リリカルなのは アナザーダークネス 紫天と夜天の交わるとき   作:観測者と語り部

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許さないッ!!

 神様。

 

 あの日、父親と少しばかり触れあえて、はっきりと何かが変わった気がしたのは私の思い込みだったのでしょうか。

 

 それとも何か? これが人を殺した経験のある私に対しての罰だとでも?

 

 だというのなら、わたしは神様を恨まずにはいられません。

 

 如何してこんな事になっているのか。私にはそれすらも分からないのですが。はっきりと分かる事は胸の奥が締め付けられて痛いことです。気を抜けば泣き叫んでしまいそうになるほどの悲しみ。私の理性はとっくに限界を迎えているでしょう。

 

 それでも。

 ねぇ、神様。

 私は心の何処かでこれが夢であれば良いとそう願っていたんです。

 

◇ ◇ ◇

 

 シグナムが咄嗟の一撃を放ち、そこからザフィーラが突入して拘束され、殺される瞬間までの一部始終をヴィータは見ていた。既に躯体はボロボロで意識が朦朧としていて、立ち上がることすらままならない。放っておけばはやてを護ることもできずに、闇の書の中へと還っていくだろう。まだ、闇の書の主として覚醒を迎えていないはやてでは、四人の守護騎士を復活させることすら難しい。還元されるということはヴィータの消滅を意味している。

 

 虚ろな目で氷の封印術を行使する男や仲間たちを見ていると。ザフィーラが殺した女騎士に駆け寄ったグリーンが、無残な遺体となった亡骸に上着を被せて静かな慟哭をあげていた。それを見守る猫の使い魔も、周囲の局員たちも悲痛な面持ちだ。

 

 思わず舌打ちしたくなる。泣きたいのはこっちだ。せっかくの楽しいクリスマスを邪魔されて、共に幸せになった仲間を殺されて。その上で大好きな主であるはやてすら護れずにいる。巻き込んでしまった主の友人であり、ヴィータにとっても親友だったアリサのことは悔やんでも悔やみきれない。

 

 なのはやアリシアは無事だろうか。あの二人は優れた魔導師の資質を持つが経験不足が目立つ。おまけにアリシアはリンカーコアの疾患を抱えていて、上手く魔法を使えないとシャマルが言っていた。こんな状況に陥って無事に対処できているのか不安が募る。

 

 特に月村すずかがもっとも危険だった。なのはやアリシアが結界魔法を使って保護していればしばらく持つだろうが、魔法の資質も才能もない彼女は、すぐに意識を失ってもおかしくはない。そして、そのまま凍り付いたら二度と覚めぬ眠りにつくだろう。管理局が行使しているのはそういう魔法だ。

 

 闇の書の主であるはやてはしばらく無事のはずだった。彼女には闇の書の加護があり、万が一の際は書の管制人格が結界を張って主の身を護る。だが、それも気休めにすぎないだろう。時空管理局の狙いは闇の書の封印だと言っていた。未だ効力を発揮し続ける氷結封印術が完成したとき、はやての命も最後になるかもしれない。

 

 ヴィータは己の無力さが悔しくて、悔しくて歯ぎしりをするしかなかった。そうしている間にも局員たちは動き回って、何らかの確認をしている様子。その中でヴィータは猫の使い魔の片割れ。リーゼアリアが闇の書を持っていることに気づいて愕然とする。

 

「なん、で……てめぇが……」

 

「闇の書の最後のページは守護騎士自身が魔力を差し出すことで完成する。これまで幾度となく転生を繰り返す中で、何度かそういった事があった筈よ。もっとも、アンタ達には関係ないことだけど」

 

 ヴィータの問い掛けを知ってか知らずか、アリアはそう言って片手で闇の書を掲げた。分厚い魔道書はそのページを開くと、四つの光の帯を守護騎士に向けて伸ばす。

 

「闇の書よ。奪え」

 

 すると、消滅せずに残っていたザフィーラの躯体から光の粒子が飛び出していく。それらは不気味な光を放つ帯を通して闇の書に吸収されているようだ。ここからでは見えないが、シグナムとシャマルも同様の効果を受けているのだろう。

 

「うわあああああぁぁぁぁ――」

 

 もちろんヴィータでさえも。まだ、自分にそんな気力が残っていたのかと驚くくらい、喉から声が絞り出されていた。痛みは感じないのに自分の体が消滅して無くなっていく感覚。そして徐々に闇に飲み込まれようとしている意識。その恐怖なのか、それとも感じないだけで凄まじい苦痛を受けているのか。それは分からないが叫び声は止まらない。

 

 そして四人の守護騎士の消滅とともに、闇の書と氷の封印術。そして虚空の彼方に通ずる入口が、ついに完成を迎えようとしていた。

 

 それと同時に病院の一階で、新たな惨劇の幕が開かれる。

 

◇ ◇ ◇

 

――あああああぁぁぁぁぁーーーーーーっ!!!!!

