする人に。

 

だが生まれなければと嘆くのはまた違う。 

 

 

 

── U.C. 0079 10.4──

 

 

 

 白が蠢いた。気がした。軽く目を擦り、瞬かせる。視界は変わらない。当たり前だ。目の障害では無い。雪がセンサーに張り付いている。目の前のスクリーンは白い部分が多い。蝕まれるとはよく言ったものだ。確かに見えづらい。人は視覚に生きる生き物だ。ホワイトアウトは本当に恐ろしい。しかし、今自分の目はそれだけではない。その証拠に、白の上にハッキングした監視カメラの映像が、ピックアップとしてサブスクリーンに投影される。敵も馬鹿ではない。既に襲撃されてる事はバレて久しい。向こうからの襲撃はあれ以来無い。恐らく待ち伏せている様だ。

 だが、戦場に霧は立ち込める。摩擦も絶えない。彼等はその魔力に囚われている様だった。自分達には魔術師により加護の魔法がかかっている。それがどれだけありがたい事か、それは目の前の惨劇を見ればよくわかる。

 

 シュノーケルセンサーを伸ばし、立て付けが悪いのか中途半端に閉じた扉の隙間から建物内をスキャンする中尉の股下から、身を屈めたオメガの面々も顔を出す。銃撃や爆発音、足音、怒声……それ以外の振動、彼らの身体が震えているのが振動センサーを通して伝わってきた。外気温は-3℃。秋口の"アリューシャン"列島においてはかなり低めの気温だ。と、言っても昨今の最新情報はまだ更新されていない。地球環境に大打撃があってまだ一年経っていないのだ。今までの気象情報は当てにならない。

 今年初めの"コロニー落とし"でかなりの量のチリが大気中に舞い上がり、地球全土で太陽光が遮られ、平均気温も落ち込んでいるらしい。その影響かも知れない。中尉は戦争が始まって以来かなり多くの場所を転戦して来たが、なんだかんだ暑い所が大半であり、その影響をあまり肌では感じていなかった。そもそもつい最近まで南の島にいたのだ。それこそ文字通り温度差だけで風邪引きそうなレベルである。股の下の彼等は防寒着こそ着込んでいるが比較的軽装な部類に入る。寒くて敵わないのだろう。と言うか死活問題だ。低体温症で死なれても困る。それ程この吹雪は厳しかった。

 

「おい。またジオン兵同士でやりあってるぞ?」

「やはりか」

 

 監視カメラの映像からも、激しい交戦が確認されていたが、目の前でそれが実際起きているのを確認する。こちらにとり好都合だ。眼前では、片方がもう片方を圧倒しつつある。しかし、完全に殲滅し切るには時間がかかるだろう。本来なら駆逐しきり、気を抜いた瞬間を狙うのがベストだ。だが、それを待つ時間は自分達には無い。

 仕掛けるか。こちらの戦力では両方を相手取ろうと殲滅可能だ。しかし問題は弾薬なのだ。目に見えて減ってきた残弾カウンターに少し焦燥感を覚え始めている。備えが減れば不安が出る。不安が出ればミスが出る。ミスが出れば損害を受ける。それはこの世の真理だ。時間もそうだが、自分達は局所的な瞬発火力にこそ優位を保っているが、少しずつ、だが確実に、真綿で首を絞めるかの如く追い込まれつつある。

 

「どうする?」

「やり過ごすか?同時に叩くか?」

「ウィザード01、ウィザード01。こちらSST01」

《こちらウィザード01。その地域一帯はオフラインです。申し訳ありません》

 

 申し訳なさそうな声に思わず頬をかく。上等兵の責任じゃあるまいに。上等兵はこの施設の殆どの部分を既に掌握している。現にドアやハッチを操作し道を作り、ジオン兵を閉じ込めたり窒息させたりもしてるらしい。しかし、それでも無理と言うのは、物理的に遮断されてるのか。まぁ古い設備だし当たり前であるが壊れてる所も多い。そして確かに、ここの施設は一つ一つの独立性が強めだ。それはまだいい。季節によっては氷河で閉ざされる箇所もあると言うし。

 しかし、しかしだ。建物ごとに細やかなシステムも違ったりするらしいのはまた謎だ。そりゃ重要な区画は警備を厳重にするのは判る。だが、ドアの開閉に必要なカードキーは統一されているらしいが。また、建物の中でも扉ごとのセキュリティレベルも細かく設定されているらしい。おかしな事だ。非効率的だ。まるで、意図的に入れない区画を用意している様な……。考え過ぎか?

 

「……了解しました。ふむ……叩きましょう。迂回も時間がかかります。それに、数を減らせる内に減らすのがやはり得策かと」

「よし」

「そうこなくっちゃ」

「SST02!」

《SST01、準備完了だ》

「室内をコイツでいっぱいにする訳にもいきません。援護射撃は3秒間。その間に畳みかけて下さい。3、2……」

「任されたよ」

「代わって欲しいよ」

 

 呼び掛けた時には既に、軍曹が手早く扉に爆薬を設置し、合図を送る。思わず頬が緩む。それでこそ軍曹だ。ACGSの指でここまで早く正確に作業が出来る人は居ないだろう。このモーションも設定すればオートで誰でも出来るが、軍曹の様に現地で量や規模、方向を決め、擦り合わせる様な動きはマニュアルにしか不可能だ。流石初めて触る機能であやとりが出来る男は格が違う。

 デモリッションバックを探ろうとしたライフル持ちが目を丸くしてるのを見て、誇らしさから思わず胸を張る。どうだ。これがウチの軍曹だ。凄いだろ。いや実際凄過ぎて反応に困る時あるが。

 ベレー帽とのっぽが手榴弾のピンを抜き、通風口から室内へ投げ込み、爆薬の効果範囲から立ち退く。次の瞬間、着火とほぼ同時に伍長が扉を蹴飛ばして飛び込んだ。

 

《とぉぉおおおー!りゃぁぁぁあああー!!》

 

 隙間から事前に投げ込んだ手榴弾が炸裂する。破片があちらこちらを叩く音を気にせず、爆風と爆煙を掻き分ける様にして中尉と軍曹が援護射撃をし、弾丸を叩きつける。

 同時に飛び込んだオメガが展開し攻撃をしようとした瞬間、曳光弾が音を立てて彼等を掠めた。慌てて遮蔽物へと蹴飛ばされるかの様に飛び込むが、遮蔽物ごと削りとらんばかりの凄まじい砲火の数の前に、頭を抑えて塞ぎ込んでいる。

 

 明確にこちらへ向けられた攻撃と、奇襲が失敗したどころか思わぬ伏兵に伍長も混乱している。潜伏地点(LUP)を特定出来ない。敵を捕捉出来ず、どこを撃てばわからなくなってるらしい。まずい状況だ。しかし、中尉も敵を捕らえられないでいた。煙が酷い。そして室内温度が高く、センサーが飽和し敵を捕捉出来ていなかった。取り敢えず腕だけ出して機関銃をばら撒くが、牽制射撃以上にはならないだろう。複雑かつ丈夫な遮蔽物だらけの部屋だ。重機関銃と雖も、硬く分厚い遮蔽物を貫通させるにはある程度当て続けなければ無理だ。先程までの様にはいかない。中尉は舌を巻く。コレを狙ってたのか?敵は思った以上に狡猾らしい。

 

「援護しろ!」

「こ、怖いです!」

「撃ち返せバカ!!」

「畜生!」

「クソっ!どこだ!?」

《えなにひぇっ!》

 

 伍長のACGSが装甲を叩く弾丸で火花を散らす。"シェルキャック"はとっくのとうにボロ布と化し、消失していた。ネズミ花火を全身に括り付けたかの様な激しい火の粉は"ブリュッセル"のイルミネーションもビックリだ。

 混乱の中、軍曹は地上の敵への攻撃を切りやめ、閃く様な速さで屋根の一部を吹き飛ばした。轟音と共に破片が舞い、光を受けて煌めくガラス片が飛び散る。その中に、遅れる様にしてバラバラになった死体が降り注ぎ始めていた。瓦礫に混じる血肉の赤が降り注ぎ、床に現代美術の抽象画の様に撒き散らされる。1人分ではない。そのショッキングな光景に、一瞬目を奪われる。黒に近いグレーの壁面をバックに映える、形の判別のつく赤黒い大きな破片が多いのがまた辛い。熟れ過ぎた果実の様に形を崩し地面へと垂れるそれは、明らかに気持ちのいいものでなく、目を背けたくなる様な飛び散った人の残滓(・・・・)だった。

 しかし、敵の居場所は判った。ヤツら屋根の上に潜んで、天窓から撃ってきやがったのか。または通風孔やダクトか、屋根裏か。そこまでは分からなくてもいい。全く気づかなかった。奴らは眼下の戦闘に介入せず、明らかにこちらを狙っていた。生身なら死んでたかもしれない。中尉は舌を巻いた。時間が無いのは理解している。だが繊細さが必要だ。性能を過信し行動が大雑把になってる。良くないぞコレは。戦場に居るのに、戦場を忘れている。迫り来る死を意識していない。

 

「上だ!ぶちかませ!」

「えっ、どこ、どこですか!」

「うるせぇ!俺が死んだらお前をぶっ殺す!」

《ど、どぉ!?》

「SST03は突撃、目に見える相手を蹴散らせ!背は見せるなよ!」

《うらりゃぁー!!》

 

 聞いているのかいないのか、それでも脳がオーバーフローし立ち尽くしていた伍長が言葉に反応し突っ込み、屋根を始め怪しいと思った所をめちゃくちゃに撃っている。中尉も同じく怪しいと思える所を撃ち込むが、角度から天窓の位置が判らない。結局の所牽制射撃に近い。一撃ごと確実に数人を吹き飛ばしてるのは軍曹だけだ。中尉は屋根への照準もそこそこ、地上の遮蔽物に隠れた敵を狙い始めた。唸りを上げる機関銃弾が跳ね回り、内装をズタズタに引き裂くも、屋根自体は抜けない。逆に上から降ってくる跳弾に地上の敵はたまったものでは無かったらしく、隠れていた遮蔽物から飛び出してはやられていた。しかしそれにしても分厚いな。ここの施設はかなりの積雪に耐える設計であるから当然か。またも20mmのままで良かったか?と後悔する中尉を他所に伍長もそれに気づき、弾の切れた"ハイパーマスターキー"を打ち捨て、グレネードランチャーに切り替えた。遅発信管で打ち抜き、上空で爆発させるつもりだろう。思ったより冷静な判断だ。

 伍長は相変わらず弾丸を集める磁石状態だが、撃っている間は平気らしい。堂々と姿も隠さず弾丸をぶちまける姿は素晴らしいが、性能を過信し過ぎだ。まるで撃っている間は無敵と勘違いしている様だ。撃ち続けていれば、何者でも自分の命を奪えないと。それは正しくもあり間違いでもある。そこに伍長の恐怖を汲み取った中尉は顔を歪めた。

 

 縦横に走り回るキャットウォーク含め、部屋の構造は3次元的に複雑に絡み合っており、それが混戦を助長させていたらしい。上を取りもう一方へ攻撃を仕掛けていたジオン兵はすぐさまこちらに気づき攻撃を仕掛けたが、それにより言わば1対2となってしまっていた。しかし、先制し畳み掛ける様に攻撃を仕掛け無ければその優位は失われるだろうから妥当な判断だ。問題は、その新戦力が1番の攻撃力と防御力を兼ね備えていたと言う予測不可能な誤算のみ。彼我の戦力の把握を怠り、間違うと命を失うと言う教訓を身をもって知ってもらおう。

