めっちゃ早かった(小並感
お爺さん提督のゆっくりした空気と口調を表現するために『、』が多いですが、仕様です。
(ふう………。)
夕焼けに染まった佐世保の水平線を眺め、ひとつ息をつく。
一日ぶんの執務も一段落し、もう特にやることも無い。そうなるといつも来る小さな防波堤に、私は今日も来ていた。
九月も半ばを過ぎたからだろうか。今年は妙に涼しい風が早く吹く。
(―――まるで、あの年のようじゃないか?じいさんよ)
何の気なしに膝掛けの上に乗せた皺だらけの手に視線を移し、すぐにやめた。老いぼれた自分の手を見るのはあまり好きじゃない。
釣竿でも持って来れば良かったか。日没までにはまだ時間がある。それまで戻る気が無いのだから、何か手慰みになるものでも持って来れば良かったかもしれん。
……でないと、どうも最近の出来事は私にとって辛過ぎる。
三日前にブーゲンビル島で起きた航空機事故、そして行方が知れぬ搭乗者。―――おそらく行方不明になったのが彼でなければ、私の気持ちはこうも辛くはならなかっただろう。
(……フィリピンの方角はこちらだったかな)
車椅子の車輪を手で操り、(ちょうど陸地の方角になってしまうが)背筋を正して掌を合わせる。遠く遠く離れた地で、足を悪くした一老兵ができる偽善はこれ位しかない。上等の軍服に、大将の肩章と共に付けられた数多の略章はこんなにも偉そうなのに、なんとも無力な事よ。
「提督!ここにおられましたか……」
「ん?おお、扶桑か。どうした?何かあったかね?」
目を開けたとき、ちょうど私の秘書艦―――扶桑型戦艦一番艦、扶桑が、私の傍に駆けよってきたところだった。
手には、大ぶりな金色の懐中時計……ああ、私のか。
「執務室にお忘れでしたよ。――――そちらはフィリピンの方角ですか?」
「ああ。正確に言えば、ブーゲンビル島。ついでに言えば、ブイン基地だ」
「そうですか……」
「………気になるか?……いや、ならんはずが無いだろうよ」
「………」
黙りこんだ扶桑から目を離し、目を細めてみる。眠いわけではないが、今日の夕焼けはどういうわけか目に
すこし車椅子を動かし、扶桑の隣に並ぶと、私はその細い手を握った。ふふ、扶桑のやつ、驚いた顔をしているな。まあ私がこのような事をするのも初めてのことだ、無理は無いか。
私の手も、緊張でもない、羞恥でもない、怒りでもない―――もっと別の、なにかもっと複雑な理由から、わずかに震えているのが自分でも分かった。
「提督?」
「――――なあ扶桑……ちょっと、私の懺悔を聞いてはくれんかな?」
「はあ……懺悔、ですか?」
そう、懺悔だ。
これは今よりも三十年近く前の、ある施設での出来事だ――――
・・・・・・・
「だからなぁ!!どういう
そういって白衣姿の男の胸倉を掴み、顔の傍でがなりたてる小太りの黒い軍服の若い少尉、―――私の部下だ。
その後ろで無言でたたずむ、中将の肩章やら略章をこれでもかと軍服に貼り付けた長身の男が、私。二十五年前の、私だ。
「し、し、しかし少尉殿ッ、これ以上の人死には出せません!!なな、な、何だってこのような子供をッ、子供を、二十日鼠のように殺さねばならんのですかぁッ!!」
涙を流しながら、真っ青な顔で必死に訴える無精髭の男。これは技術主任。
その手には、赤黒い血――――まさしく先程死んだ……いや、殺した男児の、赤黒く固まった大量の血がその手に付着していた。
きっと今頃、薬物で傀儡同然にした化物の様な男たちが、手術台の上の屍を処分している頃だろう。
そして虚ろな目で言うのだ。『終わりました。“次”をどうぞ』……と。
「ハッ。いいか、この餓鬼どもはな、日本の路地のそこらじゅうで食うに食われぬ毎日を過ごしていたゴミたちだ………なぁ、いい加減
「そんなのッ、そんなの嘘だッ!!こんな……こんな計画、許されるわけ無いだろぉ………っ」
