リリカルなのは アナザーダークネス 紫天と夜天の交わるとき   作:観測者と語り部

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act3 『プレシア』は、母さんは間違っていたのかな?

 最初の過ちはいつからだったのだろうか……?

 

 実験中だった魔導炉の運用を、本部の計画通りに進めようとしてスケジュールを前倒しにしたから? 忙しさにかまけて、娘ともっとちゃんと一緒に過ごせる時間を作らなかったから? それとも、愛する夫と仕事の都合で別れて、娘に寂しい思いをさせてきたから?

 

「あっ、ああ……『アリシア』……『アリシア』っ!」

「嘘よ! 嘘だわ……!」

「お願いだから目を覚ましてちょうだい!!」

 

 病室のベッドの上で、娘が冷たい姿のまま眠っているのが信じられなかった。

 喪失感に心が蝕まれる。目の前の現実が信じられない。認めたくない。

 

「いつもみたいにママお帰りって……」

「いつもの、ように……元気で、笑って……」

「あっ、あああああああっ!!!」

 

 ただ、目を覚まさなくなった娘の横で、泣き崩れて後悔し続ける私の姿だけが、私の過ちの結果を証明し続けていた。

 

 ……わたしは、いつだって……気づくのが、遅すぎる。

 

 それからの日々はよく覚えていなかった。ただ、もしかしたら『アリシア』が目を覚ましてくれるんじゃないかと、娘を治療ポッドの中に入れて。娘の身体が崩れてしまわないように培養槽の保護液の中で眠らせて。

 

 それから……それから……

 

 私は、ずっと長い間。どうすれば娘を取り戻せるのか。そのことばかり考えてきた。

 

 だから、その計画書と技術と方法を記した概念を見つけた時。天啓だと思った。

 

「これだわ……」

「プロジェクトF。クローンに記憶を転写する技術の概要……」

「人は記憶によって形作られる。だから、新しく生まれた命にアリシアの記憶を宿らせれば……」

 

「きっと、娘は甦る。私はアリシアにもう一度会うことができる」

「あの子が、昔みたいに、私に笑いかけてくれるようになる」

「待っててね。すぐに母さんが元気な姿を取り戻してあげるから……」

 

「そしたら、また一緒に、ピクニックに出かけましょうね」

「欲しいものがあれば何だって買ってあげる」

「今度はもっと多くの時間を使って、ずっと一緒に居てあげるから……」

 

「もう二度と、寂しい思いなんてさせないわ……」

「だから、また私に、笑いかけて頂戴……」

「おねがいよ。『アリシア』……」

 

 私の専攻は魔導炉や魔力運用に関する技術が大半。生命操作技術なんて専門外にも等しかったけれど、娘を取り戻すためならと必死に学んだ。それこそ何年もかけて地道に、ひとつひとつ間違いがないように丁寧に。だけど、誰よりも早く学んで、娘に会うために必死になって。何年も、何年も……

 

 気が付けば多くの時間が過ぎ去っていたけれど、些末なことでしかなかった。

 

 私の時間は、娘を、アリシアを失ってしまった瞬間から。きっと止まってしまっていたのだから……

 

 そうしてプロジェクトFに必要な情報を集めて、技術を集めて、違法だと分かっていたから誰にも頼らずに、全部一人で手配して。

 

 ようやく、娘に会えると、そう思っていたのに……

 

「どうして……?」

「どこで間違えたというの……?」

「これじゃあ失敗じゃない……」

 

 培養槽の中で成長した娘の新しい身体は白い髪をしていた。遺伝子情報が間違っていたわけじゃない。どこかで遺伝子に欠損があっただけ。クローンを培養する過程で何らかの間違いがあって、正しく成長できなかっただけのこと……

 

 最初のクローンは、いわゆるアルビノ。

 

 こんな身体に記憶を転写しても、娘は元気にならない。自分に対する怒りと、失敗してしまった失望感に机を叩きながら、どうするかと考えた。

 

 単純だ。廃棄してしまえばいい。この失敗を糧にして次こそ成功させればいい。また、新しい身体を用意して。そこに娘の記憶を転写してあげればいい。こんな失敗作なんて、なかったことにしてしまえばいい。

 

 そうして、このクローンを廃棄しようとして、ふと私は『アリシア』に見られているような気がした。

 

 目の前の出来損ないと違って、隣の培養槽で眠り続ける娘は、事故当時の幼い姿のままで眠り続けている。

 

 『アリシア』は夢を見続けているように安らかな顔で眠っていて。微笑んだ表情のまま目を覚まさない。

 

 そんな娘の姿を見続けて私は……

 

 私はふと――

 

 娘との、約束を、思い出した。

 

 思い出して、しまった。

 

 久しぶりの休暇を使って、アルトセイムの平原に出掛けた時の。在りし日の記憶を。

 

――アリシア、お誕生日のプレゼント。何かほしいものある?

 

――う~んとね。

 

――あっ、わたし、妹がほしい。

 

――えっ?

 

――だって妹がいたらお留守番も寂しくないし、ママのお手伝いもい~ぱいできるよ?

 

――それは、そうなんだけど……

 

――ママ。やくそくっ!

