プロローグ部分第二話です。
バタン。
「うわっ……暑っつ!」
観音開きの執務室の扉を開いたとたん、部屋の中にこもっていた熱気が漏れ出してきて僕を襲う。すぐに執務室の奥にあるガラス窓を全開にして、ひんやりとした潮風を部屋に……って、全然入ってこない。
仕方ないので扇風機をつけた。扇風機といっても、鎮守府の施設内にあるディーゼル発電機で発電される貴重な電力を浪費するわけにはいかないため、本土のほうで最近普及し始めた電気モーター式ではない。スターリングエンジンという、ピストンシリンダーの下端と上端の温度差を利用し駆動するシンプルなエンジンを使ったものだ。この場合、異様にガタイのいい扇風機に取り付けられたエンジン部のシリンダー下端をランプ用の油を燃やして熱し、上端の容器には水を入れて冷却する。これだけでエンジンが駆動する。電気を利用しないので、こういう僻地では意外と重宝するヤツなのだ。
窓際に置いた扇風機のファンが勢いよく回りだし、風を送り始めたところで椅子に座る。現在時刻
「あ――――――――――」
回転するファンで自分の声を細切れにしながら、窓の外をぼんやりと眺めた。
500メートルほど先には水平線が見渡せるほどに大きな、凪いだ海面をたたえた地中海が見える。これが僕らの『戦場』だ。この広大な地中海の底には深い海溝があるらしく、数年前に行われた海軍の調査隊の潜水調査によると最高深度五千数百メートル……深海棲艦が生息するのに充分な深度の場所がそこかしこにあるそうだ。
僕らブイン基地の艦隊は、この地中海内に生息する深海棲艦を駆逐・殲滅する(してないけど)ことを主な任務とし、また副次的なものとして深海棲艦の生態の調査(こればっかりやってる)も行っている。
この任務内容からもわかる通り、深海棲艦というのはとにかく謎が多い。どこでどのように生活してるのか、艦隊を指揮しているのは誰なのか、そもそもなぜ彼女らは我々を襲うのか……などなど。
ちなみに僕らを襲うといことに関して『抵抗不可能な者は攻撃されにくい傾向がある』との情報もあるけど、それについては未確認。まぁ、試してみた勇者なんて居ないから真偽が定かじゃなってことなんだけどね。
思考から戻り、再び海に視線を移すと、堤防に囲まれたうちの基地の『港』が目に入った。
港といってもそんなに大きなものではなく、規模で言えばおよそ漁港の防波堤と同じ、もしくはそれより少し大きいぐらいか。
堤防も見た目はそこら辺の防波堤と変わりないし、じっさい普通の防波堤だ。一年中凪いでいる地中海といえども、たまにくる嵐やら何やらで荒れることがあるのでそれの対策用に建設され、また艦娘が出撃するときもあの防波堤の内側から出発する。あ、あと釣りをエンジョイ……もとい食料調達のためにも有効活用させてもらっている。たまに任務の無い日はあそこで実益も兼ねて釣り大会をやったりするのだ。ちなみに艦娘の中では響が一番上手い。でも僕はもっと上手い。………どうでもいいか、そんなこと。
防波堤には一隻の小さな六メートル内火艇が係留されている。が、正直あれは釣り船の用途以外に使ったことがない。船内には機関銃と弾じゃなくて、釣竿と練りエサが常備されている。(ちなみに船釣りは龍驤が上手い。でも僕はもっと以下略)
灯台以外ほとんど何もない港の手前には滑走路。
そこからさらに手前に視線を移すと……あとは何もないかな。せいぜいが資材搬入のためのフォークリフトや中型トラック、あとプレハブの資材庫がある程度。いろんな熱帯の植物に回りが囲まれてはいるものの、敷地のなかには特に木や草がある訳でもなく、ぽっかりとただっ広い公園みたいな土地が広がっている。
あー、カモメが鳴いてる。そういえばだんだん執務室も涼しくなってきた。お、上着のポケットから軍用チョコレートを発見。おやつにひとつ頂きましょうかねー……っと、
ジリリリン!ジリリリリリリン!
「…………はぁ……」
ジャスト
椅子に後ろ向きに座っていたのを正しく座り直して机のほうを向く。受話器に手がなかなか伸びてくれない……けど、仕方がないのでもう腹をくくった。
受話器を取る。
『おいコラ遅ぇぞ!クソガキの分際で俺を待たせるんじゃねえ!!』
「………申し訳ありません、"大佐"」
『黙れクソガキ!!ヘドが出る!』
「…………っ」
受話器を取って早々、大音量、かつ理不尽な内容のダミ声が受話器から噴き出してきた。ただこちらを
この大佐…もとい『
『いいか、軽空母すら出せんようなザコ艦隊とこの私が演習してやるんだ。有り難く思えよ?』
「………ありがとうございます」
『声が小せぇんだよ!!』
「申し訳ありません……っ」
どうしようもなく自己中心的かつ尊大な辻大佐の罵声を聞きながら、久々に腹が立ってくるのを必死に抑える。大体、さっき僕に喋るなと言っておきながら今度は声が小さいとか、全くもって意味がわからん。とにもかくにも理不尽なのだ。
『反省の色が感じられんな。お前もお前の親父みたいに野垂れ死ぬのがお望みか?あぁ!?』
―――またか。またこの人は僕の父さんを愚弄する気か。
『返事がないな。まあいいだろう。今回の演習でお前の立場ってのを痛いほどに分からせてやるよ……じゃあなクソガキ、
お前は手持ちのザコ艦のお世話でもしてるんだな!!』
ガシャン!
