目の前の相手は服装からして気合が入っているという風情だった。
この前のカジュアルな格好はどこへやら、今回はきっちりとスーツに身を固めて並々ならぬ意気込みを感じる。
その隣も戦闘態勢は万全という感じだ。初顔合わせだが三十代、子持ちのキャリアウーマンといったところだろうか。紹介ともらった名刺によれば編集長だそうである。
本来この場は堅苦しい話をする予定ではなかったはずなのだが。
挨拶を終えて軽く言葉を交わし、さあ本題だとばかりに黛姉が口を開く。
「それで、読んでもらえた?」
「もちろんです。こちらからお願いしたことですし」
「じゃあ……甲斐田君の目から見た感想を聞かせてもらえないかな?」
これだけである。予定としては。
向こうが作っている雑誌を送るので、俺の感想を聞かせて欲しい。はっきり言って雑談程度の話でしかない。
くつろいだ姿でお茶でも飲みながら談笑するのが本来の姿だっただろう。
「と言ってもどこから話せばいいですか? 何しろ三年分は相当な量でしたから」
「まさか後からもう二年分送ってくれと言われるとは思わなかったわ。もう一回聞くけど、本当に読んでくれたの?」
「もちろん量が量だけに事細かに読むとかそれは無理です。後から送ってもらった二年分は流し読み程度ですが読みましたよ」
別に気に入ったからとかそういう話ではない。比較材料としての話だ。
その雑誌の内容は毎年コロコロ変わるものなのか、それとも毎年企画が定番化しているかだ。
「なるほど。本音を言えばそれだけでもう感無量なんだけれど、甲斐田君としては目新しかったのかしら? 何しろこの雑誌は男の人の目なんて一切気にしてないし、全くの別世界かもしれないから」
「知ってる人が出てたのでそうでもなかったですよ」
「誰!? あ、もしかして……」
「そうです。生徒会長の人です。薄々そうじゃないかと思ってましたけど、あの人って目立ちたがりなんですか?」
「あはは、それはもちろん、たっちゃんはそういうの大好きよ。でも存在感あって華もあるし、あれこそIS学園を目指す女の子が憧れる姿ね」
雑誌を見て驚いたのが、生徒会長出過ぎ、なことだ。
この半年間毎号出演している。それはインタビュー記事であったり写真であったり何かをする企画であったりと様々だが、IS学園に関する内容では圧倒的な出現率を誇っていた。
その上一年時の行事を総なめにしているのだから、この一年はまさに更識……楯無の一年だったのだろう。ちなみに最新号ではパイロット科初の生徒会長就任が讃えられていた。
なるほどそんな絶大な人気を誇る人間を毎回毎回涙目にさせてしまっては、俺に反感を持つ生徒が出てくるのも納得だ。
「ということは今の一年生にもそれなりに知られてるんですね」
「それはもちろん! 例えばたっちゃんにはこういうエピソードがあって、そ」
「あ、別にそういうのはいいです。特に興味が有るわけでもないので」
「そ、そう。……ええと、知ってる顔はそのくらい?」
「二年生にはほとんど知り合いがいないんですよね。知った顔ならむしろ三年生の方が多いんです」
「甲斐田君は三年生に知り合いが多いの?」
「編集長、それが甲斐田君最初の武勇伝です。入学三日目にして単身で三年指揮科の教室に乗り込み、その場にいた生徒全員を説き伏せたという」
「ああ、その時に知り合ったのね」
武勇伝とか説き伏せたという単語が引っかかるが、噂というのはえてしてそういうものなのだろうか。
「それが武勇伝なのかは知りませんけれど、その時以来三年の先輩方には何かと助けてもらってます。雑誌で見たのはおととしの宮崎先輩と佐原先輩ですね」
「ああ、指揮科と衛生科に行った子ね。あの時は確か宮崎さんが一人じゃ嫌だって言い出して、たまたまその時側にいた佐原さんに頼み込んで一緒に出てもらったのよね……。あ、ごめんなさい。甲斐田君はこういう話に興味なかったわね」
「いえ、せっかくなので聞かせてください」
生徒会長は正直どうでもいいが、宮崎先輩はどうでもよくない。
雑誌の話をしたら顔を真っ赤にして即刻燃やせと騒いだので、いじるネタとして使えそうだ。三年生は基本的に俺をいじろうとするので、反撃材料があるに越したことはない。
「そ、そっちには興味あるんだ……。と言ってもそれくらいで、特に何か変わったことがあったわけではないのよね。基本的にIS学園の子って素直だし、きちんとやってくれるからこちらとしても困ることもないのよ」
「そうなんですか」
「じゃあ……甲斐田君が昔の宮崎さんを見た感想はどう? だいぶ変わってた? それとも全然変わってない感じ?」
「あ、それは全然雰囲気違ってました。二年前の姿はもうちょっと幼さが出てるというか、活発そうでしたね。今は落ち着いていてどちらかと言うと大人な雰囲気で、やっぱり二年も経つと成長するんですね」
「ふふっ、そうね」
黛姉が今日初めて緩んだ顔になって笑う。
宮崎先輩の二年前の姿を見た印象としては、鷹月さんを柔らかくしてもっと元気にした感じだろうか。
もちろん俺が同じ指揮科という括りで見ているからかもしれないし、黛姉がそういう風に見えるような写真を選んだ結果かもしれないが。
「ちなみに、今年もやるんですよね? その今年の一年生を紹介するという企画は」
そら来た! という顔で黛姉は一瞬で切り替えて背筋を伸ばす。
わざわざこんな話題を出したのはこれが目的である。
俺もそうだが、先方もただ雑談をして終わりにするつもりはないようだ。
「それはもちろん、やれるものならやりたいわ。ここ数年の定番と言ってもいい企画で、毎回大好評でもあるんだし」
「じゃあもしそこに一夏がいたら嬉しいですか?」
「それが可能ならぜひとも! と言いたいんだけれど、さすがにこればかりは甲斐田君の一存でどうこうできることじゃないのよ。ただ本人にうんと言わせれば、いえ本人がうんと言ったからだけではダメで、そこに至る過程にはいろいろ面倒なことが待ち構えているの」
「一夏にも一応置かれた立場がありますからね」
当然そんなことは百も承知である。
一夏にうんと言わせればなんとでもなる環境などその姉が見過ごすわけもない。
「それなら話が早いわ。甲斐田君だから話すけど、実は私達もその未来を実現させたいと思っていて、これから交渉を始めようとしているのよ」
「その交渉相手は誰ですか?」
