機動戦士ガンダム U.C. HARD GRAPH 名も無き新米士官の軌跡   作:きゅっぱち

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本当にお待たせしました。すみません。


第六十四章 海色

深く、冷たい海。

 

光無く、雪が降る海。

 

水底。

 

重くのしかかる水は容赦無く拒絶する。

 

海の色は、ただ鈍色。

 

 

 

──U.C. 0079 9.7──

 

 

 

 光が届かず、生命の息吹が殆ど感じられない深海。その真っ暗で深い海の底で、泡の一つも立てずただ静かに、しかし高速でよぎる巨影があった。生物ではない。しかし鯨を思わせる優雅な曲線を描くソレは、紛れもなく唯の(ふね)ではなかった。

 

 地球連邦海軍所属の特務潜水艦、"アサカ"だ。

 

 "アサカ"は莫大な水圧、抵抗をものともせず、水と一緒になって(・・・・・・)海中を斬り裂く様に突き進んでいく。その存在を知る者は、彼等を除き誰もいない。すぐ隣を泳ぎ、獲物を探し唄うマッコウクジラすら、その存在を知り得る事は無い。

 

 "アサカ"はその任務の特殊さ故、オーバースペックとも取れる高性能を誇っている。その中の一つである、限界潜水深度も従来型の潜水艦の比では無い。そもそも通常の攻撃型潜水艦に深く潜る必要性はあまり無く、そのような性能は持ち合わせていないのだ。また、ミノフスキー・クルーザーの性能は未だ未知数であり、その副産物として船体にかかる水圧すら抑える為、事実上出力の間に合う限り潜水が可能であるのだ。これはもはや潜水艦どころか乗り物として異常である。

 実戦経験こそ無いが、練度、士気共に高水準にあり、ソフト・ハード両面において既に現時代において、いや、この世界において最強の域にある。深度や速度というあらゆるくびきを解かれた、潜水艦として革新的、いや革命的な本艦は現時点で史上最強の、完成された艦であろう。

 

 決して姿を見せず、存在を感知されず、世界を縦横無尽に駆け回り極秘任務を全うする。それは存在しない(・・・・・)部隊、不可視のMS隊である特務遊撃隊"ブレイヴ・ストライクス"とは既に切っても切れない関係となっていた。

 

 そんな"アサカ"のとある一室、潮流の激しい海の中であるにも関わらず微動だにしない部屋の中、中尉は部屋に備え付けられた時計を見て小さく溜息をついた。僅かな振動さえなく静まり返った部屋の中に、小さな嘆息だけが溶けていく。

 

 潜水艦を始めとする『(ふね)』と呼ばれる乗り物のスペースは狭い。その中でも潜水艦は特に顕著だ。それもそのはず、元々、軍艦とは巨大な兵器や内燃機関、ダメージコントロールを行うための水密隔壁などを始め、貨物、燃料を始めとする物資を大量に積み込む必要があり、それらにスペースが取られてしまうため居住性は決して良いとは言えない。

…………が、潜水艦は特に酷かった。

 

 『潜水する』という特異な性能に特化しているが故、仕方がない事であるが『劣悪』極まりないというイメージそのものであろう。特に旧世紀における潜水艦の黎明期は驚異的なまでに酷かった。潜水艦、特にまだ可潜艦と呼ばれた第二次世界大戦時やそれ以前のものは、居住性はまず考慮されず、その仕事内容と過酷なものだった。狭苦しく、機密性の高い艦内は湿気だらけで洗濯物も乾かせず、また燃料・排気・カビなどの臭気が充満しているので、嗅覚に異常をきたす上、それらの臭いが体に染み付いてしまうのだ。

 しかし、周りは水だらけとは言え、音やエネルギーを放出してしまうため濾過は出来ず、真水は貴重なので入浴は厳しく制限された。潜水艦の乗組員は過酷な任務に就くため、食事こそ軍隊において最も充実している海軍の中でも取り分け充実していると言われていた。その為潜水艦には優先的に食料が配給されたと言われる。最も、狭く環境の悪い潜水艦では新鮮な食べ物は出航後数週間で消費し尽くされ、その後はどこの艦とも変わらない似たような保存食がずっと出される事となるのには変わりはなかったが。

 また、潜水艦には冷房装置が備えられているものの、多くは動力の冷却などに使われるため、基本的に室温が25度を下回る事はなかった。更に言えば敵艦に接近する場合は聴音されるのを防ぐため冷房装置を停止させたので、より高温になった。また、潜行中は水圧の関係からトイレも使用出来ないどころか、そもそもトイレすら付いておらず、ドラム缶に溜める様なものまであった。

 このような環境で毎日単調な任務が延々と続くので、潜水艦勤務は非常に過酷であった。だからこそ、強靭な精神や忍耐力を持つ、一握りのエリートのみがその搭乗を許されたのである。

 時代が流れ、技術が進歩しイメージ程劣悪ではなくなったが…………。そもそも軍事施設、軍艦そのもの自体居住性を優先せず作られているため、当たり前と言っては当たり前なのであるが。

 

  因みに潜水艦乗りの離婚率の高さは異常である。そもそも潜水艦の作戦行動は機密が要であり、乗組員はその家族にすら作戦の開始日・期間等を教えることが出来ない。あなたは仕事と私どっちが大切なの!?と言うセリフがまさに直撃するのである。また乗員は、一度潜航すると数ヶ月間浮上しないこともある任務のため極めて厳しい肉体的・精神的条件をクリアしなければならないが、それでも鬱病や神経症にかかる乗員も少なくないとされている。この問題はどの時代の事情も同じ様である。

 

 全てが、とまでは言えないが、その大半がこの様な環境下であったため、海軍の他の部隊と比べて潜水艦は上下関係が緩やかであったといわれる。

 

 しかし、"アサカ"は違う。その巨大さとスペース、出力的な余裕と艦長の方針からなんと下級乗組員にすらベッド付きの2人部屋が与えられ、下士官すら1人部屋と言う前代未聞の待遇であった。これは機密から来る口止め料を兼ねているのではないかと中尉は睨んでいたが。

 宇宙世紀の戦艦と雖も個室は士官以上、下級乗組員は部屋すら無くベッドのみであるためその待遇の違いがよく分かる。勿論高出力の熱核融合炉を搭載しているため海水から真水を無制限で精製可能であり、また一部では超長距離を航行する宇宙戦艦に導入される予定であった、実験的に人工太陽を利用した動植物の生産が行われるなどもはや実験艦からも大きくはみ出した存在となりつつある。旧世紀にもサウナやプールがついていた"タイフーン"級と呼ばれる潜水艦も確かに存在したが、それは例外中の例外であり、その機能もお世辞にも良いと呼べるものでは無かった。これもすべてあの人のせ……お陰だろう。"オーガスタ"は地球の裏側とまでは言わないがかなり距離がある。しかしあの特徴的な笑い声が聞こえて来る様な気がした。

 

「そろそろか……」

 

 中尉は備え付けられた折りたたみ式の机の前で大きく伸びをし、息を吐くと同時に持っていた愛用のペンを机の上へと転がした。ペンは無重力下においても使用可能な優れもので、側面に書かれた「えんぴつ」という文字の傍に、小さくたくみと書き込まれている。

 個室は人体工学に基づきスペースを最大限に活用出来るよう設計されているが、そんな事しなくても十二分に広い。実家も一番狭い部屋を選ぶなど閉鎖空間が好きな中尉にとって、広い部屋は便利でこそあれそこまで魅力的なわけでもなかった。贅沢なヤツである。

 しかしながら、現に机は折りたたみ式であるに関わらず、中尉の物臭な性格から一回も折りたたまれず、ありとあらゆる資料が広げっぱなしである。足元に備え付けられたゴミ箱も替えた包帯で一杯だ。スペースの限られる潜水艦においてはデジタル資料が推奨されていたが、中尉はやはり紙媒体に信頼を置いていた。電子ペーパーも初めこそ物珍しさから活用していたが……。やはり、根がロートルなんだろうな、と頬をつき、紙をペラペラと手で振りながら年齢に合わない事をふと思う中尉だった。

 

 今日の分の仕事は終わりだ。そもそも元空軍所属の新米中尉に任せられる様な仕事は潜水艦にはなく、戦闘詳報も書き終えた今、中尉は殆ど仕事が無く、待機任務のみだ。そして、"アサカ"にもイレギュラーはなく、予定を順調に消化していた。

──勿論、待機任務も立派な仕事である事は中尉も重々承知しているが……。

 

 時間は二二◯◯(フタフタマルマル)。日の射し込まない艦内ではあまり実感は無いが、もう外は深い闇に包まれ始めている頃だ。目を閉じ集中すれば微かに感じる事の出来る、波の音は今宵もブルーなのだろう。

 夜の帳に覆われた海は言葉にする事が困難な程美しいが、同時に恐ろしさも感じる不思議な空間だ。寄せては返す潮騒の音が騒がしいようで、その騒音の中に浮いているような、ふとした静寂を感じるのだ。特に周囲に島影も明かりも無い中見る満点の星空は、吸い込まれそうなほどに深く黒く広がる大海原にも映し出され、まるで宇宙の様に見える。洋上で波に揺られ、身を切る様な寒さの中見上げたあの宇宙(そら)を、中尉は忘れる事が出来なかった。

 

 中尉はぎこちない動作の左手で頭を一掻きしつつ、椅子を押しのけ立ち上がった。部屋の隅、壁から突き出た天井と床とを走るパイプに立てかけてあった刀を手に取り、ベッドに腰掛けた中尉は枕元の箱を開け、中から目釘抜を取り出しそれを柄へと添える。

 

……静かだ。ふっと独りでに笑みを浮かべ、ワザと音を立てる様に手の中の小さな道具をくるりと回す。そんな些細な動作の音も、ここでは大きく聞こえる。そして、その音がさらにその静寂を引き立てる。中尉の世界は、驚くほど静まり返っていた。

 

──そう言えば、かつて軍曹に聞いた事があった。どうして先読みが出来るのか、どうやって気配を読んでいるのかと。

 軍曹の察知能力は正直言って異常だ。以前、建物一つの人全員の気配を感じとっているとしか思えない言動を取った事を思い出し、それに引きずられるようにあらゆる事を思い出して行く。思えば徒手格闘訓練でも、射撃訓練でも、確実に動きを先読みし行動している。目に見えているものいないもの、距離が近いもの遠いもの、その全てを等しく対応しているのだ。それこそ気配を読んであるとしか思えないと思ったのだ。軍曹曰く、『……全ては、必ず…予兆があり…痕跡を残す…それが、気配だ。一挙、一動……体幹…指先、目線、軸足…発汗、心拍数……様々あるが、目線を…外さない、格闘向けの…一番は、音だ。……相手の筋肉の…収縮音を、聴け……そして、空気の流れと……動き、相手の気配を、先読みするんだ………』だそうだ。

………人類にはムリだろ。音、音て。音を聞けとでも?

