リリカルなのは アナザーダークネス 紫天と夜天の交わるとき   作:観測者と語り部

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●魔法少女とか、少年の決意とか

 なのはから、水を飲まされて落ち着いた少年は、ユーノ・スクライアと名乗った。

 なんでも、此処とは違う別の世界からやってきた異世界人であり、遺跡の発掘業を生業としている一族の一人らしい。不可思議な術について聞いてみれば、魔法と言って、ユーノの世界では広く使われた技術。

 そして、第97管理外世界。この世界でいうところの地球にやって来た訳は、発掘した遺失物が事故でばら撒かれてしまった為。責任を感じた彼は自らの手で、ばら撒かれた遺失物を回収しに来たのだとか。

 ユーノが予想外だったのは、遺失物が暴走して怪物に変じていること。厳重に封印していた遺失物は、地球にばら撒かれた際の衝撃で、その封印が解けてしまったらしいのだ。戦闘能力が低く、戦いにおいて補助向きな彼には、怪物の封印は荷が重すぎた。

 それでも、発掘した者の責任と義務で、何とか二つまで回収することに成功したものの、三つ目の、あの怪物を相手にして力が尽きたらしい。

 

 正直、なのはからすれば、ちんぷんかんぷんだ。

 魔法? 世界を滅ぼす可能性がある遺失物? 別の世界からやってきた異世界人?

 どれもこれもが常識として考えれば信じられないものだ。というか信じたくない。今日だけで、なのはの常識の大半が崩壊していて、彼女の思考は混乱の渦に巻き込まれていた。特に万が一でも世界が崩壊する危険というのは、受け入れられなかった。

 明日、地球は消滅しますと言われて、はい、そうですかと、納得できるほど素直な人間じゃない。

 ただ、冷静な部分で受けとめている真実は、身近に危険が迫っているということ。ユーノを襲った怪物が近くに潜んでいて、襲ってくる可能性があるということだ。

 

 なのはは、自分を落ち着かせるように、用意した緑茶を啜る。まあ、緑茶と言っても、市販されたペットボトルのやつを、湯飲みに入れ直して、レンジでチンしただけの粗末な飲み物だ。

 だが、今はそれで充分だった。

 

「だから、ここに留まるわけにはいかない。僕と居ると君が危険な目に遭うかもしれないから。助けてくれてありがとう。感謝してます」

 

 説明を終えたユーノは、そう言って起き上がろうとする。迷惑は掛けられない。だから出て行くつもりなんだろう。

 だけど、ユーノの怪我は完治していないのだ。そんな怪我で出て行ったら最後、確実に命を落とすのは目に見えていた。

 せっかく助けたのに、みすみす死なせるような真似は、なのはには出来ない。だから、起き上がろうとしたユーノを再び布団に押し倒す。

 

「ちょ、不破さん。何を……」

「状況は何となくですが察しました。ですが、ここでユーノさんを解放するわけにはいきません。怪我人を放置するほど不破家は腐っていない」

「で、でも……」

「危険だというのは承知の上です。もとより、怪我をしていた貴方を見て、何らかの厄介事に巻き込まれるのは予測済み。むしろ、化け物の対処法を知っているユーノさんが死んでしまったら、誰が街を護ってくれるのです?」

「っ……」

「怪我を癒すまでの間、不破家に滞在するといいでしょう。出て行くのは、それからでも、遅くはないでしょう?」

 

 なのはは、小難しい言葉で淡々とユーノに説明しているが、要するに怪我したお前を保護してやったのに勝手に出て行くとは、どういう了見じゃボケェ。きちんと治癒してから出て行かんかい。と言うことらしい。

 ユーノを押し倒すときに、なのははそれほど力を込めていなかった。ちょっと押したくらいの匙加減だ。もっとも、意図的に体が倒れやすいところを狙ったのだが。

 この程度にも逆らえないユーノは、どれほど体力を消耗しているのか、ハッキリと判る程だ。恐らくだが、出血したせいで貧血気味なのだろう。目を覚ましてから何も食べていないし、保護されるまでゆっくりと休めていたかどうかも怪しい所。

 そもそも、この世界に来てからちゃんと食事をしているのだろうか? しっかり、食べないと体力を回復させることもできないのは周知の事実。当たり前のことだ。

 何か、食べる物でも持って来よう。そう考えて、なのはが立ち上がった時だった。

 

「えっ……」

 

 ぞくり、となのはの肌を液体のようなものが包んで、撫でるような感覚と共に、何かが通り過ぎたような気がした。瞬間、周りからユーノ以外の人の気配が消える。

 自室で寝ている筈の士郎と恭也、それどころか近所の家に至るまで生き物の気配を感じ取れない。急に消失してしまったかのようだ。

 不気味だ。酷く不気味で、静かすぎる。

 なのはは無意識に警戒心を最大まで引き上げると、いつでも戦闘できる体勢になって身構える。耳を澄ませば遠くで獣の遠吠えが聞こえた気がした。

 

「結界……あのジュエルシードモンスター、進化したんだ!」

「結界? 進化した? どういうことなのか、何が起きているのか説明してもらってもいいですか?」

 

 全身を襲う痛みに苦悶の表情を浮かべて起き上がろうとするユーノ。そんな彼の肩を支えて立ちあがせながら、なのはは説明を求めた。

 ユーノを支えて歩きながら、なのはは部屋を出て素早く移動するために靴を履き、玄関から外に出る。襲撃される可能性が高いのに、家の中で待っていても不利なだけだ。相手が人間でない以上、屋敷の罠は役に立たないだろうから。