「それが一つじゃないのが大変なところ。まず織斑君の所属している倉持技研。そして日本政府にも話を通さないといけない。と言っても倉持技研にも日本政府にもその手のやり方は決まってるから、このあたりは特に難癖を付けられるような心配もないはず」
「と言うことは難癖を付けて断ろうとする相手がいるわけですね」
「ご名答。さすがね。最後の難関はIS学園。正確に言えば織斑君の姉である織斑先生。はっきり言って現状は難攻不落状態。別に私達に限った話じゃないけど、織斑君への取材の申し込みはここでことごとくシャットアウトされてしまっているの」
しかしそれは仕方のない部分もあったりする。
これまでの一夏では危なっかし過ぎて、とても外には出せなかっただろう。
何しろ配慮など一切なく、思ったままを口にしてしまうのだから。
「でもこの前外出して会見までしましたよね?」
「もちろん甲斐田君は分かってて言ってるのよね? あの時は甲斐田君のことを名目にして織斑君を無理矢理引っ張り出したに過ぎないんだから。それに写真だけは撮れたけど結局織斑君へのインタビューは軒並み却下されてるし」
ということはやはりあの一連に至る騒動を起こしたのは日本の、いや世界のマスコミ連中なのだろう。
博士によって流出した映像が引き起こした騒ぎとも言えるが。
「その後も変わりませんか?」
「変わるも何も相変わらずよ? 先週も駄目もとで申し込んでやっぱり駄目だったし」
「そうですか。それはタイミングがちょっとだけ早かったかもしれませんね」
「早かった?」
「だって、織斑先生の許可なら僕がもう取りましたから」
「えっ!?」
早い話が先に根回しをしてしまったということである。
入学当初とは事情はだいぶ変わっており、今の織斑先生なら選別した結果断ることはあっても、絶対に取材を拒否するということはない。
カナダへ行くことを決めた時点で織斑先生は完全に方針転換をした。それはつまり納得できる理由があれば一夏への取材も受けるという話だ。
現状取材を受けないのは単に一夏がとても人前に出せるレベルではないからである。
「あ、ついでに倉持と日本政府にも一夏経由で話は通してます。どちらもどんどんやってくれというノリだそうなので、申し込めば特に問題もないと思いますよ」
「ええっ!?」
「ちょ、ちょっと待って甲斐田君、話が飛び過ぎてないかしら? それはこれから始めることであって、なぜ話が進んでいる状態になっているの?」
慌てたのか横で話を聞くだけだった編集長が口を挟んできた。
しかし物事を決められる責任者がいたのは幸運だ。この場で判断を迫ることができる。
「あれ? もしかして余計なことでしたか? 雑誌を見たら毎年やってるみたいだし、特に問題もないと思ったんですけれど?」
「い、いや、そういうことじゃなくてね……」
「無理なら無理で別にいいですよ。この話はなくなりましたで終わりなので」
「待って! そういうことじゃないの。すごく嬉しいわ。あの織斑先生を説得するだなんて本当にすごい。でもね、まだ存在もしていなかった話をどうして甲斐田君は進めようとしているの?」
そんなものは決まっている。俺の考えた形でやらせるためだ。
別にディテールは好きにすればいいが、大枠では俺の考えた範囲で行うことに意味がある。
そのために各方面にまで手を伸ばしたのだ。
「それが必要なことだから、では駄目ですか?」
「もう少し詳しく」
「じゃあ……黛さんは僕らの夏休みについて知ってますか?」
「それは……噂程度なら……」
「別に隠してる話でもないですからね。おそらく知っての通り、僕と一夏は夏休みカナダに行きます。目的は一応親善のためです」
「うん」
「今の織斑先生は方向転換をしたんです。一夏を人前に出さない姿勢を百八十度改めました。だからこの前外出をしましたし、夏休みにはカナダへ行きます」
「なるほど。それで?」
「つまり今の一夏には人前に出るという経験が必要なんです。今の一夏は危なっかしくて、見ていてとても不安なので」
「それはさすがに言い過ぎじゃない? この前の織斑君はとても立派だったと思うし、その後のニュースを見ても完全に好意的よ?」
「あれは一夏とあの場をそのために仕込んだからです。台本に沿って動かしてあげないと、今の一夏は何もできません」
完全に台本通りで、俺が一週間かけて覚えた事柄は何一つ出番もなかったほどだ。
とはいえそれで世間が一夏に対して気にしていることを理解できたので、後から考えればまるきり無駄ではなかったと信じたい。
「要するに二週間前の会見は一夏が人前に出るための練習です」
「裏ではそんな目的があったわけか」
「そうです。そして今回も同じ理由です」
「私達は練習台だと」
「言い方は悪いですがこちらの目的としてはそうなります。今後もインタビューなんかを受ける機会が出てきますし、早く一夏を慣れさせておきたいんです」
「なるほどねえ……それで私達が選ばれたと」
こちらの意を汲んでくれる取材側などまさに練習相手としてうってつけである。
一夏に対する世間の態度を見ているとそこまで心配しなくていいかもしれないが、それでもいい相手がいるのであればそちらを選ぶのは当然の話だろう。
「選ぶと言うと語弊がありますね。むしろ黛さん達だからこそ言える話なわけで」
「待って。まだ会うの二回目なのにそんなこと言われると信頼が重すぎるんだけど」
「いや、この雑誌のことですよ。今までやってきたこの範囲でやってくれるのであれば特に問題もないだろうということです」
「それはそれで今度は試されてる気がする……!」
「落ち着きなさい。うちの部下が失礼してごめんね。甲斐田君、つまりこれは織斑先生ではなく甲斐田君主導の話なのね?」
「別に織斑先生からやれと言われた話ではないです」
「それならなぜ……いや、今はいいわ。とりあえず甲斐田君の案に乗るか乗らないかという話なのは理解しました。条件は練習のために織斑君を出すことだけ?」
「あ、それなら出して欲しい人が他にも」
「他にも誰かいるの?」
雑誌の読者は一夏を求めているかもしれないが、一夏一人だけでは去年までの企画とそう変わりなく、物足りなくて芸もない。
だから一夏がより引き立つよう紙面を彩る賑やかしも用意したい。
「今年の留学生五人にもこの話をしました。それで全員からオッケーをもらってます。もちろん母国の方にも話をしてもらって。どの国も快く許可を出してくれましたよ」
