リリカルなのは アナザーダークネス 紫天と夜天の交わるとき   作:観測者と語り部

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〇すれ違った世界 差し伸べられた暖かな手

 少しだけ肌寒い空気と風が肌を撫でる。暖かな日差しは徐々に沈んでいるから、これからもっと冷え込んでくるだろう。

 この慣れた空気、冬の訪れを感じさせるような気温、そして季節が秋であると実感させるような食欲をそそる香りは秋刀魚の塩焼きと焼き芋のものだろうか?

 久しく感じる地球の、日本という国の環境にディアーチェはただ、ただ、戸惑うばかりだ。

 ようやく己は、この世界に帰ってくることができた。あの底知れぬ闇と無限とも言える時間を共に過ごし、日々を耐え凌いでいたディアーチェは懐かしい感覚に涙を流しそうになる。

 ここがどんな場所であるかもうっすらと覚えていたようだ。かすかに残る記憶を頼りに思い出してみれば海鳴市の商店街だと分かった。都市の中央部にあるデパートでは家族であった守護騎士の服やぬいぐるみなどの小物でお世話になったが、新鮮な食材は此方で買い出しに来ていたものだ。

 足が不自由で動けない『はやて』の車椅子を押してくれた『シグナム』や『シャマル』と一緒に買い物に来た記憶が建物の風景を見て呼び起される。かつての自分と守護騎士の姿が幻影となって通り過ぎる幻覚を見たディアーチェ。

 嗚呼、何もかもが懐かしい。永かった。悠久とも云える時が過ぎ去るなかで、何度と過ごした街に帰りたいと願ったのか分からない。

 ようやく、ようやくディアーチェは帰ってきた。帰ってこれたのだ。

 それを素直に喜べないのは傍に居るはずの友が、家族が、自身の一部である欠片が存在しないからだ。

 格好を怪しまれないよう六翼の闇色の翼をしまい、杖を消す。

 そして、商店街の裏道に潜み、表の主要通路を人々が通り過ぎていく様子を伺いながら、ディアーチェは数えるのも億劫になるほど吐いた溜め息を吐く。

 

(ユーリよ。何故、うぬは我に魔法を使わせぬ? こうして待つ間にもシュテル達は憎き怨敵たる管理局の魔導師どもと戦っているかもしれぬというのに……なぜだ? なぜ我を阻むのだ!?)

 

(ごめんさいディアーチェ……ごめんなさい)

 

 念話で自身の内に潜むユーリに語りかけるディアーチェ。頭の片隅で騒ぎを起こすのはまずいと、冷静に判断する部分がなければ、今頃は取り乱して警察を呼ばれていただろう。補導されるのは面倒で逃げるのも手間が掛かる。だからディアーチェは大人しく身を潜めていた。

 

 ユーリはディアーチェに魔法を使わせようとしない。

 申し訳なさそうに謝罪しながら、ディアーチェが行けばシュテル達が残って囮になった意味がなくなると静かに諭すのだ。

 ディアーチェだって頭では理解しているが感情は納得していない。自分にとって何よりも大切な欠片が戦っているならば、能々と安全地帯にとどまらずに共に戦いたい。護ってあげたい。たとえ本物を模した偽物の存在であっても。

 戦う力が、他を圧倒して凌駕する力がディアーチェにはあるのに何もできない自分が悔しかった。これでは車椅子に座って何もできない無力な八神『はやて』だったときと変わらないではないか。

 今すぐにでも駆けつけて助けに行きたい。でも、それをしたらシュテルの身を挺した献身が無駄になる。ふたつの想いを頭のなかで葛藤して悩むディアーチェは決断できない自分を呪った。

 だからこそ、シュテルはユーリにディアーチェを頼んだのだろう。迷うディアーチェが万が一にでも過ちを犯さないようにと。その想いに応えるためにもユーリは全力でディアーチェの魔法行使を妨害する。魔法の術式にディアーチェが魔力を流し込んだ瞬間、ユーリの魔力を流し込んで発動を阻害させるのだ。

 結局、なにもできないディアーチェは静かに皆の帰還を待つしかない。項垂れて、裏通りに設置されたごみ箱に背中を預け、体育座りで心細そうにしていた。

 