 

 それは子供がどうやって生まれてくるのか分からない。幼い子供の無邪気で純粋な約束。私はいつも仕事ばっかりで、アリシアをずっと一人にしてしまって、寂しい思いばかりをさせてきたから。

 

 だから、妹がいれば寂しくないし、二人一緒にいれば、もっと私を手伝うことができるって。そんな娘なりの優しさから生まれた言葉。

 

 いつも忙しそうにしていて、仕事から帰ってきても遅い時間で。あんまり娘と一緒にいてあげられない。そんな母親としてダメな私を、一生懸命支えてあげたいって。心の底から私のことを思って言ってくれた言葉で……

 

 そんな優しくて、いつも明るく笑ってくれる娘を失って。悲しくて、辛くて、胸が張り裂けそうで。だから、あの日々を取り戻したくて……

 

 だけど、私は……

 

 そんな娘との約束も忘れて、新しく妹として生まれようとしている命を、棄てようとしている?

 

(……っ)

(アリシア……)

 

 そう思うと、目の前の、『アリシア』と瓜二つの子供を捨てることなんて出来なくて。

 

 だから、私は……

 

 私は……二度目の過ちを、犯した。

 

 

◇ ◇ ◇

 

 

「おかあさん……?」

 

 娘と瓜二つのクローンが私に呼びかけてくる。首を傾げて、どうしたの?と心配そうに。

 

 最初に生まれたアリシアのクローン。アリシアの初めての妹で、私の二人目の娘になる筈の子供。その姿は雪のように白い肌をしていて、髪も真っ白だ。アリシアとは似ても似つかない。だけど、顔の形や浮かべる表情はどことなくアリシアにそっくり。

 

 当たり前か。この子はアリシアのクローン。むしろ似ていないほうがおかしいのだから。

 

「私は母さんじゃ……いいえ」

「なんでもないわ」

 

 だけど、私は娘と同じ顔と声で、呼びかけられるたび。失くした『アリシア』との思い出をかき乱されそうになって、心が苦しくなる。だけど、それでも我慢したわ。

 

 この子は、もしかしたら『アリシア』の妹になるんじゃないかって思うと、悪いようにはできなかった。だけど、どう接すればいいのかも分からなくて。

 

 悪いのは私のほうだ。愛する娘とのことで折り合いが付けられなくて。それでも、それでもと失った時間を取り戻そうとして、今もあがき続けている。だから、この子は何も悪くない。だから、『アリシア』の妹としてちゃんと接してあげないと。

 

 『アリシア』との約束を忘れて、娘と同じ姿を持つこの子を道具のように扱ってしまったら。きっと私は人として大切なものを失ってしまうと。そう、思ったから。

 

 時間だ。時間さえあればきっと、私は……

 

「こほっ……こほっ……!」

「っ、大丈夫……?」

「くる、しい……」

 

 娘のクローンが咳込んだ。

 

 大丈夫なわけがない。遺伝的欠損を持って生まれたこの子は、病気に掛かりやすい身体をしている。今も無菌室のような部屋でしか過ごしてあげられなくて。普通の子供と同じように、元気に外で遊んだりとかできるような状態じゃない……

 

 ……こんなことなら。

 

 ……いっときの情に流されて、目覚めさせるべきじゃなかったかもしれない。

 

 自分の過ちを見せられているような気がして、心のどこかが摩耗していくのを感じる。だけど、放っておくことなんて出来なかったから。

 

 せめて私は、親として、私にできることをたくさんしてあげたい。

 

 たとえそれが、ただの自己満足なんだとしても。

 

 私は……

 

「今日はマフィンを作ったのよ」

「まふぃん……?」

「甘くておいしい食べ物。『アリシア』も……あなたのお姉ちゃんも、好きだったから……」

「あまい……? おねえちゃん……?」

 

 幸いにも臓器が弱っているとかそういう病気はなかった。ただ、身体が弱いだけだ。だから、食べ物はちゃんと食べることができる。栄養も流動食だったり、点滴だけだったり、普通の生活はあまりさせてあげられないけれど。でも、せめて美味しいものくらいは食べさせてあげられる。

 

「あむ……?」

「おいしい……!」

 

 久しぶりの手料理に、お菓子作りだったけれど。

 彼女は花が咲いたような笑顔で笑ってくれた。だから、思わず私も笑ってしまう。

 

 本当ならアリシアの為に使ってあげる愛情と時間の筈だったけれど。

 それでも、今だけは、この子と優しい時間を過ごす事を許してほしい。

 

「ふふっ、良かった。まだ、沢山あるから食べていいわ」

「いえ、一緒に食べましょうか」

「うん……!」

 

 そうして、私は娘のクローンと一緒に、同じ時間を過ごしながら研究を続けようとした。でも、何時からか研究よりも、『アリシア』の妹として生まれたこの子と過ごしている時間のほうが多くなっていった。

 

 病気がちの子だったから目を離せなかったし、何よりも心配で心配で堪らなかったから……

 

 研究も自然と、彼女の身体の弱さを克服するための方向にシフトしていった。

 

「『フェイト』よ……」

「ふぇいと?」

「あなたの仮の名前」

「なまえ?」

 

 プロジェクトFの名前。妹として生まれるはずだった運命。それになぞらえて、『フェイト』と名付けた運命の子供。本当はひとつひとつ名前を考えてあげたいけれど、そんな時間もなかったから。

 

 せめて、仮の名前だけでも、と。そう思って名付けた。

 

 目を離したら、この子はきっとすぐに死んでしまう。だから、あまり時間は残されていない。

 

 でも……また……

 

 また、娘を失うようなことになったら、私は……耐えられる、の?

