リリカルなのは アナザーダークネス 紫天と夜天の交わるとき 作:観測者と語り部
なのはとアリシアの和解の後、二、三日で療養を終えたユーノは魔法でアリシアの治癒に専念した。その甲斐あって一番後遺症が酷かったアリシアの復帰は大分早まる事になる。
もちろん、なのはの献身的な看病があったのは言うまでもない。ユーノにとっては羞恥プレイ、アリシアにとってはべったり甘えられるような看病を彼女は施してくれた。
どのような看病なのか具体的に言うと、消化しやすいお粥などを運んできてはスプーンで食べさせようとするに始まり、お風呂に一緒に入って世話するのは当たり前。さらには排泄の時にトイレの中にまで入って世話しようとする始末。これにはユーノどころか、流石のアリシアも狼狽え恥ずかしがりながら断った。
鈍ってしまった身体のリハビリにも彼女は常に支えてくれた。移動するときに立つだけでも辛い二人に肩を貸して支え。歩けるまでに回復したら、ゆっくりと両手を引いて先導してくれた。なのはは寝るとき以外は、アリシアか、ユーノのどちらかに付きっきりだった。
そして看病の間、彼女はずっと学校を休んだ。休む建前としては過労による体調不良だと、ありきたりな理由を述べたが、実際に嘘は付いていない。トラウマが再発した彼女は普段通りとは言えない、どこか弱い部分をさらけ出しているような状態だったからだ。
そんな精神的に衰弱しているなのはを学校に通わせたところで、彼女が勉学に励めるわけでもない。アリシア達だけでなく、なのはにもきちんとした休息が必要だった。それは厳格な父親である士郎と、なのはに優しい兄の恭也が相談して決めたことだ。
『今日も休みなのね?』
「……ごめんねアリサちゃん」
『別に気にしなくていいわよ。なのはの事情は良く分かってるつもり。ゆっくり休みなさいよ? あと、なのはの分のノートはアタシとすずかで写しておくから』
「……ありがとう。その、このお礼はちゃんとするね? なのはの出来ることなら何でもするから」
『だから気にすんなってば。それに簡単に何でもするとか言っちゃダメじゃない。ん? すずかも話したがってるみたいだから、すずかに代わるわよ』
だから、こうしてなのはは元気に学校に通い続ける二人の親友に事情を説明する。
最初に学校を休むと説明した時にアリサ達から帰ってきた声は、心の底から親友を心配する声。
次に何でもいいから、なのはの力に為れる事があれば言って欲しいと、明るい声でサポートを引き受ける旨を伝える声だった。
少なからず不破家の事情を知っている二人の親友は本当に頼れる存在で、普段から自分を殺して甘えないなのはも、この時は二人の事を頼っていた。
『もしもし、なのちゃん?』
「……うん、聞こえてるよ。すずかちゃん」
『いつもの感じじゃないけど、少しだけ元気が出て来たみたいだね。良かった』
「……なのはは……大丈夫だから」
「うん、分かってる。今度の日曜日にでもお見舞いに行くから。あっ、バスが来たみたいだから切るね。それじゃあ、またね、なのちゃん」
自分の部屋の中に敷かれたベットの上で横になっていたなのはは、静かに携帯電話の通話を切ると、折り畳み式のそれを充電機に差し込んでベットの脇に放り込んだ。
「はぁ……」と静かに溜め息を吐く。アリシアに許して貰えたものの、なのはの気分は意気消沈したまま。それは、未だに自分で自分を許していない証拠だった。いつまでも終わったことを引きずるのは良くないとの自覚はある。なのはを許してくれたアリシアにも失礼だ。
でも、たくさんの業を背負った幼い女の子に割り切れと言うのは酷だろう。いろんな事を経験して大人になったのならばともかく、身も心も発展途上にある彼女には気持ちの切り替えが上手く出来ずにいた。
(不破の流儀は殺人術に過ぎず、そんなモノを学んでいる私が誰かを助けようなど、到底無理な話だったのでしょうか?)