「えっ?」
「イギリスのオルコットさん、スペインのリアーデさん、中国の凰さん、カナダのハミルトンさん、イタリアのベッティさん、の五人です」
話をしたのは一週間ほど前である。だが土曜までに返事をしろと伝えさせたところ、どの国も翌日許可を返してきた。詳細はまた別途詰めさせて欲しいとのことだが、やること自体に文句はないそうだ。何しろあの織斑一夏と一緒に取材を受けて雑誌に載るのだから、それは国としても見逃せないだろう。あの中国の管理官は直接俺に電話までかけてきた。
「と言っても本当にやるのであれば詳細を聞かせて欲しいそうです。これは各国の担当者の名刺のコピーなんですけど、この人達に連絡してあげてください」
「あ、はい……」
「全員日本在住だから別にその国にまで行けって話ではないですよ?」
「それはそうでないと困るわ……」
黛姉は完全に固まり、編集長は呆然と俺が差し出した紙を眺めている。
悪いがこのまま逃がすつもりはない。
今回のことはそちらではなくこちらから持ち出した話だ。だから断ることは普通に可能である。納得させるためとはいえ織斑先生の話をしてしまったので、別に俺を通さずとも今後取材はできる。
だから俺は今回付加価値をつける。織斑先生の影響力は絶大だ。中国の管理官などは完全に目上扱いしていたし、本人がその気になればいくらでもその力は行使できるだろう。
しかし生憎と織斑先生は基本的に不干渉主義である。一夏に取材を受けさせるからと言って、じゃあ他の連中もとはならない。相談されたら聞くだろうが、それはあくまで教師としての範疇でしかない。
それなら俺は織斑先生ならやらないことをやってみせようという話なのだ。
「別に中身に対してどうこう言うつもりはありません。奇抜なことをして欲しいというような話ではなくて、これまでやってきた企画にこのメンバーを入れて欲しいというだけですから」
「……本当にそれだけ?」
「あれば言いますけど、今のところはそれくらいですね。あ、別に後から難癖をつけようとか全く思ってませんよ」
「甲斐田君は? 甲斐田君はそのメンバーの中に入ってるの?」
「うーん、正直に言えば僕は出たくないのが本音ですけど、出ないことで問題が生じるようならまた考えます」
「そう」
このへんの世間の事情はちょっと読めない。
別に俺などいなくても大丈夫だろうが、出ないことによって俺が不遇をかこっているなどと変に勘ぐられても困る。この前の外出ではまさに俺のことを材料として使われてしまったし、徹底的に隠れるというのはかえって怪しまれるだろう。
とはいえ俺としては取材の日に定期検査の予定が入ってしまうつもりだが。
「それで、どうですか? やります? やりません?」
「はー……」
編集長は下を向いて深い溜息を吐き、それから顔を上げる。
その表情は腹をくくっていた。
「やるもやらないもここまで来ると選択肢は一つね。ありがたくお受けします。甲斐田君の努力を無駄にしないためにも」
「別に僕の努力とか話をしただけですけどね」
「話を企画から実行にまで持っていくのは立派な努力よ。黛もそれでいいわね?」
「えっ!? いや編集長がいいのならいいですけれど……なんかまた立場が逆転してしまったような……」
「これが甲斐田君のやり方なのよ。私も今回身にしみて理解できたわ。あ、別に甲斐田君のことを悪く言ってるわけじゃないから」
「はあ」
外堀を埋めて逃げ場をなくすのはよくある常套手段だと思うが、まあやってくれるのであればとやかくは言うまい。
「さてと、じゃあ織斑君以外の留学生についてそれぞれ人となりを教えてもらえない? 取材をするにもそれ以前の交渉をするにも事前準備が必要だから」
「それはそうですね。じゃあまずはイギリスのオルコットさんなんですけれど……」
とりあえずこちらの意図を伝えることはできた。
ここからは彼らの領分であって、素人の俺が余計な口を挟んでも邪魔なだけだろう。
俺としては方向性さえ逸脱しなければ後は好きにしてもらって構わない。
留学生を引っ張ってきたのも実を言えば鈴とオルコットを一夏のお目付け役にするためだ。
鈴は一夏がおかしなことをしようとしたら殴っててでも止めるだろうし、オルコットは一夏の独特の感覚を翻訳できる。他の三人は誌面を華やかにしてくれればそれでいい。
そして俺が一夏の側にいると一夏は俺に全部丸投げして何も考えようとしないので、その場に俺がいないことにも意味はある。まあその場合は鈴とオルコットに頼るのだろうが、最初のうちはそれも仕方ない。それは徐々に一人の場を作っていけばいい。
まずは選択肢の中から選ぶことができるようにならなければだ。
雑誌記者二人は意気揚々……ではなく一分一秒でも惜しいという勢いで帰って行った。
外との交渉以前に企画を一から作り直さなければならないので、戻って緊急会議をするとのことである。
しかし少々話を大きくし過ぎてしまったかもしれない。俺の頭の中では今月中に取材をしてもらって夏休み前、正確にはカナダに行く前に雑誌を出してもらいたかった。だが六カ国にまでわたる話になってしまったこともあり、今から始めるのでは交渉や手続き上物理的に不可能らしい。
日程的な話をすると夏休み前に取材、そして夏休み終わりに雑誌が出る、というのが限界だそうだ。週刊誌ならまた話は違ったかもしれないが、月刊誌では仕方のない事だと言えるだろう。
八月の終わりに出るのであれば九月半ばの学園祭を見据えられるので、取材の件はそこに焦点を当てた方がよさそうだ。六、七月が世間の話題的にも無風状態になってしまうのは残念だが。
「こんにちは。今日はわざわざお招きいただき光栄だわ」
さて息をつく暇もなく次の相手、四十院母である。
俺がその言葉を発すると、四十院母は最初きょとんとした顔をし、それから笑い出した。
「おかしいですか?」
「ええ本当に。なるほど、甲斐田君はうちの娘をそういう風に見てたのね」
やはりしらばっくれてきた。
認めた上で何かを言ってくる可能性も考えたが、まずはそう返してくるのが普通だ。
ただ俺は指摘をしただけなのだから。
「違いますか?」
「私が娘の神楽を甲斐田君にけしかけている、ね。残念だけれど全くの見当違いと言わざるをえないわ」
「そうですか」
別に認めるとは思っていない。大事なのは釘を差すことだ。