「こんな所で何をしているのかしら。お嬢さん?」

 

 そんなディアーチェを見かねたのか、さっきからずっと彼女を見つめていた女性は声を掛けた。激務が終わり閉店時間となった自分の経営する店の片付けをしていた女性は、ごみを捨てに来て偶然座り込んでいるディアーチェを見つけたのだ。

 時間にして十数秒ほどどうしたのかと見ていたが、休んでいる様子でもないし、かくれんぼして遊んでいるようにも見えない。どこか上の空で呆けたように佇む少女に女性は声を掛けることにしたのであった。お人よしな性格の女性はどうしても事情がありそうな少女を放って置けなかったのだ。

 家出であれば話を聞く、その場合は警察を呼ばれたくないだろう。誰かに追われているのであれば警察を呼び、店に匿ってあげることも出来る。幸いにも頼れる旦那にして凄腕のボディーガードが店で働いているから安心だ。

 

「――ッ!!」

 

「あっ、待ちなさい!!」

 

 まったく気配に気が付くことができなかったディアーチェは驚いて咄嗟に逃げようとするが、女性はそうはさせまいとディアーチェの腕を掴んだ。振り払おうとしてもすごい力で、魔法を使えないディアーチェでは解けそうにない。

 面倒なことになったとディアーチェは舌打ちする。同時に自身の迂闊さに腹が立つ。今の自分たちを、あまり他者に見られることをディアーチェは良しとしない。この日本において子供は学校に通う義務があり、見つかれば補導される。そこから身元が確認できないと知れれば保護という名の施設行き確定だ。

 魔法で脱走するのは簡単だが、それが原因で管理局に見つかったとなれば、くだらなすぎる。

 何よりディアーチェは身内以外の他者を信用しなくなった。慕っていたグレアムおじさんに騙された経験から人間不信に陥ってしまったのだ。親切心から話しかけてくる人間に騙されるのはもう嫌だ。だから逃げようとする。

 

「くそっ。ええい、離せ! 離さぬか下郎!!」

 

「離しません。口は悪いけれど独特な話し方ね。良家のお嬢さんなのかしら? 夕方の路地裏は危険だから留まっちゃだめなのよ?」

 

「そんなこと知らぬ! だいたい、我は大切な友を待っておるのだ。うぬごとき塵芥に付き合っている暇なんぞ一片たりとも存在せぬわ!!」

 

「なら、なおさら放って置けません。外は冷え込んできたし、寒いでしょう? こんなところで待っているより私のお店に来た方が断然いいわよ? 美味しい紅茶に甘いお菓子が食べられるんだから。携帯は持ってるかしら? 喫茶翠屋で待っているって言えばわかるわよ」

 

「だから知らぬッ! そのようなお菓子も、翠屋とか言うお店も知らぬわ!! なんぞ貴様は!? 新手の誘拐犯か!? この強引さは大阪のおばさん並み……ええい、離せったら離せ!!」

 

「あら意外。私のお店も有名になってきたと思ったけれど、まだまだね。それとも箱入り娘で世間知らずなのかしら? それにしても、あなたは勘が良いわね。私って大阪出身なのよ。それとお人よしなだけで、誘拐犯じゃありません。私にもあなたと同じ年の頃の娘がいるから放ってはおけないのよ」

 

「ぐぬぬぬ~~! なんという馬鹿力、うんともすんともいわぬとは……!!」

 

 ディアーチェは身をよじりながら、綱引きでもするかのように女性の掴む手を引きはがそうとする。しかし、まったくビクともしない。それどころか女性は踏ん張る足を物ともせずに店の裏口へと引きずられていく。

 しまいには、ディアーチェは抱きかかえられてしまった。身に潜む強大な力で、女性に暴力を振るう訳にもいかない。

 仕方なく弱々しい力で、ディアーチェはポカポカと女性の身体を叩きながら、抵抗と拒絶の意思を示すが、ついに無駄だと悟って諦めた。この女性、かなりのやり手だ。逆らえそうにない。

 