自問自答するも答えなんて出る訳がない。
なのはは両手を天井に翳して、手のひらを見つめる。女の子らしくない樫みたいな堅い手は己を鍛えてきた証であり、デバイスを強く握りこんで全力で振るってきた証拠だ。アリサとすずかのような柔らかい手とは大違い。アリシアも少なからず堅くなっているとはいえ、ここまで酷くない。
一見すると肌色に見える両手。しかし、なのはからすれば真っ赤に染まって見える。人の返り血で紅く染まった手。格闘選手のように相手を傷つけ、競い合うような誇らしい拳ではない。生きている人間の命を奪った罪の象徴。汚れた手だ。
そんな罪深い手で誰かを救おうなどと、おこがましかったのだろう。現に親友を殺しかけた。
『マスター。食欲がないのは分かりますが、ご飯を食べましょう? もう、すっかり冷めてます』
「……そうですね、レイジングハート。私は所詮、人殺し。咎人なんです」
『もう、しっかりして下さいマスター! プレシア・テスタロッサを助けに行くのに、貴女が調子を悪くしたら本末転倒じゃないですか!!』
『…………分かっていますよ。レイジングハート』
首に掛けた胸元のレイジングハートに促されて、なのはは憂鬱げにベットから身を起こした。
身体は健康そのものでも、弱りきった心では何をするにも億劫になる。これでは元の冷静で力強い自分を取り戻すのに、幾ばくかの時間を要するだろう。劇薬のようなモノがあれば話は別だろうが。
勉強机に置かれた食事になのはは目を向けた。白いご飯。焼き鮭。焼き海苔。納豆。ワカメと豆腐入りの味噌汁。食欲を促すためであろう梅干し。ドレッシングの掛けられたサラダ。コップに入った新鮮な牛乳。娘の健康を考えて作られた料理の数々。
なのははそれらを静かに口にする。ゆっくりと咀嚼して、ゆっくりと呑み込んでいく。食事の進み具合はいつもより遅い。
冷たくなった朝食、それも独りで食べる朝食も味気がなくて美味しくない。いや、落ち込んだ心では、味覚が美味しいと感じられないのだろう。これでは、どこか気まずくても家族と一緒に食べる食事の方が美味しかった。
『少しでもいいですから、しっかり食べて元気になってください』
「レイジングハートは……」
『なんでしょうか?』
「まるで、お母さんみたいですね」
『なっ、私が、お母さんですかっ?』
なのはの突然すぎる爆弾発言にレイジングハートは動揺して黙り込んでしまった。『わ、わ、私が、マスターの、マザー?』と、珍しく口調がどもりまくっている。彼女はそのまま沈黙してしまった。
なのはは思う。もし、母親が生きていたのならば、レイジングハートのように叱ったり、励ましたりしてくれたのだろうかと。
記憶の中で薄れゆく母親の記憶は殆ど思い出せない。あまりにも幼い頃の出来事なので、意識がはっきりとしていなかった彼女は母親との思い出を鮮明に覚えていなかった。
ふと、机の横に置かれた写真立てに目を向ける。なのはの心の支えのひとつ。それを手に取って眺めた。
そこに映るのは、手入れされた栗色の髪を腰まで伸ばした綺麗な女性が、幼い子供を抱きかかえて笑っている姿だ。なのはの性格を明るくして成長させれば、こんな風に瓜二つの美人が生まれるだろう。それくらい彼女はなのはに似ていた。
高町桃子。詳しい詳細は知らされていないが、なのはの幼い頃に亡くなった人。なのはの……
「お母さん……」
抱きかかえられた子供は幼い自分らしかった。なのはには考えられない。だって無邪気そうに笑って、隣に立つ男性に小さな手を伸ばしているのだから。自分が明るく笑うなどありえないと、なのはは断じて苦笑した。
その隣にはもっと信じられない光景がある。柔和で優しそうな微笑みを浮かべて、カメラに顔を向けた男性。でも、その視線は心なしか心配そうに、母親に抱かれた娘へと注がれている気がする。幼い娘が母親の腕から落ちてしまわないか不安なのかもしれない。
彼は高町士郎。なのはの父親にして、母親である桃子の妻。
写真の彼は母の死に苦悩し、復讐鬼となった面影は何処にもない。目元に刻まれた深い皺も、目付きの悪い鋭い視線も、目元に出来た隈も何もない。
優しげな理想の父親としての姿がそこにはあった。
「お父さん――」
いったい不破家は何処で間違ってしまったのだろうか。
どうして、なのはのお父さんは、娘に殺しの武術など教え続けるのだろうか。
優しくおかえりって言ってくれて。朝にはおはようって起こしてくれて。休みの日には何処か一緒に出掛けてくれる。そんな父親の姿は何処にもない。
あるのは己にも他人にも厳しい、厳しすぎる父親の姿。
やっぱり、お母さんがいないから。だから狂ってしまったのだろうか?