僕がほとんど喋らないまま、電話は一方的に切れた。
「…………」
僕は静かに受話器を置く。
その時だった。
「失礼しまーす。タッツンおるかいな?」
「………あ、龍驤」
ほとんど通話が終わったタイミングで、全開にしていた入り口から入ってきたのは龍驤。今日の演習も参加しない彼女は、艦載機の発艦に使う巻き取り式の飛行甲板を持たずに、かわりにいくらかの書類をもっていた。
僕は片手に握ったままだったチョコレートを引き出しに突っ込んで、臨時秘書艦の龍驤に向き直る。
「何かあったの?」
「何かあったって程でもないんやけどね。龍田が艤装に使う機械油が足らんとか何とか」
「あーしまった。そういえばこないだも足りないって言ってた気が……龍田たちは作業室?」
どうも不足しているって報告があった機械油類を補充し忘れていたらしい。しまったな、すぐ持っていってやらないと。
椅子から立ち上がり、背もたれに掛けていた上着をハンガーラックに掛け直すついでに、将校用の白いの帽子をとる。
「え、タッツンが行くん?ウチが行くから別にええで?」
「ううん、機械油を搬入したの僕だし。場所もわかるから僕がいった方が早いよ、多分」
ついでにさっきの電話で荒れた気分を少しでも紛らわせたいというのもあったけど、それは言わない。だって、提督が部下を無駄に心配させてどうするのさ。
そして僕の言葉に納得したようなそぶりを見せた龍驤。頷いて、無数の鍵が引っ掛けられた壁の一角から資材庫の鍵を取って渡してくれた。
「そんならお願いします。じゃあウチは書類をいくらか片しとくわ」
「助かるよ。……あ、扇風機せっかくつけたんだし、そっちの椅子でやっててもいいよ?涼しいと思う」
「おー、おおきに。ありがたく使わせてもらうわ」
「ん。では行ってきます」
クッションのきいた僕用の通称提督イスに腰掛ける龍驤に小さく敬礼して、部屋を出る。
「やっぱ暑い……」
建物の三階にある執務室のすぐ脇にある階段をおりながら、おもわずぼやいてしまう。階段は不思議と下階から涼しい風が吹き込んでくるので、どうしても暑くて涼みたいときなどには重宝する場所だけど、その安全地帯ですらこの暑さだ。いつもの事とはいえ気が滅入る。
………まぁ、その暑さも今の僕の荒れた気分を紛らわしてくれるので有り難いといえば有り難いけど。
「うー、シャツが背中に貼り付くぅ………」
体温がどんどん上がっていき、吹き出る汗でどんどん濡れていくカッターシャツを気にしながら、屋外の資材庫を目指す僕だった。
「………ウチらに無理を掛けんように、ねぇ」
多一が出ていった執務室でぽつりと独り、龍驤が呟いた。
その視線の先には、先ほど多一が引き出しに放り込んだ軍用チョコレート。
銀紙に包まれた直径が2センチほどのやや長い円柱形で、戦場でも溶けないようにと硬く固められているのが特徴だ。龍驤も以前かじったことがあったが、硬くて噛み砕くのに非常に苦労した覚えがある。
手に取ったそれを、軽く左右に振ってみる。銀紙のなかで、砕けたチョコレートの破片がサラサラと音を立てるのがわかった。
さらによく見れば、銀紙の一部は強く握られたことで変なシワが出来ていたし、折れた中心部分にはチョコレートの破片が銀紙を突き破っているところもあった。
「どー考えたって、無理しとるのはタッツンの方なのになぁ……難儀な性格ちゅったらいいんか何なんか」
開け放たれたドアの横で、気付かれないように聞いていた電話の内容を思い出しながら呟く。多一はほとんど喋らず、廊下に居ても聞こえるほどの怒鳴り声で相手が一方的に喋り続けていたようだった。内容はよく聞き取れなかったが、ロクな内容ではなかったのだろう。執務室に入ったとき、一瞬だが多一が今にも泣きそうな顔をしていたのを龍驤は見逃さなかった。
「やっぱ見た目通りに子供やなぁ………うわ硬っ」
銀紙を破いて取り出したチョコレートを一口かじって、書類に目を通していく龍驤。
外で資材庫の戸が開かれる音を聞きながら、最近ようやく慣れてきた仕事を淡々とこなしていくのだった。
「あつい焼けそうむしろ燃える」
炎天下、雲ひとつ無い鎮守府正面のグラウンド(っぽい敷地)の端にある資材庫の中を漁る。
密閉されていたプレハブの小屋の空気は滅茶苦茶に熱く、僕の全身から強制的に汗をにじませた。すでにカッターシャツはびしょ濡れで、顔からは
「早く届けないと出撃に間に合わないな……っと」
1リットル入りのオイル缶を人数分プラス予備2本の計8本、ついでにチューブ入りのグリスもいくらか持って出て、荷車にのせた。凶悪な暑さの資材庫を出るとあら不思議。外の気温がメッチャ涼しく感じられる。いやむしろ汗が冷えて逆に寒い。