 

 ついでに伍長にも聞いてみたが、『う〜ん、わかんない』『勘?』『と言うより感?』という何とも曖昧で抽象的な言葉で返してくれた。なんか置いてけぼりである。

 

 足を投げ出し、ふと見上げた天井は相変わらず音も無く、本当にオフィス街の一角と錯覚しそうなぐらいだ。いや、静か過ぎるか?それに、窓が無いか……。窓。空と太陽を拝んだのはいつだっけか。なんか感覚が狂う訳だ。

 

 気配では無いが、潜水艦にとって致命的な事となり得る重要なファクターは音である。水圧の中、光届かぬ水中で敵を見つけるには音が一番である。空気中の数倍という速さで水中を駆け抜ける音は潜水艦の"目"である。例外的にこの艦は艦橋の一部に特殊樹脂性の"窓"があるが、世界を探してもこの艦だけだろう。これは鹵獲された"ゴッグ"などのモノアイカバーを参考にして開発された実験装備である。しかし戦闘時にはシャッターが閉じられた上、艦橋そのものが沈み込み格納されるので利用はされないが。

 

 視線を手元に戻した中尉は危なげなく拵を外し、時に丁寧に、時に大胆に器具を操る。手の中で踊る目釘抜が効果を存分に発揮し、するすると刀の柄表面を撫でるように滑る。

 

 そのため、普通の潜水艦内の防音はほぼ完璧である。かつてのようなドラを叩く潜るロックバンド(イエローサブマリン)とは違うのだ。その副産物としてここの部屋の防音も高く、まるで世界がこの個室のみに切り取られた様に錯覚する程であるが、その静けさを中尉は嫌ってはいなかった。

 

 柄を取り外し、鞘から抜かれ真っ裸になった刀が鈍い光りを放つ。明るい光で照らす電灯の下、独特の光彩を放つ美しい刀身を中尉は吸い寄せられる様に眺めていた。

 

「──太刀風……」

 

 小糠肌、尖り互の目という華やかでこそ無いが質実剛健の中に混じる機能美を光らせる刀身の元、茎に刻まれた銘を思わず口にする。人の血を吸っても尚冷たく輝く刃は、覗き込む中尉の顔をただ写し出すだけだった。

 

 刀の中、小さく映る自分の顔が小さく瞬きをする。その時、視界の端に映った絆創膏に目が行った。

 

「うん?」

 

──こんなところ怪我してたっけ?小さな疑問を抱きつつ、中尉はその絆創膏を勢いよく剥ぎ取った。

 

「…──っ……」

 

 ピリピリとした頬を撫でる。ゆっくり剥がすより勢いよく剥がした方が痛くない教の信者である中尉は、想定した痛みとは別の痛みに顔を顰めつつ、手鏡を探したが無かったため、もう一度刀を覗き込んだ。

 

「………?」

 

 右頬、伸びてきた髪に隠れるようにして貼られていた絆創膏の下は無傷だった。怪我が治った後もない。刀を片手に疑問を浮かべるの手には、髪を数本巻き込み、くしゃくしゃに丸められた絆創膏だけが残るのみだった。

 

「──……」

 

 片眉を吊り上げた中尉は鼻を鳴らし、何事も無かったのかの様にはばきを外した。続いて取り出した拭い紙で丁寧に拭って行く。柔らかい紙を通し感じる触感に頬を緩め、薄く笑みを洩らす。中尉はこの瞬間が一番好きだった。古い油が拭い去られ、空気に触れた刀身が真の姿を現わす。そこに中尉は人の姿を重ねていた。

──人は誰しも決められた役割(ロール)に沿って生きている。誰もが誰も、自分自身さえも隠し、騙し、決めつけ、固定し、あらゆる感情などを秘めて生きている。幾重の人格、思想に隠された人の本質、心の深層心理に触れる事は決して叶わない。中尉自身それを望んでない節があるが、気づかぬうち、それこそ深層心理ではそれを望んでいるのかも知れなかった。

 

 打粉を手に取った瞬間、中尉の聴覚が静けさの中から微かな音を拾う。一瞬だけ手を止め、耳を傾けた中尉は唇を少し歪めたのち、また何事も無かったかの様に打粉を振り始める。

 茎の方から刃先へと、ポンポンと軽くムラなく打粉を振っていく。落ち着いていた中尉の心に小さな漣を起こした音は、中尉には聞きなれた音であったが、中尉は軽くかぶりを振って頭からその事を締め出す。

 

──今は、必要ない。今必要になるのは、目の前の事にただひたすら素直に、心の底から真剣に向き合う事だけ。中尉は一度目を瞑り、呼吸を落ち着けるかのように深呼吸する。

 

 瞼の裏側に映し出されたイメージは、狙撃銃を抱き抱え、静かに伏せ撃ち(プローン)を行う軍曹だ。狙撃を行う軍曹の姿は、まるで残山剰水の片鱗であるが如く見る者を圧倒し息を呑ませる。限りなく自然体でありながら極限までに高められた集中は、常に数多の距離を()び越え、刹那の内にゼロにする。

 その極致に到達すべく、中尉は努力を重ねて来た。軍曹に教えを請うても、返ってくる答えはただ一つ『練習によって得られる経験』、それによる裏打ちだけだと言う。中尉は未だかつてその境地に至った事は無かった。そして、これからもないだろう。きっと。

 

 判っていた。いや、悟っていたと言うべきか……自分には才能が無い事を。

 

……思い出すのは士官学校時代だ。『狙撃に必要なものは、何よりも生まれ持ったセンスだ。これについては、訓練ではどうにもならない。センスの無い者はいつまでたっても上達はしない』、教官はこう言ってたっけ……。

 

 それは、『才能』と言う言葉で逃げるのは嫌いで、常に努力をし続けて来た中尉ならではの思いだった。努力は人を高みへと向かわせてくれる。しかし、それには限界があるのだ。そこから上は、限られた者にしか到達出来ない。それを選ぶのは人では無い。それは環境であり、考えであり、気の持ちようであり、遺伝子であり、能力であり、骨格であり、内臓機能であり、全てで、ただ、時の運だ。ロマンチストであるなら神様が決める運命、サイコロの出目とでも言うだろか。

 

 中尉は自分に才能があると思った事は一度もない。日本にいた時、士官学校にいた時の自分の目から見たら、才能のある奴なんて1人もいなかった。そもそも才能なんてものは、自分で掘り起こして、作り上げるものなのだと教わった。それを教えてくれたのはおやっさんだった。

『俺だって天才なんかじゃない。簡単な事さ、誰よりも必死に考えて、働いて、階段を一つ一つ、踏みしめてきただけよ。努力ってヤツさ。俺はこの名前が嫌いだけどな。そいつは毎日やらなきゃいけねぇが人に見せるもんじゃねぇ、しかし隠すもんでもねぇ。そんなチンケな差さ。だけどよ、ありゃと思って振り向いたら誰もついて来ちゃあいねぇ。そしたら怠けた連中が、皆俺に後ろ指指して口々にこう呟くのさ。あいつは天才だから、だとよ、冗談じゃねぇ。俺はそんな奴らが大嫌いさ。俺より時間も体力も感性もある奴が、なんで俺より怠けるのか俺にゃ理解出来ねぇ。自分に自信がないくせ、努力もしない、だが人に受け入れてほしいと思ってる、だと?甘えんな。思うよ、だったらよこせ。無駄遣いするんだったら俺にくれ。もっともっと作りたいものがあるんだ。俺にくれ、ってな?』。おやっさんはそれを笑って話していたが、その眼は本気だった。『才能という言葉は、努力を重ねてきた者に対する最大級の侮辱』だとも言っていた。俺もそうだと思っていた。軍曹に出会うまでは。

 

「………綺麗事じゃねぇけどな」

 

 思わずつぶやく。努力は無駄にならない。努力は裏切らない。努力はきっと身を結ぶ。成功したものは努力している……耳当たりの良い言葉だが、中尉は間違った努力やズレた努力、努力だと思い込んでいるものが無駄になり裏切る事を知っている。結果に結びつく事はあっても、成功に結びつく事はない事も。

──しかし、だからと言って努力を辞めるつもりも無い。それはまた別の話となるのだ。

 

 また周りの人間達の才能を気にして劣等感を持つなど、愚かしいにもほどがある。自分は自分、他人は他人。同じ能力や才能を持った人間などこの世のどこにもいないというのに、それと自分を比べるというのはどうかしている。それは戦闘機と輸送ヘリを比べるのと同じ位無駄なことだ。能力というのは他人と比較するべきものではないのだ。

 兵器も戦士も戦場という環境にどれだけ適応できるかが鍵なのであって、どれほどのハイスペックを持っていたところで適応できなければ全て無駄だ。

 逆に言えばどれほど陳腐な性能を持つ兵器や戦士であっても、うまい具合に戦場に適応できればそれは役に立つものとなる。どれほど弱くても環境へうまく適応すればいいのだ。その適応する柔軟さこそが『才能』そして『性能』と呼べるものであるはずだ、と。射撃の腕だとか、反応速度だとか、そんなものは二の次だ。確かに戦場においてなくてはならないものではあるが、それらがどれだけ高くても戦場に適応できなければ何の役にも立たない。『一体どれだけ努力すればよいか』と言う人があるが、『お前は人生を何だと思うか』と反問したい。努力して創造していく間こそ人生だ。それが持論だった。まだ短い人生ではあるが、コレは正解に近いと自負する考えだった。

 

 気がつけば聞こえていた微かな音も聞こえなくなっていた。中尉はピタリと手を止め、肩を竦めつつ顔を上げ、心の中でカウントした後、ドアに軽く一瞥をくれる。

 

 その瞬間──バーンと言う激しい音と共に、ドアが手前側へと大きく開かれる。勢いよく開いたドアが風を巻き起こし、質素な室内を揺らす。小さなつむじ風が机の上に広げてあった書類を舞い上がらせ、かさりと乾いた音を立ててまた静かになった。ノックも無しにこんな事をやるヤツは、自分が知る中で1人しか居ない。中尉はその誰だか判り切った大声を出す来訪者(バオー)に目を向けず、手元に視線を戻しながら口を開いた。

 

「しょーぅい!!来ちゃいましたー!!」

「ぅい?……うん。言われなくても、見なくても判る。だから前も言ったがノックくらいしよう。な?」

 

 "アサカ"が"バンジャルマシン・ベース"を出港してから早4日。伍長はこうしてだいたいいつも中尉の部屋に入り浸っていた。始めは艦内における軍規などの観点から注意していたが、そもそもノックしろと言っても全くしない事から既に中尉は諦めていた。というより伍長に対しては殆どが諦めている、というか認めている。修正出来るのは軍曹だけだ。