「なのはは――」
『マスター……』
「ううん、なんでもありません。行きましょう、レイジングハート。アリシアのお母さんを助ける為に」
再び弱い自分を押し殺したなのはは行く。
ユーノも、アリシアも準備を終えて待ってくれている。なのはに出来ることは少ないが、アリシアを見守ることぐらいは出来るし、万が一ジュエルシードが暴走した時のストッパーは自分にしかできない。今度こそトラウマに怯えず、自分の責務を全うする時だ。
自分や家族の事など、アリシアのお母さんが救われた後でも出来るのだから。
◇ ◇ ◇
名目上は気分転換とリハビリの為の散歩と称して、なのは達は時の庭園に転移した。
儀式を行う場所は庭園の玉座の間。ユーノはすぐに準備に取り掛かり、ジュエルシードの行使に必要な術式などを整えていく。
ジュエルシードの使用に当たって問題なのは安全性と確実性である。唯でさえ暴走率の高いロストロギアなのだ。ましてや正常に願いを叶えた事例は殆どないと言っていい。月村邸の子猫を大きくさせたのが、唯一の成功例かもしれないが、あれを成功と言われれば疑問が残る。
本来であれば管理局にロストロギアの使用を申請したうえで、彼らの協力を仰ぐのが最高の手段だ。ロストロギアの封印を主任務の一つとしている次元航行艦。それが、ひとつでもバックアップに付いてくれたなら頼もしい事この上ない。あの部隊ほどロストロギアを熟知している部門は他にないだろう。
しかし、そんなことを悠長にしていてはプレシアの寿命が先に尽きてしまう。そんな事になっては本末転倒だった。
よってユーノは違法を承知の上でジュエルシードの使用に踏み切る。人の命が掛かっているとなれば、少年は迷いはしなかった。最善の解決策を模索しつつ実行に移す計画を整えてきたのだ。
安全性においては、時の庭園の魔導炉を使用することで解決を図った。ジュエルシードの暴走する波長を魔法陣の術式に記憶させ、暴走した瞬間に魔導炉の魔力出力を利用して大規模封印を行う。時の庭園という巨大な次元航行船を支え、内部の傀儡兵を大量に起動させても余裕のある魔力出力。たとえ二十一個のジュエルシードだろうと瞬時に封印出来るだろう。
これに、なのはのバックアップ体制による二段構えだから抜かりはない。封印の術式に不具合があったとしても、魔導炉の補助を受けたなのはの封印魔法でジュエルシードを静める。もっとも、そうならないように術式の構成は念入りにチェックしているユーノである。
願いを叶える確実性においては賭けに近い方法しかなかった。
ユーノはジュエルシードを発掘した時の資料やデータで、願いを正常に叶える方法を知っている。
二十番目までのジュエルシードをサポートに使い、二十一番目のジュエルシードを使用者が握って心から願う。すると握られたジュエルシードが願いを受信し、他のジュエルシードがそれを増幅していく。最後にジュエルシードが内包する魔力を使い、増幅した願いを魔法で叶える。これが基本的な使用理論。
しかし、これには大きな欠陥が存在する。
魔法で叶えられる願いが限定されるのと、雑念が入ると正しく願いを受け取れない点である。
前者は死者蘇生や時間遡行などの世界の法則を書き換えるような真似は不可能という点。人間に出来ない事は、人間によって創られたジュエルシードでも叶えられないと事実を表していた。
後者は人の思考を判別するシステムが上手くいかなかったせいだ。膨大な人の思考から、一つだけを選択して実行に移すという技術は完成に至らなかった。大抵は余計な願いまで受信してしまう。ジュエルシードが歪んだ形で願いを叶えるのはそのせいである。
今回はプレシアの不治の病を増幅した治癒魔法で治す形になるだろう。アリシアが母親の健康的な姿を思い浮かべるか、元気に治療してほしいと願言えば問題ない。後はジュエルシードの膨大な魔力が全てを解決してくれる。
もっとも不治の病だから、治癒というよりは再生魔法に近い形になるかもしれないが。病に侵されたプレシアの細胞を元通りに復元するのだ。プレシア自身に負担が掛かるだろうが、そこは耐えてもらうしかない。
