機動戦士ガンダム U.C. HARD GRAPH 名も無き新米士官の軌跡   作:きゅっぱち

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最近忙しく、疲れる事が多いです。

でも、それを充実してる、と言い換えて頑張ってます。

皆さんもお体に気をつけて。


第七十章 餞

あらゆる時代、あらゆる世界で、人は死と向き合って来た。

 

生まれ、子を産み、育て、老い、死ぬ。

 

生物として逃れられぬ業。

 

それに意味を持たせるのは、生者の驕りか。

 

それとも、死者への餞か。

 

 

──U.C. 0079 9.26──





 

 

「つまり、要約すると……」


 

 中尉はメモを片手に、片眉を上げ目の前の椅子に縮こまる様にして座っている男に目をやった。メモには意味をなさない曲線が踊っているのみで、文字は1つもない。暗号などではなく、ただの価値のないゴミだ。しかし、それは立場の違う2人、中尉にとっても彼にとってもそれぞれ違う価値が、意味が出てくるものだった。

 目の前の男の手には手錠がはまっており、その顰められた顔は哀れな程に青ざめ、小刻みに震えていた。それを無感動に見下ろす中尉の目には、何の感情も感じられなかった。硝子の様な眼、標的を見定めるセンサーの様な、観察する無感動な眼だ。

 中尉の視線に気付いたのか、男はまた身震いをし、下を向いて何かをつぶやく。とても聞き取れない。だが、聞き取る必要も無かった。この男は、おそらく、いや確実に、本当に何も知らないのだ。

 

 中尉は椅子の上で足を組み直し、バレない様に小さく溜息をついた。こんな調子だ。進み始めた事態に、状況は混迷を極めるばかり。全く酷い事だった。やるべき事がわかってしまっている事が何よりタチが悪い。周りを見回しながら頰をかく。もちろん事態が進展する事は無い。最低限のものすらない殺風景な部屋は、中尉に何の助言もしてはくれなかった。

 椅子を回し、ちらりと部屋の片隅に立つ兵士とアイコンタクトを取る。まるでマネキンか何かの様に無感情、無表情(スカルフェイス)で、自動小銃を構え微動だにしなかった兵士が小さくうなづく。中尉は机の上に手をやって、ゆっくりと立ち上がった。腰の刀が小さく音を立て、男はまた震えだした。

 中尉はそのままゆっくりと歩み寄り、男の肩に手をやった。びくり、と跳ねる感触に少し驚きながらも、中尉は慎重に言葉を選びながら言った。


 

「ご協力いただき感謝する。疲れただろう。食事を出そう。あぁ安心してくれ、南極条約は知っているから。部屋でゆっくりしたまえよ。何かあったら呼んでくれ。出来る限りの対応はしよう。それでは」

 

 普段中尉を見慣れた人からすれば、かなり芝居掛かった振る舞いに見えるだろう。でも彼には関係無い。彼にとっては、中尉は何をするか判らない、若過ぎる敵の士官、それだけだ。中尉の仮面の下を知らない。知るはずも無い。情報の有無とは、それだけで自分の立場を左右し得るものなのだ。それこそ中尉の手元のメモの様に。

 中尉はニッコリと笑いかけた。男は恐怖に落ち窪んだ濁った目で中尉を見上げていたが、その中に、小さな光が宿るのを、中尉は見逃さなかった。


 

「よろしく頼む」

「了解」

 

 中尉が背を向けると、男もゆっくりと立ち上がった。肩をすぼめる様にして、頭を垂れ、とぼとぼと歩く男を兵士に引き渡すと、中尉は何も無い壁を見、小さくうなづくと親指を立てた。

 一見、何も無い様に思える壁の奥には、副長に軍曹、上等兵、おやっさんがいる。こちらからは何も見えないが、向こうからは全てを把握出来ているはずだ。記録する必要も無いのはコレが理由だ。複雑な心理分析や嘘発見等を全て外に投げる事が出来る。中尉はただ向かい合えばいいだけなのだ。あとはちょっと演じる位か。それも本質的には必要無いと言える。この部屋に置いては、中尉の存在は、存在する事だけが存在理由(レゾンデートル)となるのだ。

 

 無機質な壁。それはフェイクだ。MSのメインカメラを覆うエレクトロミック材を応用した、特殊硬化テクタイト製の防壁は、一見するとただの壁だ。いや壁そのものと言える。タダの壁と違うのは、電圧をかける事で強度はそのまま、マジックミラーの様に向こうを見たり、見えなくしたり出来るのだ。強化ガラスなどと比べて軽く丈夫な為、コロニーの"川底"にも性質こそ違えど近い材質の物が使われている。まさに未来の技術だ。一見華奢に見える、数センチにも満たない透明なこの板は、音速を遥かに超えたスペースデブリや60mm機関砲弾をもストップする力がある。生身の人間が出来る事など何も無いだろう。精々、壁に爪を立て、恐らく万人にとって不快だろう音を奏でる位か。それでも壁に傷はつかないが。

 

「休憩にしましょうか」

 

 壁に向かってそれだけ言うと、中尉は重たい扉を押し開け、やや軽快な足取りでそこを後にした。扉が重たいのは決して分厚いだけではなく、油圧ジャッキが取り付けられ、どんなに力を加えてもゆっくりとしか動かない様調整されているからだ。もちろん脱走対策である。例え、捕虜(POW)が一瞬の隙を突き、見張りを振りほどき脱走しようとしてもこの扉に阻まれるのだ。廊下までもまた通路と扉がある。横を見れば同じ様な部屋が並んでいる。判断を誤らせる為だろう。中々によく考えられた仕組みだと中尉は思った。

 まぁ、それはともかく。今は飯だ。後ろから聞こえるゆっくりと扉が閉まる音を背中で聴きながら、中尉の足はステップを刻む。誰も居ない暗闇の中、後に残されたのは重苦しい空気と、小さな机、2脚の質素な椅子だけだった。

 

 先程まで居た部屋と比べると、明るさと白さが眩しい位の廊下へ出る。そこで、軍曹が出迎えてくれた。その脇には、大笑いするおやっさんと、困り顔の上等兵、眼鏡を押し上げる副長が待っていた。


 

 

 

「うははははっ!!それがおかしいのなんのって…」

「いやホント勘弁してください……」

「誰も居ない壁に向かって決めポーズしてさ?そのまま颯爽と部屋を出て行くんだぜ?笑うなと言う方が無理さうははははっ!!」

「ふふっ…」

「ふっ」

「みんなして…俺の味方は軍曹だけだよ…」


 

 廊下に楽しげな話し声と、おやっさんの笑い声が伝わって行く。『響く』ので無くまさに『伝わる』だ。廊下の防音材はやはり優秀らしい。MSの脚の裏に貼ると良さげかも知れない、冗談を口に貼り付けながら、中尉はボンヤリ考えた。

 そう言えばジオンはどうやって死角に潜む敵味方を捕捉、識別しているのだろうか。"ザクII"に乗った限りでは、ミノフスキー・エフェクトで無効化される事が前提なのか、索敵の為の装置は最低限の物しか搭載されて無かった。しかし"ナナヨン"の様な支援車も聞いた事が無い。上空援護機か?あの"ルッグン"の様な偵察機が管制も請け負っているのかもしれないな。調べておかなければならない事がまた増えた。


 

「とにかく、話を元に戻しましょう!ね?」

 

 唇を痙攣らせながらの中尉の言葉に、沈黙を貫いていた軍曹が重い口を開いた。

 

「…子供の、方だな。問題は……」

「そうですね。しかし、軍隊手帳(ゾルトブーフ)は持っていました。正規の軍人と変わらない物です」

「子供と言っても、立派な職業軍人(ライファー)ってワケか」

「大将より階級は高かったな。うははははっ!!」

「ははは…」


 

 そう、子供。

 

──子供だったのだ。敵は(チャイルドソルジャー)





 

 

──U.C. 0079 9.19──

 

 

 その報が入ったのは、"アサカ"へ帰投し、機体の各部点検を行なっている最中であった。中尉はアクセスハッチに上半身を突っ込み、酷使され砲身が摩耗した13.2mm機関銃を取り出そうと躍起になっていた時だった。一時は"ロクイチ"上部に搭載されているものをそのまま転用、搭載していたが、MSに搭載しミサイル迎撃等に用いるには連射速度(サイクル)や銃身耐久性に問題があり、無駄も多かった。