 その移動する間にユーノが状況を説明してくれた。

 

「僕を襲った怪物です。先程、お話したジュエルシードが暴走して生み出す怪物。それが、僕らを襲うために結界を使って外界を遮断しました。要するに元いた世界とは別の位相空間に閉じ込められたんです。アイツを倒さない限り、帰れない……」

 

 なのはは住宅街の道路を歩きながら成程と頷いた。状況は最悪だが、むしろ良かったのかもしれない。少なくとも無関係な人々を巻き込まずに済んだのだから。

 それにしても、ユーノが襲われる理由は分かるが、どうして自分が襲われたのか検討もつかなくて、なのはは首を傾げる。理由はあるのだろうか。怪物が無差別ではなく、特定の人を襲う条件が。

 

「ユーノさん。どうしてわたしが巻き込まれたのか分かりますか?」

「その、ごめんなさい。たぶん、不破さんに魔導師の資質があるからだと思います。ジュエルシードモンスターは魔力を持った人を襲う性質があるんです」

「なのは」

「えっ?」

「なのはで結構です。名字で呼ばれるの、慣れてないので。できれば、名前で呼んでほしいです」

「なのは、でいいのかな?」

「はい」

「分かった。もしもの時は僕を置いて逃げて構わないから。キミは僕の命に代えても守ってみせる。それが、巻き込んでしまった僕の責任だ」

 

 何馬鹿なことを言っているんだと、なのはは思ったが、口には出さないのでおいた。話してみて分かったことだが、彼は責任感が強くて、人一倍真面目なんだろう。

 遺跡を発掘する現場責任者を任されたという話だし、海鳴の街に起きている異変を一人で解決しようとする姿勢からも、彼の性格を読み取ることができる。

 なのはは傷ついた彼を一人で戦わせるつもりはなかった。対抗できる手段がユーノにしかないのであれば、自分が囮になる作戦まで立てていたのだ。相手は未知の怪物。使える手段は何でも使う決意をしていた。それこそガソリンスタンドを爆破するとか、ビルの屋上に誘い出して突き落とすとか、普段使わないような派手な手を、彼女は考える。

 だけど、ユーノの言葉を聞いて考えが変わった。

 自分にも魔導師の資質があるというのならば、その魔法とやらを使って怪物と戦えないのだろうかと、そう思い至ったのだ。

 

「このままじゃ、動きにくいか。なのは、少しだけ僕を離してくれないかな?」

「良いですが、何を?」

「見てれば分かるよ」

 

 ユーノをコンクリートで舗装された道路に、ゆっくりと降ろしてやると、彼はしゃがみこんだまま集中するかのように瞑想を始める。

 すると、彼の足元から淡い緑色に輝く、幾学模様の描かれた円形の魔方陣が具現化。彼の身体がその光に包まれたかと思うと、彼の身体が段々と縮んでいく。

 

(え、えええぇぇぇ!?)

 

 なのはがありえない光景に、いや、魔法を夢で目にしていて少しだけ慣れていたが、許容限界を超えた異常事態に驚いている。その間にも、ユーノの身体は小さくなっていった。

 最終的に小動物ほどの大きさにまで小さくなったユーノは、艶の良い毛並みを持つ金色のフェレットに変身していた。

 

「これで少しは動けるはずって、なのは、どうかした?」

 

「あっ、いえっ、ちょっとというか、かなり見慣れない光景に驚いていただけ、ですよ……?」

 

「そっか、事前に説明していれば良かったね。スクライア一族は遺跡の発掘を生業とするから、狭い所を抜けられる小動物に変身する魔法は重宝してるんだ」

 

「そうですか……」

 

 なのはの頭の中は混乱して、唖然とした様子で呆けてしまう。何と言っていいのか分からないのだ。辛うじて出て来た返事はそっけないものだが、無理はないかもしれない。

 今日で、いったい幾つの常識が壊れたのか、なのはが知る由もない。

 何も知らない子供なら無邪気に喜んでいたかもしれないが、なまじ裏世界の事情を知っているだけに、聡明ななのはの受けた衝撃は計り知れない。

 

――グオオオオオォォォ!!

 

 その時、背後から聞こえてくる叫ぶような唸り声に、なのはの身体は一瞬だけ硬直してしまう。すぐに整息法で呼吸を整えて、身体の緊張を解きほぐすと、フェレットになったユーノを抱き上げた。 そして、全力で駆け出していく。この住宅街では戦いづらいのだ。場所を変える必要があった。

 

「ちょっ、なのは。何処に行くつもり!?」

「戦いやすい場所に、近所の公園に向かいます。そこで、相談なのですが――」

「何をするのか知らないけど、何でも言って」

「魔導師になるには、魔法を使うには、どうすればいいのですか?」

 

 なのはの声を聞いて、その意味を悟ったのか腕の中に納まったユーノが身体を硬直させたのが、手に取るようにわかった。

 知り合って間もない子供、それも魔法のいろはも知らないような小娘が、戦う意思をみせたのだ。

 ユーノからすれば複雑な心境だろう。それでも、なのはは本気だ。鍛錬で養ってきた力で誰かを傷つけるのは嫌いだけど。けれども、なのはとて不破家の人間。降りかかる火の粉は払わねばならない。

 何よりも誰かを守る為ならば、己の力を使うことに何の躊躇いがあるというのだろう。彼女の決意は固かった。たとえ恐れる父と姉から何を言われようとも、その不屈の心が揺らぐことはない。