 

 ッ……

 

 いいえ、そんなことはさせないわ。

 

 そう決意して私は、『フェイト』が少しでも長生きできるように研究と治療法の確立を目指した。この子も在りし日の『アリシア』のように。元気になってくれる。そう信じて。

 

「うぅ、お注射にがて」

「少しの辛抱よ。我慢しなさい」

「……うん」

「これが終わったら絵本を読んであげるから……」

「ほんと……!」

「本当よ。母さん嘘は付かないわ」

 

 そうして私は『フェイト』と一緒に過ごしている時間が増えていく。

 

 『アリシア』みたいに一緒に遠くに出かけることは出来なかったけど。それでも一緒に本を読んだり。

 

「おかあさん。いっしょに歌おう?」

「でも、その、恥ずかしいわ……」

「わたしも、がんばって歌うから、ね!」

 

 恥ずかしかったけれどせがむ『フェイト』に頼まれて、一緒に歌を歌ったり。

 

「おかあさん、あのね……」

「だいすき!」

 

 いつの間にか、『フェイト』と一緒に過ごしているうちに、私は居心地の良さを覚えていくようになっていった。

 

「ええ、私も――」

「『フェイト』のことが、大好きよ」

「早く元気になって」

「母さんと一緒に、遊びましょうね」

 

 私はベッドに座っている『フェイト』を抱きしめながら、その日が来ることを待ち望んだ。

 いつか、新しい娘として生まれた、『フェイト』と一緒に。眠りから目を覚ました『アリシア』と共に、幸せな日々を過ごせると信じて。

 

 なのに……

 

「はぁ……はぁ……」

「『フェイト』……?」

「うっ……!」

「『フェイト』!!」

 

 神様は、運命は残酷で。私から再び娘を奪おうとする。

 

 定期的に投与している薬のおかげで免疫系は完璧に補助されているのに。『フェイト』は苦しんでいた。今は強力な鎮痛剤と薬で、彼女の痛みと苦しみを和らげているけれど……きっと『フェイト』はもう、長くない。

 

 それは分かりきっていたことだった。遺伝子の欠陥を持って生まれてしまった『フェイト』は寿命が短い。本来、人としてあるべきテロメアがあまりにも短いのだ。だから、神様は、こんなにも早く『フェイト』を連れて行こうとしている。

 

 生まれてからたった数か月しか生きていない命なのに。あまりにも短く、その生涯を終えようとしている。

 

「嫌よ……」

「『フェイト』。私をひとりにしないで頂戴っ……!」

「私は、もう何も失いたくないのよ……!!」

 

 だから、そんな運命に反逆して、我儘をいっている私がいた。

 

「おかあさん……」

「泣かないで……?」

「笑っていて……?」

 

 そして、こんな時でも娘は、『フェイト』は私に優しくしてくれる。娘の傍で泣きじゃくりながら、見っとも無く縋り付いて、泣いている私の頭を撫でて、慰めてくれる。それがあまりにも辛くて、悲しくて。私は、こんな筈じゃなかった運命を嘆いてばかりいた。

 

 そんな私に、『フェイト』は言う。

 

「おかあさん……」

「なぁに……『フェイト』」

 

 それは娘が私に残してくれた最後の祝福。

 

「こんど、生まれてくる……妹の、なまえ……」

「■■■■■が……いいと、思うんだ……」

 

 それは、『フェイト』の為に一生懸命考えていた名前のひとつ。

 

 一緒に彼女の新しい名前を考えて、生まれてくる妹の事も話して、できるなら皆の名前を付けてあげようって……

 

 私と、一緒に……嬉しそうに考えてくれた、なまえの、ひとつ……

 

「わたしと、おかあ、さんと……」

「おねえちゃんの……なまえから、もらった……」

「『幸福』を、いみする……なまえだから……」

 

「これからも……おかあさん、と……いっしょに……」

「しあわせに……いきれますように、って……」

 

 『フェイト』の息がか細くなっていく。呼吸もだんだんと弱くなっていって。まるで、安心して、今にも眠ろうとしているかのように。安らかな表情で、瞼が落ちていく。ぼんやりした瞳は、私のことも、目の前にある殺風景な部屋の景色も映さなくなっていく。

 

 それに私は小さく取り乱すように。嫌よ……嫌よって……否定することしかできなくて。冷たくなっていく娘の手を握ってあげることしかできなくて。

 

「だい、すき……」

「ありが、と、う……」

 

 そのありがとうは、いったい何に対するありがとうだったんだろうか。今でも私には分からない。

 ただ、『フェイト』がもう、目を覚まさないことは確かで……

 