 それにしても何とも懐かしく暖かな感覚だろうか。ディアーチェは女性に抱きかかえられて遥か遠い記憶の彼方へと薄れてしまった記憶を思い出す。こんなふうに抱かれたのはいつ以来だ? 『シグナム』や『シャマル』とは違う、自分の母親と似た温もりを感じる。

 もはや、はっきりと顔の輪郭も思い出せない母親に抱かれた記憶。この女性に抱かれていると、うっすらと残る感覚が呼び起されて泣きそうになる。

 しかし、弱みを見せれば付け込まれるのでディアーチェは涙を堪える。どうにも、この女性のことが、ディアーチェは苦手のようだ。

 ディアーチェがうぬぬ~~と、唸りながら現状を嘆いていると、ふと、微かに香るシャンプーのにおいに混じって、今はいない親友の残り香を感じた。

 ハッとして、ディアーチェは初めて女性の顔を見上げた。顔立ちが親友にそっくりだ。髪の色は親友と違って明るい栗色だが、頬にかかったときに感じた長い髪の質感は似ている。

 まさかと思う。いや、そんなはずはないと。

 それでも確かめるために意を決してディアーチェは女性の名を聞くことにした。

 

「うぬは、うぬは名は何と言うのだ……?」

 

「あら? 名乗ってなかったかしら? 私は高町桃子。三児の子供の母にして、喫茶翠屋のパティシエールをしてるのよ。貴女のお名前は?」

 

「我は、私は……■■■■……」

 

「ふふ、いまはそういう事にしといてあげます。安心して、詳しく事情は聴かないから。言いたくないこともあるだろうしね」

 

 桃子と名乗る女性の問い掛けに、咄嗟に考え付いた偽名を口走るディアーチェだが、そんなこと気にならないくらい心は動揺していた。

 親友の言葉を思い出す。"母である高町桃子は殺されてしまった"確かにそう言っていたはず。ディアーチェに嘘を吐いていたとも思えないし、あの話し方は演技に見えなかった。きっと苦しくて辛くて、泣きそうになるのを我慢して悲しい思い出を吐きだしていたのだ。

 では、どういうことだろうか? ディアーチェには目の前にある真実がさっぱり分からない。理解できない。

 ディアーチェを保護した女性はこう名乗ったのだ高町桃子と。はっきりと、間違えようもないくらいに。

 それは、シュテルの死んだはずの母親の名前だった。

 

◇ ◇ ◇

 

「はい、紅茶と翠屋名物の桃子さん特製シュークリーム。遠慮しないで食べてちょうだいね」

 

「……あ、ありがとう」

 

 翠屋の休憩室にあるソファに腰かけたディアーチェ。

 彼女はテーブルに差し置かれた紅茶とお菓子、それに、恐縮した様子でおずおずと手を伸ばした。

 きらきらと金色に輝く装飾の施されたカップを手に取り、紅茶の香りを楽しむ。甘い洋梨の香りがした。口に含むと紅茶特有の渋みが広がって思わず、顔をしかめてしまう。砂糖が入っていなかったようだ。

 素早く丁寧に紅茶のカップを置かれた場所に戻すと、慌ててシュークリームを頬張る。あの紅茶、口直し用に違いない。最初に甘そうなシュークリームから食べればよかったとディアーチェは後悔していた。

 

(――ッ!!)

 

 そして、シュークリームを口にしたディアーチェの身体に電流のような衝撃がほとばしる。驚きのあまり、放心したように固まる。シュークリームの味は、今までディアーチェが食べた、どのスイーツよりも美味しかった。

 まあ、一人身だった少女にとって、遠くに旅行に行ける機会などなかった。有名店に足を運んで、美味しい料理を口にした経験などない。シュークリームだって、せいぜいコンビニで売っている安い庶民のものを口にしたくらいだ。

 それでも、翠屋のシューがどれほど絶品なのか分かる。いちど味わえば忘れられない。焼き加減、クリームを包む生地の歯ごたえ、クリームの甘みの程よさ、全てが絶妙に入り混じった究極の一品。

 

 あっという間に用意された洋菓子を食べきったディアーチェは、心なしか満足した様子で再び紅茶を口に含む。渋みの効いた味と、甘くて良い香り、紅茶の暖かさが、ディアーチェの心を落ち着かせていく。