 どのみち殲滅する。逃げ場はない。遮蔽物に身を隠し、蹲るオメガチームの盾になれる様しゃがみ込み、腕とシュノーケルセンサーのみ突き出して機関銃をばら撒く。上下に空間的に広いが、面積はそう広くはない。縦横無尽に空間を舐め尽くす跳弾が恐ろしい。壁の距離が近い為、自分の撃った弾が跳ね返り致命傷になりかねない。敵の数があまりにも多いと首傾げていたが、マズルフラッシュだと思った光が壁に当たり火花を散らす跳弾だった。舌打ちしつつセンサーを切り替え調整する中尉の足元では、激しい銃撃戦の最中、生身で震えているオメガ達の振動をACGSが感知した。中尉は己の幸運を再確認する。鉄の竜巻の中にいるみたいだ。室内は銃声と爆発音、金属がかち合う音が反響し凄い事になっているだろう。防音仕様のACGSの中まで聞こえて来る位だ。とんでもない爆音である。彼等も耳栓位はしているだろうが、ノイズカットの無線送受信機は壊れるかもしれない。

 

「こぇえ!!」

「こちらに向かう弾が、地面が、壁か、隣の誰かに当たるのを祈るだけだ」

「ヒデェ…」

 

 オメガの会話に苦笑を漏らしつつも、彼等の襟を空いた手で丁寧に掴んで後ろに下げつつ、中尉は本格的に射撃目標を地上の敵に定めた。あいも変わらず蒸気やら爆炎で前は見えづらいが、軍曹のデータリンクでセンサーはそれでも最適化され、目標を嗅ぎつける。隣で軍曹が機関銃に切り替えた。おそらく天井の掃除が終わったのだろう。本当に頼もしい。

 しかし──蒸気?何故だ?中尉は壁面に沿ったパイプの一つが盛大に白い水蒸気を吐き出すのを見て眉を顰めた。それを浴びた兵士がのたうちまわる。火傷を負った様だ。外気温と比べてもかなりの温度と言う事か?つまりここの施設はまだ生きてるのか。それにしてもなんで基地の中にかなりの規模の製鉄所やらなにやらがあるんだ?兵器を直すとしてもこんな物は必要ない。パーツを運び込めばいいからだ。上等兵が入手した地図には金属を精錬する施設から圧延施設、数多くの研究室、大規模過ぎる工場と普通の軍事施設には必要無い物のオンパレードだった。しかも、それは表からは巧妙に判り辛くなる様に設計されていた。ここは自活が出来るよう大規模な発電所や浄水施設その他があったと聞くが、それにしても規模が異常だ。また隠す意味も無い。

……まるでなにかを、それこそ秘密にしなければならないものを作っていたかのようだ。意味が判らん。兵器開発に秘匿性は必要なものだが、しかし……。

 

「ちびっちゃったよ」

「俺もだ」

「凍るぞ」

《うぉりゃー!てぇーい!!》

 

 徹底抗戦の構えのジオン兵に業を煮やしたのか、伍長が遂に火炎放射器を使用するも、その魔の手は敵に届く前に床に広がった。頼もしい銃口からは情けない音がするだけで、それ以外何も起きない。ガス欠だ。

 酸素と激しく反応する高い可燃性に、粘性と重量のある液体を遠距離まで噴出する火炎放射器は、噴射用の圧縮ガスと燃焼用の液体でスペースをかなり取る上、その連続噴射時間はサイズ、重量を考えるとかなり限定されてしまう。今回もかなり頑張ったらしいが最大効率で噴射しても1分半程度が限度らしい。また、今回は幸運にも無かったが、タンク内で気化した燃料が敵弾により着火、誘爆する危険性もかなり高い。伍長の事だ。ガバガバ使って気に入ったからと少し節約しようとして、結果中途半端に残してしまったらしい。

 遂に伍長は降り注ぐ弾丸を物ともせず、遮蔽物まで突進、装着されていた火炎放射器を取り外し、即席のバリケードごとフルスイングで殴りつけた。凄まじい金属音の中、バリケードが力任せに動かされ、壁に押しつけられた。その裏は推してはかるべきか。しかし、中尉は見てしまった。果実を潰したかの様な音と共に兵士の身体が不自然に折れ曲がり、手足が糸の切れた操り人形の様にバラバラの方向に投げ出されたのを。伍長は動きを止めず、突然の事に逃げ惑う残る数人にも情け容赦なく蹴りを入れ、振りかぶった鉄塊を叩きつけた。湿った音と共に吹き飛ばされた彼等は同じ末路を辿り、血と細切れ肉の詰まった肉袋が複数転がった。物の見事に潰れた彼等に、人間としての尊厳は限り無くない様に見えた。

 上から降って来た何かが、水音と共に転がって来た。それは不規則に跳ね、中尉のACGSの足にあたり止まる。それは人の肘から先だった。叩きつけられた速度差で引きちぎれ飛ばされたらしい。天井にでも当たりここまで転がって来たのだろう。酷い泣き別れだ。棺桶の中でももがき苦しむだろう。この腕もその持ち主も、こんな最期は想像していなかったに違いない。また別の水音がした。近くでアサルトライフル持ちが嘔吐していた。黄土色の吐瀉物が撒き散らされ、床を既に染めていた赤と混じり悪趣味なマーブル模様を描く。宇宙世紀の戦場とは思えない、凄惨極まる地獄に等しい光景だった。あたり構わず撒き散らされた肉塊と肉片で彩られ、未だにあらゆる弾痕から細く煙があがるボロボロの廃墟は、幽霊も寄り付かないだろう。

 

《せいあーつ!》

 

 装甲が返り血で物凄い色になっている伍長の底抜けに明るい声が空虚に響く。白、グレー、そしてまだら模様の赤。酷いトリコロールだ。その返り血も湯気を立て固まり、そして凍りついていく。その横で傷一つ、汚れ一つ無い軍曹は無言で警戒を怠らない。各所に弾痕が目立ち始めたものの機能に支障は無い中尉機も、念の為に近くの死体を踏みつけ、また拾い上げた鉄骨で突き刺す。淡々とその作業をこなしながら、中尉は振り返り声を上げる。そうしなければ、語尾が震えそうだった。

 

「……だな?怪我は」

「……気分が悪いぜ。チョベバだ」

「ちょべっ、ぺっペッ……チョベリバです。やめたくなってきました」

「なら大丈夫かと」

 

 顔を顰め口を濯ぐアサルトライフル持ちに対して取り繕う余裕も無く、中尉は口では適当な事をいい、扉のロックを解除する軍曹を見遣る。そうだな。そうだろう。だが、気分が沈んでも、もう既に平静を取り戻しているのをどこか冷め切った頭の片隅は冷静に判断していた。そこが鈍く痛む様だ。指の震えは止まっていないが問題はない。スクリーン越しでまだ助かった。現実感が薄い。むせかえる様な匂いも無い。思い出しそうではあるが。それでも、いや、だからこそ、俺達はしっかり人間だ。まだ人間だ。人の心を失ってはいない。それが例え自分を苦しめる事になっても、その痛みを抱えて生きる事が、きっと人である証なのだから。

 中尉は無感動にあたりを見渡す。穴だらけで未だに煙を上げる壁、水蒸気を噴き出す折れたパイプ、柱が折れ、崩れたキャットウォーク……そしてそれらを彩る血、肉片、内臓、アレは骨か?手足も結構わかりやすい。センサーが高解像度でそれらを拾う。それこそ、ネズミの死体やら鳥の死体まで。鳥?何故?ヘルメットが転がっている。中身入りだ。脳漿がべったり張り付き、灰色がかった白の脳髄がだらしなく縁にかかっている。色が違うから判る。普段は頭蓋骨という器に守られている、豆腐の様に脆い脂肪の塊。脳は衝撃ですぐ粉々になる。頭蓋骨が力任せに引きちぎられた割にこうも形が残るなんて珍しい事もあるものだ。しかし、かと言って彼が生きている訳でもなく、無論、生き返るなんて事もないが。

 俺は今生きている。彼らも生きていた。彼らの命を奪い、今を歩いている。また頭が転がっていた。血以外の液体が涙に見える。もっとも、彼は片方の眼窩をぽっかりと留守にし、虚な闇を抱えていたが。

……人は皆傷つきやすい魂を持っている。人間性を備えた、人間らしい人間としての、心。視界の隅、蜃気楼の様に揺らめく湯気を立て始めた吐瀉物が目に入った。ここにあり、人間性を示す役に立たない醜悪なそれは、人間でいたいんだ、という必死な叫びにも思えた。

 

 しかしそれもまたすぐ凍りつくだろう。

 

 人と人が殺し合う。なんて自然でなんて不自然な状況か。初めて人を殺めた時、何も感じなかった。それどころではなかったからだ。それに、交戦距離がかなり遠く、一方的に近かったのもあるだろう。科学の恩恵は、殺人の距離を遠くした。血の臭いから少しでも遠ざかろうと、手に武器を持った。剣が槍になり、弓になり、銃になり、ミサイルになり、今は圧縮されたメガ粒子のビームになった。馬は戦車に、戦車は飛行機に、そして船から飛び立っていた飛行機はいつの間にか宇宙戦艦へと変わっていった。

 だが、いくら戦場の感覚を遠ざけようと、必ず人は人を殺した事を自覚する。中尉も、その後あの感覚に襲われた事を思い出した。あの感覚が恐ろしかった。トリガーを引いた指先に確かに疾走った、痺れる様な、ひりつく様な、あの感覚を。空を飛び、ディスプレイを覗き、操縦桿のトリガーを引いていても、人の命を奪った時は、違う。それが直感なのか、錯覚なのかははっきりとしない。だが、()()のだ。いくつものショックがあった。だが、次の戦いでそのショックは半分になった。次でまた半分、また半分……だが、今はもう無感動だ。何も感じない。慣れか。慣れていいものなのか。どちらがいいのか、答えは無い。でも、その澱は確実に積もって行く。

 

 思考に耽っていた中尉を、扉の倒れる音が現実に引き戻す。まだ作戦は終わっていない。今は動くのみだ。

 勢い良く吹き込んだ雪に一瞬視界を塞がれるも、中尉は一歩を踏み出す。その足元を縫う様にオメガが展開し、周囲を警戒する。ありがたい。いくら全身にあらゆるセンサー類が装備されたACGSと言えども、主に使用されるメインセンサー・カメラ類は頭部に集中している。死角も勿論存在する。カバーは多いに越した事はない。

 アレだけ遠く見えた通信棟が目の前に見える。天を衝く2本の巨塔。吹雪が止みつつある今、その姿ははっきりと視認出来た。

 

 そして、その前に陣取る"マゼラ・アタック"も。

 

「伏せろ!!」

 

 誰が叫んだのが早いか、想像を絶する轟音と、地を揺るがさんばかりの衝撃が視界を激しくシェイクする。状況が掴めん。頭が痺れた様に痛み、混乱している。今俺はどっちに向いて何をしている。敵は?仲間は?俺は?