「うおおおぉぉ作業室作業室っ!」
走ると風が当たって寒いし、かといってゆっくり歩くと演習の準備が遅れる。絶妙な速度で荷車を押しながら、作業室を目指した。
それから数分後。
無事に龍田たち演習参加組にオイル缶とグリスを送り届けた僕は、天龍が気を利かせて荷車を戻しといてくれるというので大急ぎで執務室まで戻った。
「た、ただいま」
「ああ、おかえり………ってどしたん?服ビシャビシャやん」
「汗だよ汗。ちょっとそこの着替え取ってくれる?」
ハンガーラックに掛けられた予備のシャツと上着を取ってもらって、一階のシャワー室にダッシュ。お湯とかは沸いていなくて出ないので、気合いで水を浴びる。言わずもがな超寒い。
その後は急いで体を拭いて服を着た。シャツ以外の脱いだ服は電気洗濯機(1日か2日に1回まとめて洗う)に突っ込んでおき、シャツは水と石鹸で軽く洗って外に干す。日差しの厳しい
「ふぃーっ、何とか助かった……」
執務室へ向かいながら詰襟の上着のボタンを上まで閉じて、ようやく体の震えがおさまった。汗の冷えも馬鹿にできないものだ。どうしてか僕は人より体温がかなり低いので、それも手伝っていたのかもしれない。
低体温といえば十年ほど前、帝国本土で過ごしていた頃にいちど雪が積もったことがあったのだけれど、その時の父さんの心配のしかたは凄かった。あれもこれもと官給品の防寒具を僕に着せ、終いには自分の着ていた上等なカシミヤのコートまで僕に着せてくる始末だった。当時も今とさほど身長が変わらなかった僕は、丈の長いコートやらジャケットやらを着込みすぎたせいで寝袋に入ったかのような格好になっていたけど、父さんは『お前は体温が
「ただいまー。書類ありがとうね」
「ええって別に。体調はどない?」
「やっぱり体温調節がつらい……」
「暑かったり寒かったり、タッツンも大変やなあホンマに」
「まあね。でも馴れた」
馴れたというより諦めたというのが近い気もするけど。暑いところから寒いところ、もしくはその逆の場合でも体温調節がうまくいかず、真夏に暑くて大量の汗をかいたかと思えば急激に体温が下がり、しょっちゅう風邪を引いたりしてきた。ただ、いつも暑いここブインに来てからはそれも少なくなったけど。
原因としては、あんまりじっとしている事が好きじゃない僕の性格があるかもしれない。まぁ、これについては鎮守府のみんなも諦めてくれているらしく、僕がある程度の無茶をしても見逃してくれている。ただ龍田とか天龍には後でものっそい心配されるけど。
(ま、そんなことは今はどうだっていい)
僕は首にかけた飛行時計を持ち上げて、時刻を確認した。現在時刻
そろそろかな。そう思って時計のゼンマイを巻き直していると、壁に掛けられた館内連絡用の電話機のベルが鳴った。どうやら準備ができたらしい。すぐに受話器をとる。
「はいもしもし、こちら執務室」
『電なのです。第一艦隊、出撃準備完了のご報告なのです』
「了解。では艦隊はそのまま港に集合し、時間まで無線での指示を待つように」
『了解なのです』
電話の向こうから聞こえてきたのは、今回の演習で旗艦をつとめる電の声だった。
電たちにはこれから暖機ついでに港まで徒歩で向かってもらい、浮航装置などの艤装のシステムをオンにした上で待機しておくように指示する。あとの通信は無線だ。執務室の壁際に置かれた無線機のスイッチを入れ、いつでも通信が可能なように備えておく。
「よーし、これで完了。14時になったら出撃か」
「せやねぇ」
「どうかみんなの負傷が最小限に収められますように」
パシパシと手を叩き、一応いつも手を合わせている神棚(が、効果は今一つ)に願う。やっと僕の椅子から立ち上がって、どうせそんなん無駄やろうけどね……なんてぼやく龍驤に苦笑いしか返せないけど、こういうのは形式的もしくは精神的なもんだから別にこれでもいいのだ。多分。
まあ、願わくは少しぐらい……ほんの少しでもいいから被害を少なくしてくれても良いんじゃないかな、神様。
そんなこんなで20分後、演習用の管理システムが作動すると同時に、演習という名の小さな『戦争』が始まった。
白鷺島提督の体は弱いです。もう19歳なのに身長も駆逐艦よりいくらか高いぐらいですし、幼少期に父が過保護チックになるぐらいには病弱でした。
提督がたびたび起こす不調の原因も、追々明らかにしていく予定です。
※お気に入り、感想を寄せてくださった皆様、本当にありがとうございます!
これからも精進して参りますので、どうかよろしくお願いいたします。