結果的に願いを叶えるだけならば可能である。
しかし、最大の問題点はアリシアが何とかするしかない。雑念の入らない一点のみに絞られた願い。曇りのない純粋無垢な願いが成功のカギを握っていると言っていい。アリシアの母に対する想いに全て掛かっている。
「いいかい、アリシア。絶対にプレシアのこと以外で考え込んじゃダメだ。難しいかもしれないけど、"プレシアの病を治してください"ってはっきりと。それも心の底から願い続けないと失敗する」
「うん……」
「曖昧な願いもダメだよ。"プレシアを助けたい"なんて願ったらジュエルシードは叶えられない。大事なのは"何"から"助けたい"のか明確なビジョンを持つことなんだ」
「……うん、がんばるっ」
魔導炉の魔力供給を調整し終え、封印の術式のチェックを再三に渡って行ったユーノは、注意と助言をアリシアに何度も伝えた。
肩を掴んで、視線を合わせ。真剣な表情で告げるユーノの様子にアリシアも表情を強張らせて頷く。
何せ自分の両肩に母親の運命が掛かっているのである。掛け替えのない存在であるプレシアを大切に想ってきたアリシアだ。背負う重責も半端ではないだろう。
いつも明るい彼女にしては、らしくない表情だった。
「アリシア、私が言うのも何ですが、頑張って下さい」
そんなアリシアを、なのははそっと抱き寄せた。耳元でささやく言葉は彼女なりの励まし。
「なのは――ありがと。ちょっとだけ勇気が湧いた」
「ごめんなさい。今の私ではあまり役に立てません……」
「ううん、いいんだ。なのはが傍に居て、ユーノも支えてくれる。それだけで、わたしは頑張れるから」
名残惜しそうにアリシアは抱擁から離れると、なのはとユーノから距離を取った。
そして丁寧にお辞儀をする。"二人とも今まで手伝ってくれてありがとね"と、彼女はそう言って笑う。
そこには抱えていた不安も、怯えもなかった。いつも通りのアリシアがいた。いや、普段よりも決意に満ちた女の子が、凛々しい表情で立っていた。
アリシアは、なのはに背を向けて巨大な魔法陣の中央に歩み寄っていく。後ろから続くのはユーノ。陣の中央には患者着のプレシアが寝かされていて、なのははそれを静かに見守っていた。
その手には、いつでも不測の事態に対応できるようにレイジングハートが握られている。
「レイジングハート、バルディッシュ。ジュエルシードを」
『stand by ready.put out』
『put out』
ユーノの呼びかけに、二基のデバイスが応えながらジュエルシードを展開していく。それぞれ半分ずつ収納していた封印状態のジュエルシード。それらは浮かび上がってアリシアの周囲をぐるりと囲む。
そして、厳重に封印された二十一番目のジュエルシードを、ユーノはアリシアにそっと手渡す。アリシアがジュエルシードに願いを注ぎ込んだ瞬間、封印は解けて活動を再開するだろう。
封印の為の魔法陣を制御するために、陣の外側でしゃがみこんで両手を地面に添えるユーノ。不安と励ましの籠もった瞳で身構えているなのは。床に静かに寝かされて、両手を組んで穏やかに夢を見ているプレシア。手のひらに収められた願いを叶える宝石と、周囲に浮かぶ二十もの宝石。
それらを見回してアリシアはバルディッシュを待機状態に戻す。三角形のペンダントは右手の甲に収まった。
「すぅ……いくよ。みんな」
「はい! アリシア」
「僕らが全力でサポートする。キミは願いを叶えることに集中して」
『私たちが付いています』
『Good luck to sir』
この場に居る全員の掛け声を受けてアリシアはしゃがみこんだ。いわゆる正座のように両膝を付いた彼女は、愛する母の前で願いを込める。
目を瞑り、顔の前で握りこんだジュエルシードを掲げる少女。その姿は神に祈りをささげる聖女のようだ。
(どうか、お願いします)
やがて、アリシアの意をくみ取ったジュエルシードが淡い輝きを放ち始める。暴走の時とは違う優しい光。まるで、透明な海の様に透き通った光。それに呼応するかのように周囲の宝石たちも輝きはじめ、玉座の間を照らしだしていく。
(母さんを、わたしの母さんを助けてください!)