 

…………苦労は買ってでもしろと言うが、売りに出すから誰か買ってくれ…………。切に思う中尉だった。

 

「あ、ごめんなさい。忘れてました」

 

 そんな中尉の心情を知っているのかいないのか……──いや、後者であろう伍長は、底抜けに明るい笑顔を顔に浮かべたまドアを閉め、その足でデスクチェアに向かい、背もたれを抱え込み跨る様にして座りこむ。そんな伍長の様子に鼻を鳴らしつつ、中尉は手元から目を離さず口を開いた。

 

「ん、次から気をつけろよ?んで、こんな夜遅くからどうしたんだ?部活動か?」

「わたし部活してませんでした。戦車道なかったですし」

 

 寂しがり屋な伍長の事だ。きっと話し相手が欲しいのだろう。だったら話を聞く事に徹しよう。流石にサボテンにでも話しかけていろとは言えん。

──……………つーかあるわけねーだろ戦車道なんて!!どんな道だ!!つーか履帯は道無き道を走るためのモンだろーが!!もしあったら俺ガンヘッドか恐竜戦車で参戦するわ!!あ、やっぱ思考戦車(シンク)で。……お、MSも陸戦用ならば多脚型はどうだろうか?今度提案しよう。そうしよう。

 

「ということは帰宅部か?」

「どうしてその発想になるんですか!?そもそもわたしは今学校行ってないから部活動は関係ないじゃないですか!」

 

 どの口が言ってんだティーンエイジャー。精神年齢はもっと幼いクセになぁ。つきあいは正直まだ浅いが、頼むからもっとしっかりしてくれ。

 刀の刃を光にかざし、その出来栄えに満足し一人うなづく中尉。伍長はそんな中尉に頬を膨らませながら口を開き続ける。

 

「ん?もしかして不登校?いじめられたのか?」

「んぁー!!そんな事もないです!!」

 

 腕を振り、地団駄を踏んで否定する伍長。椅子に体重を寄りかからせているため全然出来ていない。伍長は軍人でありながら身長、体重、筋肉量などが基準に対し全て足りていないらしい。身体鍛えろっつっても『身体が鍛えられてからにします』って……のび太かてめーは。

 

「まぁほら落ち着けって。そんなに暴れるなよ。防音対策はしてあるとはいえ、大きな振動は下の階の人に迷惑だろ?」

 

 その時ドンと音が床下から鳴り、びくりと伍長が身を縮こまらせた。

 

「ほら。な」

「び、びっくりしました。きっと下の階の人はリダさんですね」

「んで、いじめられてないのは本当に、か?ちゃんと友達居た?」

「ホントです!!………よね?」

 

 まだちらちらと床に視線を泳がせていた目がこちらを捉える。俺に聞くなよ。つーか自信ねーのかよ。ほんとコイツ人生ふわふわしてんなおい。

 

「………ホントですよね?ちょっと不安になってきました……」

 

 おそらく、今と同じ様な優しいとこだったんだろう。そうでもなければ、こんなミリオタなフリーダム人が形成される訳がない。目を瞑り頭を抱えて唸る伍長はその幸運に気づいてはいないようだが。

 そんな伍長が寄りかかる壁には、武器と手入れ道具を除き唯一とも呼べる中尉の個人的な持ち物、以前3人で作った"ロクイチ"の模型が飾ってある。私物が殆ど無い殺風景な部屋の中、それだけがぽつねんと浮いた様に置いてある。それは、やや青みのかかった壁紙の中を漂う、ちっぽけな船のようだ。

──ふと中尉は昔の事を思い出そうとするも、上手くいかなかった。なぜそうなるのかもわからない。記憶や脳に異常があるわけでもないだろう。1人腕を組み首を捻っていると、伍長が突然顔を上げ語り出した。

 

「そんな事より聞いてくださいよー少尉〜」

 

 中尉はその言葉に肩を竦め、考えを打ち切る。枕元の袋を探り、底にころりと一つだけ残っていた飴を取り出し口に放り込み、小さなため息と一緒に応える。最後の一個だった飴は、舌の上で転がされゆっくりと甘みを振りまきながら溶けていく。もう少し多めに買っておけば良かったと、中尉はもう一度、手にした刀を電灯に当て反射を確かめながらぼんやりと思った。

 

「聞かんと言っても言うんだろ?仕方がねぇな、言ってみろ」

 

 中尉の言葉を待っていたのかいないのか、際どいタイミングで伍長はその口を開く。忙しなく動き、まるで機関銃の様に言葉を吐き出す小さな口は、まるで小鳥のさえずりの様だ。

 

「今日はですねー!副長に頼み込んで、遂に念願の"シャーウッドの森"に行ったんですよ!!凄かったです!!」

「ほぉ、そいつは良かったなぁ……旧世紀の世界を抑止し、青い空を支えていた核の傘の柄はどうだったか?」

「もー!!かんどーのかんげきの一言です!!綺麗だったぁ……」

 

 2言じゃねーかよ、なんて無粋な事は口に出さず、中尉はかるく顔を振り先を促す。

 

「それでね、それでね!!」

 

 興奮冷めやらぬ、そして話した事によりさらに興奮し手を振り目を輝かせる伍長に小さく微笑みを浮かべる。手の中では刀が元の形に組み上がり、中尉はちらりと時計に目をやった。

──まだ時間はある。暫くは話に付き合おう。刀を傍に置き、中尉は膝に肘をついて両頬に手をやり、話を聞く態勢を整えた。

 

──"シャーウッドの森"。

 

 絶対兵器、究極の戦略核。かつて世界の均衡を担った、核戦略上の"核の三本柱"(トライアド)の一柱。

 

 核抑止の体現者。

 

 核報復、相互確証破壊(MAD)の象徴。

 

 大洋を征く破滅の鐘の奏者。

 

──中尉も、1度見た事があった。

 だだっ広い空間、その中央に無限に続くやもと錯覚する長さのキャットウォークが走る。その両脇には、アブラクサスの柱の森の如く、目眩を起こしそうな程に潜水艦発射弾道ミサイル(SLBM)が聳え、立ち並ぶ。終末を呼び、『破壊』以外なにも行わない森。身の丈を遙かに超える柱の一つ一つに、都市を軽く消し飛ばすいくつもの破壊の意思がこれでもかとばかりに詰められている。世界を支える、世界を滅ぼす矛盾の体現。

 世界の果てを思わせる荘厳な雰囲気は、『核報復』と言う狂気に駆られた人類が、人類の叡智総て振り絞り、地球を、世界を滅ぼさんと創り上げたものだ。それはある意味、『世界はこんなにも簡単である』事の裏返しの様にも思える。

 『やられたらやりかえせ』という方針を実践する事で『やったら、やられる』という現実を創り出し、敵も自分も恐怖で縛り付けるのが抑止論だ。つまり、抑止論を成り立たせているのは報復攻撃への恐怖に他ならない。だからこそ、縋るべき最後の手段として捨てられない。目の前の人物が武器を捨てても、『まだ持っているかもしれない』『自分の有利を保つ』ため自分も武器が捨てられないように。核削減と核廃絶の間には大きな溝がある。全て廃棄され、平和利用された筈の核を、宇宙世紀になってもなお、人類が捨てきれなかった様に。

 

………旧世紀において、明確なイデオロギーの対立が、核軍拡に拍車をかけ、弾みのついた核軍拡がイデオロギー対立を助長する。

──時代はそんな金属の歯車(メタルギア)を回し、抑止論が世界を形作った。しかし、地域的な紛争が頻発する時代の複雑な情勢下では、もはや抑止論がそこまでの力を持ち得ない事は明白だった。宇宙世紀に入ってもなお、紛争が決して止まなかったのがその証だ。

 例えば宗教紛争。そういった場合では、しばしば非現実的な意思決定が行われるのが現実だ。報復攻撃を考慮せず、恐怖に尻込みしない相手に抑止論は成り立たない。殉教の精神はそれ程にも強い。それは、人の弱さの裏返しか。

 

──現在に於いてもなお、地球連邦軍は一枚岩でない。人類と言う生き物は、敵が居ないと生きてはいけない生き物らしい。

 それに核の脅威はまだ無くなってはいない。現にジオンは"一週間戦争"、それに続く"ルウム戦役"で大量の核を使用した。核融合炉の開発とメガ粒子砲の発達、普及によってその存在を忘れられかけていた核兵器の威力を、連邦軍は身を以て知る事となったのだ。一説には短期決戦構想であったため既に核を使い切っているのではないかという報告はあるが……状況は更に混迷渦巻く最中へと突き進んでいる──光は、まだ見えない。

 

………武器を持つ軍人ほど非生産的な存在はない。やはり軍人は軍事オタクではあるべきではない、な。

 外に対する視野を欠く人間は時として愚かしい誤りを犯す。ま、もちろん哲学的に考える余裕があるときは、という条件がつくがなぁ。

 

「……まるで、そうだな……」

「はい?……って聞いてましたか!?もう!!」

 

 伍長の声が、中尉を現実へと引き戻す。椅子ごと身体を傾けている伍長に苦笑を向け、中尉は言葉を濁す。何時もの悪い癖だ。気をつけないと……。

 

「………む?あ、あぁ……すまん。えーっと……」

「だから、この前、グパヤマに会ったんですよ。頭にダイナマイトが入った」

 

 ん?