俺がIS学園の中にいる以上目の前の女は娘を通じてしか俺に干渉できない。今日のように直接会うのは俺がそう望んだ場合のみである。
だから俺に対して何かを企んでいようが無駄だということを示す。
「うーん、議論をしたいって顔じゃないわね」
「いくら議論をしたところでそのつもりはないと言い張れますから。そんなことをしても無駄だと言いたいだけです」
「なるほどー。そういう風に自己完結をしちゃったか。言っておくけど私に言ったところで何も変わらないわよ? 甲斐田君は娘の態度からそう感じたってことでいいの? それとも誰かにそう言われたりした?」
「他人は関係ないです。僕がそう思っただけで」
周囲はむしろ変な空気を出し始めている分面倒だ。相川さんとか。
「そっか。つまり甲斐田君は迷惑しているわけね?」
「そうです」
「じゃあそれをそのまま神楽に言えばいいと思うわ。迷惑だから以後近づくなって。というよりどうして直接本人に言わないの?」
「やらされているんだから本人に言ったところで解決はしないじゃないですか。大元をどうにかしないと」
「やらされている? 甲斐田君の目からはそう見えるの?」
「そうです。いちいちやることがぎこちないというか不自然というか、無理してやってる感がひどくて、下手な演技を延々と見せられているみたいでいたたまれないんですよ」
最近はもう痛々しくていい加減かわいそうになってきた。
だからこそ四十院母から面会の申し込みがあり来月あたりを希望とあったのを今日に早めさせたのだ。社長だから無理は利かないかと思ったがあっさりやってきたのは幸いだった。
「あー、そういうことか……。あの子らしいと言えばその通りだけれど、どうしたものか……。甲斐田君、これから二つの選択肢を示すから選んでもらえないかしら?」
「何の話ですか?」
「甲斐田君が今後取るべき道の話。一つはもう面倒だから以後娘とは関わり合いにならないという選択。それなら今言ったように、迷惑だから近づくなってあの子に言えばいいわ。これまでの関係はもう保てないだろうけど、少なくとも甲斐田君は今の煩わしい状態から解放される」
「なるほど」
ということは次が本命なのだろう。
「もう一つは、これから私の言う話を聞いてどうするかを判断するという選択。別に大してややこしい話でもないし聞かなきゃよかった的なことでもないけれど、所詮は他人の事情だからね。変に踏み込みたくないというのであれば無理強いはしないわ」
「つまりできれば聞いて欲しいということですね」
「それはもちろん。私達がこうやって話をしていることも影響しているだろうし」
「それますます聞いてくださいと言ってるじゃないですか。それなら最初からそう言ってくださいよ」
「そうは言っても、一応逃げ道は用意しておかないと」
別な事情がありか。
だが穏便な解決を望むことができるのならその方がよしだ。
リーグマッチを一緒に取り組んだ仲間だし、俺だってわざわざ四十院さんとの仲を険悪にしたいわけではない。そのためにこうやって本人を飛び越えて話をしようとしたわけだし。
「ここで終わると僕が人でなしにされそうなので、聞くだけは聞きます」
「ふふっ、ありがとう。まずさっき甲斐田君が言った、娘をけしかけるという話なんだけど、実は入学前にそれ系の話を娘にしたことがあるの」
「は?」
やはりそういう発想をする人間だったか。
あながち俺の想像も的外れではなかったかもしれない。
「あ、その時は甲斐田君のことなんて何も知らなかったし眼中にもなかったわ。当然織斑君の話。織斑君は結婚相手として最適だよって神楽に言ったの」
「なるほど。それで四十院さんの反応はどうでした? 怒りましたか?」
「別に怒ってはなかったわね。元々私達には少なからず結婚にはそういう恋愛以外の要素も含まれているというのを理解していたから、自分の結婚相手としてどうか見てみるって」
「ということは一夏は四十院さんのお目にかなわなかったのか」
クラスメイト達の様子を見て意外だと思ったのは、一夏に計算づくで近づいてくるのがいないということだった。
何しろ一夏はあのブリュンヒルデ織斑千冬の弟だ。それだけで一夏に近づく価値がある。
それに見た目的にも同じ遺伝子を持っているのが分かる。二人横に並べれば織斑千冬の男バージョンとも言えるだろう。
中身は少々残念だが、男に対して知性を求めない女であればむしろ好都合である。家事万能であることを合わせると、計算する女ほどよだれを垂らす人材だ。
中学時代は少なからずいた。だが一夏はそういうのが感覚的に分かるらしく、自分の中でそう判断すると途端に塩対応となる。最初は計算で近づいた女子は後から本気になって、時既に遅しだった。
IS学園の生徒に計算オンリーなのがいないのは、きっと今の自分に対して絶対の自信を持っていて、誰かに寄りかかる必要がないからなのだろう、と俺は想像している。
なればこそおそらくその自信を失うであろうタッグマッチは俺の中でチャンスでもあるのだが。
「入学してしばらくしてから話した時は、織斑君は結婚相手としてあり得ないって言ってたわね。一緒にいてもきっとイライラするだけだろうって」
「意外と四十院さんって辛辣なんですね」
「あの子は結構毒吐くわよ? 甲斐田君は聞いたことないの?」
「言われてみれば僕もいろいろ言われていた気がします」
最近は持ち上げられてばかりだったので失念していたが、そういえばリーグマッチ期間中は鷹月さんやオルコットと共に俺をぞんざいに扱って毒を吐いていた。
「リーグマッチが終わった後は織斑君を見直したようなことを言ってたわね。決める時にきちんと決めるのはすばらしいと。でも普段が普段だから一緒に暮らすのはとても無理だと」
「けっこうシビアに見てますね」
「愛情がなければそんなものよ。そしてここからは想像なんだけれど、神楽はその理論を織斑君の隣にいた甲斐田君に当てはめてしまった」
「は?」
意味が分からない。なぜ俺に当てはめる必要がある。
「リーグマッチが終わった後、あの子は明らかに凹んでいたわ。それは前回に話した通りで、自分のやったことが何もかもうまくいかなくて、神楽は完全に自信を失ってしまっていた。これは甲斐田君にも分かる話よね?」
「はい」
「そんな中、神楽の隣には甲斐田君がいた。さらに甲斐田君は神楽がとてもできないような活躍をしていた」
「活躍って言うほどのことでもないですけど」
