リリカルなのは アナザーダークネス 紫天と夜天の交わるとき   作:観測者と語り部

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決意

 始まりは夏祭りのはやての発作から。

 たぶん其処から徐々に運命が狂っていったんだと思います。

 

 誰もが驚きと恐れに支配されました。

 このまま、はやてが死んでしまうんじゃないか、そう思うと怖くて身体の震えが止まりませんでした。

 そして、苦しみ、うめく彼女に何もしてあげられない自分自身に。己の無力さに悔みました。

 このままではいけない。何とかしなきゃ。でも、どうすれば。焦燥感ばかりが募って、時間ばかりが過ぎていく……

 

 でも、告げられたのは無残な死の宣告で、現代医学でも、魔法でもどうしようもない運命で。

 絶望が……ありました。知っている絶望でした。大切な人を失いかけた時の絶望でした。父を、姉を、家族を狂わせた性質の悪い猛毒のようなそれを、わたしは知っていました。

 

 正直、頭が真っ白になったのを今でも覚えています。

 忘れられません。忘れる筈がありません。

 

 そんな中で、もっとも早く動き出したのは"彼ら"でした。

 闇の書の守護騎士。ヴォルケンリッター。

 この中でもっとも多くの時間をはやてと過ごし、傍で見守ってきた存在。

 

 彼らは己の主が倒れた原因を知っていました。

 彼らは発作に苦しむ少女の救い方を知っていました。

 彼らは残酷な運命に抗おうとしていました。

 

 それは主を裏切る不義理の道。多くの生きとし生けるものを不幸に叩き落とす血塗られた道。かつて彼らが犯していた過ちを繰り返す道。

 闇の書の蒐集。リンカーコアを持つ生物から魔力を奪い取り、失われた機能を完成させること。

 かつて、はやてが守護騎士たちに禁じたこと。

 

 誰かを傷つけてまで生きることを彼女は良しとしないでしょう。

 でも、守護騎士はそれでも彼女に生きていて欲しいのです。大好きなはやてに叱られ、嫌われても生きていて欲しいのです。

 彼女が救ってくれた恩返しもあったでしょう。しかし、それ以上に共に過ごした愛おしい日常が、あの夏の思い出が彼らを動かす原動力となっていました。

 何故なら、愛する主が一番笑っていたからです。とても幸せだったからです。そして自分たちも幸せだったからです。

 その日々を思えば、彼らの中に迷いなどありませんでした。

 

 その気持ちにはわたしにも痛いほど分かりました。

 だって大切な人を取り戻さんとする女の子のために、大好きな親友のために、わたしは命を懸けたのだから。

 そして、一度両手を血に染めているわたしが。罪深い業を犯しているわたしが。彼らの所業に手を貸すのに、何を躊躇う必要があるのでしょう?

 でも、彼らは言うのです。お前が罪を犯す必要はない。これは我らの役目だって。

 

 結局、わたしにできることなんて、はやての傍にいる事ぐらいでした。

 いえ……少し違いますか。

 わたしは、はやての為なら……

 

◇ ◇ ◇

 

 拳を壁に叩きつける重い音が響き渡る。それは主の異変に気が付けなかったシグナムが、己の失態を怒り、悔やんで無意識に行った行為だが、咎めようとする者は誰もいなかった。賑やかな夏祭りにはしゃいでいた誰もが、意気消沈し、悲しみに暮れ、不安に揺れ動いていたからだ。

 

 ここは海鳴大学病院の集中治療室。そこに繋がる廊下の待機場所。閉ざされた扉の上には"治療中"の文字が赤ランプで照らされ、重苦しい雰囲気と相まって、はやての未来を暗く照らし出しているかのように見えてしまう。

 

 あの後、意識を失ったはやては、すぐさま救急車で運ばれ、急いで治療を受けることになった。付き添いにシャマルとシグナムが同行し、他の皆はアリサが呼んだバニングス家ご用達のリムジンで後を追いかけたのだ。

 

 あんなに楽しかった時間は一気にどん底へ変わり果てた。

 

 なのはは俯いて唇を噛みしめ、今にも血が滲みそうで、膝を握る両手から力が抜ける気配は一向にない。隣ではアリシアが祈るように両手を組んで、目を瞑って必死にはやての無事を願っている。その姿は失った記憶の中にある、母と自分のため、願いの叶う宝石に祈った姿を彷彿とさせた。

 