 何より食べられる木の実や、肉を焼いただけの粗末な食事ではなく、幾百年ぶりに感じた料理の美味しさはディアーチェを虜にするには充分だった。

 

「ふふ、どう? 美味しかったかしら?」

 

「うん! ほんまに、おいしかったで、ぇ……じゃなくて、このような美味の品、我に相応しい一品であったわ、ぁ……でもなくて!! ええと、とってもおいしかった、で、す……」

 

 対面の席から微笑ましそうにディアーチェの様子を見守っていた桃子の言葉に、ディアーチェは思わず素で返事をしてしまった。

 八神『はやて』だったときの明るい口調で話し、慌てて口元を両手で紡ぐ。取り繕おうと口に出した言葉は紫天の王の尊大な態度。しかし、今は■■■■なので、それも相応しくない。心を落ち着かせて、どうにか演じている普通の女の子の口調に戻した時には遅かった。

 

「―――っ!!」

 

「ううぅ……」

 

 桃子さん、声にならない声で大爆笑していた。うん、それも清々しいくらいに。目じりに涙を浮かべ、お腹を抱えてみっともなくテーブルの上に突っ伏している。

 あまりの恥ずかしさに、頬をあかく染めて、うつむくディアーチェ。身体をぷるぷると振るわせて、縮こまるしかない。本当に恥ずかしい

 

 もはや、桃子さんの中で、ディアーチェの株は鰻登りだ。最初は手間の掛かる子供という印象だったが、一喜一憂、百面相に変わる表情、一生懸命に演技して正体を隠そうとする健気な姿。グッジョブだった。

 リアクションが面白い、おもしろすぎる。

 

 故に、解せない……桃子の直感による洞察力は、心の内でディアーチェの壊れた部分を感じ取っていた。

 恐らく、演じようとする前の口調が本来の性格なのだろう。一瞬だけ浮かべた笑顔は、娘のなのはが嬉しそうに笑う姿とそっくりだったから。

 どうして本心を隠そうとするのか、何が彼女を追いつめているのか、闇のように暗い瞳に秘められた揺らめく不安と怯えは何なのか。

 何よりも解せないのは、どうしてこんなに壊れるまで、家族は誰も気が付かなかったのか。桃子には、それが許せなかった。

 この年の頃の子供なら、美味しい食べ物を食べて無邪気に笑い、素直に喜ぶものだ。どうして演技してまで隠そうとする?

 さきほど路地裏で佇んでいた少女の浮かべる表情を桃子は思い出す。

 瞳はどこか虚ろで光がなく、寂しそうに一人で立ち尽くしていたディアーチェ。あれは、桃子が仕事の忙しさを言い訳に、幼いなのはを独りぼっちにさせてしまったときの表情に似ていた。

 違う。それ以上の悲しみと絶望を抱えている。桃子の勘はそう訴えていた。

 しかし、事情を知ろうと無理に踏み込めば、この少女は桃子の元を去るだろう。そして、二度と姿を現すことはない。そんな気がする。

 だから、桃子に出来るのは、寂しさを和らげること、絶望の苦しみを暖かさで癒してあげることくらいだった。

 

「あ、あの……その……」

 

「うん? なぁに■■さん」

 

 いつの間にか、爆笑するのをやめて、突っ伏したまま考え事に没頭していた桃子は、申し訳なさそうなディアーチェの声を聞いて居住まいを正した。何事もなかったかのように優しい微笑みを浮かべる姿は、さすが営業のプロといった所か。

 もっとも浮かべる微笑みは、娘に向ける慈愛と同じモノが向けられているが。

 どこか、申し訳なさそうに、もじもじしていたディアーチェは意を決して口を開く。

 

「えっと……しょ、食事代の、もち、あわ……」

 

「ああ、お代のこと? いいわよ。気にしないで。桃子さんからのサービスです」

 

「……うぅ、ほんまにごめんなさい」

 

「気にしないでいいのよ? う~ん、でも、そうね。ちょっとこっちに来てくれるかしら?」

 

「え、あ……はい」

 