「この場合は客観的な話ではなくて、神楽の中でのことね。最後はアドリブで指揮までしてのけて見事勝利。これで神楽の中にすっぽりはまってしまったのよ。ああこの人こそ私の夫になる人なんだと」
「なんですかそれ!?」
なんという飛躍……ではない。
はっきり言ってよく分かる。まさに俺が今からやろうとしていることなのだから。
タッグマッチで敗れて自信を失ってしまった女生徒達に一夏という夢を見せる。それが俺の裏の、真の目的だ。
「要するに一種の刷り込みね。甲斐田君、リーグマッチが終わった後神楽と何かなかった? もしくは何か言われなかった?」
「いや、そう言われても特に……」
四十院さんの態度が変わったのはいつだったろうか。
おそらく宮崎先輩にリーグマッチの反省会でボコボコにされたあたりだろうが、あの時の俺は精神的におかしい状態だった。特に何も気にせず流していた可能性が高い。
「はっきり言って今の神楽は完全に引っ込みがつかなくなっている状態ね。きっと不安で立ち止まれないんだと思うわ。それに計算してやるのなら甲斐田君に不審がられてる時点で完全にアウトじゃない。だいたい私が本気でやらせるのならそんな真似はさせないわよ? 三年かけてじっくりと逃げられないように囲い込むでしょうね」
「それはやめてください」
今恐ろしいことを言われたが、確かに計画的にやるにしてはずさん過ぎる。
俺との永続的な関係を求めるのであれば、今やっていることは全くもって効果的とは言えない。
「というのが私の想像。想像だけどこれでも母親だしそう遠くないと思うわよ?」
「いや、なんかいろいろ腑に落ちました。過大評価気味なのはずっと思ってましたし、あり得ないことが起こってる時点で何かあるんだろうなと」
「過大評価? あり得ない? そこまで言わなくても」
「それはそうでしょう。たまたまうまく行ったのを実力みたいに言われるのは過大評価以外の何者でもないです」
「なるほど、それが甲斐田君の自己評価なわけね。でもどんな形であれ成功という体験は自信に繋がるものではないかしら?」
「ISで自信を持ったところで僕には意味のない話ですし」
ISにおいて俺は誰からも何も求められてはいない。学者連中もいずれ諦めるだろう。
俺はISに乗って何かを為すことはできないのだから。
「それが甲斐田君にとっての原点か。謙虚とはまた違う話ね」
「別に何でもいいです。それより話を戻しますけど、僕としては穏便に済む解決方法を求めたいんですが」
「神楽に突き付けてやるのが手っ取り早いと思うけどねえ」
「それじゃ四十院さんの黒歴史量産じゃないですか。あれなんか前にもあったような……まあいいや、さすがにタッグマッチを前にそういうこと言うのはどうかなと」
「あら心配してくれるの? 迷惑している相手に対して?」
「別に嫌ってるわけじゃないですよ。無理してやろうとしているのが忍びないというか」
「要するに神楽のおかしな行動が収まってくれればいいわけね?」
「そうです。できれば本人の中だけで収まるくらいがベストで」
もっと言えば、なかったことにしてやるからくだらないことしてないでさっさとタッグマッチに取り組め、だ。
四十院さんはオルコットと組むのだから、優勝候補に名を連ねる存在である。ゴーレム戦を見ても俺の期待以上の働きをしてくれていたし、今回もそれなりの結果を出してもらわなければならない。できれば鈴や更識妹などを撃破してくれると嬉しい。
「うーん、そうなると会話の中で間接的に気づかせるくらいしかないわね……。それなら甲斐田君の得意技じゃないの? この場合は別に自意識過剰とかではないから変に気にしなくて大丈夫よ?」
「まったく得意にはしてないですね。むしろ母親の方がやりやすいんじゃないですか?」
「でもあの子はわりと私の話を聞いてくれないしなあ……」
娘のことなのだからグダグダ言ってないでやれだ。
元はといえば娘に余計なことを言ったのが引き金なのだから。
「まあ根本的な要因は私の方にあるし、じゃあ夜にでも電話して言うだけは言ってみるわ。月曜に何も変わってなかったらごめんね」
「やるからにはちゃんとお願いしますね」
アリバイ作りで適当な電話だけして終わらせそうな気がしないでもないが、一日くらいは様子を見るか。駄目な場合はもうこの母親のせいにして俺が言ってしまおう。
「ちなみに甲斐田君に迷惑をかけているのは神楽だけ?」
「四十院さんだけなら少しくらい流そうかって気にもなるんですが」
「あらモテモテじゃない。意外と甲斐田君も隅に置けないのね」
「冗談でもそういうのはやめてください。一夏とはわけが違うんですから」
「ちょっと言い過ぎだったか。ごめんね」
もしかして、ハミルトンも同じなのだろうか。
直接言われているのではなく、鈴が母国の管理官からやられていたように心理的に誘導されているとか。
ルームメイトである鈴にも煽られて、もしかしたら今のハミルトンは視界が狭くなっているのかもしれない。
だが普段のハミルトンの様子など知らないので、鈴のように異変に気づくのは難しいか。ひとまず会話をしてみて例えば強迫観念に駆られているなどの不自然なところがないか観察してみよう。
「じゃあこの話はこんなところで。それより今度のタッグマッチなんだけれど、甲斐田君は何をするつもりなの?」
「どこで聞いたんですかその話? 四十院さんが何か言ってました?」
「あら、本当に何かやるんだ」
「知らないで言ったんですか」
「外の人間が知るわけないじゃない。でもね、甲斐田君のことを知っている人ならみんな楽しみにしてると思うわよ?」
「何ですかその娯楽みたいな言い方」
そういえば警備の人達も俺が何をやるのかとしつこかった。俺を何だと思っているのか。
「そうね、素人は織斑君に期待し、玄人は甲斐田君を楽しみにする、という感じかしら?」
「どの方面の玄人なんだかなあ」
下級生から同級生、二年生くらいまでは俺を胡散臭い顔で見てくるが、三年生以上の大人達は俺を面白がって見る。
いったいその差は何なのだろう。
「私がこうやって甲斐田君とお話したいのはね、甲斐田君は次に何を考えて何をしてくれるんだろうと思っているからよ」
「社長って意外と暇なんですね」
いずれにしても邪魔さえしなければギャラリーなどどうでもいい。俺は俺のやりたいことをやるのみだ。
IS学園の寮の部屋にテレビはない。