 アリサは壁に背中を預け、腕を組みながら、強い眼差しではやての運び込まれた治療室を見ているし。すずかは、はやて、はやてと泣きじゃくるヴィータを抱きしめて、大丈夫とずっと囁き続けている。シグナムと同じく責任を感じて涙を流すシャマルに付き添うのは、いつの間にか人間形態に変身したザフィーラで、その拳は力強く握り締められている。

 

 

 誰もが沈黙を保ったまま既に一時間以上は経過していて、微かに聞こえていた花火の轟音はとっくに消えてしまっている。まさか、こんな形で終わるなどとは夢にも思わなかっただろう。少なくとも不破なのははそうだった。

 

(どうして……わたしは……気が付かなかったのでしょう)

 

 湧き上がる気持ちは後悔ばかりが募っていた。はやてが持病もちで、足の麻痺から始まり、たまに軽い発作を起こすことは本人から説明されていたのだ。しかし、主治医のお墨付きで、出かけることぐらいは大丈夫だと聞かされていた。実際、シグナム達が来る前は一人で買い物に出かけることもあったそうだ。それを聞いて安心していた己の不甲斐なさに腹が立つ。

 

 もっと、慎重に考えるべきだったのではと思う。病気が悪化することを懸念すべきだったとも思う。

 

 でも、それをしなかったのは何故か?

 

 答えは簡単。楽しかったからだ。

 

 母が亡くなって家庭の様相が様変わりし、誘拐されて恐ろしい目に遭い、それから苦しい武術の鍛錬の日々が続き。親友とも呼べる友達ができて、将来についての課題で不安になって、魔法に出会って、ジュエルシード事件にあって、掛け替えのない新たな友達と奔走して。

 

 そんな日々のなかで、なのはが楽しいと思ったことなど極僅かしかなかった。

 

 けれど、八神はやてという女の子はいとも簡単にそれを与えてくれたのだ。

 

 料理はどこか懐かしさを感じさせる美味しさで、もう味わえない家庭の味を想起させてくれた。抱え込んだ不安や凍った心を溶かすように抱きしめて、慰めてくれた。

 

 家族や友人と出かける際の彼女は、ずっと笑顔を絶やさず、本当に嬉しそうだったから。なのはやアリシア達もつられて笑ってしまうことが多かった。そんな彼女と過ごす日々が楽しくて、愛おしくて、それを大事にしている守護騎士たちに共感して、なのは達と八神家の仲は急速に深まっていった。

 

 ぎくしゃくしていた父親との関係も良くなって、いずれは疎遠で苦手な姉とも少し話してみようかな。そうポジティブに考えるようになったなのはを、再びどん底に突き落とすような事態。いっそ自分のせいで誰かが不幸になるのではと疑いもした。

 

 どうして、いつも、こんな筈じゃなかったという事は、タイミングの悪い時に最悪の展開で訪れるのだろう。もし、運命の神様という奴が実在するのであれば、なのははソイツを呪ってやりたいくらいだった。

 

 でも、はやての無事を祈るのも神様しかいなくて、神頼みにしかすがれなくて、なのはは己の無力さに泣きそうだった。

 

(嗚呼、どうか神様、仏様。どうか、どうかはやてを連れて行かないでください。まだ、わたしはあの子に話してないことがたくさんあるんです。皆、はやてのことが大好きで、もっとずっと一緒に居たくて。もっと楽しい思い出を作りたいんです。どうか、どうか、はやてを連れてかないでっ!!)

 

 だが、そんな想いも知ってか知らずか、時間ばかりが過ぎ去っていく。

 

 結局、はやての治療が終わったのは、それから一時間後で、彼女が目を覚ましたのはそれからさらに一時間後だった。

 

 大事な人を失う恐怖や不安が過ぎ去り、何事もなかったかのような顔で目を覚まし、戸惑いの表情を一瞬浮かべたものの、八神はやては何時もと変わらない笑顔を見せた。その事に誰もが安堵の表情を浮かべ、涙を流したのは言うまでもないだろう。

 

 ◇ ◇ ◇

 

「いや~~、ほんまに心配かけて、ごめんなぁ」

「ホントよ、このっ! このっ!」

「ツッコミにチョップしちゃ、だめだよアリサちゃん。はやてちゃんは安静にしてなきゃいけないんだから」

「わ、分かってるわよ」

 