 お金を払えなくて申し訳なさそうに、うつむくディアーチェ。桃子にしては本当にサービスのつもりなのでお金はいらなかった。どのみち今日は閉店する予定だったから尚のこと。

 だが、ふと考え付いた妙案を思いついて、それを実行に移すためにディアーチェを手招きする。

 後ろめたさによるものか、罪悪感からか、びくりと身体を震わせたディアーチェは、言われるまま、怯えた様子で桃子に近づいた。

 

「あ、あぁ――」

 

 その瞬間、ディアーチェは桃子に優しく、けれど力強い抱擁をされて思わず安堵した。

 

「何が怖いのか私には分からない。どうして怯えて、何に悩んでいるのかも聞かない。でも、忘れないで。貴女はひとりじゃない、決して、この世界で孤独じゃないわ」

 

 感じる暖かな温もり、胸に押し当てられたディアーチェの頭、やさしく髪を撫でてくれる手の感触。聞こえてくる心臓の鼓動、命の音はディアーチェを安らげる。思わず安心して強張った力を抜いてしまう。

 桃子の言葉で泣きそうになる。欲しかったものが目の前にある。シュテルに申し訳ない気持ちをあるが、抱いた欲の方が強い。

 シュテルにごめんねと心の内で謝りながら、シュテルに、お母さんを貸してほしいと願いながら、ディアーチェは桃子に母の温もりを求めた。

 仕方ないのかもしれない。両親を早くに亡くし、再び母代りの湖の騎士を失くし、悠久の孤独を過ごしてきたディアーチェが優しい桃子に母の温もりをもとめてしまう。他者の、友の母だと分かっていても。それを誰が責められるとでも言うのか。

 

 ディアーチェは震える両手で、恐る恐る桃子を抱き返した。桃子が優しく抱き返してくれて、ディアーチェから段々と震えが治まっていく。

 嗚呼、我慢できそうにない。ディアーチェは湧き上がる衝動を抑えられそうにない。久しく言っていなかった言葉を口にしそうになる。親友が失った大切な存在だとしても呟きたい。

 

「あ、あの……お、おか……」

 

「なぁに? どうしたの?」

 

「おかあさ……なッ!!」

 

 お母さん。そう言おうとしたディアーチェは、急に驚いたように顔をあげ、素早い身のこなしで桃子の抱擁から離れた。

 

「待って! どうしたの!? ■■ちゃん!?」

 

 慌てたように周囲を見回し、何かを探すかのように遠くを見つめるような仕草をしたディアーチェは、桃子の制止の声も聞かずに部屋から去り、翠屋から出て行く。

 桃子が手を差し伸べて、何かを叫んでいるようだが、ディアーチェはそれどころではなかった。感じたのだ。見知った魔力の気配を。心の底で繋がっている絆の繋がりが強くなっていく。

 ここから近い場所に、そう遠くないところにマテリアルの少女たちが転移してきた。迎えに行かなければならない。

 ディアーチェは翠屋の裏口から、先ほどまでいた裏通りに飛び出すと、商店街の大通りを、人の垣根をすり抜けて駆けていく。

 

◇ ◇ ◇

 

 海鳴臨海公園。日が沈んでひとけの無くなったその場所で、レヴィは大規模転移の疲れが抜けきらない身体を、引きずるようにして歩いていた。

 本来であれば時間を掛けて、呪文の詠唱と魔法の構築を行う大規模な転移魔法。それを、シュテルは無理やり介入することで発動時間を短縮し、レヴィの強大な魔力放出を利用して、瞬時に発動させた。

 レヴィの意図しない、魔力の強制使用は彼女に負担を強いるのに充分すぎた。あるいは、わざと消耗させ、戻って来れないようにするのも、シュテルの計算の内かもしれない。

 シュテルと同等の魔力を持つレヴィだが、『理』による魔法行使によって最低限の魔力で、最大限の魔法を使うと言った芸当はできなかった。

 むしろその逆で、瞬間的な魔力放出によって、魔法の効力を爆発的に高めるのを得意とするレヴィは消耗も早い。魔力の供給源であるディアーチェが近くに居なければ、すぐに息切れする。

 

「シュテ……る、ん……シュテ、ル……『なの』……」

 