 

「ほお」

「シポムニギで。って言ってもアフォバッカ寄りですけど。凄い白いとこなんですよ?ピンクハウスぐらい」

 

 なんの話だ?さっき聞いてなかった話の腰を折るわけにもいかず、中尉は相槌を打つ事に徹する。そのままなんとか切り口を見つけようと言う作戦だ。

 しかし、その目論見は儚く散る。

 

「へぇ」

「そこで前世でアメリカシロヒトリじゃなくてディッキンソニアだってお話をしてたら、『クリスマスプレゼントだろ!?今こそ人類が太陽系システムに入っていく時でしょ!!巻き舌宇宙で有名な紫ミミズの剥製はハラキリ岩の上で音叉が生まばたきするといいらしいぞ。要ハサミだ。61!』って。今度生まれ変わるならメンマがいいですねぇ。もモヒャン的な答えでした。だからアネモネやクレマチスは汁がつくとかぶれることがあるとかないとかで、剪定する時は義体化をした方がいいかもらしいです。全く度し難い。それは紛れもなくエクラノプランのニルヴァーシュでした。中にスカブコーラルがいっぱいはいってたし。イエスでしたね。その時でした。最強のテコの原理でイデが発動したのは」

「……うん?」

 

 流石に異常を察知した中尉は伍長に向き直る。目を凝らし、じっとよく見ると、頬は上気し目は少しヤバめだ。あらぬ方向の宙を見つめ、目の前に焦点が合っていないような感じがなんか怖い。銃身の異常加熱により薬室内部の温度と圧力が上昇し自然撃発、暴発を際限無く繰り返す62式単発言う事聞かん銃(キング・オブ・バカ・無い方がマシンガン)と化した伍長は、その熱に促されるかのように譫言をばら撒き続けていた。その様子に、中尉は口元を強張らせつつ引きつったような笑みを浮かべながら引いt……聞いていた。

 

「RPGの醍醐味とも呼べるお使いの情報をゲットしたわたしは、マルコビッチとジャックの2人と協力して、人間と魚類を平和裏に共存させるため、わたしがこの仕事をするのに十分賢明ではないなんて言う人もいましたけど、そんな人たちはその事実を甘く見てますからね。ま、そこから基地に帰る途中だったかな?約束された全て遠き、聖なる手榴弾を手にしたわたしは、武器を持つクリフトポジションのヤムチャが相手だったのでそれを使わざるを得ず、ザ・不死身と呼ばれたそいつを一撃で倒し、こころがプルプルしてたんですけれど、ただちょっと丸太がほしくて、基地まであと2マイルほどの所……ふと目を上げると東の空にオレンジ色の光る物体が見えたんです!とても不規則に動いていて…そして次の瞬間、あたり一面が強烈な光に包まれて──気がつくとわたしは基地に着いていた………?あれ?これは何の話ですか?」

「………………さぁ?」

 

 困った様に眉を顰めた中尉はそれだけ吐き捨てる様に言うと、刀を腰に差し立ち上がる。そのまま伍長を躱し机に向かい、一応ガンロッカーの鍵を手に取る。

 

「もしそうだったら今頃世界はコンクリートですよね?」

「なるほど……ごめん、ちょっとよくわかんない。え?なにこれ?夏目漱石センセーも混乱するレベルだよこれ」

 

 今日何度目かもう判らないため息をまた一つつき、中尉は伍長の頭に手を置き髪をかき混ぜる。伍長は目を細めそれを甘んじて受けている。最近この様なスキンシップはしばらくご無沙汰だったため、そこはかとなく新鮮だ。中尉は手のひらに感じる、柔らかくもクセのある髪の手触りのくすぐったさに口を緩めた。

 

「それじゃ。俺は行くよ。軍曹に呼ばれているんだ」

 

 そのまま自然な動作でドアを開ける中尉。部屋に流れ込んでくる廊下のヒンヤリとした空気が心地よい。蛍光灯の清潔な光が照らす廊下は広く長く、まるで中尉の心を急かしているかのようだ。 部屋の中とはガラリと変わる雰囲気に、リラックスしていた心も少し引き締まり、中尉は服の襟と裾を正した。そのままするりとドアを潜り抜け、後手に手を振る中尉の背中に、素っ頓狂な伍長の声がぶつけられた。

 

「え!?冷たいですよ少尉!!」

 

 顔をだらし無く緩めていた伍長は暫く余韻に浸っていたのか、にやけ顔で椅子にもたれたままだった。しかし、ハッと気がついた様に顔を上げ、声を出しながら椅子から勢い良く立ち上がった。

──ちぃ!誤魔化せたと思ったんだが甘かったか!!

 

「俺は軍曹と温かいティータイムに行くんだ!邪魔すんな!」

「わたしの温もりをあげますから!!さぁ!わたしの胸に飛び込んできてください!!ハグしてあげます!!感謝します!!」

「あぁいらん!!っていいながら何故俺にタックルするんだ!?つーか感謝するのお前!?離せぇ!離せば判る!!」

 

 支離滅裂な言動で腰に縋り付く伍長の頭を押さえつつ、引き摺る様にして中尉は道を急ぐ。遠くでは水兵達がまたかとでも言うかのようにやれやれと肩を竦め、生暖かい視線を投げかけては歩き去っていく。まぁ、まだマシだ。この前後ろから肩叩かれて凄まじい顔で「高性能爆薬(セムテックス)と一緒に魚雷発射管に詰められたい?」って聞かれたし……。その少し前だって、笑顔で『プールは好きか』と聞かれ『好きだ』と答えたら、『おっ、なら明日、プールに沈めても文句はないよね?』とかよく見たら壮絶な笑顔でのたまってたしなぁ…こえーよ。

 

 先ほどまでの雰囲気はどこへやら、頭に手を置くと言う動作自体は殆ど変わらないが、その光景は酷く滑稽なものに見える。

 

「判った!判ったから!!」

「何がですか!お家はどこにしますか!?」

「ごめんやっぱ判らんかった……」

「──何をしているのですか?」

 

 そこまで広いとは言えない廊下の真ん中で、お互い小柄な方であるが人2人がもみ合っているのだ、邪魔にしかならない。戦闘配備こそかかってはいないが、現在"アサカ"は作戦行動中だ。そもそもこんな事をしている方がおかしいのだ。かけられた声に慌てて顔を上げた中尉が見た顔は、意外な人物のものだった。

 

「上等兵さん?どしたんです?」

「い、いえ、特には」

 

 腰にしがみついたままキョトンとした顔で聞く伍長に、珍しく歯切れ悪く取り繕う上等兵。いや、どう見てもどうかしてるのは俺たちの方であろうが……どうもいつもと様子が違うようだ。

 

 我が"ブレイヴ・ストライクス"の才女、アイリス・グレイフィールド上等兵。オペレーターである彼女は、いつも冷静沈着で言動を崩さない淑女であるが……これはおかしい。いつもは目を見て話す彼女が今日はやたら視線を泳がせている。手もそこはかとなく所在無さげだ。

……これは由々しき事態だ。戦術、戦略両面においてオペレーターとは重要なポジションだ。俺達パイロットがチームと言う小屋の柱であるとするなら、オペレーターはその柱を束ねる屋台骨であると言える。彼女の指示無しにチームは結束もせず、有機的な運用も出来ないのだ。そして、あらゆる方向から様々な圧力が掛かるため、一番負担(テンション)のかかる部分でもある。

 

──ならば、ここは"ブレイヴ・ストライクス"隊隊長であるこの俺が……。

 

「──上等兵、忙しい所だと思いますが、ちょっとでもいいんです。時間ありますか?」

 

 責任を持って……!!

 

「ちょうど今から軍曹の所でお茶をしようとしていたのですが……」

 

 軍曹に任せよう!!

 

──やらなくていい事は、やらない。やらなければならない事は手短かに。出来ない事は出来る者に。出来る事は出来ない者と。やりたい事は妥協無く。これが、俺の取りうる、最もエレガントな答えだ。たった一つの冴えたやり方と言っても過言では無い。基本的には事なかれ主義であり、また能力もそう高くない中尉には、これが妥当な案だった。

 

 それに、軍曹に任せて失敗した事は一切ない。と言うよりだいたい俺が少しでも困っていると軍曹がさりげなく助け舟を出してくれるか気がついたら解決してたからなぁ……。

 

「私がお邪魔してもよろしいのでしょうか?」

「だいかんげーだよ!!やったー!!」

 

 目を瞬かせた後、やや困ったように顔を傾けた上等兵へ伍長が抱きつき、胸に顔を埋めながら言う。それを少し驚きながら受け止める上等兵も、伍長のやや癖のある髪を撫でつけながら、少し困った顔で服装を正している中尉へと目をやる。

 

「軍曹なら大丈夫ですよ。上等兵はここ最近働き詰めだったようですし、これぐらいの休みは無いと」

「──それなら、お言葉に甘えさせてもらいましょう。よろしくお願いします」

 

……正直に言おう。多分コレは俺の所為だろう。つい先日のデブリーフィングの事が思い出される。

 

……いや、あれはそんな生易しいもんじゃ無かった……。怒ると怖いのね、反省します。

 

 包帯が取られたばかりの額に、人知れず一雫の汗が垂れる。無意識の内にかいた汗には気付かず、頰を軽くかく中尉は、申し訳なさげに片眉を下げていた。そんな中尉と顔を合わせた上等兵は薄く含み笑いを浮かべた。その事に中尉はまた申し訳なさを感じつつ、誰からとも無く歩き出した足の歩幅を合わせる事に集中した。

 

 カツカツという靴が立てる3人分の音を聞きながら廊下を進む。廊下は長く広いが音は響かない。その不思議な感覚を楽しんでいる時、上等兵がおずおずと口を開く。

 

「──どこへ向かうのですか?」

「リフレッシュルームです。そこで軍曹がコーヒーをご馳走してくれるそうですよ……頼めばアルコールも出してくれると思いますけど?」

 

 休息に近い待機中とは言え、程々にして下さいね、と付け加える中尉。その言葉に一瞬だけ呆気にとられた上等兵は、ほんの少し口を尖らせながら嘆息する。

 

「当たり前です」

「! なら代わりに私が……」

「何が代わりだこのアホ」

「ったぁ〜い!!少尉のバカ〜!」

 

 中尉がコツンと軽く伍長を小突くと、伍長は大袈裟に頭を抱え戯けた悲鳴を上げる。反撃とばかりに振られた手は中尉に擦りもしない。

 

「んあー!ずるい!!」

「はっはー!古典的なアウトレンジ戦法の前に屈するがいい!!」

 

 それもそのはず、中尉が伍長の頭を押さえているからだ。中尉の腕は身長の割に長い。しかも右手は左手よりも長い。ブンブンと空を切る伍長の手は、中尉の遥か手前までしか届いていなかった。

 

「どーだ、参ったか?」

「うぅ……わたしの力が及ばないばかりに……」

「ふふっ」

 

 2人の様子を見た上等兵が珍しく口元に手をやり、上品な笑みを浮かべる。良かった。俺にも出来る事がある。それはかなり少ないし、誰でも出来る事だが、実行さえ出来れば紛れもなくプラスになる。

 

「あ……」

「ん?どうした?」

 

 顎に手を当てた中尉の顔を、伍長が覗き込み動きを止める。中尉が反応するよりも早く、伍長はそのままプイと顔を背けてしまった。

 

「知りません!!もう!!」

「きゃっ」

「?」

 

 困り顔をする中尉には目もくれず、そのまま伍長は上等兵に抱き着き顔を埋めてしまった。拗ねているのかもしれない。その理由は判らんが。

 

「どうしたのでしょう?」

「……さぁ?あ、ここです」

 

 肩を竦めた中尉が、顔を上げ立ち止まり、ひょいと親指を寝かせ指し示す。それに反応し、やや大きめの両開きドアが音を立てずに開かれた。それと同時に、ドッと賑やかな声が溢れ出し、静かだった世界に彩りを加えた。

 新たな来訪者に気付いた何人かの水兵が、振り返り敬礼するのを手で制し、軽く敬礼を返しつつ歩を進める中尉。ふっと肌に感じる暖かさに、そっと目を瞑り、薄く笑みを浮かべながらそのドアを潜る。その暖かさは、久しく感じていなかったものめ、とても心地が良かった。