アリシアが純粋に想い、それを願いとして変換する度にジュエルシードもまた応える。宝石たちは瞬いて、大気を命の鼓動のように揺らした。溢れ出る淡い輝きは無数の粒子となってプレシアの身体に降り注いで、少しずつ病に蝕まれた母の身体を癒していく。
神秘的な光景だった。ひたすらに祈りを捧げる少女と、寝込んだ女性が、死人のような血の気のない肌から活力を取り戻していく光景。煌めいて降り注ぐ光がよりいっそう、奇跡のような演出を印象付ける。
だからだろうか、その光景に見惚れていたなのはとユーノは、一瞬だけ気が付くのが遅れてしまった。
「ゴホッ……っ!」
アリシアが口元を抑えて血を吐きだした事実。それを認識するのが遅れた。
「アリシアッ!?」
「アリシア!!」
なのはとユーノの叫び声が玉座の間に木霊する。
前のめりになって倒れそうになったアリシアの手から、二十一番のジュエルシードが転がり落ちた。硬質な金属を叩いたような音が無情にも響き渡るのと、アリシアが地面に手を付いて身体を支えようとしたのは同時。それでも、身体に力が入らないのか、彼女は全身を痙攣させて蹲ってしまう。
ユーノには何が起きたのか訳が分からなかった。ジュエルシードが暴走したわけでもなく、アリシアが魔力を全開にしたわけでもない。だというのに、蹲るアリシアは例の発作を起こしたかのように苦しんでいる。その原因が分からない。
「このままじゃ、とにかく封印を!」
しかし、ジュエルシードを放置しておくわけにもいかず、彼は地面に描かれた封印用の魔法陣を起動させる。
「なっ……どうして!?」
が、封印の為の魔法陣は起動した反応も見せず、沈黙したままだった。魔法陣の構築を間違えたわけではない。何度も何度もチェックした。それなのに封印の儀式魔法が発動しないと言う事は、何か別の原因があるのだろうか。
「なのはっ!」
「はい、ユーノさん! レイジングハート」
『all right.my master.』
ならばと、ユーノに促されたなのはが既に収束させていた砲撃魔法を放とうとする。矛先はアリシアの周辺に浮かぶ二十個ものジュエルシード。魔導炉から引き出した魔力を上乗せして封印するための砲撃魔法を放てば自体は集束する。
「ディバインッ――そんなっ!?」
しかし、収束された魔力は四つの環状魔法陣を通って放出される前に、徐々に霧散してジュエルシードに吸い込まれていった。
なのはの桃色の魔力光がジュエルシードの魔力に変換されて、さらなる光の粒子がプレシアの周囲に漂い始める。よく見ればアリシアの身体からも彼女の魔力光が放出されていた。ここまでくれば誰もが異常の原因に気が付く。
「周辺の魔力が、吸収されているとでもいうのですか?」
「それだけじゃない、魔導炉の魔力も吸い込まれてる。だから、封印の魔法陣が発動しないのか」
「そんな……アリシア!!」
「なのは、待って――」
なのははユーノの制止を振り切って魔法陣の内側に飛び込んだ。必死に足を動かして、アリシアの元に駆け寄って彼女を助けようとする。せめて、アリシアだけでも何とか助けたいと、なのはは降りかかる危険を考えもせずに動いていた。
「きゃあっ!!」
「なのは!」
『マスターー!』
けれど、それを阻むかのようにジュエルシードの周辺に張られた不可視の障壁が彼女を吹き飛ばす。なのはは床に叩きつけられて、魔法陣の外側まで転がってしまう。
その身体をユーノは咄嗟に受け止めたが、なのはは極度の魔力ダメージを受けたかのようにぐったりしていた。
「ア、アリシア……いま、たすけに……」