 病院の個室で照れ笑いを浮かべながら、頭をさするはやての姿。

 それに、泣き笑いという複雑な表情をしたアリサが、このバカっと口にしようとしたところを寸でのところで抑え。軽く頭をど突こうとした右手は、すずかによって何とか防がれた。どうやら無意識の内だったらしい。

 

 恥ずかしそうに掴まれた右手を下すと、そのまま俯いてしまった。頬が羞恥に染まっているところを指摘すると、もれなく連撃のチョップが飛んでくるが、はやてはそんな無粋な真似はしない。友達が自分を心配してくれた事実に申し訳なさと嬉しさを感じながら、密かに胸の内にしまっておくだけだ。

 

 これがアリシアやヴィータだったら、空気も読まずにツッコんで、アリサ・バニングスがアリサ・バーニングと化すのは目に見えている。そして、烈火のごとく怒り狂った彼女に締め上げられるのだ。何度となく見た光景を思い浮かべて、はやては笑った。

 

 もっとも、そんなアリシアはベッドの布団に隠された、はやての足に蹲るようにして眠っている。悲し涙と嬉し涙で、泣き疲れてしまったのだろう。

 

 そんな彼女の肩から背中にかけて流れる金色のツインテールを、なのはが優しく愛おしそうに梳いていて。時折、んんぅ、とアリシアはうめき声をあげる。それでも寝顔はどこか気持ちよさそうで。安堵した彼女はきっと良い夢でも見ているのだろう。

 

 ヴィータは、はやてに笑いかけながらも、時折難しそうな顔で扉の隙間から覗く、暗がりの廊下を見つめていた。幼い見た目に反して果てしない年月を生きている彼女は、未だに戻ってこないシグナム達を気にしているのかもしれない。そう考えると、声をかけられなくて、はやては手を合わせて謝るだけに努めた。

 

 ヴィータははにかむ様な笑顔で、だけど済まなそうな、寂しそうな顔で手を振る。自分が倒れたことを気にしているのだろうとはやても、申し訳ない気持ちで一杯になる。だから、今度は美味しいご馳走を用意してあげようと心の中で決めておく。

 

 だが、実際は……

 

「でも、本当に良かった」

「そうよ。苦しかったら次は我慢しないでちゃんと言いなさいよね。いきなりぶっ倒れられたら、こっちの心臓がいくつあっても足りないわよ。もう!」

「ほんまに、ごめんなぁ」

 

 アリサとすずか、代わる代わる声を掛けるなかで。なのはだけは、その不審な様子に気が付いていて。

 

「……すまねぇ。シグナム達の様子を見ておきたいんだ。はやての事、頼んでもいいかな?」

「いいけど、すぐに戻ってきなさいよ。アンタ達ははやての家族なんだから」

「へっ、あたりまえだっつーの。はやて、ごめんな」

「気にせんといて、ええよ。むしろ迷惑かけとるのは、わたしのほうやし。今度、お詫びにハンバーグ作ったるから。ヴィータ好きやったもんね」

「ホントか!? じゃあ、楽しみに待ってる!!」

「ここは病院やし、外は暗いから静かにせなあかんよ?」

「分かった。じゃあ、行ってくる!」

 

 だから、ヴィータがそそくさと病室を後にした時も、すぐに追いかけることを決めた。あの四人と初めて出会い、夜の帰り道を共にした夜で聞かされた話。彼女たちはもしかしたら、はやてに内緒で良からぬことを企んでいるのではないか。そう思い至るのは自然だった。

 

 それは、なのはだけが知っている。そして少なからず裏の世界に関わったことのある彼女だからこそ、思い至った結果でもある。

 

 きっと、彼女達は大好きな(はやて)の為なら何だってするのだろう。もし、そうであるのなら止めるべきなのか。それとも協力すべきなのか。或いは誰かに相談するべきなのか。なのはには分からない。

 

 でも、自分の勘を信じるならば、追いかけなければいけない。そんな気がして。

 

「ちょっと、トイレに行ってきます」

 

 気が付けば彼女は病室を後にしていた。

 

 ◇ ◇ ◇

 

 海鳴大学病院の近くにある道路。病院を利用する患者のために、バス停としての機能を発展させたそこは、座るためのベンチも多く、昼の時間であれば活気に満ちているのだろう。

 

 だが、すでに深夜に入りつつある時間帯では、車や歩行者の通行も殆どなく、夜の蚊帳と相まって寂しげな雰囲気に包まれていた。

 