 

「わァ!!」

「畜生!また戦車だ!!」

「軍曹すまん!助かった!」

《SST01へ。問題無い》

 

 ACGSの装甲を、鋼の拳が小突く。かぶりを振り、深呼吸をした中尉は、頭に手をやりながら感謝の言葉を紡ぐ。隣で器用にひっくり返る伍長とシュノーケルカメラを展開する軍曹を確認し、胸を撫で下ろした。軍曹により強引に物陰に引っ張り込まれた中尉は、それにより命拾いをしたらしい。大半の衝撃はそれだろう。

 "マゼラ・アタック"の主砲は175mm。MSでも当たりどころよっては致命傷になり得る火力だ。重機関銃をギリギリ防ぐ程度の装甲しかないACGSなんて紙同然と言える。頭を過ぎるイメージに、背筋が凍り、身体がぶるりと震える。強張る手と、うなじが今更になり粟立っているのを感じる。立場が逆転したか?今度は俺達がバラバラになり地面に散らばる番か?いや、否だ。やれるはずだ。

 なんとか姿勢を整え、また飛び出そうとする伍長を押さえ込み、軍曹と目配せをする。無機質なACGSのセンサーの先、軍曹の歪められた口が見えた気がした。伍長も気づき、親指を立てる。準備完了らしい。いいぞ。こちとらあの日から"リジーナ"や"ロクイチ"で"マゼラ・アタック"を相手取って来たんだ。久々にやろうじゃないか。

 

《むぇっ》

「4輌もか!ダメだ!引こう! 」

「軍曹!」

「迂回は出来ないぞ!」

「畜生!見えない!」

「立つなバカ!頭がスイカになっちまうぞ!」

《SST02了解》

 

 オメガ達の悲鳴に近い声を聞きながら、初弾の着弾地点をチラリと確認する。やはりだ。いいぞ。他の"マゼラ・アタック"が撃つ前に、撃った"マゼラ・アタック"の次弾装填が完了するまでが勝負だ。幸い距離はそこまで離れていない。ミノフスキー粒子濃度が低い分照準が怖いが、砲塔が旋回出来ない上、大柄な"マゼラ・アタック"は俯角を取るのも苦手だ。再装填も遅い。ゲームはこれからだ。

 着弾は扉から大きく離れていた。建物の一部を掠めた程度にとどまっている。

 

──つまり、敵の照準は全く定まってない。

 

 軍曹機がスモークディスチャージャーで煙幕を焚いた。空気が噴き出す様な独特の音と共に凄まじい勢いで視界がホワイトアウトする中、同時に中尉もスモークを撒き散らし、脚部に装備された履帯を猛然と空回りさせ、雪煙を立て、そのまま大まかな狙い(ケンタッキー・ヴィンテージ)で機関銃を乱射しながら猛然と突進する。大きく左右に跳躍し、空間全体に煙幕を充満させながら距離を詰めて行く。"マゼラ・ベース"の車体に備え付けられた30mm3連装機関砲が火を噴き、スモークをズタズタに引き裂くが、煙の尾を引く中尉を捕らえる事は無い。しかし、1発でも擦ればその一撃はACGSを中尉ごとスクラップにする威力がある。脚を払おうとする死神の鎌を、中尉は決死の思いで避け続ける。破茶滅茶に揺れるコクピット内の、激しく数字の入れ替わるレーザーレンジファインダーが叩き出した距離は350m。コイツならすぐだ。息が上がってきた。肺が苦しい。コクピット内を満たすと息と、脈打つ心音がヤケに大きく聞こえる。耳の真下に心臓があるみたいだ。長くは持たない。だがもうすぐ手が届く。もうすぐだ。待っていろ。

 

 後方では伍長機が同様にスモークを焚きながら横へと大きく跳躍し、"ロケット・ハーガン"を崖へと射出した。鋭い音と共に擊ち出されたアンカーは、寸分違わずしっかりと岩壁に突き刺さる。成る程、高所を取りつつ射点確保するのか。咄嗟にしてはいい判断だ。頷く中尉の視界の端では赤い光が残像を曳いた。右腕の機関銃の銃身が摩擦と熱で真っ赤に焼けているのだ。長時間連射し過ぎだ。だが、撃つのをやめる勇気はない。生への確率を上げる為に、壊れても仕方無いものは確かにあるものなのだ。

 軍曹が建物にオメガ達を引き摺り込んだのか、一陣の風に煙が一瞬翻るが、そこにはもう誰もいない。それとほぼ同時に壁のダクト開口部が火を噴き、こちらに主砲を向けていた"マゼラ・アタック"の砲塔が吹き飛んだ。軍曹だ。軍曹は建物の中から比較的壁の薄いダクト部分を通して"マゼラ・アタック"を狙撃したのだ。しかし、軍曹機の装備するスマートガンの57mmではいくら装甲が薄いとはいえ"マゼラ・アタック"の正面装甲を貫く事はカタログスペック上不可能だ。"マゼラ・アタック"の防盾は角度によっては"ロクイチ"の155mmも跳ね返す事があるくらいなのだ。しかし、角度から隠れているキャノピーを狙った訳でも無さそうだ。もしや、まさか……。

 もう余計な事を考えるな。これはチャンスだ。爆発炎上した1輌の対角に位置取りし、盾にする様にして疾走る中尉の眼前で、突然僚機を失い混乱する"マゼラ・アタック"隊に大量の火の玉が降り注ぐ。射点についた伍長だ。狙いこそ正確では無いが、持てる火力を豪快に叩きつけている。攻撃対象を絞っていない為致命打にこそなり得ていないが、無視出来ない攻撃は、敵の足並みを崩すには十分過ぎる。

 

 全員が最良の行動を取れた。だから俺も俺の信じる最良に賭ける。残り30m。ここからは俺の距離だ。

──見てろ!動いて射撃するしか出来ない戦車を、教育してやる!

 

 銃身が完全に焼け爛れ、湯気を立てている機関銃が遂に空回りした。弾が尽きたのだ。銃身の限界を超えて弾を吐き出しきったそれに心の中で感謝と謝罪を送り、弾が尽きた機関銃を切り離し投げ捨てる。その勢いのまま、中尉は地面を今日一番強く蹴りつける。最後の飛躍を全身で感じ、心地よい浮遊感が重力につかまり、やがて来る衝撃に備えながらも、中尉の唇には笑みがあった。

 眼下には蜂の巣になり、あちらこちらから煙を上げる"マゼラ・アタック"があった。

 

「装甲の薄い"マゼラ・アタック"つっても、13.2mmじゃ効果が薄いな……だがな!」

 

 中尉は空中で姿勢を変え、そのまま流星の如く"マゼラ・アタック"へと突っ込んだ。ACGSの持ち得る質量と運動エネルギー全てを叩きつける猛烈な飛び蹴りが炸裂し、強引にその形を変えられた金属の奏でる耳障りな轟音と共に"マゼラ・アタック"が大きくへしゃげた。振動で装甲の上に積もった粉雪が舞い上がる中、突き出されたACGSの脚部はキャノピーを軽く突き破り、その中身をメチャメチャにしたが、車体は衝撃を受け止めきれず、その破壊は留まるところを知らなかった。

 キャノピーを中心にねじ曲げられた"マゼラ・トップ"は大きく陥没し、引きちぎられた翅が吹き飛び、その主砲も取れる仰角を超え天を衝いた。中尉渾身の蹴りは、完全に拉た"マゼラ・トップ"を支える"マゼラ・ベース"さえもぐちゃぐちゃにし、その一撃は、ジオン軍自慢の戦車を文字通り一瞬で戦闘不能にした。

 

 交通事故にも匹敵する衝撃から中尉が解放され、白く黒く明滅し赤く染まる視界の中、ぼんやりとした頭でなんとか突き刺さり過ぎた脚を引っこ抜こうと躍起になる傍ら、遂に伍長の攻撃がエンジンを捉えたらしい。隣の"マゼラ・アタック"が醜く内側から膨らみ、遂に耐えきれ無くなったのか歪んで爆発を起こす。飛び散った破片が装甲を叩く鋭い硬質な金属音を聴きながら、中尉は残る"マゼラ・アタック"に向き直る。これで残りは1輌。今更超信地旋回を始めてるが、無駄な足掻きだ。

 もっと酸素をと喘ぐ肺を押さえ込む様に大きく深呼吸をし、中尉が飛びかかろうと身を屈めようとした時、砲撃が不可能な近距離にまで攻め込まれ、今更不利を悟ったか最後の1輌が逃走を図る。いや、反撃の為か?"マゼラ・トップ"が起死回生の一手として分離し浮上した瞬間、再び姿を現した軍曹の射撃が飛び上がりバランスを取ろうとしているそれを捉えた。鋭い正確な一撃でキャノピーを綺麗に吹き飛ばされた"マゼラ・トップ"は、その制御を失い、くるくると回りながら上昇し、そのまま何処かへ飛んでいった。

 

 宇宙に帰りたがってるみたいだ。

 

 歪な蛇行を描き、薄くなり行く黒煙から目線を外し、中尉はひしゃげた"マゼラ・アタック"から飛び降りた。全高を約2/3ばかりにされ、不格好な鏡餅の様になったそれは少しばかり滑稽だった。見るも無残な姿だが、墓標にはもってこいだろう。

──最も、この島は後17時間32分43秒後には跡形もなく吹き飛ばされるが。チラリと減り続けるカウンターに目をやり、中尉は軽く空を仰ぐ。粉雪の舞い散る、真っ黒な空を。これは決定事項だ。今度こそ、この島は間違い無く空爆が実施される。その時、その下にいるかどうかは今後の動きにかかってる。

 肩で息をしていた中尉の隣に軍曹のACGSが到着した。そのまま傍を固め、警戒に移る。続いて慌ただしく雪煙を巻き上げながら伍長機も到着した。燃え盛る"マゼラ・アタック"が雪を溶かし、音を立て水蒸気の湯気を出すのを見守りながら、息も絶え絶えに中尉は口を開いた。

 

「っふー……各機、異常は?」

《SST02。異常無し》

《わたし弾もうほとんど無いです。それに、レーザーもぶつけて壊れちゃいました……》

 

 伍長の声に反応し、中尉は伍長機の頭部に目を向けた。確かに飾り羽の様に突き出ていたはずのレーザー機銃は根元から千切れていた。おかげでハゲである。カッコ悪い。フレキシブルに稼働するのが仇になったか。伍長結構転がってたもんな。可動するっつっても限界はあるか。いや、機体で押し潰したらいくら可動域内でも壊れるか。中尉は小さく溜息をついた。全く、身体の延長として捉えないからだ。いざと言う時に故障で使えないじゃあ……と考えたあたりで、中尉の視界の端に表示されていた兵装選択画面(ストア・コントロールパネル)のメッセージウィンドウに目が行く。

……俺もだ。気づかなかった。エラーメッセージ自体は出ていたが……。とにかく手早く表示を消し、中尉は頬をかく。一回も使ってない。自由度が高く使いやすそうな印象だったのに。残念だ。

 ACGSの上腕、手首内側の下、人間で言う脈所の装甲の下に仕込まれた鏡を展開し、自機の頭部を確認してみる。どうやら弾丸を喰らったらしい。半ばから折れ、その根本には弾痕の様な跡が見える。アレだけ弾を喰らえばそりゃそうか。どんな兵器であろうと、何処も一様に同じ装甲強度の訳が無い。身を捩る様にして丁寧に機体を見回してみると、中尉の想像以上に多くの傷が刻まれた装甲は少なからず損耗していた。そして何より弾丸の射耗も著しい。性能におんぶに抱っこではダメだ。戦術を改めなければ。

 

《SST02からSST01へ。弾薬の再交付を、具申する》

「っ、そうだな……いいのか、すまん」

 