 

「おっじゃましまーす!!」

「失礼します」

「「おおぉっ!!」」

 

 上等兵の姿を確認したのか、男達の間からどよめきが上がり、騒がしかった室内が更に音で溢れかえる。予測こそしていたが、律儀な反応に苦笑する中尉は、好奇の視線から逃れる様に首を巡らせ、居るはずであろう軍曹の姿を探す。

 勿論"アサカ"に女性のクルーがいない訳では無い。しかし、その数は少なく、休憩を取る場合も必ずと言っていいほど男性禁制のエリアにある方へ行ってしまうのだ。そのため、このリフレッシュルームとは名ばかりの、男の巣窟に足を踏み入れる事も無かった。また、大人の女性、それも美人が足を踏み込んだからか、その反響は絶大だ。幸い、伍長はその事に気付いていない様だが。

 

「上等兵さん!!こっちですよこっち!!とくとーせきですよー!!」

「え、はい」

 

 目を瞬かせる上等兵を他所に、ウキウキ気分の伍長は上等兵の手を引き歩いて行く。その先では男達が割れる様にして道を譲り、まるでモーゼの様になっている。これ幸いとついて行こうとした中尉は、野郎どもの壁に阻まれてしまった。

 

「よお中尉遅かったじゃないか?ナンパに手間取ったのか?」

「エリートさんは違うねぇ」

「ちょいとはこちらに回して欲しいもんでさぁ」

「遠くから見てたけど、近くで見たらホント別嬪さんやなぁ」

「からかわないで下さい。そんなわけないでしょう?」

 

 中尉に詰め寄り、肩や背中を叩き、髪をかき混ぜてはめいめいに勝手な事をのたまう水兵たちに、頭を抱えながら苦笑する。水兵も本気ではなく口に笑みを浮かべており、中尉もそれを理解しつつも苦笑を止められなかった。この人達はこうなのだ。だからこそ、中尉はここへわざわざ足を運ぶのだった。空調は効いていても、隠しきれない酒やタバコ臭さがあり、決して身体にも良いとは言えない、褒められない環境であるとしても、だ。

 

「あやかりたいもんだぜ!それにしても、手は出したのか?」

「中尉の様な若造にゃはえーよ。俺ぐらいのナイスミドルじゃなきゃ」

「おめーにゃもったいねーよ」

「んだと!」

「お?やるか?」

「それでは、呼ばれてますし、ね?」

 

 物騒な言葉とは裏腹に、おどけたポーズで構える2人。そんな2人を囲い、囃し立て始める水兵たちを横目に、中尉は乱れた服装を正し、ズレた刀を元の位置に戻す。安全装置がかかっているとはいえ、中尉は今拳銃も携帯しているのだ。歓迎自体は嬉しいが、そこらへんもう少し考えて欲しいと思う中尉だった。こんな時にも刃物や拳銃を携帯している中尉も中尉であるのだが、それには気づいていない。自分の事は、自分で案外判らない典型的な例であろう。

 

「しょーうい!!こっちですよ!!」

「……中尉。時間通り、だな……」

 

 向こうで飲まないか、と肩を叩かれたが、かぶりを振って手をブンブンと振り回す伍長に顎をやる。伍長の手には既にマグカップが握られており、この中でも判る程のいい匂いが漂ってくる。中尉は下腹に手をやり、急に動き始める胃と空腹を自覚する脳に頰を緩めそちらへ歩き出す。

 だいたいいつも騒がしいリラックスルームの端の方、やや喧騒と離れている所に軍曹は居た。隣にはかしこまった上等兵が、やや緊張した赴きで座っている。その周りにはちらほらと水兵たちが座り、暖かな湯気を上げるコーヒーを楽しんでいた。ちらりと時計に目をやった中尉は、軽く頭を下げて挨拶を返した。

 

「や、すまない。やや遅くなった。少尉は今日も?」

「……肯定だ。あるもので、削り出しから始めているらしいが…期待はしないでくれ、との、事だ……」

「そっか、ありがとう。うん。美味い」

 

 コーヒーを受け取り、一口啜りつつ中尉はソファに身を沈める。口の中に広がる、酸味と苦味を抑えられたコーヒーは、芳しい匂いと共に喉へ滑り落ちていく。ほぅっとため息をつき、口に残る余韻を楽しむ。リラックスにはやはりコレだ。緩む身体に、自然と湧き上がる欠伸を噛み殺しつつ、肘置きに手を載せようとしたら肘をぶつけた。

 

「あー……ファニーボーンか。まね、MS、派手に壊したかんなぁ」

「うっ、必死だったんですけどね……」

 

 顔を歪め肘をさする中尉に、"クレ・ドッグ"から乗り込んだ仲のいい水兵が笑う。この"アサカ"の水兵の、日本人率は異常な程高い。また、アグレッサーとして乗り込んだ海の忍者たち、マリタイム・セルフ・ディフェンス・フォースのサブマリナーも多い。練度と士気の高さはそこから来ているのかも知れない。中尉にとって日本人が多いのは嬉しい事だった。激戦を制した安心も大きいが、中尉がここまでリラックス出来るのも、その事が少なからずあるだろう。人は良くも悪くも環境に大きく左右される生き物なのである。

 

「わたしのパーシングちゃんも……うぅ……」

「大丈夫ですよ伍長。しばらく戦闘もありませんし、補給を受ける予定ですから」

「そーそー。新型兵器受領の噂もあるし、元気出せ。な?」

 

 あくまで噂だけど、と小さく付け足す中尉。正直期待はしていない。そんなにリソースをこちらに割けるとも思えんし。因みに伍長の言うパーシングとは伍長機である"陸戦型GM"のパーソナルネームだ。元は言わずもがな。使っているのは伍長だけであるが。中尉の"陸戦型ガンダム"の"ジーク"にあたる名称は、軍曹機が"ハンプ"、伍長機が"ダンプ"である。命名は上等兵である。

 

「新兵器ですか!!やた!!」

 

 小躍りして喜ぶ伍長を横目に、手元のコーヒーカップに目を落とした中尉はボソリと付け足した。

 

「……コレで新兵器どころか補給もままならんかったらヤだよな……」

「……中尉。隊長で、あるなら……口に出すのは……良くは、ない……」

 

 目を細め卑屈な顔で呟く中尉を、軍曹がやんわりとたしなめる。確かに軍曹の苦言も最もである。指揮官は弱音を吐かず、ネガティヴな発言を慎むべきである。しかし、ここでぐらい本音を出したいのもまた人情だった。

 

「隊長、伍長には言わないでくださいね?」

 

 小声で上等兵にも同じく咎められる。指差す先には手を握り上を向き想像の翼を広げている伍長がいた。完全に目が星の海だ。溜息を一つ、中尉は重い口を再び開いた。

 

「すみません……──そーいや、俺たちがドンパチやってる時なんかあった?」

「あー?日本からジオンのMS駆逐されたって」

「へー……──は?」

 

 適当に振った話題の突飛さに思わずマグカップを取り落とす。軍曹がそれを軽くキャッチしたがそれどころじゃない。一口しか飲んでないとか、軍曹机の向こう側で新しいコーヒー用意してたじゃんとか関係ない。

 

「ど、どう!?何が!?何!?」

 

 ガタリと椅子を蹴飛ばし、勢いよく立ち上がる中尉は半ばパニックだ。それをたしなめる人も居らず、残りは三者三様の反応を返していた。

 

「私達も参考に出来るでしょうか?難しいと思いますが」

「軍曹はどうやったと思います?ツージキリ?」

 

 2人の問いかけに軍曹はちらりと眉を顰め、中尉に一瞥をくれながら口を開いた。

 

「…判らん、が…ある程度、検討は……しかし、何故MSだけなのか……」

 

 それだけ言うと、後は興味無さげに軍曹は手元に目を落とす。伍長と上等兵もつられて目をやり、自然と口をつぐむ。そんな中、中尉だけの声が大きく響いていた。

 

「ど、どうやってだ!!」

「あー、ジオンは地球降下後、輸送船で向かったらしいんだけど、自衛隊、上からの反対で手ぇ出せなくてそのまま上陸させて…」

「はぁ?」

 

 その言葉に激しく脱力する。何やってんだろホントに。どーせまーた誰彼構わずどっかの大理石の建物の中で昔から変わらん怒鳴り合いをしてたんだろう。ホント小学生の様な揚げ足取りや怒鳴り合いや罵り合いをしてたっかい給料もらえるって割りのいい仕事なこって。いい加減にしろよ。

 

「んみ?何でですか?」

「日本という国は、確か攻撃してはいけないのです」

「…専守防衛。国の、持つ、平和憲法から…反撃しか、出来ない……」

 

 額の汗を拭った中尉は、もう一度軍曹からコーヒーを受け取り一口飲み、溜息をつく事で心を落ち着かせる。

 手の中に小さく収まるカップを軽く回しながら、落ち着きを取り戻した中尉は深くイスに座りなおし、もう一度確かめるかの様にコーヒーを一口飲む。1度目を閉じ、深呼吸をした後、先を促す様に顎をしゃくった。それを見届けた水兵が、おもむろに口を開く。

 

「んで、見守ってて…マスコミが上陸艇にインビューしに行ったりとかあって……どんどん乗り込んでったのよ。反撃もないし」

「………」

 

 予想外過ぎる状況に冷や汗が頬を伝う。明確に侵略されてもなお攻撃しなかった、いや、出来なかったのかよ……それは余りにも酷くはないか?