 その為、おやっさんの提案で、信頼性の高い従来の航空機搭載用機関砲をスケールダウンし、外部動力を利用し回転する3連装ガトリング方式の物として新規に設計、部品を流用し搭載された。旧世紀でも航空機搭載用機関砲、M61"バルカン"をスケールダウンしたM134"ミニガン"が存在する為、その宇宙世紀版とも呼べるものだ。"ブラッドハウンド"に搭載されている20mm機関砲を搭載せず、あくまでも13.2mmに拘る理由は、現在そこまでの火力をこの兵器に求めておらず、それ以上に弾薬の搭載量の増加を中尉が求めた結果である。おやっさんが独自に設計し搭載した為名前は無いが、通称は航空機搭載用機関砲全般を指す俗称である"バルカン・カノン"をもじり、"バルカン・キャリバー"と呼ばれている。性能は上がったが、その分整備の手間も増えてしまっているのが現在の問題だ。それも改善はされているが。また、この手の機関銃としては銃身が少なく、軽量化がなされ、発射速度に直接繋がるスピンアップも早い。連射速度も可能な限り早めてある。しかし、その分銃身の摩耗も早いのだ。

 

 初め、中尉は発射速度(レスポンス)と命中率とも呼べる散布界(スタッカー・ゾーン)の集弾率を求めて"リヴォルヴァー・カノン"(輪胴)方式を提案していた。"リヴォルヴァー・カノン"方式の火砲は、単一の銃身に回転する複数の薬室を持つ銃器の種類だ。軽量で嵩張らない為大口径化・携行弾数増大が容易、メンテナンスが比較的容易かつ低コストで、複雑な外部動力を用いる事無く自力駆動が可能な単純な設計であり単価も低コストであるのが特徴だ。更に、構造上、装弾口を砲身とは異なる軸線上に設ける事も可能で、弾丸を薬莢の底まで埋め込む事により実包の全長を短くするテレスコープ弾(CTA)との親和性も高い。また、回転式薬室は前後どちらからでも装填できる設計にする事も出来る為、CTAを用いて前装式設計とし、火砲全体の全長を著しく短縮する事も出来る。砲身も固定されており、複数本が回転するガトリング方式と比べ命中率も高い。いい事づくめだと思われた。

 しかし、この案はおやっさんにより却下された。1つは信頼性だ。あらゆる方向からGがかかり、被弾等により外部からの圧迫、損傷する事が考えられるMS搭載の機関銃であるのだが、この方式は特に不発や遅発があると作動不良(マルファンクション)に陥りやすいのだ。戦闘機より更に被弾しやすく、GのかかるMSにとり、この欠点は大きい。ガトリング方式ならば、不発弾があろうと外部動力により強制排出出来る為、これは問題にならない。被弾により機関銃自体が壊れるのはまた別の問題だ。また、高い連射速度はあろうと、ガトリング方式のモーターによる圧倒的な連射速度及び弾幕展開能力は、他の追従を許さない。ミサイル迎撃や歩兵の掃討には高い連射速度が有効となり、これもガトリング方式に軍配が上がる。最後は、CTAは専用弾である為、弾薬の共通を図るには不便な存在である事だった。機関銃の中でも特にばら撒く部類で消費の激しい弾種である為、それが独自規格となると補給や兵站の管理・負担においてかなりの問題となる。この問題を聞き、中尉は副案であった液体火薬方式も諦めている。尚液体火薬も今回は放熱しづらい内蔵型の機関銃である為、銃身の加熱による熱ダレから却下されただろうが。薬莢は一見無駄が多い様に思えるが、この熱を受け止め捨てる役割もあるのである。長く使われる枯れた技術にはそれなりの理由がある、それを中尉に再確認させたこの件は結果的にこれらの点でガトリング方式が採用されたのである。

 

 既に直接戦闘が終息し数時間、漸く張り詰めていた緊張が途切れがちになっていた頃である。声の方向に引っこ抜いた頭を向け、重たくなり始めていた瞼を擦り、汗の浮いた顔を機械油で黒く化粧していた中尉には、一瞬何の事か判らなかった。

 それもそのはずだ。既に"ブレイヴ・ストライクス"としての作戦行動は既に終了し、"オペレーション・アクアノーツ・ワン・オブ・ゾーズ・デイ"も佳境に入り始めていた段階だったのだ。作戦通りの電撃的な奇襲(ブリッツ・レイド)、イレギュラーこそあれ友軍の救出に成功、迅速な撤退を完了した揚陸部隊と航空部隊。それを迎えた"アサカ"も、例の通信の後独自に戦闘を行なっており、あの短時間でジオンの潜水艦3隻を撃沈したらしい。凄まじい手腕だ。

 

 潜水艦同士の戦闘は、かなり異質なものだ。言うなれば航空機による巴戦(ドッグファイト)に似ているかもしれない。または、旧世紀の大戦において時折生じた、現代では考えられない程の近距離で発生した戦車戦か。それとも、深い森林を長距離偵察(LRRP)し、遭遇戦が勃発する様なものかも知れない。しかし、あくまで似ている、近いと言うだけだ。水中という特異な戦場がそれを許さない。

 海中で、大気を伝う音速を優に凌ぐ速さで響き渡る音に耳を澄まし、時に浮上し、時に変温層へと逃れる。潮に乗り、魚雷を撃ち、偽装し、爆雷に追われ、敵を欺き、座礁に怯え、水圧に軋む。目を回しそうな程のあらゆる制約の中で、艦長や乗組員(クルー)の経験と判断力、そして何よりも艦の性能がモノを言う世界。僅かな情報を拾い集め、自らの情報は漏らさない。静かな水面下の戦い。究極とも呼べるステルス性能を持つ、最も隠密性の高い兵器の最期は、水圧の前に屈し、圧壊する断末魔の呻きだけ。昏い水底はただそれを受け入れ、横たわせるだけだ。

 

 その潜水艦が最も嫌う行為、最も無防備となる浮上も、この艦は受け入れてくれた。極短時間で浮上、収容された重傷者は直ぐ様医務室や集中治療室(ICU)に運ばれた。ここから見える格納庫の一部も野戦病院と化しており、比較的軽傷である負傷者(WIA)の周りを人が走り回るのが見て取れた。悲鳴や苦悶の声はもう聞こえ無い。小さな呻きだけだ。命を繋ぐ為のドタバタの中、物資の固定(ラッシング)だけは厳命されており、点滴や輸血パックが微かに揺れる事だけが、ここが戦闘を続行している潜水艦の艦内である事を示していた。

 格納庫(ハンガーデッキ)と言う、広過ぎる閉鎖空間に血の匂いはしない。音も無い。しかし人は走り回っている。離れて見る現実離れした光景は、まるで無声映画(トーキー)の様で滑稽だった。この無機質な空間は、いつも通り戦場とはかけ離れた、聖域と呼ばる山奥の神殿の様な静謐な空気を讃えるのみだ。

 

「中止?」

「戦争も雨天中止ですか?」

『ハロ!』


 

 直ぐ隣で船を漕いでいた伍長が飛び起き、楽しそうに口を挟む。忘れ去られた神殿に祀られた、荘厳な立像。荒ぶる戦神の化身を象った様な"陸戦型ガンダム"。今や"シェルキャック"は既に外され、泥や砂も洗い流された後だ。装甲に細かいキズはあるが、大きく損傷した箇所などは無い。後はワックスでも塗ってやるか?何リットル必要()るんだか。

 "陸戦型ガンダム"のネックガード、所謂()にあたる部分に、全身でまたがる様に、そして跳ね上げられたコクピットハッチに挟まる様にして寝そべっていた伍長は、多少フラついてはいるものの"ハロ"を抱え、軽快な足取りでタラップに降り立った。この場に似つかわしく無い、軽やかな踊り子の様な舞は非現実的だった。

 それを打破るのは、中尉とは反対側で"ジーク"の頭部周りの電装系を点検していたおやっさんだ。おやっさんはスパナを片手に、手袋を外しても尚油汚れの目立つ手をインカムにやり口を開いた。

 

「"オペレーション・イコノクラスム"が、だ。敵さんから降伏の打診があった。今から向かうらしい」

「隊長、私達にも出撃命令が下っています。恐らくは敵の気勢を削ぐ為かと思われます」

「でしょうね」


 

 伍長以外でキャットウォークに足音を奏でたのは、C2バードから降り、連絡役として格納庫に待機していた上等兵だ。その目は格納庫の隅で働き、戦死者確認(ボディカウント)をしている軍曹と、今まさにその口が閉じられようとしているオリーブドラブ色の死体袋(ボディバッグ)に向けられていた。軍曹は医療従事者では無いが、その資格はある。MSを降りたすぐ後こそ、トリアージや緊急治療を行っていたが、状況が落ち着くと無言でその仕事についていた。中尉も手伝いたかったが、その仕事は今の中尉の仕事では無かった。中尉の仕事は、彼らの死の責任を背負うだけなのだ。

 ここからでもよく見える。数はそう多くは無いが、その殆どは一般人(アウトサイド)で、そこには確かに人の形をした、人の死そのものが横たわっていた。いや人型の袋はまだいい方だろう。中には、明らかに小さいものや、長さの足りないものもある。中尉は被りっぱなしだったヘルメットを取り、胸に押し当て目を瞑り、小さく祈った。