 激しい運動で発汗し、身体が暑いとヘルメットのバイザーを上げ汗を拭っていた中尉は、言葉と同時に突き出された軍曹の機関銃をオートで受け取り、続く弾薬を伍長と二等分しようとして辞めた。伍長に多めに渡しておく。伍長機は夜逃げの様に背負ってきた装備のその殆どを既に射耗していた。ランドセルの様に背負っていた背部ウェポンコンボユニットも既に切り離され、かなり身軽だ。つまり予備弾がほぼ無い。中尉は背中の弾倉ユニットにまだ機関銃弾が多少残っている。軍曹は言わずもがなだ。

 伍長が受け取った弾倉をACGSの装甲表面に設けられたアタッチメントに接続するのを見守りながら、中尉も機関銃を右前腕部に取り付けた。腕部アタッチメント接続と同時にFCSが機関銃を認識し、同調を始める。流れ込んだデータによると1発も撃ってないらしい。銃身の磨耗の無い新品そのものだ。本当に助かった。正直なところ補給が欲しいが、贅沢は言ってられない。貴重な輸送リソースを自分達に割く訳にはいかない。今も尚必死で反応兵器を運び出しているだろう輸送部隊に想いを馳せながら、中尉は話題を逸らす様に言い訳がましく口を開いた。

 

「それにしても、宇宙人の戦車は柔らかいな」

《しかしホント、20mmのままでも良かったですねぇ。時々少し効き目が薄いです》

 

 強がって宇宙人等と言ってみたが、その舌触りは最悪で、また伍長の言葉は事実だった。ため息をつく。向かないらしい。

 

 ACGSの装備している13.2mmHEIAPはカタログスペック上、17cm厚の鋼鉄製の板を撃ち抜くパワーがある。この鋼鉄製完全被甲弾は着弾と同時に炸裂する3種類の高性能炸薬、1分近く数千度と言う高温で燃え続ける2種類の特殊焼夷剤、目標に深く貫入するタングステン又は劣化ウラン製の弾芯にも炸薬が充填されている複合効果弾(CEM)だ。軍用の複合装甲で覆われた戦車であろうと、対象との距離や装甲厚、侵入角度によっては撃破可能なスペックを持つ。

 しかし、比較的装甲の薄い"マゼラ・アタック"であろうと、その車体のサイズと飛行すると言う制約の無い"マゼラ・ベース"部のバイタルパートは複合装甲による多重空間装甲で固められている場合があり、時にかなりの防御力を発揮するのだ。"マゼラ・アタック"は大部分の設計はそのままに、等倍に縮小、拡大した様な複数のサイズが確認されている。ほぼ1機種で地球上のあらゆる地形に対応する為のジオン軍の工夫の一つだろう。その中でも大型とされる機種は特に装甲厚に余裕がある。今回相手したのもそれらしい。

 

 イレギュラーだった。本来こんな複雑な地形で運用する"マゼラ・アタック"では無い。だから出てくるとは思ってなかったのだ。所謂中型、小型なら13.2mmで十分に対応出来る。普通の軍事施設の壁もだ。何度も言うが、予想外、イレギュラーだったのである。しかし、事前の情報不足もあれ、これは中尉の完全な判断ミスだった。

 

「まぁ"ロクイチ"相手ならこうはいかんだろうな」

「俺達あんな苦戦したのに……」

「欲しいなぁ」

 

 贅沢な悩みだ。膝の高さまで積もった雪を掻き分け、息も絶え絶えに追いついたオメガの面々がぼやくのを聞き、中尉はそう思った。そりゃそうだ。戦闘において火力はあるに越した事は無い。機動力も、防御力もだ。歩兵と言う括りからはみ出た存在であるが故、その威力が良く判る。それに誰もが好き好んでこんなに深い雪の中を歩きたくは無いだろう。吹雪は収まりつつあるが、チラつく雪は相変わらずだ。空を見上げるとその闇は深みを増していた。つまり一番冷え込む時間帯でもある。寒さはそれこそ身を切り裂く程だろう。

 想像した事でちょっとむずついた鼻を軽くかき、燃え盛る残骸に当たり手を擦っているオメガを見下ろす。ACGSのオフィスは快適だぞ。まぁACGSから降りようとノーマルスーツ着用してるからかなり快適だと思うけど。どちらかと言うとノーマルスーツの恩恵だなコレは。ジオン兵の多くも地上専用に調整されたノーマルスーツを手放したがらないパイロットが殆どらしい。そりゃそうだろう。基本的に完全に調整されているコロニー内環境とは対極とも呼べる地球の自然環境は人に優しくは無い。俺だってクソ寒いのもクソ暑いのも歩き辛いのも嫌いだ。歩兵じゃねぇし。

 

 無言でくだらない事を考えていたら軍曹が銃を指向した。その瞬間、銃口の先のドアが開いた。雪を蹴立て転がり出てきたのは軽装のジオン兵だ。中尉も咄嗟に武器を向けようとして中断し、近場の伍長とスクラムを組む様にオメガの盾になる。流石に距離が近い。いや近過ぎる。装甲に守られた俺達はともかく、生身なら破片や爆風に巻き込まれないとも言い切れなかったからだ。軍曹が引き金を引かなかったのもそうだろう。ならここは俺がやるべきか?57mmよりはマシだろう。

 体勢を変えようとした瞬間、転がり出た男達の方が先に動いた。

 

「撃つな!降伏する!」

「なんだ?」

「何?」

《負けたって!》

「は?」

 

……よく見たら全員武器すら持ってない。両手を掲げた男達は、その場にゆっくりと立ち上がった。雪に塗れ、寒さに震える彼らに戦意は無さそうだ。しかし、どうするべきか。連れては行けない。縛って放っておくか?死ぬだろうな。警戒に1人残すか?論外だ。しかし時間も無い。正直構っていられないと言うのが実情だ。厄介な事になったぞコレは。殺す事は造作も無いが、捕虜を虐殺するのを見てオメガ達はどう思うか。そこが問題だ。正直この島からジオン軍が生きて帰れるとは思っていないから戦争犯罪を犯そうとそれに対するリスクはかなり低いだろうが、隣の協力者が敵対するのは出来れば避けたい。くそぅ余計な事を言いおってからに。

 軍曹と目配せする。微かなカメラの動きからその意図を理解した中尉は、伍長に周囲の警戒を呼びかけながらわざとらしく口を開く。

 

「降伏だってさ。言葉が通じて幸いだよ全く」

「捕虜、ですか。受け入れる準備はしてなかったですね……あなた達の交戦規則は?」

 

 判断をオメガ達に丸投げしたのである。これも一種の戦術的な技術及び手段(TPP)か、なんで自嘲する。最悪彼等を残したり、何があっても責任を押し付ける事にした。逆にここに残れと言われたら戦力の分散や火力の観点から断るつもりでいた。本来中尉はこの様な腹芸は苦手で、その緊張からやや声が震え、脇腹を冷や汗が流れ落ちていたが、その目に見える恐怖をACGSが覆い隠してくれていた。この鎧は本当にいい。あらゆるものから守ってくれている。それ程自分は弱いと言う事の裏返しでもあるが。しかし観測されない現象は存在しないのと同じなのだ。

 この前の尋問と同じだ。知らない事、知られない事は存在しない事と同じ、つまりそれだけで武器になる。ACGSは部分的にセミマスタースレイヴ方式を採用している。直感的な操縦が可能な分、個癖や動揺が出やすい。それでも、これくらいならなんとかこなせる。それでいい。

 

「捕虜にならない、捕虜を取らないだ」

「そうですか」

 

 それに気づいているのがいないのか、手元のSMGの残弾を確認し、槓桿を引いてスライドを開放、薬室(チャンバー)チェックをしながらベレー帽が答えた。その意味を中尉は瞬時に理解したが、止める事はしなかった。

 

「ごめん」

 

 短い一言を言い切ると共に、ベレー帽がSMGを腰溜めに構え、薙ぎ払った。彼のトレバーシングファイアは中尉の想像通りの効果を発揮し、手を挙げ並んでいた男達をバタバタと撃ち倒す。のっぽが呆気にとられた顔でそれを眺めていたが、ベレー帽は気にしてない様だった。オメガの他のメンバーも同じ反応だった。軍曹はなんのリアクションも無く、周囲を警戒していた伍長はその銃声と発射炎に顔を向けたが、あららとでも言う様に大袈裟に肩を竦めてまた外を向いた。

 中尉は銃口から立ち上る煙をそのままに、弾倉を交換するベレー帽と、倒れ血を流し、蒸気を立ち上らせる死体が少しずつ冷え雪が積もっていくのに目をやり、誰に言うとでも無く呟いた。

 

「ごめん」

 

 誰に向けたかも判らない言葉に困惑しつつ、中尉は改めて口を開いた。もう、目の前の死体には興味を無くした様に。

 

「よし、行くか」

《はい!》

「イヤに手慣れてるな」

「そんな事は無いさ」

 

 俺達は進まねばならない。その為には、障害物を避けたり退けたりするのも大切だ。それが小さいなら特に。道端の小石を退ける様に。ここはもう直ぐ地上から永遠に消え去る。条約も何も無い。時間も無い。軍曹が敵が飛び出したドアを蹴飛ばし、歪ませて開かない様にしているのを見つつ、オメガの先導に従って進む。

 やがて、針葉樹林の奥、雪に埋もれた小さなゲートが見えてきた。しかし、ACGSのセンサーは今積もっている雪よりさらに高い位置まで雪が積もっていた跡を見つけ出していた。どうやらここが目的地らしい。彼等が苦労して開けようとしていたゲート解放を手伝い、それを潜り抜けると、彼等は一息ついた。中は暖かいらしい。装甲に付着した雪が溶け、水溜りを作っていた。装甲の排熱が判りやすい。成程、彼等の臨時拠点か。よくもまぁバレずに良いところを見つけたものだ。ふと視線を落とすと床には朽ちた監視カメラが転がっていた。よく見ると照明も付いていない。後ろで伍長が力加減に四苦八苦しながらゲートを閉めている。電気も通っていないらしい。上等兵も気付いていたが探れなかったエリアだ。向こうの手腕に舌を巻く。クラッキングの事は話していない。しかし、ローテクにより掻い潜られていた。

 今上等兵は定期連絡のみだ。他の部隊の情報支援を優先しつつ、施設内を動き回るジオン兵の足止めや封じ込めをずっとやっている。輸送部隊が敵と鉢合わせせず順調に運び出しをしており、こちらにも敵が比較的少ないのはそれが功を奏しているからだ。施設の密閉度が高い為、空気の循環を止め窒息もさせてるらしい。彼等の最期を想像した中尉は、改めて彼女の能力に畏怖した。逆らわんとこ。

 

「この先だ。安心してもらっていい。周囲は安全だ。保証しよう」

「……ここまで来たらもう顔を隠す必要もないですね」

 

 軍曹の確認を取り、ACGSを跪かせる。GPLレベルを"ミリタリー"から"待機"へと落とし、それを確認した後ハッチを解放する。内燃機関(エンジン)核融合炉(リアクター)では不可能な速さに満足し、圧縮空気が漏れ出す音と共にヘルメットを取り、大きく頭を振って深呼吸する。コクピット内は快適だが、心理的な狭苦しさ、息苦しさはまた別問題だ。埃っぽく、僅かにカビの匂いするするこの空気すら愛おしい。指を襟に差し込み、汗を拭う。やはりどうも苦手だ。慣れるのかも知れんが。軽く伸びをして身体を解しつつ、どうしても硬ってしまっていた身体の動きを確かめた中尉は、それでも軽やかに地面に降り立った。