 ユーノは、なのはが走る勢いで揺さぶられながらも、じっと彼女の瞳を覗き込んで、溜息を吐く。どうあっても、なのはは退かないつもりだと察したから。それならば自分が素人の彼女を導いた方が、安全かもしれないと判断する。

 

「ひとつだけ方法がある。成功するかどうかは分からないけれど、これを」

「これは?」

「その子はレイジングハート」

「レイジングハート?」

 

 ユーノが口に咥えて差しだしてきたのは、身に付けていた首飾り。

 先端に紅い宝玉の付いたそれを、なのはは手に乗せてもらっって、握りしめた。

 

「デバイスと呼ばれる魔法を使う為の杖です。魔導師の中には僕のようにデバイスを使わずとも、魔法を使える人がいますけど、例外にすぎません。デバイスと契約して魔法の発動を補助してもらう。それが、本来の魔導師の在り方なんです」

「それで、契約をするにはどうすれば?」

「デバイスを握りしめて、今から教える起動の呪文を言ってください。次にレイジングハートの名前を呼んで、最後にセットアップと唱えます。後は、この子が応えてくれるはずです」

 

 説明を終えたユーノが、なのはの腕からすり抜けて、肩に飛び乗る。フェレットの小さな腕で服にしがみ付きながらユーノは、なのはの耳元で起動の為の呪文を呟く。

 なのははそれを一字一句、間違えないように小声で呟くと、心と脳裏に刻み付ける。せっかく巡ってきた反撃のチャンスだ。失敗するわけにはいかない。

 そうしている間に、いつの間にか公園にたどり着いた。ここならば広さも充分で、問題なく戦えるだろうと、なのはが足を止めたその時。足元に影が差しこんだかと思うと、不破の少女は嫌な予感がして咄嗟に公園の入り口にある手すりを足場に、広場へと飛び込んだ。

 瞬間、なのは達を追って来たであろう怪物が、その巨体で手すりと、周囲にあるフェンスを押しつぶす。

 間一髪だった。反応が遅ければ、考えたくもない状況に陥っていただろう。

 それにしても、怪物の大きさには圧巻される。夢で見た時と変わらない姿、車を容易に呑み込めそうだ。もっとも、なのはの与り知らぬことだが、回避に失敗してもユーノが防御魔法で確実に防いでいただろう。むしろ、なのはが予想外に軽快な動きで、怪物の攻撃を回避したために、慌ててしがみ付く破目になったのは内緒だ。

 ユーノは、なのはの肩から飛び降りると、怪物と彼女の間に立ち塞がるような位置で身構えた。怪物も、なのはからユーノに標的を変えたようだ。なのはに押しかかっていた重圧が幾分か和らいだ気がした。

 

「ユーノさん!?」

「なのは、僕がコイツを引きつけるから、落ち着いてレイジングハートと契約を!」

「分かりました。決して無茶はしないでください」

 

 なのはが返事をする間にも、すでに戦闘は始まっており、怪物の巨体をユーノは光の壁で弾き、光り輝く鎖で拘束していた。けれど、夢で見た時よりもユーノは弱っているのか、長くは持ちそうにない。

 

 なのはは瞼を閉じると集中する。

 レイジングハートと呼ばれるデバイスを握りしめ、胸に手を当てて、祈るようにはっきりと呟く。教えられた呪文の通りに、ユーノを守る力を手にする為に。

 

「我、使命を受けし者なり。契約のもと、その力を解き放て。風は空に、星は天に、そして不屈の心はこの胸に……どうか私に守るための力を、お願いです。応えてください!」

『all right』

「レイジングハート、セットアップ!」

『stand by ready.set up』

 

 そして、訪れたのは光の濁流。天まで立ち上る、溢れんばかりの巨大な光の柱。それが、なのはを包み込む強大な力となって、彼女を覆い隠した。

 胸から溢れだした光の粒子を糧にして、なのはの感じたこともない未知の力が自らを覆う。就寝前に来ていたパジャマが分解されて、身体にフィットする黒いインナーが生成されていく。

 

『聞こえますか? 新たな私のマスター、小さな主。まずは思い浮かべてください。貴女の考える最強の防具を、そこから貴女のバリアジャケットを構築します』

(急にそんなこと言われても……というか誰ですか)

『私はレイジングハート。不屈の心を意味する名を冠したインテリジェントデバイス。貴女の呼びかけに応じた魔導の杖』

「レイジングハート、ですか……貴女が?」

『そうです。ジャケットのイメージが思い浮かばないのであれば、普段着ているような服でも構いません。後は私が最適な防護服を構築します』

 

 頭の中に聞こえてくる優しい女性の声。彼女はレイジングハートだと言う。杖が喋るなんて聞いてないけれど、なのはは微塵も驚いていなかった。魔法と言う未知の技術があるのだ。自動音声があってもおかしくはない、なのはは持ち前のポテンシャルを発揮して状況に適応する。

 それよりも、問題は彼女が問いかけてくる防護服とやらのイメージだ。正直に言うと、なのはは衣服や格好に無頓着だったので、自分が何を着ているのか頭に浮かんでこない。防具と呼ばれても、騎士の甲冑のようなごてごてした鎧は嫌だった。不破の鍛錬の時に着ている胴着と袴が咄嗟に思い浮かんだが、すぐに振り払う。あんまり好きではないのだ。着るだけで嫌な気分になる。となると、次に思い浮かんだのは、着なれた衣服、学校の制服だった。

 聖祥の制服は仕立てが良いらしい。アリサ、すずかからも制服姿が似合っていると太鼓判を押されているので、とりあえず変に見えることはないだろう。

 