 

──ただ、安らかに。死の安らぎは等しく訪れよう。人に非ずとも、悪魔に非ずとも、大いなる意思の導きにて。

 

 謝りはしない。同情も。俺達は戦士なのだから。だが、決して無駄にはしなかったぞ。そして、ありがとう。

 

「イコノクラスムってなんです?イモビライザーと関係はあるんですか?」

「ねぇよ。単語としての意味は聖像破壊運動だ」

 

 焚書坑儒の様なものだっけか。偶像破壊とか。俺にはよう判らん。そりゃ歴史的に重要な物が破壊される事には憤りを感じるが。

 

「今回の作戦の後始末、気化弾頭ミサイルによる敵殲滅の事だ」

「あー……でも、いまさらですか?いっそやっつけちゃえばいいのに」

『ハロ……』

 

 中尉の言葉に首を傾げた伍長は、抱えていた"ハロ"を放り出す様にして起き、キャットウォークの床に腰掛けた。両腕を手すりの中段に乗せ、そこに頭を横たえた。足は空中に投げ出され、ふらりふらりと空を切っている。視線は遥か上の天井の照明を数えていた。きっとその先の、海の上の宇宙を見ているのだろう。

 殲滅。それは伍長なりの考えだろう。珍しく好戦的な意見だが、伍長は降伏する事に対し何か思うところがあったのだろうか。


 

「おい。まぁ、捕虜(POW)の人道的扱いは、味方の損害を減らす事にも繋がる。情報も得られる。幸い物資にも余裕はあるし、いい事づくめだろう。

──南極条約も偶には役に立つんだな」

「?…なんでですか?」


 

 呟く中尉に、疑問符を浮かべる伍長。小さく溜息をついた中尉は、手すりにもたれかけながら話し始めた。

 上に向けられた視線は、眼下の血生臭い(ブラッド・バス)世界から目を逸らす様に。何を逃げているのだろうか。自分の責任であると言うのに。


 

「例えば、伍長、包囲されてもうダメだ!って時に、風の噂でもジオンは捕虜に『オメーのメシ、ねーから!』ってご飯をあげないって聞いたら徹底抗戦するだろ?」

「はい。1日3食デザートおやつ、夜食間食は欠かせません!」

 

 これだよこれだよこれだから。ラテンか?旧世紀の噂に聞くイタリア軍の士官かよ。シェスタもいるのか?ん?シェスタはイタリアだっけ?ラテン?ラテンの範囲ってどこだよ。まぁいいか。後で調べておこう。無知と貧困は人類の罪だからな。調べたら判る。イタリア軍の噂はイメージが多いと。まぁホントの話もあるけど。当たり前だが全部がそうじゃない。

 

「つまり、捕まったら地獄、と思っている死に物狂いの相手は強いのさ。圧倒的優位だろうとこちらにも少なからず被害が出る」

「あ、なるほど」

「だからこその気化弾頭だったが、それだって充分とは呼べても確実とは呼べん。やはり上陸し制圧した方が確実だ。だが、草の根かき分けて、これだけの数を1人残らず殲滅するのは骨だぞ」

「へー、よく出来てるんですねー、大協約(グラン・コード)って」

 

 手を打ち、うんうんと腕を組み、うなづく伍長。どうやら納得したらしい。勘違いしてる様にも思えるが。伍長の小さな顎が3回上下した時に、あごひげを撫でていたおやっさんが切り出した。


 

「…続きいいか?どうやら今、敵の潜水艦をおびき出し、座礁させ拿捕したらしい。それで向こうも望みが絶たれたんだろう」

「よくやりますね…判りました。出られますか?」

 

 今かよ。全く気づかなかった。どうやら主役は本当に俺達では無くなっていたらしい。中尉は艦橋があるだろう方向を見上げ、小さくラフな敬礼をした。

 全く、なんて頼りになる艦だ。MSのカバーを単艦でこなせるのは驚愕に値する。それにこの異常とも呼べる戦闘力もだ。初めは盛り込み過ぎてどっちつかずなモノになるかと思っていたが、その認識を改める必要がありそうだ。嬉しい誤算だ。まぁ実際、この艦に乗り始めてからそんな考えはどこかに行っていたが。


 因みに現在、他の潜水艦と共同して作戦を行わず、艦隊を組む事なく"アサカ"単艦である理由は、"アサカ"について来れる艦が存在しないからだ。魚雷すら軽く振り切り、一部航空機に匹敵する速度を誇る"アサカ"は、その脚の速さを活かす為に単艦で動かざるを得ないのである。艦隊を組む事も可能だが、それは"アサカ"の手足を縛る行為に他ならない。勿論開発段階からその事は判っていた為、スタンドアロンでも大多数の敵を確実に殲滅し得る戦力を保有している。まぁその為の艦であると言う訳であるが。MS運用の柔軟性を考えると、これは正解だったと言えるだろう。

 

「手順をちょいと省けば、だな」

「大丈夫です。CPからの指示は、MSは1機で充分だ、との事です。損傷が無く、点検も終了済みである"ハンプ"が適役かと」

「よし。伍長。軍曹を呼んで来い。上等兵は連絡役を終了、艦橋へ向かってください。以上、解散!」

「りょーかい!」

『ハロ!』

「了解しました」

 

 伍長は立ち上がり、ぴょこんと敬礼をし走り出す。上等兵も敬礼をし、ゆっくりと歩きだす。

 ゆるりと返礼した中尉は、顎に手を当てているおやっさんの顔色を伺った。サングラスの奥で、その目がかすかに細まったのを中尉は見逃さなかった。


 

「……おやっさん」

「…俺の勘が当たらなければいいが。お前ら!固定はしっかりだ!」

「「おぅ!!」」

 

 中尉の肩を軽く叩くと、おやっさんは声をかけながらゆっくりと歩み去って行った。あたふたと走り去る伍長の背中を見送りながら、1人ポツンと取り残された中尉は既に気持ちにケリをつけ、意識の切り替えを行なっていた。頭はゆっくりと回転を早め、必要な物のピックアップから、既にメンバーの選抜へと移行している。伍長は連れて行かなくてもいいだろう。そろそろ限界も近いだろうし。そしてこの様な場合において伍長はてんで役に立たない。連れて行くだけ無駄だと思われた。

 そしてふと、頭の片隅で言い訳を探している事に一番意識がいっている事を中尉は自覚した。それはまるで泥の様に中尉の思考を埋め、頭の中に響く様にリフレインしていく。蝕む様にして広がった考えは、粘り強く離れようとしない。結局その考えに名前をつける事を放棄して、中尉は目を瞑り溜息をついた。

 さて、どうなるか。どうしようか、どうすればいいか。軽く目頭を揉み、顔を上げると、いつも通りの歩調で歩いてくる軍曹と、飛び跳ねる様にして駆けて来る伍長の姿が、見慣れた周りの風景から不思議と浮かび上がって見えた。

 

 

 穏やかな世界の中を、LARCとLCACが波を掻き分けていく。青をたたえた海は、白い砂浜にそれ以上に白い波を砕かせ、洗い流して行く。かつての紅き血潮はそのなりを潜め、既に元の姿を取り戻しにかかっていた。

 しかし、海は濁っているのだろう。風が嵐を呼び、鉄の雨が降り注いだのだから。地形の破壊、土砂の流出、あらゆる油や化学物質、残骸や破片、薬莢……焼け、破壊された自然はただ見えないだけだ。遥か先に見え始めた島嶼が、至る所で黒煙を上げ、大きく抉れ、焼け落ちた木々で黒く染まっているのと同じ様に、海もまた計り知れない影響を受けたのだろう。あの夜、深緑は何度も炎に包まれた。今、それが白日の下に晒されている。かつての面影を見やる事が出来ない程、見る影も無く無残な姿がそこに広がっていた。焼け野原そのものだ。木々が焼け落ち、頭を出した溶岩がその黒さを更に異質な物へと変貌させ、戦争という病が地球を蝕んでいる事を実感させる。いや、地球にへばりつく人と言うノミが及ぼす影響を、かも知れない。

 

 こんなに早く、この島に戻る事になるなんて。この島の土を、戦乱の中もう一度踏む事になるなんて。島渡る波の様に、鳥の様に。通り過ぎるだけの風のつもりだったのに。

 眼を背けようも無い、眼前に叩きつけられた現実に、中尉は遣る瀬無くなる。近くで誰かが吐く。船酔いか、それとも。到着予定時刻(ETA)まではまだある。その地獄は近くにつれどんどん鮮明な物へと移り変わって行く。地面は抉れ、木は焦げ、折り重なる様にして倒れていた。燻り続け、水蒸気や黒煙を立ち昇らせる大地の至る所に飛び散った破片が突き刺さっていた。日光と熱に晒され、腐臭を放ち始めた肉片には、腐肉食(スカベンジャー)の動物が集り始め、自然の摂理をまざまざと見せつけられている様だ。