 その横に同じく軍曹、遅れて伍長がよろめきながら降りてきた。伍長に至ってはヘルメットを取った瞬間クシャミをしていた。締まらないが、それが俺達なのかも知れない。でもせめて外面くらいは整えたいなと思ってしまうのは軍人としての性か。

 

「一連托生。だな」

「日本語上手いなと思ったらやはり日本人か」

「あんた、若いね」

「ガキじゃねーか」

「すみません」

「謝る事は無い。戦士に年齢は関係無い」

 

 オメガのリーダーらしいメガネを先頭に、狭い通路を埋める様に、立ち込める沈黙を打ち破る様に話しながら歩く。先程の汗はどこへやら、吐く息が白い。顔が痛いくらいに冷たく、少し肺が痛い。気管を締め付け、刺す様な痛みに顔を顰める。メガネは曇った眼鏡を拭っている。軍曹はいつも通りの自然体で、伍長も鼻を啜っているが、リラックスしている様だ。

 どうも、鎧を脱ぎ捨て不安になってるのは自分だけらしい。思わず頬をかく。親しげに話しかけてきたオメガ達の顔を見渡しながら、表情筋をほぐす様に笑ってみたが、やや強張っているだろうなと思った。

 

「ふふん。私は一人前のレディーですから!」

「経験だけさ。必要なのは」

「よろしくね」

「手ぇ早いな」

「無駄ですよーふぃあんせがいるんですー」

「経験も年齢もあるのにこうだもんな」

「テメぇ」

「殴るなよ?身体弱いんだから」

 

 彼等の空気も軽い。演技じゃなければかなりリラックスしている様だ。手を擦りながら歩く彼らは銃から完全に手を離している。それだけ安全であるのと、自分達を受け入れてくれている事に内心ほっと息を吐く。賭けだったもんなぁ。WWIの友達連隊じゃあるまいし、全員日本人の特殊部隊なんて連邦軍内では聞いた事が無い。自衛隊は本土のジオンを駆逐しつつあるとは前聞いたが、積極的な海外活動はして無いと思ってたし。何者なんだろう。お互いに。

 そのまま歩くと、前にドアが見えた。灯が少し漏れている。そして、そこから声も聞こえてきた。男の声だ。複数人が喋っている。そして、押し殺した様な呻き声も。

 

「ぅあ核なんで!ぶっ……知るげ!!」

 

──声と言うより、悲鳴混じりの怒声だ。

 

 顔を顰める。その時、通信が入った。一声かけ、インカムで応答する。上等兵だ。なんだろう。トラブルか?

 

《こちらウィザード01。他の攻撃チームが捕虜を取ったそうですが、対処の方法を求めてきてます》

「こちらSST01。一応聞きますが、それは自分が対応する事ですか?自分は……」

 

 目の前の声から目を逸らし、答えながら首を傾げる。俺はそんなに偉く無いし、今回の作戦ではただの小隊長の1人に過ぎない。インカムの内側の汗を拭いながら、中尉は予想外の内容に思わず口ごもる。そんな彼を、オメガ達は興味深く伺っていた。口調変えるべきかな?

 小さな雑音。電気が空気を切り裂く音がする。目に見えないそれは、同じく目に見えない力を中尉にもたらした。

 

《ウィザード01からSST01へ。臨時で階級を引き上げられたのをお忘れですか?前線指揮官で1番高い指揮権を持つのは中尉、あなたです。勿論、これは高度な柔軟性を持たせる為でもあります。特に要望が無ければこちらで対処しますが、どうしますか?》

「了解です。あー……」

 

……あの件(・・・)か。すっかり頭から抜けていた。しかし、自分としては了承したつもりも無かったんだが。まぁいい。しかし、またこの問題か。どうしろと言うんだ。

 伍長がまたクシャミをした。その時、中尉はある話を思い出した。そしてそのままそれを口に出す。まだマシな案なはずだ。

 

「ウィザード01。服を全部脱がせて寒くないところに押し込んでおいてください。暖かいところの近くがいいです」

「SST01。溶鉱炉が、動いてる。その、近くでいい」

「聞こえましたか?だそうです」

 

 軍曹の援護射撃が助かった。意図を汲んでくれたか。本当にありがたい。自分の判断が正解に近い事を教えてくれる。補足もしてくれる。これ以上の存在はいない。

 ふと何かの臭いが鼻をつく。血と、汗。そして火薬の匂い。戦場の匂いだ。しばらく離れていたつもりだが、やはり逃れられ無いらしい。鼻柱に皺を寄せ、鼻を鳴らす。ふん。逃げはしないぞ。

 

《服は全部、ですか?》

「全部です。そしてそれはすぐ処分する様に言ってください」

《ウィザード01了解。伝えます。幸運を》

「こちらSST01交信終わり」

「どってです?」

 

 通信が切れると同時に、首を傾げた伍長が質問をする。中尉は一瞬戸惑ったが、一呼吸を置いて話し出した。

 

「そうすりゃ、一歩でも外に出たら凍傷と低体温症で何も出来なくなる。この気温だ。数歩も行かないうちに素肌は即凍りつくし、肺も凍って破裂して、血で溺れる。その血もすぐ凍る」

 

──あとは自然が始末してくれるさ。とまでは言わなかった。判っているだろう。口に出す程でも無い。ここは人が生きて行くには余りにも厳し過ぎる土地だ。身震いする。寒さからではない。もう慣れた。だが、人は弱い。宇宙は無慈悲だが、地球も決して全土が揺籠ではない。宇宙へ飛び出そうと人は変わらず人だ。人は結局極少ない生きられる所でしか生きられない。故に世界は広くても争いは避けられない。

 時に逃げは大切だが、逃げた先でも結局戦わねばならないのはいつも同じだ。フライパンから逃れても、その下は火が燃えているものなのだから。場所を変えても、変わらない事は変わらないのだ。世界は広いが、結局真理はどこも大体同じで、生きる限り、何かと関わり続ける限り、その点何処へ行っても変わらない。それは狭いのと同じだ。悲しいが。

 地球は広いが、何の支援も無しに砂漠に放り出されて生きていける人間は少ない。宇宙でも同じだ。そして、人は楽を求める。詰まる所、よりよく生きる為のリソースは限られているのだ。

 

「えぐいな」

「いや、まぁ……是非も無しです。実際余裕、ありませんから」

 

 苦笑を滲ませながら、中尉は困った様に眉を下げる。やってる事は先程のベレー帽と変わらない。いやむしろ酷いだろう。処刑させなかった理由も士気を落とさない為だ。それも誤魔化してるに過ぎない。気付かれなきゃいいけど。また、せめて終わってから気付いて欲しいな。それだけを小さく願う。地獄に居て、更なる地獄に気付く程キツいものは無い。

 情報も揃いつつある今自分達にとり、今ひん剥かれているだろう彼等は無価値だ。価値が無いものに対して、人はどこまでも非情になれる。

 扉を開けると、そこは鉄の匂いが充満していた。そしてそれは今も尚濃くなって行く一方で。

 

「この遊園地の景品ぬいぐるみ野郎、ナスターシャ・ロマネンコという女を知ってるだろ?」

「言葉に気をつけろポンチキ星人。食べ過ぎのヌガーチョコが脳味噌と入れ替わってるぜ……おめえら、ひょっとして大統領をも凌駕する謎の権力集団じゃねえだろうな。吐きやがれこのステッキの形したアメの合成着色料!」

 

 薄明かりの下、イスに縛り付けられ喚く半裸の男達、床に倒れ伏し血を流す死体、殴る男と、小さな窓から外を見ていた男。とても判りやすい。痩せた男の拳が振るわれ、また血が飛んだ。白い何かも。歯が折れたか。戦場にはつきもの(・・・・)だが、戦場とはまた違う凄惨な光景。戦時国際法と言う幻想によって、存在してはいけない、存在しないはずの光景。

 中尉はこの場所を『知らない』。避けて来たからだ。でも『知っていた』。戦場にいながら戦場とを隔てる鎧を脱いだ男は、弱いが、それでも目を背けなかった。

 窓の外を見ていた男が振り向く。恰幅の良いどっしりとした体型だ。しかし、その身の熟しは確かに兵士のものだ。灯りに照らされた強面の顔には、複雑に横切る様に深い傷痕が刻まれ、その凄みに更なる彩りを加えていた。その走る線を歪める様にして、男は軽く口を開いた。

 

「おっ、初めましてだな。篠原たくみ」

「しょーい!名前!名前!」

 

 名前を知られていたという驚きより先に、開きかけた口を噤む。緊張が身体を支配し、伍長が素っ頓狂な声で代弁してくれていた。薄々気づいてはいたが、いい様に使われていたのはこっちの方だったか。何もかもこの男の掌の上の出来事に思えてくる。動揺を隠し切れないが、務めて冷静に振る舞う。ラフな敬礼返し、指先の震えを誤魔化しつつ、中尉は辺りを見回した。さて、どうしよう。本当に……。

 そんな中尉の様子に鼻を鳴らし、男は殴らせるのを辞めさせた。捕虜を殴っていた男が手を拭きながらいそいそと部屋を出るのを眺め、懐から取り出した葉巻を切り、先端に火をつける。本当に発煙弾(日本人)だなと思う中尉を他所に、細く煙を立ち昇らせながら、軍曹に目を向け口を開く。本当にこっちをよく知ってるらしい。

 

「そして、まさか伝説の男にこんな所で会えるなんてな。"虎"」

「伝説の、男の──あなたに。そう、言ってもらえるとは、光栄だ。最新作、いつまでも、待つ」

「ふん」

「ピンチです!真名を知られたら危険って聞きました!」

「伍長煩いぞ。あなたが、バッドカルマですか?」

 

 場所を変えよう、とさらに隣の部屋に通されながら、中尉ようやく唾を飲み込み、口を開いた。頭にクエスチョンマークの飛び交う伍長は当てにならない。俺自身もだ。そもそも軍曹、虎なんて呼ばれてたのか。それさえ知らなかった。場違い感が半端ではない。

 通された部屋は簡素だが暖かく、古ぼけたソファが複数置いてあった。勧められて腰掛けつつ感じる。俺はこののんびりと紫煙を燻らせる男には勝てない。なら、せめて損は少なくしたい。

 オメガ達が廊下で装備の確認をしている。それを横目に、中尉は戦略を立て始める。軍曹が後ろに立ったのを感じた。頼もしい。向こうの方がこちらをよく知っている。泥縄以下の手遅れだろうと、無策よりマシだ。飾り気の無い部屋は、何のヒントもくれない。当たり前か。ここは彼らの仮住まいだ。

 そして伍長が何故か隣に座ってきた。意味が判らん。何でだよ。

 

「そうだ。世話をかけたな。だが、おかげでこっちも上手く事が運んだ。感謝する」

「こちらこそ。優秀な隊員をお持ちな様で。羨ましい」

「それはこっちのセリフさ」

「あ、握手!握手まだでしたね!」

「トラ?有名なのか?誰だ?」

「小松さん知らないんですかイテテ」

 

 気を取り直して、と思った矢先、廊下からの声に苦笑する。隣では伍長が凄い人だったんですね握手して下さいと身を乗り出している。もうめちゃくちゃだ。でも、それでいいかもしれない。

 だからこそ、彼等とは肩を並べた、それを労いたい、と口に出したのは打算的な考えは殆ど無かった。結局、戦場を共にしなければ判らない事もある。銃を向け合い、刃を交え合う、または轡を並べ、背中を預け合う。それをすればもう他人では無い。中尉はそんな古い考えの持ち主だった。しかし、そう間違いでは無いと思っている。信じている。まだ、地獄の戦場にも、僅かな、それこそ微かではあるが希望を持っている若さが彼にはあった。