 

「そんな日が何日も続いて……でもある日、戦争反対を訴える団体が陣地に行ったら撃たれて……そっからもう……一瞬で榴弾砲が火ィ吹いて陣地や戦闘車輌は壊滅。何とか逃げ延びて反撃したMSも戦車の機動運用と攻撃ヘリ、戦闘爆撃機の波状攻撃に耐えられず撃破。海では海で潜水艦が上陸艦と潜水艦を悉く沈めてさ……」

「あー、特科と機甲科張り切ってたなそーいや」

「ブリキ缶なんてバカにしてたもんねジオンの奴ら」

 

 もう一人の水兵が、思い出したのかの様に相槌を打つ。それがさも当たり前の様に振舞っているのが中尉には理解出来なかった。既に住んでいる世界、見ている世界、持っている価値観、その全てが違うのだ。中尉は、自分が既に日本人とは違う事に、微かな寂しさを覚えていた。

 

「……おぉ……」

「うわぁ……!!」

 

 伍長が目を輝かせ、両手を握り締めながら聞き入っている。中尉はただ、感嘆の溜息しか出なかった。

 

 戦場の華が歩兵であるなら、砲兵隊(アーティラリー)は戦場の神である。近代の地上戦における火力とはすなわち砲兵であり、戦争においてもっとも効果を発揮する部隊と言っても過言ではない。ただただ正面火力とは、投射力がモノを言うのだ。

 重迫撃砲、軽砲、中砲、重砲、自走榴弾砲、自走ロケット砲(MLRS)等から成る砲兵隊の叩き出す爆撃損害評価(BDA)は爆撃機のそれとは比べ物にならない。砲兵隊の基本戦術である、目視外射程(BVR)に存在する火力支援基地(FB)からの間接射撃による曲射攻撃は、前方砲兵観測(FO)と砲撃陣地の射撃式所(FDC)による連携で目標へ正確に誘導、弾着出来る。その事から、自らの位置が露呈しない限りにおいては一方的な攻撃を断続的に加え続ける事が出来るという非常に有効な方法である。また、戦闘前面から数km以上離れた後方から効果的な射撃が出来るため、近接航空支援(CAS)などに比べ直接射撃による攻撃を受けて部隊が損耗する危険を小さく出来る。更には、比較的低コストである砲弾を短時間で多量に投射出来る為、大口径の火砲を多数並べて一斉に射撃する攻撃は、強固な陣地構築物を除いてあらゆる目標物を広範囲に破壊できるのだ。そして、現代戦において強固な陣地はコストに似合わず、ミサイルや航空機によるピンポイント攻撃に弱い事もあり殆ど無い。ミノフスキー粒子の発見によりこれは薄れつつはあるが……つまり一言で言うと、砲兵隊とは戦場を股にかけるスナイパーであり、対費用効果が高い、安価で効率的、経済的な攻撃手段であるのだ。

 

 中尉も一度と言わず、砲兵隊の戦法の一つである転移射の真似事をした事はあった。しかし、それは"ロクイチ"や"マゼラ"を使った所詮真似事に過ぎ無かったのもまた事実である。

 

「ま、あのモグラ連中もやるってこった」

「向こうも俺たちの事モグラ連中って呼んでるだろーけどな。同感だ」

「まねしましょう!!それでわたしたちもだいしょーりです!!」

 

 あまり驚いた様子を見せない上等兵の隣では、伍長が椅子を蹴飛ばし立ち上がり、片手を振り上げ天に掲げている。そんな伍長を諌めつつ、軍曹も感心した様に口を開いた。

 

「……野砲の、初弾を…命中させる、というのは……噂では、なかったか……」

「伍長、お行儀が悪いですよ。しかし、この"アサカ"もそうですし、練度の程は聞いていましたが、驚きですね」

「ま、練度に関しては世界最強、なんて言われてたしなぁ」

「撃つ弾と予算は相変わらずねぇけどな」

「それなんだよな。ホントに。作業服の更新次何時だよ」

 

 顎に手を当てた中尉は、歴史の重みの前に舌を巻いていた。砲兵が本格的にその効果を発揮し始めたのは旧世紀の第一次世界大戦からだ。その後もハイテク化などの進化こそあれど、本質的には何も変わっていない砲兵隊は、未だ戦場を制し続けているのである。

 

 勿論、スナイパー同士の戦いによるカウンター・スナイプの様に、対砲兵の戦法ももちろん存在する。カウンターバッテリーアーティラリーと呼ばれる戦法がまさにそれだ。

 これは撃ち出された砲弾の音や光、撃ち出された砲弾の向き等のあらゆるデータを解析し、敵の砲撃地点を割り出す対砲迫レーダーを用い、火力支援陣地に火力を集中させるという手法である。これは敵砲兵への有効な反撃手段として導入され、自走榴弾砲等が配備され、迅速な展開、射撃、移動が可能になった今も尚有効である。いや、電撃戦などの速度を持った作戦が立案され、砲兵が機甲部隊などに追従する必要が出て来た事や、カウンターバッテリーアーティラリーが浸透し、より迅速な陣地転換が必要になったからか……。ま、鶏が先か卵が先かと言う位だ。個人的には卵を産むように進化した生物がいなけりゃ卵は生まれないが、その第1号の卵から孵った生き物はその時点で別の生き物となり卵を産むことから卵が先なんじゃないかと睨んでいる。

 

「……何故、そこまでして……殲滅、しないんだ……?」

 

 軍曹が疑問を口にした。それは中尉も思っていた事だ。全滅し、指揮系統が死に絶え組織的行動が不可能になった軍が殲滅されるのは時間の問題だ。そりゃ勿論ゲリラ化されたら別ではあるが。しかし、初撃で大打撃を与えたのだ。その時殲滅仕切ってしまえば良かったのに。

 

「あー、地元の住民が匿ったり仲良くなったり色々あって……ま、こちら側の損害はゼロに近いし、上も下も慎重だ。そんなもんかもな」

「人的被害こそあったが、死傷者数はどこの戦線よりも劇的に少ないし、戦力も軽装甲車が数台って聞いたしな」

「"日本海海戦"の様ですね」

「けど、その掃討を理由に派遣はやめるゆーてるし、まぁ体のいい言い訳、理由作りだわな。だから俺たちは非公式の参加なんだ」

 

「「………」」

 

 言葉を聞くや否や、顔を見合わせ、溜息をつく中尉とやや眉を顰める軍曹。ゲリラ化よりタチの悪い事になってる……。日本は未だに銃の携帯は許されていない。そこに銃を持った者が紛れこめばどれだけの脅威になるか住民は理解しているのだろうか?最悪大量虐殺(ジェノサイド)が起きるんだぞ?

 

「ちょいと違うが"ロードランナー"みたいなもんよ」

「そうそう。立場こそ違えど、ね。だから一応ワルキューレの騎行のCDは持ってきてるよ?」

 

 カラカラと笑う水兵達はとても気楽だ。それは同時に本国に残して来た仲間を信じているからであろう。羨ましい事だ。

 

「そーいえば少尉、なんで日本軍(ユーハング)に入らなかったんですか?」

「自衛隊だよおじょーさん」

「その、ジェ?」

「じ、え、い、た、い!」

「ジェダイ?に入らなかったんですか?」

 

 腕を組み考え事に沈み込んでいた中尉を、稲妻の様な伍長の一言が現実に呼び戻す。焦って口を開こうとしどもる中尉に、さらなる追撃が迫っていた。

 

「え?いや……」

「そーいや聞いて無かったな。なんでだっけ?」

「その……」

「それは私も気になっていました。支障が無ければお話していただけませんか?」

「………」

 

 それはフォースが無かったからだよ、何て茶化そうとしたのも、上等兵の前で崩れ去った。理由を知っている軍曹はただ一瞥をくれるのみだ。孤立無援で絶体絶命な中、中尉は重く粘る様な顎を開き、絞り出すかの様にボソリと呟いた。

 

「…………ちた…」

「はい?」

 

 目を瞑り、耳元へ手をやる伍長。なんかそれ無性に腹立つからやめて欲しい。貴方にはわからないでしょうね、ええ。

 

「落ちたんだよぉー!」

 

 天を仰ぎ、慟哭する中尉。それはまるで時間が止まり、周囲とは切り離され、音が無くなったかの様に錯覚する程だった。突然の事に周りが目を丸くし、言葉を失う中、澄まし顔の軍曹だけが、何事も無かった様に豆を挽く音だけが響いていた。

 

「な、なんかごめんなさいぃ…」

 

息を荒げ、肩を上下させる中尉に伍長が半泣きになりながら縋り付く。水兵達と上等兵は皆口を押さえそっぽを向きながら震えている。

 

「お、落ち……ぶふっ」

「な、なんで……落ちぃあはははっ!」

 

 笑う事を隠さないヤツまで出て来た。なんだ!?落ちたぞ!?それがなんだ!?文句でもあるのかこの野郎!!チクショー!進研ゼミやっとときゃ良かった!!この問題ゼミでやった!!って言ってみたかった!!

 

「い、いい経験になったろ…」

「うんうん。挫折を知る事は良い事だうん…ふふ」

「だ、大丈夫ですよ少尉!わたしも落ちた事ありますから!!その時ショックで部屋で泣いてたら、次の日何故か受かってたんですよ!!」

「うん?どういう事?つーかアレ?何?何の話?」

 

 頭に疑問符を浮かべる中尉。しかし、そんな事には構う事無く、伍長はそのまま続ける。

 

「次の日お父さんが来て『不合格は間違いだったようだよ!ほら!』って合格通知を見せてくれんです!なんでも試験官さんがうっかりしちゃったそうで!だからお父さんはおやすみもあげたって言ってました!!」

 

……お、おやすみ?

 

「……きゅ、休暇の先は?」

「え、えーっと……し、シベ……?なんかお菓子みたいな名前のとこでしたかね?そこで木を数えるとか何とか」

「そ、そうか……」

 

………いや、いやいやいや……こりゃあかんヤツや……。

 その意味に気づいたのか、水兵達もその顔色を青に変えて行く。そして、そのままの震声で口を開いた。

 

「いやな……事件だったね……」

「どこですか?南の島です?」

「うん噂によるといいとこらしいよバトルオーバー北海道25ルーブルかけてもいい」

「おいダッハウ送りにするぞウルーシー」

「誰が怪僧だ隠岐に流すぞ?」

「流されるのは"ビッグE"だけで十分だセントヘレナ島に閉じ込めるぞ」

 

 あまりの闇の深さにビビる水兵ズ。つーか俺も。上等兵も意味に気づいたのか口元を押さえていた。伍長は運が良かった〜なんてニコニコしているが。

 

「う、噂と言えば、聞いたことあります?"M資金"って」

「って、え?"エンタープライズ"また大破したの?」

「今度は梶に喰らって漂流後座礁したら艦首が千切れたって」

「何でだよいい加減にしろよほぼ一ヶ月毎に大破してんだろーが」

「"ハワイ"本島奪還はまだ早計だろうに」

 

 落ち着きを取り戻し、軍曹の用意したホットサンドを頬張る中尉に、一人の水兵が飲み干したカップを置きながら口火を切った。

 

「──ん、"M資金"?GHQの?違う?いや?軍曹は?」

 

 咀嚼する口元を隠しながら、中尉は首を横に振る。聞いた事は無いが、不思議と耳に残るその言葉の端に、何かを捉えた様な感覚がする。リフレッシュルームの柔らかな光が、やや暗くなった様に感じ、中尉は首を捻りつつも、咀嚼を終えた口を開いた。

 

「…よくある、戦場伝説の……一つとして、なら…」

「私も聞いた事があります。ジオン地上侵攻軍のヨーロッパ方面軍司令、マ・クベ大佐のファーストネームから取った、正体不明の積荷の事と言う事です」

「あー、あのワカメみたいな髪型の……資金って事は、徳川埋蔵金みたいなヤツですか?」

 

 司令に、正体不明……何か引っかかる。小さく口に出してみたら尚更だ。中尉は乾き始めた唇を少し舐める。伍長は顎に人差し指を当て、虚空を見上げながら何か言っているが。

 

「ま、まぁそんなもんか?それがどうしたんだ?」

「伍長もよく知っていましたね。偉いですよ」

「えへへ、プロパンガニュースで見ました!」

 

 伍長を褒めながら頭を撫でる上等兵に、伍長が笑顔で抱き着く。それを見た水兵の一人が鼻をつまんで上を向いた。おい。

 

「……プロパガンダだ…」

「はは……いや、よくある戦場神話の一つのハズなんですが……最近何かにつけて良く聞くんすよ。気になりまして」

 

 呆れ顔の中尉と軍曹の2人に愛想笑いをしつつ、水兵はそう続ける。手元の空になったカップを弄びつつ、机を指がリズムよく叩く。その音を掻き消すように、伍長が再び口を開いた。

 

「きっと高いツボですよ。そんな噂聞きましたし!それか……お宝とか!!」

「いや、お宝て」

 

 思わず突っ込む中尉。伍長は照れ顔で頭を掻いている。褒めてないぞ?