「どうですか……?」

『マスターの中のイメージを理解しました。防護服に設定後、イメージを反映させます。マスターは魔法には慣れていないようですが、驚かなくて大丈夫ですよ』

 

 レイジングハートが言葉を続ける間にも、なのはの姿に変化が訪れていた。桃色の粒子が周りから溢れだすと、身体をベールのように覆っていく。瞬く間に光は見慣れた学校の制服を形作っていき、気が付けば、なのははいつもの制服姿になっていた。

 

「えっ……」

 

 驚くなと言われても、それは無理があった。あっという間にいつもの制服を着こんでいたのだ。なのはが呆気にとられている間にも渡された紅い宝玉、レイジングハートは形を変え、先端に握り拳ほどの紅い宝玉を三日月状のフレームに支えられた杖が生成される。

 なのはの身長に合わせて最適化されて生まれた長物の杖は、彼女の利き手に自然とおさまると、先端の宝玉から光の文字が瞬いた気がした。

 そうして、なのはを覆っていた光は徐々に霧散していき、彼女は元いた公園の風景の中に立ち尽くしていた。あっという間の出来事だ。

 

「よし、成功だ! くっ……!?」

 

 茫然自失と言った様子で立ち尽くすなのはの意識を取り戻させたのは、安堵が含まれたユーノの声。フェレットになっている彼は素早い身のこなしで怪物の攻撃をいなしながら、時には光り輝く鎖で拘束し、時には防護陣で怪物の巨体を寄せ付けない。けれども、怪我の傷がうずいているのか、小さな身体をもたつかせることもあって危なっかしい。

 

『マスター、まずは魔法についての説明ですが手短に……』

 

「ユーノさん!」

 

 手にした杖、レイジングハートの声を無視してなのはは怪物に向かっていく。いつもより向上している身体能力を疑問に思いつつも、彼女の頭の中はユーノを助けることでいっぱいだった。ユーノ目掛けて体当たりをぶちかまそうとしている怪物との間に割って入ると、見事なタイミングでのカウンターを決める。両手に握りしめたレイジングハートで勢いと体重を乗せた突きを怪物の顔面に叩き付けたのだ。それで終わらず、彼女は怪物の懐に踏み込んで上段から杖を叩き下ろす。人間相手であれば脛や肋骨などの急所を狙うが、相手は未知の怪物。一番威力の大きい攻撃を無意識に選択していた。

 しかも、ただの力任せの一撃ではない。不破の教えに基づいた棒術で、力を拡散させず効率的に叩き込む一撃だ。

 この間、なのはの思考はほとんどが本能的なもの。ユーノの危険を察知して咄嗟に行動しただけ。

 怪物の身体が凄まじい一撃を受けて収縮する。それすら予測していたかのように、なのはは手をかざすと桃色の魔力で構築されたシールドを展開。はじけ飛んだ怪物の身体の断片を受けとめながら後退する。

 そして、シールドを展開したまま、フェレット姿のユーノをレイジングハートの先端で器用にすくい上げて、腕で抱き止めた。

 戦闘の素人とは思えない鮮やかな動きに、レイジングハートは圧倒されていたがフォローを忘れたわけではない。主を守る防護服の出力を最大限にしながら、デバイスの周囲に簡易のフィールドを張ることで打撃時、フレームに影響が出ないようにしていた。まさか、ベルカのアームドデバイスのように近接戦闘の武器にされるとは思わなかったが……

 ユーノもなのはの予想外の行動に呆けて瞬きを繰り返す。

 

「大丈夫ですか? ユーノさん」

「はは……驚いただけで怪我はしてないから大丈夫」

「そうですか。良かったです」

 

 大事なさそうなユーノの姿にほっと一息ついて、安堵するなのは。

 そのタイミングを見計らってレイジングハートが大事なことを告げる。

 

『小さな主。もしかして、マスターは近接戦闘が得意なのですか?』

「た、嗜み程度には……その、身体が勝手に動いてました。ごめんなさい」

『いえ、ですが対象の遺失物暴走体相手に近接格闘は危険です。私は祈願型デバイスなので基本的になんでも可能ですが、遠距離戦をお勧めします』

「どうすればいいのですか?」

『簡単なことですので、不安にならなくて大丈夫ですよ。先程も申しあげたとおり、私は祈願型デバイスです。マスターが遠くから相手を攻撃したいと願えば、最適な魔法を生み出すことができます。普通は不可能ですが、魔導師として素晴らしい資質を持つ貴女と私の相性は良いので可能です』

「願う……強く願う……」

 

 なのはとレイジングハートがやり取りする間にも身体を飛び散らせた怪物は、その流動する肉片をかき集めて再び巨体を構築し始める。

 そして、巨体から覗く赤い眼でなのはを見据えると、怪物はなのはを標的に変えて襲いかかってきた。どうやら、ユーノよりも強大な魔力と、なのはから苛烈な攻撃を受けたことによって標的の優先順位を変えたらしい。

 しかも、単純なルーチンワークを繰り返すかのように体当たりするのかと思いきや、怪物は体当たりしながら、身体から軟体の無数の触手を伸ばしてきたではないか。

 あんなもの避けきれるほど、なのはは素早くはないし、物量が物量だ。避ける間もなく触手の波に呑み込まれてしまうだろう。見た目に反してとんでもない能力を秘めているのかもしれないから、触れるだけでアウトだ。最悪、掴まれた瞬間に身体を潰されるかもしれない。あるいは生気でも吸われるのか。どっちもなのはは御免だ。

 

(うっ……どうか、あの怪物の攻撃から身を護って!)