 

 眼鏡を先頭にオメガ達が入ってくると、中腰だった伍長が立ち上がり、握手をしに駆け寄る。向こうも突然の流れに面食らっているが、中尉も腰を上げ、その中に加わる。軍曹は何やらバッドカルマと話しているが、任せようと思った。それがベストだ。

 あっという間に場は談笑で暖まり始める。不思議な事だ。それでも悪くない心地だった。束の間の休息を楽しみたい。勿論、耳元では状況が流れ続けているが。しかし、戦況がかなり落ち着きつつあるのも同様だった。

 しかし、この人数では少し狭い。薄くすえた汗の匂いがする。硝煙の匂いも。戦う者達の生きている匂い。血では無く、生々しい戦場を感じさせる。その忘れかけていた匂いに思わず身動ぎする。刀を提げて来なくて良かった。勿論ACGSには積んであるが。御守りとしては少しばかり嵩張る。持つのを辞めるつもりは無いが。なんだかんだ、刃物とは心の支え以上に役に立つものだ。

 

「旨いコーヒーどうです?ゴールドコーストブレンド」

「俺のは?」

「わぁありがとうござつぅっ!しかもにがぁっ!!」

「お客様用ですよ」

「いいよいいよ判ったよ」

「ならこちらが。軍曹?」

「了解」

 

 その匂いを塗り潰すように、ふわりとした香りが鼻腔をくすぐった。アサルトライフル持ちが差し出した湯気を立てるコーヒーを受け取り、躊躇いなく口をつける。熱々だ。少し嬉しくなる。息を吹き掛け冷ましながら、両手でカップを包み手を温める。

 熱い液体はそのままで危険な武器になる。敵対する相手との話し合いの場では、火傷しない温度で淹れてもらうのは一つの護身術でもあるが、それを無視して渡しているのだ。こちらへと渡す前にわざわざ見せつける様に呑んでもくれていた。不思議な人達だ。慣れているのかいないのか、わざとなのかそうじゃないのか。

 コップの縁についた化粧(・・)に気づき、顔に塗りたくっていたドーランを落としながら、中尉は軽く一息つく。おしゃべりの止まらない伍長が半端に落としたまま笑っており、それを軍曹が拭っていた。彼等も普段は塗っていると聞いてなる程と思う。本当に場数を踏んでいるらしい。

 

「そういやお前達は何で来たんだ?」

「"ロジャー・ヤング"級強襲揚陸艇です」

 

 手の中のコーヒーに目をやり、それを揺らしながらさりげなく答える。もちろん嘘だ。違法秘密工作(コバート・オペレーション)に近い行動中なのだ。線引きはしっかりしてる。それでも、やはり嘘は苦手だ。こんな事せずに、話をしたい。出来ない。悲しい職業だ。本当に。向こうの話も話半分に聞いてるが、それはお互い様だろう。自衛隊が海外派遣し積極交戦しているなんて話は全く聞かない。本当に、寂しい事だ。

 少なくとも、今は味方なのに。味方ってなんだろう。俺達はお互い、何の為に戦っているんだろう。

 

「俺達はヘリさ」

「この悪天候の中をよく飛ばしましたね」

「まだそこまで吹雪いては無かった。帰り(E&E)も同じさ」

「こいつが吐いた以外は問題ナシさ」

「いつもの事だし、まぁ平常通りさ」

「タフなんですね!お揃いです!あちっ!」

 

 一瞬沈黙が降りる。天使が通ると言うらしいが、その合間を埋めたのは閉じた扉から忍び込んだ呻き声だった。思わず扉に目をやる。肩を竦め、上を向きながら中尉は口を開く。

 

「……インタビューが上手くいって無いみたいですね」

「痛みは寒さと同じだ。麻痺して慣れるからな」

「水と袋は凍ってダメだったってさ」

「寒くてくしゃみ止まらんですもんねぇ」

「伍長だけだよ」

「ひどい!」

「外と比べればまだマシだが、ここも氷点下だもんな」

「導火線と信管もっともってこい!」

 

 マジか。

 

「軍曹?何やってる?」

 

 衝撃のセリフから目を背ける様に、ふと目をやると軍曹が何らかの液体をナイフに垂らしていた。色のついた瓶からトロリとした液体が刃を伝いながら凍りつき、霜となる。そして、瓶の底には透明に近い液体が溜まっていた。

 

「ヘアトニックが、あった」

「あー、アルコール作るのか?」

「時間は?大丈夫なのか?」

 

 フィクションではしばし見かけるが、この世に都合の良い『自白剤』なんてものは無い。暗示促進剤等はあるがそれだって使い所が限られてくる。勿論判断力を鈍らせたり、意識を朦朧とさせるものはある。アルコールもその一つだ。しかし、その時供述した内容が正しい保証は全くない。まぁ意識がしっかりしてようとより正確な情報を得る為には供述内容の裏を取るしかないが。話を聞く相手を2人組にして、意思疎通を図れない距離に離し尋問し、内容を確認しつつ違う事を言ったら痛めつける、なんて方法もあるが……。

 軍曹は手っ取り早くアルコールで酔わせて口を軽くさせるつもりらしい。勿論この方法も万能では無い。支離滅裂な言動をする可能性も高く、あくまで一つの方法に過ぎない。まぁ、この短時間でも拷問のノウハウやら道具に欠けているのは判っている。無いよりはマシなのだろう。

 

「コツが、ある。脳に、直接。打てば、いい」

「太い血管じゃなくてか……」

「成る程……」

「ナカムラぁ!このボケ!代われ!」

「チクショウ……」

 

 瓶を片手に立ち上がった軍曹の、その背中を見送るしか無い中尉は目を伏せた。任せるしか無い。汚れ仕事(ウェットワーク)は精神衛生上よろしく無いが、軍曹から動いた以上止める理由も無いのもまた事実だ。他にも何かあり物を物色し、それを持って出て行ったのを見送った十数分後、軍曹はバッドカルマと一緒に話しながら戻って来た。

 中尉が口を開こうとするのを制し、ベレー帽が聞いた。彼らも今回はまともなブリーフィングを受けてない様で、色々疑問があったらしいがそれは本当らしい。どこも相当切羽詰まってたのか。本当にイレギュラーばかりだ。目が回る。

 

「結局どういう事なんだ?説明してくれ」

「しただろ?」

「ピンと来ない。あいつらは誰だ?こいつらは誰だ?なんで撃ち合ってる?なんで撃たれてる?」

「ついでに教えて貰えるなら、その説明下手の欠点に気づくのはいつだ?」

「判った。判ったから聞け。簡単に言うと、ここでジオンの特殊部隊が3つ巴、そこに俺達が飛び入り参加したってワケらしい」

 

 大袈裟に身体を動かしながら喋り出したバッドカルマが肩を竦めた。イレギュラーには辟易しているとでも言わんばかりだ。そしてあんたらもな、と目線を投げかけられる。頬をかきながら頷くしかしなかった。なんて戦場だ。人類の縮図の様だ。ヨーロッパの火薬庫(バルカン)より酷い坩堝である。

 

「2つが核を狙って同士討ち、1つは元からここで偽札を作ろうとしていたんだな。ここは時期によっては氷河に閉ざされる。その為長期間自活出来る様に様々な独立した設備がある。当たり前だが人目にもつき辛い。前線からも遠いしな。しかもその設備は、僅かながら生きている所もあった。好都合だったのだろう」

「戦車まで多数持ち込むとはよっぽど気合が入った連中だったらしいな」

「結局は俺達は何しに来たんだよ」

「かまわん。爆破する事に意味がある。計画通り撤収準備を進めろ」

「敵の敵はなんとやらか?」

「敵の敵は味方だが、敵の味方は敵だよ」

「わたしたちは仲間ですよね?」

「そう思ってくれたらこっちも幸いだ。ここまでやってやっぱりズドンはキツイ」

「撃ち辛いもんな」

「全くだ」

 

 お互いに顔を見合わせ、溜息をつく。タイミングが揃ってしまい、小さな笑いが起きる。もう他人ではいられない。引き金を引けと言われれば引けるだろう。だが確実に躊躇いは生じる。結局の所そんなものだ。流れではあるが生死を共にした。勿論それが全てではない。だがそれは小さな事でも無い。

 この世に絶対的な敵はいない。相対敵だけだ。国境線、思想や宗教、肌の色の違い、利益……そんな、本人以外からしたらくだらない物が敵味方を決める。それは誰とでも仲間になれる可能性と、敵対する可能性を秘めていると言う事だ。そして、それは往々にして個人が決める事では無い。勿論、個人で決めてもいいが。

 いや、本当は個人で決めるべきなんだろうな。それくらい単純な方がいい。上からの指示で敵を見つけて憎めと言われても、それはそれでピン来ない。

 

 宇宙人(・・・)。声も無く呟いてみる。それでもいい響きではない。口が砂を噛んでいるかの様にざらつく。無味無臭は、苦みだ。口をつぐむ。中尉はまだ、この感覚の処理の仕方を知らなかった。

 

 中尉は今まで、明確に敵を定めた事が無かった。生まれてこの方、深い人間関係を避け、同時にそれに伴う争い事を避けて来た。それら全てを一括りに、面倒事としてその全てをのらりくらりと躱して来たのだ。誰に対しても分け隔てなく丁寧に対応するが、それ以上は踏み込まない、踏み込ませない。退がるのだ。差別される事も区別される事も無く、同様にする事もなく。ある種の八方美人と言えばある意味聞こえはいいかもしれないが、そんなものでは無かった。

──結局の所、他人に対してあまり興味が湧かなかったのだ。そんな事より体を動かしたり、本を読んだり、機械をいじったり、空を見上げる方が好きだった。学校は通ったし、友達も作って一緒に遊んだ。でもそれだけだ。近くにいて、気が合ったから、同じ話題があったから、好きな事が一緒だったから付き合っていただけで、誘われればついていくが、自分から誘う事は無かった。環境が孤立を許さなかっただけで、彼は独りだった。何よりそれを望んでいた。他者を気遣う心はあったが、それは何より自分の為で、我を何よりも優先し、自己完結していたのだ。ただ、それを取り繕う分別があったのが、救いでもあり欠点だった。安定を求める彼にとり、波がある人間関係より確実に楽しみをくれる自分と娯楽の方が相手しやすかったのだ。他人に対し何を求めるでも無く、ただただ自分の平穏を祈っていた。恙無く生き、骨を埋める。それだけを考えていたのだ。

 そんな彼を嫌う人間も勿論いた。やっかむ者やひがむ者も。しかしそれを面と向かって言ったり、攻撃を仕掛けていく者はいなかった。周囲がそれを許さなかったのだ。だから彼らは表立っては動かず、中尉を居ないものとして扱い、中尉もそれを甘んじて受け、不干渉を貫いた。自分のスペースに干渉されない限り、中尉は自分から動く事をしなかった。軍に入ってからも、それは変わらなかった。害の無い変わり者として受け入れられたのである。一歩間違えば社会生活不適合者ではあったが、最低限周りと合わせる事が出来たのが幸いだったのだろう。あらゆる事をのらりくらりと躱し、自分のペースで身体を動かし、本を読み、飛行機に乗る。それが幸せだったのだ。

 

 中尉にとり、敵は居なかった。世界は自分と、その他でしか居なかったのである。

 