だが寮の中に二台だけ存在する場所がある。食堂と休憩室だ。
と言ってもテレビの電源が付いている時間は限られているし、映っているのも常に国営放送のみで民放が映されることはない。
ニュースなどはフィルターがかかっているとはいえ部屋にあるPCから見られるので、わざわざテレビを見に来るような生徒は少ないそうだ。俺も一夏も特に見たい番組もないので、入学してからはテレビを見ない生活だと言えるだろう。なければないで意外と支障もなかった。
であるのだが。
「よーよーねえちゃん、いいもん持ってるじゃねえか」
「ああこれだけは! 今日一日飛び回って集めた食料なのです!」
「そういうことは聞いてねえんだ。いいからさっさとよこしな」
「そんなご無体な! 見ての通り私には幼い子供が!」
「じゃあ怪我をさせたくなかったら素直になった方がいいぞ」
「ああっ! そのくちばしでつつかないで!」
テレビから出た音声ではない。食堂のテレビは遥か先にあってここには声も届かない。
つまりその言葉を発したのはこの場にいる二人である。この二人は並んで座ってテレビを見ながら会話とも言えない会話をしていた。
「二人とも何やってるの?」
「あ、甲斐田君だ。聞いてたのならそのまんまだよ」
「ごめん夜竹さん、そのまんまとか言われても意味が分からない」
「あれですよ甲斐田君。よくあるアテレコごっこ」
「田嶋さんにとってはよくあることなのかもしれないけど、少なくとも自然番組に当てる声として間違っていると思うのは僕だけだろうか」
「わたしは甲斐田君だけだと思うなあ」
「そっか。それは失礼しました」
つい突っ込んでしまったが、そもそもこの二人とまともな会話をしようと試みること自体が無駄な行為だった。何しろクラスにおいてフリーダムさでは並ぶ者もいないほど突き抜けているコンビだ。
ちなみに谷本さんはソロ活動を行っているのだが、その矛先が全て俺向けなため、クラスメイト連中は特に被害を被っていない。せいぜい鷹月さんがイライラして四十院さんが情けの声をかけるくらいである。
「っとそうだ。ちょっと話をしたいことが」
「えっ!?」
「どうかしたの?」
流してそのまま去ろうとして、ふと思いついたことがあったので振り返る。
後ろめたさのあるらしい夜竹さんがビクッと体を揺らした。
「そ、そうだ! あたしにはこれから用事があった! 智子あとよろしく!」
「へっ?」
「あ」
言いながら夜竹さんは素早く立ち上がり、お盆を持って走り出す。前もそうだったが瞬発力だけはすごい。
走りながらも夜竹さんは残ったスープがもったいないとでも思ったのか、片手で持って口にあおろうとする。だがその行為によって逆にバランスを崩し、そのまま綺麗にコケてお盆に乗っていた皿の中身をぶちまけた。
「それで話ってなに?」
「田嶋さんも意外と動じない人だよね」
「だって気にしちゃったら助けなきゃいけなくなるし」
「ドライでもあったか。まあいいや、田嶋さんってタッグマッチは誰と組むか決めた?」
「まあ普通にさゆかと」
田嶋さんの視線の先では夜竹さんがしくしくと泣きながら床を拭いていた。その隣には割烹着姿の食堂の人がなぜか竹刀を持って仁王立ちしているが、それはあえて気にしないことにする。
「田嶋さんは順当に夜竹さんとか。みんなそんな感じで決めてるの?」
「そこまでは分かんないけど、昨日今日でだいたい決まったんじゃないかな? 織斑君とデュノア君が組むことが知られてからはあっという間だったよ」
「それはそうだろうね」
土曜の午前中のうちに一夏デュノアに加えて鷹月篠ノ之、四十院オルコットも決まっただろう。クラスの有力メンバーがあっという間に決まっては、さすがに周囲も焦る。誰もが早い者勝ちだと気づいて次々とペアは成立してくれたようだ。
「それがどうしたの? 甲斐田君は他のクラスの人と組むって聞いたけど」
「うん、まあ僕のことはどうでもいいんだ。じゃあみんなはもう真面目に取り組む感じ?」
「そんな雰囲気だねー。でも今回はリーグマッチの時と違って楽しくなさそう」
「へえ。どうしてそう思うの?」
「だってみんな自分のことしか考えてない感じだもん。リーグマッチの時みたいにみんなで楽しくがんばろーって空気じゃなくて、他人なんて知ったことかー、って感じがして」
「二人組とはいえ個人戦だしそうなるだろうね」
よし予想通りだ。
クラスメイト達ではなく、田嶋さんがである。
馬鹿騒ぎしたい人間としては、そういう雰囲気を望むわけがない。
「甲斐田君がいないとこうなっちゃうのかって思った」
「別に僕は関係ないよ。もともとがそういう話だし、今回僕がやれることなんてないから」
「うそだー。三組の人達と集まってコソコソ話をしてたじゃない。今度は三組で何かするんでしょ?」
「よく知ってるね」
「それって一組じゃダメなの? 一組でやってまたみんなで楽しくやろうよー」
「それは無理な話だね。だって一組でやったっておもしろくもなんともないから」
「うーん、それならどうしようもないか」
おもしろくないで普通に納得するあたりも好都合だ。
それなら俺はおもしろさを提供してやれる。
「じゃあ田嶋さん、僕はタッグマッチを楽しく過ごそうとしてるんだけれど、田嶋さんも乗ってみる?」
「何それ!」
「僕としても今回のタッグマッチはつまんないわけなんだよ。だってみんな自分のことにかかりきりで、僕がやることないしね。だから考えたんだ。じゃあこのタッグマッチそのものを僕が盛り上げてやろうと」
「そんなことやろうとしてるの!? やるやる!」
「まあまあ落ち着いて。あんまり人に聞かれたくない話なんだから」
声を潜めて俺は周囲を見渡す。
幸いこの席は食堂の隅であり、また近くに人はいない。
「おっとごめんなさい」
「まず僕は三組に声をかけてやる気にさせた。あと五組から元代表の、あ、五組はリーグマッチが終わった後クーデターとかあったんだけど、それで追われた人を引っこ抜いて三組に入れた。これで三組が偶数、五組が奇数になった」
「ふんふん」
「一方で今僕は一人余ってる状態だ。だからこのままだと奇数となった五組の人達は僕と組まなければならない。でも五組の人達って僕のことを嫌ってるから僕なんかとは絶対に組みたくない。どうなると思う?」
「押し付け合いか、他のクラスに手を出す?」