 

 そこに、黄ばみ、焼け焦げてはいるが確かに白旗が翻っていた。風に頼りなく揺れる下、血塗れ(バンパイマ)、泥塗れでボロボロな服を纏った幽鬼の様な群れが力無く座り込み、濁った目をこちらへと向けていた。

 血溜まり(ブラッド・バス)が河を成し、海へと注ぐ中、怪我をしていない者など誰1人いない様だった。あちらこちらに横たわる死体の間を縫う様に、無気力な影が浅く呼吸をしている。彼岸の淵に片足を突っ込んだ様な彼等に、希望は何も感じられなかった。

 本当に生きているのか。傷を手当てし、苦しむ戦友に引導を渡し、方々に散らばる死体を集め埋葬する余裕も無いその姿は、頭からつま先まで敗北という泥に塗れた敗残兵そのものだった。

 

「君達か」

 

 潮は引き、泡沫の漣が揺れるだけの砂浜に乗り上げたLARCから降り立った副長が尋ねる。力無く座り込み、旗竿を肩に立てかけていた男がゆっくりと顔を上げた。包帯の下の、生気の無い真っ青な顔は、人のものとは思えなかった。

 LARCから飛び降りた衛生兵(メディック)が甲斐甲斐しく治療を始める中、口を開いた彼は弱々しく微笑んだ。

 

「……あぁ。代表は俺だ。降伏の受け入れ準備は出来ている。武装解除もだ」

「一応は確認させてもらうよ。そして、変な気は起こさない様に、な。まぁ、その腰の豆鉄砲より、後ろの大砲が弱く見えるのなら構わんが」


 

 副長の声に合わせ、後ろの"ハンプ"が"100mmマシンガン"を振り上げた。パイロットは上等兵だ。対人用の砲弾に、突貫で取り付けられた対人兵器を満載しているが、使われる事は無いと祈りたい。コクピットに収まる彼女の事を想像しながら、中尉は目の前に広がる虚無を見回した。

 

「そんな気はさらさらないよ」

「何がだ!!俺は諦めんぞ!!」


 

 その時、波の音と血が垂れる音しか聞こえなかった浜辺に、何者かの声が響いた。連邦軍の兵士が反応し、中には銃を向けた者もいた。

 しかし、彼等は困惑するしか無かった。縄で縛られ、転がされた声の主が、まだ15にも満たない様な子供だったからだ。


 特注なのかもしれない、士官用の濃紺に金をあしらった豪華な制服に血を滲ませ、流れる様な金髪を逆立て碧眼に殺意を宿らせる彼は、まるでフィクションの中から飛び出して来た中世の騎士か何かの様だった。しかし、苦痛に顔を歪ませながらも、こちらを睨みつけ憤る姿は、目を背けたくなる程無力だった。抵抗する力も弱々しく、現状を覆す力は無い様に思えた。実際そうだろう。彼は負けたのだ。それを認められないのだろう。仕方の無い事だった。しかし現実は変わらない。

 転がされた彼が呻く。立ち上がろうとしても出来ない。結局彼が今出来る事は喚く事だけだ。それが惨めさを加速させている事に、彼は気づいているのか。もう、彼に部下は居ないのだ。部隊でどんな振る舞いをして居たかが推し量れる。彼は孤独(ひとり)だった。


 

「……おい…!あいつを黙らせろ…」

「……子供?」

「おい、ガキだぜ?」

「なんてこった。畜生。どういう事だ!?」

「後悔するぜ……!連邦野郎(フェディ)供め!!」

 

 近くにいたジオン兵が彼の腹を蹴り上げ、お釣りとばかりに鼻先を蹴飛ばした。端正な顔立ちを歪ませ悶絶し、金髪を染める様にして血を流す彼の姿に、動揺が漣の様に広がっていく。波紋は波及し、中尉は思わず目の前の男の顔を見やった。視線に気づいたのか、男は吐き捨てる様に喋りながら、腫れ上がった顔に鼻血を垂らし、気を失ったらしい彼に哀れみの目を向けていた。

 小さく咳き込み、こちらに向き直った彼が、もう一度喋り出す。やはり口の中を切っているのか、その声はややくぐもっていた。

 

「……俺達の指揮官様(ブラスハット)だ。チキンでクソッタレのな」

「……どう言う事だ?」

「後でゆっくりと話す。いくらでも、だ。この地獄から抜け出せるなら…今は……そうだな、取り敢えずは、タバコをくれないか?」

 

 顰められた顔の片眉を釣り上げ、絞り出す様にして声を出す中尉に、男は深くため息をついた。メガネを押し上げた副長が胸ポケットを探る隣で、中尉は嘆息し、異常な報告が悲鳴混じりで飛び交い始めた新たな地獄の一端を、ぼんやりと眺めていた。景色が霞んで見える。音が遠い。対岸の、遥か遠い世界の事の様だ。あの夜の光景がフラッシュバックする。やはり、やはりか。畜生。なんてこった。畜生、畜生……。

 あの時の中尉の推測は的を得ていた。しかし、事態はそれ以上に最悪だった。そして更にその方向へと突き進もうとしていた。全ては非情なまでに現実だった。直視に堪えない、紛れも無い現実だった。

 

 小さな音が鳴る。中尉が腰の刀を握り締めた音だった。震える手は、怒りか、悲しみか。それは中尉にも判らなかった。

 

 

 遠雷の様な音が響く。大地が震えた。軋みと共に鋼鉄が裂け、悲鳴を上げる。無理矢理に引き裂かれる断末魔の呻きがこちらまで伝わって来た。

 『竜』が、死んだのだ。だが、元の持ち主の手で引導が渡されるのなら、それはまだ救いのある事なのかも知れない。

 

「……なぁ、今のは海軍が発砲した音だと思うか?」

「いや、嵐の雷鳴だろう」

 

 そんな会話を聞きながら、中尉は煙が立ち昇る方向を見た。『竜』。恐らく拿捕した潜水艦の爆破処理が済んだのだろう。現在地球連邦海軍の潜水艦部隊は大打撃を受け再建している途中だが、流石に潜水艦を奪還する程こちらの戦力に余裕は無い。作戦の計画上、増援を呼ぶ事も待つ事も厳しい。かと言って放置するのも論外だ。機密保持もある。それ故の爆砕だろう。致し方あるまい。

 しかし。しかしだ。生まれこそ丘であるが、大洋を征く鋼鉄の鯨が丘で死ぬ。それはやはり、皮肉な事だった。

 

 異常な捕虜の列がLARCへと乗り込んで行くのを、中尉は軍曹の隣で黙って見つめていた。副長は向こうで捕虜移送の手続き中だ。手持ち無沙汰な中尉は、目の前に広がる光景をなんとか理解しようと悪戦苦闘していた。

 子供、子供、子供。どこを見ても子供ばかりだ。それこそ学徒とも呼べない程の小学生の低学年から、高校生位か、まだ幼さを顔に残す者達まで。勿論大人もいるが、その数は圧倒的に少なかった。ボロボロの野戦服を身に纏い、手を貸し、肩を貸し合う大人達と、倒れた戦友に目もくれず、煌びやかな制服を煤で汚した子供達。その風景も異常としか言い様が無かった。

 子供達にも差があった。倒れた仲間に手を差し伸べるのは、同じボロボロの野戦服を着た者だけだ。制服組に至っては戦友の死体すら躊躇無く踏みつけて歩いていた。理解が追いつかなかった。どういう事だ。我が軍の兵士の間でも動揺が広がっており、立場上取り乱すワケにもいかない中尉は、ただ悪戯にその顔を強張らせ、深い皺を眉根に寄せおぞましいもの見るかの様に相貌を顰めていた。

 

 点滴用のパックを片っ端から開けていた衛生兵からの報告では、殆どの者が極度の水分不足、栄養不足に陥りかけており、早急な対処が必要である事とだけだ。怪我をした者も多いが、止血帯(カーレックス)も無く、包帯等による処置の止血方法(ターニケット)すら稚拙な物ばかりで、そのせいで傷口が化膿したり、症状が悪化、死亡している兵士や死体も多いらしい。中尉も既に手遅れな、肺に穴の空いた兵士の死を見届けたばかりだ。ゴボゴボと喉を鳴らし、自らの血で溺れる姿を、だ。長く放置されたのか、涙の跡が幾筋も残った目で見上げられたが、中尉にはとどめを刺し楽にしてやる、慈悲の一撃(クー・ド・グラース)を与える事しか出来なかった。本来ならそれを行うべき士官すら、もうジオンにはいなかったのである。