「ダメだよ、なのは! 今はジュエルシードの周辺に近づけるような状況じゃない」
それでも、なのはは這い寄ってでもアリシアを助けに行こうとして、ユーノに抱き抑え込まれてしまった。力なく左腕をアリシアに伸ばす少女の腕は、とても弱々しくて震えていて。けれど、なのはの瞳に込められて意志は屈していない。諦めていない。
「なの、は……?」
そんな彼女の意志が届いたのか、それとも呼びかけられた自身の名前に反応したのか分からないが、アリシアも震える腕を伸ばした。そして大好きな友達の元へ行こうとするも、意志に反して伸ばされた腕は二十一番目のジュエルシード掴み取ろうとする。
(あたま、痛い……わたしの、こころが、バラバラになりそう……)
周辺を照らすジュエルシードの輝きが増すなか、アリシアの中では劇的な変化が発生していた。
頭が割れそうだと錯覚してしまうような痛み。朦朧とする意識で視界はぼやけ、全身が熱くなって融けてしまいそうな感覚。心ははじけてバラバラになり、アリシアがアリシアでなくなるような感覚。いや、それは眠っていた意識が目を覚まそうとしている感覚? 分からない。アリシアには分からない。
アリシアの心の中で、アリシアではないたくさんの意識がある。ううん、アリシアだけど"アリシア"じゃないような意識。限りなく自分に近いけど、自分ではない独立した自我が、アリシアの思考をかき乱す。思い浮かべたわけではないのに、心から誰かの想いが無数に浮かび上がる。
――お母さんに会いたい――外に出たい――誰かに会いたい――お話したい――遊んでみたい――自由に身体を動かしてみたい――あなたはだれ? わたしはだれ?――わたしはアリシア――あなたもアリシア――みんな、アリシア?
どれも、これもが心の底から浮かび上がる"アリシアの"想い。その数は十一人分。
ジュエルシードはそれら全てを叶えようとして、足りない魔力を補おうとしていた。ある意味でジュエルシードは暴走している。"アリシア"との共鳴現象が予想の付かぬ事態へと動こうとしている。
"いいかい、アリシア"
"絶対にプレシアのこと以外で考え込んじゃダメだ"
"大事なのは……明確なビジョンを持つことなんだ"
(――いめーじ……めいかくな、ビジョン……)
ばらばらに弾けそうになる意識の中で、アリシアはユーノの言葉を思い出す。朦朧として、気を抜けば自分が自分で無くなりそうな意識を繋ぎ止める。
たとえどんなに自分の意識が拡散しようとも、アリシアの胸の内に秘めた母親への想いは変わらない。それは限りなく同じに近い"アリシア"でも同じこと。
"アリシア、頑張ってください"
それに、どこかぎこちない大好きな親友の笑顔と声援を思い浮かべれば、アリシアはいくらでも頑張れる。なのはが傍に居る。ユーノが付いている。だから、絶対に諦めてなるものか。
皆がみんな同じ"アリシア"だというのならば、その想いを一つに束ねればいい。海のジュエルシードを封印した時と同じように、彼女たちにお願いして。いや、彼女達と一体化してでも無数の想いを一点に集束させる。
その為に必要なアリシアの願いは何だ? 今までアリシアとして生きてきた"アリシア"の望みは一体……
(わたしは……ボクたちの願いは……)
瞬間、アリシアの中で生まれてからの記憶が爆ぜるようにはじけた。濁流のように過ぎ去っていくシーンは鮮明だった。