 

 それを例えるなら獣の叫び。あまりにも残酷すぎた真実は、強烈すぎる刺激となって少女の脳を奥底まで焼いた。心が悲鳴をあげるのを止めることすら出来ず、胸の内から湧き上がる激情すら抑えることが出来ない。それは涙に変換されてとめどなく少女の紅い瞳から零れ落ちた。

 

 今までで一度も経験したことのない悲しみ。ううん、きっと心の何処かで忘れていただけで。少女にとっては何度か経験したことがあるかもしれない。でも、幾ら何でもこれは酷過ぎるだろう。あまりにも惨すぎるだろうと思わずにはいられない。

 

 真実を受け入れることを拒否した脳が必死に身体を動かして、倒れ伏している姉と尊敬し、呼び慕う少女の身体を抱き上げた。それは余りにも冷たかった。そしてあまりにも重すぎて、硬すぎた。そこにはもう少女の愛した姉の温もりも、人肌の柔らかさも残されていなかった。

 

 傍らには幼い橙色の子狼が寄り添うように倒れ伏していて。それは少女と家族のように過ごし、いつまでも傍にという願いを果たせなかった証で。心の中の暖かな繋がりが途切れたことを意味していた。

 

 ただ、冷たすぎる亡骸があるだけだった。

 

「はは、あははっ……」

 

 次いで湧き上がるのは乾いた笑い声だ。いっそのこと狂ってしまえたらどれだけ楽だったんだろう。

 

 けれども、抱き上げた冷たい身体が、一欠けらの温もりも残していない身体が。少女を狂わすことを止めたのは何と言う皮肉だろう。

 

 アリシア・テスタロッサ・バニングスは、ぎゅっと姉の、アリサ・バニングスの身体を抱き締めた。

 

 しかし、狂おしい程に愛おしい姉をどれだけ抱き締めても、その肉体が動き出すことは二度とない。

 

 もう二度と、あの力強い声で『アリシア』って呼びかけてくれることはない。

 

 それを理解してしまうと不思議と絶望感は湧いてこなかった。

 

 あるのは怒りだ。胸の底から浮かび上がるマグマの様な灼熱の怒り。憤怒の炎。自分すらも焼き焦がしてしまいそうな程の業火。

 

「バルディッシュっ……セットアップ……」

「bad sir……」

「セットアップ!!」

「yes sir……」

 

 金色に輝く三角形のデバイス。待機状態となってペンダントとして首にぶら下げられている己の戦斧に命令を下す。

 

 その際に変身しては病が悪化する。貴女は魔法を行使してはならないとバルディッシュが警告を下すが、アリシアにとって知った事ではなかった。姉を死に追い詰めるほどの白銀世界を作り出した元凶がいる。魔導師として培われたアリシアの冷静な部分がそう告げている。

 

 そんな元凶を倒せる力が自らに備わっているというのに。それを行使しないのはおかしいだろう。アリサは常々口にしていたではないか。私にも魔法の力が在ればアンタ達を助けられるのにと。彼女に行使できないことを妹の自分が代わりに行って何が悪い。

 

 力強い意志を込めてセットアップと叫べば、主を止められないと悟った主思いの戦斧は意に応えた。金色の魔力光が私服姿のアリシアを包み込み、彼女を幼い少女から黒衣を纏いし死神へと変えていく。

 

 そう、死神だ。友達が入院している病院を地獄絵図に変えた元凶を刈り取る死神。その戦斧から繰り出される一撃でもって立ち塞がる障害全ての命を刈り取ろう。

 

 もはやアリシアの中に容赦なんて言う言葉は消えていた。大事な人を喪ったのだ。これは、もう許す許さないの次元を超えている。あるのは深い悲しみと煮えたぎるような底知れぬ憎悪だけだ。そこに相手を思いやる慈悲なんて存在しない。