 それでも、レヴィは魔力が足りなくなって朦朧とする意識を、シュテルを慕う意志のみで、辛うじてつなぎ止めていた。

 身体の損傷個所を回復させ、意識の再起動を始めているアスカとナハトを茂みに隠し、シュテルを助けに再び転移しようと身体を酷使しようとする姿は、幽鬼のようだ。

 倒れないのが不思議なくらい。執念のみで動き続ける少女は、放って置けば自滅するだろう。

 

「もう良い、もう良いのだレヴィ。しかと休め。あとは我に任せておくがいい」

 

 そんな弱り果てても、倒れようとしないレヴィを抱き止めたのはディアーチェ。

 愛しき少女たちの転移に気が付いて、できる限り迅速に駆けつけた彼女は、労わる様にレヴィの背中を撫でる。

 そして、ひとつの魔法を発動すると、マテリアルの少女たちを紫天の書の内部に回収した。レヴィ、アスカ、ナハトの身体が粒子になって徐々に消えていき、完全に姿を消失させる。

 躯体を維持したまま、外部から復旧させるよりも、内部から回復を促進したほうが速い。何よりも、そのままにしていたらシュテルの為に、ナハトとレヴィは突っ込んでいきそうだから。

 

――またね、です。『はやて』。どうか御無事で

 

 シュテルはディアーチェと約束したのだ。あの子は約束を必ず果たそうとする。絶対に戻ってくるはずなのだ。

 だから、ディアーチェは戻って助けに行きたい本心を押し隠して、公園のベンチで待つことにした。何よりもユーリが転移を許してくれないだろうから。

 

◇ ◇ ◇

 

 待つ、少女は一人寂しく待ち続ける。公園に備え付けられた時計は六時を回った。少しお腹がすいた。

 頬に暖かい、硬い感触がして顔をあげると、見知らぬ男性が微笑んで立っていた。差し出された手には暖かい缶ジュース。ホットココアだ。

 

「うぬは……?」

 

「俺は高町士郎、桃子の旦那さ。君が■■ちゃんだね。こんなところにいたら、風邪をひくぞ」

 

 士郎、確かシュテルの父親だったとディアーチェの記憶にある。どうやら、桃子から聞いて追いかけて来たらしい。なんとお人よしなのだろうか。

 だが、ディアーチェは此処を離れるわけにはいかないのだ。シュテルが来るまで彼女は待ち続けるつもりだった。

 

「すまぬが、我は親友を待っているのだ。約束を果たすまで、ここを離れぬ。放って置くがいい」

 

「なら、俺も一緒に待つ。夜中に子供を一人にしておけないからね」

 

「…………好きにせい」

 

 待つ、士郎とディアーチェは手にした飲み物を口にして、身体を温めながら待ち続けた。公園に備え付けられた時計は七時を回った。お腹がすいてたまらない。

 士郎の持っていた携帯が鳴り、彼はポケットから取り出して一言、二言話すと、携帯電話を戻した。

 

「夕食ができたらしいが、断ったよ。変わりに、家の大きなほうの娘にあとで握り飯を持ってこさせるよう言っておいた。■■ちゃんもお腹がすいただろう?」

 

「阿呆が。馬鹿か貴様は? こんなことに付き合ってないで、はよ家に帰れ。家族との付き合いは何よりも大切にせねばならんのだぞ?」

 

「分かっているさ。けど、君と約束を待ち続けるのは、この日しかできない。そうだろう?」

 

「……ふん、礼はいわんぞ?」

 

「構わないよ。俺が好きでやっているだけだからね」

 

 待つ、士郎とディアーチェは美由希が持ってきたおにぎりを頬張りながら、一緒に待ち続けた。公園に備え付けられた時計は八時を回った。シュテルは、まだ、現れない。

 ディアーチェの表情が、だんだんと不安に彩られていく。身体がソワソワし始め、瞳は泣きそうに揺らいでいる。

 それを、優しく見守る士郎は、桃子が持ってきてくれた毛糸の上着をディアーチェの肩に着せながら、落ち着かせるように背を叩き続けた。

 

「大丈夫かい?」

 