 隣では上等兵がコトリとカップを置き、眼鏡をケースから取り出しつつ後を継いだ。

 

「しかし、"M資金"、ですか。──何かしらの暗号とも取れますね」

 

 その一言で、ただの談笑の場であったハズの空気がガラリと変わった。その言葉には妙な説得力があったのだ。暗号。そして情報。その2つを制する者は戦争を制する事と同義だ。内通者(スパイ)潜伏工作員(モール)による人的諜報(ヒュミット)、クラッカーによる電子諜報(シギント)などの情報戦などは今も尚有効である。雑談程度の話であれ、軍人はそれらの話題に敏感なのである。

 

「お宝と言うものあながち間違いじゃねぇかもな。他人にはどうであれ、何らかの価値を持つものと考えられそうだよな」

「それこそ新兵器……」

「──いや、核兵器とかだったりして…」

 

 都市伝説はともかく、噂話は好きでもなく、ただロマンはある位しか思わない中尉は、戯けた様に手を持ち上げそう続けた。もちろん冗談のつもりだ。

 ジオンは確かに核を使った。しかし今は南極条約で禁止されている。確かに連邦も地球上の殆どの核を破棄し、破棄しきれなかったものも封印しているため数は無い。しかし、ジオンとて既に核は残り少ないと思われるのもまた同じだ。そもそも、今まで使ってきたものも黎明期に使われていた核パルスエンジンに使用していたものであろう。

 それに、ここでまた核を使うと言う事は、敵に核を使う大義名分を与えてしまう事に他ならない。そのリスクは余りにも大き過ぎる。核は本来使われるもので無く、交渉に用いられる物だ。今度こそ、そして地球上で核が使われる事となったが最期、人類はその歴史に自ら幕を引くのでは無いだろうか。

 

「……核……か…あり得なくもない、が…」

「まっさかー」

「ははっ、ジョークにしちゃキツイぜ。──……ジョークだよね?」

「おい、俺に聞くなよ」

 

 軍曹の言葉を笑い飛ばす2人も、やや自信無さ気だ。笑い飛ばせる程、事態は楽観的に見られる状態ではない。ジオンは核を用い、自らの住む大地、故郷であるコロニーさえ大質量兵器として転用したのだ。その事から、何かをしでかしかねない、底知れぬ恐怖と不安を持つのがジオンであった。それでこその南極条約であるが、それがどこまでの抑止力を持ってくれるか……。

 

「今のジオンにゃ、喉から手が出る程欲しいもんだろうけどな」

 

 ふかしていた煙草を置き、クラッカーを齧る水兵がそう吐き捨てる。その態度に眉を顰めた中尉は、開きかけた口を閉じ、そこから誤魔化すように言った。

 

「ま、資金なんて大層な名前だし、利益をもたらす物だろうな」

「大層な名前だからこそショボかったりするかもね」

「"ラプラスの箱"みたいな?」

「なんだそりゃパンドラじゃなくてか?」

「ワクテカ?」

「アステカ?」

 

 地球連邦軍を問わず、ジオンを憎からしく思っている者は少ないとは決して言えない。それは統一のために弾圧や武力制圧などの強行策を行った連邦もそうではあるが、ジオンはそれの比ではない。地球、そしてスペースノイド(・・・・・・・)にも大喧嘩を吹っかけたのだから。

 また、敵対心には勿論理由が常につきまとう。そこに触れるのは決していい事では無いだろう。内心苦笑する中尉は周りをそれとなく見渡し、次の言葉を待った。

 

「そうですね。何らかのレアメタルや、資源地図などかも知れません」

「それとも宇宙海軍カレーのレシピとか?」

 

 上等兵はその意図を汲み、冷えかけた場を温めるかの様に発言する。空気を読めない伍長は何も考えず口に出し、それが結果プラスとなった様だ。場には、再び暖かい空気が流れ込み始めた様であった。

 

「スキャンダルとかだったら面白いんだけどなぁ」

「ヌード写真とかだったら笑えるな」

「やっぱ結局壺?」

 

 思い思いに発言し、笑いを誘う男達。また盛り上がり始めた事に満足しながら口を開きかけた中尉を押しとどめたのは、けたたましいまでのビープ音だった。

 

「戦闘配備か!?」

 

 誰言うと無く叫び声がし、総員が弾かれた様に立ち上がる。思わずスピーカーに目をやる者もいる。中尉は既に頭を切り替え、既に準備を終えている軍曹とアイコンタクトしつつ指示を出し始めた。

 

「俺たちはMSに!!上等兵は艦橋へ!!オペレーターとしての特例で、入室許可は取ってあります!!」

「了解!!」

「急げ急げ!!ホラ進め!!」

「押すなよ!?慌てず急げよ!!」

 

 艦内の電源が切り替わり、赤色灯が灯される。一気に薄暗くなった通路では、既に足音が絶えず聞こえてくる。

 走り出した事態に流されるかの様に駆け出す水兵達の間を縫い、中尉は上等兵に声をかける。その指示に敬礼で返す上等兵を見送りつつ、机に残った氷水を残さず飲んでいる伍長に怒鳴りつける。

 

「伍長!!急げ!!」

「あいさー!!」

 

 ファミレスから出る時じゃねーんだから、なんて突っ込む余裕も無く、中尉は机に残った食べ物を口に詰め込む伍長の手を取る。べたついた手に不快感を覚えつつ中尉のブーツに包まれた脚は床を蹴った。視界の端では伍長が最後にとポケットにお菓子を放り込んだのを捉えていたがもう呆れて声も出ない。まぁ緊急時ならともかく俺もやるけどさ、汚れても大変だし残ったら勿体ないしね。でも時と場所を考えてくれ頼むから。

 

『総員!第2種警戒態勢!!繰り返す!!総員!第2種警戒態勢!!』

 

 既に軍曹の姿は無く、中尉は伍長の手を引きながらリフレッシュルームを飛び出し、そこら中を走り回る水兵達を交わしながら格納庫(ハンガー)へとひた走る。時折交わされる挨拶は既に戦闘態勢だ。やきもきしつつエレベーターを待つ中尉に後ろを走り抜ける水兵達が敬礼を残して走り去る。

 

「ご幸運を!!」

「ありがとう!!健闘を祈る!!」

 

 やっと来たエレベーターに飛び乗ると、伍長がボタンを叩きつける様にして押した。これに乗りさえすれば後は直ぐだ。動き出したエレベーターの中、おしぼりで伍長に手を拭かせつつ、中尉は上がりかけていた息を落ち着かせる。

 

「ほい伍長。取り敢えず拭いとけ」

「あ、ありがとうございます。それにしても、どうしたんでしょうか?」

「判らん。が、今は考えるより動くぞ」

「あ、ボタンも拭きたいのでもう1まi…」

「後にしろ!GO!!」

 

 ドアが開いたと同時に走り出し、ロッカールームへと飛び込んでヘルメットだけを手にし走り出す。整備兵たちに迎えられ、早足で挨拶しながら歩きつつ顎紐を止める。後ろでは伍長がボディアーマー装着に手間取っているが、1人が手伝いに向かったのを確認しキャットウォークに飛び乗った。

 

「小隊長!!」

「少尉か!?修理は!?」

 

 コクピットを開けて待っていた少尉が声を上げる。シートに滑り込み、コンソールを叩きながら中尉は怒鳴り返した。

 

「間に合うかバッカ野郎!残弾も数発ねぇよ!!」

「数分動きゃいい!!残弾は軍曹機に!もう退避しろ少尉!!」

「あっ!おい!!」

 

 コクピットハッチを閉鎖し、ぼんやりと幻の様に光るメインコンソールとメインモニタを前に、ヴェトロニクスの立ち上がりと同時にシステム・チェックに全力を注ぐ中尉。その動作も手馴れたものだ。必要なキータッチを視線を巡らせつつ機械の様に素早く精確に行い、その過程の中で機体と一体化して行く。そんな中尉のインカムにノイズが走った。艦内用のバースト通信だ。その音に咽喉マイクを握りつつ、先手を打って話しかけた。

 

「ブレイヴ01よりウィザード01へ。聞こえてますか?」

「こちらウィザード01。感度良好。問題なし。データリンク開始します。同時にCICの無線連絡もリンクします。少しでも状況が掴めるはずです」

 

 通信相手はやはり上等兵だった。それもかなり早く。シートベルトを着用し体に合うように調整しながら中尉は内心感謝する。それにしても、殆どの作業が1人でも出来るMSってホントスゲーな。早くこの技術民間に転用されねーかな。

 

「こちらブレイヴ01。適切な判断に感謝します。HSL起動。回線Dに接続」

 

 上等兵の指示通りにリンカを作動させ、リアルタイムな情報提供を受ける。その瞬間、決壊したダムの様に怒涛の如く情報が溢れ出し、それをシステムが整理、抽出し出力して行く。マシンパワーにのみなせる技である。

 

『こんな音は初めてです!!』

『プルーフやアプスウィープ、ウィスル、スローダウン等とも一致しません!』

『音紋のエコーから、サイズは250m近いと思われます』

『速度は一定ではなく、不定期的な謎の音を出しつつ、かなりの低速のようです』

目標動作解析(TMA)完了まで後30秒』

 

 ソナー員の声だ。どうやら敵は正体不明らしい。これはかなり珍しい事だ。ノウハウのないジオンの有する潜水艦は全て連邦軍の物の改良型か、そのまま使っているものであるという事らしく、その音紋特定は比較的容易であると聞いていたが……。

 

『"ジュノー"級にしてはデカ過ぎる。──が、"ロックウッド"級にしては小さ過ぎるな。そんな艦はあるのか?』

『ないな。"52ヘルツ"はこの艦だけかと思っていたが……いや、"アサカ"以外の特務艦の話は僕も聞いた事がない。しかし、ジオンにも改装艦しか無いはずだ。──向こうに動きは?』

