リリカルなのは アナザーダークネス 紫天と夜天の交わるとき   作:観測者と語り部

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異変の始まり

 病院の一階まで幼女に変身したアルフと共に降りてきたアリサは、事務所にいた看護師からコンビニ袋を貰った。人数が人数なので、アルフと一緒に缶ジュースを運んでも持ちきれない量だ。なので、これは当然の帰結といえる。

 

 病院付属の売店などはとっくに閉店しているし、クリスマスなのだから尚更。今頃、店で働く店員さんも家族、友人、恋人と聖夜を過ごしていることだろう。こんな日まで勤めている病院の人たちには感謝が尽きない。

 

 特に、はやての見舞いに関して今回も融通を聞かせてくれた主治医の石田先生には。彼女は今日も夜勤に勤めていて、仕事に都合が付けば、はやての所にお祝いに来てくれる予定だ。本当に良い先生だとアリサは思う。

 

「えっと、ココアにミルクセーキ。あとは緑茶が三本。アタシとなのはの分は、そうね。熱々のホットコーヒーにしてやるわ。すずかは紅茶でいいかしら?」

 

 自動販売機に千円札を入れて、目的の飲み物を買い。それを取り出し口から取り出して袋に詰める。お釣りが出るたびに小銭を投入という作業を繰り返す。

 

 暖房が利いてるとはいえ、真冬の寒さが直撃している海鳴はまだまだ寒い。少し冷えたアリサの手に、暖かな飲み物の温度が伝わってくる。だから、アリサは自分のホットコーヒーを手に持つことにした。

 

 病室に帰るころにはちょうど良い暖かさになっているし、自分の手も温まって一石二鳥だ。

 

「アリサ~~。これ、重いからアタシが持つね?」

「ありがと。途中で交代しながら持っていきましょ。ホント、アンタって良い子よねぇ~~っ」

「えへへ~~」

 

 アルフの気を利かせた申し出に、アリサは思わず彼女をぎゅうっと抱きしめた。アルフもそれが嬉しいのか頭に生えた獣耳が反応し、尻尾が感情を表すかのように激しく上下している。傍から見れば仲のいい姉妹の抱擁にしか見えないだろう。

 

 元々、大の犬好きで、屋敷に多数の愛犬を飼っているアリサとして、アルフの存在は至高ともいえる。そこに姉を思いやるような健気さが加われば、アルフに抱く愛情が大きくなるのも仕方がない。おかげでアルフばっかりずるい~~とはアリシアの談である。

 

 そんな、二人と一匹の子犬も、天蓋付のベッドで仲良く川の字になって眠るのだから、事情を知る者にとっては微笑ましいことこの上ない。姉妹で、親友で、大事な家族でもあるという奇妙な関係が三人の間で結ばれている。

 

 その絆はとても深い。こうして過度な愛情表現を示すように。

 

「そこのお嬢さんたち、ちょっと良いかな」

「えっ、あっ、はい」

 

 それを邪魔したのは他でもない見知らぬ二人組。社交界で多数の人と顔を合わせるアリサが、はっきり初対面だと言える見覚えのない大人の人。

 

 若草色の髪を短めに纏めた悲しげで、だけど精一杯の微笑みを浮かべたような。悪く言えば胡散臭そうな表情をした男性。もう一人は近寄りがたい威圧感をもった、まなざしの鋭い。まるで鉄のように冷たい雰囲気を持つ、背中まである銀の髪を後ろで結った女性。

 

 こんな独特な印象を持った相手に会えば、まず忘れることはないだろうとアリサは思う。故に彼らとは初対面。思い出そうとしても記憶にないのだから。

 

 アルフもどこか怯えたように、アリサの背中に隠れてしまった。だから、それを庇うようにアリサは少し前に出る。

 

「私たちに何か御用でしょうか?」

 

 いきなり声を掛けられて驚いてしまったが、こういうときは長女である自分がしっかりしなければならない。

 

 そこには、いずれ"バニングス"を背負うという宿命を背負った者の覚悟があった。

 