「……すまぬ士郎。手間を掛けさせてすまぬ。だが……もう少しだけ、待たせてほしいのだ」

 

「構わないよ。寒くないかい?」

 

「ふふ、実は、この服、温度調節機能があってな、夏も冬も快適に過ごせるのだ」

 

「ははっ、そりゃ、便利だ」

 

「だろう? もっとも特別な人間にしか着れぬがな」

 

 待つ、士郎とディアーチェは待ち続けた。公園から見える家々の灯が消えていく。備え付けられた時計は九時を回った。

 ディアーチェは嗚咽を漏らしていた。シュテルはもう、現れない。ディアーチェとシュテルの、マテリアルの繋がりが。心の底で繋がっている絆がか細くなって、たった今、消えた。

 それは、シュテルの身に何かあったことを意味する。

 ……考えたくはないが、シュテルは消滅した可能性が高い。ううん、捕らえられているだけなのかもしれない。けど…………まったくつながりを感じないのだ。

 今すぐにでも助けに行きたい! 確かめに向かいたい! でも、約束がディアーチェの邪魔をする。シュテルは"決して此方に戻ってこないで"そう言った。王が約束を破るわけにはいかない。何よりシュテルの行動を無意味にしたくなかった。

 馬鹿が、格好つけて殿なんぞ務めるから……シュテルの嘘つき、どうしてこないん……? すぐにでも追いかけるって言ったやんか……心の内で、そう罵倒しても状況は変わらない。シュテルは……こないのだ。

 

「う、ぅぅ……もう、もう、ええです、士郎さん。もう、待っても友達は来うへん……」

 

 ついに我慢できなくなって、泣きじゃくるディアーチェ。演技することも忘れてしまう程に動揺してるのか、『はやて』の口調で喋っていることにも気が付いていない。

 士郎は、静かに立ち上がると、ディアーチェの正面に立ち、視線を合わせるように屈んだ。そして、そっと優しくディアーチェの頭を撫でてくれる。

 彼は静かに微笑んでいた。

 

「士郎さん……?」

 

「うん、今日はもう来ないだろうね。でも、明日来るかもしれない、明後日来るかもしれない。諦めちゃだめだ」

 

「っ……でも……」

 

 酷く狼狽して、来ないと決めつけようとするディアーチェの唇を、士郎は指でそっと塞ぐと語りかけた。

 それは、諦めなかった家族の話。目覚めは絶望的と言われても諦めなかった、ある家族の話だ。

 

「俺はね、仕事でへまをして重傷を負ったことがある。意識不明になるほどの重症だ」

 

「…………」

 

 黙って聞いているディアーチェの頭を撫でながら、士郎は話を続ける。少女の絶望に希望を灯すように。

 

「でも、俺の家族は諦めなかった。桃子も、恭也も、美由希も、そして、愛娘のなのはも、皆が病院に通い続けてくれた。俺が目覚めると信じてね。そして、俺は目を覚ますことができた。生きて再び、家族をこの手で抱くことができたんだ」

 

 だから、君の友達も何かあっただけで、いつかは来るかもしれない。絶対に諦めてはいけないよ? そういってニカッと笑う士郎に、ディアーチェも釣られたように笑ってしまった。

 そうだ。王であるディアーチェが諦めてどうする。シュテルはきっと来る。レヴィも、ナハトも、アスカも彼女を信じている。なら、ディアーチェも信じよう。

 少しだけ待ってあげればいいのだ。それでも来ないというのなら、こちらから迎えに行く。なんだ、簡単ではないか。

 

「ところで君の家はどこだい? 送って行ってあげるからさ、教えてくれないか?」

 

「もう、帰るべき家なんてないです……てっ、あっ……」

 

「なら、家に来なさい。事情は後で聞く、今日は遅いから泊まっていきなさい」

 

「……はい、ふつつかものですが、よろしくお願いします」

 

 だが、油断か、はたまた安心感からなのか、ディアーチェは士郎の質問にボロを出してしまう。

 有無を言わさぬ、にこやかな士郎の微笑みに怖気づいたディアーチェは、仕方なく頷いた。なんというか、逃げられないような気がするのだ。

 差し伸べられた士郎の手は暖かくて、久しく感じた家族の温もりにディアーチェは心が、少しだけ幸福感に満たされるのだった。

 