 それが変わったのは戦争が始まってからだった。明確な敵意と強い殺意を持って攻撃を仕掛けてくる者が出来た。殺さなければ殺される、殺さなければ自分の世界が壊される。自分の世界を守る為に自衛をしなければならない。その為には降り掛かる火の粉を払う必要がある。自分の道を歩く為に、排除しなければならない物が現れたのだった。

 だがしかし、それでも、いや、それだけだった。中尉にはその段階に至り漸く仲間が出来た。味方が出来た。それを自分の一部と意識し、守る事を考える様にはなった。彼の世界は広がりを見せ、大きな変革を迎えた。これは中尉な意識こそしていなかったが、普通ならありえない、人格が変わるレベルでの大きな意識の変化だった。ほぼ()()()()()()()のだ。しかし、それでも、結局、敵を敵として認識し、敵意を向け、憎み、殺したいとは思えなかった。

 

 詰まるところ、仕方なく、でしかなかったのである。軒下に蜂が巣を作ったから、蜂には話が通じないから、それでもお互いに不干渉では居られず、攻撃される可能性もあるから、だから排除する……中尉にとり、結局戦争はその延長でしかなかったのである。

 対話が難しいから、不可能であるから、それでいて向こうがこちらを敵として攻撃してくるから。自分が死ぬより、赤の他人の死を望む。軍に入る時も、死ぬ覚悟や理不尽を受ける覚悟はしても、戦争を意識しなかった中尉にとり、根底は何も変わらなかったのだ。

 

 敵や他者を意識せず、未来や過去をほぼ考えず、刹那的に生きてきた中尉にとり結局のところ重要なのは少し先の未来、例を挙げるなら今日の晩飯くらいのメニューの様な小さな幸せなのだ。そして、それは戦場に出る前からそうだった。いつ死ぬか分からないから、時に大胆かつ虚無的に、重ねるように日々を生きる。そんな前線の兵士の様な生活を、無意識的にずっと送って来たのだ。

 中尉は、どこにでも居る自分の社会不適格性を自覚し、それを抱えながら生きる、不器用な人間だった。それを頭のどこかで理解し、諦め、生きてきた。そしてこれからもそうなのだろう。それが中尉と言う人間なのだった。

 

 意識していなかった自分の知らない感覚に、首を傾げノーマルスーツのグローブに覆われた手を見る中尉の隣で、ベレー帽が椅子を蹴って立ち上がり、SMGを提げた肩を回す。目を瞑り、もう一度深く息を吐いた中尉もその重い腰を上げた。よく判らないが、判る事はある。ここは戦場だ。そんな事が戦略、戦術的に影響を及ぼす事はない。ならよく判らないなら判らないなりにそのままでいい。どうせ考える時間は後でいくらでもあるだろう。それに、どんな時間も終わりは来る。休憩時間は終わり、またタイムカードを押す時が来た。それだけだ。それだけだった。

 よくある話だ。死んでから休めばいい、死んでから後悔すればいい、死んでから……この問題もなんとかすればいい。全てはいずれ終わり、それは人の命も同じで、死は平等だが、今日ではない。

 

「世界を救ったんだ、俺達」

 

 ぞろぞろと部屋を出て行く人を見送り、最後に扉を潜りながら、ベレー帽が小さく言葉を漏らす。ふわりと漂う白い息と、その背中から目線を外しながら、中尉も独り言の様に呟いた。

 

「──らしい、ですよ。自分は少なくとも、そう言われて来ました。皮肉ですが」

 

 本当に皮肉な事だ。脳裏にコーウェン准将の顔が浮かび上がる。諦めの浮かぶ疲れた顔と、それでも虚勢を張る様な声は、今中尉を動かしている。今准将は何をしているのだろうか。真っ暗な"ジャブロー"の空を見上げているのかもしれない。俺と同じだ。同じ。立っている場所が少しズレているだけだ。

 

「俺達の名前なんか、この戦争の歴史には残らないよ。だが今ここにいて、未来に希望を繋げられるのは俺達しかいないのもまた事実だ」

「行きますか。歴史を作りに。誰1人欠ける事なく、です。昔話は生き残ってすりゃいいんですから」

「……立派な、ごた」

「?」

「でも…覚えで、おげよ……。フェディ……」

 

 くぐもった声に振り向くと、死体が喋っていた。いや、違う。死体は喋らない。複数の死体が無造作に放られた血溜まりの中、1人の死に体の男がこちらを見上げていた。半分抜きかかっていた腰の銃から手を離す。手足を針金で縛られ、うつ伏せに転がされていた男はジオンの制服を着ていたが、階級も顔も判らない。顔は赤黒く、醜く膨れ上がり、あちこちが切れていた。服は隙間無く血染めで、血が乾いた上からまた血が垂れたのだろう、色濃い赤黒でまだらに染まり元の色すら判別するのが困難なくらいだ。それでも、腫れた肉の奥、人の悪意に鈍感な中尉にも判る程強い憎悪の篭った瞳は、血で真っ赤だ。まともに見えているかすら怪しいが、中尉はその焦点を探る様に見下ろした。

 念の為距離を置きながら観察する。酷い怪我だ。手はあらかた爪が無く、指があらぬ方向へ向いていた。血で汚れて居ても判る肌の色はとても生きた人間の物とは思えない。歯もほとんど残ってなさそうだった。殺すのではなく、痛めつける暴力の限りを尽くされた彼は殆ど死の淵へ踏み込んでいた。しかし、生きて喋っている。酷い光景だった。

 

「……」

「……あんだが、おぼっでるぼどこの……ゲホっ!世界は、まともじゃ……ねぇ。普通、に……生ぎでい……」

「なんだ?迷惑なんだよ」

 

 ヒューヒューと空気が漏れる音と、ゴボゴボと言う溺れている様な音と共に言葉は続く。死期呼吸の様だ。加えて、肺に穴が開いているらしい。この男はどこから声を出しているのだろう。顔色が更にどす黒く変色していく。チアノーゼ。酸素を取り入れられて無いのだ。しかし、何がそこまで彼を生かし、声を出させるのだろう。落ち窪んだその目に涙が滲んでいるのに中尉は気付かなかった。

 顔を顰め、拳銃を抜こうとしたベレー帽を制し、中尉は男の言葉を待った。なんの事は無い。ただの気紛れだった。彼の発言に戦略的、戦術的な意味や価値は無い。だが、死に行く者の、最期の呪詛を聞いてみようと思ったのだ。

 

「……のなら、知らっでい……、ゴボ……事なん、て……」

「んなもんそこらのガキだって知ってるさ。こんな世界ロクでもない事くらい。でもここで生きてるんだ。仕方ないだろうよ」

「……」

「──死は逃げないぜ」

 

 中尉へ向けた怪訝な顔をそのままに、ベレー帽はそう吐き捨て、背を向け部屋を出ていった。その背中を見守り、中尉はマテバを抜く。血を垂らす口を開け、喘ぐ様に音を立て浅く呼吸をする男を見下ろし、真っ直ぐに銃を指向する。いつも通りにトリガーに指をかけ……辞めた。

 

 銃を収めた中尉はそのまま踵を返し、部屋を出る。呻き声がまた聞こえた気がしたが、もう中尉には関係無い事だった。壁にこびりついた血の滲みが、彼の痛みや苦しみを代弁している様な苦悶や怨嗟の顔に見える。判っている。シミュラクラ現象。ただのパレイドリアだ。それ以上でもそれ以下でも無い。前を向いて歩を進める。踏み出す一歩が、意識を移り変えていく。

 中尉には慈悲の一撃を与える事も出来た。しかし、しなかった。肌の色から、外傷による出血と内臓破裂による内出血による失血、そして低体温症によるショック症状で、例え今から集中治療室に搬送しても命が助からない事が判ったのが1つ。生身の人を目の前で殺す事に嫌悪感が無い訳では無いが、そうでは無く。少しでも苦しみ抜いた上に死ねばいい、と思った訳でも無かった。

 

「……たとえこの世が地獄であろうと、人は生きていく。抗っていく。慣れていく。そして、前に進む。振り返らずに……決意も、祈りも、嘘も、全て、その為にある……か……」

 

──ただ、自分の銃声が、無用な混乱を引き起こす可能性を避けただけだった。

 

「敵を憎むなよ?」

「……なんでです?」

 

 頭の中に巡る色々を反芻しながら、中尉は歩く。通路を出た先で、ベレー帽が壁に寄りかかり待っていた。俯き、腕を組んだ彼に声をかけられ顔を上げた中尉は、その言葉に立ち止まる。

 

「憎いよ。こんな寒くて歩き辛い所ばかり……」

「それ以外の所は大体ゴルフ場か駐車場になってるって言いますよ」

「言えてるな」

 

 ベレー帽が再び口を開こうとした矢先、一足先に撤収準備を始めていた他のメンバーが口々に口を挟む。気分を害されたのか口をつぐんだ彼は、顔を顰めてそっぽを向いてしまった。しかし中尉は、彼の言葉を辛抱強く待つ事にした。出会ったのはほんの数時間前だが、それでもこの男の事を信頼していたし、言動は粗野でぶっきらぼうでも、言葉の端々に漏れる本音は、その本質が仲間を大切にする男だと匂わせていた。

 無意識の内に腰のホルスターを撫でる。最後に撃ったのはいつだ?それは的にか?それとも生きた人間にか?俺は、今、コレを人に向けて、本当に引き金が引けるのか?他でも無い、自分の為に。

 

「夏の海で泳げると思ったのに、こんなとこばっかだ」

「この前は隣を銃弾が一緒に泳いでたぞ」

「その時小松さん居ませんでしたね」

 

 そのまま話を続けるオメガ達を他所に、組んだ腕を解いたベレー帽は、壁から身を離し中尉の前に立つ。サブマシンガンを持ち直し、真っ直ぐに目を見つめ、そして、噛み締める様に、振り絞る様に、だが少し早口で話し出した。

 

「──判断が鈍る。あんたは優し過ぎるし考え過ぎる。生き抜きたいのなら殺してから考えろ。そして考え過ぎるな。任務の遂行でなく、仲間を守る事でなく、敵を殺す事に意識が傾いて行くぞ」

「……心に留めておきます」

 

 予想外の言葉を噛み砕き、神妙な顔をして聞いていた中尉が頷くと、一瞥をくれたベレー帽はそのまま歩いて行ってしまった。1人残された中尉は、その意味を考えながら後ろを振り向く。電気が落とされ、扉が閉じられた先は闇しか見えない。いつしか鼻を突く鉄の匂いも消えていた。嗅覚疲労か、それとも。

……彼は勘違いをしている。俺はそんな出来た人間じゃない。でも、正しい考え方ではあると思った。彼の忠言に感謝する。もう自分は稀代の殺し屋に近づきつつある。既に数え切れない程殺して来た。

 

──そして、殺されて来た。戦友を、仲間を、部下を、守るべき市民を。殺した人の顔は覚えてはいない。そもそも面と向かって、顔の見える距離で殺し合った事が殆どなかった事に気づく。そして、その少ない中でも敵の顔を覚えていない自分を自覚した。そして、ふと、死んでいった戦友の顔が次第にぼやけ始めているのに気づく。薄情な人間だ。しかし、それはある種正常な反応なのだ。人は弱い。弱いから過去をそのまま背負える様には出来てない。だからどんな悲しみもゆっくりと、だが確かに、寝て、忘れて、歪めて、薄めて、そうやって生きていくのだ。追憶に寄り添ってばかりでは未来が見えなくなる。考え過ぎてはいけない。特にこんな所では。いつか、銃を捨てる時、人生を捨てる時にこそまた思い出せばいいのだから。