「いや、こんな時間に子供二人で病院にいて、近くに親が見当たらない。だから……心配になって声を掛けたんだ」

「結構です。友達の見舞いに来ているだけですから」

 

 どうやらアリサ達が迷子になっているんじゃないかと心配して声を掛けたようだ。だが、アリサはそれを毅然と断った。

 

 よく子供に、知らない人にはついて行ってはいけません、と注意するだろうが。アリサの場合は大財閥の娘という立場で、誘拐の危険はかなり大きい。本人もそのことは自覚している。

 

 海鳴は治安も良いし、バニングス、月村、不破による御三家のお膝元だから不審な人物は片っ端からマークする。そうして先手を打って対策をとる。未遂のうちに裏から手を引いて潰す。だから、大丈夫だと思うが……。

 

 何というか、この二人はそんな存在ではない気がする。親切にしてもらって申し訳ないが、この二人と関わってはいけないような、嫌な予感するとでも言うのだろうか。

 

「――なら、いいんだ。気を付けてね」

 

 そこで優しげな青年がアリサの頭に手を伸ばす。大方、頭でも撫でようとしたのだろう。それを寸での所で邪魔したのは、隣にいた相方の女性だった。険しかった表情がさらに歪んで、親切な青年を咎めるように睨んでいる。

 

 アリサはその姿に友人と、その家族に対する既視感(デジャヴ)を見た。似ているのだ。復讐に燃えるなのはの父、不破士郎の姿に。そして、世界に絶望していたかのような表情をしていた。あの頃の不破なのはに。

 

「……よせ、グリーン。ここで余計なことをすれば、全てが台無しになる」

「マルタ、でも――」

「既に賽は投げられた。あとは全うするだけだ」

 

 グリーンと呼ばれた青年に厳しい言葉を投げかける、マルタと呼ばれた女性。彼女は有無を言わさないようにグリーンの腕を引くと、そのままエレベーターを使って上階に向かってしまった。最後に、せっかくの聖夜を邪魔したなと、アリサに言葉を残して。

 

「な、なんなのよ。もう……」

 

 アリサは待合のために設置された椅子に座り込む。正直に言えば怖かった。あのマルタと呼ばれた女性の雰囲気。あれは普通じゃない。

 

 こんなに怯えたのは、なのはの父である士郎と対面した時以来だ。あの時は、厳しい鍛錬を施されて体中痣だらけになる親友を助けようと直談判しに行ったのだったか。我ながら無謀なことをしたものだと思う。結局、恐ろしげな雰囲気に呑まれて何も喋れず、しどろもどろになりながら帰ってきたに終わったが。

 

 その時、士郎は娘にできた初めての"友達"を自分なりに持て成しただけだったのだが、アリサは知る由もない。畳部屋の和室でお茶も、和菓子も出された記憶はあるが、テーブルの対面に正座して、じっとアリサを睨み付ける士郎の姿が本当に怖かった覚えしかない。

 

 実際は見つめていただけだが、幼いアリサにそれを察せというのは無理な話である。

 

 とにかくマルタとグリーンは変な人たちだったと結論。出来れば二度と関わりたくない。

 

「アリサ、だいじょ~ぶ?」

「心配しないで。ちょっとへたっただけよ。少し休めば問題ないわ」

 

 はぁ~~とため息を吐いて、買ったばかりの自分のホットコーヒーに口を付けた。アルフにはホットミルクを分け与えて、二人して暖かい飲み物を口にする。

 

 とんだアクシデントに遭遇したものだ。飲み物を待っている皆には悪いが、落ち着く時間がほしかった。

 

 しかし、あの二人は何者だったのだろう、とアリサは疑問に思う。マルタという人物は既に賽は投げられたと言っていた。何か悪いことでもしようとしているのだろうか。警察に連絡して不審な二人組がいるんですと通報するべきか?