「『フェイト』……?」

「ねぇ……返事をしてちょうだい……」

「おねがいだから……わたしを、おいていかないで……」

 

 私は眠ってしまった娘を抱いて、泣きじゃくる事しか出来なくて。

 

「『フェイト』……『フェイト』っ……!!」

「あああああぁぁぁぁぁ・・・・・・・・!!」

 

 その日は一晩中、娘の傍で泣き続けた。

 

 

◇ ◇ ◇

 

 

 それから、私はどうしたのか覚えていない。

 『フェイト』を『アリシア』と同じように処置して、培養槽の中で眠らせて。

 私はそれからもプロジェクトFの研究を続けた。

 

 皮肉にもあの子の治療データと、延命させるための研究データが鍵となって、それからのプロジェクトFは順調に進んだ。身体能力や免疫系を劇的に改善した素体は、新しい『アリシア』や『フェイト』の身体としては十分すぎる完成度。今も保護液の中で眠る『アリシア』と瓜二つだった。

 

 『フェイト』とは違う。金色に輝く長い髪に、健康的な肌の色。そして、瞼の奥の瞳はきっと紅色なんだろう。

 

 そう、愚かにも私はプロジェクトFの研究を続けていた。

 

 失った時間はまた、取り戻せばいいと。また娘の遺伝子を使って同じことを繰り返そうとしている。

 

 この心と身体を蝕む喪失感を埋めるために………

 

 だって、母さんは、もう、ひとりじゃ生きられないから……

 

「ようやく完成した……」

「あとは寿命の問題さえ解決できればいい……」

 

 生まれてくる予定の2番目から11番目のクローンの娘たち。『アリシア』と『フェイト』の妹たち。

 

 彼女たちを目覚めさせる前に、テロメアの問題を解決する必要がある。でも、健康状態は問題なかったから、延命処置を施して眠ってもらっていた。目覚めさせるにしても、場の環境を整える必要があるし。何よりも研究に奔走している間は、きっと娘たちの為に時間を作ってあげられないだろうから。

 

「せめて、この子達だけでも……」

 

 そして12番目と13番目は、それぞれ『アシリア』と『フェイト』の記憶を転写された子供たちだった。私の持てる知識と今ある技術の全てを結集して生み出されたプロジェクトFの完成系。短かったテロメアの問題も生まれる前に解決することができた。

 

 おそらく、この子達は無事に目を覚ます。そうして目覚めたとき、彼女たちは私をなんて呼んでくれるんだろう?

 

 ママ? それともお母さん?

 

 それは分からないけれど、私は娘たちが目覚めてくれる日が楽しみで仕方がなかった。

 

 今度こそ、やり直せるのだから。もう一度全てを。あの日の過ちを正して、幸せな日々を送ることができる。

 

 命をひとつ生み出すたびに、完成に近づいていくプロジェクトF。その度に私の心は擦り切れていったけれど。

 

 それでも、こうして在りし日の娘を、娘たちを取り戻すことができた。それだけでも満足かもしれないわね……

 

「はやく会いたい……ごふっ!?」

 

 咳き込んで、口元を抑えた手を拭う。手にべっとりと付いた赤黒い色。それから口の中に広がる血の味。

 

 最近、意識が朦朧とするようになった。自身の健康を省みずに、なりふり構わず研究を続けてきたから……

 

 きっと、娘たちの命を勝手に弄んだ私への罰なのだろう。神様は、娘たちの代わりに今度は私のことを連れて行こうとしている。そして生まれてくる娘たちに会わせないようにするつもりなのだ。あの日、『アリシア』と『フェイト』を私から奪ったように……

 

 それでも……それでも、この子たちだけは……

 

「使い魔が……必要、だわ……」

「この子達を、護って育んでくれるような優しい子を……」

「身体を維持する魔力は……魔導炉から、引っ張ってくればいい……」

 

 私は、どうなってもいい……

 

 だから、お願いだから……

 

 この子たちだけでも、幸せな未来を……

 

 夢を見る。それは私が待ち望んでいた望郷の夢。たくさんの娘たちに囲まれながら、家族みんなで幸せに暮らしている夢。最初、娘たちはベッドの上で寝ていたけれど、みんなで一緒に元気になって。それから自分の名前を考えて。一人一人が新しい名前を憶えて。そうして『アリシア』と『フェイト』と一緒に姉妹たちが楽しく遊んでいるような夢。

 

 それを私は遠くで見守ったりしながら、時には一緒に料理をしたり、お洗濯をしたりして。優しい日々を一緒に過ごしていく。そんな、夢。

 

 そして、それを振り払う。倒れそうになった身体を支える。

 

「まだ、まだよ……」

「まだ、倒れてなんかやらないわ……」

「私は見届ける。私が仕出かしてしまった過ちを正すために……」

「せめて、娘たちが元気になってくれるまでは……」

 

 『アリシア』。『フェイト』。待っていて。

 

 母さん。幸せな日々をちゃんと取り戻して見せるわ。今度こそ娘たちを幸せにして見せる。

 

 だから、もしも会えるのなら。

 

 もう一度、会えたなら。

 