 

 それにアリシアの魔導師としての勘が、早く術者を止めなければならないと囁いている。ジュエルシードの騒動で経験を積んだ魔導師としての勘だ。この事態を早急に収めないと防護の結界で守られているはやて達の身に危険が及ぶ。

 

 病院の一階は完全なる白銀世界だ。床も、壁も、天井からそれを支える柱まで凍り付いて。霜が降りている。防護服を展開して体温調節機能が動いているのにもかかわらず、寒いと感じてしまうくらいの極寒だ。

 

 なのはが頑張ってくれているだろうが、それも長くは持たないだろう。だから、自分が早急に手を下す。楽しいクリスマスを、大事な家族を奪った奴らを殺す。絶対に逃がしはしないし、誰にも邪魔はさせない。必ず見つけ出して殺してやる。

 

 殺してやる。殺してやる。殺してやるッ!

 

「sir……」

「バルディッシュ、手伝って」

 

 そんなアリシアの傍で彼女を支えてきた相棒ともいえる戦斧は、もう一度警告の声を発する。いつもは無機質に感じる彼の悲しそうな声。どんなに絶望的な状況に陥っても、それでも主の身を案じるリニスからの贈り物。

 

 そんな彼に対して自分でも驚くくらいの無機質な声が漏れていた。もはや、アリシアにいつもの明るく無邪気に他人を気遣う余裕なんてなかった。

 

「bad――」

「手伝えって言ってるんだよっ!!」

 

 今度は信じられないくらいの怒声が喉から絞り出され。アリシアを気遣ってくれていたバルディッシュの躯体を握りしめ、柄が圧し折れるんじゃないかと思うくらいに力を込めていた。

 

 あの大人しいアリシアが切れていた。目は据わっていて、精巧で可愛らしく整った顔つきが歪んでしまうくらい怒り狂っている。

 

 違う。怒り狂う? 当たり前だ。当たり前すぎて反吐が出るくらいだ。尚も反対するバルディッシュの態度にすら苛立ちすら覚える。それくらいアリシアは怒り狂っている。憤慨している。憎んでいる。違う。もう、自分ではどうしようもないくらい憎んでいる。誰が相手でも止まらない。なのはでも、アリサでも止められない。

 

「見ろよ! 何とも思わないのっ!? アリサが死んじゃったんだよ!? 殺された!殺された!殺された! 何にも悪いことなんてしてないのにっ! あんなに、ボク達に優しくしてくれたのに――」

 

 目の隅に涙を浮かべて激情のまま訴えかけてくるアリシアの姿に、バルディッシュは何も言えなかった。ずっと主の傍にあって、無言ながらも今までの生活を見守っていたのだから。

 

 今でも思い出せる明るく快活なアリサの姿。バニングスはこれ以上ないくらい自分たちの面倒を見てくれた。アリサなんて本当の実の妹の様にアリシアを可愛がってくれた。

 

 バニングス家に迎え入れられてからの日々は本当に天国の様だった。母を助けようと駆け回っていた時は食料が確保できなかった。飢えに飢えた。最終的に保存されていた実の姉妹の肉体に喰らいつかねばならない有り様だった。

 

 それが激変した。あれほど困っていた食う物には困らず、毎日が飢えと無縁な生活。言うことを聞いて居れば何もかも満たされる日々が続いていたのだ。

 

 楽しかった。勉強は退屈で詰まらなく、おまけに新しく習う日本語とか言うのは難しくて、翻訳魔法に頼りきりだった自分に悲鳴を上げさせるのは充分で。それでも日々通い続ける学校は楽しかったのだ。学校に通えないはやての、学校に通いたいという気持ちが分かるくらい楽しかったのだ。

 

 知らないことがあればアリサを初めとした子供たちが教えてくれた。クラスの少年少女は皆親切で、アリサの様にアリシアも人気者になった。ミッドチルダ語と何処か雰囲気の似ていた英語は得意科目で、クラス中の皆や先生から発音を褒められた。英語の朗読は楽しかった。

 

 おまけに学校は毎日なのはやすずかと会えるのだ。しかも一緒のクラスでいろんな時間を過ごせる。こんなに素晴らしい事はない。

 