 

 いや、と思い留まる。ここは病院だ。もしかすると知り合いか、家族が入院していて。もう長くないのかもしれないとか。或いは命懸けの手術を今日執り行うので、既に賽は投げられたと覚悟を決めていたのかもしれない。それにしては雰囲気が異様だったが。

 

「考えても仕方がない、か」

「ど~かした?」

「ううん、なんでもない。そろそろ行きましょう。あんまり遅いと心配させちゃうし、飲み物も冷めちゃうわ」

 

 ふぅ、と一息ついてアリサは立ち上がった。あの二人のことでせっかくのクリスマスを台無しにしたくない。悪いことは忘れて、今だけは楽しんで、皆との思い出を作ろうと割り切った。どうせ明日にでもなれば忘れているだろう。

 

 飲み終わったホットコーヒーとホットミルクをゴミ箱に捨てて、それなりに重い袋を抱えながら階段まで歩く二人。エレベーターは、あの二人と鉢合わせになったらどうしようと思い、使わないことにした。はやての病室は屋上に近いので、昇るのはちょっと大変だが、悪い気分に成るよりはマシだ。

 

「冷たっ!」

 

 そうして階段の踊り場まで来て、手すりに手を掛けようとしたアリサは、思わず手を放してしまう。

 

 冬の寒さが病院を蝕んでいるとはいえ、怪我や病気で入院している多数の患者のために、院内では暖房が効いている。仮に節電のために、一部の区画で暖房を切っていたとしても、この冷たさは尋常ではない。

 

 例えるなら氷だ。真冬の冷たさに知らした鉄の棒を握ってしまったかのような感覚。あまりの冷たさに感覚を無くしてしまいそうな勢いだ。身体の芯から体温を奪われそうな錯覚さえしてくる。何かがおかしい……。

 

 事務室のほうで誰かが倒れる音がした。それも勢いよく物に頭をぶつけたような音だ。驚いて振り向けば、いつの間に廊下や部屋中に霜が降りるという異様な光景が繰り広げられていて。アリサは驚いて尻餅を付いてしまう。

 

「何よ……これ」

 

 いや、怯えている場合ではない。頭を振って気を取り戻す。

 

 そして、幼くなってしまったアルフの手を引いて逃げようとして、出来なかった。

 

 床に落ちたジュースの缶が、鉄の塊でも落としたかのような音を響かせ、それっきり動かなくなった。転がりすらしなかった。まるで、氷の床に張り付いてしまったかのように。それと同じようにアルフも倒れ伏して動かなかった。

 

 それどころか気が付けば自分すら階段の踊り場で倒れていて。いつの間に倒れたのかとか、どこかぶつけて痛みを感じるとか、そういったものは一切感じなかった。ただ、目と鼻の先に病院の床があった。

 

 震える手で倒れたアルフに手を伸ばす、互いの手と手が触れ合うが、冷たいのか暖かいのすら分からない。ただ、アルフの手は柔らかさがなくて、とても固かった。年老いた犬が天寿を全うした時に、固くなってしまった身体と。それと同じような感覚がした。

 

 助けを呼ぼうにも声が出ない。寒い、寒い、体が震える間もないくらい凍えている。動くことも、それどころか床を這うことすら叶わない。瞼が勝手に閉じていく。視界が暗くなって、何も映らない。自分の鼓動すら感じなくなってゆく。

 

 ただ、寒かった。手にしたアルフの温もりも、自分の温もりも忘れてしまうくらい冷たくて寒かった。

 

 親に抱きしめてもらった温もりも、友達と触れ合った暖かさも忘れてしまうくらい寒かった。

 

 思い出も、走馬灯のように浮かび上がる記憶も凍ってゆく。

 

 まぶたが重い。身体が重い。動かすことができない。痛みすら感じない。なにも感じない。怖いとも恐ろしいとも、悲しいとも思わない。思うことすらできない。思考が、凍っていく。

 

――アリシア……なのは……すずか……はや、て……

 

 最後に病室でアリサたちの帰りを待っている親友の姿を思い浮かべて、アリサ・バニングスという少女は、文字通り命の灯を凍らせ、覚めることのない眠りについた。


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