 既に"アサカ"からは増援の派遣が決定しており、スクランブル可能(オン・ステーション)患者輸送(ダストオフ)用のヘリに、大量の物資と人が動員されこちらに向かって来ているらしい。

 何もかもがイレギュラーな状況に、こちらが悲鳴をあげそうだった。耳元のインカムに溢れる情報は、頭が痛くなる事ばかり。翻弄されているのはまるで俺達の方の様だった。


 異常。そうとしか言いようが無かった。今まで住んでいた世界が砂となって崩れるかの様な感覚。日常の喪失。光が消え失せ、真っ暗な空間を歩くかの様な不安。理解が出来ない、追いつかない恐怖。未知に蝕まれて行くようだ。中尉はガシガシと自分の髪をかき混ぜる。


 

「軍曹、どんな調子だ?」

「…問題、無い…」


 

 中尉は自らの精神状態の為にも、少しでも気を逸らす為に口を開いた。隣で作業をしていた軍曹は一瞬手を止め、こちらを見上げて普段と何も変わらないトーンで返事をした。軍曹を見やる為に首を動かした中尉の鼻先に、腐臭とはまた違う酸っぱい匂いを風が運んで来た。誰か吐いたらしい。仕方無い事だ。いつの間にか、嗅ぎ慣れこそしないが、気にもならなくなった臭いに中尉は鼻柱に皺を寄せる。それでも臭いは鼻腔にこびりつき離れはしない。中尉は嘆息した。

 軍曹は回収された大型爆弾(MOAB)の解体を行なっていた。まるでケチャップの蓋を開ける様な気軽さで、巨大な弾殻がみるみる内に分解(バラ)されて行く。隣で電子ペーパーを片手に道具を手渡す上等兵も、その速度に食らいつこうと奮闘していた。

 

「私も一応補助していますが、形ばかりです。凄まじいとしか言いようの無い手際です」

「そうか、よろしく頼む。上等兵も」

 

 一度言葉を切り、中尉は砕けた口調でボヤいた。普段には無い軽い口調は、無意識の内に心と身体が己を守ろうと口を開かせたのだろう。つい愚痴が口をついて出たのだった。中尉は久々に参り始めていた。


 

「それにしても、なんてフーバーな役回りだ。上もまたふざけてるよな。爆弾処理とはまた大変な仕事を、すまないな…一度ミスしたらボン!まぁ、その時は俺も無事ではすまなそうだが…」

「はい。気を抜けません」

 

 中尉も屈み、爆弾の中を覗き込むが、全然判らなかった。勿論彼も士官であり、ある程度の教育は受けている為、おおよその装置の仕組みや構造の判別つくが、それでも複雑過ぎた。いや、雑然とした印象を受ける。全くもって洗練されておらず、とても無駄が多い、そんな印象だ。

 どこかで見た事がある気がし、首を捻る中尉。記憶の結晶を突く何かが、この爆弾にはあった。頰をかく中尉に、軍曹が口を開いた。その言葉に耳を傾けるが、その内容は意外なものだった。

 

「……いや、2度、だ……」

「?」

「…既に、職業選択で……ミス、してる……」

「……違い無いな」

 

 軍曹が微かに口を歪める。軍曹のジョークに、中尉は忍び笑いを漏らした。目が合い、自然と拳を打ち付け合う。耐え切れないかの様に肩を震わせる中尉と、小さくフッと鼻を鳴らす軍曹を見て、上等兵が理解出来ないとばかりに口を開いた。


 

「この状況でお2人方はなぜ笑えるんですか?」

「え?それは…」

「…解体、終了……」

「っふー……お疲れ。よかった……本当に……」

 

 軍曹に水筒を差し出しながら、中尉は胸に止められた試験片を指で弾く。放射線被害を簡易計測するフィルムバッジだ。今ここにいる連邦軍の兵士に、これをつけていない者はいない。最悪の事態に備えてだった。放射線対策に遮蔽服として軽装型の"ノーマルスーツ"も持ち込まれている。今回は着ている者は誰もいないが。いずれ、全てのMSパイロットはこれを着用する義務が出て来るらしい。今は関係無いが。

 

 この軽装型"ノーマルスーツ"が、通称"パイロットスーツ"であり、動きやすい様簡略化されている特殊宇宙服の一種である。必要最低限の宇宙服としての機能として、高度な血流調整機能や体温調節機構を内蔵しながら、大気圏内でも利用可能な程軽量化も施され、その機能性の高さが伺えるシロモノだ。更に、"パイロットスーツ"はMSの高い機動性に対応する為、従来の大気圏内運用の戦闘機においてそのパイロットが使用するものと比べ大幅な機能拡張が施されている。しかし、その分生地は機密性、放射線遮蔽等の機能は持たされているものの極く薄く出来ており、防弾、防刃性は皆無である所が問題点と言える。

 外見の特徴としては小さなランドセルが背中に装着されており、これ1つに生命維持機能が集約され、酸素タンク、循環液タンク等各種タンク類がカートリッジで内臓されている。これらはワンタッチで交換出来るカセット式だが、緊急時の補充を容易にする注入ソケットも設けられている。これらのプラグやソケットは宇宙世紀黎明期から国際法で規格が統一されているのが特徴である。スーツ自体は、体型は人それぞれであり、更に生命維持に深く関わる物なので、セミオーダーに近い形で納入されるのも特徴だ。なのでとても大切に扱う様指示が出されている。物品愛護の精神と言うヤツだ。

 また調査によると、ジオンが採用しているM-36"パイロットスーツ"はMS搭乗時に着用が義務付けられているらしい。その為、形は同じでも地上用、宇宙用と分けられており、地上でも快適なエアコンスーツとして着用されているらしい。かつて鹵獲品として出た時は首を捻って放っておいたが、そう言う事だったのかと今は納得している。いや正直に言うと着慣れた野戦服が俺には合うが。


 

「フィルムバッジは?」

「ご覧の通り問題無しです。ガイガーカウンターも同様ですね」

「……そもそもあの大型爆弾は新型のコバルト爆弾または窒素爆弾、なんて噂でしたが、違ったんですか?」

「…解析結果は、燃料気化爆弾だ……それも、極初期型の、な……」


 

 軍曹の言葉に、中尉は唸りを上げた。ようやく合点がいったのだ。昔読んだ本に載っていたのだ。安心する反面、NAPSタブレット(神経薬剤予措用錠剤)の呑み損だったか、とつまらない事を考える。まぁ、何が起こるか判らなかったしな。プラシーボ効果もあれ、気休めだが耐NBC対策としては使われている訳であるし。

 

「新型爆弾、それは当時の話だったって事か。そりゃそうか。伝承にある奇跡の金属で出来た伝説の聖剣だってメッキを剥がしゃ黄銅やアルミの剣だったりするもんだもんな。過去の超兵器が強いのはフィクションだけってか。草バエルな」

「……信管も、石灰質の侵食で…無効化、されていた。まるで…珊瑚が、爆弾を…停めた様、だ……」

「──驚きました。その様な事もあるのですね。自然の力、なのでしょうか」

「じゃあブロークンアローは誤報か?」

「現時点ではその様でしょう。それも彼等が話してくれる筈です」

「そうですか…うん。撤収準備に移るか」


 

 3人はきめ細かい砂を払い、立ち上がって島を離れつつあるLARCの1つを見送る。捕虜の数と身体を起こせない負傷兵があまりにも多く、移送の便を分けざるを得なかったのだ。

 そこへ、ふらりと少尉が現れた。現地に赴き、敵兵器の残骸の回収、解析を行う為だった。行く前は南の島だと意気込んで居たが、島に近づくにつれ口数がどんどん減っていき、最終的に何も喋らなくなったのが印象的だった。そこそこ鉄火場をくぐって来た少尉と雖も、今回ばかりはキツかったらしい。中尉はそこに触れる事は無かった。中尉にもそこまで余裕はなかったのだ。

 中尉の顔を見やると、これまで口をきかなかった少尉が口を開いた。青い顔で弱々しく口元を拭いながらと言うのが、中尉の心に響いた。普通はこうなるよな。普通は。今の俺は果たして普通と呼べるのだろうか。

 

「……なぁ、死体の処理は?しないのか?」

「俺達は『存在しない』。余計な事は出来ん」

「せめて…その、子供だけでも、さぁ……」

「その気持ちは判るが邪魔になる。しまっておけ」

 

 中尉は己を殺し、それだけ吐き捨てる。戦死体処理班(AGRS)は呼んではいない。悲しみも同情も無い。その感情は必要無いのだから。それが己を、仲間を殺すかもしれないとれば尚更だ。そう言い聞かせている途中の事だった。