 あの日のように、母さんに笑いかけてちょうだい。

 

 お願いよ……

 

 

◇ ◇ ◇

 

 

 『リニス』を封印魔法で眠らせたフェイトたちは、クロノと別れて行動していたアスカに合流するため、海鳴市の公園のひとつを訪れていた。

 

「フェイト……」

「うん、違う世界の『母さん』だ……」

 

 フェイトが駆け付けたとき。公園のベンチで寝かされている闇の欠片の『プレシア』は、今にも消えそうなほど弱っているようだった。別にアスカやクロノと戦闘をしたわけではない。アスカ達が駆け付けた時には既に、『プレシア』は"そういう状態だったのだ"

 

 本物の『アリシア』のクローンを生み出し、『フェイト』を目覚めさせ。そして、心の寂しさを、欠落を埋めるために娘のクローンを生み出し続けた哀れな母親……

 

 失ってしまった過去の時間を取り戻そうと、手を伸ばして、伸ばし続け。そうして倒れる寸前までいった時の『プレシア』だったのだ。アスカ達が出会った時も、隔離結界で封鎖された住宅地を歩いていて。コンクリートの塀に手を付きながら、何度も喀血して彷徨っている状況。

 

 そんな状態を見ていられず、早めに封印を施そうとしたクロノとアスカに、プレシアは何度も言うのだ。

 

 ……娘に会いたいと。せがむ様に何度も何度も。

 

「プレシア。あんた………っ」

 

 だから、かつてレヴィ(『アリシア』)を家族として引き取っていたアスカが、そんな『プレシア』を無下にすることもできなくて。だけど、本物の娘であるレヴィと、義姉の関係だったアスカは、今は喧嘩別れに近い状態で。今すぐ会わせてあげることも難しくて。

 

 せめて、彼女(プレシア)の呟く『フェイト』だけでも会わせてあげたい。だから、クロノにお願いして、アスカに処遇を任せてもらうことになった。

 

 それが、フェイトを呼んだ事の経緯だった。

 

 今は『プレシア』が消えないように、意識を保っていられるように。アスカが傍に居て、手を握りながら語り聞かせている。義姉として一緒に過ごしてきた。『アリシア』との思い出を。

 

「それでね。『アリシア』は泳げもしないくせに、海に来てすぐに『やだ、やだ~~! すぐに遊びに行きたい! 海に飛び込みたい!』ってはしゃいでて」

「ふふ……そう、あの子はそれほど元気に……」

「ええ、そうよ。それで、日焼け止めも塗って準備万端。いざ、海に飛び込むって時に、砂浜の熱さにやられてね。『やっぱりむりむり! こんなの無理だ~~』って涙目になったのよ」

 

 アスカが、駆け付けたフェイトとアルフに目配せする。

 

 フェイトは頷いて、寝かされている『プレシア』に静かに近寄った。そして手を放したアスカの代わりに、『プレシア』の手をバリアジャケットの手袋越しに、優しく握りしめた。

 

「母さん……?」

「あなたは、誰かしら?何番目の……」

「フェイトだよ。フェイト・テスタロッサ」

「……母さんの、娘です」

「『フェイト』……?」

 

 アルフは二人の邪魔をしないように、それをアスカと共に見守っている。何があってもフェイトの傍に駆け寄れるように。

 

 フェイトの心中は複雑だろう。

 

 目の前に"プレシア"がいる。

 

 だけど、その"プレシア"は本当のお母さんじゃなくて。別の世界の『プレシア』で。

 

 そして、過去の記憶から再生された闇の欠片なのだ。

 

 いつまでもこうしている訳にはいかない。古い記憶の、悲しい夢を見てしまっている存在だから。終わらせてあげないといけない。フェイト自身の手で。それが出来なければ、アスカの手で。

 

 彼女の悲しい夢を終わらせてあげないと。じゃないと、いつまでも娘に会えないまま。彼女は病に蝕まれた体で、彷徨いつづけてしまう。

 

 これは、そうしたお別れをする前の、最後の親子の会話。

 

 フェイトにとっては二度目の別れ。

 

 それでも、嬉しい。そして、そんなフェイトに『プレシア』は優しく接してくれる。

 

「そう、あなたは『フェイト』、なのね……」

「だけど、私の知っている『フェイト』じゃないわ……」

「私の『フェイト』は、髪が白くて、雪のようだったから……」

「こんな風に、綺麗な金色じゃあ、なかったの…………」

「……そう、なんだ……」

 

 かつてレヴィが言ったように、『プレシア』はフェイトを正しく認識できているのか怪しい。

 

 だけど、その声がとても優しくて。フェイトの胸を打つ。あまり感じたことのない慈しみと親愛の情を向けられて。フェイトの心が、優しさでかき乱される。

 

 か細い声で、ひとこと、ひとこと絞り出すように。『プレシア』は言葉を紡ぐのだ。フェイトの長い金色のひと房に触れながら。

 

 本当は娘と同じ髪の色と、健康的な身体を持って生まれるはずだった(『フェイト』)を想いながら。

 

「ぐすっ……かあ、さん……っ……っ……」

 