プレシアの呼びかけで目が覚めて、初めて母親である彼女と対面した。お姉ちゃんのようなリニスと挨拶した。魔法資質があることが分かって、リニスを先生に魔法を教わった。三人で出かけた時に群れから逸れて弱っていた子供の狼を使い魔にした。アルフと名付けられた使い魔の彼女と姉妹のように育った。プレシアが研究で忙しくなって滅多に会えなくなった。アルフと二人で魔法をいっぱい勉強して、プレシアの役に立とうと頑張った。プレシアが病気で倒れてしまった。そしたらプレシアは、アリシアを"アリシア"としか見なくなった。リニスがプレシアの看病を続けていたけど、彼女は段々と衰弱していった。やがて、バルディッシュを完成させてリニスはふと消えてしまった。アルフと二人っきりになった。初めは二人で過ごしていたけれど、ご飯が段々と尽きていく。アルフがアリシアに負担を掛けないように子供の姿になって深い眠りに付いた。お腹が空いた。誰かの呼ぶ声が聞こえた。母親から入ってはいけないと厳重に注意された部屋に、意を決して入り込んだ。アリシアは初めて自分の姉妹たちに会った。たくさんお話して、たくさん培養槽ごし触れあって、たくさん心で繋がった。頭の中でたくさんたくさんお話した。そして、アリシアは姉さんたちに哀願されて禁忌を犯した。アリシアと姉妹たちが一つになる事で、動けない姉妹たちを自由にした。アリシアは生きる為に姉妹たちと融合を果たした。そして、段々とアリシアがアリシアじゃなくなった。自分が"アリシア"なのか、"アリシア"が自分なのか。アリシアが姉さんたちなのか、姉さんたちがアリシアなのか。ときどき分からなくなるようになった。ある日、母親を看病した時に、バルディッシュがこのままだと持たないと告げてくれた。アリシアたちは必死になってプレシアを助ける方法を探して、文献からジュエルシードの存在を知った。バルディッシュに従って、時の庭園のコンピューターを動かした。ジュエルシードの在り処を探して、発掘されたジュエルシードを追いかける為に時の庭園事態をメインコンピューターに動かさせた。
それから、それから、アリシアにたくさんの友達ができた。怒るとちょっぴり怖いけど、面倒見が良いアリサ。甘えるアリシアを包み込んでくれた優しいすずか。不器用で、怒るとすごく怖いけど、実は優しいおじちゃん。おじちゃんを何倍も優しくしたようなお兄さん。アリシアの事をいっぱい助けてくれたユーノ。
そして――とっても大好きで、初めての"ともだち"になった。なのは――
それが生まれてからのアリシアの全ての記憶だった。
記憶の中でプレシアが笑ったことは一度もなかった。いつも悲しそうな顔をしているだけだった。
一度目の邂逅も、二度目の邂逅も、三度目から十二度目の邂逅に至るまで、アリシアは母親の微笑みと言うものを見たことがない。プレシアの笑顔を写真の中でしか見たことがない。そう、優しそうに微笑む女性と自分たちによく似た女の子の写真だけが、唯一の母親の笑顔を閉じ込めた思い出だった。
(……ボクたちの願いは……あんな風に……)
笑い掛けて欲しい。名前を呼んでほしい。アリシアじゃなくて“アリシア”って愛おしそうに呼んでほしい。
心は何時だって母の温もりを求めていて、生まれた時からずっとそうだったのだと納得するまで時間は掛からなかった。
それは、どの“アリシア”も望んだこと。姉妹たちが共有する強い願い。心の底から望み続けた希望だった。
だから、アリシアは……
(ボクを……わたしを見てっ! お母さん!!)
母親の病の治療ではなく、自分の望んだ願いを強く思い浮かべてしまった。
十二人分に束ねられた強烈な想いがジュエルシードに反映され、ひときわ強いジュエルシードの輝きが玉座の間を照らし、そして。
「アリ、シア……?」
深い眠りに付いていたプレシアが目を覚ました。