「きっとそうだろうね。それはまだどうなってるか分からない。今はここまで。おととい思いついて昨日から始めたんだ。だからやりたいことはまだまだたくさんある」
「次はどうするの? 二組? 四組?」
「まあまあ落ち着いて。次は一組だ」
よし完全に乗った。
今の一組を放置するには不安がある以上、俺だけでは手が足りない。
だからこその田嶋さんだ。
「一組? クラスのみんなはやる気十分みたいだけど?」
「はっきり言って全然足りない。僕としては一組は今回のラスボスなんだ。シード権もあるし、他のクラスからしたら強大な敵であって欲しい。でも今のままじゃちょっと力不足な気がしてて」
「そうでもないと思うけどなあ。甲斐田君が敵に回るかもしれないってみんなビクビクしてたよ?」
「不安に思ってるだけじゃ駄目なんだよ。それを前向きの力に変えないと。だから田嶋さんの力を借りたい」
「わたしが? 無理無理! みんなをやる気にさせるとかそんな大それたことできるわけないって!」
「声大きいよ。別にみんなをやる気にさせるとかそんなことする必要ない。たった一人を煽ればいいんだ」
「一人って……鷹月さんとか四十院さんなら甲斐田君がやった方が絶対早いって」
「違う違う。それはね、鏡さん」
「ナギ?」
鏡ナギ。俺をディスることにかけてはクラス一な口の非常に悪い女だ。
だが今回は一組のキーパーソンとなりうる。
「鏡さんてさ、実のところは指揮科狙いだよね?」
「それは多分そうだと思う。誰も聞いたことないけど、雰囲気的に」
「普段から整備班を纏めてるもんね。あと鷹月さんとやたら喧嘩するし」
「あー、あれはライバル視してるよねってみんな言ってる。でもそれと何の関係が?」
「だからさ、鏡さんに今が一組を纏めるチャンスだよって言えばいい。整備班だけでなくパイロット班の人達の信頼を得るいい機会だって」
リーグマッチ初期、一夏に指揮班の四人と衛生班の一人を除いて全員が整備班だった。だが二十六人で一纏まりはさすがに多過ぎたので、戦術を考えるパイロット班と機体について考える整備班に分かれた。そしてそれはリーグマッチ後も一緒に行動するグループのような形となって続いている。
だから同じクラスとはいえ完全に分かれて行動し続けたため、ずっと整備班でいた鏡さんはパイロット班の連中とは関係性が薄いのだ。パイロット班のリーダー格だった相川さんとはそれなりにやり合って仲良くなっていたが、残念ながら相川さんはリーグマッチ後に自由人となってしまった。仕切りたがりの鏡さんとしては全く干渉できないグループがあるのは嬉しくないだろう。
「なるほどー、それは確かにやる気になりそうかも」
「そのへんは言い方次第だね。田嶋さんなら鏡さんのことはよく分かってるだろうし、やる気にさせるくらいなら普通にできるんじゃない?」
「うん、それならできそう」
「やる気をちょっとつつくだけで別に悪いことするわけでもないし、後ろめたいとかもないでしょ?」
「ナギなら言わなくても勝手にやりそうなことだし、特には」
「とりあえずはそれだけやってもらえれば十分だよ。後は勝手に進んでいくから、一組がどうなってるかを時々僕に教えてくれると嬉しい」
「それだけでいいの?」
「田嶋さんもタッグマッチあるし、特に無理強いはしない。それに一組みんなの様子を見てるだけでけっこう時間食うし忙しいと思うよ」
「そういうもんかな?」
「まあ暇だったら言って。それに観察してる時間はすっごく楽しいと思う」
そもそもどの程度できるか分からない以上仕事は振れない。リーグマッチ中は夜竹さんと一緒に遊んでばかりだったというのもある。
俺としては一組の様子をスパイしてくれるだけで十分助かるのだ。
「リーグマッチとはまた違った空気になりそうな……」
「僕みたいに無理矢理やらせるとか今回はできないから、みんな苦労すると思うよ。あ、鏡さんが前に出たら当然鷹月さんや四十院さんとぶつかるわけで、かなりやり合うはずだ。どういう形に落ち着くかというのも観察して楽しめばいいんじゃないかな」
「それは楽しいのかな? なんかギスギスしそうな気も」
「そんなのはリーグマッチで散々見てるでしょ。今さらだよ。それに二週間しかないんだからグズグズはしてられない。自分のこともあるし、収まるところに収まるよ。大事なのはそうやってラスボスとして力をつけてくれることだ」
「あ、そういえばそうだった」
「他のクラスの様子は僕が教えてあげる。そんな感じでどんどん盛り上がっていくのを肌で感じて、さらに特等席から全部を見られるんだ。こんな経験はなかなかできないよ?」
「よくもまあそんなことを思いつくんだね」
田嶋さんが呆れたように言うが、もちろんこれは田嶋さん向けの説明である。
俺は別に途中経過など興味はない。
興味があるのは自分のやろうとしている数々の事柄がどれほどうまくいくかだ。
「でどうする? やる? それともこのまま退屈な日々を過ごす?」
「そんなこと言われたらもうやるしかないじゃない。ナギに一言言うだけなんだしラクショーだよ」
「よしきた。じゃあ田嶋さんは一組担当としてよろしく。と言っても残りは全部僕だし、全クラスに干渉できるかは分からないけど」
「なんかスパイごっこみたくておもしろそう。あ、そうだ、連絡とかどうするの? さすがにしょっちゅう二人で話してたりしたら怪しまれるよ?」
「そうだね……ああ、ちょうどいい場所があった。ほら、田嶋さんには親友がいるじゃないか」
「親友?」
夜竹さんの方を見ると拭き終わったのか、夜竹さんは立ち上がってペコペコと頭を下げている。
「そう親友。いつも一緒に遊んでいた親友の夜竹さんが新聞部に入って忙しくなってしまった。だから田嶋さんは暇になって新聞部の部室まで遊びに行くんだ」
「なにそれ?」
「そしたらそこは居心地がよくて、田嶋さんはついつい入り浸りになってしまう。そして僕は夜竹さんの様子を見るために時々新聞部の部室に行く。ほら何も不自然なことはないじゃない」
「うわあ……」
「ああ、新聞部の部長さんは知った仲だし僕が話をつけるから。それにこういう事情なら話せば喜んで乗ってくれる人だし」
「そんな簡単にポンポン出てくるとか、やっぱ甲斐田君は敵に回しちゃいけないなあ」
「敵味方にこだわるとあんまりおもしろくないよ。あと夜竹さんは趣味の写真で遊ばせておけばいいと思う。それか新聞部の人にこき使ってもらうか」
