神武、頑張ります!~ちょっと歴史が違う世界の艦これの艦娘になりました~ 作:雪たまご
太平洋戦争・・・主に大日本帝国・アメリカ合衆国間の戦争。日本時間1941年12月8日午前7時、大日本帝国はアメリカ合衆国に宣戦布告。終始大日本帝国が有利なまま、1942年12月9日日米講和が成立した。一年戦争、大東亜戦争とも呼ばれる。
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一般的にはミッドウェー海戦における勝利が日米講和につながったと言われているが、それはある意味正しくそして間違っている。確かにこの戦いの後から大日本帝国はアメリカ合衆国に講和を持ちかけていたが、当時のアメリカ海軍には余力があったし、講和をするつもりはあまりなかった。
では、何がきっかけとなったのであろうか。
それはガダルカナル島の戦いと第二次真珠湾攻撃だろう。ガダルカナル島とはソロモン諸島の島の一つ。別名:餓島。
ミッドウェー海戦を終え、講和準備に入っていた大日本帝国は次第に軍を撤退させていた。アメリカ軍はそこをつき、ガダルカナル島に強攻上陸。ガダルカナル以東との分断を謀った。ガダルカナル島での戦いの際、帝国海軍はひたすらに空母と補給艦を狙い、補給線を分断し航空機による爆撃などを防いだ。又、水雷戦隊にひたすら潜水艦の捜索・撃破を繰り返した。その結果、上陸したアメリカ軍兵士に支援物資が行き届かずその多くが餓死した。餓島という名はここからきている。この戦いにより、アメリカ軍の太平洋側の空母は壊滅、竣工間近の4隻しか残らなかった。そして第二次真珠湾攻撃だが・・・
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1942年10月15日大和
太平洋上を大和・武蔵・比叡・榛名・伊勢・日向の戦艦6隻、赤城・加賀・蒼龍・飛龍・翔鶴・瑞鶴・信濃の空母7隻、その他一等巡洋艦3隻、二等巡洋艦3隻、駆逐艦12隻、潜水艦5隻、補給艦多数とそうそうたる面子が航海していた。
『それにしてもオザワ。君はここにいて良いのか?』
『そういえば海軍大学校の学長でしたよね?』
「ん?ああ、司令官になりたければ実戦を経験したまえ。といわれてな、連れてこられたんだ。」
『ほう、君が私達の司令官となる日も近いということか。嬉しくもあり、寂しくもあるな。』
大和のとある一室で会話しているのは連合艦隊旗艦の大和と大和の同型二番艦武蔵、それから後に連合艦隊の司令官まで昇り詰めることなる小沢冶三郎だ。そこに、第五航空戦隊の翔鶴がスゥッと現れる。
『小沢さん、作戦の再確認に参りました。』
「わかった。それにしても君が来るのか・・・てっきり赤城あたりがくるものかと思っていたが。」
『一航戦・二航戦の方々は作戦前の最終確認中です。私が一番最初に確認が終わったので・・・あの、おいやですか?』
「いや、そういうわけではないのだが。さぁ、作戦の確認するんだろう?」
『はい。大和さんと武蔵さんもいいですか?』
『はい。』
『ああ。』
『それでは。昨年の真珠湾攻撃で四回の空襲を行い基地機能を壊滅させたわけですが、着々と復興が進んでおり、後数ヶ月もすれば再び元のように基地として本格的に動き始めるだろうとのことです。現に確認された中では空母が4隻、戦艦3隻、巡洋艦・駆逐艦多数が停泊しているようです。』
「それで早めに潰して、真珠湾を足掛かりにして本土空襲をちらつかせ、講和を進めようというものだったな?作戦開始は今日午前7時。」
『はい、そのとおりです。』
『私達は空母の護衛だったな?』
『武蔵、陸への艦砲射撃を忘れてるわよ。』
『おお、そんなものもあったな。』
「作戦確認はもういいか?」
『あ、はい。大丈夫です。』
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真珠湾午前7時
「・・・オッホン!!Z旗を掲げよ!!第二次真珠湾攻撃を開始する!」
「なに!?もぬけの殻だと!?」
「は!戦艦3隻に巡洋艦他多数のみで事前に報告されていた空母4隻がいない、とのことです!」
『逃げられた・・・か?』
『そのようですね。』
空襲をしに真珠湾に飛んだ航空機隊は報告より少ない艦数に不信感を覚え、打電したが司令官の指示は・・・
「この作戦は空母を狙っていたわけではない!!真珠湾基地を制圧することが目的である。心置きなく爆弾を落として来い!!」
真珠湾がまた炎上した。
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アメリカの空母・護衛艦がどこにいたかというと、丁度サンフランシスコと真珠湾の間で演習を行っていた。真珠湾への帰還途中に真珠湾基地からの通信を受け、背後から奇襲するために南回りに真珠湾へ戻ってきていた。
「司令官!!偵察機から入電!真珠湾沖から空母4隻!見つからなかった艦です!」
「空母の艦載機は!?」
「帰還途中です!出撃できるのは艦戦複数のみです!!」
「ちぃ!艦戦は出撃、戦艦の援護をせよ!全艦回頭!目標、敵空母群!」
艦戦が飛び立ち、大和・武蔵の45口径51cm連装砲が火を噴くのを皮切りに、戦闘が始まった。艦爆や艦攻は今回いないので、必然的に砲雷戦にて敵艦を沈めねばならない。
「大丈夫なのか・・・?」
『ふっ、安心しろオザワ。私に乗っている限り沈むことなどありえん。』
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『それでどうなったの?』
「こちらは特に被害なし・・・いや飛行機乗りが亡くなっているが無事に帰ってこれたさ。後はもう知られているとおり、講和を結んだ。その後に君が造られたんだ。」
『へぇー。』
「敵に背後を取られたときには、死ぬかとさえ思ったが、武蔵の言葉には救われたな。」
『ふぅん。・・・安心しておっさん。私に乗っていれば沈むことなんてないんだから。』
「・・・、・・・ははは。そうだな、私をまもってくれ」
うん、傷一つ付けさせはしないから、だから安心して?
1946年10月15日呉での会話。
これを書いているのは1月16日。18、19はセンター試験なので投稿は無理。連日投稿が途切れるかも知れません。