──銃声。思わず身を屈め、素早く周囲を見渡す。軍曹は上等兵を組み伏せ、少尉も引き倒していた。

 2発目は無く、腰の拳銃に手をかけながらも中尉は声を張り上げた。

 

「どうした!!」

「こいつが…」

「おい!どうした!何故撃った!」

「仇だ!これが!俺の!!」

 

 降って湧いたかの様な騒動の真ん中にいたのは、まだ若い連邦軍の兵士だ。"アサカ"のプールで見た事のある顔だった。腐敗が始まる程放置され久しかったジオン兵の死体の前に立っている。問題は震えている手に、関節が白く浮き上がる程の力で銃が握られている事だ。銃口からは白い煙が細く立ち上り、その銃が機能を発揮した事を雄弁に物語っていた。捕虜の反乱でなかった事を安心する半面、それはとても危険な事だった。

 周りの兵士が止めに入るが、彼は銃を持ったまま腕を振り回して抵抗している。中尉は顔を歪めた。トリガーに指がかかったままだ、このままだと暴発の危険があった。駆け出した中尉はあっという間に出来た人だかりを押しのけ、声を張り上げた。

「やめろ!!何をしている!!銃をしまえ!!」

「仇なんです!!敵なんですよ!!」

「確かに敵だった。だが今は違う!死者の魂には敬意を払え。それが戦場のルールだ。いい加減に──」

 

 開いたばかりの黒々とした穴から、ドス黒い血を流す死体。こいつのやった事は明白だ。最悪の事をしやがった。人としての良心を捨てやがった。無抵抗な者を辱めた。

 歩み寄る中尉は眉間がヒクつくのを自覚したが、それどころでは無かった。暴力はダメだ。だが判らせる必要があるのも確かだ。こんな事があったか?あっていいのか?赦せるのか?どの立場で言えばいいのか、拳を握りしめる中、震えながら銃を地面に叩きつけ、中尉に掴みかかった男は、涙を流しながら叫んでいた。

 襟元の生地が引っ張られ悲鳴を上げる。しかし中尉は抵抗しなかった。揺すぶられながら、感情の奔流を受け止めるだけにとどまっていた。下手に動き出してしまえば、目の前の哀れな男の様になり、必要の無い死体を新たに増やしそうだったのだ。

 

「感動的なセリフだな!!その綺麗事を死んだコイツにも聞かせてやってやれよ!!……っ!!ルールだって!?この地獄にそんなものがあるものか!!あんただって殺したはずだ!!っ!!今だってそうだ!!墓を作りもしないヤツが!!何を!!」

「──もういい」


 

 嗚咽を呑み込み、咳き込みながらも喚き続ける男を周りが羽交い締めにし、引き剥がす。痛い程にその気持ちが理解出来る自分がいる事を理解していた。しかし、それで理性をかなぐり捨て、本能のままに振る舞う獣になる事は出来なかった。

 小さく項垂れ、立ち竦む中尉の元に、立ち上がった軍曹がやってくる。銃を拾い、マガジンを抜き、スライドを動かして残弾を処理、手早く無効化する。ただの鉄の塊と成り下がった手許の銃を見ながら、軍曹はゆっくりと切り出した。それは、中尉にとって意外な言葉に聞こえた。

 

「…死者は、考えない。何も、語らない……だからこそ、だ。生きている間に、生きている人間の…すべき事が、ある……中尉。それを行う事が…死んだ者への、手向けだ…」


 

 顔を上げる中尉。軍曹は崩れた山、倒れた木々、その先の空を見ている様だった。見上げる先には、海とはまた違う青があった。硝煙を呑み込んだだろう空に、曇りは無かった。今尚立ち上り続ける黒煙だけが、空に溶けてその色を変えようとしているかの様だった。


 

「……そうだな。そうだ。死者の供養も、生きている者の務めだ。生きている者の為にも、必要か……そうか、そうだよな…」

 

──まだ生きている。まだ、生きている。だから、義務を果たす。生きて、人間としての義務を果たす。

 殺した俺達には生きる義務がある。死ぬ自由などない。仇敵と戦友の屍を越えて生きたのならば、死は許されない。奪ったものの意志を継ぎ、前を向くべきだ。

……そんな当たり前の事も、俺は…………。

 

「──すまないが、それは私からも頼みたい。こいつらにはさんざ振り回されたとは言え、せめて…」

「……判りました。手分けしましょう。私は許可を貰ってきます。上等兵は"ハンプ"で解体した爆弾を回収、LCACに運び込んで固定してください」

「了解しました。隊長も御無理はなさらないで下さいね」


 

 声をかけたのは、力無く項垂れ、座り込んでいた捕虜の代表を名乗った男だった。その目に、生気とはまた別の光が宿っている事を見つけた中尉は、ゆっくりとうなづいた。

 やるべき事を見つけたのだ。それは、中尉にとって救いでもあった。仮初めでも、意味のある事を見つけられたのだった。

 

 副長からの許可を得た。あっさり通り、あまりにも拍子抜けにも思われた。ふと思うと当たり前だった。彼等も嫌でも視界に映り込む死体に辟易していたのだろう。指示を受けた連邦兵達も三々五々と散って行き、装備の一部である円匙(スコップ)で各々穴を掘り始めた。ある者は死体を掻き集め、荼毘に附す。またある者は遺品を回収し、メモと共に箱に収める。仕事として捉え、淡々とこなす、プロの軍人達がそこに居た。

 中尉も男の元に向かいながら、残骸から銃を見つけ出しては並べて置く。折れ曲がった小銃や穴が空き、焼け焦げたヘルメットを拾い、近くの兵士に手渡した。歩きながら木や鉄を拾い組み合わせ、十字にしたものを抱えて行く。

 こんなもので、と頭の隅で何かが囁く。しかし、今の中尉には関係が無かった。軍曹の言葉が、中尉を動かしていた。

 

「……っ!」

 

 男は残骸に曲がった鉄骨を突き刺し、テコの原理を使って持ち上げようとしていた。無言で手を貸し、息を合わせる。あちらこちらをひっくり返しながら、8つ目の瓦礫の前で男が膝をついた。

 男の前にはひしゃげ、焼け焦げて原型をとどめない塊があった。瓦礫に半ば埋もれる様にあったそれと、彼の震える手の中には、潰れ、焦げた金属片が転がっていた。それが何か瞬時に理解した中尉は、姿勢を正し黙祷を捧げた。真っ黒に炭化し、縮こまった小さな塊は、まだ、辛うじて人の尊厳を保ち続けて居た。


 

「──やっと、やっと……見つけた…」

 

 無言で見下ろす中尉の方を振り返る事無く、男は消え入りそうな声を絞り出した。丸められた肩は震え、嗚咽が漏れ出す。

 それでも彼は、崩れ落ちる事は無く、言葉を紡いで行く。


 

「…娘さ。たった1人の。こんな事になっちまったが、これは俺の……」

「…御心情、御察しします……」

「…母さんが、死んで……あの町からやっと出て、これからって時に……なんでだよ……なんで……畜生。ちく、しょう……」


 

 途切れ途切れの言葉は、それでも止む事は無く。轟々と鳴り響く、海鳴りに掻き消される事も無く。1つの命がそこにあった事を、歩んだ歴史を刻んで行く。

 

「……人手不足?…独立の為の決起?……補給部隊なら安全?これであなたも仲間入り?」

「……」

 

 破片を強く握りしめ、身体を丸める。まるで世界の全てがそれを奪おうとするのを、全力で阻止するかの様に。男の言葉は続く。空気に溶け出すかの様に。男もそのまま消えて無くなりそうな程だった。


 

「優しい、子だった。手をあげる事なんて出来なくて…でも、俺や、みんなのためならって……寂しく無いでしょ、なんて……」

「……」

「外人部隊、なんて言われて。今まで…虐げられてきたのを……正すために入ってまた虐げられて…本当に…何の、何のために……」


 

 彼はまるで貴重で繊細な宝物を扱うかの様に破片をしまい込み、脱いだ軍服で亡骸を包み込みんだ。その小さな亡骸を抱き抱え、ふらりと立ち上がった男の顔には、降り止んだ筈であった一筋の雨が伝っていた。とめどなく溢れて行く雨は、服に土に吸い込まれ消えて行く。しかし、消えるその一瞬まで、その雫は彼の感情を雄弁に物語っていた。

 

 彼は、何も言わずに歩き出した。痛むだろう足を引きずる様にして、ゆっくりと丘を登って行く。中尉は何も言わず、ただスコップを握り締めついていく。

 男の呼吸が浅くなり、苦しげな声が口から漏れ出す。しかし男は歩調を変えず、小さな丘を登りきった。


 海が広がっていた。凪いだ大きな海が。その先には山の様な雲が。そして後ろには山が聳え、裾野には樹海が広がり、静かな風に揺れていた。世界が、全てがそこにある様だった。