映像というスキルはあるにせよ、夜竹さんが何かの役に立つかは怪しい。本番が始まったら一夏を中心に俺の監修の元で撮らせようとは思うが。
「わたしがやってることとはもう完全に規模が違うなあ……」
「別に根っこは変わらないんじゃない? 日常を毎日より楽しく過ごすために自分から行動する、っていうのは田嶋さんもそうでしょ?」
「それもそうだね」
「いやーまいったまいった。あのおばさん毎回毎回うるさくてさー」
なぜか夜竹さんが戻ってきた。犯人は現場に戻ってくる……ではないか。
毎回ということは今回が初犯ではなく常習犯なのか。食堂の人に竹刀まで持ち出させるとは、夜竹さんはいったい何をやらかしたのだろう。
「さゆか?」
「智子は見てないで助けてよー」
「いやだって、甲斐田君に捕まってたし」
「あ、そうだった。甲斐田くーん。そこで颯爽と現れて困っているクラスメイトを助けるのがリーダーじゃないんですかー?」
「夜竹さん。あのさ」
「何? 言い訳する気?」
「夜竹さんは予定があるんじゃなかったの?」
「あ」
逃げ出しておきながら戻って来るという意味不明な行動をしていたことにようやく気づき、夜竹さんは固まる。
だが数秒して立ち直り、くるっと俺に背を向けて一目散に逃げ出した。
「まあ、ああいう子ですから」
「別にそんなに怯えなくていいんだけどなあ。今さら問い詰める気もないし」
「えっ?」
「ああ田嶋さんも心配しなくていいよ。田嶋さん達が僕に隠そうとしていることを暴こうなんてまったく思ってないから」
「参りました。もう甲斐田君には逆らいません」
観念したという感じで、田嶋さんは深々と頭を下げた。
「そうか、教官は甘党だったのか。特に何かに対して執着を見せないので好き嫌いはないのかと思っていたぞ」
「あれで一応隠してるつもりらしいよ。自分のイメージに合わない的なことを気にしてるらしくて」
「確かにそれはあるだろうな。教官は世界から見て神のような存在。であるのに甘いものを食べて頬を膨らませている姿は見せづらいだろう」
「まあプロの職人からするとバレバレだそうだけどね。だからそういう人達は千冬さんに何かを作る機会があったら全身全霊を込めて作るらしいよ。千冬さんの顔を崩すのが職人にとっての夢なんだってさ」
「ははは、それは微笑ましい話だな。だが私もその気持ちは分かるぞ。教官が心から幸せそうに笑う姿を見られた日には、もしかしたら満足して死んでしまうかもしれない」
「それはそれでどうかと思うけど」
「もちろん言葉の綾だ。いつの日か教官の笑顔を自分に向けて欲しいという願望だ」
かくして織斑千冬大暴露大会である。主催者は俺。
部屋に戻ったらまたしてもドアの前でボーデヴィッヒが正座して待っていた。
俺が頼んだことについてはそれはそれとして、千冬さんの話を聞きたいらしい。
本当は同時にやってごまかすつもりだったのだが仕方ない。まったく餌をやらなかった結果拗ねられても困る。
そういうわけで恐縮するわけでもなくボーデヴィッヒは当たり前のように俺の部屋に入って来ていた。
「しかし先程の話は驚いたぞ。まさか中学生時代の教官が道場破りを行っていたとは」
「自分の正体がバレないように仮面をつけてたっていうのがあれだよね。思春期の中学生まっさかりな感じで」
「正直に言えばショックだ。だがひたすらに力を追い求めていた時代と思えばぎりぎり納得できないこともない。まあ大人相手にことごとく討ち果たしたという事実については爽快に思えるな。若年といえどさすがは教官だ」
博士伝手でこういうエピソードを数多く知っているからこそ、俺はいまいち千冬さんに尊敬の念を抱けないのかもしれない。
「でもボーデヴィッヒさんも道場破りなんて単語をよく知ってたね。ドイツにもそういうことってあるの?」
「もちろんないぞ。私が知っているのは学んだからだ」
「へえ。それは日本について?」
「教官の母国であるからな。当然の話だ。だから私のことはそこらの留学生とは一緒にしないでもらおう。私は日本に詳しいのだ」
「それはまた大した自信だね」
織斑千冬信者は世界中至るところにいる。だから信者指数が高じればこういうのも出てくるか。
「そうだな……ああ、日本には『嫁』という単語があるだろう。妻や夫という意味を内包した伴侶に対するとても見事な言葉だ」
「ん?」
「ふふふ、そんなことまで知っているのかという顔だな。『俺の嫁』。すばらしい響きの言葉だと思う。自分のものだと強烈に主張する愛情表現、時には次元すら超えると聞く」
「んん?」
「どうした? あまりの深さに声も出せないのか? しかしそれも仕方のないことだろう。私が日本に対して造詣が深いからこそ表現できるのだからな」
ボーデヴィッヒは目を輝かせて得意げな顔をしている。
だが何かが違う。いや何もかも違うと言うべきか。
「えーっと……要するにボーデヴィッヒさんは千冬さんのことを嫁にしたいわけなんだ」
「馬鹿者! 何を言う! 我が神に対してそのような恐れ多いことを口にできるか!」
「あ、そうですか」
とうとう自分で神と言ってしまった。信者脳ここに極まれり。
「いいか、『嫁』と言うのはだな……教官の家族である君になら口にしても大丈夫だろう。私にとっては、織斑一夏君のことなのだ」
「一夏?」
意味が分からない。なぜそこで急に一夏が出てくる。
ボーデヴィッヒの一夏に対する態度を見ていても、全くそういう感情は見えなかったのだが。
「織斑一夏君を私の『嫁』にし、婚姻関係を結ぶことにより」
「ことにより?」
「私は教官にとって家族に、いや『妹』になることができるのだ!」
これはやばい。妹になりたいとかクロエみたいなことを言い始めた。
相手が神過ぎて自分のものにすることすら望まないとは。
「ああ、安心するがいい。だからと言って君の親友をないがしろにするような真似はしない。私がよき妻となるのは当然の話であるし、愛人の数人くらい普通に認めよう。いずれ生まれる娘にも深い愛情を注ぎ、円満な家庭を作ることを約束する。何も問題はない」
「はあ……」
安心できる要素が何一つないし、問題しかない。というか娘が生まれるのは確定なのか。
しかしもうなんというかこじらせ過ぎだ。信者力が限界突破して二周三周してしまっている。
もういっそ『あれ』を使って問答無用でぶっ飛ばしてやろうか。まあ用途が違うのでさすがにやらないけれど。