 その場所で三人と一匹の姿が寄り集まり、密かに話を続けている。それは知る人が見れば、八神はやての家族である守護騎士だと一発でわかるだろう。

 

「うっ、やっぱり……はやての病はアタシ等のせいで……」

「――ああ、そうだ。闇の書の呪いは静かに……だが、確実に主はやての命を奪おうとしている」

 

 守護騎士の中でも一番幼く、はやての妹として可愛がられているヴィータは、瞳に涙を浮かべながら、その赤毛の長いお下げを揺らして落ち込んだ。シグナムとシャマルがはやての保護者として、主治医の石田先生から伝えられた話を聞き終えたばかり。

 

 しかし、現状を正確に理解している彼女は、残酷な真実に心を痛めて、涙を浮かべている。直面しているのは、大好きな(はやて)の死という現実。それも遠くない未来の内に訪れる、あまりにも悲しい結末であった。

 

「ッ……助けなきゃ………はやてを助けなきゃ!! このまま、はやてが死んじゃうなんて、アタシ――そんなの、嫌だ!!」

 

 だから、彼女がこう叫んでしまうのも無理はない。かつて、闇の書の守護騎士として、歴代の主から使い捨ての道具のように扱われ、いいように利用されてきた中で。はやてだけは自分たちを人として扱い、愛し、慈しみ、家族として傍にいさせてくれた。その恩は片時も忘れたこともなく。思い出はヴィータの中で宝物のように、心の中で輝いてすらいる。

 

 それは、他の三人の守護騎士たちも同じことで。

 

「お前に言われずとも分かっている。我ら守護騎士、皆が同じ思いだ」

 

 それを、証明するかのようにシグナムがはっきりと告げる。その言葉に込められた想いは、愛する主への尽きることなき騎士の忠誠と、家族としての愛情。

 

「その通りよ……はやてちゃんとの約束を破るのは申し訳ないけど、私たちは、あの娘に幸せに生きていてほしいから」

「それじゃあ――」

「そうだ。主はやてを闇の書の主として、正式に覚醒させる。そうすれば」

「主の病は治る。少なくとも、病の進行は止まる!」

 

 守護騎士たちの中に芽生えるのは、残酷な未来に抗おうとする覚悟。

 ただ一度の約束。人や他の生き物を傷つけるなという約束を反故にするのは心が痛む。だが……それでもやらねば、八神はやて(愛する主)が死んでしまう。いずれ犯した罪に対する罰が訪れるのだとしても、そんな運命だけは避けねばならない。

 ならば、彼女たちの中に迷いなどなかった。

 

「待ってください!」

 

 そんな彼女たちを差し止めるかのように立ち塞がる少女の声。誰かに付けられていたのかと焦り、シャマルやシグナムは、この場を切り抜けるための言い訳を考えるが。姿を現した少女の姿を見て、守護騎士の誰もが肩の力を抜いた。

 

 なのはだった。彼女が優れた魔導師であることは誰もが知っている。何処か悲しい過去を背負っていることも何となく察している。それでも、聞かれたくない話を聞かれてしまった身としては、何とも申し訳ない気持ちになるのも事実。

 

 とりあえず失態を犯したヴィータがシグナムに拳骨されて「痛ってえ!」と叫ぶことになるのだが、それは余談。病院から全力疾走で追いかけてきたであろう、なのはへの弁解が先だ。

 

 一応、補助に優れるシャマルが周囲に人払いの結界を展開していたのだが。それを無理やり突破してきたらしい。毎日鍛錬を積んでいる彼女が息を切らしている所をみると、慣れないことをして頑張ったのだろう。

 

 或いは待機フォルムで首にぶら下げられた愛機のレイジングハートが主を支えたか。

 

「聞いていたのか」

 

 シグナムの問いに、なのはは静かに頷く。

 

 といっても先ほど着いたばかりで、何をしようとしているかまでは分からない。ただ、放っておいたらとんでもない事をするんじゃないかっていう勘だけはあって、何とか事情を聴かなければという思いが先行しているだけだ。

 

 つまり行き当たりばったりであるが、それでも友達である、はやてに悲しい思いをさせたくないという想いがなのはを突き動かしていた。

 

 頭の中はグチャグチャで、はやてが発作で倒れたことに気は動転していて、胸中は不安でいっぱいで。でも、裏が関わっているのならば、自分が何とかしなきゃという行動指針が彼女の中にはあって。もう誰にもあんな思いはさせたくなかったのだ。怖い思いも、誰かを傷つけて苦しむのも自分だけで充分だから。