 体育の時間で行う駆けっこやドッチボールで身体を動かすのも気持ち良かったし、毎日変わるお弁当の中身も楽しみになった。暇さえあればずっとアリサ達と一緒に居られた。学校生活は充実していた。

 

 数学と体育と、あと英語科目は得意だった。けど、アリシアは社会や国語の授業がてんで駄目で、テストで赤点を取った時は怒られた。だけど、次の模試ではアリサが特訓に付き合ってくれて、頑張れば八十点以上をキープできた。

 

 そしたら家にいるアリサのお母さんが強く優しく抱擁してくれて、良く頑張ったねって褒めてくれた。アリサによく似た美人な人で、怒りん坊なアリサと違ってとても優しい人で。でも、怒るとアリサよりも怖いそんな人だった。悪戯したり教養を学ぶとか言って受けさせられた個人レッスンを抜け出せば大目玉だ。それでも懲りずに繰り返すものだから。今思えば何度も迷惑かけたと悪い気持ちになるかもしれない。

 

 それでも、アリサママは分け隔てなくアリシアを愛してくれた女性だった。アリシアが『養子』という言葉が何なのか分からなくても、彼女と血が繋がっていない事だけは察していた。だから一度、アリサママに『血がつながってないのに、どうして愛してくれるの』って馬鹿正直に聞いたら『貴女が私の娘だからよ』って本気で宣言してくれる。そんな人だった。

 

 アリサのパパであるデビットは偶にしか帰って来れない忙しい人だったけど、海外から帰って来たときは沢山のお土産をくれる人だった。しかも、アリサとアリシアを本当の姉妹のように扱い、同じ規模のプレゼントをくれる人だった。本当に自分と分け隔てなく接してくれてるんだと、幼いながらもアリシアが理解できるくらいの扱いを毎日受け続けた。

 

 アルフだって満たされていた。アリシアに魔力的な負担を掛けない為にずっと眠っていて、アリシアも碌に世話をしてあげられなかったけど。バニングス家に来てからは嘘みたいに世話を焼いて貰った。

 

 専属の世話係の人が来て、立派な毛並みだねと彼女を褒めながら体毛を整えてくれた。日に出されるドックフードはおやつ感覚で食べれる優れもので、しかも旨いと来たものだ。一度、市販の安物と食べ比べて見て味の違いにビックリしたとアルフは幼いながらも、良く語ってくれたのを今でも思い出せる。

 

 アルフが人の言う事をちゃんと聞ける狼だと知れ渡ると扱いは一気によくなった。ちゃんと言う事を聞いて居れば、望んだ以上の待遇が待っている。毎日アリサとアリシアに散歩に連れて行かれたら、お嬢様を頼んだよって。色んな人が声を掛けた。二人が忙しい時は飼育の人やメイドが庭を駆けまわらせてくれた。おまけに奥様に気に入られて、お茶会の傍らに置いてくれたことも合ったくらいだ。

 

 バニングス家は本当に良い場所だった。それもこれも全部、世話焼きのアリサが手を回してくれたおかげだ。本気でアリシアとアルフの事を心配して。本気でアリシアを最高の親友の一人だって自慢してくれて。本気で一人の家族として、妹としてアリシアを愛してくれた。アリシアにとっての自慢の姉。

 

 

 でも、もう……

 

 笑わない。

 

 頭を優しく撫でてくれない。

 

 夜怖いからって一緒に寝てくれない。

 

 悪戯しても怒ってくれない。

 

 起きたらいつもの快活な笑顔でおはようって言ってくれない。

 

 

 あんなにも、あんなにも元気いっぱいで、病気とは一切無縁の勝ち気な姉が、冷たくなってしまった。プレシア母さんと同じで死んでしまった。

 

 アリシアは頭がどうにかなりそうだった。今でも信じたくないくらいだ。怒りと悲しみで心が張り裂けそうだ。

 

 だって、今日はクリスマスで、楽しい行事なのよって前から嬉しそうに教えてくれて。良い子はサンタさんからプレゼントがもらえるのよって、好奇心旺盛でワクワクしている自分に教えてくれて。何時もの様にお嬢様行ってらっしゃいませなんてお見送りされて。

 

 何時もの様に出かけただけだったのに。それなのに。

 