 

 艦長と副長の声がそれに続く。落ち着き払っている2人に、普段の様子は微塵も感じられない。そこには、頼りになる歴戦のサブマリナーがいるだけだ。

 

『ありません。そもそも、本艦は現在"ミノフスキー・クルーザー"により変温層を形成していますから、捕捉できないハズです。しかし…』

『しかし、なんだ?報告は正確に行え』

 

──ん?雲行きが……。そこに、通信が入る。"陸戦型ガンダム"の首を巡らせるのと、隣の"陸戦型GM"のメインカメラが光を放つのはほぼ同時だった。

 

《少尉、今何とか乗り込みましたが……。パーシングちゃん、足がないんですけど……》

「腕もないな。だが足なんて飾りだ。偉い人にゃ判らんの」

《えぇ!?つまりわたしは偉いんですか!?やった!!》

《ブレイヴ02より、ブレイヴ01…近くの離島を、ピックアップしておく……》

「すまない。頼んだぞ」

 

 仮に"アサカ"が沈んでも、MSのデータを失う訳にはいかない。中尉も機体の状況を確認し、"ビームサーベル"が使用可能であるか再チェックする。水中ではメガ粒子は減衰し十分な効果を発揮できないが、いざという時はこれが頼みとなる。軍曹の判断は正しく精確だ。それが空恐ろしく感じる時もあるが。

 

『いえ、そんな、これは……信じられない!!こんな事が!!計器に誤差は!?』

 

 ソナー員の1人が動揺した様に大声を上げる。それにもう1人のソナー員が応えた。

 

『見られません!!やはり!!これは!!』

『なんだ!!どう言うんだ!!』

 

──何が起きているんだ?

 

《しょういー?どうしますー?》

「待機だな。CPからの指示を待とう」

 

 一度通信を切った中尉は、上を見上げ通信を繋ぎ直す。その先はもちろん上等兵だ。

 

「ブレイヴ01よりCP。状況は?」

《こちらCP。混乱してます。こんな事は初めてです》

《こちらブレイヴ02……最悪の状況を、想定しておくべき…だな…》

 

 不安だけが募っていく。そもそも今の深度すら判らない。水圧にMSに耐えられるのか?敵は何なんだ?どうするべきなんだ?

 

『艦長、探信音(ピン)を打つ許可を』

『許可する』

『おい!』

 

 ピン!?明確に敵を捉えているのか!?………戦闘に、なるのか?

 

 自ら音を出し、敵を走査するアクティブソナーは敵を明確に捉える事が出来るが、敵に発信方位を教えてしまうと言う弱点がある。だからこそ潜水艦による戦闘において、ピンを打つと言う行為は『確殺』の強い意志が必要なのである。

 

『構わん!やれ!』

 

 船長の指示に、反対したのは副長か、その反論も鶴の一声によって封じられる。今、この艦は戦闘状態に入ったのだ。

 

『やれやれ…魚雷発射管の1番と2番に魚雷を装填、諸元を入力しろ。3番と4番にはアクティブデコイだ。注水準備』

『了解しました。魚雷発射管、1番と2番に装填、諸元入力完了。アクティブデコイも同じく。待機します』

『了解。3、2、1…ピンガー、発信!』

 

 次の瞬間、甲高い音が艦全体を鋭く揺らし、暗く冷たい水を斬り裂き響き渡った。初めて聞く音にびくりと身を竦ませた中尉は操縦桿を握り直し、来るべき時をただ待った。

 

《今の音は?》

《ピンガーだ…敵を捉えたか……》

 

 艦はとても静かだ。しかし、艦全体が緊張に包まれ、それ自体がまるで音となったかの様に艦を満たす。それを肌に感じる。いつもと変わらない光景なのに、この静かな緊張が恐ろしい。中尉は、それがただ早く終わって欲しいと願う事しか出来なかった。

 

『解析班!情報解析急げ』

『艦長!魚雷発射管に注水しますか?』

『いや、まだでいい』

『──やはり…………捉えたのは、潜水艦ではありません。現代の艦でもありません…』

『鯨か幽霊船だとでも?こんな時にジョークはないぞ?』

 

 目を閉じ、ゆっくりとした深呼吸で息を整える中尉を差し置き、事態は急速に進んで行く。

 

『戦艦です!おそらく戦艦、"ヤマト"クラスかと!!』

 

 艦内に、衝撃が疾走った。

 

『"大和"は坊ノ岬沖で沈んでる。つまりは大和級2番艦の、"武蔵"…か?』

「──な!?ゴホッ!」

《! ど、どうしました!?》

「……い、いや………」

 

 その一言で、世界が180度反転したかの様な衝撃が走った。思わず息を呑み咳き込む。訳が判らない。ここで何故?何が?

 

……戦艦、"武蔵"だと……?馬鹿な。

 

『なんだと!?』

『そんな馬鹿な!!』

『エラーやミスではないのか?またはクラッキングでは?』

 

 CICも同じ状況の様だ。狼狽する艦長副長に、今にも泣き出しそうなソナー員の声が響く。誰もが皆混乱していた。

 

『自己診断プログラムが常時走っている上、私達の監視もあるんですよ!?そもそもこの艦は完全なスタンドアロンです!!』

『それに、仮にそうだとしても、その様に『見せかける』必要性はありません』

『ありえない、という事か……』

『ありえない、何て事は、ありえないってか?おいおい』

 

 絞り出す様に呟く艦長に、理解出来ないとでも言う様に副長が続く。そこへ、解析班の1人が声を上げた。

 

『今3Dスキャニングが解析終了しました。99.98%の確率で目標は戦艦"武蔵"だと断定されます』

『……接触までは?』

『2分です』

 

 そうか、と独りごちた艦長が、副長に次の指令を継げた。その指令は、最早戦闘の継続を指すものでは無かった。

 

『……赤色灯解除。艦橋を上げろ。同時にシャッターを上げ、探照灯を照射しろ。手の空いているものにも見せてやれ』

『艦長……』

『総員、登舷礼用意。作業中の者も、一度手を止めさせろ……』

『もう何も言わないよ。これは君の艦だ。それに、日の本の国の艦だろう』

『うむ。英霊には敬意を払わねばな』

 

 艦内の灯りが正常に戻る。赤い光に慣れた目には眩しいだろう。艦内全モニターが点灯し、艦長の顔が映されるとともに艦内放送が始まった。

 

『諸君、第2種警戒態勢は解除だ。この"アサカ"が捉えた船影は、過去の大戦艦、"ムサシ"の物だったのだ。皆、モニターを見て欲しい。そこにはかつての激戦を戦った、英霊の姿が映っているはずだ』

 

 モニターが点滅し、真っ暗闇の水底が映る。そこに闇を割く、探照灯の灯りが投げかけられた。照射された強い光は深海の闇に直様吸い込まれて行く。しかし、その中に、かつての戦艦の姿を堂々と映し出していた。

 

『我々はまた新たな門出を迎える。またも我々は大海原へ漕ぎ出すのだ!次こそ永遠の航海に出る事になるかも知れない!!しかし、彼らが我々の前に姿を現してくれた事は何かの意味があるはずだ!!総員、甲板には出れないが、その場でいい!登舷礼用意!!』

 

 大きく損傷しても尚堂々と立つ巨大な艦橋。針鼠の様についていたはずの機銃はその殆どが吹き飛ばされ、大きな船体には多数の穴が開いており、その激戦の様相を醸し出している。自慢の世界最大の艦砲、46cm(サンチ)3連装砲は2つが脱落しポッカリとした穴を残すのみであったが、戦艦としてのプライドか、散っていた英霊たちの誇りか一つだけ残っており、過去の栄光をそこに遺していた。

 

「聞きました!!少尉!!」

「あ、あぁ……」

 

 コクピットハッチを跳ね上げ、飛び跳ねる伍長に、中尉は震声で生返事を返す事しか出来なかった。目はモニターに釘付けだ。嘗ての栄光をそのままに、今も尚水底を進み続ける"不沈艦(モンスター)"を前にし、殆ど身動きが出来ず、万感たる想いを胸に抱え、ただ浮かべる涙をこらえる事しか出来なかった。

 

『……俄かに、信じられません。私は今、これ以上になく動揺しています』

《…世界最大、最強クラスの……戦艦……永遠の、巡航……》

 

 艦全体がざわつき、震えているようだった。それはまるで、この"アサカ"が打ち震えているかの様だった。日本最後の戦艦と、日本最後であろう攻撃型潜水艦は、生まれ故郷こそ違えど同じ魂を持っているかのようだった。

 

 艦長がどこからともなく旭日旗を取り出し、CIC内ではためかせる。艦名の"アサカ"は"旭翔"と書く。"天翔る旭"、まさに"日の出づる国"の、旭日旗に相応しい艦と言えるだろう。

 それは旧国名を冠する"武蔵"もまた同じだった。

 

『総員!!敬礼!!』

 

 上部から腹の底まで届く様な重低音が響く。VLSサイロのハッチが解放されたのだ。恐らく、空砲の代わりなのだろう。サブマリナー達も、時と場所は違えど同じ海を行く者として想う事があり、出来る限りの敬意を払いたいのであろう。

 

 中尉は"陸戦型ガンダム"右腕のロックを解除し、敬礼を行う。伍長機も残った右腕のみで敬礼を行いそれに倣う。唯一武器を携行していた軍曹機は捧げ銃を行った。整備兵たちも背筋を伸ばし敬礼を行い、最大限の敬意を払っていた。

 

 やがて、"武蔵"がその巨体を闇の中に溶かして逝く。まるで幻であったのかの様に。

 

 しかし、それは決して幻では無かった。少なくとも皆、その姿を胸にしまっていた。

 

 探照灯の光が収束し、モニターにはただ茫洋とした闇が映るのみとなった。

 しかし、それでも尚、誰も目を逸らさず、敬礼を止める事はなかった。

 

 

 

 

『愚かなる 身にむちうちて 勵みなば神もめぐみを 垂れたまふらん』

 

 

深海の旭日に、抜錨を………………

 

 

 

 




お待たせしました。新章、南海大冒険編スタートです!

本当にすみませんでした。SF映画や戦争映画見まくったり新しいターミネーター見たりニンジャスレイヤー見たりガルパン見たりGATEみたりサバゲーやったりまた新しいこと始めたり忙し過ぎて……。

世間は戦争になるだ徴兵になるだやかましいですが、それより最も危険が隣にあると思っている今日この頃です。
一国民として出来ることは、国民の代表である政府の決定に従い、嘘や噂に惑わされず、いつも通り変わらない日常を送ることだけです。そんな日常の中で、このSSが少しでも慰めになれば幸いです。


次回 第六十五章 ポイント・オブ・ノーリターン

「おやっさん!?いつのまに!?」

ブレイヴ01、エンゲー、ジ?

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