 

 アリサが聞いたら、また一人で勝手に背負い込んでっと、鉄拳制裁が飛んでくるところだが、それが不破なのはという少女なのだから仕方がない。

 

「何を……っ、するつもり、ですか?」

「主はやてを助けに行く」

 

 息を整えながら、声も絶え絶えに問いかけるなのはに、シグナムは淡々と事実を口にした。

 

 隠し事もしても、しつこく問いかけてくるのは想定済みだ。元よりはやてや友人たちのために、一人で守護騎士に立ち向かってくるような女の子である。だったら、いっそのこと共犯者になってもらったほうがいい。"事情を知る子"がはやての傍にいれば少しは蒐集もやりやすくなるだろう。

 

 主に不信感を抱かせず、自分たちの代わりに主が寂しくならないよう傍にいてもらい。場合によってははやてに対して、自分たちの行動をフォローしてもらう。そう理由づけして、蒐集行為から遠ざける事をシグナムは即決即断した。

 

 主の大事な友人に、ましてや年端もいかない子供に外道を働かせたとあっては、守護騎士の名が廃る。罪を背負うのは自分たちだけでいいのだ。

 

『おい、シグナム』

『ヴィータ。すまんが、ここは私に任せてくれないか』

 

 何か念話で言いたげに動こうとしたヴィータをシグナムが手で制し、シャマルとザフィーラは状況を見守っている。ここはリーダーである烈火の将に任せようという判断なのだろう。

 

「どうやって?」

「主はやてを闇の書の主として覚醒させる。そうすれば御身の体を蝕んでいる忌々しい呪いの進行も止まるだろう」

「闇の書……? 呪い、それに御身を蝕んでいるって……」

「そうだ。詳しく話せば長くなる。だから、簡単に説明しよう。主はやてが何故(なにゆえ)倒られたのか」

 

 そうして、なのはは守護騎士の正体を知った。

 彼らが闇の書という"ロストロギア"を守る端末であり、正確には人間の形をした端末であること。本来であれば主を守り、闇の書を完成させて絶大な力を主に与えるため、魔力を持つ他者を蒐集して、それを奪い取ること。その為には、行く手を阻むものには抹殺すら問わなかったこと。それを何百年も続けて、転生を繰り返してきたこと。

 

 それらを、シグナムから全て語られ、聞かされた。

 

「でも、はやてはそんな事を……」

「そうだな、主はやては誰かを傷つけてまで力を手にしようとしなかった。足の病を治せるのだと語っても蒐集だけは命じ為されなかった。それを望んでいない事など充分に理解している」

 

 分かっているなら、どうして?

 そう問おうとしたなのは。しかし、次のシグナムの言葉で絶句した。

 

「もし、我々が原因で貴女が死にかけているのだと。その足の麻痺も、お身体を蝕む苦しみも我々のせいだと告げても。きっと、あの小さな優しい主は笑って赦すのだろうな」

「ッ……」

 

 なのはの脳裏に、はやてが「ほんまに、しょうがないなぁ」と笑う姿が脳裏に浮かんだ。

 胸が痛い。もし、守護騎士の立場が自分だったとして、そんなこと言われたら泣きそうになる。ううん、きっと泣き叫んでしまう。いっそ憎んでくれと叫んでしまう。

 

 嗚呼、これなのか。シグナムたちを蝕んでいる心の痛みはこれなのか。きっと今にも彼女たちは飛び出していきたいのだ。あの優しい少女を救いたいのだ。どんな罪を背負ってでもいいから、そんな未来を避けたくて必死で。なのははそれを邪魔している。

 

 でも、はやてが自分のために蒐集という許されざる行為をしていると知ったら、どう思うのだろうか。

 

 決まっている。きっとあの子は自分が死んでもよいから、蒐集をやめろ言うだろう。他人を傷つけてまで生きるくらいなら、自分はどうなっても構わない。あの子はそういう、馬鹿みたいに優しすぎる女の子なのだ。

 

 そんな優しいはやてだからこそ、彼女には死んでほしくなくて。それでも生きていてほしくて。せっかく会えた友達で、大切な人で。シグナム達にもそれは同じで。

 

「うぅ、ううぅぅ――」

 

 もう、自分がどうすればいいのか、なのはには分からなかった。ただ涙だけが目から溢れて零れていく。何もできない自分に腹が立つ。

 