 『母』が愛おしそうに、丁寧に髪を梳いてくれる。それだけで、フェイトの母さんにされているみたいで、とても嬉しくて。思わず涙が溢れてきそうになって。でも、この人を、これ以上悲しませたくないから、涙を我慢するのに。フェイトの心は泣き出しそうになって、涙を堪えてくれない。

 

 この人はフェイトのお母さんとは違う。向こうの世界の『アリシア』のお母さん。

 

 フェイトの本当のお母さんは、眠るアリシアと共に虚数の底に落ちてしまって、今はもういない。なのに、優しい手で撫でてもらえるだけで、こんなにも嬉しい。頭では分かっているのに、どうしてこんなにも嬉しくて。

 

 どうして……こんなにも……

 

 悲しくて……切ないんだろう。

 

「どうしたの、『フェイト』……? 泣いて、いるのかしら……?」

「なにか、悲しいことでも、あった……?」

「あのっ……違くて……これは違うんです……」

「うれしくて……そう、嬉し涙なんです……っ!!」

「そう……?」

「――はい!」

 

 それはきっと、『プレシア』がこんなにも優しいからだ。こんな形でも、もう会えないと思っていた『プレシア』が目の前にいて。こうしてフェイトに触れてくれているから。拒絶したりなんてしないから。だから、それが嬉しい。

 

 『アリシア』に申し訳ない気持ちもある。けれど、今は自分を見てほしい。

 

 たとえ、誰かの代わりだとしても。

 

 あの日、プレシアと最後の言葉を交わした日。それでも、自分はフェイト・テスタロッサで、あなたの娘です。と、そう告げた日。

 

 あの日の決意に嘘はないけれど。

 

 それでも、こうして甘えてしまうのは、やっぱりフェイトにとって"プレシア"という存在がとても大きいから。たとえ世界が違っても、フェイトの大切なお母さんだから。

 

 もう会えない。お母さんだから。

 

「あのね。『フェイト』……」

「聞いてちょうだい……」

「うん、母さん」

「聞いてるよ」

 

 娘に語り聞かせるように、声を掛けるプレシアに、フェイトは静かに頷いた。

 

 フェイトの頬に添えられたプレシアの手は、思ったよりも大きくて。だけど、今にも消えてしまいそうなほど冷たかった。

 

 だから、その手を温めるように、フェイトはプレシアの手にそっと手を重ねる。その手に触れる。

 

「『フェイト』。あなたは私の娘と、同じ名前をしているわ……」

「そう……わたしの、本当の娘。ちゃんとした名前を考える前の、仮の名前だったけれど。確かに娘として私の傍にいてくれた子……」

 

「だけど、私の技術が未熟だったせいで、あの子には辛い思いをさせた。何度も苦しんで、それでも笑っていてくれて。私の為に絵を書いたりしてくれて。元気になったら姉妹みんなで、母さんと一緒にアルトセイムの草原を歩きたいって……」

 

「そんな風にっ、ごほっ、ごほっ……」

「母さん!!」

 

 闇の欠片の『プレシア』が咳き込んで、口元を手で押さえた。その手には赤黒い血がべっとりと付いていて、フェイトと別れる前のプレシアと同じで。

 

 だから、フェイトが慌てて背中を抱き起して、楽な姿勢にしてあげて。それから背中を摩るのだけど、『プレシア』は一向に良くなる気配がない。

 

 すがるようにアスカに視線を向けるフェイトだが、アスカも悲しそうに首を振るだけ……

 

 つまり、闇の欠片の『プレシア』を救う手立てはない。治癒魔法で延命させることもできなくて。このままでも人知れず消えていくかもしれない存在で。

 

 フェイトは、目尻に涙を浮かべながら、悲しそうな表情で俯くしかなかった。

 

(っ……なんで……どうして……)

(母さんは、こんなに苦しまなくちゃならないの……?)

 

 こんな弱々しい『プレシア』をフェイトは見たことがない。

 

 アリシアから貰った記憶の中だって、プレシアはいつも笑ってくれている優しいお母さんだったから。疲れた顔を見せることはあっても、泣いたり、悲しんだりすることなんてなかった。

 

 たとえそれが、アリシアを失った頃の……フェイトと一緒に過ごしていた頃のプレシアだったとしても。こんな風に泣いている姿なんて一度も見たことがなかった。

 

 そして、そんな『プレシア』の望みを叶えてあげることも、苦しみも和らげてあげることも、フェイトには出来ないのだ。それが、悔しくて、悔しくて、フェイトは下唇を噛みしめながら俯いてしまう。

 

 胸が痛い。悲しい。

 

(違う……こんな事がしたいんじゃない……)

(私が、悲しむ『母さん』を励ましてあげないと……)

 

 だけど、それでも『プレシア』の為に、心配かけないようにと。フェイトは顔をあげて、健気に微笑むのだ。

 

「母さん。わたし、大丈夫だから」

「ほら、こんな風に生まれ変わって。元気になったの」

「だから……」

 

 そうして微笑んで、泣きながら悲しい嘘を付いた。

 

「ふふっ……嘘が、下手ね……」

「フェイト」

 