『はい、マスター』

『Protection』

 

 ぬちゃぬちゃと粘着質な音を立てて迫る触手に怖気を抱きながら、なのははレイジングハートの言葉通りに強く願った。怪物を退けるための力を。杖を両手で掲げながら、なのはの肩にしがみ付いているユーノと自分を護ろうと必死に願い続ける。

 小さな主の望みを叶えんとレイジングハートはそれに応え、敵の攻撃を退けるための障壁を張る。アクティブプロテクションと呼ばれるバリア魔法。触れた対象を弾き飛ばして、術者の身を護る魔法は、なのはの願いどおり触手を退けるどころか、怪物の身体を吹き飛ばしてしまった。

 

「つ、追撃を……」

『相手に掌をかざしてください』

「こ、こうですか?」

『Divine Shooter』

 

 不破の修行の成果なのか、身に付いた戦闘技法から追撃を選択するなのは。

 レイジングハートの導きに従って右手を吹き飛んだ怪物の方向へ向けると、生成されたスフィアから一発の誘導弾が飛び出して、怪物の直撃する。少なくない魔力ダメージを負ったことで身体を震わせている怪物。

 

(すごい。この子は天才かもしれない)

 

 ユーノは彼女の魔法の才能に驚かされていた。本来であれば先の触手による攻撃も自分が防ぐつもりだった。それに魔法に触れて間もない彼女に戦わせるつもりもなく、彼女から魔力を借り受けて封印魔法を行使。一気に決着を付けるつもりだった。

 それがどうだ。彼女は圧されるどころか、相手を圧倒している。まだまだ未熟なところはたくさんあるだろうが、すぐにでも才能を昇華させるに違いない。

 なのは自身は気が付いていないが、魔法を行使する際に無意識に最適な術式を頭の中で組んでいるのだ。理論ではなく感覚でそれを、やってのけるのだから恐ろしい。

 彼女の中にある不破の血が状況に適応しようとして。そして、がむしゃらに訓練と勉学をこなしてきた努力の結果がここに来て身を結んでいた。頭の中で高速で回転する思考、演算能力は、そのまま状況の打開策を生み出し、強力な魔法の術式構築に繋がる。

 もっとも、魔導師に成りたての少女は怪物を封印する方法が分からない。分からないと魔法も浮かばない。

 なのはは魔力ダメージを徐々に癒していく怪物を見ながら、横目で肩にしがみ付いているユーノを見やる。瞳がどうすれば奴を倒せるのか教えてほしいと訴えていた。

 

「レイジングハートに搭載されたシーリングフォームを起動させて」

「分かりました。レイジングハート」

『all right』

『sealing mode.set up.』

 

 ユーノのアドバイスを受けたなのはがお願いすると、レイジングハートは己の機能を全力で稼働させる。

 フレームを変形させ、先端部分を音叉のような形状に変化させた。そして、左利きのなのはに合わせるように、杖と先端を繋ぐ部分からトリガーとグリップを生成する。

 それを見届けたユーノは最後の決め手となる方法をを告げる。

 

「頭の中に呪文が、なのはだけの呪文が浮かんでくるはずだ。それを叫んでトリガーを引いて!」

 

 もちろん、既になのははレイジングハートを構えていて、左手はいつでも魔法を放てるようにグリップを握り込んで、トリガーに指を掛けていた。あとは言われた通りにして魔法をぶっ放すだけである。

 

(浮かんでくる呪文、呪文)

 

 うわ言のように頭の中で呪文という言葉を反芻するなのは。

 やがて、閃いた魔法のキーワードが頭の中に浮かんでくるのと、怪物が今までにない豪速で飛び掛かるのはほぼ同時。

 なのはは妙に冷静になりながらも、デバイスの照準を怪物に向けていた。全ての情景が、移りゆく視界がやけに遅く感じるなかで、彼女はしっかりと怪物を引きつけそして。

 

「リリカル! マジカル! ジュエルシード、封印!!」

 

 トリガーを引いて封印に特化した極大な砲撃魔法を解き放つ。

 桃色の光の濁流が怪物の巨体すらも呑み込んで、一条の光の輝きが夜空に煌めいていく。

 怪物は徐々に魔力でできた身体を霧散させながら、やがて跡形もなく消え去った。残ったのは手のひらに収まりそうなほど小さな宝石。ジュエルシードだけ。

 レイジングハートの先端から飛び出た、二つの突起物がスライドして溜まった熱を排出する。蒸気の音だけが静けさを取り戻した街に鳴り響いた。

 怪物が倒されたことで結界も晴れたのだろう。徐々に海鳴の街の喧騒が戻ってきた。夜とはいえ深夜に差し掛かった時刻だ。まだ、街並みは活気に満ち溢れている。

 

「はぁ、はぁ、成功、ですか……?」

「そうだよ、なのは。ありがとう、君のおかげで最悪の事態を避けられた。もうなんてお礼をしていいのか分からないよ」

『お見事でした私のマスター』

 

 ロストロギアを封印する為にかなりの魔力を持ってかれたのだろう。運動した程度では疲れを見せないなのはが、荒い息を吐いていた。慣れないことをしたことで緊張していた分、無駄な体力を消耗したのもある。

 そんな彼女にユーノとレイジングハートが労いの言葉を贈った。

 

「なのは、疲れてるところ悪いんだけど、デバイスをジュエルシードの近くに」

「はい」

 