 守護騎士の皆だって、できれば蒐集という行為は避けたいだろうに。できれば大好きな(はやて)と穏やかに過ごしていたいだろうに。

 

 しかし、彼女たちは選択した。たとえ最愛の人に嫌われることになっても、構わない。どんな結果になろうと、一人の少女の未来のためにその手を汚す覚悟を決めた。それを阻むということは、八神はやてに死を宣告するのと同義。なのはが殺したようなものである。

 

 もはやどうあがいても、彼らを止めることなどできはしない。それは、なのはだけでなく、誰にだって言えたこと。はやてがこの場にいたとしても難しいだろう。

 

 皆があの少女に死んでほしくないのだから。

 

「泣くな不破。これは我らがすべきことで、お前はただ主の傍にいてくれればそれでいい」

「でも、それじゃあ……いえ、わたしも何か……そうです! わたしだって魔導師ですから! 皆さんのお手伝いくらい……」

 

 静かに涙を流すなのはに視線を合わせるように、シグナムはそっと屈むと。その暖かな手が、なのはの頬に触れて涙を拭った。

 

「不破、お前は優しいな」

「シグナムさん……」

「だが、気持ちだけで充分だ。後は私たちに任せておけ」

 

 シグナムの顔は優しかった。はやてみたいに穏やかな笑みを浮かべて、なのはの顔を見つめていた。まるで姉妹のように。妹の面倒を見るお姉ちゃんのように。そして、どこか済まなそうな表情を浮かべていた。

 

「主はやてに叱られるのは我々だけでいい」

「その時は、はやてちゃんをうまく取り成してくれると助かります」

「おう、アタシらだって、ホントははやてに嫌われたくねぇからな」

「蒐集行為は危険を伴う。それに我らの罪をお前たちが背負う道理もない。お前は我らの帰る家を護ってくれると助かる」

 

 シグナムが、シャマルが、ヴィータにザフィーラも。彼ら守護騎士四人はそろってなのはの頭を撫で、安心させるような笑顔を浮かべていた。

 

 以前は命令されるがまま、歴代の主のために蒐集行為を行っていた。だが、自分たちには帰るべき場所も、こうして身を案じてくれる人もいえる。

 

 人を傷つけることに変わりはない。しかし、今度は私利私欲のためではなく、人を助けるために戦うのだ。なるべく人は襲わず、それでも間に合わない場合は魔導師を。それもできるだけ穏便に済ませる形で。

 

 なら、なのはにできることは、彼らの負担を少しでも減らすこと。困っている彼らを少しでも支えること。

 

「……もし、魔力が足りなくなったら、わたしを蒐集してください」

「ふっ、その時が来ないことを祈っている」

 

 そして、彼らを見送ってあげることだ

 

「シグナムさん、シャマルさん、ザフィーラさん。それにヴィータ」

 

――行ってらっしゃい。

――行ってきます。

 

「主はやて。我らの不義理をお許しください」

 

 その日から守護騎士の蒐集行為が始まり、それを知る一人の少女は運命の日まで、それを胸の内に秘め続けた。

 

 そして彼らの、一人の少女を救うための戦いが始まる。

 

◇ ◇ ◇

 

 時を巻き戻して、現在。

 

 聴取室の中で、念のために手枷をつけられているアスカは思う。シグナムの記憶を振り返って、残念に思う。

 

 もし、あの場にユーノが居てくれたら。ハラオウン家の面々や時空管理局という組織のバックアップがあれば。

 

 恐らく未来は確実に変わっていた。少なくとも蒐集を行う前に何らかの対策を行い、ギリギリまで別の案件を探っていたはずだ。その日から蒐集行為を確認したことで、彼らも最後の決意を固めたことだろう。はやてが発作で倒れた日が、事件を穏便に済ます最大の分岐点だったのだ。

 

 けれど、過ぎたことだ。どのみちあの世界で、自分たちにとっての最悪の未来は避けようがなかった。定められた運命というのは理不尽なまでに強大で、並大抵の事では覆せないものだ。アリシアの、レヴィのお母さん(プレシア)が病で亡くなったように。

 

 だからこそ、次こそは。

 

「幸せな結末を、ハッピーエンドをこの手に」

 

 そして、すべてが元通りになったら、シュテル(なのは)の顔を引っぱたいて、笑ってやろう。

 

 アタシに隠し事すんなって言ったでしょって。


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