 プレシアの優しげな呟き。

 

 その言葉だけは、今ここにいるフェイトに向けられているような気がした。

 

 いつだって失くしてばかりの人生だった。仕事が忙しくて、愛する夫と別れることになった時も。娘を失った時も。取り戻そうとした娘たちが、手のひらから零れ落ちてしまった時も。

 

 そんな後悔の言葉が聞こえてきそうなほど、今の『プレシア』は儚げで。静かに涙を零しながら、フェイトに微笑みかけた。

 

 たとえ、世界が違ったとしても……娘を愛する気持ちだけは本物だから……

 

 だって、フェイトの『お母さん』だから。その事だけは、信じてほしいと。

 

 フェイトを真っ直ぐ見つめてくれる。優しげな瞳から。そんな想いが伝わってくるかのようだった。

 

「いいのよ……」

「娘たちは、私を恨んでいるかしら……?」

「っ……わたしは!!」

「母さんのこと……恨んでない」

 

 それに応える(フェイト)の気持ちも本物で。

 

 今だけは、二人の心が通じ合っている気がした。

 

 だけど……

 

「でも……私は……貴女たちに……酷いことを、たくさん、してきたわ……娘を取り戻すために、何度もクローンを作って、失敗した……そうよ。失敗した。失敗したのよ……私は、また……」

 

「なんども……同じ過ちを、繰り返す……」

 

「綺麗で暖かなものはみんな過去にあるからって……何度でも、同じ過ちを繰り返す……」

 

「私は……私は……」

 

 だけど……『プレシア』の心を蝕む後悔だけが、消えてくれない。

 

 悲しむフェイトと同じように。それ以上に涙を流して慟哭し続ける『プレシア』は……

 

 きっと、愛する自分の娘に赦されるまで、自分の過ちを後悔しつづけて。慟哭し続けて。それでも、娘に会いたいと切望し続けるのだ。だから……

 

 フェイトは、それを見て決心する。いつまでも自分の我儘で、『母親』の苦しむ時間を増やしてはいけないと。悲しみに暮れる『プレシア』を、『娘』のことで嘆かせてはいけないのだと。

 

「『母さん』……」

「もう充分、泣いたり、悲しんだりしたよね……?」

「だから、これ以上は、もう辛いだけだから……」

「……お休みしよう?」

 

 せめて、大好きな、愛する家族のもとで。

 

 安らかに眠っていてほしいから。

 

 フェイトは優しげな手つきで、『母親』を横たえると。立ち上がって、瞬時にバルディッシュを展開した。両手で抱えたそれを強く握りしめると、目を閉じて集中する。

 

 少しでも、この胸の悲しみを振り払えるように。

 

「バルディッシュ……」

『YesSir』

 

 主に応えるバルディッシュの声とともに、変形したデバイスから光が溢れていく。フェイトを中心にして金色の円形魔方陣が広がっていく。

 

「っ……アルカス・クルタス・エイギアス――!!」

「疾風なりし天神、今、導きの、もと……」

「『母さん』を……」

 

 唱える呪文は強く悲しみに満ちてしまっていて。だけど、優しい声で告げなきゃいけなくて。『アルフ』や『リニス』の時と同じように、こんな筈じゃなかった過去と出会って、向き合って。

 

 それでも会えたのが嬉しくて。

 

 だけど、別れるときは、いつだって突然で。どうしようもなくて。

 

 なのに……なのに……

 

「っ――ああああっ……!!」

 

 どんなに悲しくても、『母さん』と……『プレシア』と、安心して別れ(導きか)なきゃいけないのに。

 

「ああっ……『かあさん』……」

 

 膝から力が抜ける。ゆっくりと女の子座りになって、俯いてしまう。『プレシア』を悲しませないように嗚咽を堪えているのに。涙も、しゃっくりも止まってくれない。

 

 どうして、親しい人との別れは……こんなにも辛いんだろう。

 

(いやだ……いやだ……)

(『アルフ』も……『リニス』も……)

(『母さん』とだって……)

(せっかく会えたのに、なんで……)

(どうして、別れなきゃいけないの……?)

 

 フェイトの瞳から涙が雫となって零れ落ちる。それは、安らかに眠っている『プレシア』の頬に落ちて。その冷たい感触に、『プレシア』はそっと目を開けて。俯きながら泣いている娘の顔を優しく見つめた。

 

 そうして彼女は、優しく手を伸ばして。

 

 昔の、アリシアから貰った記憶と同じように。優しい母親の表情をしながら、フェイトの頬にそっと、触れた。

 

「フェイト……」

「ありがとう」

 

 そうして、その手で雫を拭って、優しく、優しく、髪を撫でてくれる。

 

 だから、だから、もう一度。

 

 今度こそ。

 

 フェイトはもう一度立ち上がる。

 

(ごめんね……『母さん』)

(ありがとう)

(もう、迷わない)

 

「アルカス・クルタス・エイギアス――」

「疾風なりし天神、今、導きのもと――」

 

 そうして紡がれる優しい呪文(さよなら)に従って。

 

「どうか、悪い夢をみている『母さん』の、悲しい夢を……」

「もう、終わらせてあげて」

 