 なのはがジュエルシードに近づいて、レイジングハートを掲げようとする。こうすれば封印状態の遺失物はデバイスに収納されて、外に出さない限り誰の願いも叶えることはないだろうとは、ユーノの談だ。封印していても万が一と言う可能性がある以上、こうしたほうが安全らしい。

 そうして、ジュエルシードがレイジングハートの中に吸い込まれようとした瞬間。

 

「うわあ!!」

「ぐっ、いったい何が!」

 

 一陣の風が吹き荒れて砂埃が巻き起こる。あまりにも凄まじい爆風だったものだから小動物になっていたユーノが吹き飛ばされた。

 なのはは後ろに跳び下がりながらも、放り出されたユーノを捕まえると離さない様に抱き寄せた。これで下手に叩きつけられたりしたら、治りかけていた怪我が悪化する。なのはは彼のことは心配で何かと放って置けない。

 警戒心を最大限に現状を把握しつつ身構える。他のジュエルシードモンスターとやらが襲撃してきたのか、なのはの与り知らないような出来事が起きたのか分からない。

 しかし、凄まじい速さで正体不明の何かが通り過ぎたのは確かだ。それに。

 

(しまった。ジュエルシードを盗られた)

 

 そう、なのはの目の前でジュエルシードが掻っ攫われた。既にジュエルシードが浮かんでいた場所には何もなく、一筋の線が砂をかき分けたような跡があるだけ。

 気が緩んでいたのは確かだが、気配に敏感ななのはが何も感じることは出来なかった。恐ろしい相手だ。

 

「ごめんなさい、ユーノさん。ジュエルシードを盗られてしまいました」

「ううん、いいんだ。むしろ、なのはに怪我がなくて良かったよ」

「それにしても、さっきのは何だったのでしょう? 速すぎて捉えられませんでした」

 

 なのはの疑問に、フェレットのユーノは腕を組んで首を傾げていたが、予想が付いたのかひとつの可能性を教えてくれる。

 

「……もしかすると、僕ら以外にも魔導師がいるのかもしれない。管理世界の中にはいるんだよ。遺失物を盗んで売り払うことで金を得ようとする連中が。悪用されなきゃいいんだけど」

「ッ!! 追いかけましょう! あれは元々ユーノさんの物ですし、そんな奴らを野放しにしては……」

「待って、待ってなのは! その気持ちは嬉しいんだけど、なのはは魔導師に成りたてなんだ。消耗も激しかっただろうから、ゆっくり休まなきゃだめだよ!」

 

 許せないというように歯を喰いしばり、血相を変えて追いかけようとするなのはを、ユーノは慌てて制止した。封印魔法は消耗が激しい魔法だから、たとえ資質の高いなのはでも影響がないわけではない。ここで倒れられたら元も子もないのだ。親御さんだって心配するだろう。

 納得がいかないような様子のなのはだったが、ユーノの翡翠の瞳に見据えられて徐々に怒気を抑え込んでいく。不破の教えが頭の中で、常に冷静たれと告げていた。

 普段、冷静沈着のなのはがここまで熱くなるのは珍しいことである。けれど、仕方のないことだ。今日はなのはが、初めて誰かの役に立てたと実感することができた日。何の取り柄もない自分が友達を助けることができて嬉しいのだ。心のどこかではしゃいでいるのかもしれない。

 もっと自分を見てほしいという渇望。それが誰に向けられたものなのかは知らないが。

 

「失礼しました。つい、取り乱しました」

「気にしてないから大丈夫。それよりも帰ろう。もう、夜も遅い時間だ。家族に心配かけるといけないよ」

「……そうであれば、良いんですけど」

 

 なのはの意味深な言葉をユーノは最初、理解できなかった。

 

◇ ◇ ◇

 

 構築され身体を覆っていたバリアジャケットを解除したなのはは、待機状態に戻ったレイジングハートを首に掛けると、パジャマ姿のまま帰宅する。

 怪物の襲撃のよって着替える間もなく飛び出してきたから、見るからに怪しい格好だ。

 少なくとも夜中、出歩いている大人や巡回している警察官が彼女を見れば、何か事情があるだろうと声を掛けるだろう。そうなれば親を呼ばれてしまう。そんな事態は色々と面倒になるので人目を避けて家に向かっていた。

 元の姿に戻ったユーノを肩で支えながら、なのははゆっくりと夜の街を歩いていく。

 夜風が戦闘行為で火照った身体に涼しいが、長引けば風邪を引く。春先とはいえ、まだまだ寒いのだ。ユーノに断って少しだけ歩幅を速めた。

 ユーノが人の姿なのは、保護した時にその姿だったからだ。フェレットモードの方が消耗も低く便利らしいが、怪しまれない様に家では人の姿でいなくてはならない。

 ふと、なのはは思い出したようにレイジングハートに目を向ける。これは、ユーノの物だ。事件のひとつが解決した以上、元の持ち主に返すのは当然と言えよう。

 別に、なのはは魔法少女として怪物と戦うのは嫌ではない。が、デバイスは、特にインテリジェントデバイスと呼ばれる種類は帰宅する道中で大変高価なものだと聞いた。相性が良い人間は少ないから、適性があるなのははすごいねと褒められもした。けど、そんな高価で大事なものを持っているのは気が引けるのだ。

 

「そう言えばユーノさん。これはお返ししますよ。元はユーノさんの持ち物ですから」

「それなんだけど、レイジングハートはなのはが持っていて欲しいんだ」

「?……何故ですか?」

 