「……なのに、死んじゃった。あんなに元気いっぱいだったアリサお姉ちゃんが、死んで。あ、ああ! 死んで、もう動かない。朝だぞ、起きなさいよ、ねぼすけとか、アンタね~~てっ怒ってもくれない。こんなのってない!」

 

「アルフは幼い頃からずっと一緒にいてくれた大事な家族でっ……ずっと一緒にいようねって約束したのに、なのに……どうして………」

 

 アリシアは瞳に涙をいっぱい溜めて涙を流した。錯乱しそうになって、髪を掻きむしれば、皆から褒められる金糸の髪がいくつかブチブチと引き抜けてしまった。バルディッシュが慌てて制止の声を上げても、彼女は聞く耳すら待たない。精神的に追い詰められている主を抑えられないことを、自らの主の自傷を止められる体がないことを、バルデイッシュはこれ程悔やんだことはない。

 

 彼には何もできないと言っていいに等しい。ただ、魔法の力を貸すことしかできない。アリシアのご友人たちのように彼女の心を癒すことができない。それがどうしようもなく歯がゆい。自分自身が恨めしい。

 

 きっと主は、アリシアは泣き叫んで狂ってしまいたいに違いない。家族や姉妹だと呼び親しんでいた人を二人も失って、彼女の心は深く傷ついている。それくらいアリサの事が大好きだった証拠。

 

 せめて自分にできることは、バルディッシュにできることは。最後まで主に力を貸すことだけだ。

 

「魔法っ……これは魔法によるものだ。分かるかい、バルディッシュ。アリサお姉ちゃんや皆を、こんなクソみたいな世界に叩き落とした元凶がいる」

「…………sir」

「ソイツを今すぐぶっ潰さないとボクがどうにかなりそうなんだ。所構わず、全部ぶっ壊したくなる」

「手伝ってくれるよね、バルディッシュ。一緒に仇を討ってくれるよね?」

「――Yes」

 

 静かな声で淡々と呟くアリシアの言葉に戦斧は反論することが出来ない。

 

 アリシアがそっとバルディッシュを持ち上げ、そのコアを見つめていた。その身体は震えていて、怒りか悲しみによるものかは判別できなかった。

 

 ただ、一つだけ分かったことがある。先の言葉は訂正しよう。彼女は既に狂っている。紅い瞳はバルディッシュを見ているのに捉えておらず、どこか夢見心地の様に魅了されているかのよう。意志の力はなく、既に虚ろだった。

 

 違う。壊れないように耐えていたんじゃない。既に壊れていたんだ。たったひとつ。たったひとつ大事なモノを喪ってしまっただけで、アリシアの心は壊れてしまった。もしかすると心の底ではアリサの死を受け入れていないのかもしれなかった。それが一辺に二人もだ。

 

 プレシアの時とは違う。今は支えるべき人が傍に居ない。たとえ、不破なのはという少女やライバルのヴィータが居たとしても、彼女の心が壊れるのを止められなかった。ううん、一緒に壊れてしまったかもしれない。それくらいアリサという少女の存在は大きすぎたんだ。

 

 だから、もう、誰にもどうすることも出来ない。

 

「My wish is to be with you forever」

「うん、ありがとう。バルディッシュ」

 

 そんな彼女の身を気遣って魔法を使うなとか土台無理な話なのだ。別れ際、ユーノは治療法を見つけて治癒するまで絶対に魔法を使うなと警告してきた。だけど、身体を治す前に心が壊れてしまったんじゃどうしようもない。

 

 バルディッシュは愛する主と共にいることを誓うと、それっきり何も話さなくなった。彼は覚悟を決めた。たとえ誰が何と言おうとも最後まで主の望むままに力を尽くし、最後まで主と共に戦うことを。その結末がどうなろうと彼は戦い続ける道を選ぶしかなかった。それだけしか愛する主にしてやれなかった。

 

 たとえ、此処で彼女を止めたところで何になるというのか。待っているのは等しく死という結末だけだ。心が壊れるか、身体が先にぶっ壊れるかの違いだけだ。だというのなら、いっそのこと最後まで好きにやらせよう。

 

 それで彼女の気が済むのなら、彼女の心が少しでも救われるなら。

 

 己は、最後まで付き合おう。

 

 バルディッシュはそう誓った。たとえ、その結末があまりにも悲しく残酷で、後悔する道であったとしても。

 

 もはや、彼らは止まることが出来なかった。

 


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