◇ ◇ ◇

 

 私は還らなければならない。

 重い身体を引きずる。どうしようもなく怠い身体は、思うように動かなくて、もどかしい。家の垣根を壁伝いに歩きながら私は歩く。

 清んだ夜空、暗くなった街並み、何処かで見たような景色。懐かしい気分だが、どうでもいいことだ。

 

 私は還らなければならない。果たさねばならない約束があるから。

 けど、身体も、黒い制服も見た目は無事なはずなのに、上手く動かせなくて。私はついに冷たい道に倒れ込んだ。

 それでも、私は身体を這って前に進む。どうしても、そうしなければならないから。

 きっと、みんな心配して泣いている……誰が泣いているのだろう? 顔が思い出せない。

 そもそも、私はどうして還ろうとしている? 約束があるから。約束ってなんだろう?

 

 少し休もう。冷たい道。道路の上に居ては轢かれてしまうから、私は垣根を気力を振り絞ってよじ登る。

 けれど、ふら付いた身体でバランスを取ることができなくて、不覚にも家の庭に倒れ込んでしまった。

 寸でのところで受け身を取ったが、物音で誰かが気が付いたようだ。目の前にある家の中から慌ただしい音が聞こえる。

 逃げようにも、私の身体は、もはや指一本動かせない。痕跡をできる限り消し去ろうと、魔力リンクを断ち切ったのがまずかった。

 …………なんで、私はこんな知識を知っているのだろうか?

 

「――ッ」

 

 酷く頭痛がする。頭が割れそうな痛みだ。思わず両手で頭を押さえこんでしまう。

 それに息をするのも苦しい。身体がだるくて熱でも出したみたい。私はどうして、こんなに苦しんでいる?

 

「誰か庭におるんか~~ッ!?」

 

 家の一階にある窓が横開きに開いて、車椅子に座った少女が顔をのぞかせた。

 私を見て驚いた顔をしている。まずい、誰か人を呼ばれるわけにはいかない。私の身体が、右手が少女を引きずり倒して無力化しようと動くが、助けを求めるように震えながら伸ばされるだけだ。

 少女が驚いた顔をしている。私はそんなに酷い外見をしているのだろうか? 嗚呼、泣きそうな顔をしないでほしい。王が悲しそうな顔をすると私まで……王って誰だ?

 

「あかん、動かんといて! シャマルっ! シグナムっ! ヴィータっ! ザフィーラっ! 誰でもいいから、はよ来て!! ほな、しっかりしい、いま助けたるからな」

 

 そういって、少女は車椅子から降りると、動かない下半身を引きずって私の所まで這って来た。

 この少女はとんでもない馬鹿でお人好しだと判断する。足が不自由なら誰かに任せておけばいいものを。人を呼んだ意味がないだろう。少女が来て何になるというのか?

 

「ッ……ぁ、あ……『はゃ』……」

 

「はやく……? わかっとる。いま、治療ができる人を呼んだからなぁ。もう少しの辛抱や。安心して」

 

 けど、気が付けば私は、知らずのうちに泣いていた。少女が駆け付けてくれたことが無性に嬉しい。どうしてか、私は愛しい人に会ったかのような、そんな感慨に浸っていた。

 少女が動かない足に私の頭を乗せて膝枕をしてくれる。目の前にある顔に伸ばした私の震える手を、少女はやさしく両手で握ってくれた。

 どうしてか知らないが、私は、この少女に安心感を抱いているようだ。記憶にはないが、少女は敵ではないのだろうか? それとも還ろうとしていた場所はこの家なのか?

 まあいい。今はとにかく眠ろう。疲れた身体を癒して明日に備える。分からないことも多いが、少しずつ知って行けばいい。

 

「あっ……目を閉じて、どうしたん!? ……なんや、眠っただけかぁ。驚かせんといて。でも、こ……で……きれ………かみ……あっ……マル……」

 

 瞳に映る少女の顔がぼやけていくのを感じながら、私は静かに目を閉じる。

 差し出された手は、とても暖かな手で、私が長年、求めてやまないものだった。

 

 


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