 ユーノの頼みに、なのはは純粋に首を傾げる。自分に預けてくれる理由が分からないからだ。

 

「何時、ジュエルシードモンスターが覚醒してなのはを襲ってくるのか分からない。それに例の魔導師の件もあるから。勝手なお願いだとは充分承知してるけど、身を護る為に身に付けていて欲しいんだ。本当に、迷惑を掛けて。巻き込んでしまってごめんなさい」

 

 肩を支えていなければ、深く真摯な姿勢で頭を下げていただろうユーノの態度。なのはは遠慮しかかった自分を抑え込んだ。こうまで頼まれたら断りづらい。

 それに例の魔導師が自分を狙ってくるのは考えが及ばなかった。てっきり横取りする姿勢から遺失物を優先的に狙う卑怯な輩かと思い込んでいた。自分を襲撃して、ジュエルシードを奪いに来るかもしれないのかと、なのはは考えを改める。

 もしかすると、相手の魔導師は相当に狡猾な奴なのかもしれない。

 

「分かりました。では、事件が終わるまで肌身離さず持ち歩かせて頂きます。よろしくお願いします。レイジングハート」

『はい、私のマスター』

「ははは……」

 

 ユーノはなのはに聞こえないような小声で苦笑い。

 返そうとしてくれる気持ちはありがたいが、目の前でそんなこと言っている彼女に告げられるわけがない。

 契約したのは、なのはだから、マスター権限もなのはにある。もう、なのはの許可なしにレイジングハートは使えないと、言えない。言えるはずもない。きっとショックを受けるに違いないから。自分のせいでユーノの持ち物をダメにしてしまったと。

 別に、レイジングハートはスクライアの族長からの贈り物だし、ユーノには扱いこなせないので、使い手に相応しいなのはにプレゼントしても問題ないのだが。

 

 やがて、目的地である不破の屋敷が見えてきて、なのはは露骨なまでに顔をしかめた。ユーノもなのはと同じ事に気が付いて申し訳なさそうな顔をする。

 敷地の入り口の前に立つ人物。不破士郎。なのはの父親。

 士郎は門限時間外の無断外出を嫌う。なのはを心配してのことだろう。それは、彼女も分かっているが、その事で叱りつけられるだろうと思うと気分も憂鬱になる。

 

「二人して何処に行っていた?」

「…………」

 

 士郎の水面のように静かで、けれども厳しさを含んだ問い掛けに、なのはは答えることができない。正しい答えなど持ち合わせていない。

 今日の不思議な出来事を正直に話したとして、誰が信じるだろう? 最悪、夢遊病でもあるのかと疑われるかもしれない。むしろ、世迷いごとを申すなとさらに厳しく怒られる可能性もある。

 近くのコンビニに買い物に行ったとしても格好が不自然だ。夜は寒いから、せめて上着のひとつくらい着ていく。

 下手な嘘など厳格な父は見破るだろう。だから、なのははどうしようもなくなって沈黙を保つ。

 

 なのはの無言の姿勢が気に入らなかったのか、士郎の瞳を見ようとしない娘の態度が癪に障るのか知らないが、士郎は手を振り上げた。

 頬を打たれる。そう思ったなのはは怯えたようにぎゅっと目を瞑る。けど、いつまでたっても衝撃と痛みはやってこない。

 恐る恐る瞼を開けてみれば、いつの間にかユーノが庇うように前に出ていた。なのはからでは後姿で見えないが、その視線ははっきりと士郎の瞳を捉えている。

 

「その、ごめんなさい。勝手に飛び出した僕が悪いんです。目が覚めたら見知らぬ部屋で、パニックになってしまって……慌てて飛び出した僕を彼女が追いかけて、連れ戻してくれたんです。だから、なのはは悪くありません」

(ユーノ、さん……?)

 

 ユーノには目の前の男となのはの関係を良く分かっていないだろう。それでも雰囲気から、なのはが咎められていることを察して庇ってくれている。

 でも、なのはには、どうして彼がそんな事をするのか理解できなくて、目を真ん丸に見開いて驚いていた。ユーノは……ぶっちゃけてしまえば不破家とは何の関係もないし、知り合ったばかりでアリサやすずか程に、なのはと親しいわけではない。

 もしかすると、士郎に邪魔するなと打たれるかもしれない。或いは怒鳴られるかもしれない。自分が痛い目に遭うかもしれないのにどうして……?

 そんな困惑にも似た感情がなのはの心を占めていた。

 

 士郎の纏う雰囲気が一瞬だけ重くなったのは気のせいだろうか……ただ、娘を容赦なく打つと思われていた手は、躊躇うようになのはに伸ばされて。そして何もせず、静かに降ろされたのは確かだ。

 訓練の時は苛烈で厳格な父のらしくない態度に、なのはは驚きを隠せない。それに、もっと、厳しく詮索されると思い込んでいたから、彼が潔く引いたことも尚更。

 

「……早く寝所に戻れ、子供は寝る時間だ」

 

 そっけない態度で、そう告げた士郎は踵を返すと先に家へと入っていった。

 

◇ ◇ ◇

 

「その、助かりました。ユーノさん」

 

 父に言いつけられた通り、ユーノが寝ていた畳部屋に戻った二人。

 慌ただしく飛び出していったせいで乱されていた布団は綺麗に整えられていた。恐らく士郎か、恭也が整えてくれたんだろう。

 ユーノが布団に寝付く前に、なのはは正座したまま深く頭を下げた。本来であれば厳しい叱責と体罰を受けていたであろう所を助けて貰ったからだ。

 だけど、ユーノとしては自分に関わったせいで、なのはが、そんな目に遭いかけたので、頭を下げられるのが気恥ずかしく、どうにも居心地が悪い。本来であれば協力してもらったばかりか、寝何処まで提供してくれた彼女の方に、ユーノが頭を下げるべきなのだ。