 そのまま歩き、視界の先で姿を表した自分のACGSに歩み寄り、半分溶け、こびりついていた雪を払って腰掛ける。硬く冷たい感触を感じながら溜息をつき、頰をかく中尉の目の前をオメガ達が忙しなく動き回り、撤収の準備をしていた。今手伝える事は無い。邪魔になるだけだ。そしてその時、後ろの暗がりに積まれた紙の山と、自分が沢山の紙片を踏んでいる事に気づいた。何気無く手にとってみる。粗雑に扱われていた割に、かなりしっかりと印刷がしてある紙だ。薄暗がりの中、目を凝らしよく見るとそれは汚れた紙幣だった。見慣れた顔がこちらを見ている。それは、雷の日に凧揚げをしたアグレッシブな人。かつて、神の正体を見破った男。

 

「──旧アメリカドル?そういやさっき偽札って……」

「これだ」

 

 いつの間にか隣に居たバッドカルマが、中尉に懐から出した金属片を差し出した。驚いた中尉はヒラヒラと振っていたその紙幣を投げ、おっかなびっくりそれを受け取り、しげしげと眺める。

 手渡された金属片の見た目以上のズシリとした少し重さに驚く。手の中で弄ぶ様こねくり回し、僅かな光の反射で凹凸が不思議な輝きを放つ、ザラザラした表面に目を凝らす。薄暗い中でも判った。金属片は細やかな紋様が鏡反転で刻まれており、それが件の偽札を刷る為の原盤である事は間違いなかった。

 

「"スーパーK"、か」

 

 軍曹が、拾い上げ紙幣を見てそう漏らした。その言葉に疑問符を浮かべていると、バッドカルマが愉快そうな顔で口を開いた。

 

「流石だな。コーヒーの趣味も腕も最高だ。戦闘技術も眉唾な噂以上と来た。ウチに来ないか?」

「魅力的では、ある。だが、すまない」

「判ってる。言ってみただけだ」

 

 目の前でかけがえのない戦友であり頼れる部下である軍曹がスカウトされ、苦笑を浮かべ頬をかく中尉。それを軽く流し、どこ吹く風で眼前の軍曹が足元に散らばる紙幣から数枚をスッと床から拾い、解説をしてくれた。"スーパーX"、"スーパーZ"に"スーパーノート"……違いが判らない。全て同じ本物に見える。透かし、偽造防止糸、角度によって変化する色彩……それらを再現しているかいないかでまた変わるらしいが……。

──驚いた。まるで偽札の見本市だ。周りを見渡すと、ドル以外の紙幣も沢山あった。一部はまだ現役で使われているものもある。

 ふと思い出す。"アメリカ独立戦争"時の"大陸紙幣"。ナポレオンの"オーストリア紙幣"。"日中戦争"時の"杉工作"。"第三帝国"の"ベルンハルト作戦"。そしてかの有名な"ゴート札"……戦争時に敵国の偽札をばら撒き、経済を混乱させる手段と言うのは、成功すれば非常に有効だ。戦争は国の経済力そのもののぶつかり合い、国力の削り合いだ。偽札はその根幹を揺るがしかねないパワーがある。

──『(カネ)』と言うものは、普段使っている時は気付きづらいが信頼の上で成り立っている。物々交換の代わりの、同じ価値観を共有した間での価値のあるものとして認識されなければ、それこそケツを拭く紙にすらなりゃしないのである。凹凸印刷の関係上ケツが擦りむけるし。それは置いといて、大切なのは発行する政府への信頼、紙幣自体の信頼であり、それを打ち崩すのが偽札と言う存在なのだ。だからこそ偽札は危険で、政府は持てる技術の粋を尽くし執念とも呼べる偽造対策をするのだ。

 悪貨は良貨を駆逐する。だがコレは自分達にとっての悪貨ですらない。奇貨だ。へそくり(ブラックバジェット)にするにも物騒過ぎる。奇貨は置くべし、だな。

 

「わぁーっ!すっごい!!手が切れそうなくらい新品ですね!!あ!すごい!ハイトもある!そっくりです!」

「まぁ、金で解決できる事なら金で解決するのが一番だしな」

「出来ねぇから戦争になるし、俺達が必要になってるんだけどな」

 

 いつの間にコクピットにいたはずの伍長や撤収作業をしていたはずのオメガの面々が集まっていた。それぞれがその偽札を手に取り、光にかざしたりしている。やっぱ日本人だなぁ。お金、あったらつい光にかざしがちだよね。天井のぼんやりした簡易照明じゃ光量不足かも知れんが。てぎれきん!とか騒いでる伍長は山になった偽札に飛び込み、泳いだり抱えて投げたり、扇子の様に広げて煽ったりとめちゃくちゃしている。ふと思ったが伍長の金銭感覚とかってどうなんだろう?家はなんかそこそこのお金持ちだとか昔ほんのり聞いた気がするけど。軍曹もおやっさんもそうだけど、俺の周りはなんか金回りのいい人が多い気がする。俺も一応小さくはあるがしっかりとした会社の社長の息子の1人ではあるけど、別に金持ちでは無いし。親の年収とか聞いた事無いな。なんなら自分の年収もよく判らん。給与明細なんてあんま目通さんし。その日生きていけるなら、週末に少し贅沢出来るならそれでいいし。

 帰ったら遺書と一緒にそこら辺も再確認しとくか、そんな事をぼんやりと考える。そう。目的はもう殆ど果たしている。後は帰るだけ、部下を生かして連れて帰る事だけだ。

 

「金づく?」

「火薬で撃ち出す金属片でもいいか?」

「記念!一枚記念に持って帰っていいですか!?」

「やめとけ。間違えて使いかねん。と言うか持ってるだけでダメだろ」

「結局力づくじゃねーか」

「証拠品は抑えた。それ以外は無しだオメガ7」

「チェッ」

 

 後ろでコソコソしていたベレー帽がそう窘められ、ポケットに入れようとした札束を捨て舌打ちする。その動作に中尉はちょっと笑ってしまった。戦闘時とのギャップが凄いなこの人。実は案外だらしない人なのかも知れない。ちょっと親近感。

 それにしてもお金はまぁ、大体いくらあっても困らないもんね。人の欲は無限だし、富は有限だし。でもそれは持ってると困る疫病神だ。ババみたいなもの。辞めた方がやはり身の為だと思う。

 

「それにしても、軍票(MPC)でも撒けばいいものを……欲の皮が張った野郎ってのはどこにでもいるんだな」

「よくやるよ。全く」

「人よりも金か。さすがに賢い奴と言うのはやる事が違うな。それなら、俺はバカでいい。十分だ」

「俺は金が欲しいよ」

「最近手当安いよな」

「チャーターにも金がかかる」

「そういえば小松さんこの前貸した3万円早く返してくださいよ」

 

 周囲から押し殺す様な笑いが起こる。中尉も釣られて笑う。その笑い声がだんだん大きくなり、気がつけば全員が大爆笑していた。ベレー帽がアサルトライフル持ちを小突く。伍長が両手で抱えた札束を振り撒いた。笑い声がさらに大きくなる。中尉は頬をかいた。寒いが、暖かい。もっと暖かくなるといい。もっと。

 ヒラヒラと偽札が舞い、笑い声がこだまする中軍曹が中尉を引き倒しACGSの裏に引き込んだ。中尉が状況を理解する前に、周りがその動きに気付く前に、事態は蹴飛ばされた様に転がり出す。

 

 それは、まさにゴングだった。問題は、レフェリーが鳴らした物でないと言う事と、予告も無く、双方の臨戦態勢が整ってないという事だけだった。

 

 轟音が響き渡り、その瞬間奥の壁が派手に崩れた。降って沸いた悲鳴と怒号を掻き消す様に爆音が空間を埋め尽くし、それを噛み砕く様に銃声が鳴り響いた。爆炎と煙に紛れまろび出て来たのは白い服を着た男達だ。軍曹が両手に銃を抜き、立ち上がろうとした男の頭を次々と吹き飛ばす。しかし、いくらなんでも数が多い。至る所から多数のマズルフラッシュが瞬き、目の前で火花が散る。あまりの事にもんどりうって倒れた中尉の目の前に伍長が投げ飛ばされて来た。中尉と共に偽札の山に突っ込んだ伍長はそれを今日一番撒き散らし、それらは風で巻く様に吹き散らされていく。それはまるで、竜が空に上がる様で。白い雪に混じり、白い竜が登る。それはあまりにも非現実過ぎて、中尉の目には本物に見えていた。

 時間にして一瞬も無かっただろう。中尉が理解をしようと試みる前に大きな爆発がまたも発生した。伍長を抱きかかえたまま、中尉は派手に吹き飛ばされ、転がる。爆弾の爆発なら死んでいただろうが、破片は無く、中尉の鼓膜も無事だった。施設の一部が誘爆したのかも知れない。しかし、判らない。生きているのか死んでいるのか。

 

 それでも、朦朧とする意識の中、身体中を駆け巡る痛みに耐え、そして、腕の中の彼女だけは手放さなかった。

 

 

 

『痛いよな。その痛みが生の証だ』

 

 

 

光を反射させる雪に、音は染み込む………………




コロナ、全然収束しませんね……。自分自身は罹患してませんが、周りがバタバタと倒れています。皆さまもお気をつけください。勿論、罹患だけでなく、精神の健康も大切です。その慰みの手助けになれば幸いです。

世界は世界で感染者は相変わらず増え、ロシアとウクライナはきな臭くなり、EUも足並み揃わないし、日本も問題多いし欲しいもの高いし色々ありますしね。何事もなく終わればいいのですが。本当に。最近のドローンの映像が凄いので、創作の足しになるかとたまに見ますが戦闘のはどうも見るのがしんどくて苦手です。戦争と言うか、争いが本質的に苦手なんだなと思います。だから競技とかも熱いエピソード聞くの好きなんですけどキツかったりと中々難儀です。優しい話が欲しいですね。と思ったら本邦の戦闘機は行方不明になりましたし……パイロット、機体共に無事ならいいのですが。

ガンダムはどんどん新作が発表されてますね。いいことです。新作アニメも楽しみです。これは明るいニュースですね。私自身もUCエンゲージは水が合いませんでしたが、バトオペ2で日々支援機を乗り回しております。マニューバアーマー滅びないかな、バトオペ無印のザクキャノンラビットタイプ無双が懐かしい、なんて戯言を吐きながら切り刻まれております。ここらへんの新しい設定はこの二次創作にはブチ込めないなとか思いながら光学迷彩を引っ提げてきた新機体を眺めたりしてます。やはり一年戦争短過ぎる。技術の進化と派生機体多過ぎる……いざ書くとなると死ぬほど長いのですがね!!一年戦争以降も書く予定でしたが、かなり厳しいなとか思い始めてます。始めた手前、なんとか一年戦争は終わらせる予定ですけど……。陸ガンとは言え、出すの早過ぎたなマジで。本当はもっと遅く出す予定でしたが間が持ちませんでした。腕が足りませんね。精進したいものです。修行じゃありませんが、某所で二次創作をぶらりと書いたりもしました。こっちかけや!と思われるかも知れませんが……息抜きにいいかなと。優しい話とか、書きたいですね……。

そんなこんなで本当に大変ですが、生き延びていきましょう。耐えて息抜け、です。


次回 第七十五章

燃ゆる雪原

「弾に当たらんよう、ボミオスの呪文でも唱えとけ!」


ブレイヴ01、エンゲージ!!

▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。