 

「ここが、いい。いつも海に…憧れていたんだ。前に、一度だけ…"海洋コロニー"だが……連れて行った時の事を…思い出すよ」

 

 死んだ人の気持ちは、死んだ本人にしかわからない。だから彼の言葉は全て感傷だ。あるいは既に、俺に語りかけている訳ではないのかもしれない。いや、そうだろう。彼等を知っているのは彼等だけなのだから。

 全ての修飾を削ぎ落とせば、やはり意味のない事だと思う。しかし、そう考えてしまうのは、自分がまだ本当に近しい人を亡くした事が無いからだろう。よくある様に、墓石に話しかけても言葉が返ってくる訳じゃない。当たり前だ。しかし、人はそれをする。それに意味を持たせる事が出来る。

 

 軍曹の言葉を思い返す。やはり、全ては死者ではなく生者の為の儀式なのだ。痛みを理解し、受け入れる為の祈りでもある。死者は、結局の所ただの死者だ。しかし、人は失っても尚生き続けなければならない。生きているからだ。だから取り残された人はただ死者を弔う。祈りを捧げ、冥福を願う。亡くなった後でも幸せになれる様にと。穏やかな眠りを、永遠の平穏を、一心に望む。そして、彼は確かに生を全うしたのだと自分に信じ込ませる事で、ようやく人の死を受け容れる。いや、あるいは一生、受け容れる事もないのかもしれない。それでも、そこで区切りをつけるのだ。自分の為に。生きる為に。

 

「そう、ですか…」

「──でも、ここは…本当の、海の匂いがする……生物に満ちた、生命の匂いだ。血の、匂いだな…」


 

 血。血潮。鮮血。潮風が眼に沁みる。あの時見た、紅く染まった夜の海を中尉は思い出した。中尉の鼻腔を死の匂いが掠める。流血の秋だ。死んだ魚が浮き、浜辺に打ち上げられ、岩に叩きつけられる。こんなにも青いのに、その青さはあらゆる色を飲み込んでいるのだろう。その中には、少なくない量の血が混じっているはずだ。

 

「…地球の血。源。海の、味……あの"コロニー"の海は、もっと軽くてハッカのような、清涼飲料のような……あぁ…言葉が見つからない——戦争で、情感が鈍っちまったか…ぁあ…」

 

 呟きながら彼はゆっくりと亡骸を丁寧に芝生の上に下ろすと、中尉の差し出したスコップを操り出す。

 しかし、すぐに殆ど掘れなくなった。土と腐葉土が掘り起こされ、砂が溜まった下から、火山岩が顔を出したのだ。黒々とした硬い岩は、火花と共に鋼鉄の爪を弾き返す。まるで、これ以上人の好き勝手を許さない様に。破壊し尽くされた地表とは違い、地下は破壊に屈さないとも言う様に。だが、彼は諦めなかった。身体のどこにそんな力を隠していたのかと驚く程、スコップを力強く振り下ろし、激しい音を立てながら岩を削って行く。中尉も手頃な残骸を引っ張り出し、彼の声に耳を傾けながら、一心不乱に穴を掘った。無理な扱いにスコップが欠け、歪むが気にしない。それより大切な事がそこにはあった。


 

「──なぁ」

 

 日が頭上に登り始める頃に、漸く亡骸を穴に収めきった。傷んだスコップで土を掬い丁寧にかけながら、男は不意に口を開いた。鮮血に染まり、血を流す己の手を見つめながら、嗚咽交じりの悲痛な声が大気に溶けて行く。再び張り詰めた彼の糸はもう切れそうだった。

 

「ひっ…ひと…人殺しの、俺の…娘が、行ける天国なんて…あるのか……?」

 

 その言葉に一度だけ下を向き、中尉は揺蕩う夕凪の海と、霞む空を見上げた。そして、そのまま、ゆっくりと喋り始めた。


 

「……私の故郷には、『オジゾウサマ』と言う神様がいます。天国に行けない子供達を、導いてくれる。そんな神様です」

 

 中尉は、また新たに揺蕩い始めた煙に眼を細めた。ゆらゆらと頼りなく揺蕩う煙は、右に揺れ、左に振れ、それでも天に昇って行く。既に、日は高く登り、気温も上昇して久しかった。滝の様に流れ、とめどなく溢れては伝い落ちて行く汗を拭いながら、中尉は言った。慰めや同情などでは無い。本心からの言葉だった。

 思えば、俺は神州とも呼ばれた土地の、神様が集まる所に生まれた。これも何かの縁なのかも知れない。八百万の神々も、偶には、願いを聞いてくれるはずだ。他人の為に願うなら、尚更だろう。


 

「……いい、いい神様、も…いるもんだな…」


 

 出来たばかりの墓を前に、男は遂に力を失ったかの様に座り込んだ。背中を丸め、項垂れたまま、ピクリとも動かない。彼は彫像になってしまったかの様だ。弱い風が吹き、はためく包帯だけがそれを打ち消している。世界が彼を引き止める様に。ここで死んではならないと告げる様に。生きる事、生き残る事の残酷さを中尉は垣間見た。

 

「…俺は異教徒、なんだ。お前から、そう、お願いしてくれないか…っ安らかに…天国に…もう、苦しま、なくても…頼む……頼む…………っ」

「えぇ…」


 

 石灰質の岩を削り、なんとか掘った穴。灼け爛れ、千切れ飛んだパーツを組んで作られた粗末な墓の前で、静かに目を瞑り、手を合わせる。祈りの海の、波が砕け、泡となり、海風が空に響き、耳を叩くのを聴きながら。そして、小さく祈る。無垢な魂が、天国へと向かえる様に。

 中尉は結局、日本人にありがちな自覚を持たぬ仏教徒であり、神道の控えめな賛同者であり、緩やかなアニミズム信仰の持ち主だった。神を信じないと言ってはばからない中尉の心にも、他者に対し祈る心があり、そこには確かに神が宿っていたのだ。

 

 

 あちらこちらに、破壊された自然に紛れる様にして墓が乱立していた。自然に還れるのか、それとも自然に逆らう様にその墓標は立っているのか。しかし、ちっぽけな人間のやる事は、いずれ自然の波に飲み込まれて行くだろう。だが、今出来るのはこれくらいだ。いつか、戦争が終わったのなら、彼等を生まれた土地へと返す事も出来よう。しかし、それは今では無かった。

 上等兵が花を摘み、墓前に供えて回っている。中尉も時を同じくし、手を合わせ、敬礼をして回っていた。風が吹き、花弁が空に舞う。その巡りに葉が混じり、そのまま山頂へと昇って行く。閉じようとする視界の隅では軍曹が敬礼していた。多くの陣地を1人で潰して回った軍曹は、その全てをもう一度周り、遺留品を掻き集め、遺体を埋葬し墓を建てていた。1人でやると言い残し、1人でやって帰って来たのだろう。MSなど無くとも、軍曹は正しく兵士だった。

 人の気配に気づき、中尉が目を開けると、隣で副長が帽子を脱ぎ、胸に手を当て黙祷していた。彫刻の様に微動だにしない。2人の間を、風だけが走り抜けて行く。

 

「不思議な感じだな。殺し、殺され、憎み合い、今は並んで共に埋める。死はただ、声も無く並んで横たわっている。何をしてるんだろうな、僕達は」

 

 黙祷を解き、改めて帽子をかぶる傍で、副長は独り言の様に呟いた。しかし、その言葉は明確に中尉を捉えていたのを感じていた。強く捻るかの如く結ばれ、潮風に乾いた唇を引き剥がす様にして口を開いた中尉の声は、島風に負けそうな程小さかった。

 

「……引き起こしたのは、俺達では無い。ですが、結局手を下したのは他でもない俺達、ですか……コレが、贖罪だとでも?」

 

 目の前の墓に目をやる。粗末な墓だ。ここには、顔も知らない地球連邦軍海兵隊員(マリーン)の一部が眠っている。一年戦争の開始直後、ジオンの地球降下作戦における戦闘により壊滅的な打撃を受け、実質崩壊した海兵隊の数少ない生き残りは、爆発だろうか、猛烈な力により引き裂かれ、半身は吹き飛び、彼だと証明する物はブーツに挟まれたドッグタグだけだった。中尉が見た、ぐちゃぐちゃの肉片が彼だった。そこに人の尊厳はあったのか。それは、彼しか知り得ない。

 これは戦争で、ここでは戦闘が起き、ここは戦場となった。こちら側の死傷者も少なくは無く、命を拾う事が出来なかった者も多数いたのは事実だった。彼の様に、生きる事を無理矢理に辞めされられた者も少なくない。兵士は時に死ぬ事をも求められる職業ではあるが、彼に死の強制は無かった。ただ、運が無かっただけだ。