 『プレシア』は、それを優しく見守りながら。

 

 フェイトの頬を撫でながら、娘を慈しむ母親の表情をしながら。

 

 彼女は優しい金の閃光に包まれていった。

 

 

◇ ◇ ◇

 

 

……お願いが、あるの……

 

もしも、私の娘に……

 

今も生きている娘に会えたなら、本当のなまえを伝えて……

 

それから、最後に……

 

仕事ばかりの、悪い母さんだったけれど……

 

――いつまでも、愛してる――

 

 

◇ ◇ ◇

 

 

 そうして光が収まったとき。足元に広がる金色の円形魔法陣(ミッドチルダ式魔法陣)も、安らかに横たわる闇の欠片のプレシアも消えていて。

 

 ただ、フェイトの頬を優しく撫でてくれた感触だけが、確かに残っていて。けれど、フェイトの大好きな『お母さん』は、優しい『母親』は何処にもいなくて。

 

「『母さん』……」

「ぐすっ……『母さん』……!!」

 

 そのことを理解したフェイトは自分の身体を支えていられなくなって、膝から崩れ落ちてしまう。近くで見守っていたアルフが、「フェイト!」と叫びながら駆け寄ってきてくれて。辛い思いをしながら、大好きな『母』を眠らせてあげた少女を、優しく抱きしめた。

 

「アルフ……! 『母さん』が……『母さん』が……」

「よしよし、頑張ったね……」

「わたし、何にも……」

「ううん、フェイトは頑張った。悪い夢を見てた『プレシア』を、ちゃんと送ってあげたんだ。立派だよ、偉いよ」

 

 再び大好きな母親の温もりを失ってしまったことが苦しくて。胸の奥はこんなにも空虚で、空っぽで。だけど、最後に伝えられた言葉は確かにあって、想いはちゃんと受け継がれて。それから、こうして抱きしめてくれるアルフの温もりも優しさも温かくて。

 

「……っ、あああぁぁぁ、ああああぁぁ!!」

「フェイト、頑張ったね。よく、がんばったよ……ぐすっ……ひぐっ……」

 

 だから、フェイトはアルフにしがみ付いて、その衣服を強く握りしめながら、泣き叫んだ。胸の内の悲しみも、苦しみも全部吐き出してしまうように。使い魔として、心の奥底でフェイトと繋がっている。気持ちを共有しているアルフも、フェイトを想って一緒に泣いた。

 

 だから、それを見ていたアスカが、静かに二人を抱きしめて。

 

「今だけは泣きなさい。アンタ達の為にも」

「『プレシア』の為にも」

「アタシが胸を貸してあげるから」

 

 そうして静かになってしまった公園で、三人で泣き続けた。

 

 その胸の悲しみが無くなるまで、いつまでも。いつまでも。

 

 

◇ ◇ ◇

 

 

 管理局によって結界で封鎖された。海鳴市の上空でひとりの少女がゆっくりと空を飛んでいた。この世界のなのはを思わせる出で立ち。だけど、髪型は少女の兄のほうにそっくりで。

 

 白い防護服は、通っている私立聖祥の制服を思わせた。魔力光も桜色の優しい輝きをしている。

 

「この魔力の感じ、『アリシア』でしょうか?」

「うぅ、頭が痛い……」

 

「でも、大丈夫です」

「この胸の内にある焼け付くような憎しみなんかに」

「わたしは負けない」

 

「わたしの魔法は、きっと誰かを救えるって信じてますから」

「それにしても、ここは何処でしょうか? わたしはいつの間に迷子に?」

「『ユーノ』さんも、『アリシア』も、迷子になってないといいのですけど……」

 

 自分自身がかつての記憶から再現された闇の欠片だと知らない少女は、懐かしい気配に誘われて空をゆく。

 

 一方、なのはの家から商店街を通って、大きな海鳴駅の反対側にある海鳴大学病院で。

 

「…………『お母さん』?」

 

 病院の屋上で、入り口の上の給水塔に背中を預けて、虚ろな瞳をしながら空を見つめていた少女が顔をあげる。

 

 その黒衣の防護服は、フェイトのものにとてもよく似ていて。髪の色も水色で毛先が黒く。胸に抱きしめながら抱えているデバイスも、かつての愛機にそっくりだった。

 

 少女には自分がどうしてここにいるのかも分からない。ただ、そこにかつての因縁と、激しい憎悪を抱いた記憶と、どうしようもない悲しみがあったことだけは覚えていて。

 

 彼女は帰る場所も分からず。帰る場所を失ってしまったから。行く充てもなく留まっているに過ぎない。

 

 バニングスのお屋敷への帰り道も、かつて住んでいた時の庭園が崩壊してしまったことも、もう覚えていない。

 

 そして。

 

「あたま、痛い……このきおく、シュテるん?」

 

 彼女もまた、救われぬ誰かの心……

 

 闇の欠片の記憶だった……




無印劇場版のBGM
プレシアとフェイトの別れのシーン。
『本当の気持ち』を流すとイメージに近い。

そして見送った後の涙のシーンはAsの『青空を願って』

さよなら、『母さん』

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