ひとつ鼻で笑った部下は、泣き崩れる男の胸倉をコンクリートの床へ突き飛ばし、おもむろに拳銃嚢から銃を引き抜き、技術主任の額に銃口を押し当てた。
このまま撃ち殺す心算なのだろう。部下が握る、銃いっぱいに華美な彫刻が施された回転式の二十六年式拳銃の撃鉄が、すぐに半分の高さまで起き上がった。
(無意味な彫刻……まあ、下品なもんだ)
私はそんなことを思いながら、部下の後ろから伸ばした手で、ひょいとその撃鉄をつまむ。
はっとして振り返る部下から拳銃を取り上げ、そして部下の腰に下がった拳銃嚢に放り込み、ホックを閉めてやる。部下から私へ向けられた反抗的な視線は、そのまま受け流す事にした。
「なあ技術主任。我々も馬鹿ではない。この計画で君を選定するに当たって、こちらで様々に調査をした」
いまだ腰を抜かし、床に手を突いてガクガクと震えている技術主任を見下ろして言う。
コンクリート造の研究室に、威厳に満ちた私の声はよく響いた。
「君には、
「!!」
「気付いたかね?―――この先は、言わずとも分かるだろう」
そう言って、ポン、と部下の拳銃嚢を一叩きする。
『従わないなら、家族を殺す』。そういう内容の暗示だった。
「やめろ……!」
「子供は二年前に生まれたのだったな。実に可愛い女の子じゃないか。広島で父親の帰りを待ってるそうだぞ?」
「やめろっ…娘に、妻に手を出すな!!」
情報部から渡された写真を思い出しながら、表情の消えた私は技術主任に語りかける。
簡単なもんだった。この男もまた、情に弱い。こと家族に関しては尚更に。
百人もの孤児を殺してまで、家族を守りたい?……結婚というのをまだ知らない私にとっては、とても理解しがたい感情だった。――――まあ、この二年後に、ようやく理解するわけだが。
「………なら、もう後はやることは分かるだろう?」
お前に選択肢など最初から無かったのだ。そうも言いながら、私は一歩、その場から下がった。
「101人目もすぐに来る。期待しているぞ………行こう、
「はっ、
――――――この後、まさにこの三日あとの夕方に、私は実験成功の報を受けることになる。
『被検体101番』。のちの艦娘への技術へとつながる、我が帝国が世界に先駆けて完成させた、画期的な
・・・・・・・・
「…………」
「……もう過去の事だ。好きに言ってくれて構わんよ?」
私の懺悔が終わり、すこし微妙な表情でうつむく扶桑の手を撫で、そう促してやる。
「……その、とても残酷な……話だと思いました」
「『残酷』か。そうだな」
当時の私にとって、この計画を聞かされたときはまさに天啓だと思った。
…無理も無いことだった。それ以前から少数ながら発生し始めていた深海棲艦によって、二等巡洋艦『松島』乗員であった私の父は死んだのだから。
当初は台湾沖での練習航海中に起きた爆発事故と発表されたが、実際は違った。深海棲艦の、それも戦艦級に当たって撃沈された事がのちの調査で判明したのだ。
それ以来、深海棲艦を撃滅する方法の研究に心血を注いできた私は、親の敵を撃滅“できるかもしれない”この計画と、それを秘密裏に主導する少数の高官たちを盲信していた。
「ところで、その『実験』とは何だったんでしょう?人体実験である事は分かりましたが……」
「ああそうか、そういえばそれをまだ言っていなかったな」
ぽん、と扶桑の手を柔く叩いて、私は言葉を繰り出す。
誰もが亡くなり、私だけが知る国家機密だ。誰かに話しておきたかった。誰かに、知っていてほしかった。
「それはな、深海棲艦の能力を、人間に移植する実験だったのさ」
深海のような闇に包まれようとする空の下、扶桑の手を握る私の手は、その深淵へと沈まぬようにと必死に
今話は、今後の、もしくは以前を語るうえでかなり重要な話になります。
月曜に徹夜した甲斐があったってもんですよ(白目