 軍の行動によって生じた問題の責任は、それを命じた者だけが背負う。命じられた者では決して無い。そうなっている。 しかし、それが九段の下の彼等に何の意味をもたらすのか。

 

 中尉は空を見上げる。昨日何度目の空だろうか。青い空に、白い雲が浮かぶ。凪いだ風。凪いだ海。白い泡。島嶼の緑は陽の光を浴びて輝く。どこにでもある風景だ。そして、どこにでもある死は、何故その時を選んだのだろうか。


 判らない。理解し得ない。それは当たり前だった。しかし。しかしだ……。

 

「それは違うな。違うだろうが、理屈としては、充分じゃないか。タフラック。彼は、運が悪かった。それだけさ」

「──充分?理屈?言うに事欠いて……!これは……!」

「……これは、理屈で済ませる様な、そういう話じゃない。そう言う話であってはいけない……そうでしょう?」

「そういう話だ……仕方が無い(ウェル・ゼア・イット)、仕方が無いのさ。そうだろう?何でもそうしてきたのが俺達(・・)じゃないか。理屈で以って非合理を成す。それが軍人ってものだろう」

「軍人、ですか……」


 

 いつの時代も、降り積もった亡骸が歴史となる。だが、彼等は。歴史からも忘れ去られたこの島で朽ちるのは、果たして。いや、兵士が、最期に人として、自然の一部として、土に帰れるのは良いことなのか。ヴァルハラがあるのなら、無名墓地(ポッターズフィールド)の意味もあろうが。

 中尉の耳元で空気を切り裂く音がした。視線の先には、宙を舞う小さな羽虫がいた。しばらく飛び回っていた羽虫は、海風に吹かれ焼け残った草むらへと向かい、見えなくなった。

 

「是非も無し。戦争の勝者は、ハエだけ、か……」

「……そんな事は、無い……」

「──軍曹……」

 

 聞かれていたのか。いつのまに隣に来ていた軍曹に、中尉はぼんやりとした目を向けた。そんな中尉の事を構う事無く、軍曹は続けた。
膝をつき、花を供えながら。

 

「……想いは、残る。例え……死に、その身体が……灰となろうとも……」


 

 先程の光景が蘇る。零れ落ちた涙。焦げた破片。それに意味を見出すのは、彼だけだ。
名も無き灰は、名乗らない。灰は、ただ燃え尽き、再び燃える事無く、降り積もるのみだ。

 

「その品が、朽ち……消え果てて、も。誰かが……生き、その想いを、忘れない……限り……残る……」

「誰かが……?」

「……本当に、大事に、すべきもの、は……形あるものでは、無い。想いに……寄り添う、遺された、心だ……」


 

 軍曹のスカーフが風に揺れる。まるで応えるかの様に。

 

「どこでどう死ぬか、その様な事でなく、如何に生きるか、だろう。本当の人生は。夢なんてかなえなくとも、この世に生まれて、生きて、死んでいくだけで、人生は成功だ。僕は心の底からそう思っている」

 

 軍曹の言葉を継ぎ、副長はそう締めくくった。自分より世界を知っている男達の言葉は、今の中尉にはまだ判らない事だらけだった。

 もう一度、墓を見下ろす。無機物で出来た、有機的であり、どこか無機質さを感じさせるそれは、果たして何なのか。墓は何も応えない。中尉は答えを見いだせなかった。

 

「……なぁ、軍曹……神を、信じてるか?」

「…そう、だな……人並み、には……」

 

──人並みに、いないと思ってるって事か。中尉にはそう解釈出来た。この世界に神はいない。信じる心の中にのみ存在し得るのが神だ。それを、軍曹は否定している。つまりはそういう事なのだろう。軍曹らしいと言えば、正にそうだった。

 

「ふむ。なんで居ないと思うんだ?居るかもしれないだろう?」

「…誰も、そんな事は…言っては、いない…」

 

 面白そうに笑う副長に、軍曹は顔色1つ変えず言い放つ。中尉はそれを見守っていた。軍曹の世界が知りたかったのだ。

 

「……副長に、中尉の言う神が、どんなものかは、知らない。だが……俺は、それに……頼らない。それだけだ……」

「──神は、居なくとも……人は生きて、死ぬだけか……」

 

 俺は、と言いかけ、中尉は口を噤んだ。言うべきなのか、否か、判らなくなったのだ。軍曹にとり、神はやはり人が救いを求める依代、逃げる方便、縋る何かなのだろう。それは正しいと言える。宗教で救われるのは足元だけだ 。信者がいると『儲』かる、と書く。神はこの世に居ない。個々人の心の中にだけいる。人間だけが神を持つ。神は人が作り上げたものなのだ。

 我々という存在を規定するのは、我々が持つ可能性ではなく、我々が持つ不可能性である。それが神なのかもしれない。結局、人は救いを求め宗教に縋るものだ。しかし、それは中尉の中の物とはまた乖離していた。中尉にとり神は信じるものでは無く、当たり前に存在するものであるからだった。森羅万象の全てを、神と呼ぶ。それが中尉の信仰だった。

 

「……居てもいいと思う。でも、まぁ、確かにきまぐれなものだろうから、それをあてにしても仕方ない、か……」

 

 人は1人1人違う世界の中で生きている。生きて行く。やはり、神は必要なのだ。今は居ない祖父の言葉が脳裏を過る。自分で出来る事は自分で何とかしろ、何でもかんでも神頼みするな、神サマとやらにゃ、『自分がマシに生きていけるよう見守っといて下さい』ってお願いするもんだ、あとは、自分で何ともならん事をちょびっとな、それで十分……優しい人だった。厳しい人でもあった。彼も神は信じていなかった様に思える。しかし、それこそが彼の信じる神そのものだったのだろうか。今はもう判らない。

 

「彼等の墓標に刻む言葉は、見つかったかい?」

「判らない。判りません。けれど……」

 

 風に吹かれたまま、中尉は腰の刀を鞘ごと抜く。膝を立て、眼を瞑り、凪の様な穏やかな心で金打をした。

 

 澄んだ金属音が、島を越え、海を越え、天空に響き渡る。打ち寄せる潮騒にも、吹き抜ける島風にも負けず、あの宇宙にまで届くかの様に。

 

 戦士の魂よ、宇宙に飛んで永遠によろこびの中に漂いたまえ。

 

 これが、戦い、力尽き、星となった男の墓標。

 

 その名前はわからなくていい。ただ、いつか、誰かが、ここを訪れた際、

この十字架に、俺と、俺達と同じ様に、その手をそっと合わせてくれればいい。そう、願った。

 

──死を忘るる事勿れ(メメント・モリ)。彼らを見て、中尉はまた思う。朗らかに、いつか来る死を受け入れ死ぬ為に、今は生きていこうと。

 

天地の

神にぞ祈る

朝凪の

海の如くに

波立たぬ世を

 

 彼等に、平穏を。せめてもの、心からの安らぎを。俺達には、それはまだ届かない世界なのだから。

 

 海風が頬を撫でて行く。風の辿り着く場所を知る事は不可能だ。それでも、巡り巡る風に、また会いたいと願うのは、人間のエゴなのだろうか。


『まだ死ぬ気はない。 だが、もし死ぬとしたら、時と場所は自分で選ぶ』

 

 

祈りに意味を持たせるのは、人である証か………。




ダンケルクを見ました。エンターテイメントでなく、淡々と語られる群像劇は良かったです。敵の姿がほとんど見えず、音と怯える映画でした。海の恐ろしさ、兵士の絶望、最後に残る希望、終わりを感じさせない静かな終わり。そんな映画でしたね。

今はミサイルが飛ぶ下で書いています。やはり、異常で歪です。何もしないのも、出来ないのも。当事者であるのに。それこそ、状況にふりまわされるしかないダンケルクの兵士達の様に。味方同士で撃ち合う様に、こちらに敵意を向ける敵を庇う人もいれば、日本が悪いという人もいます。俺にはわかりません。

やはり、もし人類共通の敵が出て来ても、それに滅ぼされる前に内ゲバで人類は滅びるんじゃないかと思いますね。悲しいですが。目の前の問題より好き嫌い、自分の事、この後の事、損得……。わかりやすい驚異を前に自国民ですら団結出来ないのに。この国は本当に何が出来るのか。不安だらけですね。

ただ、生きる為に出来る事はします。食べ物飲み水を用意して、頑丈な建物、地下や半地下の場所を確認してます。皆さんも気をつけてください。命あっての物種。まず生きる事、それだけですから。


次回 第七十一章 蜃気楼に霞む辺土より

「それは幸せな事だよ。誰もが思い通りの人生が送れるなら、誰も神に祈ったりはしないさ」

ブレイヴ01、エンゲー、ジ?

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