 

「こっちこそ、その、色々とありがとう」

 

 何とも言えない気まずい雰囲気が流れた。このままだと、どちらも謙遜し合って、延々と謝り合うような事態になりそうだ。だから、なのはの方が先に折れることにした。

 

「……もう寝ましょう。明日の朝は早いですし、ユーノさんの怪我を治すためにも睡眠は必要不可欠ですから」

「あ、えっと。なのは、さん……?」

「おやすみなさい。ユーノさん」

 

 おずおずと敷かれた布団に潜り込んだなのはは、すぐに寝息を立てて、夢の世界に誘われた。どうやらユーノの疑問に答えてくれる余地はないらしい。

 ちなみに、布団は二枚敷かれている。もちろん、ひとつはユーノの分。そして、もうひとつは、なのはの分だ。

 なのはがユーノと同じ部屋で寝る理由は、怪我人を勝手に家を抜け出せさないという名目で、彼の監視と保護をするという、恭也がなのはに与えた罰だ。

 実際の所は一人でで眠ると、高い確率で悪夢にうなされる妹の為なのだが、そんなこと、なのはが知る由もない。

 もっとも、出会って間もないユーノなんかは、不破家の事情を察することなどできず、唖然としている。

 上体を起こしていると身体の節々が痛むので、仕方なく状況に流されて彼も布団に潜り込むのだが、馬鹿みたいに高鳴る心臓は、明らかにユーノが緊張していることを示していた。

 

 スクライア部族の子供たちと寝ることはあっても、このように女の子と二人っきりで寝るのは初めてだ。しかも性質の悪いことに年が近い。憧れのお姉さん的な存在を前にした時とは、また違った緊張感があった。

 ユーノの顔は徐々に真っ赤になり、目を回し始めていく。緊張しすぎて眠れそうにない。

 隣で静かに眠るなのはは、ユーノから見ても綺麗だ。暗めの性格はお淑やかで慎ましいと考えれば美点だし、怪我人を助けた義務とはいえ、彼女は親身になって看病してくれた。何となくだが、熱を測る為に額に、柔らかな手が触れられたのも覚えている。

 そして、彼女からは返しきれないほどの恩を貰っている。命を二度も救ってもらったばかりか、自分の不始末を解決するために手伝って貰ったのだ。

 ここまでされてユーノが彼女に惹かれない理由など何処にもない。まして、就職年齢の早いミッドチルダ出身のユーノだ。多少大人びている彼が異性を認識してしまうのも、無理はないだろう。

 

(ね、眠れない……ちょっ、ええっ!?)

 

 しかも性質の悪いことに、ユーノの右手を両の手でぎゅっと握った存在がいる。もちろん、不破なのはその人である。

 寝静まった人の、子供特有の暖かな体温が肌を通して、ユーノに伝わる。もはや、ユーノは冷静な判断が出来ないくらい混乱していた。脳が焼き切れるんじゃないかと錯覚してしまうくらい、頭が熱い。

 

「あの……なのは? あっ……」

 

 このままじゃ眠る事すら出来ないとまいってしまったユーノは、せめて、手だけも放して貰おうと彼女に向き直って絶句した。するしかなかった。

 静かに寝入っていた筈の少女は熱病に晒されたように、苦悶の表情を浮かべていた。呆けたように開かれた口から熱い吐息を漏らしている。ユーノの手を握る彼女の肌は汗ばんでいて……怯えたように震えていた。

 まるで頭を金槌で打たれたかのような衝撃。急に恥ずかしがってた自分が愚かに思えて、ユーノの思考は急速に冷めてしまう。

 

「や……やだぁ、こない、で……」

 

 少し考えれば分かる事だった。魔法の事に慣れていない、こんな年端もいかない女の子が。恐ろしい化け物と戦って平気でいる筈がないのだ。

 普段の彼女はとても冷静で、物怖じせず、動揺することも殆どなかっただけに、ユーノは気が付くことができなかった。なんてのは言い訳に過ぎない。

 どこかで無理をしていた部分があったはずだ。そう、たとえば戦闘が終わって荒い息を吐いていた時。あれは疲労からではなくて、極度の緊張を解きほぐそうと深呼吸していたのだとしたら?

 やはり、なのはを魔法の事に巻き込んだのは間違いだったのかもしれない。だけど、もう遅い。

 レイジングハートが、なのはを正式なマスターとして認めた以上、ユーノが封印魔法を行使することは出来ないからだ。あれは、レイジングハートを媒介にして無理やり引き出した魔法だったから。もはや、不破なのはの協力なしにジュエルシードを封印する事は不可能。

 なら、せめてユーノに出来ることは、彼女が傷つかない様に護ること。彼女が戦いやすいようにサポートすることだ。

 ユーノは隣で怯える女の子の手を握り返す。

 

「安心して、なのは」

「う、うぅ……っ」

「キミは僕が護るから。絶対に傷つけさせはしないから。だから、なのはは怯えなくていいんだ」

 

 互いに向き合うようにして眠る二人の子供。

 少女の知らないうちに、密かに決意を秘めた少年。

 そんな彼の意志が伝わったのか、なのはの様子は次第に落ち着いていき、安らかな寝顔を浮かべ始めるのだった。

 

 


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